西武黄金時代ってどれだけすごかったの?2
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>>351
広岡森の流れを断ち切って「今時の若者のチーム」にしたから気に食わんのだろう
97年シリーズでは下品な野次を飛ばされたらしい 東尾監督はもっと評価されてもいいと思うけどね
森西武の主力がトレードやFAで抜けたにもかかわらず、僅か3年で新戦力を整えての優勝だから
清原が抜けた翌年に優勝というのが価値がある
投手は西口、野手は松井、大友、高木大成とレギュラー固定出来たし 須藤さんが入ってからだね東尾西武が強くなったのは。
野村さんは現役時代に東尾さんによくぶつけられてたので元々良くは思ってなかったみたい。 須藤さんは不思議な人だよね、
技術面では何一つ教えられないみたいだけど、
裏表が無く選手と首脳陣の間に入って潤滑油の役割が出来る
クロマティも自伝で乱闘事件の後、クロウに批判が多く落ち込む中
「ナイスファイト!俺は応援してるからな」と電話で須藤夫婦に勇気づけられ
涙を流したと言っている 東尾が監督になってから隙のない西武の野球はなくなり
普通のチームになった感は多くの人が口にするところだ。 須藤さんは不思議な人だよね、
技術面では何一つ教えられないみたいだけど、
裏表が無く選手と首脳陣の間に入って潤滑油の役割が出来る
クロマティも自伝で乱闘事件の後、クロウに批判が多く落ち込む中
「ナイスファイト!俺は応援してるからな」と電話で須藤夫婦に勇気づけられ
涙を流したと言っている 須藤さんは不思議な人だよね、
技術面では何一つ教えられないみたいだけど、
裏表が無く選手と首脳陣の間に入って潤滑油の役割が出来る
クロマティも自伝で乱闘事件の後、クロウに批判が多く落ち込む中
「ナイスファイト!俺は応援してるからな」と電話で須藤夫婦に勇気づけられ
涙を流したと言っている >>356
>隙のない西武の野球
その基盤は広岡が作ったものなんだよな
それを森が引き継いだ
東尾は広岡の手腕は認めてもビールも自由に飲めなかった
管理野球には否定的だったから 東尾時代は97年シーズンまでの建て直しは素晴らしかったが、それ以降(97シリーズ含む)が全くダメ
98年の優勝も日ハムが勝手にこけたからだし、短期決戦もクソすぎた
黄金時代とはとても呼べない >>353
3年目までは確かに良かった
その後も新戦力が続々と台頭してただけに、Aクラスキープに留まらずあと1〜2度は優勝してほしかった >>327
都は打球直撃した次の第3戦も先発してるし、第5・6戦もリリーフ登板してる >>334
お前田尾か?
痛い目にあわされた分他ファンのがむしろ平野を評価しとるわw
「狙った球と違ったから」
とか言うてエンドランのサイン出た時に見送って走者殺すアホと違ってな >>349
スティーブよりテリーのほうが印象度は
強かったのに何故かテリーが先に切られた
ま、秋山を抜擢するために枠を開けたとも
言えるけど
83年に巨人を倒して日本一になった時点で
広岡は世代交代にかじを切った
セカンドは山崎から辻
キャッチャーは大石から伊東
でサードはテリーから秋山
だけに若返った分、打線の迫力は薄かったけ
打線の切れ目はなかった >>335
でもゲーリーはその年で切られたし
パウエルが来るまでは外国人は不作だったのを
思えばブライアントは痛かったかも
ま、日本シリーズに関したらやっぱり投手陣の弱さ
だったとは思う
まだ今中もおらず山本昌は留学して帰国直後だから
小松や近藤で強力西武打線は抑えられないのは
明白だった
だからこそ翌年、西本を獲得したのだろうが 中尾は星野から「人気球団にトレードしてやる」と言われていて
「移籍先は西武か」と思ってたら巨人だったそうだ
同一リーグトレードとは思わんわな >>364
テリーはクビにされたんじゃねえよ。
西武は契約する気満々だったが、自ら退団希望してドジャースに入団した。
わざわざクビにしてまで、翌年ジェリー・ホワイトをテストで獲得する必要なんかない。
大体、サードがテリーから秋山って、どこのパラレルワールドだよw スティーブの代わりがブコビッチだけど、さっぱりだった
日本シリーズで江川からホームラン打ったのしか印象にない ブコビッチは一応、86年日シリ第8戦の決勝打と、87年日シリの先制犠牲フライ(清原が二塁からホームイン)を打ってる。
87年は第1戦の4打席4三振が情けなかった。
しかも何故か、秋山と清原を前後にしての4番。。 >>365
中日での成長はないので、ゲーリーの穴をブライアントが埋めることはない >>361
マルティネス退団して代わりの外国人打者が上手く行かなくて打線が弱くなったのが優勝ができなくなった原因かも マルちゃんがクビになった理由は単にデブだという事だけ。
それもちょっとね。 テリーも守備に関してはタイロンのほうが良かったな。バッティングも良かったしタイロンは
ちょっともったいなかった。 ブライアントは、2軍首脳陣は絶対手放すなって星野にお願いしてた
当時のラジオで聞いた話だと、星野はあのブライアントのバッティングフォームが気に入らなかったそうだ ゲーリーは落合に本当に信奉していたから
まともなバットをゆさゆさふる神主打法
そのものだったんだよな
でもあれは落合が長年かけて編み出した打法
だけに負担は大きく致命的な腰痛をやり
現役そのものが終わってしまった
三振数が少なくなったかわりに長打も減った
しかし翌年からショージ、ディステファーノ、
バンスロー、ライアルと獲得するが
バンスロー、ライアルはまあまあの活躍はしたが
息は短く、そう思えばブライアントはもったい
なかった気はするが
恐らく中日のままならあれだけの活躍はなかった
はず 当たれば場外って位の飛ばすバッターだったんだよね
それで球界一の名コーチの中西太に指導されて近鉄で伸びた 西武の低迷は
西口や石井貴あたりが長年ローテで出たあたり >>378
いやいや、その2人よりもまずは新谷でしょう。 ラルフはパリーグでもあんなに三振が多かったのに技巧派のセリーグのピッチャーを打てたかどうか。
それも見越しての放出だったのかも。 >>381
マルちゃんと入れ替わりで入団したのはシアンフロッコとブロッサーだけど
あまりに打てなくて途中でジンターとポールを獲得した 98年の西武は平成史上最も弱い優勝チームだろうな。 2005年はセもパも弱いね
リーグ戦首位じゃないチームとそれにボコられたチーム 1998西武
松井 稼頭央 率.311(575-179) 9本 58打点 MVP 盗塁王
小関 竜也 率.283(322-91) 3本 24打点 新人王
高木 大成 率.276(504-139) 17本 84打点
鈴木 健 率.275(488-134) 22本 65打点
マルティネス 率.283(491-139) 30本 95打点
佐々木 誠 率.259(251-65) 1本 21打点
高木 浩之 率.202(233-47) 2本 20打点
伊東 勤 率.243(325-79) 8本 38打点
大友 進 率.269(394-106) 2本 31打点
下位打線は確かに醜いが、機動力を考えれば上位はそこまで悪くはない。
単に打線だけなら20HR以上がゼロの1991広島や松井1人の1994読売の方が下だろう。まあ1998横浜マシンガンも20HRはゼロだが。 秋山他⇔佐々木他の大型トレードは成立時は
「西武が得した」と言われたがその後を見るとそうでもない おまけの橋本武と秋山のトレードみたいになったもんな
佐々木誠は最初は打ったけどあんなに早く劣化するとは南海ファンのオレはショックだった 村田勝喜は93年のトータルの成績だけみればまずまずだが
後半に大きく成績を落としたんだよな。
ほぼローテ守って後半は1勝ぐらいしかしてない。
その不調を94年もそのまま引きずってしまった感じ。 >>373
いや、日本シリーズの時に守る場所がないから。
その後巨人でレフト守ってたが。 >>391
高橋慶彦みたいに強靭な足腰で成績を残したタイプは、肝心の足腰が衰えるとあっという間に劣化する傾向が(´・ω・`)
佐々木、慶彦、松永辺りとは別タイプだけど、やはり強靭な足腰で本塁打数を維持していた掛布なんかもその口かと。 >>393
大成外野手と言う手は無かったのか?と当時は思ったわ。 >>386
去年の西武はCSを勝ち抜けないんじゃないかなと思っていた。
そこまでの力は西武にはまだない。
その点では例え大差を付けての独走優勝であってもCSの意義ってまだまだあるのかなとも思う 2008年の西武はホークスの低迷もあったからなんとか優勝できた感じだったな
対抗馬が万年ドベのオリックスだったし 2008年は打線も良かったしあれでもチーム防御率2位で
チーム防御率1位のハムが貧打でこれは助かった
ソフトバンク最下位の大戦犯で解任された大石友好を黒江の後任に持ってきたのは
理解不能だった >>390
秋山は監督に就任してからのことも含めればホークスの方が得したな。 中日が中西コーチを招聘できなかったか・・・
コーチの移籍も7月〜シーズン終了まで制限ありか知らんけど >>399
もうあそこらへんで西武の慧眼はなくなってたね。
新人や外国人獲得についても同じ。 根本がホークスに移ったのが大きかったね
ホークスのトレードや新人獲得がかっての西武の様になった やはり強いチームにするにはお金だけではなくそれを活かす人材が必須なのよね。
オリックス見てれば分かる。 >>402
あの頃の西武は
「根本氏が去っても既に我々西武側フロントは
根本氏のやり方ノウハウはコンプリートしたから全くもって問題ない」
と言ってたがちょっとずつずれてたよね。
監督の森が言ってたリーグ優勝するのが当たり前になり過ぎて優勝しても
フロントから「おめでとう」の電話一本さえ寄越さなくなてしまったと。
あの森でさえ「ケチで言ってるのではない、優勝してもなんの祝賀会も用意しない」と。
そこらへんが根本の上辺だけ真似した結果なのかな? オリックスって会社は儲かっていたが球団の方は90年代前半の西武ほど金かけていたのか?
遠征の朝食のビッフェが廃止されたとか言って選手が文句いってた。
利用する選手が少ないしコストカットは当然だろフロントが言ったり金銭面で明るい話題は少なかったが。
イチローが入団しなかったらどうなっていったのだろう。
西武黄金時代は82〜94までかな。
以前誰かが書いてたが94終盤優勝争いのオリックス戦でイチローを抑えたシーンが黄金期ライオンズの集大成だろう。 根本が西武を去った事で現場と上層部の橋渡しが消えた。
選手の不満が直接、堤の耳に入る様に成ったと森の著書に。 >>406
祝賀会がないって?
全盛期は、ホテルマンを大量に侍らせてビールかけやってたし、優勝旅行は他も羨むほど豪華だったのに、根本退団後は一切やめたのか? >>411
うおお、マジかよ、失礼した。
しかし、組織の綻びというのは、怖いものだな。こりゃあかんわ。 >>394
掛布はホームラン狙いで腰を若手時代から
痛めてはいた
で一度骨折し、復帰した81年は長打狙いをやめ
率が上がった
しかしファンはホームランを求めてかなり
過激な圧力があったらしく
自分のからだの限界まで使って85年はある意味
ギリギリの力で打ちまくった
だけによく手首骨折で終わったと言われるが
恐らく手首骨折がなくても前年の半分も行かなかった
だろうと江本が当時言ってた
高橋は阪神のときをみたらとても打てる雰囲気
はなかった 85年なんて超ラビット使ってやっとあのくらい。
しかも身体はあの年齢で既にオッサン化。
引退表明した後に西武からオファーが来るくらいだったピーコとかとは雲泥の差だわ。 西武は高橋慶彦も獲ろうとしてたんだよな。田辺と交換で。 東尾時代はAクラスをキープしてたこともあり、盟主交代の自覚はなかった
オリックスの連覇に「復興のシンボルになった。よかったなあ」と安堵し、
ダイエーの連覇に「根本さんの信念がここに結実した」と感慨に浸り、
近鉄の優勝には「やっぱり近鉄がライバルの筆頭だよな」と上から目線で納得していた
その後日本シリーズで巨人に4タテを食らって異変を感じ、翌年ダイエーに圧倒されてようやく目が覚めた
余裕をかましている場合ではなかった パリーグの地方分散化により西武とロッテが妙なダービー対決になっているのが違和感ある。
ロッテファンも西武ドームを準フランチャイズみたいな位置付けで乗り込んでくるのも来てくれる
事自体は嬉しいけどちょっと鬱陶しい。 全ての価値をレジャー施設に追い求めた堤さん
そして全ての価値をスマホやパソコンに押し込めた孫さん
時代だね。 >>416
太平洋クラブライオンズ以来の遺恨対決だからそこは諦めて。 >>419
あれは悪質なヤラセだし、今の両者に遺恨はない
ライバルシリーズの公式ガイドにも載ってたけどあんな茶番と同列に扱ってほしくなかった >>420
あなたは知らないだろうけど「西武には負けられない」という応援の由来はあの茶番なんだよ。 >>400
中西コーチだけでなく仰木監督の存在も大きいよ
昔から日本では野球に限らず指導者も教育者も概ね角を矯めて牛を殺す名手に事欠かなかったし
この世に完璧主義者ほど不完全なものはないってことだな >>421
あの因縁は移転とともに自然消滅した
黄金時代にそんな話を持ち出す者もいなかった
送り手側がわざわざ黒歴史を掘り起こしてファンの敵対意識を喚起しているだけで、そこに触れなくても前向きなライバル関係は十分築けた そもそもロッテが弱過ぎて「負けられない」がギャグにしか見えなかった 金村 僕は8人の監督に支えたけど
一番素晴らしかったのは仰木さん
本当に采配やまとめあげる力は素晴らしかった
(週刊大衆から)
金村からしたら
仰木さん>>>>>>>>星野、東尾
ということ
ま、鈴木啓はまずないだろうが笑 堀幸一はあの全身青のユニフォームを試合前に見るだけで「今日も負けかな」と思ってたらしい。 似たパターンで、日ハムの大島も松崎しげるの歌が試合前に聞こえてくるだけで嫌になったと。 地獄に落ちろライオンズコールを知らない若い子も増えたんかねえ 松井稼頭央潮崎宮地大友進西口あたりが
出てきたのが暗黒期の始まりって感じ
松坂以外は小粒で華がない
同時期スター選手を発掘し続けたダイエーとの差も大きかった リーグ連覇してその後もほぼ毎年優勝争いに絡んで暗黒ってどんだけハードル高いねん 「ライオンズとオリオンズの遺恨」なんてプロレスもあったが
西武時代になるととてもライバルなんて言えん状態になってたからな >>430
絶対的な感じが無くなったのと
ダイエーにパリーグの覇者は取られた感じがしてきたから <<409
この記事だと1994年にデストラーデが西武に在籍していたと勘違いする人いそう
西武時代のデストラーデもっと打率高いと思っていたがこんなもんだったのか。
280以上打っていたと思った。
文化放送ざまあみろ はオリファンが言い出したのか? >>433
あの頃西武が黄金期の90年代は本当に飛ばない球だったのでは?
特にパリーグは。打率と本塁打を両立する打者がいなかった
長距離打者はみんな打率低かった
秋山清原デストラーデブライアント でも事実そうだろ。
その上守備は雑だし、ああいう黄金期には絶対スタメン張れないようなのがスタメンになるようになって西武は弱くなってった。
鈴木健しかり垣内しかり野球脳無い奴ばかり。 >>429
潮崎と宮地を併記ねえ…
こいつ全然当時見てないだろ 鈴木健は野球のうあるだろ
若松ヤクルトの時にはそう思ったが >>430
チームの強さが
ライオンズ>>パの5球団連合
じゃ無くなったから 大友進や松井稼頭央、高木大成、鈴木健、高木浩が出てきて、工藤が去りエースクラスがいなく石井貴、西口が中心にになってきた時にホークスとパリーグの強豪としての立場が逆転した瞬間と思った >>434
87年から飛ばないボールになった
途端落合、バースともに三冠王じゃなくなったし、阪神なんて勝率 .331のドベ
90年代前半は飛ばないボール&球場が広くなったから、外国人ですら40本に届かないこともあった ホームラン数が異常に多い年はボールのせい
80年前半と00年代初頭はとくにそう 86年はまだ飛ぶボール使ってたのかな?唐突に打球が飛ばなくなったの覚えてるけど新ストライクゾーンの影響?
どちらにしても85年の打撃祭りは本当にやばかったが 鈴木健、大友、高木大成、高木浩之、小関
ポスト黄金時代は左の巧打者タイプが極端に増えて前川さんにカモられてたよな
いずれもピークが短かった
西鉄時代も含めてライオンズは左打の名選手が少ない
鈴木健、秋山翔吾、森友哉、栗山、外様の大下くらいしかいない 70年代後半から飛ぶボールが導入され79年80年は凄まじかった
問題化したので81年から飛ばないボールに変更されたが85年86年を見るとこっそり復活していると思えるのは統一球問題の時と同様か
舌の根も乾かぬうちにと批判されるのを恐れたのか87年から飛ばないようにしたのだろうか
西武の選手の打率も軒並み低下しているのはその影響か よく西武はこの頃、細かい野球とか緻密や野球とか
言われたけど
ホームランはトップクラスだった
86年なんか85の阪神にもない1イニング6ホームラン
なんて離れ業も
87年の日本シリーズも最後の辻の走塁が語り草だが
むしろ大敗した翌日の工藤完封長打攻勢の完敗が
王監督としたらショックだったみたい 工藤攻略はあのシリーズの焦点だったそうだ
工藤の武器である大小のカーブを攻略すべく何度もビデオ研究したらしいが、
試合でさらに横手に近い投げ方から第3のカーブを放られて巨人打線がパニックになったとのこと 後の世代で工藤に憧れて背番号47をつける左投手が増えた。
帆足は2010年に工藤が戻るときに「工藤さんが希望するなら自分は47番を譲る」とまで言った工藤信者。 2002年には巨人に逆に4タテされるのだが、試合前のフリーバッティングの段階で
松井、清原、高橋由伸、阿部、江藤、仁志、二岡らがボンボンスタンドに放り込んでるの見た
カブレラが、試合前から何人長距離打者いるんだ?と圧倒されたと言ってた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています