1988年のプロ野球 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
・涙の10.19
・つまり、西武の4連覇
・さらば阪急南海
・郭はもう泣いてます、星野中日初優勝
・ビールかけのない自粛ムード
・東京ドーム開場も巨人見せ場なく王政権瓦解
・阪神暗黒の中、どんでん涙のHR
泣けるシーズンだった昭和最後の年。
この年に生まれた赤ちゃんは後に球史に名を残す面々として育っていくのでした。
※前スレ
1988年のプロ野球
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1403432680/ >>439
1994年日本シリーズ第4戦で休止になった さすらい刑事って、結構長いことシリーズ化されていたんだね
3〜4年で終わったものだとばっかり思っていた 吉村・クロウが健在でも優勝は中日だったろうが、原はホームラン王取れたと思う。 >>296
準レギュラーの仁村、鈴木康友辺りの方が指導者で活躍したね。 お亡くなりになった森山周一郎は、後輩の平野が西武に移籍して悲しんだんだろか? >>444
はぁ〜この年近鉄阪急のコラボがあったのに。
沿線初詣の、近鉄が阿波野+土屋早織、阪急が星野+天海祐希がモデルを務めたポスターを互いに交換したりして。
天海は開幕戦の始球式も務めたはず。 サラ金屋とスーパーが球団を買ったなんてバブルだな
阪急が阪神と合併せずに今でもブレーブスを継続していたら鬼滅とコラボ出来たのに >>449
アホか!たかが漫画とコラボして何が楽しい? >>449
伝え聞く話によると、あの時の阪急は宝塚歌劇団か阪急ブレーブスの
どちらかを手放さなきゃならない状態で、結果として阪急の身売りに… 平野謙の週刊ベースボールの連載見ていると平野は星野を嫌っている >>452
平野は一癖有るからな。そう言うのは星野は嫌ったんじゃない?
谷沢タイプとか。 >>453
平野は、西武に入った事で、西武の不動の布陣が出来たんだよなあ。 >>259
おい!動画見れなくなってるぞ!再アップしろや! 88年の在阪球団はネガティブな話題がどこの球団でもあった 俺のおふくろは、10.19は川崎球場にいたけど
1stレグの9回に3塁で走塁ミスした佐藤純一に○ねと叫んじゃった...
当時は19歳でした もしソウルオリンピックがU-23でプロ解禁だったら?(昭和40年1月1日以降生まれ)
投手
潮崎 松下
渡辺智 NTT四国
野茂 新日鉄堺
以下プロ
水野
星野
渡辺久
桑田
捕手
古田 トヨタ
中村武志
内野
野村 駒沢
大森 慶応
以下プロ
清原
立浪
池山
田中幸
長嶋(笑)
外野
苫篠 中央
以下プロ
井上
緒方 井上もプロでまだ本塁打を打ってない段階だし
緒方に至っては一軍出場もまだ
これで選ぶ監督がいたらものすごい目の持ち主だね 緒方井上よりは、
どっちかいうと斎藤雅樹を入れてみたい
外人には強いし そうか、斎藤は早生まれだから出れるな。
この時点でまだ大ブレークしてないが。
この時期の若手外野は? >>461
当時のコユキは田中雄じゃないの?あと投手に水野の替わりに小野か津野、外野手に佐々木を。 >>461
そんな「たられば」なんか無意味なんだけど >>319
この当時のセリーグのAクラスとBクラスは、まさしく、大人と子供、ライオンとウサギぐらいの差があった。その中で阪神はBクラスの中でもドン底のなかのどん底だった。 そしていわゆるセカンドリーグ時代でパ・リーグとの差もありすぎ
ハムやロッテですら戦力だけなら3位に入れそうな感じだし
さすがに優勝は無いが 10.19の中継はABCも本来は21時で終了する予定だったはず
テレ朝で中継されることになっても最初は15分のみでそれ以降は番組繰り下げ扱いの予定だったからスポンサーなし状態になった ただしCMなしになったことで大問題になってしまったのも事実 今だったら近鉄ロッテをサブチャンネルに回す手もあったんだろうけどね セリーグはAクラスの監督2人が辞任。
Bクラスは全員留任。 NHKの川上の解説
今年は広島は優勝無理です。監督が辞めるの決まっているからやる気が出ません。 さすがドン川上
ゲスな人間性そのままのコメントを残しているなw 88年の広島。
25歳以下の1軍出場が極めて少ない。
投手は紀藤、川島のみ。
野手は高、緒方のみ。
投手の勝利は紀藤の4勝。本塁打は緒方の1本。
兎に角高齢化球団という印象が拭えなかった。
2軍では河田が盗塁王で打率もかなり高く、週べで穴吹氏が絶賛していた。
だが、阿南監督が一軍に上げたのは広島の未完の大器として有名な榊原、松林の2人だった。 プロ野球ニュースで中日の快進撃が話題になったときに立腹気味に別所が
「それはカネですよ。中日は試合で活躍した選手に賞金を出している。それは選手が目の色変えますよ」
と爆弾発言。この発言を口火にゴシップ雑誌や日刊ゲンダイは星野の金権野球と揶揄し出す。 タニマチが付いていることがマスコミのターゲットになった。
大●とかキャンプ地がベロビーチだったのもその関係と指摘された。 各ゴシップ紙は別所の戯れ言を真に受けてしまったわけか その後巨人も逆転ホームランを打った篠塚に王監督が100万円の監督賞あげたとか、普通に記事になってたw >>483
8月か9月か忘れましたが、巨人、中日の監督賞の大盤振る舞いの報道はありましたね。
巨人が100万円出すと言えば、中日は200万円にするとか。 後日優勝後、星野が別所を「あのおっさん」呼ばわりして大激怒 別所も、言っていいことと悪いことの区別がつかなかったのか >>485
セ・リーグにタニマチがいないチームは無いよ >>491
そんなに讀賣を持ち上げたいなら、讀賣系列の媒体で
思う存分言えば良かったのに >>494
巨人一軍投手コーチ時代の中村投手殴打事件(実際は殴打疑惑とすべきだけど)で、読売を事実上追放されちまったんだよ。
追放に川上監督が関与していたとされる。 >>494
青田がその後、日本テレビで解説者になったのを見ると。
青田も第一次長嶋時代にコーチで八百長発言したり必ずしも良いとは思えぬ。 >>495
ドン川上が暗躍していたのか
さすが、球界随一のゲスジジイだなw この年中日で駄目だったヒンショーって広島も狙ってたんだよね。
工事「ヒンショーゆう外国人どうやら?」
1001「アカン。アカン。やめとけ。」
工事「そうじゃろか」
ヒンショー中日入団。
中日ではダメ扱いだったが、広島入りだったらアレンよりマシだったと思う。 >>499
別の年じゃないか?
郭・ゲーリー・ブライアントともう一人居た?当時は最大3人制。
ヒンショーは名前でマスゴミに貧ショーって書かれるからジョージだったかと。 小野がこの年だけ確変した理由がわからない もともと大した投手でもない
西武時代も良くて先発投手陣の中で5~6番手だった >>502
内角攻めが一年限定で効いた。
余りのテンポの悪さに相手の打撃のリズムが崩れ、何故か相手投手のリズムも崩れる
好リズムw
小野が投げる試合時間はいつもクソ長かった。 小野、開幕二戦目に先発してアップアップながらも9回を0点に抑え、
ゲーリーがサヨナラHRを打って1-0で勝ったんだっけ?
これで波に乗れたような気がする それでも二戦目に先発させたってことは、
星野さんも結構見抜いてたんかもね
たぶん小松が開幕投手だろうと思うけど、
杉本とかもいたからね この年の小野、巨人戦でタイムリーヒットを2本打った事もあったよね。
確かその後、郭がサヨナラホームランを打ったと思う
5月頃だったかな? リリーフエースがサヨナラホームラン
今では考えられん この年の各チームの抑えは
近鉄:吉井 ロッテ:牛島 南海:井上
中日:郭 巨人:鹿取 広島:津田 大洋:中山 ヤクルト:伊東 阪神:中西あたり?
西武は90年に鹿取・潮崎を獲得するまではっきりとした抑えはいなかった
阪急、日本ハムは誰だったかな?
この当時の抑えは2イニングくらい投げるのは当たり前だったよね 阪急の抑えは山内嘉弘
ハムは河野げんちゃんがやってたかな
ハムも先発陣の力で投げきるタイプだった >>511
西武より巨人の方が先に抑えを確立していたというのが、
今思うと意外だけど、実際そうだったのよね
王さんもう少し評価されて良いw 1987〜88年頃の西武は、東尾、工藤、渡辺、郭らの先発陣が、
勝ち試合はほとんど完投していたよね。
87年は渡辺が前半怪我をし、後半に復帰して抑えに廻ったけど… >>511
>>514
このあたりまでは、先発陣が勝ち試合はほとんど完投していたんだけど、
翌89年は工藤が絶不調で優勝を逃したもんだから、抑え投手を獲得
それで5連覇に至る 不遇な有藤が牛相手に古巣の完全試合を生観戦出来た
またひとつ10.19が終わった感がある 「平幕優勝」
「相撲で例えれば平幕優勝、来年は関脇くらいだからもっと強くならなければ」と6年ぶり4度目の優勝を就任2年目で決めた中日・星野仙一監督は、
会見の場でおどけた表情で話していた。就任初年度は8ゲーム差の2位、王貞治の率いる巨人を“横綱”に置き換えての言葉だろうが、サヨナラ勝ち
11度、球宴明けの後半戦で41勝14敗の快進撃、確かに平幕力士の快挙にも見えるようなリーグ優勝だった。
前年の健闘でV奪回へ鼻息が荒かった星野だったが、出足は大きく躓いた。開幕戦で小松辰雄が右肘を痛めて降板して大洋に惜敗、前年断トツ
最下位の阪神に3タテを喰らうなど4月は5勝11敗で首位広島と早くも8差がついた。投手陣が振るわず先発陣は杉本正、川畑泰博、近藤真一が
総崩れで勝てず、抑えの郭源治も4月だけで3度失敗とエンジンがかかっていなかった。川畑、宮下昌己、江本晃一らが87年のような働きが出来ず
伸び悩んだ事と、計算に入れていた移籍の田中富生の不振が痛かった。5月後半に小松、6月に仁村徹が怪我から戻るとチームは借金完済、三番
降格の落合博満も遅まきながら力を出してきた。
7月の6連敗で再び借金生活となりヤクルトにも抜かれて4位まで転落したが、名古屋に戻っての緊急ミーティングで選手だけでなくコーチにも落ちた
星野のカミナリが効いて直後に6連勝、球宴明け初戦に勝って初めて首位に立つと巨人、広島の失速もあってそのまま独走でゴールテープを切った。
8月3日に四番の座を奪い返した落合が月間でサヨナラ打3本を放ちマジック25を点灯させてからも勢いは止まらず、以後も23勝9敗でプレッシャー
とは無縁の戦いぶりだった。
星野の思い切ったチーム改革が当たった形となった。大島康徳、平野謙といったV戦士を放出、交換で西武から来た小野和幸は18勝で最多勝を
獲得したが、前半と後半でそれぞれ9勝ずつとコンスタントに勝ち、8月10日から閉幕までは8連勝と破竹の勢いで不振の鈴木孝政をカバーした。
V戦士に対する大胆なチーム改造は、放出だけでなくコンバートという形でも表れた。遊撃の宇野勝を二塁、捕手の中尾孝義を外野に回したが、
遊撃に抜擢した新人・立浪和義のセンスと、正捕手に据えた盗塁阻止率1位の中村武志のタフさは星野の改造計画の柱だった。宇野には「立浪に
遊撃を守らせる。お前は二塁、やれるだろう」と有無を言わせず、中尾には代わりにキャプテンの役を与えて納得させた。
前年に続く若手登用は立浪らだけには留まらなかった。新切り込み隊長の彦野利勝は7月30日に本塁打、翌31日に適時打と連日の決勝打など
102安打。山田和利や音重鎮の出番も急増した。
星野自身「郭がいたから思い切りよくいけた」と言うように、投手起用はさらに積極的だった。前述の川畑や近藤に加え、米国留学から戻った左腕
山本昌広、新人上原晃を次々起用した。山本は救援の1勝も含め5勝無敗、上原は郭に繋ぐセットアッパーとして後半戦だけで24試合に投げた。
星野のタクトも冴えて1点差試合は34勝15敗、守護神の郭はチーム79勝中半分以上の44SPでMVPを受賞した。
日替わりヒーローが出現した独走優勝に星野は「V1で満足したらいかん。来年の目標は80勝」と言って道半ばを強調、これまでの“平幕”から
80勝を挙げて優勝する“横綱野球”を目指した星野の理想は高くなった。 (了) この年折角優勝したが昭和天皇の容態悪化でビールかけ自粛。
日本シリーズでは西武に赤恥をかかされ、そのエラーの多さに
廣岡氏に「中日はキャッチボールからやり直すべき」と嘲笑される。 89年のオープン戦迄はV2も有るかもしれないと思った。 今も昔も人の神経を逆撫でさせることを言わせたら、広岡の右に出る者はいないw いつもいつも日本一になる試合でばかり審判疑惑起きるくせに「キャッチボールからやり直せ」だとさw
これだけ自分優位な審判疑惑起きて相手ファンきれさせたり監督のクビ飛ばしたりしてるのは怪しい この年に阪神・金森がホームランボールを捕ろうとして、
ラッキーゾーンの向こう側に落ちたシーン
今日の「クイズ!脳ベルSHOW」で出題されていました 西武時代末期の金森はバントを失敗してベンチに戻った後、森監督に説教されながらクリップボードで何度も頭を叩かれていた
森監督に嫌われてのシーズン中トレードか >>533
後年、阪神から更にヤクルトへ移籍し、森西武を倒して日本一
この時の金森はどんな気持ちだっただろう >>521
6連敗後の緊急ミーティングは帰名後でしたっけ?
当時の書籍では遠征先の札幌だったと記憶しております。
監督、コーチによるミーティングは深夜にまで及び、
星野監督は聞き役という感じであり、
コーチたちがここまでチームの事を考えてくれているのか、と涙したという記述もあったので
カミナリとは違っていたかと。
まあ、優勝への軌跡という感じの本だったので監督を美化していたかもしれませんが。 巨人の吉村クロマティ離脱が効いた。
今年の矢野に対するようなマスコミの王批判。
広島打線の無気力。 呂の初ホームランは弾丸ライナーで「凄いのが出てきた」と思った。
内角攻めですぐ壊された。
嫌いなたべものは?と聞かれて「川口、大野」と答えていた。