【殿堂板で語る野球漫画】江川と西本 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>115
俺もそれは覚えてる
「悔しいけど原のほうがオレよりうまい。ファーストで頑張るよ」って言ってた
山本功児は「えええええーっ!」だったろうけどw そして中畑にもファーストコンバートは幸いだった
当時のセ・リーグのファーストはみんな辛気臭い奴ばかりでアピール性がなかったんだよな
「元気がいいから」wwで82年に初選出されて徐々に上手くなって7年連続でダイヤモンドグラブだもんな 本誌見た
そうだそうだ 西本は火災に逢った奥さんの皮膚をお守りにしてマウンドに上がったんだった 江川、西本、定岡、原、中畑、篠塚、松本。
巨人軍が一番輝いてた時代。 >>113
見苦しい言い訳
趣旨はそれじゃねえだんよ
誰が西本に投票したかが問題にされてんだろうが 空白の一日当時の阪神スカウト陣のリーダーは誰だい? 沢村賞選考に関しては当時の週べ記事をアップしてるブログがあるから
それを見て判断しろ
https://blog.goo.ne.jp/grussgod/e/bfe34b653943af20a97f23d2ac06f8b5
中華料理店で5つの円卓に分かれて食事を取りながら読売新聞社・星野敦男部長が進行役、三宅卓運動部長が質問に答える役として会は始まった。
恒例で先ず数名の候補者が挙げられ、その中から小松(中日)が外され最後に西本と江川が残った。
ここまでは特に例年と変わらず進行していたが微妙な空気が漂い始めたのは、
日刊スポーツ・金井清一部長の「この賞には人格的な基準はあるのか」「今年だけの成績だけが対象なのか」といった質問が飛んでからだ。
三宅部長は「これまで人格云々を加味した例はない。あくまで今年の成績が対象」と答えたが、このあたりから次第に西本を推す声があがり始めた。
「前の日に部下たちの意見を聞いたらほとんどが『江川以外いない』だったので自分もそのつもりで出席したのだが、
そのあたりからオヤオヤ?という空気になった」と語るのは日本経済新聞社・峪卓蔵部長。
朝日新聞社・田中康彦部長の「巨人の優勝は前半戦の快進撃で決まったと言っていい。開幕投手の重責を果たし独走態勢に入った時点の成績は西本が10勝2敗、江川は7勝3敗だった。
江川の勝ち星は独走後にあげたものが多い。優勝への貢献度は西本の方が上」と発言すると、
デイリースポーツ社・近藤敬部長が「数字で判断するのが客観的」と反論し江川を支持した。
すると田中部長は「数字だけで決めるなら公式記録員に委嘱すればよく、こうした会を開く意味は無い」とあくまで西本支持を崩さない。
しかし近藤部長も負けていない。「優勝への貢献度を評価するのはMVPではないのか?沢村賞はあくまでも投手としての力量を評価するべきだ」と。 >>124
田中部長は「数字だけで決めるなら公式記録員に委嘱すればよく、こうした会を開く意味は無い」
なんだ選考権剥奪されたのは自業自得じゃねえかw >>124
朝日・日刊が反江川票を入れたってこと。
週ベには「沢村賞 いつの間にやら 人格賞」という川柳も載ってたな。 >>123
山田伝か藤村隆男あたりじゃね?
>>127
「ドラフトのつけが 今ごろ沢村賞」て投稿もあった >>114
アホだなお前は
記者と読者への江川のサービスだろ
本当に沢村賞のトロフィーの形が知りたかったわけじゃやい その頃からやっぱりアカヒはクズだな
襲撃されても不思議でない >>118
でもその何年か後に浮気すんだよな
熱さ忘れるってかい 江川はデブだったが夏に強い
20勝した年は11連勝だった
ちょうど今回西本が開幕戦勝利の年ね 江川に限らずドラフトで入団拒否すると「球界は1つの大きな会社で球団は部所みたいなもんだから拒否するのはおかしい」とか屁理屈言う評論家がいつもいた
おなじ会社って言うなら年俸も同じにしてみろっての西武でも南海でもと思ってた 江川初勝利で鼻血ブーで途中降板
たぷん鹿取?と繋ぎ4点差の9回表に何とエース新浦投入ふざけるな…
鹿取続投でも角でも十分だ…
4点差も有るから、新浦はカーブばかり緩い球投げてセーブしてたよ
先発救援と酷使でヘトヘトなのに…
江川はほとんど先発だけ、しかも西本は中3日もやるが、江川は中5日
当然登板試合数が
違う
鼻血降板なんて、日米韓国中国プロアマ、ニグロリーグ通じて江川だけだろう
おい江川てめえヒーローインタビューで新浦さんにちゃんとお礼言ったのか? 【お子ちゃまサッカーに嘲笑の嵐】 試合に勝って負けた日本、反則じゃないからセーフ、は子供の言い訳
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1530238486/l50
サッカーは鬼ごっこか? ボクシングなら5R分!
残り時間5分ならともかく、15分パス回し(笑)は事実上の試合放棄。
日本代表は棄権して、いますぐ帰ってこい! 大会に出る資格はない! 169 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ニククエ 4d88-AF1h) sage ▼ 2018/06/29(金) 19:30:21.75 ID:erg2xjIG0NIKU [1回目]
得意げに姑息な作戦を叫ぶSGGK
https://pbs.twimg.com/media/DeQK1fwVQAAm-gF.jpg >>136
同じ会社だって部署、上司によって評価に差が出る 入った時点で契約金や年俸が変わるならいいとこ選択するだろ 江川 西本
79年 9勝 8勝
80年 16勝 14勝
81年 20勝 18勝
82年 19勝 15勝
83年 16勝 15勝
84年 15勝 15勝
85年 11勝 10勝
86年 16勝 7勝
87年 13勝 8勝
一度も勝てずに引退されたから 怒ってたね ふざけるなとw >>144
毎年藤田を困らせてローテ狂わせて志願登板勝手にして江川よりはるかに登板数多いのに抜けなかったんだよな >>149
俺はその前のレスに「だから何?」と言いたいわ 江川は横浜に自宅があったはずだけど、今は売ってしまって東京に住んでいるのかな? >>158
南海ファンだが
門田さんの本塁打王と月間16本ぐらい 試合の少ない7月に。
オールスター明けの7月最後の試合に満塁ホームラン。 江川と西本はいつまで続くのかな?
江川か西本が引退した時までかな。 江川引退までは確実にやる。あとエピローグ的に西本中日でキャリアハイの20勝。 >>158
・ゴールデンルーキー原の大活躍
・江川20勝・投手タイトル総なめ
・巨人8年ぶり日本一
・日ハム球団初優勝
・江本のベンチがアホ発言
世間的にはプロ野球が一番注目された年では?
もちろん巨人人気がメインだけど。
現在は各地方で観客動員はいいけど、
ローカル向け娯楽になった感がある。
・ >>173
ああ、それ忘れてた。
江本事件と同日だったんだよな。 -あーっと!宇野平凡なフライをヘディングだぁ!!
ジャイアンツ連続試合得点記録を伸ばしましたあ-
星野「何やっとんじゃボケェ!!!」
宇野「うぁーやっちまったあ 星野さんまた沸騰したよヤレヤレ」
試合後
星野「まあ、そう気にすんな。メシ奢ってやるから行こうぜ」
宇野(うわわわわわ・・・怖い怖いよ 誰か助けて!!)
実話です この後予想される主なネタ
・81年の沢村賞
・83年の日本シリーズ
・翌年からの江川のゆるやかな衰え→引退
その間ずっと西本が投げるか「スグルちゃん負けろ!」とつぶやくシーンばっかり?
吉田コーチに殴られたり皆川コーチと確執→和解ゴルフなんてのもあるか 藤田さんは「西本はすごく扱いにくい投手だった 江川は素直で扱いやすかった」と著書で言ってる >>177
結局藤田の第一期監督時代(81〜83)に扱いづらかった投手は、
第二期にはことごとくトレードで出されてるんだよね(西本、角、鹿取)。
意外にも一番反抗的だったのが鹿取で、
角は藤田さんというより中村稔コーチが手を焼いていたらしい。 >>176
82年終盤の中日戦と大洋との最終戦
あの時期江川は右肩痛が悪化していた 西本の家がガス爆発したのは藤田監督の時だったかな。
それも描かれるのかな? >>180
ちょうどそのあたりで、こないだ描かれたよ 野球漫画好きなら知ってるだろうけど
この作者は自分の興味やモチベーションが無くなったら最後、
グダグダで唐突に打ち切られるか、自然消滅でフェードアウトするかだから
ラストの〆はあまり期待しないほうがいいよ >>178
最近たまたま糸井重里と藤田の対談が載ってたコラム読んだが、それによると鹿取は89年、熊本での中日戦で不甲斐ないピッチングしたので藤田が喝を入れたらふて腐れてしまい、以降二人の関係が悪化した
藤田が瞬間湯沸し器な反面、鹿取は根に持つタイプなのかも 第2期長嶋監督の時に鹿取が投手コーチで長嶋監督に遠慮しないで言いたいことを言っていたら関係が悪化したとか? >>183
あのときは第3者が見ていたところによるとボタンのかけ違いのようだ
藤田は「まあ気にするな。次がある」と言って
鹿取は気丈な振りをして「え?たいしたことないっすよ」と言ったら藤田が「たいしたことないとはなんだ!」となったらしい
まあ球界の紳士藤田も若い頃は瞬間湯沸かし器と呼ばれてたし そもそも王が酷使しすぎたのが元々悪い
ツケが藤田の時代に回ってきた 横浜大洋が次々繰り出す投手陣ー
とりあえず佐藤政夫だけはわかった 素直だったら巨人に裏口入学しないよ
>>177
> 藤田さんは「西本はすごく扱いにくい投手だった 江川は素直で扱いやすかった」と著書で言ってる >>189
素直だから周りの大人の動きに巻き込まれたんだろ
「私に任せろ、巨人に入れるから」と。
まだわからん奴がいるのか
地元の政治家が動いたんだから 確かクロマティの本に西本は変人だと書いてあったな。
毎試合新しいグローブを準備するとか、試合前に自分の玉を清めるとかw >>190
政治家っつーか作新の理事長として動いてた 目黒区中根にあった王さんの自宅は売却してしまって更地になったのか。 漫画にある通り東海大相模から原を見ていたファンはサード・原のコールに痺れたんだよな
数年後頭に4番ってのがついたときは鼻血もんだった
たとえ最終的にONや松井に及ばなくてもあの当時は長年待ち望んだポスト長嶋に夢を追ったのだった 原は長嶋退団、王現役引退の巨人の危機を救った救世主だった。 篠塚が初めて3番打って5の4だった横浜の試合も書いて欲しかった。 中畑は「悔しいけどアイツ(原)の方がオレよりうまい。オレは与えられた1塁で頑張るよ」って言ってた
潔いね
山本功児は割りを食ったけど 西本がたけしのスポーツ大賞に出ていたけど老けたな。
70過ぎのおじいちゃんみたい。
原や江川は若々しいのに凄く老けている。
髪の毛が薄いから仕方ないか。 そりゃ日頃人に見られる職業をしてる人とそうでない人じゃしょうがないだろうな
関根潤三さんは40代くらいからすでに好好爺してたがw なんで篠塚和典って人物紹介してるのか
この当時は利夫だ 篠塚の視力は悪くて0.3くらいだったのかな。
それでよく3割を打てたね。 5年くらいしたら視力が悪化して守備でもポロポロやるようになった
やくさんの漫画でも描かれている 篠塚がいなければセカンドは平田薫だったんだろあなあ
日本シリーズで間柴、高橋一、木田、江夏という日ハムが誇る投手陣をことごとく撃破した頼れる左キラーだった ただ原のアキレス腱と後楽園の人工芝考えたら、王巨人の昭和59年には原一塁、中畑三塁にするべきだったと思う。
構想はあったが消えたそうだが。 数年後のスキャンダルも
奥様が営みに耐えられない身体になってしまったからかと斟酌したのに
完全復活ってなんだよ えっ
それはそれでよかったが どうなってんだよ えっ 原が初対決で小松の球をホームランできたのは
大学1年でいきなり江川の本気を見せられたからだと思う 藤田の時は江川全盛期だったけど
衰え見えだした83年はリリ−フに起用されて激怒 山本功児はなんで王のいる巨人なんかに入ったんだろ
早死にしたし一生不遇だったな プロで10年プレー
ダイヤモンドグラブ賞
一軍監督
息子もプロ野球選手に
一生不遇???
これより良い人生なんて早々無いと思うがな 中モズの商店の息子で子供の頃から南海に出入りしてて
控えなりに巨人で名を売って
ロッテで実績積み上げて監督までになるっていう
不遇というより数奇というか塞翁が馬というか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています