意外だと思った成績2
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
松井稼頭央のNPB通算打率.291
渡米前は当たり前のように3割打ってたのに楽天時代で通算3割どころか2割9分も切りそうなところまでいってるとは。 中日彦野が通算100本塁打打ってないこと。15年も現役で26本打った年もあるのに 借金31で最下位となった84年の大洋ホエールズで最多勝&最多敗の遠藤は有名だが、斎藤明夫が11勝6敗と5つも勝ち越し&二桁勝利をあげていたこと。 遠藤17
斉藤11
金沢10
関根3
欠端4
平松1
その年調べたら勝ち投手になったのがたった6人だった >>5
10勝投手3人(内1人が最多勝)で勝率3割台というのもすごいな 金本知憲
出塁率キャリアハイ.463、4割以上6回だが、最高出塁率のタイトルはなし。 >>2
松井は16年で3割7回(日本在籍時)。谷沢は17年で3割6回、通算が3割0分2厘。
松井は2割9分台が1回、谷沢は2割9分台が4回に、2割8分9厘が1回。
3割打て無かった年の差が出ているね。 新井貴浩、ここ10年20本以上の年なし
キャリアトータルでも20本以上4回と通算300本の選手にしては少ない ブラウン来てからの新井は完全にアベレージタイプだからな 今思うと亀井が25本もよく打てたな。
他の年は10本すら打ててないというのに。 今年はヤクルトの連敗に次ぐ連敗には笑わせてもらったが、暗黒の80年代に10連敗どころか9連敗を一度もしていないこと。
阪神と熾烈な優勝争いをしていた92年終盤に9連敗した時19年ぶりと聞いてかなりびっくりした記憶がある。 亀井が5番打ったときは
うしろが阿部だから思いきっていけた 亀井はアッパーですくい上げるから
ホームランバッターの資質はある
ただ絶望的にミートが下手くそ 98年〜12年の広島が1回しか最下位になっていないこと 82年〜98年の西武が1回も2位になっていないこと 82年〜98年の西武が1回も2位になっていないこと 谷繁の自己最高24ホーマー。
なんか安定した.240、10本ぐらいの打者のイメージがあるので。 カブレラの打撃3部門タイトルが2個しか獲得ないこと ホークスとベイスターズが同じ年に最下位になったのが王監督最終年の2008年1回だけしかないこと。
あれだけ低迷してた80年代90年代の南海&ダイエー時代には一度もないのが以外すぎる。 >>21
同時代にローズがいたからな。
ローズはタイトル獲得でいえば勝負強かった。
チャンスがあった年はだいたいモノにしてる。 >>19
50年代と70年代前半はそれなりに強かったからな。 落合も絶賛した内角打ちの名人の石嶺の通算打率が.273しかないこと。
パワーでHR量産してたというより、技で打ってるイメージがあったので
.280ぐらい余裕であると思ってた。
意外感のある成績でよく話題にでるのが中畑の通算打率.290。
右打者で4000打数以上で通算.290は高水準な部類。 オリックスが90年代に一回もBクラスになっていないこと 2001年のオリックスがイチローが抜けても前年と同じ順位だったこと 池山の通算打率.260というのもちょっと低過ぎるような。
3割打ったシーズンが1回しかないとは言え。 >>30
池山は初期の頃のブンブン丸のイメージがあるから
こんなものかなと思いますね。
野村に三振を減らせと言われて、年々三振は減っていったものの
そこまで打率がアップしたわけでもなかったし。 2000年と2001年のパリーグ。
打撃成績をパッと見ると2001の方が断然上に見えるけど(5試合増えたとはいえ)
1試合平均得点なら2000年の方が上なんだよな
2000年4.80 2001年4.72 >>32
ホームランも減り、アキレス腱の故障でダイナミックな守備も見れなくなって本当に悲しかったな! 松井秀喜がホームラン45本以上の年が1回しかないこと メジャー時代の松井秀喜がホームラン30本以上が1回しかないこと メジャー時代の新庄が年間で二桁ホームランを打っていること >>39
それでも年俸が推定で1億4000万の年があったこと。
ミスターブルーウェーブで実績が遥か上の藤井康雄が1億に到達したことがないというのに。
(時代もそれほど違わない) それは結果的に大物を他チームから引き抜くための
読売の作戦なのであろうなw 元木が規定打席に到達して2割9分打ったことあること >>42
>>それでも年俸が推定で1億4000万の年があったこと。
マジかよ!
所詮、永遠の準レギュラーの扱いだったのに。 野村克也がロッテにいたこと
西武時代の方が有名だよな 元木は2億もらってたと最近なんかの番組で
いってた >>47
そのおかげで当時のパ・リーグ記録の15連敗を二度も喫している。
ついでに西武でも開幕12連敗や阪神監督としての12連敗など大型連敗と縁があるな。 二岡の巨人時代の成績
思っていたより全然いい
ホントにモナの一件だけで解雇されたんだな 南海時代で巨人V9時代にブレイクする前の新浦を欲しがってた
川上監督にうちの将来のエースだからとことわられた
ヤクルトの監督になってやっと念願が叶った >>50
それもあるけど坂本が使える目途が立ったのが一番の原因なのでは?ヨシヒコや久慈と同じケース。 マリナーズ時代のイチロー
1年目は大リーグ史に残る勝ち星を挙げ、3年目までは優勝争いを繰り広げるも、262安打を記録した2004年以降はベイや古巣オリックス同様最下位の常連に。 巨人でも僅かながら試合出場してる
登録名はカツノリじゃなくて野村だったよね 10勝10敗の代名詞・門倉だが
10勝10敗だった年はない。 リッキーヘンダーソンが297本もホームランを打っていること >>54
中田翔が広沢の成績をトレースしていってるな。
30本はギリギリ1回だけ。
3割も1回だけ。
打点王は2回とってる。
ベストナインも一塁手と外野手で獲得。
でもFAせずに残留するみたいだけど。 広沢は打点王2回とってるとはいえ100打点以上は一度もなし。 >>64
清原も西武時代は、100打点を記録した事は一度もないんだよな。
当時は130試合制だったっていう事情はあるが。
唯一100打点を超えた時の01年の数字が121と突出してるのもすごい。
ここまで打点を挙げたのにもかかわらず、ペタジーニがいたため、タイトルを取れなかった。 >>66
前の秋山がランナーをよく掃除してたのと、西武時代は得点圏打率があまりよくなかった。
2001年は満塁で29打数15安打で40打点と荒稼ぎした。 でも清原って、2000本安打を放っている選手の中で
有効的ホームラン(先制・同点・逆転・勝ち越し・サヨナラ)の割合が
トップだったような気がする。
ここぞって時には、いつもホームランを打ってくれていた。 >>69
そりゃあフィルダーが変化球の打ち方を学んだからな。尚その後 フィルダーキーオという外人2人制の時代に
15勝投手と100試合ちょっとで38本塁打
の大当たり助っ人二人いてやっと5位ってのもね 87年〜91年は毎年阪神とロッテが最下位のイメージがあった >>73
ラミレスとグライシンガーがいて最下位のヤクルトよりはマシだろ 長嶋一茂が日本シリーズに出場したことないこと
所属チームの優勝は4回あるのに >>68
有効的HRの大半がソロだったのだろうか・・・
まぁサヨナラ満塁弾も何度か記憶にはあるが >>30
むしろ秋山幸二の通算.270が意外
.290台が3回、3割が2回と結構高打率の年それなりに多いんだよな
通算だと清原と2厘しか違わないのが一番驚いた ブーマーと門田がダイエーでもチームメイトになっいること 2017年の日本シリーズは電力会社に例えるならば
沸騰水型原子炉採用の首都圏の東京電力と加圧水型原子炉採用の福岡の九州電力の対戦と見ることができる。
加圧水型原子炉採用の原子炉を持つ電力会社の本社を持つ本拠地の球団が出場するのは4年連続4連覇。
2001年以降
2001ヤクルト(沸騰水型原子炉)
2002巨人(沸騰水型原子炉)
2003福岡ダイエー(加圧水型原子炉)
2004西部(沸騰水型原子炉)
2005千葉ロッテ(沸騰水型原子炉)
2006北海道日本ハム(加圧水型原子炉)
2007中日(沸騰水型原子炉)
2008西部(沸騰水型原子炉)
2009巨人(沸騰水型原子炉)
2010千葉ロッテ(沸騰水型原子炉)
2011福岡ソフトバンクホークス(加圧水型原子炉)
2012巨人(沸騰水型原子炉)
2013楽天(沸騰水型原子炉)
2014福岡ソフトバンク(加圧水型原子炉)
2015福岡ソフトバンク(加圧水型原子炉)
2016北海道日本ハム(加圧水型原子炉)
2017福岡ソフトバンク(加圧水型原子炉)
東日本大震災・福島原発事故以降
加圧水型原子炉の電力会社の管内の球団が優勢で2011年から2017年まで5勝2敗で優勢。
1990年代はオリックスと福岡ダイエーの2球団だけしか勝てなかったが、
21世紀以降、ホークスの躍進もあって、加圧水型原子炉の電力会社の管内の球団が7度も日本一に輝いている。
九州電力管内の福岡ソフトバンクホークス勝利で 加圧水型原子炉採用の原子炉を持つ電力会社の地域の球団4連覇
加圧水型原子炉採用の原子炉を持つ電力会社の地域の球団が日本シリーズで2014年から2017年まで4連覇を達成しているが、
これは、原子炉を持つ電力会社の観点から見てもかつて3連覇を達成した阪急ブレーブス(オリックス)以来のケースとなる。
ちなみに、消費税が8パーセントに改定されてから3大都市圏球団の日本一が出ていないどころか、本州からも日本一の球団が出て無い。
消費税が8パーセントになってから、日本シリーズでセントラルリーグは制覇していない。 >>79
そりゃあ大洋とヤクルト(87年からは阪神も)という鉄板チームがあったからBクラスになりようもない。 渡辺久信が監督時代に1回しかBクラスになっていないこと 今年が伊東の人生初の最下位
Bクラス自体3度目
07,14,今年 >>78
3割2回も、3割0分1厘、3割0分0厘。これだと、跳ね上がらないし、2割8分台が無いから、通算が2割7分0厘でも不思議では無い。 川上哲治が監督引退時54歳であったこと。
今の工藤監督と同じ年齢w 清原がオリックス時代にもサヨナラホームランを打っていること 日本ハムが原の時も抽選に参加していたこと
もしも原を獲得できれば菅野入団もありえたか 日ハムのスター選手好きは昔からだし別に意外じゃ無いな。 >>96
そこまで好きか
荒木大輔とか一茂の時は参加してないぞ 名打撃コーチとして著名な伊勢孝夫さんが近鉄時代に28ホーマーも打ったシーズンがあるこt
ヤクルト時代しか知らないけどいいところではよく打ったけど単打マンだったから 涌井秀章の負け数。
123勝112敗 勝率.523
最多勝3回とってるから勝ち星に恵まれてもっと貯金のできる投手だと思ってた。 83年と84年のバースがクビになってもおかしくない成績だったこと >>103
83年の35本塁打。84年の.326だけを見れば超優良外国人なんだけどね!? >>105
守備力の問題。1年目は外野手で出場したことも有ったが、あまりに酷く一塁手専任になった。その一塁手の守備も、危うかった。 上でバースの打撃成績についていろいろ言ってるが、
「1年目は外野手で出場したことも有ったが」
これが1番意外だと思った。 外れのイメージがある阪神にいたジョンソンが20本ホームランを打っていたこと 外野手のエラーゼロはそこまで取り立てるようなものか? 高橋由伸の年間最高盗塁5。
入ったときは足も期待された選手なのに。
チームが重量打線の時代で作戦的に盗塁軽視だった。
西武やヤクルトに入団してたら変わってたかな。 >>7
金本の最高出塁率を阻んだのは誰なのか調べてみた
年度 球団 金本の出塁率 最高出塁率 打者
1995 広 .381 .429 オマリー(ヤ)
1996 広 .407 .431 江藤(広)
1997 広 .404 .444 ローズ(横)
1998 広 .347 .421 松井(巨)
1999 広 .382 .469 ペタジーニ(ヤ)
2000 広 .415 .438 松井(巨)
2001 広 .463 .466 ペタジーニ(ヤ)
2002 広 .348 .461 松井(巨)
2003 神 .399 .401 福留(中)
2004 神 .406 .425 ラロッカ(広)
2005 神 .429 .430 福留(中)
2006 神 .393 .438 福留(中)
2007 神 .361 .434 青木(ヤ)
2008 神 .392 .416 内川(横)
2009 神 .368 .400 青木(ヤ)
2001と2003、2005が惜しい
阪神では1994年にオマリー、2011年に鳥谷が最高出塁率を取っているが
金本が規定打席に到達していた期間は縁が無かった 金本の2001年の128四球って、年間四球ランキングで王以外で
唯一ベスト10にランクインしてる記録。
2001年は金本の他にも、ペタと松井が出塁率4割6分以上でハイレベルすぎる争い。 >>120
守備下手で有名な張本も1978年にはエラー0なんだが。
それでも凄いと言えるのか? >>117
盗塁数と足が速いのとでは必ずしも結び付かない >>63
中田翔
実は衣笠曲線だと思う
高卒4年目にレギュラー定着で一流ってほどじゃないそこそこの打撃成績
を継続
9年目に2割切りそうなレベルの不振に陥るもそれ以降は何事もなかったかのように
そこそこの成績
今年の成績だけ見てゴミ扱いしてるの多いけど
衣笠曲線描けるならどこの球団でも欲しがるんじゃないか >>123
エラー0なんて別に凄くないと思う。年間捕逸0や無三振記録並に価値が無い。 日本時代のイチローが既定打席到達でホームラン一桁の年がないこと >>128
難しい打球を追いかけなかったり全試合指名打者での出場なら行けるだろ。 >>129
松井秀喜 メジャー通算175本塁打
イチロー メジャー通算117本塁打
全然意外でもないと思うが? >>132
難しいくない。
有名な話だが、レフトの名手高田にはエラー0の年はないのに、張本にはある。
要は取れないと思ったら追わないだけ。
果敢に追って捕球できなかったらヒット性の打球でもエラーがついてしまうことがあるから。
これについてナンバーで高田が張本に辛辣な発言をしていた。 ・張本にはエラー0の年がある
出したくなかったが意外な記録とはまさにこれだろ。 守備が酷い外野手でも1失策は割といるんだよな。
無失策は運が良かったのと介護が万全だったんだろ。 97年の古田がMVPを獲得してるのにホームラン一桁なこと >>135
まさに江本が言う「ピッチャーにとって困るのはエラーをしない選手」だな >>137
ホージーが3割打てなかったのと打点王逃して本塁打王のみだったから古田に票が流れてたんだろうな >>131
長嶋監督「守備範囲はウエイティングサークルぐらい」
杉下投手コーチ「ハリやん、レフトフライはレフトフライとして捕ってくれよな」
クライド・ライト投手「レフトはいないと同じ」 >>140
でも97年は断トツで古田じゃなかった?
92年と95年は小差で負けたと思うけど。 ブラッドリーが20本以上ホームランを打っていること 巨人が4勝0敗で日本シリーズ制覇したのは
2002年が初めてだったこと >>142
だったら田畑がMVPか。一久はフルに働いていないし。 >>142
ヤクルトは投手でMVPを受賞した選手がいないんだよね。故障に泣かされたり、岡林や田畑みたいにキャリアハイの成績でも一発屋だったり、優勝した年に限って不思議とタイトル争いする選手がいないし。 クロマティがメジャーでセンターを守ったことがないこと 坂本のGG賞が今年も含めてまだ2回なこと。
若手の頃に優勝補正でもっと獲ってるかと思った。 >>150
関西系列の新聞記者は阪神の選手で一度守備が上手いイメージがつくとチームが暗黒時だろうが
まとめてGG獲に投票する組織票に近いイメージ。
ってか、ベストナインは無理でもせめてGG賞に阪神の選手を絡ませたいのかと思う
鳥谷、平田、和田豊、北村 >>151
久慈「GGすら取れなかった俺って一体・・・。」 鳥谷敬
2014年 UZR-10.0 リーグ最下位 GG受賞
2015年 UZR-15.6 リーグ最下位 GG受賞
2016年 UZR-23.5 リーグ最下位
2017年 UZR-13.4 リーグ最下位 GG受賞 岩村が44本打ってること
メジャーでは二桁すらなかったのに・・・ 日本で18勝したことない松坂がメジャーで18勝したこと 仁志が一度も3割をクリアしていないこと
松永の通算本塁打が203本しかないこと 桧山の150三振。
2001年以降の安定感があった頃のイメージがあるので。 >>152
でも久慈は井端が神様扱いしてる名手なんだよな
久慈の時代他にもっと上手い奴がいたのかね >>160
岡田は85年の数字が一人歩きしている。打率にしても、キャリアハイの次は3割0分0厘。 >>166
むしろパならもっと打率低下する代わりに本塁打が増える >>164
ああうのって何なんだろうね?
その当時でオリックス外野陣では、
ライトのイチローとレフトの田口の両メジャーリーガーが2人共に
真ん中のセンター守る本西をベタ褒めしてたし
同時期にセ・リーグでは広島の前田と緒方が音を「守備では音さんには敵わない」と言ってたし
だからと言って、本西にしても音にしても突出した記録残ってないし。 ダイエー、ソフトバンクが日本一になった年度は寺原隼人投手は試合にもベンチいり
しかまソフトバンクはダイエー→横浜オリックス?など→出戻りソフトバンク
ハッキリ言って嫌われてるの… 16年のオリックス。全球団に対戦成績負け越し、打率・本塁打・得点・防御率・失点全て最下位なのに、チーム成績は57勝83敗と普通の成績の最下位。 >>169
本西はイチローより新庄の方が上手いと言ってたね >>167
真弓は.353で首位打者を獲るまで三割打ったことがないのが意外だった。
あとケガで欠場ばっかりしてたイメージの田淵が二年連続フル出場してること。 >>187
それも踏まえて、真弓の規定以上の3割以上が3回というのもなんか意外。
通算打率.285もあるのにな。 >>167
むしろ俊足巧打の一番打者のイメージのほうが強いと思うんだが。 83〜86年の4年で3回だけか。最低でも.270だから.285あったのかも サヨナラ本塁打の日本記録保持者の清原が
全盛期の西武時代に記録したサヨナラ本塁打が
4〜5本だったこと。
西武時代に7〜8本は打ってそうなイメージだった。 真弓の打撃成績見ると、やっぱりショートの守備の負担はすごいんだなって思う >>104
そのデストラーデは、日本での打率の低さも意外。
シーズン2割7分以上打った年が一度もないとは。
打点もHR数の割にはかなり少ない。
そのHRも消化試合で量産したものだし、過大評価されてる感じ。 >>194
あの三人が過大評価なんだよ、みんな似たようなタイプで
バッティングが粗い、2割6分HR30+αが基本、
野茂の清原評「4打数1安打、でもその一本が決勝ホームラン」 でもそのAKD揃い踏みの時代の西武は鬼のような強さだったわけで。
ほかにもナベQや工藤を筆頭とした投手陣や
レフト以外は超一流の不動のレギュラー陣。
他チームが太刀打ちできるわけがない。 王貞治が公式戦で一度も逆転サヨナラ本塁打を打ってない事 清原は、サヨナラ適時打・本塁打の数が最も多いが
全て同点の場面で打ったものである事。 >>198
そりゃあ当時のセの監督に逆転サヨナラの場面で王と勝負する男がいなかっただけ。そうだろ、西本さん。 >>197
92年は総合打撃指標によってはAKDが上位独占だった。 AKDだけだったらあんな強いわけないけど
セカンドショートキャッチャーと
打線の穴になるようなところが
軒並み3割とか2桁とか打ってんだから
そりゃ強い、投手も揃ってるしセンターラインの守備も固い
出塁しまくる上位打線とホームラン打ちまくる中軸とか負ける要素ない 全盛期の清原は三振が少なくて四球が多い理想的な打者だったから
今ならもう少し評価されてただろうに。 松井秀喜のメジャー通算175ホームラン
もっと打ってると思ってた >>198
掛布が公式戦で一度しかサヨナラ打を打ってない事 落合が日本ハム時代にもオールスターに出場していること むしろ最終年に20HR打ったことの方が驚いたわ
中日末期には20本打てなくなってたのに シコースキーのセーブ王。
中継ぎの印象が強かったので意外。 >>125
これは奇妙
97年の下柳のリリーフで規定投球回到達
仁志のベストナイン0 >>225
立浪・白薔薇・東出・荒木・今岡・ディアス・ラロッカ・浩康・平野 鹿取の最優秀救援投手。
「ピッチャー 鹿取」が流行語になり酷使された年ではなく、西武1年目だったこと。 >>228
ええ?一応、最多安打で世にブレイクしてからオリックス去るまで毎年で
ベストナイン漏れた事1度もないんですけど 96年のニールが32本しかホームランを打っていないこと 意外ってのは、そうだっけとwiki見直すくらいのことだよな。
なんかここまでほとんどわかってることばっかりで意外性がない。 >>217
バースは54本打った85年に後楽園で1本しか打ってない事の方が意外 それって1本どころか、全然打ってないんじゃなかった? 金村義明。
1982年入団後、即打者転向、
近鉄で順調にサードのレギュラーになったが、8年目の1989年のオープン戦に投手として1イニング投げてる。 21世紀以降に日シリ出場が最も多い球団は
巨人、中日、ソフトバンク(ダイエー)、日本ハムのそれぞれ5回ずつだが
21世紀以降は巨人とソフトバンクは日シリで対戦していない >>199
クルーンから打ったサヨナラホームランは
3点差からの逆転じゃなかったか >>227
巨人時代はクローザーいうよりセットアッパーだったから
セーブはつきにくかった
今みたいにホールド制度あれば何度も受賞
と思ったが
他球団も福間とか鹿島とかいたからな >>239
バースは後楽園ではつなぎに徹していて打点は掛布と岡田と佐野に任せていたと
日記に書いてあった >>210
バースも一度しかサヨナラ打は打ってない
しかも村山時代
破壊力の野球だっただけに
サヨナラ打するほどの競り合いが少なかったという事かも >>215
最後の年だけだから
20以下は
移籍してからはずっと20本塁打以上だった
でも三冠王には程遠かったが >>217
しかもそれが日本最後であり現役最後のホームランだったこと >>247
85年のバースの巨人戦の成績が.210、4本。
単に巨人投手陣と相性が悪かっただけだろ。 オマリーのシーズン最多安打146。150以上打ったシーズンは無し >>252
リードした9回1イニング限定だから、それほど不思議では無い。昨年のサファテは0勝。 佐々木はキャリアハイで12勝してるけど、当時の抑え投手の起用法なら
二桁勝つ投手も珍しくなかった。 長嶋って自分がサードなのにサードを軽視していたのか >>257
1992年 53試合登板 先発0 12勝6敗21セーブ 86年の阪神がAクラスだったこと
暗黒時代に86年入れる人がよくいる >>178
村田が巨人に6年もいたこと
もっと短いイメージがある >>259
95年平井みたいな成績やな
当時はリリーフが勝っていた
石本 篠原 岩瀬 野田の規定投球回到達で3勝
最優秀防御率の金田が5勝 具も5勝 イチローの通算本塁打117本
60本ぐらいだと思ってた 仁志の2002年 22盗塁 失敗0 盗塁成功率10割 中尾孝義が100試合出たのが1年目と2年目の2シーズンしかない事 史上最速候補筆頭の山口高志の奪三振率が意外に低いかな
奪三振王が一度もないし、連続奪三振記録もない
梶本隆夫(公式戦9連続)江夏豊(オールスター戦9連続)野田(1試合19奪三振)足立(1試合17奪三振)
彼らより山口高志は別格で遥かに速いはずである 八重樫が規定打席到達の3割バッターになったことあること >>277
規定投球回以上の奪三振率リーグ内順位だと
75年 6.61 リーグ1位
76年 6.92 リーグ2位
77年 7.56 両リーグ1位
70年代中期から80年代中期が全体的に三振が少なかった時代だからな。 >>276
意外かもしれないが、中尾の故障欠場の多かったのは、かなり有名なはず。 でもスペ体質の割には38歳まで現役だったんだよな。あれでも同学年の山倉・袴田・達川よりも引退が遅いんだぜ。 >>285
掛布がダメになった理由は酒の飲みすぎ。吉田監督も藤井コーチも言ってた。 >>280
DHには石嶺がいたからな。
そもそも外野を守るということが前提だった。 >>289
当時門田が外野を守ることはパ・リーグの話にしては結構報道されていたように思う 平野恵一は2010年に.350打ってるけど、それが唯一の3割(規定打席到達で) >>278
ソースも糞も事実だから。
日本シリーズの山田からだけ >>290
門田が外野って何年ぶりだったんだ
南海時代末期はDHしかやってなさそう 門田は87年当初は移籍してきた加藤秀司とDH併用になったのでレフトを守っている
加藤は守備に出るときはファーストだった 門田博光は1〜2回首位打者有ると思って調べたら1度もない
三冠王も一度もない
松中は三冠王の時首位打者一回か… >>293
骨折はとどめを刺しただけ。
飛ぶボールのおかげで打てているだけだと批判されるぐらい
若い頃とは打って変わって練習態度も酒癖も酷かった。 岩村も掛布曲線だよな 同じ右投げ左打ちのサード
21歳くらいで3割20本
飛ぶボール効果で20代中盤でポーンとフライあげる打撃で40本もそこがピーク
30歳過ぎには酷い有様で故障を言い訳にするが見た目からして節制不足のところとか >>296
79年春にアキレス腱を断裂して以降のDH以外の出場試合数
出場は全て外野
82 *1
86 *3
87 30
89 51
90 *3 >>303
91年はないのか
自分が持っていたゲームではレフトだった >>298
三冠王も一度もない?
本塁打3回、打点王2回。首位打者0も、3割9回。これ以上の実績有る打者、数える程しかいない。総合的に考えたら、松中より上だよ。 >>301
掛布も張本も若い頃二番を打ったことがある
長島は新人の頃ショート、レフト、六番もある >>300
一昔前は優勝&日本一チームの翌年は3位とか5割とかそれなりの成績残せてたのに、今年のハムといい最近は本当に酷すぎる。 >>307
確かに最近は以前よりも優勝翌年が全然勝てないチームが前よりも増えている気がする
ハムも後半の盛り返しとロッテの大低迷がなかったら中盤までの状況的に
最下位になってもおかしくはなかった
>>308
ソフトバンクと巨人は例外 >>310
石嶺は93年までオリ
阪神にはFAで移籍したがこの頃はFA制度自体が無かった メジャーでワーストグラブの松井がゴールデングラブってギャクかよww >>309
レスさんくすです。やっぱこういうチームが増えたきっかけは野村ヤクルトかな!?
数年前の楽天もそうだが、大黒柱が抜けただけでなくCSという消耗戦が始まりやがったのもあるような気がする。 >>265
最高勝率の対象者は、
パが13勝以上で、セは規定投球回以上だったかな?
規定未達の篠原が14勝で受賞していて、97年?に10勝しかしていない三浦が規定到達のために受賞していた。
8勝2敗の戎は13勝してないから駄目なんか。 勝率第1位は73年以降、表彰対象からは外されていた期間も長かったが
記録上のみの選定だった年次も通じて
資格要件は2リーグ分立時から>>315の通り >>292
日本シリーズでも山田から打つまで「チャンスに弱い」と言われてたんだよな。
結局その年もMVPは末次。シリーズMVPも一回もとってない。 王は相手投手の得意とする球種を打つタイプの打者じゃないからね。
あくまでも相手投手の失投を逃さず打つタイプ。
だからこそ、ここって場面では相手投手もなかなか甘い球放らないからじゃないかね?
どちらかと言うと長嶋が相手投手のウイニングショットを打つタイプ。
これ聞くとなんだか長嶋の方が打者として優れてそうだけど、
王のウイニングショットは打てないし相手投手がここって場面でアドレナリン出て来たら打てないけど
王の甘い球を逃さないってのがいかに優れてたか、ってこと。 あー 岩村掛布そっくりだなw 二人とも中西さんの系譜だし >>303
オリックス時代は意外と守備についてないんだな、
南海時代にあの動きの悪い門田を守備につかせるって、
その時のDHって誰? >>323
失敬、南海時代だと末期の加藤英司とか難聴のカズ山本とかかな。 89年は門田の体調次第で石嶺のポジションが決まったので、調子崩して20本。
90年ははじめから全試合守るつもりで調整したら37本打てたんだっけ。 知らん間に田淵以外にも非名球会員の
400HRヒッター2人も誕生してたんか 小池正晃が、05年にホームラン20本も打ってるのは、本当にビックリ。
他の年は最高でも7本くらいなのに。
今でいえば亀井みたいな記録の持ち主だったな。 20ホーマーで最多犠打というのも不思議だな
小池曰くあの20ホーマーで打撃を崩してしまったらしいが 仁志が28本打ったのも驚いたよ
超打高時代とは言え >>326
2000本のためだけ?って感じだったね
。 >>325
あれ?カズ山本って全盛期は俊足強肩で守備上手いイメージだったんだが 駒田は.打率.290前後の年が多いな。
それにしても、野球センスの塊ともいうべき存在だったのに何故一塁手だったんだ? >>337
どこがだよw
走る姿見てもドンくさかったわ 駒田はゴールデングラブ10回も受賞してるのにフライ苦手で地蔵守備ってのがある意味意外かな 左打者でありながら併殺打のセリーグシーズン記録を持っている駒田 >>329
石嶺って実績に比べてあまり評価されないよな >>330
山崎は飛ぶボール時代に腐ってたのが惜しかったな
あそこで稼げれば通算成績もだいぶ見栄えがよくなってたのに >>314
NPB時代は堅実にこなしていたが、MLBでは‥‥
例の「ディケイドワーストグラブ」も、骨折前にマイナス指標を稼ぎまくってたためだし 2003年横浜。リーグの違いとはいえ、オリックスより1以上防御率がまともだったのに勝率が悪かった事。 イチローのベストナイン7回ゴールデングラブ賞7回
少ないと思う 野手の日本人メジャーリーガー
全員が日本時代にGG賞経験者なこと。
しかも全員複数回。 >イチローのベストナイン7回ゴールデングラブ賞7回
>少ないと思う
イチローがNPBで活躍した年が1994年〜2000年の実働7年間で
少ないと言い出すのは、数字しか見てないんだろうねw >>345
如何に田口と大島が走塁が下手だったのかが分かる成績だな。 >>350
というよりイチローが日米でプレーした期間は半々ぐらいという先入観があるのでは
実際はほぼ1対2で、考えてみたら順当なんだけどそれでいて意外にも思える不思議さがある >>91
しかも川上さんの監督引退の理由が
「後進に道を譲る」じゃなかったかな?
今じゃ考えられん。
下手すりゃ関根御大だって監督復帰は…ないか。 >>354
本音としては新戦力が台頭する気配も無い上に長嶋・黒江・森らが引退するチームなんかこれ以上率いたくなかったんだろ。 >>355
前半活躍したの89,90年くらいだからな
90年18本くらいホームラン打って落選して怒ってたけど、あとは後半追い上げとか
一年不振とかそもそもレギュラーじゃない年ばっかだし 藤井は自己ベストの年の90年はASだけでなくベストナインもとれず。
外野手で選出された3人よりもOPSは上だけど。
OPSが浸透してる今でも3人のタイトルホルダーには勝てないかな。
近年のベストナインでもそういう傾向があるし。 >>356
そうじゃなくて
湯口事件の所為。
相当、日本全国からバッシングされたから。
1人の投手の命よりジャイアンツが大事と思っていたから。
その年の巨人のドラフトは悲惨で、誰1人として入団しなかった。
戦時中一緒だった丹波哲郎は、川上哲治がどれだけ仲間の命を粗末に扱うかを知っていた。
かなり嫌っていた。
最低人間とも言われている。
国民栄誉賞なんて以ての外。
調べてみたら、湯口事件! 今年の話になるけど横浜のロペスが打率3割、二塁打42本、本塁打30本でOPS8割台なのは意外 >>361
ラミレスとかもそうだけど、この手の四球の少ないタイプは
打数も多くなるから打率や本塁打の割に長打率の数字は低くなりがち。 >>283
そのために大石トレードして中村を抜擢し巨人に出され
村田成長までの人的保障で斎藤雅樹を成長させ
今は阪神スカウト >>293
その前から腰痛はひどかったみたい
日本シリーズもコルセット巻いてようやくだった
ただ手首のリストが強いから広角には飛ばせた
腰痛の理由こそ酒の飲み過ぎ >>300
バースの7試合連続ホームランで球宴前13勝1敗
しかしその反動でお盆前の後楽園3連戦で終戦
これ以降から暗黒だとは思う
若手台頭が薄く、弘田や柏原に変わる若手は皆無だったから >>306
掛布の成長期
75年 佐野との併用。主に8番
76年 8番レギュラー抜擢から2番に移行
77年 佐野を外野手に追いやり3番抜擢
以降79年終盤まで主に3番
そして
80年〜86年まで4番 掛布は48本打ったんだな 王と現役重なってたのかな 木俣達彦に打率2位の年と本塁打2位の年があること
ともに王貞治に負けてる 石井浩郎が1000試合も1000安打も達成していないこと 緒方全盛期の90年年代後半のセリーグ外野手ベストナイン争いがハイレベルすぎた。 >>373
>>376
まともに働いたのって4〜5年くらいだよね。
現役の後半は、恩情だけで使われてた感がある。
>>374
これは意外だよな。
ちなみに投手だけど、石井一久も
オールスターには1回しか出ていない。 石井一久ってオールスターでホームラン競争に出てなかったっけ
あの1回しか出てないならその年だったんだろうな >>380
パに疎いセのチームのファンが田辺・浜名・小川・広瀬・吉田・南渕に投票するとは思えないし極めて妥当な結果。 宇野は中日時代もオールスターにはあまり縁がなくて
通算でも2回しか出ていない。
ちなみにロッテの時は、ファン投票での選出だった。
>>381
れっきとした「浩市」のほうで間違いない。
ちなみに、巨人の方の緒方は、オールスターには出たことないはず。 >>360
湯口事件なんか当時扱いが小さくてたいしてバッシングなんかされてないよ。
ただ球団的には事件の影響はあった。翌年のドラフトで1位から4位?ぐらいまで拒否された。
それは巨人の育成に疑問を持たれたってこと。
勝ちすぎて面白くない、観客動員も視聴率も頭打ちという批判もあっての引き際だっただけ。 そりゃそうだろバリーボンズやケングリフィーだって0回だ >>378
.316 10本 43打点 47盗塁→選外
.279 23本 71打点 50盗塁→選外
.271 17本 57打点 49盗塁→選外
.326 15本 59打点 17盗塁→選外
.305 36本 69打点 18盗塁→選外
.300 25本 73打点 4盗塁→選外
.300 29本 82打点 8盗塁→選外
.292 26本 64打点 4盗塁→選外
.306 21本 57打点 3盗塁→選外
打点の少なさは打順によるもの
さすがにこれで4,5年しか働いてないは厳しすぎないか >>389
アンカーよく見て。
4〜5年の活躍の件は、石井浩郎のことを言ってるんだけど・・・ >>389
改めて見てもこの成績で一度もベストナインなしというのも凄いな。
活躍した期間が被る新庄は数少ない好成績の年にきっちり獲ってる。
その辺はさすが「持ってる男」 >>379
宇野がロッテに居たことさえ知らんかった >>389
これ見ると改めて、緒方、いい選手だったんだな。
ボタンの掛け違い程度でトリプルスリーを3,4回やってもおかしくない成績 緒方は98年にケガで一カ月半ほど離脱してからより打撃に特化したイメージ
しかし色々と簑田と被るな >>387
ベストナインてのがないからな。
シルバースラッガーは2回。 石井一久がMLB時代も含めシーズン15勝以上していないこと 緒方は99年以外はベストナイン不選出で妥当じゃないのか
99はどう見てもセリーグナンバーワン外野手だったのに選から漏れた
02から05は外野手に人材豊富だったし
95は規定未満98は故障欠が多かったし >>396
ヤクルトファンからすりゃ常識よ
MLB行く前はチームの勝ち頭にすらなったことないし >>399
てことは三冠王の年だけなのか
落合と毎年タイトル争いしてたイメージ 中村武志のベストナイン、ゴールデングラブ一度もなし。
89年は両方受賞してもおかしくないような成績なのにな。 古田も怪我や不調の年があったけど、そういう年にピンポイントで数字を残してたのが西山。 90年古田
91年古田
92年古田
93年古田
94年西山
95年古田
96年古田
97年古田
98年谷繁
99年古田 >>398
石川もそうだけどエースじゃ無い方があの球団だと長持ちするんだよな。 79年の西武の73敗
もっと負けてると思ってた。80敗以上はゆうにしていると思ってた。 >>408
序盤はどうなるかと思ったけど山崎復帰、行沢、タイロンの加入などで
安定してきた、後期は南海より勝率が良かったんじゃないか?
松沼兄が16勝あげてるし。 >>405
96は.314打ってた西山が獲得かと思ってたわ >>389
98年は何で選外なんだ?
鈴木 前田 松井かな 既出だろうけど西山の96年の3割到達が意外だわ。あと実はカープ生え抜きじゃ無くて移籍組だという事も。 >>412
そもそも98年は途中でスペったし盗塁王も逃したし意外でも何でもない。 緒方は脚のピークが終わった後に打のピークが来たからなぁ
98年の怪我のせいかな >>164
守備&犠打の人・川相→宮本慎というGG常連の系譜に、攻走兼備の池山、ノムケン、
石井琢が挑むとの構図に埋没した感じ。
どちらかと言えば守りの人なのに、しばしば所属チームの監督に守備面での批判を
受けていたのもマイナスに働いたか? >>407
13勝(3回)が最高だけど勝ち頭になることなんと8回…>石川
石井なんかの時代と違って他にめぼしい投手が館山小川ぐらいしかいなかったっていうのが大きいが
この8回は松岡弘(7回)より多く、球団史上でも金田(14回)に次ぐ イチローはゴールドグラブを10年連続受賞してるわりに
シルバースラッガー賞は3回だけなのは意外
あまり打撃は評価高くなかったんかな? 石川は体格も成績も投球内容もまさに「山本昌を一回り小さくした」という表現がぴったりくるな 2013年WBCから日本代表常連のソフトバンク松田
しかしこれまで1度もB9を獲っていない >>415
それも有るが、チームの力が下降し始めた頃と、最盛期が重なったのが不運。99年の数字で、優勝争いをしていたら、選ばれた可能性は
高い。 99年は、ホームラン36本で69打点っていうのがな・・・
いくら1番打者とは言っても、打点が少な過ぎる。
タイムリーヒットで打点挙げたのはいくつくらいあったのか・・・ 2004年 アリーグ シルバースラッガー賞 外野手
ブラデミール ゲレーロ .337 39本 126打点 ops989
マニーラミレス .308 43本 130打点 ops1.010
ゲーリーシェフィールド .290 36本 121打点 ops.927 >>426
総合的な印象評価だから、そう単純な話でもないが、
長打力の欠如を補うのはなかなかたいへんなことではある 10勝しても10敗する。南海にいた山内和宏は、このイメージのする投手。10勝10敗は無いが、12勝12敗、11勝11敗、10勝11敗、9勝9敗と、かすっている。 >>428
夏に発生した台風の数と新庄のその頃の本塁打数が競ってて話題になってたな一部で
松村あたりが弄ってた
たしか7月頃に2号3号とかめっちゃ恥ずかしい数字だった 久慈が通算1000安打に届いていないこと
1000〜1100位は行っていると思ってた >>435
いつだったか一度も日本に台風が来なかった年があったよ。珍しいよね。 >>423
同じ広島から西武を経てヤクルトに入団した福地は08年、たったの9ホーマーでなんと61打点
20試合ほど3番に入ったが大半が一番で
異常なほどチャンスに強かった 長野の20本以上なしも意外だと思う。
2011・2012の統一球時代が傑出度だけでなく数字的にもピークという稀な打者。 >>441
おかわりが3割無いのは不思議では無い。ただ、他にいなかったのは意外。 >>440
統一球時代は投手がガンガン攻めてくるから逆に打ちやすいと言っていた イチローのSS3回は意外でもないなぁ
打撃では松井秀喜のほうが上の評価も多かったし >>444
全盛期には「打席の中に限定すれば松井が上、一歩外に出たらイチローの圧勝」みたいな
評言もあった。
その松井はしかしSS賞なし。実は「打撃のベストナイン」というよりは「攻撃のベストナイン」的な
賞だから、ということもあるかもしれない。 そもそもイチローは1番打者にしては打点も稼げていた部類 >>441
このタイプの低打率ブンブン丸スラッガーでも、一回ぐらいはマグレで3割の年があったりするものなのだが。
古くは宇野や池山、最近では中田翔。 >>448
知ってる 晩年オリックスで40本打ったのは驚いた しかもそのたった一度の3割打った90年年6月くらいまでは4割近く
前半戦終了時でも.346打ってるんだよな
首位打者が確実視されてたほど 2010年まで本塁打20本未満100打点以上の打者がいなかったこと
井口 鳥谷 新井が出た >>452
1948年 藤村富 .290 13本 108打点 横浜商が松坂がいた横浜に勝っていること
平成になってから低迷しているのかと思った >>450-451
元々センターからライト方向に打つのがうまい打者だったからね
振り回さなければ率は残せた 山内新一
1979年 12勝7敗 4.13
借金26で歴史的な弱さだった西武と1差の5位にも関わらず、5つも勝ち越す。
1980年 9勝16敗 3.78
チーム成績を見れば妥当な数字に見えるが、超打高投低でチーム防御率も5点台後半の中での3点台にも関わらずこの成績。
1981年 14勝10敗 4.40
去年とは打って変わって門田以外パッとしない中この防御率なのにこの成績。 長嶋一茂が日本シリーズに1試合も出場してないないこと >>445
松井のSS0回はヤンキース在籍だったのも痛かった
イチローもヤンキース時代はSS取ってないし
ヤンキースは良い打者が揃ってるから票が割れちゃう >>460
81年はタイロン、藤原、新井も3割打っている。藤田、山内孝の防御率と比較したら、打線の援護に恵まれたと思う。 >>303
89年に日本シリーズに出たらレフト門田センター藤井ライト石嶺にしたのか
投手は辛そうだな イチローに破られるまでパリーグの最多安打記録だった南海・広瀬の187安打。
.366の年ではなく、前年の.299の年の記録だということ。 2001年の野口
ゴロを打たせるタイプから本格派に変身 田淵が西武時代にも捕手をやっていること
タブチくんの世界だけだと思った 西武が94年第2戦から02年第2戦まで
日本シリーズのビジターで10連敗してたこと >>472
シーズン150試合制。
野村が52本打ったのもこの年。 >>478
それは俺がプロ野球初観戦した試合
(宇野が初めて一番サードで出た83年7月30日)に見てるから意外じゃない >>470
大田を使いたかったのと、あと捕手陣がしょぼすぎ。 緒方孝市と木村拓也
一時期カープの年間三振の球団記録保持者だった。 >>483
1990-92の盗塁数は10・15・12 中日高木監督の通算成績が5割超えしてること
まあ95年に監督全うしてたら負け越してただろうが >>486
正田はプロ入りが遅く、30代前半で下り坂に入ってしまった。 衣笠は盗塁王だし緒方とほぼ同じだけ盗塁してる
打順も若手の頃は4番だったけど山本浩二が4番に座ってからは1番や2番を打つことも多かった なんとなくだけど、巨人清水隆行。
通算1428安打は意外に多いイメージ。
監督の長嶋に「対左では打てない」とばかりに実力以下に思われ、
または同時期に松井、高橋由伸といたから華がない清水は出番少ないイメージ
しかし、あと数年普通に頑張れば2000本安打も可能だったのは意外。
同タイプの「史上最強の5番打者」と言われた柳田は通算649安打で清水も通算こんあ感じだと思ってた。 っていうかシゲヲは最初から最後まで清水のことを柳田と呼び続けたんでしょ
まぁ柳田の77年は確変だったな 高橋由伸
腰痛手術後(2010〜2015)の方が出塁率がいい
1998〜2009 打率.299 出塁率.365
2010〜2015 打率.263 出塁率.370
2005年ぐらいから怪我が目立つようになってきたけど
この時期ぐらいから四球が年々増えてった印象。 >>500
そりゃあ現役晩年は他の打者がショボイから由伸敬遠すれば失点は防げるし。 >>488
尾崎行雄と村田兆治の年の差は5才差とかも
尾崎は17才デビュー、昭和30年代〜40年代前半までが全盛期で
村田は平成になっても投げていた。 >>502
まぁ巨人緒方だって盗塁王2回取っているのに通算100行っていないし。 スワローズだと幻のエース半沢四郎と松岡安田が二歳差 ルーキーイヤーの88年立浪より長嶋のほうが打点が多いこと。 >>509
いや、>>508が言っているのは茂雄じゃ無くて一茂の事だぞ。 今年の京田の新人王で改めて立浪の新人王がクローズアップされたけど、1年目の4本塁打18打点.223は余りにもショボい数字だな
新人王自体は優勝補正と守備力も評価された部分はあるが、いくら高卒初年度でも後年の活躍を思えば意外すぎる成績だ >>512
高卒1年目という括りならその数字でもかなりハードル高い。
ここ30年ちょっとでもその水準を超える打撃成績を残したのは清原と松井ぐらい。 松井の一年目、巨人ファンとしての期待値は清原クラスだから
大いにショボいなと思ったモンだが、そう考えると意外と良い成績だったんだな。
投手は高卒一年目でも、割と活躍するのにね。 >>514
高卒11本は凄いと思うよ 飛距離もエグかったし >>512
高卒一年目だからなw
夏場までは3割くらい打ってたらしい、だからオールスター出れた
スタミナが持たなかった 江藤が金本より年下だったこと
活躍したのも衰えたのも江藤が先 田辺と清原が1歳しか年齢差がないこと
若い時の田辺って老けてなかったか 松井の11本がセ・リーグの高卒新人記録なこと。
パ・リーグだと清原以外にも1950年代の高卒新人で10本以上打ってる選手が何人もいる。
セ・リーグだと昔にそういう選手がいなかった。 立浪の成績がしょぼかったのは覚えてるけど、
新人王取ったのに年俸1000万超えなかったのが印象に残っている
まあ推定年俸だから実際は分からないけどさ 98年のヤクルトが誰も20本塁打を打っていないこと
古田池山ホージーがいたのに >>516
立浪は球宴前の時点で、2割4分3厘、4本塁打、12打点。 >>522
おそらく7月くらいから急降下かな
投票1位なので開始した時は打っていて入ったんだと思う
高卒で1位はセ・リーグでは史上初のこと >>522
ということは後半は打率が2割前後ぐらいで、本塁打0。
ピッチャー並みの打撃成績の選手が二番にいて、よく後半あれだけの快進撃ができたな。 >>525
ライバルがクロマティいない巨人や貧打の広島だからだろ
たぶんパリーグ2位や3位のチームより弱い 高卒1年目で思い出したけど、近鉄にいた土井正博
高校中退して2年目から1軍にあがり“18才の4番打者”と呼ばれて打てなくても
辛抱強く使われたことになっているけど土井18才のシーズン公式戦で1試合も
4番打ってないらしい。 4番打っていたのはオープン戦だけかな?
近鉄バファローズの回顧本とか、土井のインタビュー読むと
別当監督がいくら打てなくても4番で辛抱強く起用したとか
「そんな成績で4番バッターか〜」とヤジられて辛かったとか
当たり前の書いてあってちょっと笑ってしまうw ヤクルト土橋が二桁本塁打を打ったシーズンがあること >>529
1962土井正博
3番 1試合
5番 15試合
6番 66試合
7番 47試合
「4番」
小玉 60試合
ブルーム 57試合
関根 10試合
島田 2試合
ジェンク 2試合(当て馬伊香→代打ジェンク1試合を含む) 伊香を「当て馬」というのは適切じゃないかもしれないな >>530
普通の監督なら完全試合できそうになったら一茂と松井は代えそう >>535
当時の一茂は三塁守備でそれなりの評価を得ていた。
守備固めに一茂を使うことも珍しくなかった。 最終回にボテボテのサードゴロがあったけど
一茂がドヤ顔で「内野安打の可能性を感じて前目に守っていた自分の作戦勝ち」
とか語ってたわ >>531
日ハム白井一幸の15ホーマー(1987年)も >>536
田辺の存在を知ったのが90年の日本シリーズであの顔で24歳なのと驚いた >>542
1987年白井は左右打席の1試合2本塁打あるな 伊東勤がレギュラーになったのが年上の辻より早いこと >>518
28歳田辺の守備固めに2歳年下の奈良原入れて週ベでネタにされてたな >>525
あの年の中日は、試合の終盤に打線が繋り逆転。抑えの郭が締めて勝つ。打線全体に元気は無かったが、急に火が着く感じだったな。 >>550
巨人から江川とクロマティが抜けたのが大きくないか 大森が2割打ったことないこと
一応そこそこ有名な選手なのに カツノリが年数が長いのに通算で100安打を打ってないこと >>551
吉村が夏の札幌であぼーんしたのも大きかったな
その札幌シリーズで実は中日は巨人に3連敗し、その前の大洋戦と合わせて都合6連敗で一旦転落しかかったけど、直後に6連勝して息を吹き返し、更にオールスターを挟んでヤクルトに6連勝して一気に波に乗った感じ 江川が引退しないで吉村クロマティがいたら巨人優勝で2年連続で西武に負けた可能性が高い >>557
あの頃の巨人ってみんな反王っぽいし
前年優勝したのになんか暗かったんだよな
クロマティ吉村がいても結局優勝出来なかった気もする >>557
吉村はペナントのちょうど半分65試合出て.302 13本打ってるんだよな
クロウも似たような感じで離脱前まで.333 10本打ってたはず
この年もこの2人が健在だったら原も楽だったろうな 原が88年に30本塁打を打っていること
東京ドームになった辺りから打てなくなったイメージがある 原
85年 .283 34本 94打点 ops.952 年俸3870万円 現状維持
86年 .283 36本 80打点 ops.979 年俸3870万円 現状維持
渋ちんだな >>564
開幕三連発有名だろ そりゃ残り7本ぐらいは打つわさ バブル期でも遥かに少ないからな
落合のあれも現代の高給への嫉妬だわなあ >>565
この頃の巨人は優勝するのが前提。優勝しないと、なかなかアップしなかった。特に、、原は四番だったから、かなりハードルが高かった。 巨人の選手は副業や経費で貰える部分が大きいが当時はまだ大金稼ぐのは卑しいという雰囲気も残ってたな >>559
とはいえ捕手が現役長いのは事実だと思う
>>566
ただヤクルト時代全体を見ると意外かもしれない 高木守道政権での燃えよドラゴンズが1つしか無いこと >>572
広島時代も最後の3年くらいは二桁打ってない 田辺が85〜88の日本シリーズに出場していないこと 原は数字は良いけど、特にその時期はここ一番でポップフライのイメージが強い >>577
原って王の後の4番だから打てないイメージがあるだけ
同時期の他球団の4番に比べればトップレベルじゃないか >>577
原が明らかにチャンスに弱かったのは86年だけだと思う。
この年は数字的にも得点圏で.233しか打てず勝利打点も7と少ない。
87〜90年までは毎年得点圏で3割以上打ってたし、藤田時代は殊勲打も多かった。 >>578
例えば85年だと他の4番
掛布、レオン、ブーマー、デービス、落合、古屋には明らかに負けてて
山本浩二、門田らロートルとドッコイで
スティーブには出塁率や勝負強さでまけてる
勝ってるのは4番が固定されてない中日ヤクルトくらいで
王長嶋と比較されてダメ出しされてったってより叩かれて時代は特筆したものがない打者だった >>587
あぁ〜そうだねw当時を思い出したよw
今、>>565 見ると、あれ?はて?
当時はかなり、相当物足りなく感じたけど?今見ると?て感じたけど
結局、他球団の、「サード」だったり「4番」だったり「鳴り物入り入団」
だったりが原がくすんで見えるぐらい大物に見えたんだよね。
1990年の巨人対西武の日本シリーズも、4タテで巨人が負けるんだけど
巨人の4番の三十路の原よりだいぶ年下の高卒間もない清原の方がだいぶ実力も
野球選手としての貫禄も上に見え、原が薄く見えた記憶がある ペタジーニが99年に10盗塁してること
GG賞3回も >>588
各球団当り外人いたな 20本未満は外れ認定してた 今とは大違い 原 AVG.279 敬遠38 出塁率.355 シーズン最高OPS.978(86年)
杉浦 AVG.284 敬遠74 出塁率.370 シーズン最高OPS1.056(85年) >>587
いくら何でも古屋には勝ってると思うのだが(´・ω・`) >>594
85年の話だから古屋が唯一確変して3割30本打った年 手首骨折して自分で「原辰徳は終わった」と言った後に初の二年連続3割30本してること >>593
杉浦は日シリのホームランのイメージが強い 佐野仙好
9年連続二桁本塁打で16本以上なし
81年、初代勝利打点王となる勝利打点15でシーズン打点48
(83年勝利打点4で打点64、85年勝利打点2で打点60) 意外といえるのか能力考えると
大野 槙原 石井一久が15勝以上したシーズンがない 大野は如何にも手首の血管が詰まりそうなフォームだったし槙原は脳筋な上にスペだし
一久は俺がチームを背負う、引っ張るって感じの選手じゃない。 野村克也
通算117盗塁 シーズン二桁盗塁3回
中尾孝義
通算45盗塁 シーズン二桁盗塁0回 清原和博
通算59盗塁 シーズン二桁盗塁2回
松井秀喜
日米通算59盗塁 シーズン二桁盗塁0回
高橋由伸
通算29盗塁 シーズン二桁盗塁0回 高木守道
ベストナイン7回に対しオールスター出場4回
この時代って人気二塁手が多かったのだろうか? >>603
槙原、石井はタイプは違うが、ムラッ気が有り過ぎる。試合中、糸の切れる槙原。日によって、スイッチのオン・オフが明確な石井。15勝していないのも、納得出来る。 槙原は、完封勝利を通算で35回も記録してるのが以外。
斉藤と5しか違わない。
ちなみに、桑田は21と意外と少ない。 >>615
いいときの槙原は本当に圧倒的なピッチングをするからな。 >>614
石井は日によってどころか、その日のイニングによって違う。
初回から全くストライクが入らず連続4か5、連続だかで四球で押し出しして
このままノックアウトかと思いきやそこから急にストライク入りだして
その後三振の山築いて終盤まで行くとか、
とにかく対戦相手のファンながら観てて嫌だったけども
味方だとしてもこんな投手うちにいても嫌だなあ〜なんて思った >>615
桑田はミスター1失点。5試合連続1失点完投勝利が有る。序盤に1失点して、その後スイスイ。 >>581
86年は原離脱後の巨人がえらく強かったんだよなw 8連勝か9連勝したっけ 原はこのオフ結婚→披露宴で関係者からつるし上げ
→ミスターの迷言で救われる >>603
槇原前半だけで11勝とかしてなかったか? >>605
>>606
単純な脚力ではこの中だと由伸が一番うえなのに >>622
一時期の木大成みたいなもので1・2番の頑張りがあってこそのあの打点だと思う。 >>621
89年に前半で12勝1点台を記録しているね。
後半戦初戦で怪我をして後半を棒に振ったが、
その怪我がなければ悪くても15勝はしていたろうなぁ。
87年前半の桑田が似たような成績で、
20勝も狙えるとも言われたが勝ち運に見放されて、
最終的には15勝どまりだった。 1989年はクローザーも兼任してたからね。
そりゃ怪我するわ >>623
高橋の通算三塁打阿部と同じ9だぞ
はっきり言って全然俊足じゃない >>625
槙原が膝を痛めていたのを知っていたカープがバント作戦やったんだよな。
桑田は球速を求めてのフォーム改造で、
上手くかみ合わなくなったんじゃなかったか。 イチローの最高出塁率4回
出塁率が高くないイメージがあった メジャー行ってからのイチローしか知らない奴いるんだな >>613
打点でいったら、稲葉もヤクルト時代は
シーズン30〜40がデフォだったのに
01年だけは90も挙げてるのが面白い。
日本ハムに移ってからは
毎年安定して80前後、記録を残すようになったけど。 >>628
昔のパワプロでは走力Bだった
平均はDなのに >>610
ローズが…と調べたら 20本打って無かった ♪足が速い 体が強い ドームでノビノビやってます
全部該当しなくなるとは その年の五番は八重樫だったけど三割打ってベストナインに選ばれているぞ >>549
で、その奈良原がピッカリ佐野と
同い年だったりする。 >>610
そこにウチは負けたのか…。orz
で、翌年から白にゃんこ打線の
幕が上がるっていう、猫ヲタへの罰ゲーム開始。 上の方で出ている張本の守備は、下手というか緩慢だったんだろ。
手が届く範囲はミスしない感じで。 日本シリーズに2回出場したオランダ人がバンデンハークしかいないこと オランダ系の選手自体がバレンティン、ミューレン、AJくらいしか浮かばん。一応全員日本シリーズに1回は出てるが。 2000本安打打ってるのにシーズン3割の年がない柴田 KO前の威風堂々で手をつないだのが知らない女の子だったんだけど
どさくさに紛れて恋人つなぎしたったわ 一番しょぼい2000本安打スレのせいで田中幸と柴田の2000本打って3割なしは
嫌というほど刷り込まれている自分がいる。 衣笠もその仲間に加わる筈だったが、1984年MVPシーズンの存在でピーコと同格
若しくはそれ以上の扱いに(´・ω・`)
連続試合出場記録があった為とは言えピーコより遥かに先に野球殿堂入りするとは
現役時代には想像出来なかった。 >>607
土井、武上、そしてシピン辺りは想像つくけど、60年代は近藤昭、70年代は中村勝と後に監督としてライバルとなる奴らに阻まれてるのが興味深い。 3割って
そこまで重要な要素かな
打率より出塁率のほうが大事でしょ?
イチローも内野安打を抜けば3割打ってないんだし >>664
んん?俺は逆にそれほど出塁率ってこだわる必要ある?って感じだけど。
なんかデータだけって感じで、というかいかにも記録だけ見たオタクって感じで嫌だな。
記憶的には、ベターだけど
やはり打率高い選手が打席立つと対戦投手も観てるファンも盛り上がるけど、
ここで通ぶる人が言うほど、その「出塁率が高い」選手との対決はNPBもメジャーも言われる程盛り上がらない
最高出塁率と去年の防御率1位の対決とか 衣笠は3割一度とはいえ準首位打者も経験してるんだよね(3割の年ではない)
.299、.295、.294、.292×2と、.290台マニアみたいなところもあるw >>668
首位打者はない、たぶん最多安打(当時は表彰なし)のことでは? >>671
たぶん、1971年の打率2位をさして「準首位打者」と称しているのでしょ >>673
田淵の時代って試合数少ないから意外でもない 大島の打率3割3分超え(77年)
つか、3割自体を3度も達成していたことが意外 >>666
おお少し意外 土井が続けてたらイチローのブレイクも遅かっただろうな
あまり若手を抜擢するイメージ無いし >>678
土井は続投していたらイチローを使う予定だった。
二軍でも打ちまくっていたから使わない理由もないし。 ロバートローズが三塁をやっていたこと
二塁のイメージしかない >>668
高木豊みたいに、痛い痒いと言って、適度に休めば良かった(120〜125試合は出る)。そうしたら、3〜5回は3割打てた。ただ、山本浩二や門田みたいに、2割9分は打て無かっただろうが・・・ 高木豊って平松の引退試合をサボってまで打率3割キープしたんだっけ? >>683
遠藤の引退試合、大洋最終戦。前日まで、498打数150安打。2打数ノーヒットで、お約束のようにベンチに退いた。 >>682
衣笠の著書で、故障した高木豊が治療の為に帰京して
すぐ名古屋に戻ってまで全試合出場を果たそうとした執念について触れていたけど
普段はサボリ体質だったのか >>682
篠塚も休むの上手かったな
チームメートに揶揄されるほどに >>668
同僚の高橋慶が3割5度で全部.310未満での達成。
高橋は.290台の年はなく3割狙えそうな年を全てモノにした感じ。 今中が先発だとオマリーは歯が痛いとか
理由つけて休んでたよな >>687
クロマティの本で日本のことわざで「三味線を弾く」の知って
篠塚がロッカー裏で「シャミ塚」と陰口言われる意味が解ったと。
しかし、高木豊にしても篠塚にしても、
見るからして身体が大きくも頑丈そうにも見えない
あの身体で当時のあの粗悪な人工芝でセカンドで出続けるのは大変だと。
まして篠塚は腰痛持ちだったし、今の選手からしたら大変な重労働だと思う、
だから寿命が短く、2千本達成出来ない選手が多いと思う >>657
90年代に発売された名球会コミックスの柴田の巻にまで
名球会で3割打ったことのないのは柴田だけという記述があるな
何もそんなこと書かんでもと思った >>680
土井が目指してたのは長距離砲を並べた打撃陣
スタメンでは内野安打マンの出番はなかっただろ >>693
と言うか、三村の成績みたら、逆に二桁盗塁は1976年の16個が最高で
あとは7個とかが2回ほどであとは5個以下なんだね。
こっちの方が意外。
どちらかと言うと打率低い中距離包だったのかな? >>694
いくら長距離打線を目指そうが石嶺FAデカ不調で戦力が減って使わざるを得なかった。
そもそも土井はイチローを評価していた。
評価していなければ二年目で開幕スタメンなんてやらない。
あと日本時代はそこまで内野安打マンでないだろ。 そもそもメジャーでも1番で70打点近く稼げてるから >>696
「土井は馬鹿だからイチローを干そうとしていた」という俗説をいまだに信じてるんじゃないかな 土井とデカって正反対なのがよかったのか実はウマが合ったんだよな
デカの仲人も土井だった 離婚したけどw >>698
そうそう。
「野茂からホームラン打ったのに二軍に落とされた」を鵜呑みにしてそう。
その後もしばらく一番で使ってたのに。 高卒新人で2軍首位打者
フレッシュオールスターMVP
その後すぐ一軍上がってそこそこ数字を残す
翌年オープン戦からレギュラーで開幕スタメン
二年目このあとちょっとこけただけで3年目大ブレイクだからなイチロー
このちょっとの停滞部分全部土井のせいdw土井が未来永劫叩かれるのもな >>679
すぐ辞めたイメージなんだけど 何年間やってたのかな >>702
契約期間通り3年
一応順位(6→5→4)、勝数、勝率ともに毎年尻上がりに上げていったものの
優勝争いはおろか、Aクラス争いにも絡めずに解任 >>679
そりゃあ当時はロッテという強力なライバルがいたからな。 91年と92年はロッテが最下位だからな
92年の5位は内紛の土橋ハムだし
田淵は92年限りでクビと言うのは前半戦終了前に決まっていたが >>706
5年で強烈な印象残したなぁ
最後までメジャー貫いて出戻りしなかったのも好感もてる >>707
楽天に戻ろうと画策したが当時監督だった野村に「大物すぎて扱いきれない」と断られた 長谷川滋利のシーズン最多勝利が12しかないこと
14〜15勝くらいはしていそうなイメージ >>701
高卒ドラフト4位で高校まで投手やってたってのに
土井は1年目も2年目もけっこう1軍で使ってるからな
ていうかむしろ使ってる方 鈴木一朗が1年目に一軍デビューした時期ってかなりチームがグダグダだった。
藤井が故障でずっと離脱して、本来なら控えクラスの柴原をレギュラーにしないといけないぐらい外野手難だった。
1年目に抜擢されたのもこういうチーム事情もあったのかも。 >>711
ついでにパンチも一年目からちゃんと使ってるからなあ >>711
鈴木一朗時代にやくみつるのマンガのネタにもなってるんだよな。 GG賞三塁手歴代最多が中村紀の7回。
ノリが名手なのは知ってるが、それでもサード歴代最多になるぐらいの回数を受賞してるとは意外。
過去にも掛布、進藤、有藤、石毛、松永、古屋と名手はいたけど
コンバートされたり、同時期のライバルと分け合ったりして
受賞回数が伸びなかった印象。 >>721
掛布のせいで平田の守備が大変とギャグ漫画のネタにされたから上手くはない >>720
有藤は入団して3年目まで、その賞が無かったから、もう3回は獲れたはず。ただ掛布は、松永や古屋と比較したら、幸運な選手。むしろ、衣笠の方が不運だと言える。 昔と言うか長嶋引退後の下世代はサードが花形ポジションで
セ・リーグは衣笠、掛布、高田、田代、大島らで投票が割れたと言われてたからなあ
中村海苔の時代は内野手ならショートが花形でサードはなんか肩さえ強けりゃ足の遅い選手で十分みたいな扱いで
昔の人材豊富なサード花形時代とは違うからたいしたライバルがいなかった。 まぁでもノリは上手かったと思うよ ショートでもやれたのでは 長嶋も当時の時代だからサードであって、
今の時代に現役なら「ショート長嶋」だろうね >>725
土井が恨んでるのは打撃コーチの山内一弘だよ。
山内は“教え魔”って言われてて、実際教えるのも上手いけど
自分の打撃理論と1ミリでも合わないと潰そうとするから。
本当はイチローを上げたいけど
自分が招聘した山内が発狂するからできなかったわけだし。 >>719
同期で同い年の山本昌と渡辺久の20代後半あたりの時点で
両者の通算勝利数がいくらくらいになるか予想できた者は少なかったろうな >>717
津野・水野・加藤伸・松浦・小野もそうだな。 藤王が大成しなかったのを見ると
清宮もひょっとしたらと思ってしまう >>731
高校時代はショートだったけど合わないからサードにコンバートされた 水野、藤王世代で、野手は古田、投手は山本昌が出席頭になるなんて予想できるか。 三塁手で守備範囲が広い名手って誰が浮かぶだろう?
藤村、蔭山、長嶋、島谷、有藤、藤原、松永、進藤、岩村、松田あたり?
石毛や宮本みたいな遊撃からコンバート組はあまり三塁手としての印象がない。
中村紀は守備範囲はさほど広くないが、グラブ捌きが良く強肩のイメージ。
原、掛布、衣笠はまあ無難なイメージ。 広島時代サードまもってた水上がとんでもなく
上手かった記憶がある
たしか桐蔭で同級生のやくみつるも漫画で描いてた >>750
1996年の日本シリーズでサードの馬場がちょっとだけ脚光浴びたことがある。
巨人ファンの大友康平はシリーズ終了後「馬場を獲れ」と言われる程
シリーズでの馬場の三塁守備は神がかってた所があったが、如何せん所詮三塁手。
「打ってなんぼ」のポジション、いくら守備が良くてもねえ〜 >>741
馬場のサード守備は95年のシリーズでも脚光を浴びたよ
んで97年途中、その相手だったヤクルトに移籍して特に初期は打ちまくり、優勝に大きく貢献した >>740
そりゃあ「This is プロ野球」ですから。 ブレイク必至だからとイチローに改名させたり 仰木さんの眼力凄い 雑誌の月刊ホームランが94年の開幕前の予想号でイチローのベストナインとゴールデングラブを予想していて見事当てた。
当時は篠塚二世なんて言われてたけど余裕で本家を超えた。 >>747
そりゃ凄いな 二軍で打ちまくってたのは知ってたが 柳田が出塁率・長打率、当然ながらOPSも三年連続1位。
落合やバースでも二年連続。王の11年連続は別格として、他に記録してるのは長島だけ。
そこまで突出してるとは思わなかっ。 月刊ホームランは記録の分厚さが当時、他の追随を許さなかった
選手名鑑は必ずホームランのを買ってたな ホームランの選手名鑑の各選手の寸評が面白かった
もう歳だからしょうがないかとか糞味噌に書かれてる選手もいた ホームランは解説者やアナウンサーの寸評まで載ってたな
ボロボロになるまで読み倒したな〜懐かしい 2005年のロッテとソフトバンクの打撃陣。
数字だけパッと見るとソフトバンクの方が上そうに見えるけど得点は100近くロッテが上。
チームOPSもほぼ同じなのにな。 田尾安志と田中幸雄
こいつらは盗塁成功よりも盗塁失敗が多い一方で2人とも通算三塁打が30以上
田尾はシーズン5本以上が3回もあり田中は晩年でも打っている
足は遅くないのに盗塁は苦手というパターンなんだろうか >>757
低出塁率の川崎・バティスタを上位に並べてた 松中よく打点王取ったわ >>759
三塁打は偶発的な要素も有る。クッションボールが、思わぬ方向に跳ねたりだとか・・・
盗塁は、サインが出ないことには難しい(福本とか例外もいるが・・・) 1938秋中島、1965野村、1973王、1984ブーマー、1985バース、2004松中。
これらの三冠王の所属チームは全てリーグ優勝している。
しかし1982博満、1985博満、1986博満 この3つは全てリーグ優勝を逃している。
(※1974王もリーグ優勝逃したが首位と1厘差ゲーム差0.0の際どい結末だった。)
つまり博満の三冠王にま全く価値がないということが野球界で定説になっている。
つまり野村沙知代が逝去したらニュースになるが、
今まで何千人もの野手がプロ野球の門を叩いたが三冠王を三度獲得したのは
落合博満(ロッテ-中日-巨人-日本ハム)のみ
もし打率ではなく、出塁率で首位打者を決めていたら、昭和37年から昭和54年まで
18年連続で、王が首位打者になっている。
特に昭和49年は、5割3分2厘という驚異的な成績の首位打者だ。 松坂が沢村賞1回だけ。
それも15勝15敗と不本意な成績の年に受賞しただけ。 >>767
あれは5基準達成だっけ? 結構立派な方。
勝敗は最も意味がない。 金田正一
開幕戦通算成績4勝8敗
8敗もしてるのかと言うより4勝しかしてないのか、と思った >>769
当時は将来の期待も含めた温情で受賞させてもらったなんて言われてた。
防御率も3.60とはいえ、かなり打高で防御率1位が3点台の年。
しかし改めて調べてみると、この年のパリーグは100奪三振以上の投手が7人だけしかいないのか。
工藤や星野といったパリーグのエース級がセリーグに行って、現エースの岩本や黒木も故障や不振でパッとしない。
岩隈や斉藤和といった次世代のエースはまだ成長途上。
パリーグの松坂以外の各球団のエース級は小粒だった印象がある。 >>771
防御率の相場は球場の広さやボールで環境でガラッと変わることもあるしな
この年は最優秀防御率がミンチーの3.26で
松坂の3.60は13人中3位
相対的な評価だとむしろ優秀な方
ぶっちぎりトップの投球回数(240.1)での防御率だしな 田淵が監督時代に4位になっていること
当時のダイエーから考えれば意外なような気がする 4位と健闘したのに監督解任されたので覚えている
ただググってみたら最下位と2.5ゲーム差なんだな 川崎宗則 通算27本塁打 シーズン最高4本塁打 二塁打27本
思ったより少なかった 阪神時代のパリッシュがホームラン王取るくらいの成績だったこと
それ以前にパリッシュが阪神に行ったこと自体全く知らなかったw 連続ホームラン王独走中だったのに帰国した
38歳なのにヤクルトでは130試合フル出場したし、常に全力プレー、まさしくメジャーリーガーだった >>775
92年のロッテってチーム本塁打王が15本くらいのチームか >>779
マックス13本、ディアス11本、初芝10本
なお、8本塁打53打点の愛甲がチーム打点王 千葉元年でしょ
俺、オープン戦見に行ったな
千葉出身のヤクルト・ルーキー石井一久が初登板 スピードガンに148キロを表示させた
スタンドは盛り上がったが空気を読まないことでご存知の高沢がスタンドに叩き込んでいたw >>779
翌年の福岡ドーム元年のダイエーも似た様なもんだったな。 >>780
>>783
近年で究極は、2011年のロッテだろうな。
2ケタHRの打者0で、チーム総HR数が、おかわりよりも少なかったという。
(ロッテ46本 おかわり48本)
いくら統一球の時代だったと言ってもね・・・ マイク・ディアズ
29 1989 試合130 .301 HR39 打点105 ロッテ
30 1990 試合128 .311 HR33 打点101 ロッテ
31 1991 試合042 .237 HR11 打点023 ロッテ
32 1992 試合050 .184 HR11 打点035 ロッテ
49 2009 試合089 .241 HR03 打点031 Lexington(A)
49 2009 試合001 .000 HR00 打点000 Corpus Christi(AA)
ロッテ辞めて17年後の2009年、49才の時こっそり現役復帰ww ロッテは千葉移転以降スラッガー不毛の地。
日本人30本塁打なし。
外国人も含めて40本以上なし。 >>788は千葉マリン本拠地の92年以降の話な。
チーム成績がよかった年も打線は繋いで点を取っていくイメージ。 ロッテ球団は1971年以降、チーム本塁打リーグ1位なし。 >>791
とびぬけて本拠地球場が広かったってわけでもないのに意外だな
落合が50本打ってた頃はどうなんだと思って調べてみたら他はリーが30本前後打ったくらいで
あとは大したことがなかったんだな 1989年に打ってるだろ
パリッシュに2本差くらいで本塁打王負けた年 そもそも落合全盛期のころは有藤は晩年だろう
アストロ球団との試合に出てたような選手なんだし >>786
ホームラン占有率でいえば
91年の大洋も結構やばい
2011ロッテはパリーグ総本塁打454本に対しチーム本塁打46本だが
1991大洋はセリーグ総本塁打711本に対しチーム本塁打66本で
なんと占有率10%未満 >>798
91年の大洋はそれでも打率はリーグ1位で得点はリーグ2位。
ある意味、マシンガン打線の原型。
しかしバランス考えたら、新外国人をよくレイノルズにしたな。 中日時代の落合は本塁打と打点は2回ずつ獲得してるけど首位打者はなし。
.331と.340と首位打者になってもおかしくない打率の年があったけどいずれも競り負け。 バースの再来の再来ばっかり連れてくる阪神なら活躍したかもしれない >>808
ラッキーゾーンない甲子園のサードで280、22本塁打のクールボーも十分あたり
阪神史上サードの当たり外人は一年だけのオマリー除くとクールボーくらい
他はハイアットシークリストペレスヘイグ
エバンスコンラッドキャンベル昔のクレスフェルナンデスとハズレだらけだし 20HRのジョンソン(99年)も、前半だけなら十分当たり外人な記憶
後半戦全然ダメになって代打になったような
>>811
キンケードもサード守ったことあったはず 外国人サードってだけでほぼハズレ確定だよな
レアードウィーラーミューレンアリアスみたいな我慢が必要なタイプか
オマリースティーブみたいな守備下手な好打者タイプが大当たりの範疇で
ハウエルゴメスみたいなのは滅多にない >>813
ミューレンは打率低いからはずれじゃないか ハンセンもサードだし、ハートキーとかブロワーズもはずれサード そもそも打撃もいい、守備もいいという選手は日本に来ない。 ローズはとてもメジャーで通用しない打撃、
守備専門として使えるほど守備もうまくない、
だから日本に来たんだろ。 >>822
宇野が守備上手いって、
おかわりのあの体型のわりには足が速いってのと同じで珍プレーしたわりには上手いんであって守備範囲広いわけでもグラブさばきが素晴らしいわけでもなく守備の名手って訳ではないよね。 周りの選手の守備が余りにも酷すぎるから相対的に宇野の守備が良く見えるだけ。
例のヘディングにしても本来ならレフトの大島が捕球すべき打球だし。 宇野の守備が実はうまいんだ、というと通ぶって貰えるんだ 1982年
三塁手 モッカ 24失策 守備率.926
遊撃手 宇野* 26失策 守備率.957
1983年
三塁手 モッカ *3失策 守備率.988
遊撃手 宇野* 17失策 守備率.966
1984年
三塁手 モッカ 26失策 守備率.923
遊撃手 宇野* 27失策 守備率.957
1985年
三塁手 モッカ 24失策 守備率.914
遊撃手 宇野* 25失策 守備率.958 山下・平田程手堅くはないけどヨシヒコ程雑でも無いって感じ。 >>808
一応キーオも90年代だろ
パチョレックとパリッシュも当たりだろ 宇野は難しい打球はアウトにするんだよ
簡単なイージーエラーする
ファインプレーが多いから守備は上手いは正解
イージーエラーが多いから守備が下手も正解 「宇野は実は守備がうまい」の書き込みがあると、必ずといっていいほど
しばらくその話題になるよな。 ショートやっていたんだから、まぁそれなりには上手いんだろう 多分
by素人 >>829
出たw これぞ、ザ・勘違いw
ショートだから守備機会も多いし守備範囲も狭いからイージーなゴロもファインプレーに見えるだけ
ってか、ショートでフルイニングで出てる年数の割りにはファインプレー少ないぞw
同年代の山下、河埜、慶彦、平田、石毛、高代、弓岡らと比べるとショートでの出場機会多い割に少ない
張本同様、難しいライナー飛び付いてアウトにした時の球場での酔っ払いのヤジかよw
「おーい!張本!お前簡単な打球は取れないくせに難しいライナーは捕るんだな」レフトスタンド大爆笑 みたいなw >>829
広島の菊池とかも、たまにこういうのやらかすよね。
宇野よりは圧倒的に少ないけど。 菊池は年間失策5くらいだし
簡単な打球ミスるとかいうのは言いがかりに近い
そりゃ年間何百も守備機会あれば誰しも数回はミスがあるってだけの話 「上手い」の定義を揃えようともせずに自説だけぶちまけることほど見てて痛々しいものはないな 渡辺久信って通算125勝111敗なのか 西武黄金期のエースの割りに勝率が低い 西武黄金期、三度目の最多勝に輝いた90年までは78勝46敗
それ以降の成績が47勝64敗 特に森が辞めた以降は10勝20敗とダメダメ 最後(1990年)の最多勝 終盤不調で17勝7敗から18勝10敗になった。前半戦終了時は実は野茂より防御率も良かった。2.55だったかな。 成績が下降し始めた頃がちょうど髪の毛がヤバくなりだした時期。
今でこそ開き直ってるけど、あれだけ超絶イケメンでモテモテだった男がハゲてきたらショック大きいだろうな。 渡辺久は衰えが来るのが早かった印象がある
若いころは体力に任せて後先を見据えた体の入念なケアとか怠ってたんかな 同時期に活躍した郭泰源が117勝68敗で勝率.632か。
郭の場合は十分に間隔をあけてもらっての起用が多かったのに対し
渡辺久はバンバン投げさせられてたというのもあるが。 >>842
そこは公康が指摘している
自分達が練習や試合後にケアしてる横を「お先!」ってすぐ遊びに行ってしまう
それなのに試合ではあんな凄いパフォーマンス、筋肉の質が常人とは違う
体大事にしていたら本当に凄い成績残したのに
とか、清原からも
試合後に渡辺さんに「行くぞ!」って祇園に直行するんです、散々あそんで徹夜明けで翌日の練習に参加したり、とにかく渡辺さんは豪気で怖かったですよ
とか ナベQの場合、
体力面より不摂生は頭髪に良くないと言う反面教師か。
自分も気を付けよう ナベQ「工藤さん 寝ないで登板しても勝てましたよ」
とか自慢してたからな 公康も公康で、西武打線が湿りがちだと敗戦後にロッカーで「みんなー!1点!1点あれば勝てるからねー!」とか言ってプレッシャーかけてたってな
1点取れば俺が完封するからって
それで野手は何も言えなくなってたと
常勝軍団って覇気があるよなあ 工藤も肝臓ぶっ壊して余命宣告されるぐらいまで遊んでたけどな。
早く自覚して節制出来たかどうかがナベQとの差か。 工藤は若い時に絶頂期を迎えた後の不調期間が長かったのでその間に摂生が身に付いたのかもしれないな ただ、公康の長寿が桁外れなだけで、渡辺も10年活躍年があるんだから一般的には決して短命ではないんだよな、そこは後輩の松阪も同じで ナベQ 工藤 郭
85年 8勝 8勝 9勝
86年 16勝 11勝 5勝16S
87年 5勝8S 15勝 13勝
88年 15勝 10勝 13勝
89年 15勝 4勝 10勝
90年 18勝 9勝 9勝
91年 7勝 16勝 15勝
92年 12勝 11勝 14勝
93年 9勝 15勝 8勝
94年 9勝 11勝 13勝 渡辺久信と工藤の新人類コンビ
同時に活躍した年がないから両雄並び立たずなんて言われてた。 >>844
まあ、そんな不摂生な生活をしてても
NPB時代は大きな故障がなかったのは大したもんだよな。
でも速球派の投手はやっぱり衰えが全体的に速いな。
西武では他にもナベトミや松坂とか・・・
大谷も今後MLBでいつまで投げれるのか、少し心配。 >>852
相互に補完しあうチームとしては望ましいこととも言える ダルビッシュの意識の高さでどれだけ現役続くかが興味深い
イチローや上原もそろそろだろうし カブレラがホームラン王を一回しか獲ってないこと。在籍12年で30HRが6年も意外 渡辺、西崎、阿波野、その頃のパのエースが全盛期が短かったなあ >>859
40年組だと、2年目で球宴に出た加藤、津野、渡辺。さらに3年目でローテ入りした小野、星野。彼らとは対照的に、5年目で台頭して来た山本昌が唯一200勝投手になるとは、想像もつかなかった。 >>859
その中だと西崎は90年代中期までエースの働きをした。 トレンディエースががが 俺も酒やめよう 髪に悪いんだな G.G.佐藤の通算本塁打88本。
100本ぐらいは普通に打ってると思ってた。
成績を見ると07-09の3年以外はレギュラーとしては稼働してないんだな。 >>866
二人とも100打っているね
垣内は早くからデビューして馬のションベンみたいにダラダラ長く現役続けたから余裕だったが、
高橋智はヤクルトでの活躍があってやっとだったな
彼は逆イチローで土井に見出され、土井がいなくなったら干されたから ロッテみたいなチームだったらもっと使われたのかなあ
オリックスは藤井やニールがいたから >>868
藤井も神戸移転後はイマイチだったな。結局は箱庭バッターだったのか。 >>869
98年に、思い出したかのように30本塁打を放った。 通算本塁打
そんなに打ってたの?
前田智徳 295
内川聖一 176
サブロー127
それしか打ってないの?
片岡篤史 164
桧山進次郎 159
礒部公一 97 >>871
桧山より、二冠獲った事のある藤本勝巳の通算113本の方が意外 国鉄時代を含めて神宮が本拠地になってからヤクルトの日本人枠選手でホームラン王になったのは一昨年の山田だけ >>870
総合打撃指標の傑出度的には98年が一番高い。 79年島谷の102打点もかなり意外性の高い成績
安定して20本塁打70打点位の数字は残せるものの、打点王を争うようなタイプでは無さそうに見えたからな〜 >>872
起用法みると同じファーストの遠井に
ポジション取られ対左専に成り下がったみたいだな
ホームラン王取った選手がツープラトンにまで落ちたなら普通どっかにトレードされそうなのに生涯阪神だし 前後の年にはベストナインに選ばれているのに
二冠王の年には選に漏れているのね 79年の鳥谷って何歴なんだよ
昭和79年でもなさそうだし >>384
宇野がレギュラー入りしたのは79年あたり
巨人 河埜、岡崎、川相
広島 高橋、野村
ヤクルト 水谷、池山
横浜(大洋) 山下、高橋、進藤、石井
阪神 真弓、平田、久慈
高橋慶彦に池山か
確かに厳しい >>879
攻撃時に使用するボールだけ近鉄は電熱器で温めていたって話じゃないの? 79年すごいな
規定打席到達者の中でセは37人中12人が打率3割
パは38人中13人が打率3割
対して防御率2点台前半以内は両リーグ1人ずつのみ 翌年の80年のパリーグ方がもっとすごかったぞ。
130試合制だったのに、総HR数が約1200本。
1試合に平均3本出てる計算。
この年以外で一度も2ケタHR打ってない西武の立花が18本打ってたり。
にも関わらず、この年22勝して、防御率2.28の木田勇は化け物。 阪神タイガース球団創設79年目の2014年鳥谷敬は自己最高打率の.313 あの時代はマシンの普及で打撃技術が向上してきてるってのに
ほとんどの球場は依然狭いままだったからな
そりゃ投手もたまらんかったろう
沢村賞の7つの選考項目(82年以降)の中で最難関は今と違って「防御率2.50以内」だった 加藤博一が通算628安打しか打ってないこと。
キャリアが長く、スーパーカートリオで屋鋪と高木豊と同格扱いだった時期もあった。
1000本ぐらいは打っているようなイメージがあった。 >>877
えっ?キャリアハイが20本くらいやないん?
打点は環境次第やけど、鳥谷のイメージ的には安定して2割8分の10本ちょい。 1年だけ大確変したしバース掛布とセットになってるから大打者ってイメージだけど
三振が少なくて寿命も短い広沢って感じの成績だな 長嶋茂雄 引退した昭和49年終了時点の通算安打数
1位2475安打 野村克也
2位2471安打 長嶋茂雄
長嶋あと少し安打を上積みできてればこの年通算安打数1位で終われたんだね
野村もその後張本に追い抜かれるが
昭和49年長嶋成績 試合128 打率.244 本15 打点55
野村克也 試合083 打率.211 本12 打点45
野村前年MVPで故障あったとはいえ長嶋以下の成績 岡田は85年以外は.280、20本をコンスタントに打ってたイメージ。
それでも主にセカンドでこれだけ打ってくれたらチームとしてはありがたいよね。 大島康徳の打率三割三分三厘は未だに違和感がある
たまに打つ年があるけど、大確変の79年を除けばせいぜい.290までのイメージが強い >>902
77、79、81、83、84年は評価出来るのが、それ以外は一塁手、外野手としては物足りない。 >>900
全盛期と呼べる12年間で10本代6回、20本代5回、30本代1回
ちなみに、掛布は全盛期の1976〜1985年に10本代1回、20本代3回、30本代4回、40本代2回
原辰徳は全盛期の12年間で30本代6回、20本代6回 田尾安志は90年にプチ復活してるが、一流選手として働いたのは80〜84年の五年間だけだったのは意外だった 田尾は新人王取れたのが一番意外じゃない?
規定打席の半分未満だしチームも4位なのに
67試合 166打数46安打 3本塁打 21打点 率.277 OPS.748 藤波や田尾が取ったのは該当者なしが続いたことに野球機構がこれではフレッシュなスターが出なくなる
しょぼくてもいいからとりあえず新人王選んでと記者に通達した故の副産物 田尾はスター性があったというよりはスターにさせられたって感じだったのかなぁ
西武以降しか知らないから全盛期のドラゴンズ時代の田尾を見てみたかった 西武ファンからしたら田尾よりも平野の方が全然格上の選手扱いだしな。 >>912
40本代なら99年00年に打っとるが・・・ >>911
そら、田尾と平野の西武移籍後の成績しか見てない、後出しジャンケンじゃんw
守備は置いといて、首位打者は取ってなくとも毎年、
首位打者争いの常連と3割ジャストがキャリアハイ(中日時代)でどちらかというと守備の人では
断然首位打者の常連の方がファンからしたら格上扱いだろ 広岡、森とつるんで名将の雰囲気がある近藤昭仁が全然ダメだったこと 原がスラッガーとして終わったのは自分的には89シーズン中の怪我だと思うとヤフコメに書いたら
ちげーよ86年に津田に手首をぶっ壊されたからだよヴァカwwwとフルボッコにされた事が有ったなぁ
やっぱり定説は津田の奴なのか?
スレ違いすまん そういう意見ってパッと見「あ、この人津田の直球で怪我したの知らないんだろうなぁ」って感じちゃうから
知識を自慢したいだけタイプの人間がとりあえず反論(っぽいこと)をしてくるんだよ
定説は津田の奴かもしれんけど自分の目で見てきた感覚が一番面白くていいと思う 原の全盛期はむしろ87と88だろ
87は落合と争ってベストナインとってるし
東京ドームで30本打ってるし(次に30本打つのは96松井)
津田に壊されたって方がいい話になりやすいだけ 本人があれで死んだとか言い張ってるだけで、翌年から2年連続の3割30HRだからな 原って生まれた時代が10年遅かったら巨人に入れても人気なかったような気がする
野球人気低下+FAで入団した選手に4番を奪われるから >>906
清原の最初の12年が30本代7回20本代5回
原より凄いな 新人からの連続20本以上の記録保持者だった有藤、原、清原。
3人とも成績の安定感はあったが、年間成績では極端にいい成績の年はなかった。
しかし新人で20本打つ選手が最近はいなくなった。
2003年の村田以来出てない。
2010年代は長野の19本が新人最高。 飛ぶボールの時代になでるようなフォームでHR打てることに味をしめてしまったからね。
最近ようやく強くコンタクトできるようになったが。
あれでだいぶ時間を無駄にしたよ。 T岡田って統一球がなければ通算400本もありえたと思う 真面目にやる国が少ないWBCで日本が2回連続で優勝逃したのも統一球で長距離打者が育たなくなったせいでもあるような気がする >>921
逆指名とFAの複数スター時代ならルックスの良さで由伸みたいなたち位置じゃないの?
つーか、10年遅いなら1991年なわけだが、それこそ喉から手が出るくらい欲しい時期
清原1位指名とか駒田吉村ブラッドリーのクリーンナップとかあるかも >>919
因みに88年の原は31本中、ドームでは10本だった。
34本打った前年は後楽園で17本だったらしいから、
ドームの影響は受けたのかもね。 ノムさんの通算打率が.277だと知った時はこんなもんだったの?と思ったな
でも確かに首位打者争いの常連なイメージは無かったし、三冠の年はワンチャン活かした感じだったんかね ノムは3割6回記録してるけど、2割9分も5回記録してんだよな
1968年頃から打率は下がり始めるけど、出塁率は1975年くらいまで頑張ってる
長い現役時代の後半生に割食ったかたちだけど、イチローも同じように少しづつ打率落とし始めてんだよな 逆に首位打者争いはおろかシーズン打率.320すらマークした事が無い門田博光が同僚の新井宏昌と大して変わらない通算打率.289を記録している事 >>932>>933
長寿選手は現役晩年で数字を落としちゃうんだろうね
シーズンの首位打者の話しと一緒だが、
積み重ね系のHRや打点と違って、
打率はどうしても落ちるから維持するのが難しいという >>931
フェンス上部直撃で本塁打を数本阻まれている。あれでポンセに負けた。
中日戦で豊田のトリックプレーに引っかかり、走塁拒否アウトってのもあったな。 原のベストシーズンは1988年だと思ってる。
クロマティも吉村も離脱して以降チームを「牽引している」感凄くあった。
1989年の序盤も凄かったね。 >>908-909
立浪の新人王も成績は酷い ドラゴンズが優勝したのも作用したんだろうか >>937
球場補正込みの傑出度だと88年が一番高そうな感じがする。
88年だと東京ドームはリーグトップクラスの打者不利球場だったと思うし、リーグ平均も打低の中で3割30本。 >>925
統一球ができる前に20代前半でホームラン王だからな
統一球最大の被害者だな >>934
門田は3割9回だから、なんら不思議で無い通算打率。新井は3割5回。そのうちの2回が3割5分超えで、通算打率を引き上げている。 新井はとにかく空振りしない打者という印象。篠塚より凄いよね。 東京ドームが投手有利球場だった時代もあるし、その前は横浜スタジアムがそういう位置づけだった
藤田巨人の3本柱を中心とする完投野球もあの球場あってのもの >>944
西武球場ってできた当時は日本一広かったのにホームラン多かったな >>946
79・80年はロッテと日本ハム以外のチームは飛ぶボールを使ってたからでは。 逆に東京ドームはあまりにホームラン出なくてボールで調整したんだっけ
よく聞くドーム球場の送風疑惑ってどうなんかね 東京ドームって実際は両翼100メートルないって実話か 東京ドームは当所は広い広いと喧伝されたので落合も流し打ちホームランを狙わなかったね でも落合は40代でも本拠地東京ドームでHR20本打ったな >>951
96からドームのボールが飛ぶようになったからね
ドームが狭いと言われだしたのもこの頃 からくりが狭いって言われ始めたのはナゴヤドーム・大阪ドームが開業した97年以降かな。 巨人は前年の視聴率が悪いと飛ぶボールで
打撃戦演出しようとしてた気がする
96,99、92とか (打率において)
あれ、そんな打ってたの?と思ったのが高木好一、得津、栗原
あれ、そんなもんだったの?が衣笠、片岡篤史、西村徳文辺り
後は現役だが西武の栗山がこんな打ってたのは意外だった 衣笠は3割打てなくて有名だったから全然意外ではないな。2割切りかけたりもしたし
84年以外は.270くらいのイメージ 84年の衣笠に対して、男の鏡だ→いや、人類の鏡だ→いや、霊長類の…っていうやくみつるのネタを思い出した 東京Dは両翼が深いことの他、フェンスが高いことでHRを減らさせた。
左中間右中間が膨らんでないのであのへんに打球が飛びやすい打者には影響小さかった。
原は両翼が多かったから、ダメージ大きかったね。130試合制で1988年の31HRは立派。 原は力んでポップフライを一万回ぐらい見掛けたイメージだけど成績悪くないね 85年 34本塁打
86年 36本塁打
87年 34本塁打
ドームできる
88年 31本塁打
89年 25本塁打
90年 20本塁打
91年 29本塁打
92年 28本塁打 89年90年は共にケガで一か月ほど離脱してるから、
大体91年92年くらいの数字で妥当なんじゃ?
衰えとも言えるかも知れんし、ドームの影響とも言えそう。
93年が明らかな大不振だったなぁ >>963
お前巨人ファンだろ
他球団のファンからは怖い打者だったぞ 原って王長嶋と比べられるからたいしたことないように見えるだけ 吉村が規定打席に到達したのは1985〜87の3年間だけ
原も3年とも規定到達してるのでこの期間で比較すると
打率は吉村が左の優位性もあって完勝だが
OPSは原の方が優勢で、RCWINでは原の完勝
原は過小、吉村は過大評価といったところか
原
1985 率.283 OPS.952 RCWIN2.77
1986 率.283 OPS.978 RCWIN3.76
1987 率.307 OPS.968 RCWIN3.57
吉村
1985 率.328 OPS.957 RCWIN2.38
1986 率.312 OPS.908 RCWIN3.36
1987 率.322 OPS.949 RCWIN3.20 昔は打率至上主義だったからな
それに吉村はエピソードが強烈だし 関係ないけど、吉村の1990〜1993年と桑田の1997〜1999年は燃えた >>968
>お前巨人ファンだろ
ああ〜これ何げに名言だなw
おれ>>963さんじゃないけど、おれも巨人ファンでそう思ってたw
と言うか巨人ファン限らず、応援してる球団の主力に対しては期待も込めてこういう風潮になるよねw
そして他球団の同じような立場の主力が良く見えるw
昔からよく言われる「隣の芝生は青く見える」w >>968
俺も>>963ではなくて、正に原と共に巨人ファンになった俺だけど、
他球団ファンがそう言ってくれるのなら、とても嬉しいw
>>975
そりゃイケメン原さんの方が上w 隣の芝だろうな。山田なんかもこういう場面じゃ絶対打たないとか燕ファンには言われてたりするし
原は先制HRはよく打つが切羽詰まった終盤ならクロマティか吉村のどっちかって印象
それでも通算成績とかタイトルは別としても小笠原とか村田よりはチャンスでは打ってた。サヨナラもそこそこあるし 87年だったか、球団オフィシャルの個人グッズの売上が吉村>原になって、
チームの顔交替みたいなことを週ベに書かれていたよ >>971
原が強打者過ぎてあきれた。OPSが1近いとは
そしてフライボールヒッターなので右打者の割に併殺が少なかった。 長嶋ファンが世の中的に声のでかい立場に多かったから、(巨人の4番サードを張ってる)原だけは意地でも認めないという風潮があったね。そこにマスコミが乗っかって叩きまくってた。大して野球見てないライトな他球団ファンも煽られて叩いてた
そういうのを子供の頃に見ていた団塊ジュニア以降は、逆にシンパシー含めて原ファンになってたな
原が監督になって名将と呼ばれるようになったのを感慨深く見ていた団塊ジュニア世代はもうおっさんになってた なんかのスレで、王貞治の最終年について出塁率やopsや長打率なんかの衰えでもう限界だったって話ししてたらひたすらホームランの話ししかできなくて、他の強打者との指標別の比較しても「王貞治は皆が知ってるから上」とかアホなこと言ってる奴がいたな >>983
Oの時代はFAや逆指名ないからそうでもないだろ >>984
勿論その分を差し引く必要性はあるとは思うけど、
80年代後半の戦力でリーグ優勝一回はやはり寂しい。
もっとも王さんはダイエーで名将の域に達したとは思うけどね。
原は長嶋から引き継いだチームで、
ほぼ戦力補強らしいことはせずに、
独走優勝&西武に4連勝したのが際立って凄い 監督としての王は原よりはちょっとマシっていうくらい叩かれてたよね OPSって総力の指標は入らないもんなの?
なんかあんまりアテにならないな・・・ 巨人時代の王なんていいイメージ1つもないぞ
中畑筆頭に嫌われてたし 藤本定義の監督成績
1657勝1450敗93分.533
巨人初代監督で阪神も二度優勝させた割には勝率があまり高くないような 王ラストイヤーはwar計算だともっと酷い評価のはず
今年の中田とドッコイくらい >>989
パシフィック→大映で勝率落としてるから >>990
ホームラン30本打てるから全盛期なんだってさ 松井秀喜より通算成績よい選手沢山いるのに巨人軍だから課題評価されてる
長島さんと抱き合わせ国民栄誉賞なんて烏滸(おこがましい)がましい
いぼ異母ガサガサでキモいよ
福本豊やイチローが辞退したのに松井は身の程知らず >>974
大洋戦で、田代に打順回ったときとかも
結構怖かったもんな。 >>993
松井が取れたのは、同郷の某政治家の力。地元では失笑する人もいたよ。 >>994
近鉄ファンにとってはブライアントは低打率の雑魚らしい 辻は大型セカンドというイメージあるからそんなに意外でもない このスレッドは1000を超えました。
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