【野球殿堂板】意外だと思ったことは?
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>>199
その二人の他に、伊原春樹も「西鉄」「太平洋」「クラウン」「西武」に在籍している
「一貫して」ではないけど >>201
だから>>199もわざわざ一貫して、と書いたんだろ?
なんて返事が欲しかったの?
そうだね!伊原がいたね!とか言われたかったの? >>205
やっばりデブなのか
図星突かれて発狂か
無残な奴だな >>196
ジーターはイチロー(180cm)と並んだ姿を見ると全然高く見えるから190cmと言われても驚かない >>199
>>201
ただ出戻り組含めてもそれしかいないことを考えると
選手の入れ替えが極端に多かったことになるな 日光ジャンボ機墜落事故の際、甲子園に出場する息子の応援をしに行く途上で巻き込まれた人の話は聞いたことがあるけど
その人が元広島の竹下元章というプロ野球経験者であること 追記
事故に巻き込まれた著名人一覧の中に坂本九、阪神球団社長の中埜肇、元宝塚女優等の名前は見るけど
竹下の名前は今回初めて知った。なんか寂しい。 東農大二高選手の父親がという話は、
そういえば聞いた記憶があるが、元プロ選手だったとは初めて知った
遺族会の中心的な人のお子さんが、
PLファンで同じく犠牲になったという話もあったね とりあえず178はあるだろうな。
公称180の連中と並んでいる写真でも特に変わらないし。 Wikipediaの選手項目に、
4日前から年度別打撃成績に加えて、
年度別守備成績が追加されていること >>199
太平洋だかクラウンのオーナーがどこかのチームから東尾を要求されて
「東尾君だけは絶対に渡さない」とコメント出したことがあったな >>181
亀レスだが、それ、別に巨人に限ったことでも無いし投手に限ったことでは無いし。
一度、トレード癖がついた選手はいろんな球団をたらい回しにされる。
ってか同じ実力なら生え抜きを大切にしたいって感じなんだろうと思う
加藤英司、高橋直樹、江夏、水谷、・・・ ヤンキースが、松井の引退表明直後の2013年初めの時点から
松井に対して「ウチで仕事しないか?」というオファーがあったらしいことからも
どうやらヤンキースは、社交辞令とか抜きに松井の人物を評価してそうなところ
松井のヤンキースに対する愛着や忠誠心はかなりのものなのは色んな方面からも窺えるから
ヤンキース的には「松井は我々のために力を尽くしてくれる」という安心感もあるのかも >>222
そこに書いてある水谷も
真弓も加藤初も基も別にたらい回しなんかされてないと思うけど 恥ずかしながら田淵と岡田の通算安打数がだいたい同じなのを最近知った
田淵>>(越えられない壁)>>岡田 だと勝手に思っていた >>183
> 神奈川の高校出身者で2000本安打達成者0人
柴田勲 衣笠は新人の頃からネオン街に繰り出して放蕩三昧で
2年で契約金1000万円使いきったとか
外車乗り回して事故起こしたとか
酒癖悪くて記者に絡むとかかなりのDQNだろ 岩国の米兵とつるんでたのは
親父の影を追っかけてたりしたのかねぇ
>衣笠 古田は一年目から大活躍したわけではないことを最近まで忘れていた
一年目の印象がないから
そう言えば当時の新人王の候補に名前が挙がってないなあとは思っていた 一年目は他の90年ルーキー大当たりの年で、
同じヤクルトの西村が10勝投手だったしで、
翌年いきなり首位打者取っちゃうから、
90年の印象はないよね もし古田が92年のルーキーだったら新人王を獲得していた 全盛期の古田に.256 HR11などというシーズンがあったこと 90年のヤクルトは秦と飯田がマスクを被っていた。中西が控え。 >>234
グラッデンが中西じゃなくて古田をボコボコにしてたら非難轟々だったろうね
途中退団もあり得たんじゃない? >>230
ちなみにこのシーズンのセリーグのオールスターの捕手部門のファン投票1位は山倉和博 1963と1964年の2年間、パリーグだけ150試合もあったこと 85年の阪神日本一の際にあった
伝説のバックスクリーン3連発の試合
阪神の快勝みたいなイメージがあるが
クロマティ、原連続ホームランの返り討ちにあって
1点差で逃げ切ったという辛勝であった >>240
バックスクリーン3連発を食らった捕手が佐野クリスト ダイエー田淵監督は
吉永を4番で使い続けたイメージがあるが
1年目の10数試合のみである
2年目以降はない 弓岡(東洋大姫路高)昭和52年 ライオンズ のドラフト3位指名拒否 >>199
国鉄スワローズ
サンケイスワローズ
サンケイアトムズ
アトムズ
ヤクルトアトムズ
ヤクルトスワローズ
全てに所属しているのは石戸四六だけ >>249
石戸は1970年引退だからヤクルトスワローズには在籍してない >>242
週刊ベースボール1986年選手名鑑号での
小林繁氏とバース選手との対談記事があり、
その中でバース選手は
後楽園球場はバックスクリーン上部に観客席があるので集中しづらい
と仰っていた記憶が。
なお翌年は4本塁打を記録。 石川柊太が千賀より年上なこと
同じ育成上がりだが石川の方が出てくるのが遅かったしもっと若いのかと思ってた
顔も童顔だし。 金田正一投手、先発のみで20勝したのが1シーズンのみ(1955年)だったこと。
通算勝利数のうち先発勝利が3分の2だったので意外でもないのかも。
なお、先発のみで19勝したのが5シーズンあったことも意外。
狙ったわけでもないだろうに。 けどそうなると先発はするわ当たり前みたいにリリーフはするわ、まさに大車輪だったんだよな
勝ちをリリーフで奪ったって話しもあるけど負け試合でリリーフして踏ん張って勝ちにしたって話しも聞くし
時代が許した徒花とは言えやっぱり怪物だわ >>240
あれ、阪神が負けてたらどーなってたのだろう 二リーグ制は、昭和25年のシーズンから。
なのに、1リーグ時代に活躍した昭和生まれが皆無に等しいのは意外!
(唯一の例外は米川か)
そもそも1リーグ時代に昭和生まれは殆ど在籍していない >>240
>>262
そのバックスクリーン3連発食らった槙原は、実は阪神戦に異常に強かった事
通算38勝10敗で、先発3本柱だった斎藤(通算40勝15敗)よりも勝率が高い あの、バックスクリーン三連発の試合
阪神は、福間をリリーフに送ったが
クロマティ、原に連続本塁打を浴びて、1点差に迫られた
リリーフの山本和は故障中、ベンチは渋々、中西を送った
続く中畑に、あわやの大ファールを打たれたも
なんとか後続を断ちきった
むしろ、この試合でストッパー中西が誕生したことが
大きかった試合なのではないか ギャオス内藤はヤクルト歴長そうだが実は26歳までしか在籍してない。
ヤクルト実働歴は6年であり伊藤智の実働5年と大差ない。
内藤はトレード先のロッテ、中日でもさして活躍はしてない。 内藤は典型的な早期成熟型だな
キャリアハイが21〜22歳の頃
当時としてはそれほど酷使はされてた訳ではないと思うが
働いたのは24歳の92年までで、そのあとは全然ダメ
あのキャラ受けは良かったと思うが 1985年阪神絡みでもう一つ誤解されてるのは、かのバックスクリーン3連発でもう優勝は決まったようなもんだという事もじゃない?
実際には8月までは広島・巨人とのデッドヒートで、9・10月の勝負どころの
広島との直接対決を制したことの方がはるかに大きい。 あの三連発って互いの選手達からしたら伝説感はないのかもな
試合はグダグダだしペナントレースもまだ序盤だしそんな試合もあったな程度で 1980年4月の「週刊ベースボール」を古本屋で購入したら「ツーシーム」とあり、すでにこの時代から
存在してた球種だったのか!と思った。 バックスクリーン3連発とか
優勝した当時は、そんなに言われてなかったよな
江夏の21球もそうだが
後付けで伝説化されたイメージ 1962年20勝の尾崎行雄と1989年防御率1位の村田兆治はわずか5歳違い >>272
あれはその後の長きに渡った暗黒時代や掛布バースの不本意な引退も輝きを増した原因か 1987年にデビューし初登板ノーヒッターを達成した近藤真市と、
2012年に阪神の4番を打ち引退した金本は同い年同学年 >>272
どうでもいいこじつけ話になるが、
2本目の掛布のは、バックスクリーン左の観客席に着弾してるので
厳密に言えば「バックスクリーン方向3連発」が正しい 広沢の今の年齢(59歳)は野村が広沢から逃げられた年齢と長嶋茂雄が広沢を獲得した年齢と同じ59歳。 >>271
だから変化球の種類は100年以上増えてないんだって。 田中将大・前田健太・秋山翔吾・柳田悠岐・坂本勇人と超豊作の1988年生まれ世代だけど、
この世代で一番早く最優秀選手に輝いたのは吉川光夫だということ >>263
一リーグ時代にプレイ経験のある昭和生まれは、1949年時点で22歳が最年長。
育ち盛りの頃に太平洋戦争もあったし、20歳そこそこで活躍した選手は少ないだろう。
3年前にクライマックスシリーズの始球式に出た今西錬太郎氏は大正生まれか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています