史上最強の抑え投手は?©2ch.net
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その昔は先発が300イニング投げるような時代だからな
今の全力投球での50イニングと昔のイニング跨ぎ前提での80イニング
どちらの負担がデカいかなんてわからんぞ? >>91
>その昔は先発が300イニング投げるような時代だからな
さすがにそこまで昔じゃなくてもw
俺は1980年代からしか見てないけど、抑えってそんなもんだった 確かに昔は完投数も今と比べれば断然多かったな
エース格は先発登板試合数の半分くらいは完投することもザラで
今は分業制が完全に確立されてるから、完投数は格段に減った
一軍半レベルのリリーフでもシーズン40試合くらい投げたりする >>85
数字だけを今の視点で見たら信頼出来ないリリーフだね。
でも当時、江夏は凄いと思っていた。
今と昔を単純に比べたらいけないしのは当然だけど
リリーフは特にその傾向が強いかも。
今じゃ防御率2点台の抑え(2割以上失敗?)なんて、登板時に相手チームから歓声があがる。 >>94
江夏自身も著書で、昔と今の抑えの起用法の違いを述べたうえで、
「我々の時代の抑えは成功率7割程度で良かった。でも今の時代の起用法なら9割5分以上の成功率が求められるだろう」
とか述べてた 起用法から考えても、やはり1992〜1994近鉄の赤堀は凄かったと思う
全て最優秀救援投手になり防御率1点台、しかも1992年は規定投球回数に到達して防御率タイトルまで獲ってる(先発は2試合のみ)
他2年も試合数の倍程度のイニング数
あの当時の防御率1点台って抑えでも記録するのは大変だった 今の起用法じゃ打たれないのが当たり前ってことだな
ペース配分を一切考えない全力投球ができることに加え
打者が一巡しない(球に慣れる間もなく終了)わけだからな >>90
セーブ王の表彰で火消しのハッピ着せられてた記憶がある。スポンサーも東京海上とかそんな感じで >>98
安田火災→損保ジャパンのスポンサーでファイアマン賞という表彰があったからな 9回1イニングセーブ場面限定のクローザーとやらは登板する場面で火なんかついてないからな
逆に火をつけに来る奴らの方が目につくw >>100
だから今の抑えにとって奪三振能力はほぼ意味がない。 中継ぎエース(セットアッパー)+クローザー(+ワンポイントリリーフ)=ストッパー
所謂ストッパーは今で言えば二つないし三つ以上の役割を兼任してるようなもんなので
江夏の言うとおり「成功率7割で良い」のはある意味で当たり前っちゃ当たり前
んでそのストッパーの役割を二つないし三つ以上に分業化させてるのが今なんだから
当然それぞれの役割における成功率が必然的に高くなるのも当たり前
成功率と負担分散の為の分業なんだし
ストッパーとして活動してたって意味では
真の意味で最後のストッパーは佐々木が最後じゃないかなぁ
佐々木は日本最後のストッパーであり日本最初のクローザーだと思う ざっくり言えばJFKの仕事を一人でこなすのがストッパーだわな
当然一人でこなすわけだから負担も上がるし成功率も下がる 佐々木がストッパーだったのは1992年ぐらいまでじゃないかね。
おそらく赤堀が最後のストッパー。 佐々木は一応メジャー行く前年(99年)まで投球回>登板数で
98年までは回跨ぎも普通にやってたけどメジャー移籍以降は普通に分業制クローザーになってたかな
高津は93年から97年は「ストッパー」と言えるかもしれない
特に先発転向に失敗して以降の97年は中継ぎ兼抑えとして大車輪(98年は不調で抑えから外される)
「クローザー」として定着したのが99年(若松監督就任による抑えへの再抜擢)でそこではまだ回跨ぎがあったけど
00年以降は完全に登板数>投球回になったある種純然たる「クローザー」業をしてた
赤堀はまさに生涯一「ストッパー」と言えそう
「クローザー」の経験がないに等しい
ただ実質的に仕事をした最後の年が98年だけど
厳密にいえばストッパーだったのは97年までなんだよね(98年からは先発と中継ぎ)
岩瀬は05年にクローザー定着後も投球回>登板数を重ねてるキチガイ
投球回から登板数を引いた差で見ると赤堀の97年が一番最後のストッパーな印象かもしれない
まぁ97年は佐々木も49試合登板で60回投げてるんだけど(赤堀は57試合登板で97.1回投げてる)
んで上の通り高津も97年に51試合登板で79.1回投げてる(先発分もあるし)
そういう意味ではまさに97年が「ストッパー終焉の年」であり「クローザー開始の年」と言えると思う あ、岩瀬の記録見違えてた
やっぱ抑え定着後は登板数>投球回の純然クローザーだわ 今の理想パターンは
JFKそれぞれの投球回=登板数=ホールド数ないしセーブ数、そして
前の投手がスリーアウト目をとっていることだろうね 先発、回跨ぎ、ロングリリーフ、連投、ランナーのいる場面、抑えと酷使され
2〜3年で実質的選手生命が終わった選手は多い。 そう考えると安藤・ノウミサン・JFKの役割をたった1人で8年間受け持った稲尾って凄すぎ。 稲尾はそもそも怪我した64年以外防御率3点台すらなかったキチガイ 赤堀
92年 50試合 11勝4敗22セーブ 130回 88三振 防1.80 WHIP0.92
93年 46試合 6勝6敗26セーブ 82.2回 60三振 防1.52 WHIP1.13
94年 45試合 9勝4敗24セーブ 94回 76三振 防1.82 WHIP0.96
96年 44試合 9勝4敗21セーブ 73.1回 67三振 防2.09 WHIP1.25
97年 57試合 10勝7敗23セーブ 97.1回 100三振 防3.05 WHIP1.38 以前は最優秀救援投手も、セーブ数+救援勝利数だったよな
それだけ現在のセーブ狙い1イニング限定抑えとは起用法が全然違った というかまさにセーブポイントという制度が
セーブとホールドに分割されたんだよね 88年郭源治の「37セーブ・44セーブポイント」はまさにストッパー記録の最後の秘境って感じだったな
大魔神佐々木が98年にセーブポイント塗り替えたときはさすがにおったまげた 見た目のセーブ数を稼げばお金も稼げるからね
それでストッパーの地位が向上した 佐々岡も大野もよく潰れなかったな
先発でもリリーフでもフル回転してたのに 山本和行や郭源治や下柳もそうだけど起用法をたらい回しにされた方が結果的には息が長くなるのかもな。 リベラは怪我だけが惜しかった
リベラ離脱後は福原が代役で抑えやってたな 大魔人と藤川は別格
全盛期は点が入るどころかバットにボールが当たるのかが注目になるくらい
大魔人のフォークは消える魔球みたいなもので打者はボールの軌道を見失っていた
藤川はホップする超速球でストレートがくるとわかっている打者が高めのクソボールを素人みたいに空振り
プロ打者が全く手も足も出ない展開でマンガみたいだった >>123
マリアノ・リベラねw
デニス・エカーズリーも最強のクローザーだった そうなんだよな。
「バットに当たる」ということは、打ち取っていてもイレギュラーやエラーによる出塁という
「何かが起こる」可能性があるということ。球児と大魔神はまずバットに当たらない、
しかも球種がわかっているのにという時点で他とはまったくの別格。
だからこそ防御率0点台を複数回達成している。
防御率1点台は優秀な抑えなら誰でもできるけど、バットに当たらずしかも0点台はこの2人以外無理。 >>115
セーブ数はチーム事情でかなり決まる。はっきりいって個人記録ではない。 >>125
いや、阪神にいたベン・リベラでしょ。二年目に怪我で退団したけどあれも良いストッパーだったから勿体ない >>130
は?
俺が言いたいのはマリアノ・リベラつってんだろ
阪神のリベラとかマリアノ・リベラの足元にも及ばんわ
そもそも日本なんかに来てる時点で比べるまでもないがな まぁ確かに一回「リン・リベラじゃなくてマリアノ・リベラの方だよ」的なこと言ってるのに、「いやリン・リベラでしょ」とか意味不明な返しされたらムカつくわなw 巨人史上最強は沢村、次点が西村、角、鹿取、クルンゴ、石毛 >>105
投球回>登板数 っていっても、平均1,1イニングとかじゃんw
権藤時代の佐々木はもう完全に1イニング限定クローザーだよ。 回跨ぎするしないっては全然違うらしいけどな
当時、「1イニングなら毎日でも」と言ってた佐々木と、
「たまには回跨ぎしてほしい」という首脳陣で対立があった覚えがある 1イニング限定なら山口や石本はもっと活躍していた。 >>136
巨人最強は1995西山
ようやく安心できる抑えが誕生した、と当時思った 20登板5勝1敗7S防御率0.55
当時の西山はまさに彗星の如く出てきてたな 石毛劇場に辟易としてた当時、ようやく安心できる抑えが出てきたと思った
槙原も当時「ようやくウチにも確固たる抑えができた」と思ったらしいw
当然1996も開幕から抑えを任されたわけだが、
前年とはうって変わって、1イニングすらマトモに抑えられずマウンドで涙目で首を傾げる姿連発
やっと1セーブ挙げたら涙ぐむという惨状っぷりだった 見るからにボールの見やすそうなフォームだったし、オフで対策されたんだろうな
クセも発見されたのかもしれん せめて一年通して活躍してくれれば推したいんだけど、
たしかシーズン後半の半分くらいだったよね? 西山 >>139
山口哲治はちとムリだと思うが、石本貴昭はあと2年くらいは活躍できたかな? 1イニングだけって叩かれるけど、
8回までに1点でも勝っていればいいって戦い方が出来るのは有利
セットアッパーも含めて、2012年頃「スコット鉄太郎」の巨人は
6回までにリードしていればいいって感じだった 出てきたときは典型的なアーム投げだったな、西山
現役晩年はサイドスローになってたが 盛田ー佐々木のリレーやってた頃の横浜
相手チームは「6回までにリードしておかないと勝てない」とプレッシャーだったらしい 盛田のシュートと佐々木のフォークが強烈やったからなあ 佐々木は速くてもコントロール良かったからまだよかったが、
盛田は結構な確率でシュートが抜けてくるから打者は踏み込めず、
現実に一般的なイメージの盛田→佐々木、ではなく佐々木→盛田が
勝ちパターンになってた時期もあった。 佐々木が愚痴ってたな
盛田にタイトル獲らせるためになんで俺が中継ぎでいかなきゃいけないんだよとか
渡米する前 世界最高のクローザーであれば、マリアノ・リベラ
日本人最高のクローザーであれば、上原浩治か斎藤隆ってことで
ほぼ確定だな 球児忘れんなよ
上原?あの防御率の時点で論外、三振も狙って取れないし 佐々木もメジャーで上原、斎藤隆、大塚以下なのでなしだな >>164
お前佐々木の頃はストライクゾーンの違いやステロイド全盛の超打高という時代背景を考慮して言ってるんだよな?
それとも何も考えないで発言してる池沼かな? 傑出度でも佐々木よりその3人の方が優秀なんだよなあ
防御率やxFIPや傑出度のERA+やFIP+ >>165
そういうことだ→>>166
WARなんかの指標でもこの2人の方が上だからな 瞬間風速なら田村(阪神)
伊藤智とは違い「伝説」にはならないが。 リベラは0点台がないのが、今一つインパクトないんだよなぁ・・・
・・・ていうか佐々木豊田コバマサ藤川みたいな0点台って、
大リーグで聞いたことないな。イニング限定は
日本同様に定着してると思うんだが。前例あったっけ?
てことは大リーグナンバーワンはやはりリベラなのか。 >>169
2016年47セーブのザック・ブリットン防御率0.54(BAL)
1990年48セーブのデニス・エカーズリー防御率0.61(OAK)
あとロドニーとか てかリベラに0点台がないからインパクトないってどういうこっちゃねん ついでにリベラの最大の魅力はポストシーズンでの脅威の成績だから
96試合 141回 8勝1敗42セーブ 防御率0.70 WHIP0.76 おー、エカーズリーがあったなそういや。
でもMVP&サイヤング賞は92年だったんだよね。
個人的には90シーズンの方がインパクト強いなぁ。
つか73イニング与四球3って凄ぇな。
去年もあったのか、全然知らんかったw
リベラはポストシーズンは確かに強いね。
前任のウェッテランドがWS4試合セーブで、
久々の世界一に貢献したっけね。 90年はボブ・ウェルチが27勝だからサイヤングは流石に無理だね
確か27勝はスティーブ・カールトンまで遡るはず
あとその年はシグペンが57セーブという当時の大記録を打ち立てたのもエカーズリーの印象を薄くした そういやそうだったっけ。
27勝ウェルチと57セーブシグペンのシーズンだったっけね。
凄いシーズンだったなぁ。フィルダーも51本打ったし。
ウェルチはそれ程防御率が良くなくて、不思議な27勝ではあったなw
アスレチックス黄金時代やね(´・ω・`) そういえば岩瀬は日本シリーズ0.00だっけ
大魔神より唯一上回ってる点かな
一度も日本一になれなかったけど(2007年はリーグ優勝してないからだめ) リベラのポストシーズンでの唯一の敗戦が逆転サヨナラ世界一ってのもドラマチックだよね
あと最後の背番号42でポストシーズン通算42セーブってのも絵になる
エカーズリーの1990年はロジャー・クレメンスもサイヤング賞級の活躍した年でもあるんだよね確か 確かに日本限定とは書いてないけどさぁ
明らかにNPB限定で話進んでんのにメジャーの話ばかりするメジャー厨がウザすぎ 世界一はリベラでいいよ間違いないでしょきっと
ここからはNPB限定で決めようぜ 近鉄・石本
1985 70試合19勝3敗7S 3.56 131.1回 リリーフのみ
1986 64試合8勝3敗32S 3.38 117.0回 リリーフのみ
こういうのって現代じゃまず無い
3年しか持たないとか早々に潰れるのも分かる 昔は7回8回同点ぐらいから勝ち負けつくまで投げた感じか >>150
西山はアマ時代がピーク
奪三振の少ない速球投手って他にだれがいる? 郭泰源かな
球は速いけど実際はスライダーピッチャー >>179
おれメジャー詳しくないけど、
そういう選手もいるんだなって見てて勉強になるよ
日本限定ってルールがあるならまだしも、
勝手に日本限定縛りにして批判するのは違うと思うよ
そういう視野の狭さってつまらない >>188
話についていけないから悔しいだけでしょw
自分が無知なのが原因なのに勝手にキレてるだけw
世界の舞台を見ようともしないNPB脳なんだよww 昔ならメジャーの選手の成績やらを知る術はなかったが、今はネットで成績どころか動画でプレーを見ることができる。
メジャーの殿堂入りのスレッドとかあるけど、ああいうのは別のところでやって欲しいと思う。「ここは昔のプロ野球について語る板です。」ってうたってるんだから。
昔のプロ野球で自分が見たことない選手でも年長者から逸話を聞いたりすることがあるが、メジャーの過去の選手なんか誰も見てないんだから語り継ぐことも出来ない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています