1・元々右のリリーフとして鈴木康二朗「別名・王選手に756号を打たせてやった鈴木」が居た(この年も石本がセーブポイント制の最優秀救援に
輝いた陰で、地味に最多セーブを獲得していたり)
2・只でさえ弱体化していた投手陣から、鈴木啓示のシーズン途中の突然の引退で先発投手の層まで薄くなってしまった。

その2点より、
勝てると踏んだ試合は
先発の責任回数である5イニングを待たずに先発をサッサと降ろして石本を投入→石本を引っ張るだけ引っ張る
→引っ張り切れなくなったら鈴木康を投入して逃げ切る
との継投を連日の様にやっていた(´・ω・`)

以降で言えば1992年大洋の盛田が近い使われ方(すっかり衰えていた遠藤、斎藤明夫を3,4回くらいで降ろして盛田!そして8回から佐々木!みたいな)
だったな。
そりゃ好調を維持してればイニングも勝ち星も稼げるだろうって次第。
翌1986年は小野や佐々木が台頭して多少は先発が整ってきた事と、鈴木康の衰えもあって、3,4回から登板するなんてハチャメチャな起用こそ
無くなったが、7回くらいから登板して最後まで投げ切るなんてのは普通にやってた・・・・・・・・、そら潰れる罠(´・ω・`)

そんな石本を観ていた俺は、後に福岡ダイエーで似たような使われ方をしていた下柳の投手生命を危惧していたが。