岡崎郁・鴻野淳基スレ [無断転載禁止]©2ch.net
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王巨人の遊撃手でしのぎを削っていた岡崎鴻野両選手について語りましょう 王V1の年、快走していた巨人が近藤ショックで
やや負けが込んでいたお盆頃に、
二人が立て続けに活躍してスランプ脱出した思い出 バラエティーか、プロ野球選手だけの運動会か忘れたけど
サッカーのシュート合戦で岡崎氏が
ゴールを打つ前にインタビューしにきた女子アナに
「俺サッカーやってたんだよ」って、言って
ゴールを決めたあとまたインタビューに来た女子アナに
「だから、俺サッカーやってたと言ってるだろが」って、
なぜかキレてたの覚えてるわ
今コーチ?監督?選手気の毒だなw 収録されていない場面で、
「岡崎さん、お上手ですね サッカーやってたんですか?」
とか聞かれていたとかそんな感じかね。
取りあえず岡崎は割と短気だった印象。 岡崎がキレて退場したことがあったけど巨人の選手にしては珍しいと思った 結局、正遊撃手争いを制したのは
川相さんだったというオチ アンチ巨人だったが二人のヒッティングマーチは好きだった GENKI いつの時も
HONKI 熱い男
YARUKI 俊足飛ばしてく
JUNKI ファイトだ 岡崎は篠塚2世と言われてたよな?
篠塚と比べると物足りない印象しかない。 初代ファミスタの「こうの」は
和正の方だという噂もある 初代ファミスタ1986年12月10日発売
1986
鴻野 .250 4本 20点 10盗塁 60試合 190打席
河埜 .203 1本 6点 0盗塁 43試合 66打席 1986年限りで引退
普通に鴻野だろ 1986
鴻野 スタメン 50試合
河埜 スタメン 18試合 ほとんど4月 こうのの走力14は、まつもとの16に次ぐチーム2位だから普通に淳基の方だよ
まあおかさきの走力が13あったりする変なゲームだけどw 若い選手は足が速いだろうというのがだいたい昔のゲームの特徴 韓国では「サッカー選手並みの給料払ってるのに足も遅いし肩も弱い」
と酷評されてたけどな 岡崎が輝いてたのは藤田2期目の3年ぐらい
鴻野は王時代の2年ぐらい
で川相が一気にレギュラーをとり長嶋茂雄時代に安全圏に
川相にはバントという長所があった
が岡崎や鴻野は特徴という特徴がなかった
唯一岡崎は勝負強さ
鴻野は時たまの一発
これではレギュラー維持は厳しかった 川相のレギュラーは守備偏重の藤田野球にぴたりとはまった、はまるように努めた結果であって
鴻野のパンチ力と俊足、岡崎の勝負強さ、勝呂のバランスは川相のバントに劣らない大きな特徴でしょう
王巨人がもう少し長く続いてたら、勝呂と岡崎の決め手を欠くレギュラー争いが続いていたと思う
川相はオリックスあたりに飛ばされてそこでイチローの後を打っていたかも
鴻野は・・・王監督の最後のほうで既に1番レフトだったと記憶している 何か勝呂好きだったけどなぁ。
一時期だけどはつらつとしてて。
長持ちしないタイプだったんかなぁ。 ルーキーイヤーの序盤は滅茶苦茶打っていたよな〜勝呂
結局.280ぐらいで終わったけど
それより、岡崎が過大評価過ぎると思うのは自分だけ?
打率は.250〜260程度だし、打点も勝負強いと言われた割にはそうでもない 岡崎がレギュラーって、藤田監督の4年間だけやん
藤田監督だけに過大評価されていただけ 当時の打線でクリーンアップを打っていたりもしたけど、
他にそうそう打てる打者がいなかったってだけだしなぁ。
サヨナラ打を打ったり試合終盤の満塁弾打ったりとか、
通算成績の割には、そこそこ勝負強かった印象はある 川相はもともとスイッチヒッターで右はパンチ力があった
だから最初は攻撃力で競争したが掴めなかった
で、藤田巨人に代わり緒方の脚を生かせる2番が必要になった
が藤田監督は岡崎は勝負強さにかけクリーンアップに
勝呂と川相の勝負になった
しかし派手だが安定感のない勝呂に代わり、地道にバントの猛練習をした川相がレギュラーを勝ち取った
長嶋茂雄も川相のバントやひたむきさを買って、二岡台頭までレギュラーは続いた
どうしても勝呂や鴻野みたいな派手組は、最初は使われるがいずれ消えてしまう 藤田監督時代になって、同郷で慶応の後輩の上田和明が抜擢されたのは、他のショートとしてはやるせなかっただろうな 上田は確か、大洋戦で連勝の新記録決めたホームランでレギュラーに浮上した
でも瞬間的に消えたな
結局それだけが光輝いただけだから
持続性はなかった http://sta-men.jp/1989giants.html
思い込みだけで自分の世界に浸ってるやつだな
決勝ホームラン(6/8大洋戦)の翌日もベンチ
そのあともひたすらベンチ 上田の売りって何だったんだ
長打が無ければ巧打力も無い
加えて守備が良いわけでもない 岡崎って通算成績からすると三流打者の域を出ないわけだが、勝負強い
とよく言われている。
その勝負強さを示す指標とか、あるのだろうか? >>36
大学時代は一応強打者だったらしい
>>37
少なくとも覚えてるのはサヨナラ打を2回(87年と89年)、
89年の阪神戦で決勝勝ち越し満塁弾を打ってる。指標ではないけど。 >>35
15試合もスタメンで使われているとは思わなかった 藤田巨人が連覇したときの岡崎は、優勝が決まった後に打率を下げてたということもあった 川相はプロ2年目で初に一軍だったかな。
高校時代投手だったのに
初めて守備を見た時にはすでに岡崎や鴻野より上手かった記憶がある。 岡崎こうの(変換しない)って、
二人とも敢えて言えばそこそこの打力が長所で、
守備も大して上手くないのにショートっていう割と残念なタイプだったなぁ。
先人の河埜がまぁまぁの長打力があっただけに、余計に残念だった。
二岡が出てくるまで巨人では大形ショートという表現は使えなかったなぁ。 岡崎は今のFA乱獲の巨人じゃあ、とてもレギュラーで生き残れない選手。
サードであの成績では、まっさきにFAで大物引っ張って来られ、退場。
ショートにしては守備力足りないし。 でも先人の河埜の落球が、群雄割拠の競争を生み出した事は確かだから
もし落球がなかったら、85年の阪神の日本一もなかっただろうし
河埜もしばらくは現役を続けたはずだから
また違った野球に変わってたはず
岡崎や鴻野は川相みたいなこれという特徴はあまりなかったから
レギュラーは厳しかった気はする どっちかいうとユーティリティプレーヤーみたいな
肩書きだった方が評価(重宝とでも言えば良いのか)
されてたかも知れんね。元木みたいな感じで。 岡崎、去年はイースタン優勝しながら賭博事件で解任されたが、本日スカウト部長に就任。 確かこの2人って結婚したのも同じ時期じゃなかったっけ? >>45
あの頃のサード岡崎って恐ろしく物足りなかったが
今のサード冬の時代だといい選手なうちだなw 王は、あからさまに「岡崎より鴻野を買っている」って言っちゃってたもんな
心の底からそう思っていたのか、それとも、岡崎の負けん気を煽っていたのか
そこらへんは不明だが >>50
どこのサードと比べているんだ?
今の球界で岡崎以下のレギュラー三塁手なんて
そうそういないだろ 鴻野はいかにも王監督好みの荒(粗)っぽいファイターだったけど
岡崎は根暗なうえに長嶋がほれ込んで強行指名した選手だから王に嫌われてもしゃーないw 勝呂って守備上手かったな
地味だけど、ショートの守備では小坂並みだった 岡崎は応援曲が神曲。
NPBでは今でも岡崎の応援曲を超える応援曲は存在しない。 巨人時代の勝呂って守備下手だったイメージ。
オリックス時代はうまくなったけど。 鴻野は広島大野と相性がいいとのことで、広島戦にセンターを守り、ファーストがクロマティだった試合があったのを思い出した。 長嶋監督が打てなくても打てなくても辛抱強く岡崎起用するので、俺は
「こんな年寄もういいから若手使ってよ。吉岡使えよ」って思ってた。 岡崎のオールスター出場4回は異常事態
しかも全部ファン投票 この時代のセ(原コンバート後から江藤の台頭の頃まで)は全体的にサードは人材難だったからなあ
パが石毛や松永がいただけに比較すると尚更 89〜92年にファン投票で出場か。記録見ると岡崎はその四年しか規定打席に達してない。
規定打席達したらファン選出オールスター出場とかONクラスだ。
対抗馬はロードン・岡田・落合・バンスロー・八木・オマリー。92年のオマリーに勝ったってのは凄い、というかタイガースファン何やってたのって感じ。 92年は更に監督推薦で中日前原が選ばれる事態。
どんだけ人材不足なんだよと… 92年のオマリーは5月に怪我して1ヶ月近く戦線離脱していた
丁度ファン投票の時期と重なったから票が伸びなかったと思う >>67
当時新庄が出始めでオマリー故障の間サードやっててノミネートのオマリーと票数が割れて漁夫の利で岡崎になっただけ >>71
数字の割にクラッチヒッターで「それなりに」長打もあった。
巨人ファンじゃなかったから、本当に嫌な存在だったわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています