意外だと思った成績3
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村上隆行にしても吉村裕基にしても
初ブレイク時の極端な四球の少なさが目に付くな。 村上宗隆で高卒二年目云々が話題になっているが
村上隆行の他に高卒3年目までにこれだけ打って
通算本塁打200にも行かない選手って他にいるかな? 2年目までに18本、3年目までに27本打って
16年プレーして通算56本塁打の江島巧とか 3年目までに31本、5年目までに75本打って
16年プレーして通算175本塁打の葛城隆雄とか イ・スンヨプが王貞治を抜いて
一塁手としての連続守備機会無失策のセリーグ新記録を樹立
その後、ロペスがイ・スンヨプを抜いて
一塁手としての連続守備機会無失策のセリーグ新記録を樹立 土橋(ヤクルト)の成績
00年 225 1本 27打点
01年 249 1本 31打点
どちらも規定打席に到達している 鎌田実
実働16年で100試合以上出場したのが9シーズンあったが
通算109犠打は意外と少ないイメージ >>369
中日移籍の一年目の打撃成績で19塁打なのを勘違いしたのでは? 9本塁打が最高だし、タイピングミス?
それでも、他シーズンも8本塁打とかあるから
確変という言い方は違うだろうし 北村がそんなに打てたら、簑田や緒方並の打って守って走れる選手だよな 首位打者吉岡悟の通算安打数314かね
当時カルビーの野球カードで吉岡のかーどは5、6枚あったとおもう。
中には中日谷沢とライバル扱いになっているこんなカードも
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e249131552 >>374
すごい貴重なカードじゃないの?これって。
谷沢のライバルと言えば普通なら若松とかになるだろうに。
まあ確かに1976年だけならこの二人は記録の欄に並んで書かれるけど。 84年 遠藤 276投球回
ちなみに
85年 佐藤 260投球回 しかも
21勝で防御率4.29
セリーグなら沢村賞間違いなし
だったな 1978年の鈴木啓示投手、
前期日程では9勝(7敗)しか挙げていなかったのが意外でした。
同年9月の7先発7完投7勝というのは凄いですね。 >>377,379-381
前年、同僚の今井が21勝・2.93で最多勝・最優秀防御率の二冠だからなあ(´・ω・`)
それに比べるとインパクトは弱め。 沢村賞がパリーグも対象だったとしても佐藤の防御率だと厳しいだろ
超打高だったのはわかるがパリーグには佐藤より防御率が上の投手が何人もいるし
佐藤がセリーグにいた場合は完全に空想の世界だからわからんとしか言いようがない その今井も、通算2000投球回以上投げて
通算防御率4.28ってのもすごいな
いくら飛ぶボールの時代だったとはいえ、最優秀防御率(2.93だが・・)も獲ってるのに その防御率だったら今ならシーズン100イニングも投げさせてくれ無さそう。 あと防御率関連で、活躍度の割に高いと思ったのが黒田と桑田
共に通算は3.55で全く同じ
黒田はNPB在籍の2年で防御率が良化してこの数字、広島復帰前は3.69だった
桑田も現役途中までは2点台だったはずだが、最後はこんなに数字落としたのかというイメージ 桑田って通算防御率2点台ってシーズン区切りでは
1991年までじゃね?3点台の時期の方が長いともう >>384
一軍先発ローテ定着に丸7年もかかったり、定着後も年に依って好不調が激しかったりと、当時の阪急みたいな面倒見の良い球団や今井本人の愛されキャラな
性格じゃ無ければ、当時でも到底21年も現役を全う出来なかった様に思う。 黒田は初の二桁勝利挙げる前の4年間で打たれながらも投げさせらていたからな
1997〜2000年の防御率が5.12
むしろよく3.55まで持っていったなという感じ
黒田の打者バージョンが同期の井口だと思う
初期の低打率期間が長かったせいかNPB時代の通算打率が.270 桑田は94年を除けば連勝ストッパーだったり投げる不動産だったり大怪我明けだったり良いイメージが全く無いな。 >>389
調べてみたら本当だった
黒田って当初はそんなに防御率悪かったんだ、それは凄い意外
何気にMLB行く前も防御率が3点未満だったのって06年の1回だけか
その年の1.85はすごい数字だけど >>390
桑田は勝利数や球速は、80年代後半が最盛期だと思うが
94年が球のキレは現役中で一番すごかったと思う
奪三振数がキャリアハイなのも、その証拠を裏付けてる
その割にシーズン11敗もしてるのが意外でもあるな >>391
プロ入り当初はボールは素晴らしかったけど、とにかく制球が悪くてなあ(´・ω・`)
只、入団当時の制球の悪さが、同期入団で制球力が最大の武器だった澤崎の様に入団当初から先発、中継ぎフル回転の酷使であっという間に潰される事無く、
200勝まで到達した所以とも言える訳で。 だから黒田をNPB時代からライバル視していた的な
松井秀の後年の談話が後付臭く感じる 01年や02年頃はカープのエース格にはなっていたから全く嘘って事もないだろうけど、多少リップサービスは入ってそう あの松井が「黒田の事はなんとも思ってませんでした」なんて言えるわけがない セゲオが黒田を「セ・リーグナンバー1ピッチャー」と言ったのは、2001年頃かな?
松井が黒田を意識し出したのはその位からかと。 斎藤佑樹
2018年二軍成績
21試合 70投球回 防御率3.09
おそらく去年が二軍でのキャリアハイ
意外に頑張ってる 落合が「今日の黒田は俺でも打てない」と言った試合もあったような 凄い球を投げてるイメージがあるのに、
今一つ(特にシーズンの)勝ち星が伸びない
黒田、槙原
気分にムラがあるんかね 黒田は味方の援護点が無さ過ぎだったから
MLBでもそうだったし
槙原も登板した試合は投手戦になる事が多かったのと
好不調の波が試合によって激しかったのが要員かな 槙原の88年(東京ドーム元年)の成績
10勝13敗 208回2/3 防御率2.16
何だ?コレ 槇原黒田はフォアボールはそう多くないがコマンドが甘くポンポン投げてくるから150出てても難攻不落なイメージはない 広島の木本英求の昭和57年 二軍首位打者 打率「・355」
西武の藤野剛の昭和59年 二軍首位打者 打率「・365」 現役だと千賀が投げてるボールの割に大きく勝った年がない。
大谷もそうだけど今はYouTubeでいいボールだけ編集して見せることができるから凄く見えるけど
投球を1試合全部見たらコントロールに難がある投手というのがわかる。 後、槙原は絶好調の時に限って股関節を傷めるんよ(´・ω・`)
まだ先発完投やら先発要員がリリーフに駆り出されたりと完全な分業制では無い時代だったから、球威抜群の槙原がリリーフに駆り出されたりと詰めた起用法で
故障してしまうって事かもしれんが。 槇原は弱視でサインが見えない、ストライクゾーンもよく見えない、送りバントができないとか
よくそれで159勝もできたな >>407
槙原はバース・掛布・岡田の3連続被弾のイメージが強烈だが
実は阪神戦には滅法強くてカモにしていた(通算38勝10敗)
これは意外と知られてないかも
これを差し引くと他の4球団の勝率も約5割とトントン >>408
正直知らんかった
槇原現役時代巨人ファンだったけど、なんとなく阪神苦手なイメージを植え付けられていたわ
記憶なんかいい加減だな >>408
広島を完封しまくってたけど、勝率はトントンだったの?
完全試合の数年後に福岡ドームで阪神を1安打準完全とかやってるんだよね
御年36くらいになってたと思うが 大下は西鉄黄金期には全然長距離砲じゃないし、しかも半レギュラークラス >>414
たしかに無双感が無い
斎藤槙原なら、ああ無理か..の諦めムードになるが桑田ならなんとかなりそう感があった 84年の衣笠3割2分9厘・102打点、谷沢の34本塁打・99打点。 落ちぶれまくってた中村ノリがナゴド本拠地の中日時代に2年連続20ホーマーしたのは意外だと思ったし
さすがだな とも思った >>416
84年の谷沢は打率が1位篠塚と5厘差、本塁打宇野掛布37本と3本差、打点衣笠と3点差
三冠王のチャンスがあった >>416
1984年のプロ野球をよく見ていなかった自分も「谷沢は惜しかったなあ」という感想を持ったのですが・・・
125試合消化時で .316 29本 84打点、最後の5試合で.583(24-14) 5本 15打点でした。
この時点(1984/9/25)で各部門の首位が、
打率.333(篠塚、若松両選手)、本塁打37(宇野)、打点99(衣笠)
当時の印象としては去年のビシエド、坂本両選手の首位打者争いに似た感じだったのかなあ、と想像しました。 中日が優勝してれば谷沢MVPだったろうなあ。
この年の谷沢はチャンスにも強かったし >>419
宇野・掛布の敬遠合戦の騒ぎの中、猛烈なラストスパートで、あわや三冠の数字になった。 衣笠谷沢はロウソクの消える前の輝きみたい
ベテランが晩年に狂い咲きするのが他にもあったような気がする ヤクルトの古田とかも2004年の成績は
2〜3年後に引退する身からしたら、かなりのもの
しかもこの年球界再編騒動で寝る間もないくらい多忙だったのに
あの成績は凄すぎる >>424
再編騒動で多忙になったのが成績にも影響した
たしか前半は3割3分ぐらい打ってたはず
それが後半はガタ落ちした
ただあの年の神宮は飛ばないと言われていたサンアップ製のボール止めて飛ぶボール使ってた。
インフレしすぎて岩村が44本打つような年だったからな。 あの年は立浪古田が首位打者争いしてたけど2人とも同じ時期にグングン打率が落ちていった その年の首位打者が広島の嶋か
嶋もシーズン中ずっと打率.330〜340台をキープしてて安定感はすごかったからな ラロッカが出塁率と長打率1位だった
新外国人でこの成績はかなりのものだがあの年は色々とありすぎてあまり注目が集まらなかった あの年は、兎にも角にもボールが飛び過ぎて
各球団の投手陣が気の毒になるレベル(中日だけが両リーグ唯一の防御率4点未満)
小久保や多村も40本打ってるし ヤクルト時代の稲葉
もっと打ってると思ったが大した事ない 50代だけど青田昇はテレビ番組の野球教室でのご意見番的な存在と青田浩子の父親しか記憶無いな 最年少2000本安打で話題になってる坂本と榎本だが実は榎本の方が試合数が多い
同じ通算13年で比較すると
坂本 1670試合7254打席1884安打
榎本 1754試合7340打席1910安打 石井丈裕が早稲田実業から法政大学へ進学
普通 早稲田大学じゃないのか >>434
早実→日大のテリー伊藤曰く、昔は成績優秀な人しか推薦を貰えず、早大に進学するのは半分程度だったとの話。 >>436
某「甲子園のアイドル」が早大進学希望だったが推薦から漏れそうということで
急遽根回しして某球団にドラフト「強行指名」してもらったとかいう話も >>431
稲葉はヤクルト時代まともに働いたのは2001年くらいだな
他の年もHR数はそこそこのシーズンこそあれど
打率や打点はずっと低調だった
それが日本ハムに移ったら、チームの明るい雰囲気と楽しむ野球に驚いて
馴染んでからは、成績も急上昇したという 分かりやすいのは、1988年の伊藤昭光と、小野か。
だれか書いては居るが。 83年の真弓の3割5分3厘。阪神は岡田、今岡、平野と突然変異するのか? 藤田平も安打製造機、巧打者のイメージの割には
規定以上シーズン3割4度だけ、首位打者とった年以外は
.300,301,302と見事な低空飛行ぶり >>434-436
実業、早稲田はあくまで系属校で
附属高は早稲田大学高等学院・本庄高等学院
日大系列下高校の細かいランクの違いに相当する 坂本が史上最年少で2000本を達成すれば、「試合数」「打数(2000本達成時点での通算打率)」も史上最少・最高記録を更新するんだろうな。 >>444
坂本の通算打率は.293で2000本達成時点で3割超の打者なんて山ほどいるだろ
若松なんか.322だ
坂本の早期達成はあくまで高卒ながら早期にレギュラー抜擢され、
1番〜3番が中心の起用をされ、年間試合数が130→143(4)の時代になり、
大きな怪我をせずに過ごしてきたたまもの 2000安打達成時の出場試合数最少記録は川上哲治1646試合
坂本はすでに1670試合に出場している メジャーで試合数水増ししなきゃ1200安打のゴキローさん >>445
>>433
年間試合数より大きな欠場が無かった方が大きいだろうな 坂本榎本の違いは2年目からレギュラーか1年目からレギュラーか 榎本のような高卒新人野手の規定打席到達はめちゃ難しいからな
坂本の2年目初到達でも十分早い方 清原は高卒からレギュラーだった割に安打数のペースは大したことないな。
130試合制、平均.270台の打率、四死球の多さが要因で最高でも130台の安打数だった。 清原は巨人在籍時の通算安打数が720(実働9年)しかないのも驚き
過度の肉体構造が相反して、一気にスペ体質になったのが原因だが
西武在籍時は130試合制だったのもあるが、11年間で1353本
シーズン平均で123本だからペースは悪くなかった
そんな清原も、シーズン安打数と打点のキャリアハイが
巨人時代の2001年(34歳)なのも意外 >>451
打率が低い。3割2回も、1分未満だからね。 固め打ちが出来ないと千葉功に指摘されてたな
>清原
それを西武黄金期は試合が決まった後の死体蹴り、
帳尻をしない流石常勝球団の主砲と擁護されてたが 「チャンスに強い清原」なんて言っていたけど、どちらかというと「チャンスに本気出す(`・ω・´)」というのが清原の本質だった様にも。
得点圏打率とかみても特別チャンスに強いなんて訳でも無かったし。
確かにワンサイドゲームとかで「働いたら負け(`・ω・´)」な魂の抜けた様な打席も目に付いたけどねw メジャーリーグに行った日本人で、
「日本で残した成績だけでも殿堂入りに値する」のはこんなとこ?
・松井秀(巨人の4番としての活躍、現在日本人最後の50発)
・上原(新人20勝、今日のエースとして数々のタイトル)
・川上(新人王、ノーヒットノーラン、常勝落合ドラゴンズのエース)
・松井稼頭央(トリプルスリー、超攻撃的遊撃手、7年連続170安打以上)
イチローは、「7年連続首位打者」しかアピールポイントがないので厳しい。他にはいるかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています