1988年のプロ野球 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
・涙の10.19
・つまり、西武の4連覇
・さらば阪急南海
・郭はもう泣いてます、星野中日初優勝
・ビールかけのない自粛ムード
・東京ドーム開場も巨人見せ場なく王政権瓦解
・阪神暗黒の中、どんでん涙のHR
泣けるシーズンだった昭和最後の年。
この年に生まれた赤ちゃんは後に球史に名を残す面々として育っていくのでした。
※前スレ
1988年のプロ野球
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1403432680/ >>502
内角攻めが一年限定で効いた。
余りのテンポの悪さに相手の打撃のリズムが崩れ、何故か相手投手のリズムも崩れる
好リズムw
小野が投げる試合時間はいつもクソ長かった。 小野、開幕二戦目に先発してアップアップながらも9回を0点に抑え、
ゲーリーがサヨナラHRを打って1-0で勝ったんだっけ?
これで波に乗れたような気がする それでも二戦目に先発させたってことは、
星野さんも結構見抜いてたんかもね
たぶん小松が開幕投手だろうと思うけど、
杉本とかもいたからね この年の小野、巨人戦でタイムリーヒットを2本打った事もあったよね。
確かその後、郭がサヨナラホームランを打ったと思う
5月頃だったかな? リリーフエースがサヨナラホームラン
今では考えられん この年の各チームの抑えは
近鉄:吉井 ロッテ:牛島 南海:井上
中日:郭 巨人:鹿取 広島:津田 大洋:中山 ヤクルト:伊東 阪神:中西あたり?
西武は90年に鹿取・潮崎を獲得するまではっきりとした抑えはいなかった
阪急、日本ハムは誰だったかな?
この当時の抑えは2イニングくらい投げるのは当たり前だったよね 阪急の抑えは山内嘉弘
ハムは河野げんちゃんがやってたかな
ハムも先発陣の力で投げきるタイプだった >>511
西武より巨人の方が先に抑えを確立していたというのが、
今思うと意外だけど、実際そうだったのよね
王さんもう少し評価されて良いw 1987〜88年頃の西武は、東尾、工藤、渡辺、郭らの先発陣が、
勝ち試合はほとんど完投していたよね。
87年は渡辺が前半怪我をし、後半に復帰して抑えに廻ったけど… >>511
>>514
このあたりまでは、先発陣が勝ち試合はほとんど完投していたんだけど、
翌89年は工藤が絶不調で優勝を逃したもんだから、抑え投手を獲得
それで5連覇に至る 不遇な有藤が牛相手に古巣の完全試合を生観戦出来た
またひとつ10.19が終わった感がある 「平幕優勝」
「相撲で例えれば平幕優勝、来年は関脇くらいだからもっと強くならなければ」と6年ぶり4度目の優勝を就任2年目で決めた中日・星野仙一監督は、
会見の場でおどけた表情で話していた。就任初年度は8ゲーム差の2位、王貞治の率いる巨人を“横綱”に置き換えての言葉だろうが、サヨナラ勝ち
11度、球宴明けの後半戦で41勝14敗の快進撃、確かに平幕力士の快挙にも見えるようなリーグ優勝だった。
前年の健闘でV奪回へ鼻息が荒かった星野だったが、出足は大きく躓いた。開幕戦で小松辰雄が右肘を痛めて降板して大洋に惜敗、前年断トツ
最下位の阪神に3タテを喰らうなど4月は5勝11敗で首位広島と早くも8差がついた。投手陣が振るわず先発陣は杉本正、川畑泰博、近藤真一が
総崩れで勝てず、抑えの郭源治も4月だけで3度失敗とエンジンがかかっていなかった。川畑、宮下昌己、江本晃一らが87年のような働きが出来ず
伸び悩んだ事と、計算に入れていた移籍の田中富生の不振が痛かった。5月後半に小松、6月に仁村徹が怪我から戻るとチームは借金完済、三番
降格の落合博満も遅まきながら力を出してきた。
7月の6連敗で再び借金生活となりヤクルトにも抜かれて4位まで転落したが、名古屋に戻っての緊急ミーティングで選手だけでなくコーチにも落ちた
星野のカミナリが効いて直後に6連勝、球宴明け初戦に勝って初めて首位に立つと巨人、広島の失速もあってそのまま独走でゴールテープを切った。
8月3日に四番の座を奪い返した落合が月間でサヨナラ打3本を放ちマジック25を点灯させてからも勢いは止まらず、以後も23勝9敗でプレッシャー
とは無縁の戦いぶりだった。
星野の思い切ったチーム改革が当たった形となった。大島康徳、平野謙といったV戦士を放出、交換で西武から来た小野和幸は18勝で最多勝を
獲得したが、前半と後半でそれぞれ9勝ずつとコンスタントに勝ち、8月10日から閉幕までは8連勝と破竹の勢いで不振の鈴木孝政をカバーした。
V戦士に対する大胆なチーム改造は、放出だけでなくコンバートという形でも表れた。遊撃の宇野勝を二塁、捕手の中尾孝義を外野に回したが、
遊撃に抜擢した新人・立浪和義のセンスと、正捕手に据えた盗塁阻止率1位の中村武志のタフさは星野の改造計画の柱だった。宇野には「立浪に
遊撃を守らせる。お前は二塁、やれるだろう」と有無を言わせず、中尾には代わりにキャプテンの役を与えて納得させた。
前年に続く若手登用は立浪らだけには留まらなかった。新切り込み隊長の彦野利勝は7月30日に本塁打、翌31日に適時打と連日の決勝打など
102安打。山田和利や音重鎮の出番も急増した。
星野自身「郭がいたから思い切りよくいけた」と言うように、投手起用はさらに積極的だった。前述の川畑や近藤に加え、米国留学から戻った左腕
山本昌広、新人上原晃を次々起用した。山本は救援の1勝も含め5勝無敗、上原は郭に繋ぐセットアッパーとして後半戦だけで24試合に投げた。
星野のタクトも冴えて1点差試合は34勝15敗、守護神の郭はチーム79勝中半分以上の44SPでMVPを受賞した。
日替わりヒーローが出現した独走優勝に星野は「V1で満足したらいかん。来年の目標は80勝」と言って道半ばを強調、これまでの“平幕”から
80勝を挙げて優勝する“横綱野球”を目指した星野の理想は高くなった。 (了) この年折角優勝したが昭和天皇の容態悪化でビールかけ自粛。
日本シリーズでは西武に赤恥をかかされ、そのエラーの多さに
廣岡氏に「中日はキャッチボールからやり直すべき」と嘲笑される。 89年のオープン戦迄はV2も有るかもしれないと思った。 今も昔も人の神経を逆撫でさせることを言わせたら、広岡の右に出る者はいないw いつもいつも日本一になる試合でばかり審判疑惑起きるくせに「キャッチボールからやり直せ」だとさw
これだけ自分優位な審判疑惑起きて相手ファンきれさせたり監督のクビ飛ばしたりしてるのは怪しい この年に阪神・金森がホームランボールを捕ろうとして、
ラッキーゾーンの向こう側に落ちたシーン
今日の「クイズ!脳ベルSHOW」で出題されていました 西武時代末期の金森はバントを失敗してベンチに戻った後、森監督に説教されながらクリップボードで何度も頭を叩かれていた
森監督に嫌われてのシーズン中トレードか >>533
後年、阪神から更にヤクルトへ移籍し、森西武を倒して日本一
この時の金森はどんな気持ちだっただろう >>521
6連敗後の緊急ミーティングは帰名後でしたっけ?
当時の書籍では遠征先の札幌だったと記憶しております。
監督、コーチによるミーティングは深夜にまで及び、
星野監督は聞き役という感じであり、
コーチたちがここまでチームの事を考えてくれているのか、と涙したという記述もあったので
カミナリとは違っていたかと。
まあ、優勝への軌跡という感じの本だったので監督を美化していたかもしれませんが。 巨人の吉村クロマティ離脱が効いた。
今年の矢野に対するようなマスコミの王批判。
広島打線の無気力。 呂の初ホームランは弾丸ライナーで「凄いのが出てきた」と思った。
内角攻めですぐ壊された。
嫌いなたべものは?と聞かれて「川口、大野」と答えていた。 >>21
今思うと、当時から年齢が若いだけで何一つ若々しい印象無いタイプの3選手だったよね。
スパイスや中野とかは、当時から青髭濃かったし、大野はちょくちょく鼻髭生やしてたしね。それに、実際平田や岡田、木戸辺りの当時から中堅ベテランにみられていた選手とも、あまり歳の差無かったしね。 そういえば和田と木戸って、2歳ぐらいしか違わないよね 大野が「僕もう30だから少年隊とは・・・」と狼狽していたなw 当時は30だともうベテランもいいところだったしな
今はまだまだこれからな年齢だが 西武の伊東もベテランと言われていたかな?
まだ20代後半だったと思うけど 当時牛ファンで近鉄と西武のデッドヒートに
やきもきしていた。ただ新聞のスポーツ欄に打率成績の
表も見ていて後半戦になるとロッテ高沢と阪急松永も
首位打者争いのデッドヒートしていた。だが片や最下位、
片や4位のチームの選手の争いなのでまあどっちも頑張れよ
と思うくらいであった。だがその首位打者争いが優勝争い
とクロスオーバーしてしまう。あの10・19最終戦の
阿波野からの高沢の同点ホームラン、あれは高沢の
首位打者獲りの執念だった。あれで高沢は首位打者を
獲り近鉄は引き分けで優勝できなかった。 あまりにも優勝するチームは嫌われる傾向がある
10.19で西武が当事者なら逆な世論がロッテともども形成されたはず 日本一が決まった伊東のサヨナラ安打に何故か主力でもなく活躍していたわけでも
無い広橋が大喜びで伊東に抱き着き写真等で目立っているのが不思議w 左殺しとして貴重な一軍戦力なんだけどな>広橋
この年で言えばDHバークレオ、左翼安部が左先発だと
DH広橋、左翼西岡
常時一軍には帯同していた 少なくとも相馬とかいう二軍のレギュラーすら厳しい捕手が目立つよりは
はるかに資格はあると思う 当時は伊東が絶対的な捕手として君臨していたからね
その伊東が翌年にケガで戦線離脱したことで、一気に課題が出てきたけど ただ補強するにしても普段は完全な控えにしかならないから
結局は大宮に中尾といった下り坂のベテランでお茶を濁さざるを得なかった 西武では完全に出番が無かった秋元が大洋横浜では
それなりに出番を得てたというのもなんだかなあ
まあ森西武ではベテランの経験に基づく安定したリードと守備を
何よりも重視してたんだろうな >>556
それ、谷繁が完全に一本立ちするまでの繋ぎだったな 繋ぎと言うには500試合以上出場してるからな
普通に長年やった第二捕手レベル デビュー時の谷繁は馬鹿っぽかったからなあ。
須藤監督に「まだパンパースが取れていない」と酷評されていたw >>556
秋元って国学院久我山から日大に進んでいる(1年で中退し、ドラフト外で西武入団)んだけど、日大時代は野球部に在籍せず、
国学院久我山のコーチを務めていたそうで。
これって(選手としては体力不足だったりするものの)高校野球の監督候補と目された人がしばしば歩む経歴で、その事からも
若い頃から指導者としての資質が高く評価されていたみたいで、西武もその資質を買ったんだろうね。
例えば二軍の正捕手とか一軍のブルペン捕手として若手投手の面倒をみるとか。
その辺、元は近鉄パールズ監督を務めていた法政時代の監督・藤田省三から「ブルペンで投手陣の面倒を観てやってくれ」と頼まれて、
26歳と遅いプロ入りを決断したものの、パールズのあまりもの弱体且つ選手不足により、入団して2年ほど正捕手を「務めさせられた」
という根本さんらしい獲得だなあと思ったわ。
盤石の西武ではさすがに出番が無かったけど、結局、移籍先の横浜で谷繁の教育係をさせられた様なもんだし(´・ω・`) 広島は慶彦、山崎、長嶋が230程度の低打率の中、捕手の達川が260台と善戦していた。 チーム全体が打撃が振るわなかったからね
そんな中で、正田が2年連続で首位打者に 先発陣四人(村田、荘、薗川、小川)全員二けた勝利
頼れる押さえの牛島がリーグ最多の25セーブ
打線は高沢が首位打者、西村が盗塁王のタイトル獲得
これでぶっちぎりの最下位だった1988ロッテの謎 有藤が憎くて学級崩壊させていたから盛り上がりに欠いた
金八が赴任する前のクラスやスラダンのランガンやりたいと言っていた豊玉バスケ部みたいなもん 西武も二桁4人、近鉄は二桁5人
他球団には先発の5番手6番手がいたもののロッテはこの4人だけ
チーム防御率は最下位
牛島は前年度の最優秀救援投手から(2-4 24S 防1.29)から
1-6 25S 防4.47の「頼れない」抑えに
10.19でも同点で救援に出て、鈴木安打→本塁憤死→梨田勝ち越し打と盛り上げ役
なお当時の最優秀救援投手はセーブ+救援勝利のセーブポイント数が対象のため
受賞者は吉井
20本塁打者がいない(西武は30本塁打3人)
本塁打リーグ最少のピストル打線で得点はリーグ5位
10月に近鉄に8連敗したせいで一気に最下位転落したが、それまではAクラスも狙える位置
結局落合を放出して投手力の強化を狙ったが思ったほど強化されず
打線はピストル化で得点力だけ激減というのが有藤ロッテ
川崎なんだからノーガードの打ち合い野球を指向してればよかったのにな 見てりゃ当時のセリーグなら3位~4位には落ち着けそうな戦力な気もする いくら貧打でも広島の投手力だから
よくてその下だろうな
そもそも他リーグなら何位とかいう発想もよくわからんが 1億3000万でメジャー首位打者4回のレジェンドが獲れた時代 NHKのソフトバンク結果待ちで伊東とアナが10.19の思い出語り >>569
そのレジェンドが打席に入る時のテーマソングが「サザエさん」だったなw こんなご時世にいつまで受信料制度なんてやってんだよ 10/01 00:32 >>571
俺だったら「金曜ロードショー」のテーマでおむかえするのに >>565
10月に一気に最下位転落?7月からずっと最下位じゃん
まあ西武と近鉄が飛びぬけてたので残り4球団全部3位狙える
状況長く続いてたのは確かだけど9月終了時で3位のハムと
5.5ゲ=[ム差だぞ。さbキがに厳しい この年の今日、中日がリーグ優勝
その優勝決定試合で、「郭はもう泣いてます」という名実況が出る 郭はもう泣いてます
星野監督が蹴飛ばしています
蹴られた中村が泣いています >>567の3行目
それを認めたら、何でもありになってしまうからね >>582
ダイエーに移ってリリーフでほそぼそ投げた >>583
なかむら治彦の4コマでネタにされてたね
仙一に東山のボート上でダイエー行きのトレードを宣告されるという
貴重なアンダーなのか今はSBの三軍投手コーチ >>584
ん?東山?
ガキの頃ちょっと住んどっただけだで意味わからんでかんわ
東山公園のボートに乗ったカポーは別れるとかその類の話か? >>583
そして川崎に禁断の移籍をして大ブーイングを浴びる 高沢や平井にしろ首位打者獲得してるのに知名度低いね 10・19の重要キャラの高沢はそれなりに知られてると思うが
平井は一発屋でその一発もいわく付きかつショボい… マイナー球団
アヘ単
確変1年
モブ顔
名前が陳腐
これらが揃った首位打者は忘れられる存在 >>588
皆の記憶から消えた1998年に突如、自己最高の.320で一時期、イチローと首位打者争いしたんだが、
余程のプロ野球ファンでも「ああそんなの居たなあ・・・・つうかまだ現役だったの?」扱いだった。
その系譜はロッテ角中に受け継がれた模様(´・ω・`) たった12球団しか無いのにロッテがマイナー球団なんて… 正直、唯一の大看板・三冠落合が居なくなった1986年から、千葉移転後のバレンタイン旋風で2位に浮上した1995年までのロッテは、殆どの期間が4番不在
(2年ほどディアズが大砲として機能したけど)の人気と実力の両面で格下チームと観られていた。
そのバレンタインも1年で去り、又、元の下位定着チームに舞い戻った事から、人気面では地元密着で少しずつながら熱心なファンが付くようにはなったが、
一般野球ファンの認識は中々改まらなかったんよね・・・・・。 小池に拒否られたのが決定打。
もっともそれが有ったから球団も改善の必要性を感じたのかもしれない。 「えーーーっっ!?」
亜大のアホ一般学生w お前らなんかに用ねえよ
と 当時MARCHの準アホ学生としては思いました あの時、ロッテは12球団OKの選手を一位指名の予定だった。
それを金田が独断で小池に変更した。
交渉権を獲得した時に金田だけ無邪気に喜んでいたが
ロッテの人は「当たっちまった」と青くなったとか。 前年も小宮山一本釣りの予定がカネやんの鶴の一声で野茂に変わった
ただ野茂だったらロッテでも入団していたと思われるので若干運がなかったともいえる クジの結果を聞いた亜大の会場
「えーーっ!」の前に「どっ」という失笑が漏れていた 今年は3月1日以降は1988年と曜日の配置が同じなのか。
10月19日が水曜日だと感慨深いなあ。
そして、この時期になると野郎たちの挽歌を聴きたくなる。 栄光なき天才たちだけは読んだ 友達の単行本でだが
円谷そしてアベベの頃だな