V9後の巨人でいちばん強かった時期は?
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候補
2年連続リーグ優勝の第1次長嶋監督昭和51、52年
第1次藤田監督時代の3年間(日本一、2位、リーグ優勝)
第2次藤田監督時代の平成元年から翌年リーグ優勝決定サヨナラ弾まで
第2次長嶋監督〜第1次原監督までの3年間
第2次原監督時代の平成19年から21年にかけて 昭和51,2年→王、張本を中心にした打線、「OH時代」
昭和56〜58年→江川、西本によるエースを巡る争い、若大将原が4番に君臨する
までの「江川、西本、原時代」
平成1〜2年→ミスター完投・斎藤雅樹と共にあった「斎藤時代」
平成12〜14年→ゴジラ松井のメジャー行きと同時に終焉した「松井時代」
平成19年〜21年→小笠原、ラミ砲の移籍組、阿部が活躍した「オガラミ時代」 俺も個人的に好きなのは02年
長嶋から引き継いだチームを大した戦力補強もせずに
(元から戦力あったといえば、それまでだがw)
独走V+90勝西武にストレート日本一は痛快だった。
なお、それ以降はいつもの巨人に戻った模様 FA逆指名や張本の既成戦力寄せ集めなんかチーム力と認めたくないけどな
ON以降は伊東キャンプメンバー時代を推したい
セゲオ最大の功績だと思ってるけど、何故に後年はクレクレ爺に成り下がったんだか >>8
01年も長嶋じゃなければ優勝できたんじゃないか
高橋松井清原江藤がいる打線で優勝できないのがおかしい 俺的には平成2年に「黄金時代到来!」と思ったんだけどなあ、あのシリーズ… >>10
一つだけ気になるのは清原はシャブやってたかどうかだな
それによっては参考記録扱いになるかも 89と90年は、やること成すことうまく行き過ぎた感がある。 野手の故障者出まくりでも独走、日シリで完全体完成で大圧勝の2002
まあ強いよな アンチだけど81〜83年あたりの巨人は魅力的だった 江川、西本、定岡、加藤、角、山倉、中畑、篠塚、原、河埜、松本、ホワイト、
トマソン、スミスに槇原、駒田、吉村がデビューの頃か 1993年以降も自前で選手育成できてれば松井を軸にした良いチームになったろうに、逆指名で青田刈りにFA乱獲
松井の後は打線の軸が外様頼りだからな いや2009でしょ
あの時の強さは完璧
今年の広島よりはるかに強い
ソフトバンクにも勝てるかも… 09の勝率も確かに強かったんだけど、
それほど強かったとも思えないハムに2敗してるのが、
今一つ解せなかった。 昔は優勝しなきゃ読売の部数落ちるとか言われて優勝は急務とされたみたいだけど、今の時代ネット全盛に球団人気のローカル拡散でそんな求心力あるとも思えないし、3年とか5年とか使ってじっくりチーム作りに向き合えないのかな 09よりは12だな
飛ばないボールだったのが大きいけど
本拠地が東京ドームで
チーム防御率が2.16 >>22
3〜5年経っても、それなりのレベルの野手が出てこなさそう。
それぐらい今は野手を育てるノウハウ持ってないでしょ。
主力野手が流出しても、どんどんオールスターレベルの野手が出てくる西武とは大違いだ。 12は規定未到達含めても借金持ちの投手が誰もいなかったな 大田の件で育成能力の無さを晒してしまったし
今年はエースの勝ち試合が全て1失点以内って信頼ないよなあ
原の縁故がなけりゃそのエースも本来いなかったはずの人だし 12よりは09じゃね?
12はチェン消えて浅尾劣化した上に監督がジョイナスという
大して強くもなかった中日と途中までいい勝負してたし
他はどうしようもない雑魚ばっかだった
09は横浜以外はそれなりに手ごわい中圧倒的な優勝だからな 個人的には2012年は交流戦に優勝してるのが
パリーグにも強かったって事でより良いイメージになってるな
1番好きなのは2002年だけど
この年は松井上原がすごかったし
阿部が何度もサヨナラ打を打ってたな 1989年でしょ。
何せ投手陣が凄い。斎藤槙原桑田の三本柱
を中心にガリクソンや宮本香田木田と豊富。
打撃陣はクロマティだけが飛び抜けている
イメージが強く、原もホームランは30本を
切ってたけどバランスが取れていた。
名将藤田監督の下で正に盟主の風格をもって
野球やってたのはこの年。
俺がこの年の巨人の勝ち試合で強い印象を
与えたのは槙原と広島の大野の投げ合い。
確か1対0で槙原が投げ勝った試合は「こういう
試合ができるチームは本物だわ」と印象付けた。 後から振り返ると1990年も感慨深い
前年までに出揃った三本柱に宮本、香田、水野、駒田、川相、岡崎
木田、村田の覚醒に吉村復活、90年代の巨人を背負って立つ(と思ってた)緒方
10年目の原
第二次藤田政権の中核が出揃った
藤田政権はクロウ以降の外人がメジャー実績のある選手だったのも無駄に夢があって良かった
そこそこ売ってくれたし 89年から92年の流れを見ると、
中学で喧嘩最強とかいきがってた奴が高校上がって、そこで他中学出身の強者に
ボコボコにされてシュンとなり落ち込み、そのあとショックから少し立ち直った
感じに見える。 02・09・12っていう意見が多いな。
12年は、開幕後1ヵ月くらい何であんなに負けてたのか理解に苦しむ。
5月以降は最強だったけど。
02年も、W杯期間中まではけっこうモタモタしてたんだよな。
ドームのヤクルト戦で、坂元にノーノーさせられそうになってからの逆転勝ちで
一気に波に乗った。
主観的には09年かな。
危ない時期もほとんどなかったし。 90年の巨人ってオリックスや近鉄より弱いような気がする
クロマティ原が不調だから 斎藤が終盤メロメロだし、あの年の巨人だったら近鉄も勝てたかもな 90年は、日本シリーズ3勝4敗ならば、もっと評価されただろうね。 >>39
89年は日本シリーズ0勝4敗なら評価されなかったな リアルタイムで見たのが原4番だったから、それ以前はわからない リアルタイムで見てた時は外人がメジャー実績ある選手いっぱいいて無駄にwktkだった
選手名鑑見るの楽しかったもん
たしか野球ポテチのカードはメジャー成績載せてなかった気がするけど
がっかりした記憶が 最強は81年でしょう。
5月から独走態勢で、日本シリーズも危なげない勝利。
これだけ安定感のあったシーズンは少ない。 一番進んだ野球をやっているのが巨人、という時代っていつまでのことなのかな?
野村の本では、ある時までは巨人は自分たちが一番進んだ野球をやっているとの自覚があったと書かれてあったが。 オガラミを坂本阿部亀井谷で固め
たまーに出てきて特大ホームラン打つ李
こんなもんどうやって抑えるんだよって未だに思う
まあ何が言いたいかっていうとこの打線をカモにしていた能見こそ至高ってこと 90年、9月の初旬、まだ夏の雰囲気の時期に優勝決定って凄すぎるわ。 外様を譜代が固めるってのもなあ
たまに出てくる決定力も助っ人だしなあ
今さらだけど連合軍みたい まあ投手も
ゴンザレス グライシンガー クルーンが主役で
内海 山口鉄 高橋などの生え抜きなんかは脇だったからね
巨人ファン的にはあまり好きになれない年かもしれない 09は投手陣が外国人頼みだったから翌年あっさり崩壊した 09年はゴンザレスがあんなに活躍するとは思わなかったな オビスポなんていうのもいたな
ホント外人頼りの年だったが確かに強かった
.290 32本の捕手が7番って頭おかしいわ >>54
07〜09、(10、11)、12〜14は一応、
黄金期と言って良いのでは
原が日本一になるときは勝率が高くてポイント高い 同じ3連覇でも2007〜2009は年々チーム成績が上がっていった。
逆に2012〜2014年は毎年少しずつチーム成績が下がっていった。
現在もその傾向に歯止めがかかってない状態で2017年はBクラス落ち。 >>8
松井がNYY行って清原一派が増長し始めたのがな
結局、高橋には人の上に立つ資質がなかったってことで 原が監督の時の3連覇はいずれもCSでの惨めな負けっぷり(07、14)が目立つので最強とは言えない
そして外様に頼りすぎ。生え抜きが少しずつ育つ楽しみがほとんどない
3年で2度優勝、1度は0差2位の第一期藤田巨人が最強 藤田第一次は中核選手が81〜87年くらいまでの長期に渡って健在だったから印象深いんだよな 藤田第一次で外様選手は加藤初くらいかな?
あとは生え抜き(外人は別)だから、評価できる。 藤田一次はユニもV9時と同じなのが良い
牧野さんもいたしな 強さと関係ないけど藤田第二次は1990年からって思い入れが強いんだよな
吉村復活と捕手の村田が頭角あらわしたのが印象強くて 弱い強いの議論に生え抜き外様云々言い出す奴は何なんだ ただ単にネット世代の多数派が
団塊が支持した長嶋が嫌いで藤田持ち上げてるだけだろ
藤田巨人とか二回の日本一以外評価できない
若手育成もできてないし投手も使い潰した
王や2期目長嶋が就任当初苦戦したのも藤田のせいともいえる べつに長嶋を嫌ってはいないよ
現役時代なんかしらないし、監督としては第一次と第二次で功罪パーにしたと思ってるから印象としては極めてニュートラルだし
ただ、補強で固めたようなチームと育成して作り上げたチームの強さを同列には語りきれないと思ってるだけで 長嶋世代は藤田は長嶋が育てた戦力で
勝っただけとしか思ってないんだよな 第二次長嶋時代のスローガンは『スピードアンドチャージ』だが、機動力ゼロ。一番打者の仁志さえ、内野ゴロ打つと、一塁にタラタラ走る始末。元木に至っては、ジョギングのオッサンに抜かれそうなスピードだった。 機動力野球よりも長距離砲を揃える方が得点力上げるためには有効な方法だと思うが。
あの当時だと、古田、中村、谷繁といった強肩捕手がリーグに揃ってたし
機動力野球したところで機能したかどうか。 いちばん強かった時期は?
ってスレ なんだから
外様云々は関係ないわな 長嶋第二次は仁志と清水が2002年まで結構走ってるけど、それ以降ぱったり数が減ってる
藤田第二次は緒方
だけど、巨人で足といったら藤田第一次の松本だよな
イメージは代走鈴木の方が強いかもしれないけど
あと、河埜もかなり走ってる 生え抜き外様関係あるやろ
はっきり言って他球団からFAや外国人を金積んで乱獲して勝つ野球なんて
原や巨人じゃなくても誰でも勝てる。強くて当たり前。
長嶋と原がそういう野球を推進してファンの心は巨人や野球から離れていった。
ファンの思い入れが少ないのも当たり前。
原は最終的に落合中日の連覇を許してるのもマイナス 生え抜き外様が好き嫌いに関係あるってならわかるが
強い弱いに関係あるって考えはわけわからんね
好みとか思い入れの問題でしかないじゃん >>>74
ただの単年上の数字上の勝敗だけでなく、どう強くしたか、どのように次世代の選手を育てたかというのも「強いチーム」を振り返る上で重要な要素だろ
藤田は第一次に原吉村駒田槙原、第二次に斎藤川相村田真を育てながらだからその点も悪くない
原の野球は育成面では弱点を外から金積んで獲るだけのいきあたりばったり野球
そのツケが全部高橋へ 2000年以降は巨人が強い時期の方が野球人気が無くなった印象 >>75
それ言い出したらキリがない。
藤田も第二次のときのドラフトでとった選手が壊滅的だったから
次の長嶋の時代の乱獲につながったとも言えるし。 2000年以降の野球人気は球団のローカル拡散で一元的に見えにくくなってる部分があるから巨人とひと口に言い切れないんじゃないかな >>75
俺はそんなの重要な要素だと思わないね
12年とか09年とか個人的には全然思い入れなんてないけど
あくまで「一番強かった時期や年」を語るスレではそれらを挙げるってだけ
個人的思い入れで好きな年でいいなら俺は02年
この年の松井は.334 50本 107打点 OPS1.153で
傑出度で判断しても
V9後の巨人で最強打者だったと思ってるので >>78
長嶋や原の乱獲が巨人人気を低迷させたのは確か
2000年に工藤江藤を両獲りして日本一になったが視聴率はガクッと落ちた
ライバルチームにもいい選手がいないと興業は盛り上がらんよ
ましてや他球団が苦労して時間かけて育てた選手 あの年の松井は、前半戦15本くらいしか打ってないんだよな。
後半戦だけで30本以上打った。
チームも優勝決めるまでは本当に強かった。
優勝決定試合では、阪神に負けたけどw V9末期、森西武末期、落合中日末期あたりに共通して言えるが、
若手の突き上げがないチームってなんか勝ってても強い印象ないんだよな >>83
あなたは何歳なの?
V9末期をリアルタイムで見てた世代? スポーツってリアルタイムで見るのと結果を知ってて後から見るのでは、同じ内容でもだいぶ印象変わるからな 若手・生え抜き厨うぜえ。
若手・生え抜き主義でいってたら、多分3年に1回すら勝てずに、今よりもっと人気がなくなってた可能性もあるんじゃないのか。
巨人が強いからファンでいるという層もそれなりにいるだろうし。 >>86
勝てなかった王巨人のほうが原巨人より人気があったんだよなあ
たいしていもしない「巨人が強いからファンでいる層」に長嶋原ナベツネらの阿呆が媚び続けた結果が今の不人気巨人 >>87
さすがに80年代後半と原巨人の時代では野球を取り巻く環境が違いすぎて一概には比べられないだろ。 ライブで見てないと野球人気の差って分からないものね 地方では逆に野球の露出度が高まってるのも知らないんだろうなあ
地方の地元球団が得た人気は、そのまま長嶋原ナベツネの三馬鹿により巨人が失った人気 いつもと同じ藤田時代の懐古が異常に騒ぐスレか
藤田がサード岡崎とかしょぼいメンツしか育てなかったから強さも人気もなくして長嶋が担ぎ出されたんだろ そんなやくみつるみたいな難癖つけ始めたら土井も黒江も森も華がなくてしょぼい 藤田第2次ドラフト&入団組は壊滅状態だったよなあ
強いて言えば元木、石毛くらいか?戦力になったのは
吉田修や吉岡がものになったのは移ってからだし 子供のころちょうど藤田が監督だったから
懐古で贔屓してるだけっていえば楽になるのに >>94
野手で二軍から上がってくるのも
緒方井上らドン川上の後輩と
慶応の後輩上田くらいのコネ優先だったよな
投手では木田を育てたようで90年に先発抑えで使いまくってたし
木田は長生きしやが90年を超えることは1歳なかった >>98
川相と村田真は誰のコネですか?
投手では斎藤宮本も育ちましたが 斎藤は王時代はただの中継ぎ要員に過ぎなかっただろ。宮本、川相、村田なんてほとんど使われてなかったし。 だから藤田が抜擢して育て上げたと言えるんじゃねえか
何が言いたいかわからん >>103
川相は守備代走要員で87くらいからずっとベンチ入りしてた村田も肩の故障期間以外は一軍にいたほど着たいされてたぞ
斎藤は85年に12勝 宮本も先発中継ぎでよく投げてた >>97
清水ってむしろ長嶋に冷遇されてただろ。あれは育てたとは言わないよ。 藤田厨が思い入れ補正理論で大暴れ
ただそれだけの話 ただのベンチ要員を長年のレギュラーに育てた実績を貶めるのは無理ありすぎるやろ
>宮本も先発中継ぎでよく投げてた
4年で3勝しか挙げてませんが。左腕不足だったのに。 ネットだと藤田は決まって90年ペナントまでしか評価対象にならない
その後の4連敗からはじまる迷走はなぜか
なかったことにされ、長嶋叩きに走る >>109
藤田が抜擢した川相や村田
さらに守備位置を固定された駒田岡崎はいずれも中途半端な選手で人気も巨人の選手にしたらなかった
この辺も視聴率低下の要因のひとつでほぼ追放状態だった長嶋復活に繋がった >>110
西武コンプレックス乙
原のCSスイープ(しかも二度)も同じくらい恥ずかしい 川相や村田真は長嶋もずっと使ってたじゃねえかw
何言ってんだコイツwww
日シリじゃ緒方に助けられてるし 長嶋叩いて藤田を適当に持ち上げる
これがネット創世記からの流れだからな 長嶋と原は巨人人気を壊滅させた二大戦犯だからな
むしろ肯定される要素がない V9以降で誰が名将か ってスレなら、
外様だのを除いて育てたとかも考慮して良いと思うが、
スレタイに沿って純粋に「強かった時期は?」ってことなら、
どんな手段でも強いは強いでエエんちゃうの
好みは好みとして書いときゃ良いと思う。
個人的には最低でも日シリ制覇は必定条件で、
あとはリーグ戦勝率が630程度以上だと見栄えが良いかな。
主砲とかエースがしっかりと数字を残したのもポイント高い。
リーグ戦だけなら87年も好きだけど、シリーズコテンパンだったから、
個人的には02年かな。 藤田末期以降本当に巨人が強くなったのって2000年以降だよな(まあそれも松井放出ですぐ暗黒化するが・・・)
94は日本一になったとはいえ成績自体は平凡
96は広島がこけたおかげで逆転優勝するもオリックスにあっさり捻られた
あれだけ低迷が続いたのは藤田だけのせいでもないだろ 日本シリーズで西武にストレート負けしたショックを引きずった感じ。
まるっきり勝負にならなかったものな。 原時代って日シリの名勝負がないよな
09年に野村楽天、14年にソフバンとの対決が見たかった >>125
どっちも敵将の采配ばっかりクローズアップされた感じ
渡辺はともかく星野に負けるとは思わなかった
原は短期決戦に強いのか弱いのかようわからん
02は伊原が自滅したし、09はダルビッシュが病み上がりだったし
がっぷり四つに組んで完勝したと思えるのが12しかない 好きなチームじゃなかったけど
2000年はうんざりするくらい強いなと思った。
途中まで打点トップだったマルチネスを外しても清原が代わりに勤めを果たすし
工藤が夏休みとっても河原が代わりに出てきて連続完封するし。
一人二人欠けてもまるで大丈夫という感じで
層が一番厚かったのがこの年だと思う。 >>127
勝率が.578しかないのが意外な感じ。
たしか7月初旬ぐらいまではそこまで抜け出してなかったはず。
長嶋待望の5点打線が完成したのがこの年だが
川崎や伊藤智のような一線級には弱いけど
二線級が出たときにボコって数字を稼いでた印象。 FA逆指名軍団でもよく見えたのはその中にいても主役張った松井秀喜がいたからなんだよな 松井が柱になってるのは見栄え良いよねぇ
別に優勝した訳じゃないけど、
松井、高橋、上原、二岡、仁志、清水という、
自前(一応w)メンツが揃った99年は楽しかった。
MTが揃ったベストシーズンなら99年を推したい。 >>130
その点、2009年は柱となってる選手がほとんど外様か。 外様野手が軒並みスぺったけど、
1番清水、4番松井、エース上原、ストッパー河原、
という柱となるポジションが完全に機能すれば優勝する
ということを証明できた02年はポイント高い。
上原、二岡、桑田と工藤まで復活したのもポイント高い。
若手の起用が次々と当たったのもポイント高い。
一番抜けちゃいけないポジションが抜けると、
こうもチームがガタガタになるのかと逆の意味で翌年も証明したが(´・ω・`) 09は高田ヤクルトというあからさまな忖度球団がいてポイントが低い
高田消えて小川になったら崩壊さてるし
そういうチームがいないでみんなガチで攻めて勝ち切りした02とかが強いと思う
80年代は関根がそうだったし とりあえず02年は日本シリーズ4タテしたっていう
わかりやすい売りがあるよな >>133
00なんかは逆にヤクルトが川崎伊藤石井ばかりぶつけてきて
巨人にだけは本気出してきたよな
星野の提唱した巨人包囲網が上手くはまり
得失点差大幅マイナスの中日が2位になるなど割と面白いシーズンになったが
難なく優勝した 交流戦ができてからはハムがずっと忖度球団化していて萎える
とくに栗山になってからは 99年は上原新人20勝、由伸30発、松井40発、二岡がレギュラー獲得か。確かにすげえ楽しかったな
その前2年くらいが清原だダンカンだガルベスだミスター丸坊主だですげえチームがガタガタしてたから久しぶりに野球楽しいと思えた >>134
ミスターになってからも元木と後藤が長年やってるくらい人材難のポジションじゃん
96だけ新人の仁志だったけど
江藤来てから小久保小笠原村田と15年以上ずっと外様 岡崎なんて打率低いし、長打はないし、脚遅いし、守備下手、将来性なし
少なくとも元木には将来性という売りがあった、あの時点では 打率低いし、長打はないし、脚遅いしって全部元木もじゃねえかw 元木って川相の牙城が崩せずにセカンドに行って
そしたら仁志がコンバートでセカンドにきて
仕方なくサードに行った感じ。 >>23
飛ばないボール時代にキャリアハイの阿部と長野の存在がデカイ >>31
大野と槙原で勝呂が打ったのは前年の88年だぞ >>57
日本一→シリーズ負け→リーグ優勝→2位→3位→4位
この流れだと5位になってしまう 元木後藤川中
この辺レベルがレギュラーで優勝しちゃったようなもんが藤田巨人二期
そりゃ人気なくなるよな >>69
81はあったぞ
チーム最多ホームランが22本の原だったくらい
3割も篠塚と中畑だけ
走れないのは篠塚くらいでホワイトなんかも結構走れた >>94
石毛はドラフト外だからドラフトじゃないけどな >>146
そうやって選手起用と視聴率に難癖つけてヨソのスター選手ばかり獲ったら誰も巨人戦を観なくなりましたとさ >>109
宮本と香田は王監督時代に若手で出てきた直後に怪我で戦線離脱して89年後半に出てきた 藤田二次の華のなさは大森元木のどちらかがしっかり育ってればまたちがってたんだろうな
あのドラフトのボタンの掛け違いは本当に痛かった
というか、2位を拒否した大森のせいか? 藤田二期ですぐ思い浮かぶ野手が川相岡崎駒田
だからな 地味な極み >>148
ドラフト&入団組となってるからドラフト組限定ではなかろう 個人的に藤田二期で1番印象に残ってる野手は上田
しょぼい割には出番が多かったって意味で >>144
特に勝呂とは書いていないのだから、
89年の試合のことかも知れんぞ
ttp://2689web.com/1989/GC/1989GC.html ttp://2689web.com/1989/GC/GC8.html
ごめん、こっちだわw そういう考え方はFA導入後の時代に適応できていないんだよ。
外様という言い方をして、選手間に垣根を作るのは良くない。 西武「生え抜きがみんな出ていくウチよりも全然マシ」 >>160
新人時代二軍時代控え時代からチームにいる選手に感情移入するファンが多いのは自然なことだと思う
ヤンキースでもジーターバーニーリベラポサダといった連中は人気あったろ
補強がすべて悪だとは言わないが、相変わらず連れてくる選手が山口俊だ森福だゲレーロだ、じゃなあ、、、
なんでこんなに素行や態度に問題ある奴ばっかなんだ あめぞう〜2ch黎明期
の巨人は活きのいい若手ばかりで楽しかったが
そのため新参ファンも多い時代で彼らが衰えきった斎藤を
いつもバカにしてるのが悲しかった ある意味94年じゃね?
内容はヘロヘロの優勝だったけど三本柱が揃って好調だった上、松井の成長、落合の加入、で末期とは言え森西武にシリーズで勝った。 ヤクルトとしょっちゅう乱闘やったり見てて楽しかったなw94 王時代は日本一にこそなっていなかったけどマスメディア的には一番美味しい時代だったのは間違いないと思う。 藤田二次は、投打とも王巨人時代の控えだった選手を主力に抜擢して勝てた時代
89や90は出木杉で、91や92あたりが実力だった
そりゃ近鉄や西武にはなめられるよなあ 王は巨人でもダイエーでも華のあるメンツをずらりと並べるが、いかにも大味でメンツのわりに勝てなかった
あと控えとめちゃくちゃ差があって故障者出ると悲惨なオーダーに化してたのも共通
88巨人08ソフトバンクとか最後の方めちゃくちゃなオーダーだった それでもスタメンだろうと控えだろうと安定して弱い当時の大洋や阪神やロッテに比べたら全然マシ。 そのドン底阪神に1つしか勝ち越せなかったんだよなあ>88年の巨人 88年は下位球団に手こずってたはず。
ヤクルトにも苦戦してた。
逆に89年は下位球団をカモりまくってたけど。 王監督は斎藤を見出せなかったのがすべて
サイドは中継ぎと決めつけてたふしがある >>168
そのあたりがいまだに名将って言われる所以だよなぁ。
(俺もだが)藤田監督は読売ファンよりも他球団ファンからの評価が高いと思う >>168
藤田マジックというイメージ先行が斎藤雅樹の成長とクロマティの覚醒と相まって90年のスピード優勝までは良かった
やっぱり西武の4タテ
このあたりから藤田マジックの種が明かされ化けの皮がはがれ出した
92年にモスビーと大久保でプチ復活したが優勝は無理で
そこから長嶋茂雄信奉が始まった >>168
控えの津末や有田のサヨナラヒット、広島戦で原のセンターフライを長嶋が落球とか89年は特に神がかってたな >>176
落球なんてあったっけ?
単に前進守備が裏目に出たんじゃ? 02はストライクゾーンを都合よく変えて優勝したからずるくて好きじゃない
読売はすぐゴールポスト動かすんだよな
85年にバースに打たれ過ぎて腹悪いから下げ、05年に阪神中日に抑えられたから2段モーション禁止とかな
あまりにも理不尽で戻したら同じような戦力に同じ監督なのに弱くなっていた 02年新ストライクゾーンって
巨人の都合で変わったのか? 2002年のキャンプでは
中村ノリが「松坂のためのゾーン、松坂ゾーン」と言ってたな。
前年、近鉄ローズは55本打って、投壊の近鉄が優勝した影響が大だろうな。
1981年なんかも、
前年本塁打新記録でチーム防御率5点近い近鉄が優勝という大味極まりないペナントになったことで
圧縮バット禁止になったりで
単にそういう揺り戻しが何年かに一度あると言うことで
別に巨人を有利にするためにそうなったわけではない。 有利にするつもりでなくてもジャンパイアが悪用しやがった MLBのフライボール革命
時代が80年代の巨人の四番の原さんに追いついてきた イチローを見出せなかった土井はさんざん言われるけど、
斎藤雅を見出せなかった王はそこまで言われてないな 昭和51、2年のセが打高なのはボールが変わったのか?
王の記録を焦って >>38
別に1人で決まるわけじゃない 9人の合計だと王時代の巨人は魅力あるチームだった
篠塚、クロマティ、中畑、吉村…
だいたい原にしたって毎年OPSが1近かった安定した強打者 スーパー強打者ではなかったが >>187
ってかプロ野球全体で、でしょ。いきなり防御率が悪化してるし。 665 名前:神様仏様名無し様[sage] 投稿日:2017/10/25(水) 15:49:47.16 ID:j57cieZ2
セ・リーグ年度別合計本塁打数
〜1970年代〜 〜1980年代〜 〜1990年代〜 〜2000年代〜 〜2010年代〜
1970年130試合 642本 1980年130試合 849本 1990年130試合 784本 2000年135試合 818本 2010年144試合 863本
1971年130試合 616本 1981年130試合 806本 1991年130試合 711本 2001年140試合 781本 2011年144試合 485本
1972年130試合 773本 1982年130試合 753本 1992年130試合 725本 2002年140試合 826本 2012年144試合 454本
1973年130試合 679本 1983年130試合 935本 1993年130試合 731本 2003年140試合 987本 2013年144試合 714本
1974年130試合 826本 1984年130試合 910本 1994年130試合 685本 2004年138試合.1074本 2014年144試合 738本
1975年130試合 747本 1985年130試合 947本 1995年130試合 790本 2005年146試合 920本 2015年143試合 571本
1976年130試合 967本 1986年130試合 810本 1996年130試合 765本 2006年146試合 821本 2016年143試合 713本
1977年130試合.1050本 1987年130試合 882本 1997年135試合 775本 2007年144試合 818本 2017年143試合 718本
1978年130試合 910本 1988年130試合 684本 1998年135試合 662本 2008年144試合 728本
1979年130試合 945本 1989年130試合 707本 1999年135試合 832本 2009年144試合 769本
パ・リーグ年度別合計本塁打数
〜1970年代〜 〜1980年代〜 〜1990年代〜 〜2000年代〜 〜2010年代〜
1970年130試合 821本 1980年130試合.1196本 1990年130試合 905本 2000年135試合 753本 2010年144試合 742本
1971年130試合 911本 1981年130試合 812本 1991年130試合 792本 2001年140試合.1021本 2011年144試合 454本
1972年130試合 830本 1982年130試合 772本 1992年130試合 729本 2002年140試合 869本 2012年144試合 427本
1973年130試合 765本 1983年130試合 882本 1993年130試合 660本 2003年140試合.1000本 2013年144試合 597本
1974年130試合 680本 1984年130試合 945本 1994年130試合 720本 2004年133試合 920本 2014年144試合 623本
1975年130試合 703本 1985年130試合.1050本 1995年130試合 624本 2005年136試合 827本 2015年143試合 647本
1976年130試合 659本 1986年130試合.1006本 1996年130試合 723本 2006年136試合 632本 2016年143試合 628本
1977年130試合 699本 1987年130試合 804本 1997年135試合 668本 2007年144試合 642本 2017年143試合 782本
1978年130試合 724本 1988年130試合 810本 1998年135試合 733本 2008年144試合 752本
1979年130試合 934本 1989年130試合 893本 1999年135試合 737本 2009年144試合 765本 >>187
ハッキリ分かっているのは、阪神が前年ようやく念願のホームラン王に輝いた
田淵を援護すべく、ラインバック&ブリーデンと前後の打者の補強に加えて、
甲子園のラッキーゾーンを更に前に出した(ちなみにボールも飛ぶ仕様に変えた
とも)事。
掛布の台頭もあり、チームホームラン数が前年137本→193本(当時NPBタイ記録)
と思惑通りの大幅アップに成功し、チーム防御率も前年3.34(リーグ4位)→3.54
(リーグ1位)と数値そのものは悪化しながらも、リーグトップに立った事も相まって
最後の最後まで巨人を苦しめた。
但し翌シーズンまでにはそのカラクリがどうやら他チームにバレた模様で、翌1977年
の4位低迷→1978年阪神初の最下位と・・・・・・。 >>192
そんな小細工する位なら田淵がスペらない様万全の対策をする方が先だろ。 すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
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