辞めた後、チームを焼け野原にする監督 [無断転載禁止]©2ch.net
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前任の安藤遺産を食いつぶして3年で最下位に落とした吉田義男 >>10
吉田は安藤で行き詰った阪神を再建してなんとかするために呼び戻された
しかし良くも悪くも一年目に優勝したことで大幅に予定が狂ってしまった >>8 9
監督野村がやめただけでなく。
レギュラーキャッチャー ストッパー 4番バッター が抜けたんだから
しょうがないだろ。 >>12
ストッパーだったら佐藤ミチも金城もいただろ。 狂ってはいない。
吉田のやりたかった野球って、バントなしの攻めオンリー野球。日本一になり、ある程度自由が利く中で周りは世代交代に切り替える思ったが吉田は違った。攻撃型野球の完成を目指した。だから柏原や田尾は、吉田の考えそのもの
唯一吉田が狂ったのは掛布の骨折 本当にもし掛布が骨折してなかったら
87年の打線はよっさん理想の攻撃型野球に変貌できたはず
本当に斎藤学を怨みたくなる
今どこで何してんのか 昔から吉田が通った後はぺんぺん草も生えないと言われてる。 >>19
斉藤学
ダイエー時代からホークスのコーチやっている無能なのに
山村善則藤田学石渡茂と並び聖域として居座っている 安藤が辞めた時点で阪神は一度当時フリーになってた西本幸雄にオファーをかけた
西本の手で一度選手を鍛え直して欲しいというのが当時の阪神フロントの意向
でも西本に断られその西本が推薦したのが吉田
吉田も鍛えて数年内の優勝を目指すつもりだったが結果は一年目に優勝、そして日本一
切り替えを進めていくつもりが優勝に貢献した選手を切れないということで
どんどん後手後手にまわってしまい主砲だった掛布の骨折と大幅な劣化で止め 96年途中で藤田平を解任して新監督にスパーキーアンダーソンを
招こうとしたら高齢も断られ三好のつながりで吉田が3回目の監督就任になった 若手が今みたいに次世代が皆無だったのが日本一以降の阪神の不幸だった
使えるのが和田や八木みたいな枝葉ばかり
切り替えようにも素材も少なかった事は確かで、しかも吉竹や北村を出して金森や田尾を取る始末
フロントと首脳陣がいかにバラバラかがよくわかる構図だった >>27
和田や八木なら今の次世代とやらと大差なくね? 吉竹も北村もそんな惜しむレベルの選手じゃないよ
特に北村は過大評価がすぎる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています