「平幕優勝」

「相撲で例えれば平幕優勝、来年は関脇くらいだからもっと強くならなければ」と6年ぶり4度目の優勝を就任2年目で決めた中日・星野仙一監督は、
会見の場でおどけた表情で話していた。就任初年度は8ゲーム差の2位、王貞治の率いる巨人を“横綱”に置き換えての言葉だろうが、サヨナラ勝ち
11度、球宴明けの後半戦で41勝14敗の快進撃、確かに平幕力士の快挙にも見えるようなリーグ優勝だった。
前年の健闘でV奪回へ鼻息が荒かった星野だったが、出足は大きく躓いた。開幕戦で小松辰雄が右肘を痛めて降板して大洋に惜敗、前年断トツ
最下位の阪神に3タテを喰らうなど4月は5勝11敗で首位広島と早くも8差がついた。投手陣が振るわず先発陣は杉本正、川畑泰博、近藤真一が
総崩れで勝てず、抑えの郭源治も4月だけで3度失敗とエンジンがかかっていなかった。川畑、宮下昌己、江本晃一らが87年のような働きが出来ず
伸び悩んだ事と、計算に入れていた移籍の田中富生の不振が痛かった。5月後半に小松、6月に仁村徹が怪我から戻るとチームは借金完済、三番
降格の落合博満も遅まきながら力を出してきた。

7月の6連敗で再び借金生活となりヤクルトにも抜かれて4位まで転落したが、名古屋に戻っての緊急ミーティングで選手だけでなくコーチにも落ちた
星野のカミナリが効いて直後に6連勝、球宴明け初戦に勝って初めて首位に立つと巨人、広島の失速もあってそのまま独走でゴールテープを切った。
8月3日に四番の座を奪い返した落合が月間でサヨナラ打3本を放ちマジック25を点灯させてからも勢いは止まらず、以後も23勝9敗でプレッシャー
とは無縁の戦いぶりだった。
星野の思い切ったチーム改革が当たった形となった。大島康徳、平野謙といったV戦士を放出、交換で西武から来た小野和幸は18勝で最多勝を
獲得したが、前半と後半でそれぞれ9勝ずつとコンスタントに勝ち、8月10日から閉幕までは8連勝と破竹の勢いで不振の鈴木孝政をカバーした。
V戦士に対する大胆なチーム改造は、放出だけでなくコンバートという形でも表れた。遊撃の宇野勝を二塁、捕手の中尾孝義を外野に回したが、
遊撃に抜擢した新人・立浪和義のセンスと、正捕手に据えた盗塁阻止率1位の中村武志のタフさは星野の改造計画の柱だった。宇野には「立浪に
遊撃を守らせる。お前は二塁、やれるだろう」と有無を言わせず、中尾には代わりにキャプテンの役を与えて納得させた。
前年に続く若手登用は立浪らだけには留まらなかった。新切り込み隊長の彦野利勝は7月30日に本塁打、翌31日に適時打と連日の決勝打など
102安打。山田和利や音重鎮の出番も急増した。

星野自身「郭がいたから思い切りよくいけた」と言うように、投手起用はさらに積極的だった。前述の川畑や近藤に加え、米国留学から戻った左腕
山本昌広、新人上原晃を次々起用した。山本は救援の1勝も含め5勝無敗、上原は郭に繋ぐセットアッパーとして後半戦だけで24試合に投げた。
星野のタクトも冴えて1点差試合は34勝15敗、守護神の郭はチーム79勝中半分以上の44SPでMVPを受賞した。
日替わりヒーローが出現した独走優勝に星野は「V1で満足したらいかん。来年の目標は80勝」と言って道半ばを強調、これまでの“平幕”から
80勝を挙げて優勝する“横綱野球”を目指した星野の理想は高くなった。 (了)