1988年のプロ野球 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
もしソウルオリンピックがU-23でプロ解禁だったら?(昭和40年1月1日以降生まれ)
投手
潮崎 松下
渡辺智 NTT四国
野茂 新日鉄堺
以下プロ
水野
星野
渡辺久
桑田
捕手
古田 トヨタ
中村武志
内野
野村 駒沢
大森 慶応
以下プロ
清原
立浪
池山
田中幸
長嶋(笑)
外野
苫篠 中央
以下プロ
井上
緒方 井上もプロでまだ本塁打を打ってない段階だし
緒方に至っては一軍出場もまだ
これで選ぶ監督がいたらものすごい目の持ち主だね 緒方井上よりは、
どっちかいうと斎藤雅樹を入れてみたい
外人には強いし そうか、斎藤は早生まれだから出れるな。
この時点でまだ大ブレークしてないが。
この時期の若手外野は? >>461
当時のコユキは田中雄じゃないの?あと投手に水野の替わりに小野か津野、外野手に佐々木を。 >>461
そんな「たられば」なんか無意味なんだけど >>319
この当時のセリーグのAクラスとBクラスは、まさしく、大人と子供、ライオンとウサギぐらいの差があった。その中で阪神はBクラスの中でもドン底のなかのどん底だった。 そしていわゆるセカンドリーグ時代でパ・リーグとの差もありすぎ
ハムやロッテですら戦力だけなら3位に入れそうな感じだし
さすがに優勝は無いが 10.19の中継はABCも本来は21時で終了する予定だったはず
テレ朝で中継されることになっても最初は15分のみでそれ以降は番組繰り下げ扱いの予定だったからスポンサーなし状態になった ただしCMなしになったことで大問題になってしまったのも事実 今だったら近鉄ロッテをサブチャンネルに回す手もあったんだろうけどね セリーグはAクラスの監督2人が辞任。
Bクラスは全員留任。 NHKの川上の解説
今年は広島は優勝無理です。監督が辞めるの決まっているからやる気が出ません。 さすがドン川上
ゲスな人間性そのままのコメントを残しているなw 88年の広島。
25歳以下の1軍出場が極めて少ない。
投手は紀藤、川島のみ。
野手は高、緒方のみ。
投手の勝利は紀藤の4勝。本塁打は緒方の1本。
兎に角高齢化球団という印象が拭えなかった。
2軍では河田が盗塁王で打率もかなり高く、週べで穴吹氏が絶賛していた。
だが、阿南監督が一軍に上げたのは広島の未完の大器として有名な榊原、松林の2人だった。 プロ野球ニュースで中日の快進撃が話題になったときに立腹気味に別所が
「それはカネですよ。中日は試合で活躍した選手に賞金を出している。それは選手が目の色変えますよ」
と爆弾発言。この発言を口火にゴシップ雑誌や日刊ゲンダイは星野の金権野球と揶揄し出す。 タニマチが付いていることがマスコミのターゲットになった。
大●とかキャンプ地がベロビーチだったのもその関係と指摘された。 各ゴシップ紙は別所の戯れ言を真に受けてしまったわけか その後巨人も逆転ホームランを打った篠塚に王監督が100万円の監督賞あげたとか、普通に記事になってたw >>483
8月か9月か忘れましたが、巨人、中日の監督賞の大盤振る舞いの報道はありましたね。
巨人が100万円出すと言えば、中日は200万円にするとか。 後日優勝後、星野が別所を「あのおっさん」呼ばわりして大激怒 別所も、言っていいことと悪いことの区別がつかなかったのか >>485
セ・リーグにタニマチがいないチームは無いよ >>491
そんなに讀賣を持ち上げたいなら、讀賣系列の媒体で
思う存分言えば良かったのに >>494
巨人一軍投手コーチ時代の中村投手殴打事件(実際は殴打疑惑とすべきだけど)で、読売を事実上追放されちまったんだよ。
追放に川上監督が関与していたとされる。 >>494
青田がその後、日本テレビで解説者になったのを見ると。
青田も第一次長嶋時代にコーチで八百長発言したり必ずしも良いとは思えぬ。 >>495
ドン川上が暗躍していたのか
さすが、球界随一のゲスジジイだなw この年中日で駄目だったヒンショーって広島も狙ってたんだよね。
工事「ヒンショーゆう外国人どうやら?」
1001「アカン。アカン。やめとけ。」
工事「そうじゃろか」
ヒンショー中日入団。
中日ではダメ扱いだったが、広島入りだったらアレンよりマシだったと思う。 >>499
別の年じゃないか?
郭・ゲーリー・ブライアントともう一人居た?当時は最大3人制。
ヒンショーは名前でマスゴミに貧ショーって書かれるからジョージだったかと。 小野がこの年だけ確変した理由がわからない もともと大した投手でもない
西武時代も良くて先発投手陣の中で5~6番手だった >>502
内角攻めが一年限定で効いた。
余りのテンポの悪さに相手の打撃のリズムが崩れ、何故か相手投手のリズムも崩れる
好リズムw
小野が投げる試合時間はいつもクソ長かった。 小野、開幕二戦目に先発してアップアップながらも9回を0点に抑え、
ゲーリーがサヨナラHRを打って1-0で勝ったんだっけ?
これで波に乗れたような気がする それでも二戦目に先発させたってことは、
星野さんも結構見抜いてたんかもね
たぶん小松が開幕投手だろうと思うけど、
杉本とかもいたからね この年の小野、巨人戦でタイムリーヒットを2本打った事もあったよね。
確かその後、郭がサヨナラホームランを打ったと思う
5月頃だったかな? リリーフエースがサヨナラホームラン
今では考えられん この年の各チームの抑えは
近鉄:吉井 ロッテ:牛島 南海:井上
中日:郭 巨人:鹿取 広島:津田 大洋:中山 ヤクルト:伊東 阪神:中西あたり?
西武は90年に鹿取・潮崎を獲得するまではっきりとした抑えはいなかった
阪急、日本ハムは誰だったかな?
この当時の抑えは2イニングくらい投げるのは当たり前だったよね 阪急の抑えは山内嘉弘
ハムは河野げんちゃんがやってたかな
ハムも先発陣の力で投げきるタイプだった >>511
西武より巨人の方が先に抑えを確立していたというのが、
今思うと意外だけど、実際そうだったのよね
王さんもう少し評価されて良いw 1987〜88年頃の西武は、東尾、工藤、渡辺、郭らの先発陣が、
勝ち試合はほとんど完投していたよね。
87年は渡辺が前半怪我をし、後半に復帰して抑えに廻ったけど… >>511
>>514
このあたりまでは、先発陣が勝ち試合はほとんど完投していたんだけど、
翌89年は工藤が絶不調で優勝を逃したもんだから、抑え投手を獲得
それで5連覇に至る 不遇な有藤が牛相手に古巣の完全試合を生観戦出来た
またひとつ10.19が終わった感がある 「平幕優勝」
「相撲で例えれば平幕優勝、来年は関脇くらいだからもっと強くならなければ」と6年ぶり4度目の優勝を就任2年目で決めた中日・星野仙一監督は、
会見の場でおどけた表情で話していた。就任初年度は8ゲーム差の2位、王貞治の率いる巨人を“横綱”に置き換えての言葉だろうが、サヨナラ勝ち
11度、球宴明けの後半戦で41勝14敗の快進撃、確かに平幕力士の快挙にも見えるようなリーグ優勝だった。
前年の健闘でV奪回へ鼻息が荒かった星野だったが、出足は大きく躓いた。開幕戦で小松辰雄が右肘を痛めて降板して大洋に惜敗、前年断トツ
最下位の阪神に3タテを喰らうなど4月は5勝11敗で首位広島と早くも8差がついた。投手陣が振るわず先発陣は杉本正、川畑泰博、近藤真一が
総崩れで勝てず、抑えの郭源治も4月だけで3度失敗とエンジンがかかっていなかった。川畑、宮下昌己、江本晃一らが87年のような働きが出来ず
伸び悩んだ事と、計算に入れていた移籍の田中富生の不振が痛かった。5月後半に小松、6月に仁村徹が怪我から戻るとチームは借金完済、三番
降格の落合博満も遅まきながら力を出してきた。
7月の6連敗で再び借金生活となりヤクルトにも抜かれて4位まで転落したが、名古屋に戻っての緊急ミーティングで選手だけでなくコーチにも落ちた
星野のカミナリが効いて直後に6連勝、球宴明け初戦に勝って初めて首位に立つと巨人、広島の失速もあってそのまま独走でゴールテープを切った。
8月3日に四番の座を奪い返した落合が月間でサヨナラ打3本を放ちマジック25を点灯させてからも勢いは止まらず、以後も23勝9敗でプレッシャー
とは無縁の戦いぶりだった。
星野の思い切ったチーム改革が当たった形となった。大島康徳、平野謙といったV戦士を放出、交換で西武から来た小野和幸は18勝で最多勝を
獲得したが、前半と後半でそれぞれ9勝ずつとコンスタントに勝ち、8月10日から閉幕までは8連勝と破竹の勢いで不振の鈴木孝政をカバーした。
V戦士に対する大胆なチーム改造は、放出だけでなくコンバートという形でも表れた。遊撃の宇野勝を二塁、捕手の中尾孝義を外野に回したが、
遊撃に抜擢した新人・立浪和義のセンスと、正捕手に据えた盗塁阻止率1位の中村武志のタフさは星野の改造計画の柱だった。宇野には「立浪に
遊撃を守らせる。お前は二塁、やれるだろう」と有無を言わせず、中尾には代わりにキャプテンの役を与えて納得させた。
前年に続く若手登用は立浪らだけには留まらなかった。新切り込み隊長の彦野利勝は7月30日に本塁打、翌31日に適時打と連日の決勝打など
102安打。山田和利や音重鎮の出番も急増した。
星野自身「郭がいたから思い切りよくいけた」と言うように、投手起用はさらに積極的だった。前述の川畑や近藤に加え、米国留学から戻った左腕
山本昌広、新人上原晃を次々起用した。山本は救援の1勝も含め5勝無敗、上原は郭に繋ぐセットアッパーとして後半戦だけで24試合に投げた。
星野のタクトも冴えて1点差試合は34勝15敗、守護神の郭はチーム79勝中半分以上の44SPでMVPを受賞した。
日替わりヒーローが出現した独走優勝に星野は「V1で満足したらいかん。来年の目標は80勝」と言って道半ばを強調、これまでの“平幕”から
80勝を挙げて優勝する“横綱野球”を目指した星野の理想は高くなった。 (了) この年折角優勝したが昭和天皇の容態悪化でビールかけ自粛。
日本シリーズでは西武に赤恥をかかされ、そのエラーの多さに
廣岡氏に「中日はキャッチボールからやり直すべき」と嘲笑される。 89年のオープン戦迄はV2も有るかもしれないと思った。 今も昔も人の神経を逆撫でさせることを言わせたら、広岡の右に出る者はいないw いつもいつも日本一になる試合でばかり審判疑惑起きるくせに「キャッチボールからやり直せ」だとさw
これだけ自分優位な審判疑惑起きて相手ファンきれさせたり監督のクビ飛ばしたりしてるのは怪しい この年に阪神・金森がホームランボールを捕ろうとして、
ラッキーゾーンの向こう側に落ちたシーン
今日の「クイズ!脳ベルSHOW」で出題されていました 西武時代末期の金森はバントを失敗してベンチに戻った後、森監督に説教されながらクリップボードで何度も頭を叩かれていた
森監督に嫌われてのシーズン中トレードか >>533
後年、阪神から更にヤクルトへ移籍し、森西武を倒して日本一
この時の金森はどんな気持ちだっただろう >>521
6連敗後の緊急ミーティングは帰名後でしたっけ?
当時の書籍では遠征先の札幌だったと記憶しております。
監督、コーチによるミーティングは深夜にまで及び、
星野監督は聞き役という感じであり、
コーチたちがここまでチームの事を考えてくれているのか、と涙したという記述もあったので
カミナリとは違っていたかと。
まあ、優勝への軌跡という感じの本だったので監督を美化していたかもしれませんが。 巨人の吉村クロマティ離脱が効いた。
今年の矢野に対するようなマスコミの王批判。
広島打線の無気力。 呂の初ホームランは弾丸ライナーで「凄いのが出てきた」と思った。
内角攻めですぐ壊された。
嫌いなたべものは?と聞かれて「川口、大野」と答えていた。 >>21
今思うと、当時から年齢が若いだけで何一つ若々しい印象無いタイプの3選手だったよね。
スパイスや中野とかは、当時から青髭濃かったし、大野はちょくちょく鼻髭生やしてたしね。それに、実際平田や岡田、木戸辺りの当時から中堅ベテランにみられていた選手とも、あまり歳の差無かったしね。 そういえば和田と木戸って、2歳ぐらいしか違わないよね 大野が「僕もう30だから少年隊とは・・・」と狼狽していたなw 当時は30だともうベテランもいいところだったしな
今はまだまだこれからな年齢だが 西武の伊東もベテランと言われていたかな?
まだ20代後半だったと思うけど 当時牛ファンで近鉄と西武のデッドヒートに
やきもきしていた。ただ新聞のスポーツ欄に打率成績の
表も見ていて後半戦になるとロッテ高沢と阪急松永も
首位打者争いのデッドヒートしていた。だが片や最下位、
片や4位のチームの選手の争いなのでまあどっちも頑張れよ
と思うくらいであった。だがその首位打者争いが優勝争い
とクロスオーバーしてしまう。あの10・19最終戦の
阿波野からの高沢の同点ホームラン、あれは高沢の
首位打者獲りの執念だった。あれで高沢は首位打者を
獲り近鉄は引き分けで優勝できなかった。 あまりにも優勝するチームは嫌われる傾向がある
10.19で西武が当事者なら逆な世論がロッテともども形成されたはず 日本一が決まった伊東のサヨナラ安打に何故か主力でもなく活躍していたわけでも
無い広橋が大喜びで伊東に抱き着き写真等で目立っているのが不思議w 左殺しとして貴重な一軍戦力なんだけどな>広橋
この年で言えばDHバークレオ、左翼安部が左先発だと
DH広橋、左翼西岡
常時一軍には帯同していた 少なくとも相馬とかいう二軍のレギュラーすら厳しい捕手が目立つよりは
はるかに資格はあると思う 当時は伊東が絶対的な捕手として君臨していたからね
その伊東が翌年にケガで戦線離脱したことで、一気に課題が出てきたけど ただ補強するにしても普段は完全な控えにしかならないから
結局は大宮に中尾といった下り坂のベテランでお茶を濁さざるを得なかった 西武では完全に出番が無かった秋元が大洋横浜では
それなりに出番を得てたというのもなんだかなあ
まあ森西武ではベテランの経験に基づく安定したリードと守備を
何よりも重視してたんだろうな >>556
それ、谷繁が完全に一本立ちするまでの繋ぎだったな 繋ぎと言うには500試合以上出場してるからな
普通に長年やった第二捕手レベル デビュー時の谷繁は馬鹿っぽかったからなあ。
須藤監督に「まだパンパースが取れていない」と酷評されていたw >>556
秋元って国学院久我山から日大に進んでいる(1年で中退し、ドラフト外で西武入団)んだけど、日大時代は野球部に在籍せず、
国学院久我山のコーチを務めていたそうで。
これって(選手としては体力不足だったりするものの)高校野球の監督候補と目された人がしばしば歩む経歴で、その事からも
若い頃から指導者としての資質が高く評価されていたみたいで、西武もその資質を買ったんだろうね。
例えば二軍の正捕手とか一軍のブルペン捕手として若手投手の面倒をみるとか。
その辺、元は近鉄パールズ監督を務めていた法政時代の監督・藤田省三から「ブルペンで投手陣の面倒を観てやってくれ」と頼まれて、
26歳と遅いプロ入りを決断したものの、パールズのあまりもの弱体且つ選手不足により、入団して2年ほど正捕手を「務めさせられた」
という根本さんらしい獲得だなあと思ったわ。
盤石の西武ではさすがに出番が無かったけど、結局、移籍先の横浜で谷繁の教育係をさせられた様なもんだし(´・ω・`) 広島は慶彦、山崎、長嶋が230程度の低打率の中、捕手の達川が260台と善戦していた。 チーム全体が打撃が振るわなかったからね
そんな中で、正田が2年連続で首位打者に 先発陣四人(村田、荘、薗川、小川)全員二けた勝利
頼れる押さえの牛島がリーグ最多の25セーブ
打線は高沢が首位打者、西村が盗塁王のタイトル獲得
これでぶっちぎりの最下位だった1988ロッテの謎 有藤が憎くて学級崩壊させていたから盛り上がりに欠いた
金八が赴任する前のクラスやスラダンのランガンやりたいと言っていた豊玉バスケ部みたいなもん 西武も二桁4人、近鉄は二桁5人
他球団には先発の5番手6番手がいたもののロッテはこの4人だけ
チーム防御率は最下位
牛島は前年度の最優秀救援投手から(2-4 24S 防1.29)から
1-6 25S 防4.47の「頼れない」抑えに
10.19でも同点で救援に出て、鈴木安打→本塁憤死→梨田勝ち越し打と盛り上げ役
なお当時の最優秀救援投手はセーブ+救援勝利のセーブポイント数が対象のため
受賞者は吉井
20本塁打者がいない(西武は30本塁打3人)
本塁打リーグ最少のピストル打線で得点はリーグ5位
10月に近鉄に8連敗したせいで一気に最下位転落したが、それまではAクラスも狙える位置
結局落合を放出して投手力の強化を狙ったが思ったほど強化されず
打線はピストル化で得点力だけ激減というのが有藤ロッテ
川崎なんだからノーガードの打ち合い野球を指向してればよかったのにな 見てりゃ当時のセリーグなら3位~4位には落ち着けそうな戦力な気もする いくら貧打でも広島の投手力だから
よくてその下だろうな
そもそも他リーグなら何位とかいう発想もよくわからんが 1億3000万でメジャー首位打者4回のレジェンドが獲れた時代 NHKのソフトバンク結果待ちで伊東とアナが10.19の思い出語り >>569
そのレジェンドが打席に入る時のテーマソングが「サザエさん」だったなw こんなご時世にいつまで受信料制度なんてやってんだよ 10/01 00:32 >>571
俺だったら「金曜ロードショー」のテーマでおむかえするのに >>565
10月に一気に最下位転落?7月からずっと最下位じゃん
まあ西武と近鉄が飛びぬけてたので残り4球団全部3位狙える
状況長く続いてたのは確かだけど9月終了時で3位のハムと
5.5ゲ=[ム差だぞ。さbキがに厳しい この年の今日、中日がリーグ優勝
その優勝決定試合で、「郭はもう泣いてます」という名実況が出る 郭はもう泣いてます
星野監督が蹴飛ばしています
蹴られた中村が泣いています >>567の3行目
それを認めたら、何でもありになってしまうからね >>582
ダイエーに移ってリリーフでほそぼそ投げた >>583
なかむら治彦の4コマでネタにされてたね
仙一に東山のボート上でダイエー行きのトレードを宣告されるという
貴重なアンダーなのか今はSBの三軍投手コーチ >>584
ん?東山?
ガキの頃ちょっと住んどっただけだで意味わからんでかんわ
東山公園のボートに乗ったカポーは別れるとかその類の話か? >>583
そして川崎に禁断の移籍をして大ブーイングを浴びる 高沢や平井にしろ首位打者獲得してるのに知名度低いね 10・19の重要キャラの高沢はそれなりに知られてると思うが
平井は一発屋でその一発もいわく付きかつショボい… マイナー球団
アヘ単
確変1年
モブ顔
名前が陳腐
これらが揃った首位打者は忘れられる存在 >>588
皆の記憶から消えた1998年に突如、自己最高の.320で一時期、イチローと首位打者争いしたんだが、
余程のプロ野球ファンでも「ああそんなの居たなあ・・・・つうかまだ現役だったの?」扱いだった。
その系譜はロッテ角中に受け継がれた模様(´・ω・`) たった12球団しか無いのにロッテがマイナー球団なんて… 正直、唯一の大看板・三冠落合が居なくなった1986年から、千葉移転後のバレンタイン旋風で2位に浮上した1995年までのロッテは、殆どの期間が4番不在
(2年ほどディアズが大砲として機能したけど)の人気と実力の両面で格下チームと観られていた。
そのバレンタインも1年で去り、又、元の下位定着チームに舞い戻った事から、人気面では地元密着で少しずつながら熱心なファンが付くようにはなったが、
一般野球ファンの認識は中々改まらなかったんよね・・・・・。 小池に拒否られたのが決定打。
もっともそれが有ったから球団も改善の必要性を感じたのかもしれない。 「えーーーっっ!?」
亜大のアホ一般学生w お前らなんかに用ねえよ
と 当時MARCHの準アホ学生としては思いました あの時、ロッテは12球団OKの選手を一位指名の予定だった。
それを金田が独断で小池に変更した。
交渉権を獲得した時に金田だけ無邪気に喜んでいたが
ロッテの人は「当たっちまった」と青くなったとか。 前年も小宮山一本釣りの予定がカネやんの鶴の一声で野茂に変わった
ただ野茂だったらロッテでも入団していたと思われるので若干運がなかったともいえる クジの結果を聞いた亜大の会場
「えーーっ!」の前に「どっ」という失笑が漏れていた 今年は3月1日以降は1988年と曜日の配置が同じなのか。
10月19日が水曜日だと感慨深いなあ。
そして、この時期になると野郎たちの挽歌を聴きたくなる。 栄光なき天才たちだけは読んだ 友達の単行本でだが
円谷そしてアベベの頃だな ここだけの話、西武ファンとしては「もっとやれ」と思ったものだ >>606
強欲モンめw 毎年毎年優勝して楽しいか この日に南海ホークス真の最終戦が川崎で行われたので自分の中では「10.20」
こっちはもう気持ちの整理がついていたので
前日にテレビで見たあの光景がここで と不思議な感覚で観戦していた 日本シリーズの裏で行われた阪急-ロッテ。
1厘差で逃げる高沢の欠場とそれを追いかける松永の四球攻めは予想できたが、
松永が最終打席でバットを放り投げてボールに当てに行ったのは予想外だった。
しかし、衰えを理由に引退する投手が最終登板で完投勝利を収めるなど、今では考えられない。
まあ、衰えは表向きで監督との確執が本当の理由とも言われていたような。 >>611
松永は1991年にも平井(またロッテ)と首位打者を争った末に破れている
しかも送りバントで首位打者決定と言う裏技 村田兆治も二桁勝った年に引退してるしな
ただ防御率は4.51とかなり悪かったから、その辺も理由になるのかもだが
ホームが狭い川崎球場というのを差し引いても 二桁勝利で引退と言えば小林繁、江川、村田、黒田
池永正明は18勝の翌年に永久追放 >>576
ありゃりゃ変な文字化けしてんな、チェック甘かったわ
ご注意ハンキュー >>606.608
そらそうよ。
>>605
仰木が余計な事するからヒートアップしたんやな。有難い仰木。 それまで散々ロッテが近鉄に負けていて西武ファンに疎まれていた 1982年の大洋との違いは飽きるほど優勝したとこをアシストしたか久々に優勝したとこのアシストなんだろうな
あちらは中日をアシストしたからあまり叩かれてないが、巨人をアシストしたら大炎上だったか >>619
あれ「敗退行為で関根監督を永久追放しろ」と怒っていた人がいたね >>614
門田さんと湯上谷もキャリアハイの年
未達ながら山本も該当するかも
バナザードも大当たりだったし佐々木も急成長
これで5位は身売りとは別に残念なシーズンであった 南海の前半戦の躍進はニュースステーションでも取り上げられた。 それは前年だな
前年の躍進を受けて、
この年は球団創立50周年、大物外国人バナザード入団
オープン戦絶好調、西川と西川がそれぞれオープン戦MVP、新人王
と期待を持ち上げるだけ持ち上げさせて、開幕7連敗で終わった
まあ今年の阪神みたいなもん ×西川と西川
○西川と若井
でした
その西川が開幕戦でオープン戦そのままの出来を維持して、7回まで無安打
8回に打たれた2安打で0-1の完封負け
翌日は若井の痛いエラーで6-9の打ち負け その日は泣く泣く滑り止めの門をくぐりオリエンテーションも終了
立川から西武球場行きのバスが出ていると聞き
明大前からだとこっちのルートがいいのかな と思ったのが運のつき
大渋滞でバスに缶詰にされ泣きながら球場入りしたのは7回
西川ノーヒット継続中で息を吹き返したものの その後の顛末にまた涙
3回も泣いてしまった日であった >>627
とりあえず本拠地も変わらず
南海みたいにどうにもカネがなくてというワケでもないし
しかし大阪急からワケのわからん企業に買われたという点で
むしろ同情すべきはこっちだったな 南海の身売りについては「あの惨状じゃしょうがない」って反応だったが
阪急の身売りについては驚かれていた
パの指名でも「阪急なら行こうか」って選手は多かったし
Aクラスを維持している70年代の王者だったし そうかな?
すでにパの盟主の座は西武に奪われ、不人気球団の烙印を押され、おまけに10.19の
熱戦と同日に身売り発表するKYぶりに疎まれた存在だった気がする。 今の中日なんてまさに80年代後半の南海・阪急そのものだな >>628
俺も明大1年生だった。
時間の自由がいくらでも効くあの時の状況で、なんで10.19を観に行かなかったのか?
まあ、あそこまでの凄いドラマになるとは思ってなかったこともあるが、悔やまれる。 >>608
楽しいですが、それが何か
この年の日本シリーズは、近鉄の思いも背負って中日を一蹴しましたが、それが何か
そして翌年は近鉄にリーグ優勝を譲ってあげましたが、それが何か 近鉄は勝負処で西武に弱かった。V9巨人時代の阪神はゴタゴタで自滅したが、近鉄はなんやっんだろ。
当時西武ファンだったから有難ったが。 >>634
奇遇ですな
私は翌日の川崎、南海ホークス最終試合を絶対に見に行くつもりでその日はバイトしていた
帰ってきたらテレビがえらいことになってたがw
まあなんだ 浪人なんかごめんと素直に入学したおかげで
南海ラストイヤーを十分に脳裏に焼きつけることができ結果オーライだったよ >>636
もしかしたら阪神同様に優勝したら年俸アップとかで金がかかるから、
優勝争いして惜しくも2位になっといた方がええという考え方だった可能性も?
近鉄フロントも大概ドケチだったからな 金を失うのが嫌で近鉄の鉄の字を「金矢」と書いていたという都市伝説があるからw 近鉄自体は「我こそが日本一の私鉄」とのプライドから、西武何ぞ!と蹴散らす気「だけ」は満々だったけど、優勝してもさして
年俸には反映しない(させない)球団で、年俸査定の基準もチーム成績に関わらず、まずは個人成績が最優先という体質から、
優勝よりも個人タイトルみたいな雰囲気が蔓延していたのは否めない・・・・・・・。 シブチンではあったが西武のライバルではあったのが凄いな
名スカウトの河西俊雄の手腕かもだが >>640
でも優勝チーム立てますとして一回優勝したチームを常に連覇させるのを繰り返している2010以降のセリーグよりはマシだな 南海・阪急が現在でも球団を保持し続ける世界線は見たかった ノスタルジーだけで廃線中止を訴える鉄オタみたいだな
平成の世に近鉄のようなプロ失格球団はさらに2つもいらないよ 近鉄OBの関根さんを前にして全く配慮のないデブーwww この年のドラフト一位は広島ノム謙、大洋谷繁だったが、一歩違ったら逆になってた可能性があったようだな。(この件はノム謙が高橋慶彦のYoutubeで暴露) また、この件に関連して、広島球団内では、ノム謙を取るか、谷繁を取るか?=高橋慶彦を残すか、達川を残すか?という球団内もしくは球界の運命を変える事態になってた(この件は達川がデーブ大久保のYoutubeで語ってた。) 能無犬は横浜合わないし谷しげも広島だったら芽が出なかったと思う >>648
もし、野村が大洋、谷繁が広島と仮定した場合、石井琢朗は今の名コーチ石井琢朗は無く、荒瀬詩織と結婚する事無く、COCOのメンバーに手を出す事無く、野球界から早く足を洗っている? >>649
ひょっとしたらセットアッパーで盛田を押し退けたかも知れないとは。
小柄ながら中日で1年のみ活躍した森田幸一を思わせるキレの良い速球でドンドン押していく
小気味よい投球だったのが印象に残っている。
只、石井自身は入団当初から内野手でやっていく積もりだったらしいから、レギュラー獲得当初の三塁手として、
ノムケンと鉄壁三遊間を組む方があり得たか。 有働アナのキャリアにも影響を与えたかもしれんからな琢朗 大下にいじめられてノイローゼになり3年で球界を去る谷繁 >>650
そうなると、進藤が全く出番に恵まれず、球界を去るか?もしくは広島にトレードされて、高橋慶彦の後釜に収まるか?ただ、大下に締められて、そのまま球界を去るか?それとも、仲の良い江藤と三遊間を組む事になるか? >>652
妄想だが、もし、そのような自体になった場合、達川も史実通りその頃に引退し、余剰戦力の西山も放出してたら、広島捕手陣はこの当時では12球団で最も激弱プラス超絶な層の薄さだな。今の巨人の捕手陣がマシに見えるぐらい。 >>654
西山が第二捕手になって達川のポジションを脅かすようになって
引退したんだが せいぜい瀬戸をドラ1で指名しなかったくらいだろ、谷繁広島指名は 谷繁は大下のしごき程度でノイローゼになるようなタマじゃないよw 逆に、達川が谷繁とどう絡むかが見物だな。同じ捕手というポジションの立場上、友好に接する事はないか。後、高橋慶彦がどういう意味でかわいがるかだな。かわいい後輩として接するか?それとも、ただのパワハラ対象として接するか? >>653
進藤と江藤って、どこかで接点あったっけ?
現役時代の在籍チームも被ってないし >>658
高橋慶彦は87年に郵便貯金ホール事件を起こし、88年は貧成績、
さらにこのオフに天敵である大下がヘッドコーチに就任したから
チーム内での立場がすっかり悪くなっていたでしょ。 高橋1988年31才までで1741安打 いいペースで打ってたのにね >>660
ノムケンが広島に入団してなくても、慶彦の立場が良くなる事はないという事か。ちなみに、慶彦もノムケンが来るか?谷繁が来るか?は気にしてたようだな。(この件は慶彦のYoutubeでノムケンがゲストの時に言ってた。そして、ノムケンになんで大洋に入らへんねん。と冗談まじりで返してた。) >>659
進藤と江藤は同世代という事と、江藤自身が横浜の選手と仲がよく、その内の1人が進藤という事では。ちなみに、江藤が広島からFA宣言した時、チームとしては横浜に行きたいが、同じ三塁手の進藤のポジションを奪ってしまうので、巨人に行ったという説もあるし。 >>663
高橋を切る為にノムケンを取ったんでしょ?
このオフに片岡を放出したのも彼が慶彦派で、高橋を切る布石だったと聞いた。 >>664
自分が移籍することで、仲のいい選手のポジションを奪ってしまうよりは、
何のしがらみのない讀賣に行った方がということか
人間関係が時に選手の進路に影響を及ぼすこともある 反対に井端は落合とこじれた後高橋を頼り巨人へ
まだ楽天やソフトバンクや阪神ならやれたと思われるが高橋引退に殉じた 門田さんの大爆発と今さらながらの世間の注目ぶり…
上でも書いてるけど 俺浪人せずに滑り止め進んでほんとよかった この年の中日のリーグ優勝決定日がよりによって
俺の16回目の誕生日だった・・・・・・。
俺は巨人ファンなので虚しかった この年の今日、関東では雪が降っていた
西武球場での開幕戦は中止になったが、この年から稼働を始めた
東京ドームでは、昼と夜に2試合を行い、早速威力を発揮した そいやこの頃コロコロコミックで連載されていた
「かっとばせ!キヨハラくん」で南海の香川の減量ネタが
書かれていたなw減量し過ぎてやせ細ってしまった、と言う奴www >>125
第5戦もし中日が勝っていたら
西武が優勝するにしても第7戦までもつれたかもしれない >>675
1988年のパターンを西武が狙って失敗したのが、1992年のヤクルトとの対戦と観る。
シリーズが終わった直後の森監督も
「(例年は7戦トータルで考えるが)今年に限っては(第3〜5戦の)本拠地で決着を付けないと、ナゴヤ球場に戻ったらえらい事になると考えた。」
と語っていたし。
恐らく後半、加速度を増して独走体制を築いた中日の勢いと(1001監督並びに監督に抜擢された若手達の)怖い物知らずを恐れたものと思われる。 この年のパリーグは近鉄が最後の最後でリーグ優勝を逃したが
運良く逆転優勝出来たとしたらどうなっただろう?10/19に
優勝を決めて3日後の10/22が日シリ開幕だったら激戦疲れで
中日に負けていたかも知れぬ。 この年の日シリ・西武対中日は西武が4勝1敗で日本一。
しかも第5戦は西武がサヨナラ勝ちと言う劇的な幕切れだった。
敗戦投手は佳久創の父親かな?と思ってウィキで調べたら
案の定そうだった。昭和最後の日シリの敗戦投手がハチオージャーの
父親とは・・・・・・。 延長11回裏、清原がヒットで出塁、石毛が送りバント、代打立花は三振だったけど、
伊東がライトオーバーのサヨナラヒットを打ったんだっけ? 第5戦のテレビ中継を見ていて、
先発の小野が早々に降板した影響で第6戦先発予定の小松が中継ぎ登板した事に対し、
「小松は不貞腐れていますよ」と指摘する解説コメントがあった記憶がある。
そして清原に本塁打を打たれたという。
ウィキペディアによれば、この試合はテレ朝の中継でメインの解説は野村克也、武上四郎両氏とのことなので、
件の発言は野村氏かもしれない。
あと、シリーズ敗退後に落合博満が「(敗因は)4番の差」とコメントしていたが、
当時の解説で「ライオンズバッテリーは落合とはまともに勝負していない」と指摘していた。
四球上等の配球で臨まれては、さすがの落合でも快打は望むべくもない所。 西武、優勝してもドン引きが10.19でバレたのに更に中日を馬鹿にしまくってムカついたな
何様だよ金満球団が クロマティと吉村が健在なら普通に巨人優勝だったのに、星野は運が良かった。 >>681
たとえ第五戦を勝っても中日は詰んでいたね。
小松を使ってしまい、郭にも長いイニング投げさせたんだから。 でもあの諸力尽くした感好きだな
今は余力残しで負けるからつまらん 10.19であれだけKYな優勝したんだから西武は日本一にならなきゃ良かった >>682
>>688
あんたが西武ライオンズを忌み嫌っていたこと
それだけはイヤでも分かったw 近鉄バッファローズは負けて西武の引き立て役がよく似合う。
V9ジャイアンツに対する阪神。 >>686
それがあったとて、中1日でどれだけ回復するか >>685
第5戦に勝利していた場合の第6戦の投手起用を星野仙一氏に聞いてみたかったですな。
先発は中3日で山本昌広で打撃戦に持ち込むプランだったのかな、と。 >>677
案外、勢いだけで中日に勝っちゃったりする可能性も 第7戦まで行ったら、中2日の小松を先発させられたかも知れないけど、
第6戦は誰を投げさせていたんだろうね… 西武前監督の広岡「大石のリードは西武の連中みんな知ってますよ。特徴があるんですよ。
真っすぐだったらずっと真っすぐ。」
1983年の巨人との日本シリーズでは黒田と大石のリードが読まれていたので
森の進言で第4戦目から伊東を起用 森が弱肩でも巨人の正捕手を守れたのは野村に匹敵すると言われた配球とささやき戦術があったからだった。 小松買う人多いんやな。縺れたら小松・ロングリリーフは小松とか。 >>696
やっぱり山本(当時はまだ登録名に「昌」はつかない)じゃないかね。
他に先発出来そうなのは、シリーズ出番なかった米村と、第4戦に投げた川畑がいたけど。
近藤はもうボロボロになってたか、第4戦で清原にでかいホームラン打たれた。 >>698
「よお…給料上がったみたいだけど蓄財なり投資なりなんかやってるか…
引退後のこと考えたらちゃんとやっとかないと後々大変だぞ…ヘタすりゃ文無しに…」」
これは鬱陶しい 映画『メジャーリーグ』でも捕手がささやき戦術やってたな。 >>702
栄光の虚カス軍がそんな姑息なことをするわけ無いだろが 日本シリーズ第1戦 西武がリードしたが中日が8回チャンスを作り
無死1、2塁で東尾がリリーフ。
ナゴヤ球場のブルペンは外野にある。東尾が「え?俺なの?俺なの?」何度も確認してマウンドに。
東尾も心の準備が出来てなかったと思われるが
彦野が初球に手を出し併殺打。立浪は三球三振。
それ見て西武が日本一になると、近所の野球好きのオッサン達が口々に言っていた。 >>703
クリーブランドで、オークランドの選手の奥さんに昨晩会ったという会話だった。設定に無理がある。 中日はリーグ優勝決定日の試合後にホテルの大広間で(ビールかけ代わりの)慰労会を行い、
テレビ朝日のニュースステーションでその模様を中継していた。
数名の選手に「西武、近鉄のどちらとシリーズを戦いたいか」という質問をぶつけ、
たしか、皆(6年前に負けた相手の)西武とやりたいという答えだった。
相手を選べる立場ではないのに。模範的な答えを出来なかったのだろうか?と思ったものだが、
優勝を決めた試合後ということで気持ちが高ぶっていたのかもしれない。
優勝決定後、ファンがグラウンドになだれ込み、星野監督の胴上げも十分に出来ず
すぐに監督選手一同ベンチ裏に引き上げざるを得なかったのは残念だったけど、
でもいい思い出。
長文失礼 中日だから遠慮なくビールやると思ったけど自粛したな 広島はこの年大野が防御率1点台、川口が2.5とかなり優秀だった。
北別府も3点台前半。しかしながら規定投球回数到達がこの3名だけで続く
長冨は不振。白武は発展途上。金石は故障がち。
サヨナラの津田、川端の劣化と近年投手力が落ちる予感を感じさせた。 >>705
前回出場のシリーズで東尾にMVP献上した中日サイドは、前回と同様にシリーズでは東尾が勝ち試合のリリーフで来ると
観て、東尾対策に大きく時間を割いちゃったのも敗因の一つとの指摘も。
実際はその後、乱戦となった第5戦で中継ぎ登板したのみで終わった訳で。 割いてるわけ無いだろ
普通に渡辺久郭工藤森山の先発四本の攻略がメイン >>705
ファールグラウンドだよ。神宮と同じ。
>>708
西武はシリーズ勝った時に短めにビールかけしたな。 ああいった状況下でも(短めとはいえ)ビールかけをやったんだね >>713
リーグ優勝時同様、静かな雰囲気で祝賀会を始めると思わせてからの突然のビールかけに
雨具未着用の取材スタッフからの「あ〜あ、やっちゃたよ」という恨み節が聞かれましたね。
ホテル内でビールかけを行い、
1000万円は下らないであろう修繕費を球団が負担していたというのは
今思えばバブリーだったのだな、と。 病気に伏せってるってだけでわけわからん「自粛」だったな
いいともも静かに始まるとか だったら番組自体休止しろって >>714
ホテルではなく当時西武球場内に有ったレストラン獅子。
ホームで優勝決めた時は必ずここで行った。 中日とのオープン戦で投げた西武森山を星野仙一監督が試合後酷評。
それを覚えていた森山は日本シリーズ第4戦先発したが、
試合中、中日ベンチを見て星野監督を睨みつけてたという。
結果は森山の2安打完封。 83 87 88 90 91が地元西武球場で日本一
82 86 92 04 08が敵地で日本一か
82の時はナゴヤでビールかけした後当日中に新幹線で帰京
銀座で祝勝会やってた 中日は左だから天皇陛下関係なく当時のバブルノリを名目にやるかと思った >>718
当日中に帰ったんだ。。。それはなかなかしんどいな。
確かそのシリーズは、17時の時報とほぼ同時に日本一が決まった。 >>719
「世界には難民や恵まれない子供がいるのにビール掛けなんて・・・」ってのが、
当時の正統派左翼の思考だよw
たしかカープが日本一になった1984年、その手の投書が中国新聞に届いて、
カープはビール掛けをマスコミ非公開で行ったらしい。 ダイエーが初優勝したときはオーナーの命令で
祝勝水なる炭酸水をかけあいさせられてたな 12連敗したって3位だからな
南海ラストの開幕7連敗の方がはるかに痛かった ラジオ深夜便にて10・19を中心に、この年の球界を回顧してた。
(聞きのがしサービスで聴ける) >>612
この松永はどっちか一度首位打者取ってたら全然未来が変わってそうだな
いや、松永は大選手と思ってるけど打撃タイトル一度でもベースが3割に20本近くホームラン打って2、30の盗塁する選手だから、平井高澤とは実績の厚みが違うというか 東京ドームこけら落としの日は早朝に世田谷震源でやや強い地震が発生したから
余震考慮で中止にする可能性もあったらしいね 前スレでも触れられていたけど、
まだ日本でMLBの話題が挙がらなかったこの時代に、
・オリオールズの開幕からの連敗
・シーズン終盤のハーシュハイザーの連続イニング無失点記録
・ホセ・カンセコの40-40
はニュースになっていましたね。
オリオールズに関しては、地元のラジオ局だったかの名物パーソナリティが
連敗が止まるまで自宅に戻らない宣言という記事も目にしました。 >>169
>>170
これは爆発したごく短期での真っ当なインパクトとしては呂のが全然上じゃろ…?顔が四角っぽかったけどフォームが豪快でそこはかっこよかったし
大久保も成績は良かったようだけどリアルタイムではなんかデブがはしゃいでてうわぁ…🤨みたいな感情が個人的には強かった テレビで毎日映る巨人はヒゲなんかの前にベースの顔体を選んで取れよと思ってたわー
大竹寛が巨人移籍した時もこれが頻繁にテレビに映って野球選手のイメージを作るの?🤨と思った笑 >>622
これ防御率は数字が少ないほうが、打率やホームランは多いほうがいいんだな程度の認識の当時、ハリキリスタジアムってファミコンの野球ゲームでHチームが強く見えたから選んでストーリーモードみたいなのプレイしたなぁ、懐かしい
>>623
当時の我がHチームの四番だぞ😡笑 ハリスタのHチームはなぜか門田が控えに回ってて元々ショボい打線がますます脆弱に・・・ 源氏大活躍による中日の独走優勝
10·19の近鉄対ロッテ
門田無双
南海阪急の身売り
なんだかんだで最強だった黄金期西武
1988のプロ野球は思い入れ深い 中日は出鱈目な勢いがあったからな
クロウや吉村を欠いた巨人では止められないよ
郭のシンカーが切れ味抜群だった >>739
他にも
東京ドーム元年
長島大フィーバー
があるな。
スポーツ紙はネタに困らなかった。 野球に興味がある人には一茂なんかよりイケトラ、特に池山の方がフィーバーだったろ >>724
カープのビールかけ非公開は初優勝の75年じゃないの?
無駄遣いの光景を世間に見せるのは広島市民の感情を逆なでするとかで 日本シリーズが中日と近鉄だったらどちらが勝ったかとかはもう既出? >>742
一茂の場合、いくら本人は天真爛漫な性格とはいえ、
「所詮はええとこのボンボンだよな」という色眼鏡で
見られていただろうからね >>428
デービスはアベレージ残してたけど、本塁打は激減してたから、どうなんだろね。ただブライアント抜きで代わりの選手いないわな。 既出だったら申し訳ないがこの1988年5月5日の東京ドームの
巨人対阪神戦の中継の合間にチョモランマからの中継を
入れまくった日テレ。そのチョモランマからの中継の時に
巨人が岡田の3ランで逆転されてそのまま負け、翌日の
笑っていいともで巨人ファン(らしい)明石家さんまが
無茶苦茶怒っていた。最もさんまが怒っていたのは
増刊号の方で見たんだけど。その後ザ・テレビジョンの
読者投稿欄でも「さんまさんが怒るのも当然です。」
と言う投書が有った。 >>747
ありましたねw
当時ビートたけしのオールナイトニッポンでも触れていました。
チョモランマからの中継中に岡田の逆転3ランというマヌケな展開として。 対阪神公式戦初のドーム三連戦
チョモランマ中継を挟んだ3試合目はバース最後のホームランが出た試合 >>420
ちょうど似た時期に開幕投手の連続記録も途絶えて、モチベーションの方も無くなったのが追い打ちはかかっているだろうね。
衰えている山田ばっかりに気を遣ってられないのは解るけど、こういうところの些細なことを上田は上手くやれないんだよね。 >>622
南海は早い段階で身売り話もあったから、チームに対するモチベーションよりも、個人成績に注力しちゃった年じゃないかな。阪急が語られてないけど、この年はだいぶ酷かったけど、最後まで身売り話が出なかった分、南海を交わせたんじゃないかな。