意外だと思った成績3
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80年の広島の水谷。408打席に立ちながら、二塁打が5本。 >>113
本塁打は22本で前後の年とさほど変わらないのになあ
水谷は連覇した79、80年がちょっと成績落としてるのか 86年落合
2塁打11 本塁打50 長打61本
87年
ニ塁打33 本塁打28 長打61本
ボールが微妙に飛ばなったのか
ポーンとフライ上げる川崎球場打法から高さはいらないが川崎球場よりやや距離がいる距離がいるナゴヤ球場打法切り替に時間を要したのか >>115
多分後者かと。
しかし良いデータ持ってきたな。 >>108
清原を先に1億円プレーヤーにするために抑えられたの 秋山自身の成績は実はあまり関係ない >>115
1987年は二塁打王
HRが後半戦8本だったんだよな >>115
球場の広さは影響無いと思う。それに、85年、86年の数字をキープなんて無理な話だし、打率も3割3分1厘だからね。 秋山は黄金期後半の打率が意外に高いなと思った
どうも黄金期前半の.260 40本くらいのイメージが強くてな 後のダイエー時代によく見せたような右打ちを
会得したからな
軽く一二塁間抜く感じの 第二次長嶋巨人で勝率6割以上の年がないこと。
巨大戦力の割に勝ち方の効率は悪かった。
特に2000年とか。 >>124
だって弱点を放置したまま被っているポジションばかり補強しているんだもの。 逆に野村ヤクルトは4度の優勝のうち、3度は勝率6割以上。
95と97は当時のメンバーや開幕前の評価を考えたら、よく6割以上の高勝率を残せたなと思う。 ヤクルトは前評判が悪い年に限って躍進する変な球団だからな。
あと優勝する年は、外人が必ず救世主になる。 長嶋茂雄ほどのヘボでもあの戦力なら3年に1回は優勝できるんだな。 くじ引きで恐ろしいほど当たり引いてたヤクルトのが巨大戦力だけどな当時は >>129
その選手(主に投手)がモノになる確率も高かった。
そしてモノになった選手が故障する率も高かった。 長嶋茂雄は有能ではないが松井秀喜を一流に育て上げたのは最大の実績だと思う
高橋と仁志は育成成功
吉岡と大森が育成失敗かな >>131
大森は藤田時代に、もう失敗選手の烙印を押されていたのでは。
吉岡は96年にマントがハズレだったときにポジションが空いて使うチャンスがあったんだけどなあ。 高橋と仁志は1年目4月から活躍してるので育成ではなく即戦力だった。
パ・リーグでの吉岡は思いの外活躍したな。
長嶋茂雄でなければチャンスあったなー 立浪のシーズン最多二塁打なし
金本は最多四球6度だが最高出塁率なし 清原は巨人時代に121打点という普通ならタイトル確実だろというレベルの数字を残しているが
こんな時に限ってペタジーニがキャリアハイの127打点をあげて打点王をもっていってしまった
記憶では途中まで清原独走だったのが終盤で逆転されて2位に終わったって流れだったと思う
ペタジーニは他のシーズンでは120打点以上のシーズンはなかっただけに痛恨だろう 清原選手、1995年の本塁打王争いもツイてなかったですね。
ああいう年に故障するとは。 92年の清原は、ブーマーに1点及ばず打点王を逃した。この年も、一時期極度のスランプに陥っていた。やはり波の大きな選手には、タイトルは転がり込まないんだと、変に納得したのを覚えている。 王貞治の引退年
ホームラン30本も打ったのに打率.232 阪急ケージの
81年 31本.238
82年 31本.233
みたいなもんか >>141
走塁守備の貢献度も大幅マイナスだろうし
出塁率も王にしてはたいしたことないし
war大幅マイナスぽいよな 清原は終盤にタイトルがチラついてくると力みすぎてバッティングの調子を落としていた。 >>143
40歳の現役最後の年だから仕方ないわな
もう1年無理に現役続行してまたこれと同程度の低打率だったなら通算打率は3割を切っていた計算になる
ちなみに規定打席到達したシーズンで引退ってのはけっこう珍しいはず 1980年の王選手、打率は開幕から低空飛行なのかと思っていましたが、
オールスター時点で打率.287、21本塁打だったのですね。 >>147
選手寿命が短い時代に凄いな 王は何から何まで凄い
>>144
終盤にタイトルがちらついたシーズンなんて殆どなくね? >>147
70試合を消化して.287、21本、55打点。ちなみに、88年の門田が74試合を消化して.293、23本、70打点。打点以外は大差が無い。 >>146
>規定打席到達したシーズンで引退ってのはけっこう珍しいはず
投手だと思いつくのは小林繁ぐらいか。昭和58年に
チーム最多209イニング登板・13勝を挙げながら引退してるね
あと規定到達はしていないが赤星憲広の
「引退年に30盗塁以上(31盗塁)」 は、たぶん唯一の例 盗塁0のロートル正田を規定に達するまで使った広島はなにを考えてたのか
二岡を取るために二遊間はこんなに悲惨なんですよとアピールか 「NPBにおける引退選手」という括りだと松井秀喜なんかも入るんだろうか?
NPBでのキャリアは2002年で終わってるわけだし。 松井はその後10年間もMLBでプレーしたんだし、引退ってのは違和感ある。
「NPB退団選手」若しくは「NPB最後のシーズン」とかでいいんじゃないの?
イチローもこのままだと、同じ扱いになるな。 巨人での王の先達の川上も長嶋も
現役最終年も規定打席に達しており通算打率も3割台を維持したまま引退している
王も思うところがあったのかも 現役最終年に規定打席に到達した選手、
外国人選手やイチロー、松井選手のようにMLBに移籍した例を除いても
そこそこいますね。
現役最終年が戦前の選手を除いて23選手。
さらに規定打席到達シーズン数が5シーズン以上の選手に絞っても14選手がいます。
坪内(名古屋、'51)、杉浦清(国鉄、'53)、大沢清(広島、'54)
西沢(中日、'58)、川上(巨人、'58)、児玉利一(大洋、'58)
長嶋茂雄(巨人、'74)、土井(巨人、'78)、王(巨人、'80)
藤原満(南海、'82)、山本浩二(広島、'86)、衣笠(広島、'87)
正田(広島、'98)、新庄(日ハム、'06)
西沢、児玉の両選手は打撃10傑に入る打率でした。 新庄の100三振以上2回だけ。
あの低打率なら毎年のように100三振以上してるような印象があった。 阪神スペンサーがダメ外人扱いされてないこと
翌年の契約を勝ち取るほどの成績だったろうか スペンサーは「活躍した印象の割に成績の悪い人」だと思う 自分はカープファンじゃないので
野村謙が2000本も安打を打っている
緒方が1500本しか安打を打っていない
東出が1300本も安打を打っている
と言うのがそれぞれピンと来ない 野村と緒方はこんなモン。
野村はプロ10年目までは凄かったし、緒方はレギュラー定着するのが遅かった。
東出は確かに意外かも。
むしろ膝を大怪我した直後に菊池にレギュラー奪われてすっかり影が薄くなり
気が付いたら引退してたって感じ。 >>159
新庄のスイングは意外とコンパクトだからな
低打率だったのはミート力と選球眼の問題 昨日亡くなった衣笠の通算打率.270でシーズン3割を超えたのが1回しかないのも意外。
その1回も現役晩年の84年で、他にもこの年が最初で最後の100打点到達で
正にキャリアハイと言っていいほどの活躍だった。 逆に.270もあるのかってイメージ
打率が2割こえるのやっと最下位に2度もなってるシーズンあるし >>168
通算2000本安打を達成した以降のシーズンで初の打率3割というのは多分もう出ない記録だと思う
2000本安打達成するほどの選手ならそれまでに9割がた1度くらいは3割打ってるだろうし
また2000本安打達成してからは年齢的に力が衰えてるだろうからそこから3割打つのは難しい 3割いかない怪我人をかわりがおらず
酷使し続ける
本人は讃えられることだが
球団は恥だよな本来 オリックス時代の清原が本塁打二桁打った年があること 篠塚利夫は今の時代なら通算2000本安打達成したと思う >>172
カープはヤニキにFAで出て行って貰って助かったよな。 >>172
まあ打低の時代(75年まで)に安定して20本は打つ選手を下げる理由はないでしょ
73年と86年は擁護しようがないが 田淵が阪神時代に3割を打っていること。(75年)
ちなみに75年のセの3割打者は田淵を入れて僅か3人。 しかしなんで130試合にまで減ったんだろ。おまけにポストシーズンも短いわけで昔の野球は記録上も娯楽上もタンパクになりがちだな。 2003年のオリックスが、ダイエー相手に11勝もしていること
あの歴史的な投壊を考えると結構善戦してると思う 130試合しかないくせに
10月終盤になっても日本シリーズの裏で消化試合してたよな
雨が多かったのか昔は 1988年のドーム元年でさえ消化試合が問題になってロッテが20連戦とかしてたよな。
球場が関東関西に集中していたというのもあるかな。
ドームのなかった過去に140試合だったりしたのにw。 >>181
ASまでは、7勝7敗と全くの互角だった。
また、このシーズンだけでダイエーに20点以上取られた試合が4試合もあったにもかかわらず
年間のダイエー戦防御率が7点台に収まってるのもある意味ですごいかも。 あの年のダイエーも若手4本柱以外はたいした投手陣じゃなかったしな >>182
日本シリーズ出場チームが試合が残っていた場合どうするんだ >>186
1980年の近鉄がそのようなケースに該当しました。
2シーズン制の当時、前期日程の3試合分を消化できずに
後期日程の初日を迎えてしまったため、
結局、シリーズ後に残り3試合を行いました。 日本シリーズ終わったあとにペナントレースの消化試合とはすごいな…… その時の近鉄の選手は、何を目標にして試合してたのかね?
観客も公式発表で500人とか1000人とかだし(実数では多分100人くらい?)
ほぼ無観客試合の中では、全くモチベーション上がらないだろうし。
何気に久保が2勝してたり、代走専門の藤瀬が2本HR打ってるのが笑える。 昔は分が悪いとか先発がいないとか
未勝手な理由でたいして雨ふってないのに中止にしてたから試合消化が遅かった
三原やその弟子の仰木らがよくやってたらしい >>159
あの98年は三振65個しかしてないんだよな。もっともその内の1個は・・・ かなり雨が降ってても強行して「無茶するなー」という試合もあるけど、
昔と比べて球場の施設が進歩しているのもひとつの要因としてあるのかな? >>179
ところが翌76年セの3割打者は14人と激増
77年に至っては18人で当時のシーズン3割打者最多記録を更新 >>193
規定打席到達した野手34人のうち打率上位18人が打率3割台
過半数が3割打者というのはそうないだろうな 今はどのカードも客がそこそこ入ったり
放送が入るのもあるのかな
チケット返金の手間だけでもばかにならないし 阪神の山田勝彦が、2000年に打数が少ないながらも.319の打率を残してる事。
それまではシーズンでも2割打つのがやっとの選手だったのに、何があった?
翌年も.276とかなりの好成績。 >>197
そういや阪神の生え抜き捕手が規定打席到達したシーズンってほとんど記憶にないな >>199
山田や梅野も規定打席に届いてないし
88年木戸までさかのぼるのか
木戸も二桁本塁打の85年は規定いってないし 山田って結構体格いいよな
体格だけなら矢野より打てそうなくらい >>199
捕手オンリーなら、今のところ1988年の木戸が最後のようだ
外野もやりながら、なら1995年の関川もいるが >>200
ロッテも、長い間捕手の規定打席到達がなかったんだよな。
調べた限りでは06年に里崎が到達して、これが85年の袴田以来
21年ぶりで平成になってからは初めてだった。
番外で、近鉄も最後の規定到達が85年の梨田で
球団消滅まで、規定打席到達者なし。 >>197
矢野が来て刺激されたとか
野村の教えとかじゃね? 中村武志とか谷繁とか西山とか基本超低打率だけど一年だけ好打率残す捕手は多いじゃん
捕手は打率下がってもそんなに代わりいないから他のポジションと違って低打率の選手でも試合に出れちゃうが逆に試合に出続ければたまたま巡り合わよく打率を残しちゃう年もあるんだろ 現役でいうと中村悠平が14年に.298打ったし >>203
捕手の規定打席到達ってのは難しいんだな……
阿部とか古田とか谷繁みたいなのが異質なだけで 85年の阪神岡田が打率.342も打っていたこと
.320前後だったかと思ったらもっと高くて驚き 高橋慶彦 通算163HR シーズン20HRも4回記録
足技の小兵というイメージだったがパンチ力あったんだね 大野豊投手
規定投球回数到達はわずか6度。
しかし、そのうち5度は防御率2点台か1点台。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています