史上最強の抑え投手は?©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
当時の全盛期の佐々木はビシっと決められたら誰も打てなかった
落合も高めだけに絞って、それでダメなら諦めるしかないってことだろうな 佐々木はメジャーでは上原や斎藤隆以下だったのでなし
やはりマリアノ・リベラでFAでしょ
佐々木も藤川もリベラと比べれば大したことはない 落合と佐々木というと、カモにしてたことよりも、あの開幕戦延長戦での佐々木デビュー登板が印象的だった
翌日大洋ファンの友人がめちゃくちゃ興奮してて、「落合が三振したのは佐々木のあまりの球威に手が出なかったからだった!すごい新人だ!」ってまくしたててたわ >>48
そんなのただのスーパー投手じゃないかw
抑えに限って必要な能力ではない 奪三振能力が必要なのはむしろ勝負どころで出てきて火消しする中継ぎ
抑えのそれは宝の持ち腐れ 昔の選手は3〜5年活躍しなければ年俸アップを言い出せなかったし
たいして上げてもらえなかったが
今は1年の活躍で大幅アップを要求するよな。 FA制度ができたのが大きい
「上げてくれないなら出ていきますよ?」と言える状況ができた 年俸の上がり幅自体が昔と比べて完全に狂ってるしな
ただ1年3割打っただけで3000万くらい上がったり
さらにFA制度があるという
こちらの思うような処遇にしてもらえないならFAで出ていきますから、と選手側も強気になった ついでに身の程知らずFAからのセルフ戦力外、
さらに野球の神様からも見放されて選手生命ほぼ喪失という
ホームラン級の自業自得愚か者までをも生み出したなw >>63-64
昔ってそこまで昔?w FA制度導入も24年前だが
むしろ昔のほうが給料が上がったな、と感じていたところ。
日米の給料差は2000年以降に急拡大した。 >>60、>>61
>>48の意味を理解してる?
抑えでも、抑えじゃなくてもどこでも必要だよ
与四球率・ゴロ率が同じなのであれば、奪三振率が高ければ高いほど良い
失点する可能性が減るのに、
抑えに限って必要ないってちゃんとレスを理解してるの?この人 まぁFA宣言というのは言わば自主退社だからなwww 奪三振が意味ないとかありえないな
中継ぎであれ抑えであれ、三振は取れれば取れるほど良い
バットに当たれば何かが起きる可能性が出てくる。ボテボテで抜けたりポテンヒット、エラーだって起こりうる
三振ならそれらが何も起きないんだから。せいぜい振り逃げくらい ここは三振が欲しいなって場面で狙って取れる投手
どんなポジションでも強い >>67
「なんでもすごいスーパー投手が良い」という当たり前かつ意味のない意見、承りました。 >>70-71
その意見打者に当てはめると「ホームランが多いほうがよい」と言ってるようなものw 幾ら奪三振率が高くても石毛みたいなのは要らんわ。まだ奪三振率が低くてもコバマサの方がマシ。 >>75
そんな例出されてもな
石毛はコントロール悪過ぎだったろ。
結果として三振じゃなくて、狙って取れる力のある投手
コントロールも良くなりゃできん 良くなりゃできん→良くなきゃできん
打ちミスすまん >>75
優先順位としては制球力>奪三振能力に思うな。
抑えは点差考えて投げられるポジションだから。
3点リードなら2点まではとられても良い、というように。
三者三振なんてことはできないが、走者をためることがない投手が良い。
鹿取とかペトラザとか金石とか、名抑えと思う。 コバマサwww
あの決壊する防波堤のことか
鹿取:実は20セーブ以上1回だけ、防御率1点台3回、0点台なし
ペドラサ:防御率1点台1回(1.98)、0点台なし、実質4年間の抑え期間の内3点台が2回(失笑)
金石:通算80セーブ、20セーブ以上1回だけセーブ王なし、防御率1点台すらなしwwwww
鹿取はともかくとして下2人のどこが名抑えなんだか
抑えってのは点差がない場面で出てくる=いかに点を取られないかが重要
防御率0点台2回、1点台前半4回、奪三振率12〜14がデフォの球児が最強だろ 郭、鹿取、津田のイニング跨ぎ&連投を当たり前に観てきたから、
大野や佐々木の1イニング限定は新鮮だったな
今じゃ「昔は酷いな」と思えるが >>80
点差でコントロールするとの>>79の趣旨からすれば、ERAは意味がないスタッツでは?
異なる時代の投手とセーブ数を比較するのは無知すぎ。
セーブってそもそも余り見ないスタッツだが、
抑えが9回1イニングに特化してから量産されて以降とそれ以前を単純比較するのはゴミ知能すぎる ギャラードの球の伸びが好きだったな。
史上最強という訳では、勿論ないけど。 昔の抑えはこんな感じよ。
1981年MVP・最優秀救援投手 江夏豊
45試合 3勝6敗25セーブ 83.0イニング
防御率2.82 86奪三振 20四球 ギャラードは投球フォームが日本人みたいな柔らかさがあった >>82
>異なる時代の投手とセーブ数を比較するのは無知すぎ。
>抑えが9回1イニングに特化してから量産されて以降とそれ以前を単純比較するのはゴミ知能すぎる
同意
昔と今じゃ抑えの起用法が違いすぎ
今はセーブが付くお膳立てをして最後の1イニング登板するだけ
昔は終盤のピンチに状況問わず登板して、結果としてセーブが付くこともある感じ
セーブじゃなく勝ち星が付くことも多く、状況も勝ってる場面だけじゃなく同点や負けてる場面すらあった
しかもイニングは7回とかから投げるのもザラで、回跨ぎは当たり前、延長になれば何イニングも投げたりな 今の1イニング限定抑えしか見たこと無い世代に言ってもまあ理解できないだろうけど
「抑え投手の寿命は3年」なんて言われてたのはこの当時の起用法だからで
今の抑えの起用法で3年でダメになるようじゃ話にならん
中継ぎ投手より出番のタイミングも予測できて調整もしやすいんだしな 昔は火消しなんて言われたが死語になったな
7回8回のしびれる場面で登場して仕留めるのがストッパーのだいご味だった
いまは回の頭からばかりでスリルがないな その昔は先発が300イニング投げるような時代だからな
今の全力投球での50イニングと昔のイニング跨ぎ前提での80イニング
どちらの負担がデカいかなんてわからんぞ? >>91
>その昔は先発が300イニング投げるような時代だからな
さすがにそこまで昔じゃなくてもw
俺は1980年代からしか見てないけど、抑えってそんなもんだった 確かに昔は完投数も今と比べれば断然多かったな
エース格は先発登板試合数の半分くらいは完投することもザラで
今は分業制が完全に確立されてるから、完投数は格段に減った
一軍半レベルのリリーフでもシーズン40試合くらい投げたりする >>85
数字だけを今の視点で見たら信頼出来ないリリーフだね。
でも当時、江夏は凄いと思っていた。
今と昔を単純に比べたらいけないしのは当然だけど
リリーフは特にその傾向が強いかも。
今じゃ防御率2点台の抑え(2割以上失敗?)なんて、登板時に相手チームから歓声があがる。 >>94
江夏自身も著書で、昔と今の抑えの起用法の違いを述べたうえで、
「我々の時代の抑えは成功率7割程度で良かった。でも今の時代の起用法なら9割5分以上の成功率が求められるだろう」
とか述べてた 起用法から考えても、やはり1992〜1994近鉄の赤堀は凄かったと思う
全て最優秀救援投手になり防御率1点台、しかも1992年は規定投球回数に到達して防御率タイトルまで獲ってる(先発は2試合のみ)
他2年も試合数の倍程度のイニング数
あの当時の防御率1点台って抑えでも記録するのは大変だった 今の起用法じゃ打たれないのが当たり前ってことだな
ペース配分を一切考えない全力投球ができることに加え
打者が一巡しない(球に慣れる間もなく終了)わけだからな >>90
セーブ王の表彰で火消しのハッピ着せられてた記憶がある。スポンサーも東京海上とかそんな感じで >>98
安田火災→損保ジャパンのスポンサーでファイアマン賞という表彰があったからな 9回1イニングセーブ場面限定のクローザーとやらは登板する場面で火なんかついてないからな
逆に火をつけに来る奴らの方が目につくw >>100
だから今の抑えにとって奪三振能力はほぼ意味がない。 中継ぎエース(セットアッパー)+クローザー(+ワンポイントリリーフ)=ストッパー
所謂ストッパーは今で言えば二つないし三つ以上の役割を兼任してるようなもんなので
江夏の言うとおり「成功率7割で良い」のはある意味で当たり前っちゃ当たり前
んでそのストッパーの役割を二つないし三つ以上に分業化させてるのが今なんだから
当然それぞれの役割における成功率が必然的に高くなるのも当たり前
成功率と負担分散の為の分業なんだし
ストッパーとして活動してたって意味では
真の意味で最後のストッパーは佐々木が最後じゃないかなぁ
佐々木は日本最後のストッパーであり日本最初のクローザーだと思う ざっくり言えばJFKの仕事を一人でこなすのがストッパーだわな
当然一人でこなすわけだから負担も上がるし成功率も下がる 佐々木がストッパーだったのは1992年ぐらいまでじゃないかね。
おそらく赤堀が最後のストッパー。 佐々木は一応メジャー行く前年(99年)まで投球回>登板数で
98年までは回跨ぎも普通にやってたけどメジャー移籍以降は普通に分業制クローザーになってたかな
高津は93年から97年は「ストッパー」と言えるかもしれない
特に先発転向に失敗して以降の97年は中継ぎ兼抑えとして大車輪(98年は不調で抑えから外される)
「クローザー」として定着したのが99年(若松監督就任による抑えへの再抜擢)でそこではまだ回跨ぎがあったけど
00年以降は完全に登板数>投球回になったある種純然たる「クローザー」業をしてた
赤堀はまさに生涯一「ストッパー」と言えそう
「クローザー」の経験がないに等しい
ただ実質的に仕事をした最後の年が98年だけど
厳密にいえばストッパーだったのは97年までなんだよね(98年からは先発と中継ぎ)
岩瀬は05年にクローザー定着後も投球回>登板数を重ねてるキチガイ
投球回から登板数を引いた差で見ると赤堀の97年が一番最後のストッパーな印象かもしれない
まぁ97年は佐々木も49試合登板で60回投げてるんだけど(赤堀は57試合登板で97.1回投げてる)
んで上の通り高津も97年に51試合登板で79.1回投げてる(先発分もあるし)
そういう意味ではまさに97年が「ストッパー終焉の年」であり「クローザー開始の年」と言えると思う あ、岩瀬の記録見違えてた
やっぱ抑え定着後は登板数>投球回の純然クローザーだわ 今の理想パターンは
JFKそれぞれの投球回=登板数=ホールド数ないしセーブ数、そして
前の投手がスリーアウト目をとっていることだろうね 先発、回跨ぎ、ロングリリーフ、連投、ランナーのいる場面、抑えと酷使され
2〜3年で実質的選手生命が終わった選手は多い。 そう考えると安藤・ノウミサン・JFKの役割をたった1人で8年間受け持った稲尾って凄すぎ。 稲尾はそもそも怪我した64年以外防御率3点台すらなかったキチガイ 赤堀
92年 50試合 11勝4敗22セーブ 130回 88三振 防1.80 WHIP0.92
93年 46試合 6勝6敗26セーブ 82.2回 60三振 防1.52 WHIP1.13
94年 45試合 9勝4敗24セーブ 94回 76三振 防1.82 WHIP0.96
96年 44試合 9勝4敗21セーブ 73.1回 67三振 防2.09 WHIP1.25
97年 57試合 10勝7敗23セーブ 97.1回 100三振 防3.05 WHIP1.38 以前は最優秀救援投手も、セーブ数+救援勝利数だったよな
それだけ現在のセーブ狙い1イニング限定抑えとは起用法が全然違った というかまさにセーブポイントという制度が
セーブとホールドに分割されたんだよね 88年郭源治の「37セーブ・44セーブポイント」はまさにストッパー記録の最後の秘境って感じだったな
大魔神佐々木が98年にセーブポイント塗り替えたときはさすがにおったまげた 見た目のセーブ数を稼げばお金も稼げるからね
それでストッパーの地位が向上した 佐々岡も大野もよく潰れなかったな
先発でもリリーフでもフル回転してたのに 山本和行や郭源治や下柳もそうだけど起用法をたらい回しにされた方が結果的には息が長くなるのかもな。 リベラは怪我だけが惜しかった
リベラ離脱後は福原が代役で抑えやってたな 大魔人と藤川は別格
全盛期は点が入るどころかバットにボールが当たるのかが注目になるくらい
大魔人のフォークは消える魔球みたいなもので打者はボールの軌道を見失っていた
藤川はホップする超速球でストレートがくるとわかっている打者が高めのクソボールを素人みたいに空振り
プロ打者が全く手も足も出ない展開でマンガみたいだった >>123
マリアノ・リベラねw
デニス・エカーズリーも最強のクローザーだった そうなんだよな。
「バットに当たる」ということは、打ち取っていてもイレギュラーやエラーによる出塁という
「何かが起こる」可能性があるということ。球児と大魔神はまずバットに当たらない、
しかも球種がわかっているのにという時点で他とはまったくの別格。
だからこそ防御率0点台を複数回達成している。
防御率1点台は優秀な抑えなら誰でもできるけど、バットに当たらずしかも0点台はこの2人以外無理。 >>115
セーブ数はチーム事情でかなり決まる。はっきりいって個人記録ではない。 >>125
いや、阪神にいたベン・リベラでしょ。二年目に怪我で退団したけどあれも良いストッパーだったから勿体ない >>130
は?
俺が言いたいのはマリアノ・リベラつってんだろ
阪神のリベラとかマリアノ・リベラの足元にも及ばんわ
そもそも日本なんかに来てる時点で比べるまでもないがな まぁ確かに一回「リン・リベラじゃなくてマリアノ・リベラの方だよ」的なこと言ってるのに、「いやリン・リベラでしょ」とか意味不明な返しされたらムカつくわなw 巨人史上最強は沢村、次点が西村、角、鹿取、クルンゴ、石毛 >>105
投球回>登板数 っていっても、平均1,1イニングとかじゃんw
権藤時代の佐々木はもう完全に1イニング限定クローザーだよ。 回跨ぎするしないっては全然違うらしいけどな
当時、「1イニングなら毎日でも」と言ってた佐々木と、
「たまには回跨ぎしてほしい」という首脳陣で対立があった覚えがある 1イニング限定なら山口や石本はもっと活躍していた。 >>136
巨人最強は1995西山
ようやく安心できる抑えが誕生した、と当時思った 20登板5勝1敗7S防御率0.55
当時の西山はまさに彗星の如く出てきてたな 石毛劇場に辟易としてた当時、ようやく安心できる抑えが出てきたと思った
槙原も当時「ようやくウチにも確固たる抑えができた」と思ったらしいw
当然1996も開幕から抑えを任されたわけだが、
前年とはうって変わって、1イニングすらマトモに抑えられずマウンドで涙目で首を傾げる姿連発
やっと1セーブ挙げたら涙ぐむという惨状っぷりだった 見るからにボールの見やすそうなフォームだったし、オフで対策されたんだろうな
クセも発見されたのかもしれん せめて一年通して活躍してくれれば推したいんだけど、
たしかシーズン後半の半分くらいだったよね? 西山 >>139
山口哲治はちとムリだと思うが、石本貴昭はあと2年くらいは活躍できたかな? 1イニングだけって叩かれるけど、
8回までに1点でも勝っていればいいって戦い方が出来るのは有利
セットアッパーも含めて、2012年頃「スコット鉄太郎」の巨人は
6回までにリードしていればいいって感じだった 出てきたときは典型的なアーム投げだったな、西山
現役晩年はサイドスローになってたが 盛田ー佐々木のリレーやってた頃の横浜
相手チームは「6回までにリードしておかないと勝てない」とプレッシャーだったらしい 盛田のシュートと佐々木のフォークが強烈やったからなあ 佐々木は速くてもコントロール良かったからまだよかったが、
盛田は結構な確率でシュートが抜けてくるから打者は踏み込めず、
現実に一般的なイメージの盛田→佐々木、ではなく佐々木→盛田が
勝ちパターンになってた時期もあった。 佐々木が愚痴ってたな
盛田にタイトル獲らせるためになんで俺が中継ぎでいかなきゃいけないんだよとか
渡米する前 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています