【V9戦士】巨人軍・黒江透修・背番号5【名参謀】 [無断転載禁止]©2ch.net
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鹿児島高校から杵島炭鉱、日炭高松、立正佼成会を経て、1964年に巨人に入団。
堅実な守備で広岡達朗の後継者(遊撃手)として活躍した。1974年に現役を引退。
引退後は巨人(1975年〜1978年)、中日(1981年〜1983年)、
西武(1984年〜1985年)(1990年〜1994年)、ロッテ(1996年)、
ダイエー(1998年〜2000年)、横浜(2001年〜2002年)でコーチを歴任し、
その指導能力は高く評価され、名参謀と呼ばれている。
特にダイエー時代は助監督として王監督を支え、今の最強ホークスの礎を共に
築き上げたことは最大の功績といってもよい。
2002年には、シーズン途中で解任された森祇晶監督の代行を務めた。その間の
勝率は.429と、その年の年間勝率(.363)を上回った。
通算成績
1135試合 打率.265(3478打数 923安打) 57本塁打 371打点 127盗塁
<過去スレ>
【V9戦士】巨人軍・黒江透修・背番号5【名参謀】
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1351075002/
【V9戦士】巨人軍・黒江透修・背番号5【名参謀】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1241679559/
【V9戦士】巨人軍・黒江透修・背番号5【名参謀】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1171868255/ >>3
黒江がコーチになる前からレギュラーで4番だが 「Chloeのバッグが欲しい」というお姉ちゃんを聞くたび
ケツだして四つん這いになっているこの人を想像する。 長嶋第1政権の時に、つまり最下位の時にコーチとしていたのかな? 75年は内野守備コーチ「補佐」。最下位の引責で須藤が辞任して昇格。
何故か日炭高松時代から九州学院高校時代の柳田俊郎と面識があったが、78年コーチの黒江が柳田をからかった事で
仲が険悪になり、V3失敗の戦犯としてマスコミの総攻撃を喰らって辞任した。
88年9月報知に王監督留任と黒江コーチ復帰が報じられたが、その日王監督「解任」発表。黒江の巨人復帰も成らず、
その10年後ダイエーで王監督・黒江助監督の形で再会した。 >>1
西武(2008年)が抜けているね。巨人を最終戦で振り切って日本一になったが1年で退任。大久保が打撃コーチで
功はあったが、一部選手との摩擦もあって黒江氏が調整役で腐心していた。
10年夏に大久保が菊池雄星の件で退団した時、東京ドームで当時阪神のブラゼルが評論家だった黒江氏とクビ
を斬るポーズで歓談していたとか。
黒江氏は現役の最後にプロ野球選手会の会長として経営者側と対峙していたから、巨人の球団幹部には疎んじ
がられていた。 ON、根本、広岡、森、ナベQ
全員とソリが合うのは黒江くらいか 嫌われ役や汚れ役を自称して実行していただけに
実際に嫌われた面もあったけど、逆に鈴木康友の様に慕っていた人もいたな。 >>17
当時は黒江みたいなザコがやるわけない。
並みの奴らまでベタベタした引退セレモニーやるようになったのは80年代後半になってから 長嶋監督(第一次)時代に、三塁コーチをしていたのが印象に残っている
三塁コーチが黒江、一塁コーチが国松だったね 柴田「V9ナインは黒江さん以外は鉄壁の守備」www >>16
大久保が不祥事でクビになった時、たまたま東京ドームの巨人−阪神の評論家で来てたら、阪神のブラゼルが笑いながら黒江さんに近寄って、チョップで自らのクビを斬るポーズをしてたとか。「アイツがクビになって嬉しい」って事で(笑) 火曜か水曜にBS1でやってた川上哲治の特集で、72年日本シリーズ第4戦9回裏の阪急のバスターを堀内−森のバッテリー、土井−黒江の2遊間が完全に読み切って阻止したのには震えたな。
これに匹敵するのは江夏のスクイズ外ししか無い。 すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
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OK8UF V9時代の日本シリーズの黒江の打席の 映像ないかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています