西武黄金時代ってどれだけすごかったの?2
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西武球場での試合で、解説者を置かず実況アナが一人だけで喋り続けるTV中継が
KBS京都でも偶に放送されていたけど、あれっていつ頃終わったんだろう? >>907
守備を重視するならショート源田、ライト平野という選択もありうるだろうが、
まあ、総合的に>>906でいい気がする 打順は
松井
秋山
和田
中村
清原
デストラーデ
秋山幸
伊東
辻 先発ローテ
松坂
工藤
渡辺久信
西口
涌井
岸
中継ぎ
杉山
石井貴
豊田
ワンポイント
永射保
抑え
潮崎
鹿取 監督はやっぱ森さんなの?
ヘッドコーチは黒江さんか毒島さん?
編成はもちろん根本さん 伊東が古田や谷繁、城島らに比べれば大したことないみたいな風潮があるが、
ただ犠打のパリーグ記録や、キャッチャーの盗塁記録を地味に持っているからね
ある意味では森野球を一番体現した選手の1人で、球史に残るキャッチャーであることは間違いない 谷繁は持ち上げられすぎ
単純に長く現役をやったから数字があるだけで、伊東の方が上だろ
打撃も谷繁は雑魚だったし >>918
でも伊東は3割も20本も記録したことが無いのだが。 谷繁 通算打率.240 出塁率.333 長打率.368 OPS.701
伊東 通算打率.247 出塁率.319 長打率.363 OPS.681
谷繁は歴代10位の通算1040四球(158敬遠は歴代7位)が効いてる
「セ・リーグの8番打者」ならでは >>921
あら意外
数字の上ではあまり差がないね
キャッチャーとしては谷繁のほうが強肩だったことを除けばそれほど差があるとは思えない 谷繁の打撃よかったのも96から04くらいまでであとはいかにも8番捕手って感じの数字だし ナゴドと西武球場
実働年数も差があるのにOPSでボロ負けしてるのに
差がないってw
打者としては普通に谷繁が上だろ
雑魚とまで言い切っておいて恥ずかしい奴だな 打者として、なら伊東じゃないの?
シゲが黄金期西武で6番7番打てるとは・・・w >>925
OPSでボロ負けって、セリーグでずっと8番打っていたから敬遠四球で出塁率が高いだけ
パリーグなら安定の9番だな 伊東は打撃の素質がクリーンアップ級と言われながら
森監督が「捕手に打撃はいらない」という考えだったからな
広岡の後森ではなく野村が監督だったら秋山清原伊東のクリーンアップトリオだったかも >>925
参考までに
大洋・横浜時代 打率.248 出塁率.336 長打率.381 OPS.717
中日時代 打率.234 出塁率.330 長打率.357 OPS.687 >>927
記録上の「故意四球」を計算から除外すると、谷繁の出塁率は1分ほど落ちる
まあ、記録に残らない「実質敬遠」みたいなものもあるだろうが この↓元ロッテ初芝のユーチューブで メインは松坂のこと話してるが
後半で 最速といったら まちがいなく 渡辺智男、郭泰源、と
話している。
https://www.youtube.com/watch?v=vt4DNXdW_8Q
皆それぞれ 在籍最盛期はずれるが
西武にはずーっととぎれなく 超エース格がいたってことよね。
東尾~渡辺久、工藤、郭からの渡辺智(智男は実働年数少な目よね)
~(ヤクルトと日本シリーズする頃は)石井丈 ~ で 西口 松坂 1983 西武(広岡達朗)4勝3敗 巨人 ←すげえ夢中で見た(田淵太田東尾vs江川西本原中畑篠塚)
1984は古葉広島が上田阪急に4勝3敗 ←日シリなのにガラガラなんだってのを覚えてる
1985 阪神(吉田義男)4勝2敗 西武(広岡)←子供ながらに阪神フィーバーがすごすぎて日本一なるのが対戦前から決まってた雰囲気覚えてる
◆森監督時代へ◆清原も入団(シーズン31HR.304 すげえ)
1986 西武(森祇晶) 4勝3敗1分 広島←初戦引き分けのあと カープ3連勝後4連敗
俺は↑ここで森監督は何を得たか知りたい! 実は森さんヘボ監督寸前だった。
1戦目引分つうても 9回まで2点リードの完全勝ちパを
山本浩二、衣笠連続HRで同点されてる。で引き分け。
そのうえ2戦目から3連敗。1勝も出来ず負けそうだったのが…
4連勝で この時 なんか日本シリーズの極意をしった感じがしてならん。
1987 西武(森祇晶) 4勝2敗 巨人 ←巨人王監督が毎年負け続けてよーやくセで勝ったって
いう感じで日シリで西武に勝てる気は俺はしなかった。
(王監督はとにかく戦力があっても勝てなかった…)
1988 西武(森祇晶) 4勝1敗 中日 ←これも まあ星野中日と西武 力の差は歴然だわな感があった。
1991は巨人―近鉄で巨人日本一
1990 西武(森祇晶)4勝0敗 巨人 ←覚えてる。実は巨人は最強投手陣(斎藤、槙原、桑田)だが
全く通用しなかった。
(デストラーデをおさえれる人がいない)
野手は全く役者が違う感じだった。
(原中畑も下り、駒田といわれてもねえ的な)
1991西武(森祇晶)4勝3敗広島 ←なぜか全然覚えてない
1992西武(森祇晶)4勝3敗ヤクルト ←おもろかったー
1993ヤクルト(野村克也)4勝3敗西武 ←これもマジおもろかったー
1994巨人(長嶋茂雄)4勝2敗西武(森祇晶) ←覚えてないな。森さん巨人に負けた事あったんだな
95年は野村ヤクルトが仰木イチローオリックスに4勝1敗
ーーー
西武強いなー。
ホントに最強同士で 毎試合アツかった感じは
1983年 広岡西武vs藤田巨人と
1992,93年の 森西武vs野村ヤクルトだったなあ。最高プレーを連日見た気がしてよかた >>934
1983年は巨人の方が強かっただろうね
西武は西本、槙原を全然打てなかった
第6戦で西本を胴上げ投手にしようとして失敗、延長で江川をつぎ込んで敗戦
金森のまさかのサヨナラヒットもあったが、巨人の油断を西武が物にした感じ 巨人は別に油断してないと思う。
あそこで西本をリリーフ出すのは適切な判断
好調の西本出して決めにかかったんでしょ。肉離れして絶不調の江川を
先に出していたらもっと後悔したと思うなあ >>934
90年はデストラーデを抑えれる投手がいなかったのと同時に
ダブル渡辺を打てる打者がいなかった 90年は西武打線が斎藤を打てるか?が最大の勝負だったのに、
何故か斎藤を第1戦に先発させなかった。 森は三本柱を打てるかでは無くて巨人の
クロ、岡崎等を如何に抑えるかが鍵と見た。 >>939
シーズン終盤から斎藤が不調に陥った(お陰で防御率1点台を維持していたのが2点台にまで滑り落ちた)からね。
なら桑田の筈だが、前年スキャンダルの件が引っ掛かったのか第1戦に起用し辛かった様で、先発にリリーフにとフル回転した木田は明らかに
登板疲れで斎藤以上の不調に陥り、もはや先発起用すら出来ない状態。
宮本は調子にムラがあり、香田は木田の代役としてリリーフに持っていかざるを得ず、結局、まだ前年の故障から癒えていなかった槙原を第1戦
起用する他無くなったという感じ。 いまだにそれは語られるけど槇原のシリーズ、特に西武への強さを考えたら悪手ではないよな
むしろあの試合がたまたまダメだったってレベル >>941
消化試合でもやっぱ20勝にこだわっちゃったのかね斎藤
せっかく20勝したのに18勝の野茂に沢村賞もってかれたのはちと気の毒 当時のセリーグで巨人以外の5球団に左の強打者がそれほどいなかったイメージがあるんだけどな
三本柱がうまくやれたのはここら辺の事情も関係してると思ってる 西武としても齋藤が初戦に来た方が嫌だっただろう
秋山、清原、石毛、田辺と主軸が右打者なので齋藤のスライダーにはてこずったはず 桑田みたいな半端な本格派ほど当時の西武打線は得意だから日本シリーズでも94第5戦でしか抑えてない気がする >>946
ですなあ。
巨人びいきだったが 桑田は日本シリーズで
抑えれる気配が シリーズ登場最初から
まったくなかった。
駆け引きとか西武には通用しねえぜっ カキーン
みたいな
でも桑田も素晴らしい投手というのは
私もすごく思うのだけど
なんで西武はあんなに毎回毎回
カンタンに打ってたのかが不思議。
…清原がなんか攻略極意をしってたのかなあ… >>935 936 937
面白かったですよねえ
藤田巨人vs広岡西武。
江川からの金森サヨナラヒットがなあ…
もう巨人優勝、中畑MVPで決まったようなもんだったのに
(中畑三塁打はめっちゃおぼえてますわー
すごく興奮したなあ)
そして東尾が 球に速さもなく
剛球感がないのに なんでこの人は抑えているんだろう
が子供心に不思議であったw >>947
桑田は「わかっていても打てない」タイプではないので徹底して狙い球を絞られるとああいう事になる。 逆に槇原は力業だから打てない事が多かった。
打撃も悪いしパリーグ向きだったよね 槙原も90年はフルボッコ
やっぱデストラーデいるといないでは天地の差だよ
川口なんかは比較的抑えた方だけどね
91の第六戦で無駄遣いした理由はよく分からん >>948
83年の時点でもう原が4番を打っているのが驚き
その後の成績からするとやはり伸び悩んだな >>951
西武打線は左投手に弱かったからな
広島は大野を先発にまわしてたら勝てたし
山本昌今中がいた中日と当たっても負けてたかもな >>952
86年の時点でもう清原が4番を打っているのが驚き
その後の成績からするとやはり伸び悩んだな だいたい91の広島で大野を先発に廻してたら勝てたしって発想が出てくる方がおかしい 6戦で川口リリーフに使った時点で負け戦
あそこはこらえて温存していれば7戦は勝てた >>955
91年の広島のリーグ優勝は抑え大野の成功にあるからね
数字では圧倒的に上だった中日を9月に交わして、貧打の広島打線でも
リーグ優勝できたのは抑えに大野が居たから
中日の自滅と言えなくも無いが、それでも逆転して僅差で逃げ切れたのは大野あってこそ 広島は終盤での逆転優勝が多かった印象がある
86年も先に全日程を終えた巨人を逆転したしね 仮に巨人が86、88年に日本シリーズに出ていても勝てなかった...かね? まだ秋山が三塁で外野のスタメンメンバーが流動的だった1986年は勝つチャンスがあったかもね。
あの年のシリーズは指名打者不採用(隔年採用となっていた影響)で、「シーズン前、森監督から一塁転向を打診されたけど、「嫌です」と断った(本人談)」
という田尾がセンター守っていたりしていたから。 今更落合政権の中日に興味を持ったのですが、いろいろと見てると考え方や采配の手本や参考にしてるのは西武森監督や巨人川上監督でしょうか?
森監督の著者で読んだ方がいいというのがありましたら教えて下さい 守備(防御)力ありきでチームを組み立てているという点は挙げてる両者に共通するものは
あるけど、やっぱ森西武とはいろいろ違うなあと言う気もする
森氏の著書で読むべきなのは『覇道―心に刃をのせて』だけだなあ
古い(1996頃発行)ので一般書店では入手できないだろうから、
古本屋か図書館で見つけて
それ以外の人生訓めいた奴はほぼ読む価値なし 西武黄金期当時は強すぎて憎たらしかったが今となるとリスペクトしている。
伊東故障には野田と名前失念したがもう一人、外野か清原故障したら駒崎、左翼は安部笘篠の併用。
バックアップも揃っていた。 >>966
野田は2001年入団だから伊東の引退直前だな。黄金期の控えは相馬・仲田・デーブ辺り。 >>966
さすがにそのへんの選手が一定期間出てくるようなら
他球団にチャンスも芽生えただろうけど、
主力選手の長期離脱も非常に少なかったような。
広岡時代の食事からの健康管理の教えが生きていたのだろうか。 >>963 広岡でしょ。守りから入る。体で覚える反復練習。この辺は野村と反目してたのをTVで見た気がする。野村「練習させすぎ。」落合「長いミーティング必要なし」
選手に冷酷。森繫に森の役目など。お金に細かいなど。
落合と言えば、ずっとノックしてたイメージがある。 >>966
唯一固定してなかった左翼7番の日替わりメンツも
他球団ならレギュラー張れる選手ばかりだしな
安部、笘篠、鈴木健、森、羽生田、吉竹…ete
こいつらにデーブとかも含めればそれなりの打線も組めちゃう >>970
963です。なるほど広岡さんもですね。
オススメの著書はありますか? 『私の海軍式野球』サンケイ出版、1979年
『わが野球教育学 組織のパワーを結集する法』毎日新聞社、1982年
『意識革命のすすめ』講談社、1983年
『積極思想のすすめ』講談社、1984年
『勝者の方程式』講談社、1988年
ここまでは読んで面白い。ほぼリアルタイムで自身を振りかえっている。
ロッテのGMをクビになってから書いた本は、うーん生暖かい目で読む。
あと海老沢泰久『監督』(文春文庫)は広岡達朗をキャラクター化するとという点で
読んでて面白い。『タブチくん』でも面白いが。 >>964
当時連載してた心に刃をのせてとOH!OH!嵐パ!というパリーグの4コマ漫画読むために毎週週べを買っていたわw 黄金期から外れるが出戻り後のデストラーデの記憶がほとんどない。ついでに出戻り後のオリックスのニールもw 黄金期は快晴の屋根なし西武球場に満員の芝生席がほんといい味出してた
西武グループが傾いてからは>>976の通り優勝してもガラガラ 黄金期末期はあれ以上強くならないのが丸わかりだったから絶望感しか無かったそりゃあ観客は離れるよ。当時のキッズも受験に差し掛かっていたし。 黄金期西武で西武球場がガラガラになったのはいつ頃から? 92年までは土日常に満員で
実質ホームだった東京ドームハム戦もかなり入ってた
平日やばいのは今と同様 91年の198万が最高
92年は191万
93年にガクッと落として162万
91年は近鉄と最後まで競り合ったペナントレースの展開もあっていわゆる水増し動員
時代の最高記録
92年は独走したペナント展開もあってちょっと落とす
93年は長嶋復帰で巨人ヤクルトに注目がいっただの、打線が弱体化して西武野球が
つまらなくなっただの、Jリーグ開幕で浦和レッズに注目がいっただのいろんな要因があった
東尾時代はどんどん減らしていって99年のドーム化&松坂で盛り返すもまた減らして
伊東末期が一番減った状態 行きやすい東京ドームのが入ってたからあっちの動員数のが人気の指標になる
88年から93年頃までかなり入ってたが
東京ドームも西武も飽きられて以降は他球団と同じ入り かなりとかいう主観的な印象だけで
具体的な数字は持ってないんですね >>973
972です。探してみます。ありがとうございました リリーフ陣があの程度の枚数では今のソフトバンクには勝てない 黄金期のリリーフ陣って誰がいたかあまりピンとこないな。
東尾がいた時代は松沼弟、岡田、東尾退団後は潮崎、鹿取ぐらいしか思いつかん。
それほど基本は先発完投がデフォだったからな。 森繁は?(´・ω・`)
森繁が衰えて以降は、潮崎鹿取入団まで先発完投を基本に、一軍経験が浅い若手や先発陣の中から調子が良くない投手や病み上がりの投手を
抑えに回して賄っていた(1985久信、1986郭、1987年久信、1988年東尾?(実質はこの年プチ復活した山根)、1989年工藤→石井丈) >>988
他には永射とか広島に戻った小林とか郭とかナベQとか小田とか末期だと杉山とか。 1989年に近鉄に優勝されたのもリリーフが弱かったからだよ
だけどその後に鹿取を獲得して隙がなくなった 潮崎鹿取VSモイネロ甲斐野高橋純嘉弥真森
3イニング目ぐらいで負ける 黄金期西武の欠点
ユニフォーム左袖の「西武」の漢字のロゴ
ヘルメットの「SEIBU」のロゴ
「西武」球場
企業広告があまりにも多すぎた 「西武」ってチームのユニにそれ入れて何の意味があるのか当時から意味不明だったわ
今でも中日が袖に中日新聞って入れてるがアホかと思う でも、あのブルーのユニフォームは清新な感じで好きだったな
太平洋、クラウン時代はやたらと派手だったので、急に洗練された印象だった 土日の大阪球場の南海戦、藤井寺球場の近鉄戦は西武戦特別価格なるものがあった。
藤井寺は知らないが大阪球場のそれは他カードより100円上乗せされていた。
そういえば近鉄西武戦の日生開催って平日でもあったっけ?日生はロッテ戦が多かった気がする。 企業広告って日本野球の場合チーム名称そのものが広告なんだから自社の入れる意味ねえのになw
ただ西武ホーム用の袖にある四角い西武百貨店のマーク、あれはかっこよかった このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 478日 22時間 44分 20秒 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。