1988年のプロ野球 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
・涙の10.19
・つまり、西武の4連覇
・さらば阪急南海
・郭はもう泣いてます、星野中日初優勝
・ビールかけのない自粛ムード
・東京ドーム開場も巨人見せ場なく王政権瓦解
・阪神暗黒の中、どんでん涙のHR
泣けるシーズンだった昭和最後の年。
この年に生まれた赤ちゃんは後に球史に名を残す面々として育っていくのでした。
※前スレ
1988年のプロ野球
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1403432680/ 西武では完全に出番が無かった秋元が大洋横浜では
それなりに出番を得てたというのもなんだかなあ
まあ森西武ではベテランの経験に基づく安定したリードと守備を
何よりも重視してたんだろうな >>556
それ、谷繁が完全に一本立ちするまでの繋ぎだったな 繋ぎと言うには500試合以上出場してるからな
普通に長年やった第二捕手レベル デビュー時の谷繁は馬鹿っぽかったからなあ。
須藤監督に「まだパンパースが取れていない」と酷評されていたw >>556
秋元って国学院久我山から日大に進んでいる(1年で中退し、ドラフト外で西武入団)んだけど、日大時代は野球部に在籍せず、
国学院久我山のコーチを務めていたそうで。
これって(選手としては体力不足だったりするものの)高校野球の監督候補と目された人がしばしば歩む経歴で、その事からも
若い頃から指導者としての資質が高く評価されていたみたいで、西武もその資質を買ったんだろうね。
例えば二軍の正捕手とか一軍のブルペン捕手として若手投手の面倒をみるとか。
その辺、元は近鉄パールズ監督を務めていた法政時代の監督・藤田省三から「ブルペンで投手陣の面倒を観てやってくれ」と頼まれて、
26歳と遅いプロ入りを決断したものの、パールズのあまりもの弱体且つ選手不足により、入団して2年ほど正捕手を「務めさせられた」
という根本さんらしい獲得だなあと思ったわ。
盤石の西武ではさすがに出番が無かったけど、結局、移籍先の横浜で谷繁の教育係をさせられた様なもんだし(´・ω・`) 広島は慶彦、山崎、長嶋が230程度の低打率の中、捕手の達川が260台と善戦していた。 チーム全体が打撃が振るわなかったからね
そんな中で、正田が2年連続で首位打者に 先発陣四人(村田、荘、薗川、小川)全員二けた勝利
頼れる押さえの牛島がリーグ最多の25セーブ
打線は高沢が首位打者、西村が盗塁王のタイトル獲得
これでぶっちぎりの最下位だった1988ロッテの謎 有藤が憎くて学級崩壊させていたから盛り上がりに欠いた
金八が赴任する前のクラスやスラダンのランガンやりたいと言っていた豊玉バスケ部みたいなもん 西武も二桁4人、近鉄は二桁5人
他球団には先発の5番手6番手がいたもののロッテはこの4人だけ
チーム防御率は最下位
牛島は前年度の最優秀救援投手から(2-4 24S 防1.29)から
1-6 25S 防4.47の「頼れない」抑えに
10.19でも同点で救援に出て、鈴木安打→本塁憤死→梨田勝ち越し打と盛り上げ役
なお当時の最優秀救援投手はセーブ+救援勝利のセーブポイント数が対象のため
受賞者は吉井
20本塁打者がいない(西武は30本塁打3人)
本塁打リーグ最少のピストル打線で得点はリーグ5位
10月に近鉄に8連敗したせいで一気に最下位転落したが、それまではAクラスも狙える位置
結局落合を放出して投手力の強化を狙ったが思ったほど強化されず
打線はピストル化で得点力だけ激減というのが有藤ロッテ
川崎なんだからノーガードの打ち合い野球を指向してればよかったのにな 見てりゃ当時のセリーグなら3位~4位には落ち着けそうな戦力な気もする いくら貧打でも広島の投手力だから
よくてその下だろうな
そもそも他リーグなら何位とかいう発想もよくわからんが 1億3000万でメジャー首位打者4回のレジェンドが獲れた時代 NHKのソフトバンク結果待ちで伊東とアナが10.19の思い出語り >>569
そのレジェンドが打席に入る時のテーマソングが「サザエさん」だったなw こんなご時世にいつまで受信料制度なんてやってんだよ 10/01 00:32 >>571
俺だったら「金曜ロードショー」のテーマでおむかえするのに >>565
10月に一気に最下位転落?7月からずっと最下位じゃん
まあ西武と近鉄が飛びぬけてたので残り4球団全部3位狙える
状況長く続いてたのは確かだけど9月終了時で3位のハムと
5.5ゲ=[ム差だぞ。さbキがに厳しい この年の今日、中日がリーグ優勝
その優勝決定試合で、「郭はもう泣いてます」という名実況が出る 郭はもう泣いてます
星野監督が蹴飛ばしています
蹴られた中村が泣いています >>567の3行目
それを認めたら、何でもありになってしまうからね >>582
ダイエーに移ってリリーフでほそぼそ投げた >>583
なかむら治彦の4コマでネタにされてたね
仙一に東山のボート上でダイエー行きのトレードを宣告されるという
貴重なアンダーなのか今はSBの三軍投手コーチ >>584
ん?東山?
ガキの頃ちょっと住んどっただけだで意味わからんでかんわ
東山公園のボートに乗ったカポーは別れるとかその類の話か? >>583
そして川崎に禁断の移籍をして大ブーイングを浴びる 高沢や平井にしろ首位打者獲得してるのに知名度低いね 10・19の重要キャラの高沢はそれなりに知られてると思うが
平井は一発屋でその一発もいわく付きかつショボい… マイナー球団
アヘ単
確変1年
モブ顔
名前が陳腐
これらが揃った首位打者は忘れられる存在 >>588
皆の記憶から消えた1998年に突如、自己最高の.320で一時期、イチローと首位打者争いしたんだが、
余程のプロ野球ファンでも「ああそんなの居たなあ・・・・つうかまだ現役だったの?」扱いだった。
その系譜はロッテ角中に受け継がれた模様(´・ω・`) たった12球団しか無いのにロッテがマイナー球団なんて… 正直、唯一の大看板・三冠落合が居なくなった1986年から、千葉移転後のバレンタイン旋風で2位に浮上した1995年までのロッテは、殆どの期間が4番不在
(2年ほどディアズが大砲として機能したけど)の人気と実力の両面で格下チームと観られていた。
そのバレンタインも1年で去り、又、元の下位定着チームに舞い戻った事から、人気面では地元密着で少しずつながら熱心なファンが付くようにはなったが、
一般野球ファンの認識は中々改まらなかったんよね・・・・・。 小池に拒否られたのが決定打。
もっともそれが有ったから球団も改善の必要性を感じたのかもしれない。 「えーーーっっ!?」
亜大のアホ一般学生w お前らなんかに用ねえよ
と 当時MARCHの準アホ学生としては思いました あの時、ロッテは12球団OKの選手を一位指名の予定だった。
それを金田が独断で小池に変更した。
交渉権を獲得した時に金田だけ無邪気に喜んでいたが
ロッテの人は「当たっちまった」と青くなったとか。 前年も小宮山一本釣りの予定がカネやんの鶴の一声で野茂に変わった
ただ野茂だったらロッテでも入団していたと思われるので若干運がなかったともいえる クジの結果を聞いた亜大の会場
「えーーっ!」の前に「どっ」という失笑が漏れていた 今年は3月1日以降は1988年と曜日の配置が同じなのか。
10月19日が水曜日だと感慨深いなあ。
そして、この時期になると野郎たちの挽歌を聴きたくなる。 栄光なき天才たちだけは読んだ 友達の単行本でだが
円谷そしてアベベの頃だな ここだけの話、西武ファンとしては「もっとやれ」と思ったものだ >>606
強欲モンめw 毎年毎年優勝して楽しいか この日に南海ホークス真の最終戦が川崎で行われたので自分の中では「10.20」
こっちはもう気持ちの整理がついていたので
前日にテレビで見たあの光景がここで と不思議な感覚で観戦していた 日本シリーズの裏で行われた阪急-ロッテ。
1厘差で逃げる高沢の欠場とそれを追いかける松永の四球攻めは予想できたが、
松永が最終打席でバットを放り投げてボールに当てに行ったのは予想外だった。
しかし、衰えを理由に引退する投手が最終登板で完投勝利を収めるなど、今では考えられない。
まあ、衰えは表向きで監督との確執が本当の理由とも言われていたような。 >>611
松永は1991年にも平井(またロッテ)と首位打者を争った末に破れている
しかも送りバントで首位打者決定と言う裏技 村田兆治も二桁勝った年に引退してるしな
ただ防御率は4.51とかなり悪かったから、その辺も理由になるのかもだが
ホームが狭い川崎球場というのを差し引いても 二桁勝利で引退と言えば小林繁、江川、村田、黒田
池永正明は18勝の翌年に永久追放 >>576
ありゃりゃ変な文字化けしてんな、チェック甘かったわ
ご注意ハンキュー >>606.608
そらそうよ。
>>605
仰木が余計な事するからヒートアップしたんやな。有難い仰木。 それまで散々ロッテが近鉄に負けていて西武ファンに疎まれていた 1982年の大洋との違いは飽きるほど優勝したとこをアシストしたか久々に優勝したとこのアシストなんだろうな
あちらは中日をアシストしたからあまり叩かれてないが、巨人をアシストしたら大炎上だったか >>619
あれ「敗退行為で関根監督を永久追放しろ」と怒っていた人がいたね >>614
門田さんと湯上谷もキャリアハイの年
未達ながら山本も該当するかも
バナザードも大当たりだったし佐々木も急成長
これで5位は身売りとは別に残念なシーズンであった 南海の前半戦の躍進はニュースステーションでも取り上げられた。 それは前年だな
前年の躍進を受けて、
この年は球団創立50周年、大物外国人バナザード入団
オープン戦絶好調、西川と西川がそれぞれオープン戦MVP、新人王
と期待を持ち上げるだけ持ち上げさせて、開幕7連敗で終わった
まあ今年の阪神みたいなもん ×西川と西川
○西川と若井
でした
その西川が開幕戦でオープン戦そのままの出来を維持して、7回まで無安打
8回に打たれた2安打で0-1の完封負け
翌日は若井の痛いエラーで6-9の打ち負け その日は泣く泣く滑り止めの門をくぐりオリエンテーションも終了
立川から西武球場行きのバスが出ていると聞き
明大前からだとこっちのルートがいいのかな と思ったのが運のつき
大渋滞でバスに缶詰にされ泣きながら球場入りしたのは7回
西川ノーヒット継続中で息を吹き返したものの その後の顛末にまた涙
3回も泣いてしまった日であった >>627
とりあえず本拠地も変わらず
南海みたいにどうにもカネがなくてというワケでもないし
しかし大阪急からワケのわからん企業に買われたという点で
むしろ同情すべきはこっちだったな 南海の身売りについては「あの惨状じゃしょうがない」って反応だったが
阪急の身売りについては驚かれていた
パの指名でも「阪急なら行こうか」って選手は多かったし
Aクラスを維持している70年代の王者だったし そうかな?
すでにパの盟主の座は西武に奪われ、不人気球団の烙印を押され、おまけに10.19の
熱戦と同日に身売り発表するKYぶりに疎まれた存在だった気がする。 今の中日なんてまさに80年代後半の南海・阪急そのものだな >>628
俺も明大1年生だった。
時間の自由がいくらでも効くあの時の状況で、なんで10.19を観に行かなかったのか?
まあ、あそこまでの凄いドラマになるとは思ってなかったこともあるが、悔やまれる。 >>608
楽しいですが、それが何か
この年の日本シリーズは、近鉄の思いも背負って中日を一蹴しましたが、それが何か
そして翌年は近鉄にリーグ優勝を譲ってあげましたが、それが何か 近鉄は勝負処で西武に弱かった。V9巨人時代の阪神はゴタゴタで自滅したが、近鉄はなんやっんだろ。
当時西武ファンだったから有難ったが。 >>634
奇遇ですな
私は翌日の川崎、南海ホークス最終試合を絶対に見に行くつもりでその日はバイトしていた
帰ってきたらテレビがえらいことになってたがw
まあなんだ 浪人なんかごめんと素直に入学したおかげで
南海ラストイヤーを十分に脳裏に焼きつけることができ結果オーライだったよ >>636
もしかしたら阪神同様に優勝したら年俸アップとかで金がかかるから、
優勝争いして惜しくも2位になっといた方がええという考え方だった可能性も?
近鉄フロントも大概ドケチだったからな 金を失うのが嫌で近鉄の鉄の字を「金矢」と書いていたという都市伝説があるからw 近鉄自体は「我こそが日本一の私鉄」とのプライドから、西武何ぞ!と蹴散らす気「だけ」は満々だったけど、優勝してもさして
年俸には反映しない(させない)球団で、年俸査定の基準もチーム成績に関わらず、まずは個人成績が最優先という体質から、
優勝よりも個人タイトルみたいな雰囲気が蔓延していたのは否めない・・・・・・・。 シブチンではあったが西武のライバルではあったのが凄いな
名スカウトの河西俊雄の手腕かもだが >>640
でも優勝チーム立てますとして一回優勝したチームを常に連覇させるのを繰り返している2010以降のセリーグよりはマシだな 南海・阪急が現在でも球団を保持し続ける世界線は見たかった ノスタルジーだけで廃線中止を訴える鉄オタみたいだな
平成の世に近鉄のようなプロ失格球団はさらに2つもいらないよ 近鉄OBの関根さんを前にして全く配慮のないデブーwww この年のドラフト一位は広島ノム謙、大洋谷繁だったが、一歩違ったら逆になってた可能性があったようだな。(この件はノム謙が高橋慶彦のYoutubeで暴露) また、この件に関連して、広島球団内では、ノム謙を取るか、谷繁を取るか?=高橋慶彦を残すか、達川を残すか?という球団内もしくは球界の運命を変える事態になってた(この件は達川がデーブ大久保のYoutubeで語ってた。) 能無犬は横浜合わないし谷しげも広島だったら芽が出なかったと思う >>648
もし、野村が大洋、谷繁が広島と仮定した場合、石井琢朗は今の名コーチ石井琢朗は無く、荒瀬詩織と結婚する事無く、COCOのメンバーに手を出す事無く、野球界から早く足を洗っている? >>649
ひょっとしたらセットアッパーで盛田を押し退けたかも知れないとは。
小柄ながら中日で1年のみ活躍した森田幸一を思わせるキレの良い速球でドンドン押していく
小気味よい投球だったのが印象に残っている。
只、石井自身は入団当初から内野手でやっていく積もりだったらしいから、レギュラー獲得当初の三塁手として、
ノムケンと鉄壁三遊間を組む方があり得たか。 有働アナのキャリアにも影響を与えたかもしれんからな琢朗 大下にいじめられてノイローゼになり3年で球界を去る谷繁 >>650
そうなると、進藤が全く出番に恵まれず、球界を去るか?もしくは広島にトレードされて、高橋慶彦の後釜に収まるか?ただ、大下に締められて、そのまま球界を去るか?それとも、仲の良い江藤と三遊間を組む事になるか? >>652
妄想だが、もし、そのような自体になった場合、達川も史実通りその頃に引退し、余剰戦力の西山も放出してたら、広島捕手陣はこの当時では12球団で最も激弱プラス超絶な層の薄さだな。今の巨人の捕手陣がマシに見えるぐらい。 >>654
西山が第二捕手になって達川のポジションを脅かすようになって
引退したんだが