【福留】大外れだったドラフト【正義】
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指名当時「大当たり!」と思った選手が実はとんでもなかったり、
他球団は軒並み成功選手ばかりなのに、うちの球団だけろくでもなかったり…
そういう情けなさ、嘆かわしさを回想するスレです 桐蔭から慶応に行った志村は
湘南高校にも行けると言われてた位だから
多分、普通に受験しても慶応行けたと思われる
ドラフト拒否でプロにならなかったけど
高橋由伸も普通に行けたかもね
関川やオリックス→阪神の平野は慶応に行けなかったらしいし 趣旨が違ってきてしまうので、あまり広げたくないがといいつつ・・・。
大森は2chでよく語られるように、高松商でも英語実務科で入学時から指定校を狙ってたとか。
高橋は桐蔭入学の際に約束されてたというが、高木はAOだったはず(SFC)。
大越は退部しても暫くは単位取ってたらしいが(なので、引退後に大学編入して教職に)、
石田は恐らく、本人の意とは別に入学させられたんだろう。 >>172
名誉オーナー子正力も居たしね
しかし慶大出の打者でドラフト制以降
現時点NPB最高の実績なのが由伸監督
それに次ぐのが山下大ちゃん
高木大成
あと広野功 江藤省三くらいか
(ドラフト以前に遡れば別当や中田昌とかは居たが) 今思えば、巨人の辻内も相当の食わせもんだったな。
高校時代にあれだけ騒がれて鳴り物入り入団したにもかかわらず、一軍登板ゼロ。
既に高校時に壊れかかっていたんかね?
今は女子野球球団の監督やってて頑張ってるね。 ルーキー時のキャンプでの柔軟体操で、指先がつま先につくのがやっとだったのを見たことがあるな
体が硬いのはやっぱり大きなマイナスポイントかと もっとも熱かった(気温の話ではない)夏の甲子園=1983年。
「投手にドラフトの目玉はいない。去年に比べららショボショボ」
そんな評価されてたもの。
大注目の水野はプロではイマイチ、野中は通用しなかった…
けど、吉井・小野・津野・香田・仲田(生年月日からすれば64年度生まれなんだけど?)ら三年生のが出場組。
で、前年・82年の夏の甲子園って、荒木と畠山以外に誰が?
(新谷がいたかのか) >>187
水野雄仁は一軍で10年以上やったし先発で10勝した年も中継で10ホールドした年もあったし、「イマイチ」呼ばわりは失礼だと思います。
期待度の割には、というのはわかるけど。でも甲子園優勝投手というのはプロでは活躍出来ないというのも間違いないしなあ(桑田松坂田中は例外中の例外)。 >>187
こんなまとまりのない頭の悪い文章って滅多に読めないね >>187
結局、あの世代は高校時代に注目度も低かった山本昌が一番の出世頭になった。 >>190
神奈川では横浜商業の三浦の影だった
中日でも4年目まではそうだったんだけどね
何気に野中の控えの紀藤が次点だったりする
ナベQと加藤殿下は素行不良で出てないし 水野はドラフトで巨人にしか行かないと逆指名してそれがすんなり通ったが
逆に言うと争奪戦や横槍が入るほどの選手でもなかった。
逆指名は力が無いのは勿論ありすぎてもうまくいかない
水野くらいがちょうどいいって当時から言われてた。 >>187
高校野球の監督からハムのコーチになった阿井英二郎 多士済々の1965年組だけど
最も成功したのは高校では全く無名だった古田だったな。
入団した時点でスタープレーヤーだったチームメイトの池山を最終的には遙かに凌駕したし。 >>195
指導者としての評価で池山が再逆転したけどな >>193
元木も指名すればすんなりだったな
水野の年も豊作だったからね >>166
当時の巨人のスカウトか球団の上層部がマヌケなことをしたわけだね その後のプロ入り後の成績がどうなるかは、
プロ入り時点では言うまでもなく未知数だが、
80年代の甲子園組はなかなか華があったね。 >>204
野球世代だもんな。
サッカー世代の最初(1972年度生まれ)が高三になるのは1990年。
90年代以降が冴えなく見えるのは仕方ない。 >>204
自分が良く高校時代を見ていた時代だったからそう思うだけでは? 166のGスカウトを少し擁護すると
当時の巨人は吉村とクロマティが相次いで故障でいなくなって
鮮烈なデビューを飾った呂もすぐに研究されて打てなくなった。
攻撃力不足で現場は悲鳴をあげていたが、この年のドラフト候補にはめぼしいスラッガーがいなかった
テルシー中島、中日ががっちり囲ってる大豊、六大学だと矢作、高校生だと九州のバース・・・
来年の大森に唾つけとかなきゃ!って気にもなるさ。 >>209
基本的に一塁、外野のスラッガーというのは、ほとんどの球団が外国人で済ませるだろ。
とはいってもあの当時だと巨人は投手は足りてて打者が補強ポイントだったんだよな。 >>209
まぁ夏休みに暇こいて高校野球見ていた消防時代に比べれば、
今の方が見ていないとは思うけれど、それでも仕事柄、
この時期は暇なので今でも高校野球は割と見ているよ。
今の方が選手のレベルは間違いなく上だとは思うし、
今の時代でも毎回の様に名勝負が生まれるから、
ついつい見てしまうけれどね。
「甲子園のアイドル」みたいな雑誌って、今でもあるんかね? 下級生のKKに挑む――
どんだけレベルなんだよ、1966年度生まれ。 >>212
そりゃ前年
1年生が津野と水野と三浦を連続で沈めたから 西武の清原 秋山 デストラーデのド迫力観ちゃうと野手欲しかっただろうな 当時の巨人 そりゃ「清原を獲っておけばよかった」の塊だもんな、当時の巨人は 田中正義って
ハズレと決まったわけでもない気がするが 来年23勝くらいすれば大当たりドラフトと評されるよ オリックスの川口の年はかなり不作で例年ならそれほど
注目される投手でもなかったよな、左ということもあって
実力以上に評価されてた気がする。 またビッグマウスっぷりが、
良い感じのスパイスになっていたからなぁw >>217
現実問題として、ホークス在籍中に1勝出来るかどうか?の次元
もちろん、ハンカチより遥に下 川口はもともとオリックスくらいしか高い評価してなかったが、逆指名争いで蚊帳の外になった近鉄や高橋由伸争奪戦で破れた横浜ヤクルトが次々参戦してなんか目玉になってしまった
それだけ川口が評価されてたってより川口みたいな甲子園の有名人をとれば球団のおえらいさんやスポンサーは満足してくれるだろうと打算的な感じだった 高校生で左で140km以上出る投手は当時では稀少だったし
ポテンシャルはけっこう高かったのは確か。
プロでの練習が自身に合わずに、劣化した典型的な選手だよ。
巨人の辻内とかも、このケースに近い。 辻内は高校3年の時にすでに肩が痛くてどうしょうもなかったと 引退後言ってたな 1位指名球団が増えて喜ぶかと思いきや
川口「僕は高橋さんの代わりっすか?けったくそ悪いですわ。」
プロで活躍できていれば面白いキャラだったのに残念。 いま正に平安が試合やってるけど、
コントロール悪そうだけど大丈夫かなぁとか
思った記憶は何となくあるなぁ。辻内とか興南の島袋とかも。
特に左の粗削りタイプは球は速いが、
プロレベルのコントロールではないって事なのかなぁ。
高校時代に綺麗なフォームで投げてる投手は
プロ入りしても大成することが多い印象。
菊池雄星とか、杉内とか、PLの野村とか、工藤(はよく知らんけど)、
市船(→中日)の小笠原なんかも大成とまでは言わんだろうけど、
プロの一軍で投げ続けたしなぁ。
楽天に入った松井ゆうきは俺の中では例外だw >>226
神奈川ツートップだった
愛甲と宮城は両方ともゼロ勝だった >>187
昌の評価低かったのか知らないが5位ってありえんな
あんな体デカくて馬力ありそうで伸びしろ凄そうな左の超大型素材型が下位って むしろその体格だけで評価されたからなんとかプロ入りできたんだろ どこも日大に進学すると思ってたなか中日だけ
プロ志望を掴んで指名したんだよ
山本昌の実家の喫茶店が経営不振とかで金がいるとかで
と岡邦之のドラフト本に書いてあった >>232
昌は元々は指導者(教員)志望だったが
担当中日スカウトが日大OBだったのも情報をキャッチ出来た一因だろうな
代わりに中日渡邊の高校同期だった
昌の実弟が母校指導者になったw >>217
まあ東浜や懐かしの小池みたいにとんだ評判倒れだと思ってたら活躍できた例もあるしな
大石や山山の山田みたいになんとか出て来ても微妙なレベルかも知れんけど ドラ1の低空飛行から大覚醒のパターンってあとは藤川とか? >>230
ストレートが遅い上に変化球もろくなの持ってない。
さすがにデカくて左ってだけで上位は厳しくないか? 山本昌 公表186p 実は190超えてるが坊と思われるから186で通した
体重100kg超
大谷と並んでも身長変わらず横が明らかにデカイ
こんな左の恵体いたらドラ1殺到だわ 1965年世代は山本昌に星野伸と遅球投手が通算勝利でワンツーか。 >>227
河内は複数球団競合の割に通算成績は芳しくないが、大失敗ってほどでもない。
細く長く現役だったし(途中で育成期間も長かったが)
肩を壊して、よくあそこまで復活できたと思う。 河内は150勝くらいを期待してんだから問答無用の大失敗だろ >>240
当時は190以上は大成しない風潮じゃなかったか
てか今でも左腕は比較的小柄なのが多いじゃん >>230
プロ野球の結果だけを見て語ってはいけない
当時の神奈川県では中日3位の三浦が大スターだった
甲子園12勝3敗でいまだに歴代勝ち星3位
松坂より勝ち星多いんだぞ
昌の日藤は三浦の横浜商業にどうしても勝てなかった
Y校が決勝でPLに負けるまで唯一勝負になったのが昌の日大藤沢だったんだが
甲子園では香田や秋村も一方的にKOしてる
三浦は2年選抜の後に肩やって技巧派に転向したのが効いてしまった
で1位が藤王
5位でも指名されただけでも奇跡的だわ >>244
当時江本が著書で
名球会入りしてる投手で180数cmあるような長身は金田さんと梶本さんしかいない
投手で長身はあまりいいことではないのよみたいなこと言ってた
でも素人目にはでかくて左でタマ速い投手だと安直に「おおっ」って思ってしまう 甲子園のスターが過大評価されてただけだろ
その時代
三浦とかあれだけ実績残して3位ってことは
スカウトはそんなに評価してなかったんだろうし >>247
2年で肩やって技巧派になったから
投球術で高校野球では勝てたレベルだった
身長は高いけど細かったというのもあった
昌も同じような系統だったけど >>246
昌はデカくて球が遅いんだ(今中と並んでエース格だった頃からしか知らんが) SBはクジ当てた奴が活躍せず、クジ外した奴が活躍してるなw >>240
デカいだけでドラ1になるわけねえだろ馬鹿かよ 河内は希望通り中日に入れていたら今中くらいはやれた
入った球団が悪すぎた。。。
達川のアホが1年目からゴールデンウィークに予告先発させたり
先発した3日後にリリーフで使ったりめちゃくちゃやったばかりに。。。 当時の広島は苫米地とかも高卒一年目から投げさせてたなw 90年代半ばから暫くの間広島は甲子園で活躍した投手が入団しても大成せず終わった
山根、吉年
長谷川もプチ確変はあったが数年で元の木阿弥となった 亜大で同期だった高津がブルペンで小池の隣になるのがすごく嫌だったらしい。
ボールが見劣りするからって。 山根とかは逆指名時代に泣く泣く上位指名という感じか。
長谷川は甲子園出てなかったが、斉藤和と並んでBIG3だか何だといわれてた。 一応
東出も松坂世代で投手で内海の先輩で甲子園で活躍したぞ >>247
結果論になるけど、三浦は大学進学したほうが本人にとっては良かったと思う >>264
まあ今ほど大学行かないの普通の時代だったしな >>217
田中正義投手(24)が14日、約1カ月ぶりに筑後のファーム練習に合流した。
体調不良で7月中旬からチームを離れて関東で療養していたもので、ランニングやキャッチボールで汗を流した右腕は
「久しぶりにボールを投げた。焦らずにやっていきたい」と話した。
10月に宮崎県内で開催予定の秋季教育リーグ「みやざきフェニックス・リーグ」での実戦復帰を目指す。
https://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/441280/ 田中正義って大谷の球速と則本の球威を併せ持ったボールを菅野並の制球で投げられると評判だったんだがな
まさか2018年仕様の3人だったとは 田中正義を見ていると、ダイエー初期の頃(弱小時代)に入団した、
プロ入り前にすでに肩を故障していた社会人出身の江口と言う右投手の事を何故か思い出す >>269
禿同
なんかルックス、雰囲気も似てる。 世界最強キューバを抑えられるのは
野茂のフォーク、潮崎のシンカー、江口のストレート
だったか 江口ならソフトバンクのベンチにいるよ(トレーナー) >>269
江口って、あだ名はインパクトがあったけど
本当にそれだけの選手だったよね。
入団前に肩を故障していたって詐欺物件だったということじゃないの? 江口本人はプロ入りに消極的で野球部も辞めてたけどダイエースカウトが熱心に勧誘したから入団した 他球団だと横浜にいった森大輔はプロ入り前から腰痛持ちで
結局それが原因で大成しなかった 横浜の練習を長浦のグラウンドに見に行ったとき、森大輔だけ他の投手だけ別メニュー
というか練習もろくにできすにノック受けておわりだった
そのノックも腰痛のせいか腰高もいいとこで体がほとんど沈んでなかったし ヤクルトがアトムズからスワローズに改称して以降のドラ1
71年 杉山重雄
72年 永尾泰憲
73年 佐藤博
74年 永川永植
75年 杉村繁
76年 酒井圭一
77年 柳原隆弘
78年 原田末記
79年 片岡大蔵
80年 竹本由紀夫
酷すぎる
特に73年75年78年80年は2位以下もほとんど戦力になってない、完全な失敗ドラフト 柳原
大学通算 .235 12本塁打 外野手
こんなんそもそもドライチで取るほうがおかしいだろ 斉藤明雄がいて大商大黄金時代で全国で結果残したらしいが
柳原は近鉄移籍後そこそこ数字を残したのが救いにしても >>279
当時の大学野球で12本塁打なら、まあ…
1位は荷が重い気がするけど >>278
杉村は名伯楽
サッシーは客寄せパンダ
阪急のブレービー島野のように別の意味で価値がある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています