もしも江川卓が1988年以降も現役を続けていたら?
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上手く行って200勝いけるかどうかだろうな。
晩年は下半身の怪我が増えていたし。 クオリティスタートで完投に拘らなければ150勝は上乗せできたと思うよ 江夏みたいにリリーフ転向でも面白かったな
藤川みたいになったかもしれない 日本シリーズで無様にリリーフ失敗しておいて何言ってんだか この江川キチガイは別に江川好きそうでもないんだよな
江川を利用して今の選手を叩く懐古てだけ 江川引退年の1987年
江川 3.51(8位) 13勝5敗 166.2回
西本 3.67(9位) 08勝8敗 130.0回
その後、西本は38勝を挙げている。
仮に西本と同等の成績を残したとすると、
通算 3.10 178勝107敗 となる。
(通算 3.02 135勝072敗) 西本の1987年までの成績
1987 3.16 122勝093敗
(通算 3.20 165勝128敗)
※江川より1歳年下、3年早くプロ入り
江川は引退後の借金問題を絡めた方が面白そうだ。 現役時に借金を背負っていたら200勝は確実だったでしょう。
名球会入りで金になるからね。キングカズなみに現役にこだわり
300勝を挙げたかも知れない。 >>8
全て成功するクローザーがいるなら教えてもらいたいですね >>10
問題は西本は衰えても抑えられる投球スタイルだったのに対して、
江川はストレートが衰えたら替えが効かない投球だったことだな。
晩年の新変化球挑戦は毎回微妙な結果だった。 どっちみち肩がぼろぼろですぐ引退していた
西本は体は元気だったし >>14 >>15
ほんとにそうなの、
という点は、追究しがいがあると思うんだけどね。
まあ、そういう現実的な話は別の機会に置いといて、
88年以降、巨人の投手陣が強固になるので出番が
減る可能性が高い。借金、離婚なんてフラグが立って、
エース保証があるなら阪神に移籍、40くらいまで投げて
200勝したかもね。 工藤や山本昌のようにのらりくらりと積み上げて200勝という例もある
毎年10勝する必要もなく休む年は休む隔年投手で十分だ。
10年やれば平均7勝で200勝に到達。江川にとって簡単なことだろう。 ただそのやり方で200勝投手になったところでインパクトは薄くなる。
現役を長くやればやるほどショボい晩年のイメージばかりが記憶され
全盛期の記憶が薄くなる。江川が神格化されることはなかっただろう。 江川が山本昌工藤みたいなトレーニングや努力するわけねえだろ >>14
江川は制球とカーブの投手だよ。速球派だったのは1983年までじゃないかね。 江川の投球術、制球力は卓越している。
年齢を経てもカバーできる投手だ。 バブル期で選手年俸が上がっていたとはいえ飛躍的に上がるのはFA後にずれるから
あの時期にタレントになるより生涯年収は十億近く下がったのではないかな 来年も続けたら二桁勝てないと思ったから辞めたというのが結局真実だと思う。
>>20
それでもここ一番ではそれなりのストレートを投げられたんだよ。
どんな投球術や技巧派の投手でも基本のストレートがどうしようもなくなったら抑えられなくなる。 記録(または金)のために長く現役を続けて数字を積み上げる選手がいる。
そういう選手はクソだと思うしそんな記録はゴミクズも同然である。
エゴで若手の出場機会を奪い潰している老害だ。
プロはチームに貢献できなくなった時点で辞めるべきだ。
2桁勝てなくなる前に引退した江川は絶対的に正しいのであり
30本を打って引退した王もまた立派である。 >>20
>速球派だったのは1983年までじゃないかね。
違う。82年の前半戦まで。
後半戦に入る前に肩を痛めた。 江川からすれば二桁勝てないのならというプライドもあるし、
今なら芸能界でかなり稼げるという利点もあったな。 15勝で年俸5000万そこらで現状維持の時代だからモチベーション上がらないだろ 江本や小林繁星野あたりがタレント解説者でめっちゃくちゃ稼いでたからオレならもっといけると思ったんじゃないの 江川の時はちょうどバブルに突入だからタレントはもうかっただろうな >>25
王は通算打率3割を下回るのが嫌だからだろ 最終年王は去年の中田より恐らくwar低いだろ
30本塁打以外は打率最下位で守備走塁も
恐らく最悪クラスの貢献度
王にしては出塁率も高くない
まあ本塁打が目立つだけで引退して当然の数字じゃね 江川が引退した1987年はバブルの最盛期。
ビジネス・芸能のうまみ、将来指導者への道も
保証されていることを考えれば、引退は必然・不可避と言える。 江川は計算したんだろうな。
このまま10勝を5年続けたとして、いくら稼げるかはすぐに答えが出せる。
いっぽうで芸能人になってサイドビジネスなどを手掛ければ
いくら稼げるかを計算し比較した。答えは明白であった。
そして辞めるならバブル最盛期のいましかないと決断した。 王も江川も、打率最下位、防御率最下位という
不名誉な記録を達成しているが、その割に他の成績が
良かったというのは一流の証か。
打率.236 30本 84点 出塁率.342 ※引退年
防御率5.28 11勝 7敗 117奪三振 ※引退2年前
王の本塁打記録更新を狙うバースに対して真っ向勝負
したのはこの年である。 救援転向すれば上原みたいに結構やれたんじゃないか?
まあ、フォークかスプリット覚えなきゃいかんかったが あのまま続けていても、
斉藤、桑田、槙原が
活躍したから
江川の出る幕はないと思う。 >>37-38
絶対無理。
江川は肩作るのに球数投げなきゃいけないタイプだったから、
毎日投げ込みやって逆に先発時代よりも球数が多くなるわ。
リリーフには向いてないし、本人が絶対にやりたくないと言ってた。
83年だかにリリーフで起用されたが、ぶち切れてボトル1本空けて愚痴ったらしい。 >>39
江川がいたら90年の日本シリーズで4連敗しなかったんじゃないか 江川て日本シリーズではあまり活躍してないんだよね。 江川は連投がきかないタイプだから
毎試合のように肩をつくる過酷なリリーフは無理だろうな
中1週間で100球メドの過保護起用ならかなり結果は出せると思う
いまならそういう起用もしてもらえるだろうが当時は難しいな 工藤や昌は高卒だから有利すぎる
江川は大卒と浪人だし >>39
むしろ斎藤が先発、リリーフのどっち付かずになり、 20勝投手にならなかった気がする。 >>43
大学のときは連戦連投だったので、
プロ入りするときにはもう肩が壊れていたのだろう。 >>45
斉藤は藤田監督かどうかが全て
王監督のままで江川もローテーションにいたら使われなかった 88年頃の斎藤の動画とか、今見ても
かなり良い球投げてるんだよね。
この年も先発ローテやってりゃ、軽く10勝しそう。
87年とか本当にダメダメだったんだろうか。 悪いなりにものらりくらりと10勝はし続けていたろうから200勝は達成出来ていただろう。 最後まで野球を続けるという人生観の人ではなかったからね。
江川の人生観を変えれるだけの切欠が何かあればよかったのだが。
工藤公康はチームメイトの死が切欠で最後まで野球を続ける決心をしたね。 いまの年俸なら江川は5億円プレーヤーだし
のらりくらりで200勝する道を選んでいただろう 今の時代なら江川はボロボロになっても現役続けてるだろうなw プライドの高い選手なので給料が一桁高い時代であってもユニフォームは早く脱いだと思う。
31歳でやめたけど今だったら35くらいでやめていたと思う。40まではやってなかったと思う。
恐らく新庄みたいになっていたかも。いや新庄みたいなフーテン肌でもないので何かしら
やっていたかなとも。 あれだけの代償を払ってでも巨人に入りたかった江川
今でも巨人に入りたかっただろうか?
日本の野球の中心は巨人からメジャーに移った。
そんな状況でも巨人でのらりくらりやっていただろうか? >>5
下半身の怪我?チンk?そんな報道見た記憶ないんだが。 >>54
今は長嶋監督じゃない上に野球が娯楽の中心の時代じゃ無いから別のスポーツや業種に就いているかも。 江川は陸上の10種競技やってたらオリンピックに出られたと思う
大学スポーツといえばラグビーだが江川の体格、走力なら間違いなく日本代表だね
早慶戦のスター選手で華々しい活躍をしたに違いない
大谷がフィジカルエリートといわれているが江川のほうが下半身のパワーがはるかに上 100m11秒台らしいからな
真面目にトレーニングしたらもっとはやくなっただろうし 制球良かったから技巧派に転向出来たと思うよ
スプリット修得してスライダーやカーブを交えるスタイルで行けたかと
プライド高そうだから本格派を捨てたくなかったんだろうな 江川は手が小さくて変化球が苦手。
ただそれが功を奏してあのストレートを投げられた。 東京ドームで投げてみたいとは思わなかったのかな?
未練もなかったのかね。 >>40
江夏みたいに意識変えられなかったのか
まあ、上原も一年救援やった後
「もうやりたくない」
と言ってたくらいだしな 江川ぐらいになるとタレントで引っ張りだこだから
野球より金の江川はそっちにひかれた 江川はボールの速いカーブ投手
そして制球も素晴らしかった いや江川はまだやれた。故障して13勝なんて出来るわけがない。
悪いなりに続けようと思えばできたはず。
やはり理由を付けてやめたかっただけだと思う。
肩に針を打ったら云々の話も東尾がこの野郎がと怒ってた。
針を打ってダメな箇所なんて心臓以外にどこがあるんだと吐き捨ててたな。 >>73
星野仙一は見抜いていたね 「なんで引退するかわからんな 体力的には余裕でまだまだやれる」 40までやれば200勝できたな
東尾みたいな技巧派で >>53
ないない
10勝してれば1億はもらえるんだから絶対しがみつくよ >>54
本人はあの時は"自分としては阪神でもよかったの。でもどうしようもない状況だったの。"
と言ってた。別に阪神でも良かったと。つまり巨人に愛着はなかった。
ただ、前年のアメリカ留学あたりから金が動いてたろうから、もうどうにもならんだろ。
今ならメジャーへ行くだろ。それは全ての野球選手の本能なんだから。 今みたく球数が100球か120球くらいでいいのなら45歳くらいまで出来るぞ下手したら。
故障してるのに200球とか甲子園での阪神戦で投げてキチガイかと思ったよ。
今の選手だったらその時点で選手生命は終わりだ。 でも太りやすい体質の人だったから果たしてどうだか。
なべQとか野茂とか伊良部とかもぶくぶく太ってしまって中年太りを克服できなかった。
32歳であの体型を維持出来ていた所は自己管理は結構よく出来ていたのかなとは思う。 >>66
意識の問題じゃないから。
投げ込まないと肩ができない体質だからリリーフには絶対向いてないの。
無理してやらせたらもっと短命に終わった てるわ 勝ち試合限定、1イニング限定登板のなにがいいかというと
肩を作るための投球を最低限に抑えられるということだ
むかしはリリーフエースが同点、負け、7回あたりからでもなげさせられていた
ということはいつでもいける準備をほぼ毎試合していなければならない
だからむかしのリリーフはすぐに潰れることが多かった
藤川や故障持ちの佐々木が長持ちした理由だ >>80
太り過ぎが低迷の原因だと王監督時代はダイエットさせられてたな。
その頃は体脂肪率が21.8%で西本の二倍近くあった。
引退する年は少しずつ太り始めていたから、
あのまま続けていたら一気に太ったかもしれん。 >>1
上原みたいな頭の柔らかさがあったら、救援でやれたんじゃないの?
先発としてはどうなんだろう?
北別府みたいな内外の出し入れが出来るわけでもないから、キツかったろうな 松坂みたいになってたかもな。ああなってしまったら終わりもう投げられない。
いや江夏みたいに腹で投げていたかなともw 100球でいいのならもっとビュンビュン飛ばすだろうしね。
現代とかの投手完全分業制の時代で江川を見てみたかったもんだね。 >>84
頭の問題じゃないって。
投手にはすぐに肩ができるタイプと何十球も投げ込まないと肩が仕上がらないタイプがあるんだよ。
これは7生まれ持ってきた筋肉の特徴だからどうしようもない。
だから83年だったかに藤田にリリーフで使われて激怒してその日はヤケで大酒飲んだんだから。 >>86
今でもエースクラスならなんだかんだ120球は投げさせられるよ。
江川は基本的に飛ばすと5回持たないことが多いから、
100球だろうが自分の計算通りに上手く調整して投げるだけで特に変わらない。 でも考えてみたら江夏ってあんなに太っても投球は安定してたね。
やはり下半身が強いんだろうね。太い脚してたからな。 江川も高校2年までは良く走り込んで下半身が強靭だったけどね
3年以降はサボるようになって手抜き投球しないともたなくなったね
江川も松坂と同じで根っからの練習嫌いでやらされないとやらないタイプ >>86
そもそも江川は「100球肩」と呼ばれていた。
時代を先取りしてたんだよ。
「中4日じゃ苦しい、中5日欲しい」と言い出したのも江川。 中4日で100球肩が馬鹿にされた時代
中6日で100球3点以内に抑えて称賛される時代
かわればかわるもんだ >>95
打者のレベルが違いすぎるからな。江川の時代は徹夜明け出てくる選手が大量にいた >>96
今もそうだよ
プロ野球選手の体力は半端ないから徹夜してもパフォーマンスはあんまり落ちない
銀座にいけば現役選手が飲み歩いてるのをみられるぞ
あと打者はレベル落ちてるな 流石に昔ほど遊んでいるのは少数だよ。
80年代は巨人西武の選手なんか全員徹夜で遊んでいたけど、
今は草食系になってるとOBに馬鹿にされてるぐらい。
打者は統一球で絶滅しかけたけど少しずつ戻って来てるな。 オールスター9奪三振を自らやめている所に江川の性格が出ている。
本人はあれは10奪三振を狙ったのだと言っているけど僕も大方の記録放棄説が本当の
所だと思う。 あれは著書で言ってたけどついうっかりカーブを投げちゃっただけだよ。
ストレートを投げておけば絶対に三振だったのにと後悔してた。 今の上原もそうだがコントロールが尋常じゃない良さでも、球が速くないと並の投手と言われてしまうのはつらいなw コントロールが良かったのは確かだが、
北別府の様にコーナーギリギリを突くのではなく、
あくまでも切れの良い快速球をストライクゾーン真ん中辺りに投げて、
空振りを奪うという印象・・・だけど、俺が勝手にそう思っていただけかも知れんw
桑田なんかはそこそこの快速球を、コーナーに
ビシッと決めるのが好き・・・な印象w
上原と江川は似ていると思う 江川の全盛期の2年がどれを指すか分からないぐらい一発感のない選手 81年を中心として、80年か82年のどっちかじゃないかね 俺は83年から見始めたので全盛期には間に合わなかった
8連続はリアルタイムで見られたけどね 82年はあの魔の中日天王山の悪夢のイメージがあって印象が悪い。 原辰徳もあの試合は悔しくて宿舎で一晩寝れなかったと話していた。
僕も野球中継が終わってラジオで聴いてたけど悔しい試合だった。
江川自身はあの試合をどう思ったのだろうか。 >>96
郭泰源が当時の日本記録の156キロを出した試合も負け投手になっている。
決して郭の調子が悪かったわけでもなく日ハム打線が上手く打った感じだった。
昔の打者だってそんなに甘くはないよ。調子が悪ければ郭でも山沖でもメッタ打ちに遭う。 ダルビッシュが日本でも珍しくメッタ打ちにされたシーズンがあったでしょ。
梨田監督がダルを酷使したからだ。150球も投げるとダルでさえ調子がおかしくなる。
ダルはその事を今でも恨んでいる。 今も昔も球速が出る日は調子に乗ってストレートに固執して打たれるケースは多いね。
一球ごとに振り返って球速を見ている投手もいるし。 江川は高2と81年、全盛期が2度ある珍しい投手だ。
球の速さやキレの高2
球速は衰えていたが駆け引きや制球力を含めた総合力の81年
一発勝負型とリーグ戦仕様の違いともいえる 歴代最高だとか言う奴もいるけど
こんなに野球に情熱がない選手が最高なわけないじゃん
タレント目指してなければ大選手になったかもしれないけど 80から82の短い全盛期もぶっちゃけ残した数字はマエケンレベルだよなあ
3年だけマエケンであと涌井レベルなのが江川の実情 マエケンはせいぜい桑田レベル
江川の足元にも及ばんわ 130試合制の時代だったので記録に関してはこの時代の選手は不利。 マエケンは低く見過ぎ
岩隈や上原のちょい上くらいはあるよ
田中とかダルビッシュには勝てないね
投げ合っても多分負けるだろう
まだ未完成の大谷にも負けそうな気がする
目指したのはタレントだから仕方ないね アマチュア時代に投げすぎている
故障さえなければなあ 菊池雄星なんかは高校時代の酷使がたたってプロでは大成しないだろうなと思ってた
けどここへ来てあのパワーアップぶりは何なの?w
凄いね雄星。この勢いでメジャーでも活躍して欲しい。 小早川に打たれた時にあそこまで落胆した江川は見たことなかったな。
余程思いつめたんだろうね。 次世代のスターであった小早川にバトンを渡してカッコよく引退をきめたが
小早川が大成しなかったのは江川の最大の誤算であった
やはり名前が悪かったか >>120
つうかどう見ても上原岩隈よりマエケンのが上だろw 29歳ですでに127勝
防御率1位3
最多勝沢村賞奪三振2度ずつで
wbcでは日本のエース
江川がマエケンより上のところすでに一個もないじゃん
過小評価しすぎだろ >>122
プロ一年目に一軍で投げなかった事が大きいんじゃないかな。 >>127
そこでしっかりと体を作り直したと。なるほど。酷使された体をもう一度リセット出来た
のも大きかったかも知れませんね。 江川が試合前に外野でランニングしている姿を後楽園のライトスタンドから眺めて見ていた。
肩を壊して130キロ投げるのもしんどかった時期だった。
黙々とランニングしている江川の所に打球が飛んできた。
江川がそれを拾ってひょいと内野に投げ返したらダイレクトでホームのキャッチャーに届いていた。
ちょっと驚いた。センターからライト中間のフェンス際をうろうろしていたから110メートルは
ゆうにあったと思う。本当に肩を壊しているのかと目を疑ったのを覚えている。 タレントのほうが稼げるし(当時の江川なら年収1億以上は余裕)
野球につかれたというところじゃないの やろうと思えばまだ10勝はできたと思うけど あと2、3年やってれば1億円プレーヤーだったろ。
江川引退年に落合が1億円突破したしここから年俸バブル時代に突入する。
タレント転向は失敗というか読みが甘かったね。 >>131
野球に疲れた。肩が痛いとか、タレントの方が稼げるよりも、その部分が決め手だったかもね? 空白の一日の件は彼なりに負い目があったんじゃないかな。心のどこかに葛藤があったんだろ。 まあ普通の投手よりは精神的に疲れることが多かったのは確か 江川は巨人に入団したとき、ひそかに誓いを立てていた
それは自分が地獄へと追いやった小林繁の通算記録を
自分が超えることは決してないという男の誓いであった
それが江川卓という男の落とし前の付け方であり小林繁への鎮魂歌でもあった
「まだやれるのに逃げるのか。金のためにタレントに転向するのか。」
不可解な引退会見をした江川の背中に容赦ない巨人ファンの罵声が投げつけられた。
江川は静かにつぶやいた「そうだ・・・これでいい・・これで・・・」
小林繁139勝、江川卓135勝 平成元年までやってたらローテ4番手だったんだよな
下手したら5番手か
やっぱり87年に辞めたのは正解だったかもな
圧倒的に桑田の方が凄い球投げてたもん
やっても東京ドームで一年ってとこだったよ >>137
むしろ逆で超えないと失礼だと思っていたという話もあったな。 超えるとしたら200勝くらいまで突き抜けるならいいが
140〜145くらいで引退したらまるで嫌がらせだからね
そこまでヒールにはなりたくなかったんだろうね
自分の肩の状態からみて200は無理という判断はあっただろうね 江川より球が速かったと言われている山口高志氏の現役晩年を見ていると
あそこで引退したのが正解だと思ってしまう メクラすぎ
山口と江川なんて球が速いこと意外に、投手としてほとんど共通点なんてない 山口て本当に速球だけだからね。
江川はカーブも一級品だったからね。 >>142
いや、江川は速い球なんか投げてない。
絶頂期でも最速140キロしかない日がけっこうあった。 そもそも江川が剛球投手のイメージが無い
制球とカーブと総合力の投手な感じはする
カーブは大きい奴と小さな変化の二種類で制球良くコースに決めて
ストレートはそう速くないんだがとにかく切れが良くバットが下を通る
フォーム的にもあまり躍動感やパワーを感じないのに
キレのあるストレート来るからタイミング取れないという証言はあった 江川はマッスグの伸びとコントロールでしょ
140kmでも速く見える こういうボールが打者は1番打ちにくいんだろうけど >>146
いや、逆に遅く見えるんだ。
ゆっくりしたモーションでゆったり投げるように見えるからたいして速い球が来るようには感じない。
ところが、巨漢で肩回りや腰回りが異常に大きな江川が投げる球はモーションからは想像できない程速く、打者が考えてるよりも早くホームベースを通過する。
こんな素養の江川ならあと4年ぐらいはローテーション投手として使えたんじゃないかな。 巨人から投手コーチの要請があった時に江川は今のコーチを僕のせいで退かせる事は
出来ないといって断っていた。
おいおいそれとこれとは別だろ。実力社会だから別にいいんだよコーチになったって。
やはり空白の一日は彼にとっては堪えていたようだ。
その精神的な優しさが江川の生き方に出てるよ。 >>148
江川は知的で論理的だけど、自分の努力なんかよりも優れた体格に産んでくれた両親に感謝すると本人が言っているように、その体格の良さに依存する部分が大きいから他人を指導できるとは思ってないんじゃないかな。
そんなことより楽しく、細く長く使ってくれる日テレのほうが魅力ある仕事を提供しているんじゃないかな。 >>148
そんなもんコーチになりたくて仕方ないなら普通に要請受けてるだろう
コーチなんかよりタレントやりたくて
僕が今のコーチを退かせるわけにはいきません(タレントやってるから)とか言ってるだけ ある雑誌が、自分が見た投手ベスト10を選んで下さいと、青田昇に尋ねた。青田のコメントの最後が、江川なんか20位にすら入らないよ。そのコメント要るか? 青田、別所、千葉は、江川を目の敵にしていた。 手抜きするからね。
まあ手抜きせずに
投げていたら、
五年で終わってる。 あれだけ汚い入団したくせにあっさり引退
中国鍼の嘘まで吐いて >>151
青田昇は典型的な昔が良かった人だからな。
戦前の選手ばかり褒めて自分より年下の選手は基本見下してた。 激動の時代だったからね。その時代の人達は特に顕著。 急速に豊かになった事を複雑な気持ちにさせたようだ。
有史以来日本が経験してこなかった物物物の洪水の嵐の豊かな時代にどっぷりと浸かる若者の姿を
複雑な気持ちで眺めていた。
その気持ちは分からなくもない。 スミスは日本の野球の事を最早メジャーにも引けを取らないレベルと称賛していた。
それが去り際に日本は少年野球と捨て台詞を吐いた。
水野の活躍が面白くなかったようだ。高校生がいきなり一軍デビューしてしまうなんて
メジャーでは先ず有り得ない。甲子園ボーイが簡単に通用するようなレベルだろと吐き捨
てて帰っていった。 江川は 制球良し 先発
山口は ノーコン リリーフ 江川ってほんとに183cm?
松坂と同じなんて信じられない
まあ松坂が大幅にサバ読んでそうだが 松坂って高校の時178pとかだったのに伸びすぎだろw 平成まで続けてたらローテ5番手だったな
屈辱で耐えられんだろう >>164
一度、斎藤に開幕投手取られたよね?
86年だっけ?
西本ならともかく85年に頭角を現したばかりの斎藤に開幕投手を取られたのは悔しかったのではないか? 86年は江川だろ
荒木大輔と対決して投げ勝った
80年の開幕投手以降引退するまで西本と隔年 >>39
江川がいたら斎藤は使われてない
王監督のままで藤田の2回目がないので斎藤はポシャってた >>166
西本がやると優勝するジンクス
85はダメだったけど87も優勝した 日本球界復帰後の新浦と86、7年の江川って球速同じくらいだよね? たしかに江川は86になってから
球速がガクっと落ちたね 86年16勝 87年13勝だから投球センスはすごいな
自分の思うようなまっすぐ投げれないから心が折れた感じだけど あの頃の斎藤はいよいよ野手転向かなんて話が出ていたので。
運命って分からないものだな。 だけど60年に12勝して、それが1年や2年の不調でそんな話が出るものかね? >>169
新浦が普通に投げる球と、江川が投げるヘロヘロ球が
同じくらいの球速ということはあったとは思うが、
完投勝利目前みたいな場面では、晩年でもそれなりの球を投げてた印象あるぞw
晩年だとホーナーから3連続三振したとき、
3試合連続完投したとき、小早川に打たれたときとかは、
結構いい球投げてたと思うのだが。 >>173
防御率40点とかの時期があったじゃない。
あの頃に投手に見切りをつけられかけていたんですね。 小早川に打たれた試合の時は江川にしては珍しく球が走っているなと思った。
決死の覚悟で投げてた試合だったとはね。江川が泣いてたのも引退を決意しての事だろう。 だけど大事な広島戦を前に「今年の優勝に賭けた。だから打ってはならない箇所に
鍼を打った。」というのは不自然だよ。
なぜならあの試合前の時点でゲーム差や負け数の少なさから言って、よほどのことが
ない限り巨人の優勝は決定的だったのだから、その試合をあんなふうにして江川が
臨むというのはおかしい。
100歩譲ってそうだとしても王監督の了解を事前に得ないといけない。 斎藤もバッティング良かったからね。ここらで野手にという気持ちが動いても不思議ではなかった。 >>177
江川の姑息な言い訳という見方が大勢を占めていますが。
でもあの試合は試合で江川の並々ならぬ意気込みは感じられました。
まるで全盛期を思わせるような投球内容でしたね。 優勝に賭けた云々は江川オリジナルの美談だったんだろうけど、
速球投手として最後までありたいという気持ちは
思い返すと理解できる気がする >>181
でももうストレートのMAXが140km/hしか出なくなってたからな 江川の本領はコントロールだからそれはさほど問題になってなかった。
その頃はアホみたいに飛ぶボールも使われてなかったし。
でも小早川ショックでどうにもならなかったんだろうね。 江川が「ボール半分の出し入れができない投手はプロじゃないんですよ」
といってた台詞が印象に残っている >>172
でも1985年に斎藤は12勝くらいしてなかった?
阪神フィーバーの年に巨人で一人目立ったイメージだが
二桁勝った投手をすぐに野手にコンバートするかね?
王に干された二年間も無理矢理にローテに入ってたら斎藤はなんとか名球会に入れた気もする
水野が王監督の時代だと四番手先発としてまあまあ良かったんだよな 89年の開幕当初の斉藤も
「どうせ今年もOP戦でどれだけ結果出しても
中継ぎなんだろうな」って思ってたらしい 斎藤は野手に転向したらとてつもない選手になるとは言われていたので。
転向するなら今しかないと首脳陣も踏んでいたのだろう。 その時点ですでにプロ入り5年を経過していたからなあ。
そこから転向してもせいぜい井上クラスじゃないの?
結果的に投手を続けて大正解だった。
結果論だけど、むしろ野手転向させたかったのは水野と浅野。あと吉岡は最初から
野手で行くべきだった。 >>1 今シーズンの松坂のような成績だったんじゃない? 長嶋一茂「俺は野球やっている時は、最後が1800万(円)だったんです。
で、芸能界入って億超えちゃったから、1年目で。芸能界って。そういう所ですからね」
9年135勝で年俸6千万の江川が引退した理由がよくわかるな どのスポーツの世界でも年俸よりスポンサー契約の方が遥かに大きいんだけどね >>188
水野と宮本は2年目に肩やって手術したから
そのタイミングで打者になってればと 一茂は父親と比較しないで一選手として見たらパワーもあってそこそこいい選手。
生まれた時から十字架を背負っちゃったね。 話を江川に戻すと江川も東京ドームのマウンドには未練は無かったのかな?
夢のドームで一年やってからやめても良かったのにね。 >>194
当時は現役の給料が安くて
タレント解説者になれば数倍稼げたから >>193
一茂は野球がすきじゃなくて格闘技のほうがやりたかったと言ってた。
野球は真面目に練習したことないらしい。まあそれでプロに入れるんだから
すごい素質といえなくもない。 家のローンを完済したら野球辞めるとクロマティに言ってたらしいが >>190
ただ江川が引退してからタレントとしての一茂より売れっ子だった時代はないと思う
引退一年目くらいでしょ?江川がいろんなところから引っ張りだこだったのは
タレントとしては江川は一茂どころかデーブ大久保より売れてた時代すらないだろう
江川なんか今はスポーツうるぐすだけだろ、レギュラーは 東京ドームの気圧変動で体調を崩したとかまた変な言い訳を考えそう。 >>196
一茂自身は一生懸命練習したと言ってたよ。
ステロイドを使って筋肉も増やしたのにバッティングの役に立たなかったと言ってた。
野球センスが無かったと言ってた。 ステロイドって、大リーグのボンズとかマクガイアみたいな
違法(基準違反?)とかではない物ってこと? 07年まではNPBはドーピング検査とかしてないからやり放題
罰則もないから一茂や清原がやってたとしてもなんら問題ない
今もユルユルだけど つか江川を他局で見たいんだがな
いつまで虚カスは日本テレビに縛り付けてんだよ ドーム球場って今と違って当時は本当に夢の球場だったから。
日本で初めてだったから大熱狂だった。
江川も夢の球場のマウンドに立つ気がなかったのは本当に野球をやめたかったんだろうな。
巨人に入ってちやほやされたいが為に野球をはじめたのならば夢のドームのマウンドに立つ
事だってありだったとは思うけどね。 >>204
甲子園で優勝投手になって、
慶応か早稲田で六大学野球のエースとして大活躍して
ノンプロで日本一になって
ジャイアンツのエースになって200勝して
最後はちょっと大リーグも経験してもいいかな
というのが江川の夢だったそうだ。
10年もあればプロで200勝はできるだろうと考えていたようだ。 200勝はできるだろうと思っていましたが甘かったですね
みたいなことを言っていたような気がする
大卒1浪でプロ入りして200勝できると思ってたんならとてつもない自信だと思う >>206
20勝した年は25勝はできそうなかんじで
記者からは来年は30勝を狙いますかと聞かれていた。
江川は1年だけなら30勝できるでしょうけど
プロは先のことも考えないといけないので30勝は無理ですねと
まじめに答えていた。 結局江川は9年弱で15勝平均しか勝てなかったけど
順風だったら年平均20勝はできたのじゃないかな。 >>198
生涯賃金で江川はデーブ大久保にも長嶋一茂にも負けてるだろうな
バラエティでいじられて呼ばれる奴らは強い >>212
あの頃は株は買って忘れるのが最強だった キャッキボールを江川とオーバースローの斎藤が並んでやってた時に、斎藤はとてつもない投手になると予言した
斎藤にサイドスローで投げてみろとアドバイスしたのは江川
江川のアドバイスが斎藤の運命を変えた
監督もコーチも気づかなかった
>>172
> あの頃の斎藤はいよいよ野手転向かなんて話が出ていたので。
> 運命って分からないものだな。 当時は後楽園以外も狭かったが
そもそも球場の広さが影響するのは勝ち星じゃなくて防御率だろう
当時の球場で通算1857.1投球回で3.02はなかなかすごい
2000回投げてないから通算防御率ランキングには名前が載らんが そりゃ二死満塁で
ホームランかライトフライかで天と地の差があるからな 晩節汚しただろう
ボロボロになって、中継ぎになるまでやるタイプじゃないわ
締めくくりで短いイニングスなら速い球投げれたかな? 86年以降ならもう無理
オールスターでも140すら出なかったからな かなり衰えた後阪神にトレードされたらどんな反応だったか >>219
あっと言う間の圧巻の完封試合の最高速が140kmhの江川にそんなこと言っても意味がわからん。
遅い球=ダメと言えないのが江川の最大の特徴なんだが。 江川は救援担当は拒否して引退
トレードや移籍なら引退する 江川は最晩年になって飛ぶボールの時代が終わったのが不運だったな 江川は最晩年に飛ぶボールが終わり引退したら球場が広くなり
選手の年俸が高騰しはじめた不運な男w 【告発者の名前と住所】
◎宇野壽倫 連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室
還暦無職・生活保護不正受給犯罪者の色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)はアルバイトをしていながらそのことを内緒にして申告をせずに
不正に生活保護を受給しています。「糞アリ貧乏人どもは一生死ぬまで汗水流してせっせと働いとればええんじゃい。おんどれら糞アリ貧乏人どもがちゃんと働かんかったら
ワシが遊んで暮らせんじゃろうが〜。ボケ〜。カス〜。アホンダラ〜。」が口癖で「金や金、金持うて来い〜。どアホ〜。」といつも大声で叫んでいるようなとんでもないクソ野郎です。
こんなクソ野郎の思い通りにさせてはいけません。みなさんどんどん匿名で役所や警察に密告してこのクソ野郎が遊んで暮らせないように人生の厳しさというものを徹底的に教え込んでやりましょう。
生活保護が受給されなくなった時点でこの犯罪者クソ野郎の場合は自殺するしか他に道がないでしょう。 こんな犯罪者クソ野郎をのさばらせていては世の中のためになりません。
このような犯罪者クソ野郎が存在していること自体正当に生活保護を受給している人の迷惑となるでしょう。
まずはこの犯罪者クソ野郎に渡ってしまった我々の大切なお金を取り戻しその上でみなさんの力でこの犯罪者クソ野郎を自殺へと追い込みましょう。
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色川高志 (あいかわ たかし)
〒125−0062
東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【色川高志という人物も生活保護受給者でありながら申告せずに内緒でネットストーカーなどのアルバイトを
している生活保護不正受給犯罪者です】
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111 小早川に打たれて引退を決意した試合は142q/h
近年になく調子が凄く良かった 江川の大学4年時に逆指名ドラフトがあったら、どうなっていたか? 陰謀論的なこというけど江川ってあと1年やってたら
小林繁の通算勝利数を超えてたんだよね
偶然だろうかそれとも江川なりのけじめだったのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています