80年代までの球場の狭さってどれだけ凄かったの? [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ヤフードームがホームランテラスで左右中間8m縮めただけで、あれだけホームランが出まくったのに、
80年代までの野球場って両翼が90mいくかどうかっていうレベルだったんだろ? あのド迫力スイングでホームラン量産しながら打率3割は素直に凄い。 ブライアントに確実性も加わったのがカブレラかな
でもラビットボールのおかげもあるね カブレラは200m弾とかあったからなw
ノリさんも180m弾をかっとばしてた
本当に酷いボールだった ノリの180m弾ってバラエティ番組の企画で
スーパーボールを打った話と混同してないか 松井がいたころのパ・リーグは超絶ラビットだったもんなぁ。
特に2001年。 ブライアントはラビットの恩恵受けまくったカブレラと違って、
ちょうど飛ぶボールを使わなかった谷間の時代にアレだから価値がある。
ナベから打ったあれなんかラビットだったら西武球場駅まで飛んでたんじゃないのw 世紀が変わったあたりって、片手ではらうような打ち方のホームランがやたら増えた。
あれを打者のレベルアップとか言ってた連中は息してるだろうか。 近鉄だとオグリビーが西武球場で打った当たりも凄かった
ライナーで中段まで運んだが日本人じゃ無理 門田なんていつもドデカイダンベルで腕鍛えてたの有名じゃん
それすら知らないやつとか語らなくていいよ 門田はYouTubeにも残ってるオールスター戦で、
松岡から神宮球場の上段(中段?)に打ったホームランが凄かった 長嶋茂雄が高校時代、大宮球場のバックスクリーンへ
350フィートの大ホームランを放ったとあるが、
よく考えたら105mぐらいだからかなり狭い球場だよな。
近年まで公称両翼90mだったけど実測80mぐらいで、
鈴木健以外は山口幸司、平尾博嗣、大島裕行と怪しい高校通算本塁打記録保持者がいたし。 後楽園は両翼87?ぐらいで原はラビットボールでも40本打てなかった
バースの54本を考えても、ホームラン打者が打てる本数には限界がある
130試合制では王や松井でも60本は打てない
バレンティンは禁止薬物でもやっていたのではないか オリックスのルーキー酒井からブライアントが打ったライトへの弾丸ライナーのホームラン。今のどの球場でも入ってる。
近鉄のエース阿波野から門田が振り遅れのどん詰まりのレフトフライ…がふらふらとラッキーゾーンにぽとり。こんなんがホームランになるのかと驚いた。
初めて球場(西宮)に行った日の思い出。 ベテランになってからの門田は「HRにするテク」を心得ていたね。
無骨に見えて、やることはしたたかだよ。 >>554
県営大宮は92年に改装竣工されたが、当時は西武球場とほぼ同サイズと報道されてた。
改装前の旧球場時代は狭く圧迫感があり、ビッグゲームに相応しくないとの判断もされていた。
高校野球予選も81年から開会式を、準決勝、決勝も82年〜91年は西武で行った。 野茂にプロ入り初ホームラン浴びせたのは門田だが、「狭い日生だから入った」と語っていた
それが引退してからは「野茂にプロの洗礼を俺が浴びせてやる。オフはそればかり考えていた」
シーズンが始まると「初対戦する西武の連中打つな、チームメートで1番から3番の松永、福良、ブーマー打つな」と祈った、など大げさに言ってる >>556
原はプルヒッターなのでレイトヒッティングで狭い球場の前列に運ぶという恩恵を殆どうけられなかったな >>554>>561>>562
捏造しか書き込まないな。 >>563
そのくせ引っ張ったホームランもスタンドの前の方が多かったという
つべにあがってる85年の大洋戦を見ても
ホームラン2本とも打った瞬間という感じの当たりなのに・・・ 本来は中距離打者なのに巨人の4番としてホームランも狙ってた感じ 当時は今と違って道具は品質が悪いから失速する仕様だったんじゃねえ? 江藤もそうだけど、原みたいな綺麗な45度で上がるプルヒッターって
弾道の割に飛距離は出ないよね。 バットに乗せて運ぶ選手が少なくなってしまい寂しいわ >>569
日本じゃそれでいいけどメジャーじゃ失速して外野フライだしな。
松井のような弾丸ミサイルじゃないと厳しい。 >>573
日本人野手にゃ関係ないよw
ホームラン量産出来るような選手がいないのに >>9
神宮もフェンスの高さ合わせた数字だったな
こう言う下らないごまかしって誰が思い付くんだろうな >>569
ホームランの角度はどんなに大きくても実際は30度台だよ
45度では届かない なんかやたら「亀レス」してる御方が多いが、インターネットを始めたばかりなのかな? 神宮球場は狭く感じる
ホントに97.5mあるのかも怪しい >>575
後楽園も両翼を90にするため、ポール際だけフェンスが少し高くなっていたね
上田監督だかがメジャーで計ってみたら実際には78しかなかったらしい
外野フェンスだって12mもないから、何から何まで嘘で固められている 78はさすがに嘘だろ
川崎のクソ短く見えるライトでも一応80以上はあるのに。 え?ってことはホームランの飛距離とか両翼の距離って
ベースからポールの最下部までの斜距離じゃなくて、
平面距離で測定してたってことなの? 両翼90なかったのは後楽園と大阪、川崎あたり
当時だと札幌円山は両翼が広かったが、膨らみがないのと札幌の気候のせいか、
ホームランは結構出てた >>584
って事は今でも、神戸みたいなフェンスの低い球場も、横浜スタジアムも
「両翼」は同じ地点で測ってるのかね? 後楽園と大阪はポール際のフェンスを高くして狭さをカバーしていた
79年のプレーオフ前に近鉄の誰かは忘れたが「藤井寺だと92M飛ばせばホームランだが、大阪だと97、8M飛ばさないといけない」とぼやいてる記事を新聞で見た フェンウェイパークはフェンス高いがレフトの狭さは異常だな。
すぐ後ろに外野手がいる感じ。 フェンウェイはレフトフェンスが高過ぎだから、
右のパワーヒッターはホームランが出にくい
ポール際だとフライがすっぽり入るけど 1989年のナゴヤ球場、ヤクルトのパリッシュが本塁打を打った際の談話で
打った瞬間は遊飛だと思った、というものがあった。
球場の狭さを象徴するエピソードなのか、
彼の腕力の凄さを示すエピソードなのか。 >>592
最初にその測定をした人は三角関数を知らなかったのかなw >>589
藤井寺って両翼と客席までの間にブルペンのすげえ広い敷地があったよね。
あれが建設時の広さだったんかな。
神宮とかもそうだけど、建設時はめっちゃ広かった球場って多い。 そんなに広いと粗末なボールだしスタンドまで届かんよ
ベーブ・ルースは広い甲子園でホームランを打てただろうか だから長島の大学ホームラン記録って価値があるのよね。
当時の広さと球を考えると。 神宮はプロ野球使用開始時にラッキーゾーンを設けて両翼90m程度に狭めた
その後、ラッキーゾーンの場所にも観客席を増設 今のスタンドはその中間くらいかな?
初期はもっと奥だったはず。
だから神宮って両翼部分のスタンドが大きいのかもな。 神宮はスタンドの傾斜がめっちゃ緩いから
グラウンドレベルからの見た目以上に大きいんだよね
そんな神宮の右中間上段に飛ばした松井はやはり異常 長嶋はホームラン記録にリーチかかってから
「あと1本だぞまだかまだか」
とせかされたらしいが、今でいえばテラスなしのヤフオクで
粗悪なボールでやってたようなもんだし
「そんな簡単に打てるか!」
って思っただろうなw フェンス高2.5m、規定内ギリギリのよく飛ぶボールでいいから
両翼101m、センター122mは確保して貰いたい 外野手がホームランボールをキャッチ出来ない球場は欠陥球場 >>581
完成当初は78mだった。
後に87mに拡張したとされる。 大阪球場も拡張前の両翼は、83m?だったというもんねえ。
72年のスタンド改造時に、両翼が91mに拡張されたというから、
それまでは、ピッチャー泣かせやったろうねえ。 ぶっちゃけ両翼は殆ど意味ない
90mしかなくても右中間左中間が120mあれば広い
それだけ膨らみがある証拠 野村が52本も打てた理由がそれかー
どう考えても王に迫る雰囲気は感じないし 開業当初の大阪ドームは固い人口芝のせいでフェンスが高いのにエンタイトル2Bが出ていたな 当時球界を代表する一流ホームランバッターだった山内一弘が
「フェンスを超えるフライを打てればいい」と言ってたからな >>609
当時のセ・リーグは全球団が両翼90m前後の狭い球場を本拠地にしていた。王が一番得意としていた球場は川崎球場。 地盤を固くするから面白くなくなる
外野手も突っ込んでこれないし 昭和40年代(1965年〜1974年)の各球団の本拠地球場
巨人:後楽園球場
産経・ヤクルト:神宮球場(現在はグラウンドを拡張)
大洋:川崎球場
中日:中日球場(現ナゴヤ球場)
阪神:甲子園球場(当時はラッキーゾーンを設置)
広島:広島市民球場
東映・日拓・日本ハム:後楽園球場
東京・ロッテ:東京球場→仙台宮城県営球場(現コボパーク宮城)
近鉄:日生球場・藤井寺球場
南海:大阪球場
阪急:西宮球場
西鉄・太平洋:平和台球場 市民は風がよくなくて飛ばないボールを使ってたけど
甲子園はレフト方向は追い風で飛ぶボール
掛布やバースはかる〜く合わせて流してホームラン量産しとったな >>593
ミューレンがロッテ時代に甲子園でのオープン戦でホームラン打ったのを
バックネット裏で見たけど、打った瞬間はサードへのポップフライだと思ったわ。
ラッキーゾーン撤廃してもこれだからね。 >>615
これでラビットを使ってた頃は実質、両翼80、センター110のリトルリーグの球場
バースや落合の記録は霞む 昭和50年代(1975年〜1984年)の各球団の本拠地球場
巨人:後楽園球場
ヤクルト:神宮球場(現在はグラウンドを拡張)
大洋:川崎球場→横浜スタジアム
中日:ナゴヤ球場
阪神:甲子園球場(当時はラッキーゾーンを設置)
広島:広島市民球場
日本ハム:後楽園球場
ロッテ:仙台宮城県営球場(現コボパーク宮城)→川崎球場
近鉄:日生球場・藤井寺球場
南海:大阪球場
阪急:西宮球場
太平洋・クラウン・西武:平和台球場→西武球場(現メットライフドーム) >>620
まさに今のMLBだな。
せっせと球場狭くしてボールは飛ぶように変えて。
やることはどこも変わらん。 球場狭かったから外野手のレベルが低かった
60年代70年代の日米野球の記事読むと指摘されてるのは
外野手の肩の弱さと投手のスピードの無さ。 >>609 大阪のほうがフェンスは高いからかわらん >>622
メジャーリーグは見なくなった
プロレスラーが野球をやってる むしろプロレスラー体型の選手は減ったよ
180cm以下で体型がシュッとした守備もいい選手が増えてる
メジャーの選手は昔のNPBの選手のようにとにかくよく走るからね マグワイアはすげえガタイだったなぁ
確か196センチ130キロくらいだったか。
ありゃ野球の体格じゃねえわ。
太ももまわりが80センチ近くあったとか
もはや相撲かプロレスラー。 昭和60年代・平成1桁(1985年〜1997年)の各球団の本拠地球場
巨人:後楽園球場→東京ドーム
ヤクルト:神宮球場(現在はグラウンドを拡張)
大洋・横浜:横浜スタジアム
中日:ナゴヤ球場→ナゴヤドーム
阪神:甲子園球場(この頃ラッキーゾーンを撤去)
広島:広島市民球場
西武:西武球場(現メットライフドーム)
日本ハム:後楽園球場→東京ドーム
ロッテ:川崎球場→千葉マリンスタジアム(現ゾゾマリンスタジアム)
近鉄:藤井寺球場・日生球場→大阪ドーム(現京セラドーム大阪)
南海・ダイエー:大阪球場→平和台球場→福岡ドーム(現福岡ヤフオクドーム)
阪急・オリックス:西宮球場→グリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸) >>629
腕力だけで外角低めを引っ張ってホームランにしてたからなw
清原がああいうパワーに憧れたのも無理はない。 全盛期のマグワイアの体のサイズどんくらい?
胸囲130
ウエスト100
ヒップ140
上腕55
前腕50
太ももまわり78
ふくらはぎ55 昔は球場が狭くても二塁からワンヒットで楽々生還できたのに
今は球場が広くなって外野がさほど前進守備を敷いてなくて
二死二塁でもワンヒットで生還できない場面がやけに増えた。
外野手の肩や捕球までのダッシュが素晴らしいのもあるけど、
走者の判断が下手くそになったのもあるんじゃね?
仮に二死で2ストライクなら投球がストライクゾーンに入る瞬間、
打者がスイングを始動する瞬間からスタート切れるのに
バットに当たるまでスタートしない奴がプロでもかなりいる。 ライナーバックの意識が高過ぎるのだろう。
たまに2アウトなのに一瞬止まる素振りを見せてホーム到達が遅れる選手いるし。
あと、西武のいわゆる「伝説の走塁」以降、ハーフウェイで待つのが減ったのもあるってどこかの走塁コーチが言ってた。 ピッチャーのモーションや、キャッチャーの肩が強くなったのもありそう >>635
そりゃあフルカウントじゃ無ければボール球を見送る可能性もあるからそう簡単にはスタートは切れないだろうよ。 野球は箱庭時代のほうが面白かった。
箱庭だからこそ独特の駆け引きや細かい技術が進化していた。
いまはスピードとパワーのフィジカル頼みの脳筋野球になってしまって
韓国野球とかわらなくなった。 >>639
それ箱庭とは関係ないだろ・・・・・・、近代的トレーニングの確立並びに導入に加えて、
セイバーメトリクスに依るビッグボール優位の考え方、さらには近年脚光を浴びている
フライボールレボリューションといった流れに起因する避けられない変化かと。
高校野球なんて、金属バット補正も手伝い、ほぼメジャーとタイムラグ無し(寧ろ先んじ
ている感も)にパワー合戦と化しているし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています