守備が下手くそだった外野手 [無断転載禁止]©2ch.net
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金本知憲は阪神時代末期だけとか言ってるにわかが多くて困る
広島時代の金本のあだ名がモグラ叩きだったことすら知らないのか・・・ >>3
モグラ殺しじゃねーの?
にわかはおまえだろ 張本の守備は本当に酷かった
レフトフライが上がって、前進したかと思うと、慌ててバックし始めて
落下点に入るのもままならなかった 左中間のライナーで真横に走るレフト大豊
フライがあがるととりあえず全部前に出ちゃうライト川又 強肩で足も速いのに単純に外野守備下手っている?
ちなみに弱肩だったけど、足は速い松本匡史は守備範囲が狭かった >>7
ファーストの守備は上手かった。
20年前の落球の印象が強いのかもしれないが、結構フットワークがいい。 >>3
金本は大下剛史にしごかれて泣きじゃくっていた印象しかない。 オリックスブレーブス時代の門田と石嶺。超攻撃打線の副作用。 >>16
昔、落合が巨人時代のマルティネスを評して
「太ってるから足が遅いとか足が速いから守備範囲広いとかないんです。
マルティネス本人も走る意識もあるし長嶋さんが走る許可出したら
年間15盗塁ぐらいは楽にする走力はありますよ」と
しかし外野守備については「こればっかりは皆さんの想像通りですね」とw 金本はカープ時代から下手くそだったよね
肩も弱かった
よく守備固めをだされなかったな >>14
たまに、目の覚めるようなファインプレーをするが、基本的に雑。 大豊と山崎のレフトは怖いな。
オリのブラウンも肩は強くて、足も速かったけど、ヘタクソ。 張本勲、Aラミレス、Dマルティネス
金本知憲、鈴木尚典、 大島康徳
清水隆行、Wクロマティ
>>15
近鉄時代のTローズ 福浦の外野守備は酷かった
本当に一塁しかできん男だ 日テレの「劇空間プロ野球」でだったかなあ
誰か忘れたけど解説者が
「マルティネスはスタメンでもレフトだと浮かない感じなのに
ファーストで出られるときはすごくうれしそうな顔してますよw」
ってコメントしてた 守れないからと西武がクビにしたのが謎
ファーストなら十分守れてたし高木大成なんかベンチでいいじゃんと >>28
こればっかりは、現場とフロントの差。
マルチネスはそこそこ器用でファースト守備も上手い部類だし、
上で言われてるとおり案外俊足?
だけど見た目のイメージが損してる。
今だったら自虐的にあの風貌で盗塁すれば、かなりと言うか相当ウケるし
新しい「走るデブ」で脚光浴びたかもしれない 原
もしも90年代前半にWBCがあったらレフト原にしそうだけど >>30
秋山・佐々木・前田で外野は固定だから原は代打だろ。 97年に仁志をレフトでスタメン起用して失敗したにもかかわらず、マルティネスにそこを守らせた長嶋が悪い 荒井幸雄
球場でノック見て俺のほうが上手いとマジで思った 長嶋茂雄は外野守備軽視だったな。
本職内野手に突然外野守らしてたもんな。
レフト元木、レフト仁志、レフト二岡、レフト川相。
レフトなんか誰でもできるんだろう位にしか思ったなかったのかもな。
レフトペタジーニも長嶋時代だっけ? >>35
サード高田をやる監督だから内野守備も軽視してないか >>33
荒井は新人王の頃センターだったんだよね
もっとも両翼が杉浦広沢だったから消去法だけど >>35
だってレフト張本を見てたら誰でも名人に見えるよw ペタジーニと二岡は原監督の時
オバンドー
Dメイ
広澤
鈴木尚(横浜)
ズレータ
吉岡
松中
ウィルソン
フランクリン >>39
張本をリアルタイムで見てるってお前70過ぎのジジイなの? >>46
なんでリアルタイムで見たことにされるんだ リアルタイムで見たこともない奴になにがわかるんだ? >>48
映像見れば張本の守備が下手なことくらいわかる 西武は何故、1998年の日本シリーズで一塁マルティネス、左翼高木大成という布陣にしなかったのだろう?
1997年はそれでやってるし、当時の左翼手は衰えた佐々木とか覚醒前の和田とか大塚程度の選手しかいなかったのに。 >>35
一塁駒田
二塁原
三塁中畑
遊撃篠塚
中堅クロマティ
をやった王よりはマシだと思う >>50
シーズン終盤戦で左殺しとして博打的に左翼に起用したペンバートンが大あたりで
その流れから第1戦の(予告)先発が野村できたから
第2戦先発左翼の大塚も同じくシーズン終盤に調子を維持してたのと、この人は
日本シリーズになぜか強い
第6戦の大塚は第5戦に4-2の好調打者を外すわけにいかんでしょ。
現に第6戦は4-4の大あたり >>35
長島時代はレフト村田善則もあった
そういえばレフト川相は、王時代にもあったね なるほろ
川相より前にレギュラー格だったひとが
いる頃か 数字的には60〜70年代に大洋にいた長田幸雄らしいね ライパチなんて言葉もあったように昔は草野球や少年野球含め守備が下手な人間はライトへ、というイメージだったけど
全体的に左打者が増えてライトの守備力が重要視されるようになった影響でレフトとの立場が逆転しつつある、といった感じか >>67
逆転してるよ。
球場も広くボールも飛ばなくなったのも影響してる(本塁打が減ってる)
ランナー一塁からレフト前ヒットならそうは三塁にはいけないが、ライト前なら肩と守備力(足)の差が出やすい。 プロ野球はレフト軽視し過ぎ。
外野なんだから抜かれりゃ即長打になるリスク有るのに肩が弱い上に打球判断悪かったり
足遅くて動きが悪い選手に守らせてるのは不味いだろ。 >>70
その点で強肩且つ最も守備能力の高い高田をレフトに固定していたV9川上巨人はある意味斬新だった 昔の巨人戦の動画見てたら解説者が「松本は肩がー」と言っててワロタ >>71
単に当時は長打を放つ左打者が少なかっただけなのでは・・・。 元巨人の松本さん。
レフト前安打の打球を蹴って二塁打。
浅いフライで三塁ランナータッチアップ。
フライを弾いてスタンドイン。 >>71
別に斬新だったのではなく、
当時の外野手配置は、センターの次に守備上手い人を
レフトに配置するのはポピュラー。
巨人高田もそうだけど、阪急時代の蓑田もそう。 >>68
時代の流れというか野球観と選手の流行では?
逆にレフトに守備上手い人置けば、2ベースをシングルヒットで止められる。
現在の外野手は転がった打球で一塁ランナーを
三塁に進塁させない事に重きを置き外野守備の魅せ場、花形になってるが、
昔は、打者が打った外野に転がった打球をクッションボールを上手く処理して
セカンドベース上で刺すのが外野手の魅せ場であり花形。
思えば最近、昔よりこのレフトから上手く打球を処理してそこから振り向きざま
強肩を披露する光景が少なくなった。 >>77
阪急の簑田は強肩のウイリアムスが右翼にいたから左翼ってだけ
ウイリアムスが帰国したらあっさり右翼に廻った
この2例でポピュラーとかいいきれるもんでもない >>46
なんで巨人時代の張本知ってたら70過ぎになるんだよキチガイ
50過ぎなら普通に知ってるわ。
伊集院光って知ってるだろ?
あいつが日ハムファンで、子ども会員かなんかで張本のグラブが当たったら、
守備が下手なこと知ってるから「これはいらない」と思ったってさ。
巨人時代どころか日ハム時代の話だぞ? >>79
でも昔は高田、蓑田の他に大熊とかレフトの受賞者がいたのも事実、今は皆無。
昔は外野手での受賞者3人、センター2人レフト1人または全てセンター3人って感じ
と言っても高田と大熊と蓑田だけど。
だったの助っ人で強肩外野手のライトル、ウイリアムス出現でライトにも強肩がポピュラーになったのでは? 今クッションボールを上手く処理して二塁で刺すという場面は中々見られない。
多くの球場が広くなったせいもあるだろうな。
最近だと田口辺りがレフトの名手で他にはちょっと思い浮かばない。
MLBだとボンズがレフトでゴールデングラブの常連だったな。
今みたいにポジション別じゃなくて外野手一括りで選んでた時代だからやっぱスーパースターだわ。 >>83
クッションボールの処理なら、和田(西武・中日)が上手かった。 金森が西武時代にレフトでGG賞取ったけど、普通に下手だったし足も肩も並以下だったのにどうして?って思った >>83
昔みたいにコンクリートのフェンスでないと
無理だろ 背番号27の頃の門田は強肩だったが
アキレスケン以降は走らなくなった
加藤英が来てからは時々守っていた 昔の映像見ると後楽園とか外野両翼定位置の真後ろフェンスある感じ
足も肩も必要ないだろうなあれじゃ >>90
藤井がライトしかできないから
ファーストニールで指名打者にプリアムを入れる場合の苦肉の策
まあ翌年以降は普通に指名打者ニール
ファースト藤井
レフトプリアムとかになったけど >>85
他にいなかっただけ。福本は衰えていたいたし、秋山はまだ三塁手。 新人の頃のイチローはむしろレフトを
多めに守ってた
センター高橋智レフト鈴木一朗って
パターンがあったほど 最近の外野手って左中右のどれかに特化してる人が多いね。鈍足弱肩で打つだけの選手ならともかく。
それだけ野球のレベルが上がったってことなの? 巨人の監督が王の時の外野なんて
吉村、クロマティ、駒田とかだったもん
ピッチャーかわいそうだよ 巨人 原辰徳選手は、現役時代 主に4つのポジションを守っています。
(1) 1981年初めごろ セカンド
(2) 1981年中ごろ〜1988年、1993年〜1995年 サード(ただし最後の3年間はレギュラーではなかった)
(3) 1989年〜1991年 レフト
(4) 1992年 ファースト
このうち、1987年と1988年はセ・リーグのゴールデングラブ賞を受賞しています。
(この2年は打撃成績がよかったのと、ライバルである阪神の掛布選手が故障がちだったのでとれた賞ともいえるでしょう。)
新人でデビュー(1981年)してからしばらくはセカンドを守っていたものの、篠塚選手がシーズン序盤に打撃で爆発的な好成績を残し、守備でも(原選手の時には見られなかった)ファインプレーを連発し、
以後は引退までセカンドを守ることはありませんでした(篠塚選手はこの1981年も含めて4回のゴールデングラブ賞を受賞しています)。
ですから、原選手のセカンドの守備は、凡庸クラスであったといってよいでしょう。またレフトの守備についても、当時原選手は手首痛、背筋痛、アキレス腱痛などさまざまな故障をかかえており、
サードで”穴”となるほどひどい状態だったので、当時の藤田監督がやむなく(もっとも負担が軽い)といわれているレフトにまわした、という経緯があります。
藤田監督も原選手には、”べつにうまいレフトにならなくてもよい。普通のレフトであれば十分合格だ。”
といっていたところを見ると、セ・リーグの中でも下から数えたほうが早いほど守備はうまくなかったようです。
(ただし弱肩ではなかったので、一昔前の張本選手や松本選手ほどひどくはなかったようです)。 >>86
鈍足で守備範囲が狭かったな。
無理して激突して怪我するのは状況判断も悪い(下手な)証拠。
俊足で上手い外野手なら普通に追いついてアウト。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています