1988年のプロ野球 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
・涙の10.19
・つまり、西武の4連覇
・さらば阪急南海
・郭はもう泣いてます、星野中日初優勝
・ビールかけのない自粛ムード
・東京ドーム開場も巨人見せ場なく王政権瓦解
・阪神暗黒の中、どんでん涙のHR
泣けるシーズンだった昭和最後の年。
この年に生まれた赤ちゃんは後に球史に名を残す面々として育っていくのでした。
※前スレ
1988年のプロ野球
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1403432680/ この頃の中日より観客が多い今のカープは凄すぎる
ビジター動員も凄まじいし 王監督 桑田 呂の顔から
ホームベーストライアングルとか言われていた 1988年の中日のメンバー
彦野利勝 2年でコーチ解任
立浪和義 中日のコーチ、監督なれず
小野和幸 88年の一発屋
小松辰雄 交通事故起こす
杉本正 壊し屋、逆神
大石友好 20年以上コーチやって誰一人捕手を育てられない、脱税 >>291
それでも10年後の方がマシに思えるのは川崎球場の賜か 1988年中日優勝の立役者
5位 スーパーストッパー郭源治
4位 クロマティにぶつけた久保
3位 吉村殺した栄村
2位 ヤクルトの皆さん
1位 王監督 カープは悲惨な貧打イヤーだった
オサナイが後半戦序盤にえらく好調だったな 高橋慶彦が一気に衰え、チーム内で浮いた存在になって行く。しかし、まだ31歳だったから、再生すると思ったけどね。 そうかあ?
当時って30越えたらもう引退カウントダウンだろ ショートの守備は30でもうだめだね。高橋慶彦は86年あたりですでに守備機会が減っていた。 中日が優勝して一番盛り上がった年かな
他は地味な優勝ばかり すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
NKM1G 落合選手が初めて規定打席到達で3割を切ったのがショックでした。
5月か6月のラジオ中継で実況アナが、落合選手が満身創痍であること、
手首、足首にきつくテーピングをし、腰痛にも悩まされており、
痛みを紛らわすために酒量が増えているという趣旨のことを言及していたのを覚えています。
7月初め(多分チームが6連敗する前)に2試合連続猛打賞でようやく打撃10傑に登場(打率.296)したものの
そこから浮上できず、球宴時で72試合 打率.283 20本塁打 48打点でした。 >>280
牛島がダメだったのよ
この年の後半戦からノーコン投手になった 翌年先発転向して活躍したけど四球は物凄く多いまま 当時の落合のがっかり感ってどんなんだったの?
二年連続.350 50本でセリーグやって来たら、1年目は首位打者争いも30本塁打に届かず、2年目はHR王争いも3割届かず。
年齢的には30代半ばだししょうがないという感じだったのかね。 落合の他、原とかもだが勝手に期待して勝手に裏切られて勝手に叩かれてたやつがいたんだよな
ピーコやどんでんもその時期があった >>313
1987年については、
まず開幕前にはバース選手との三冠王争いが大きく取り沙汰されましたが、
落合選手自身は三冠王よりもチームの優勝を優先したいという発言をしていました。
メディア的には、王巨人の初優勝と「新生星野ドラゴンズ」の躍進という大きなネタがありましたので、
バース選手、落合選手の主要3部門のノンタイトルに対する失望的な報道は
なかったと記憶しています。
以下余談ですが、
1988年シーズン前の週刊ベースボール(たしか選手名鑑号)に
落合選手と大田卓司氏との対談記事が掲載されていました。
その中で落合選手は1987年のシーズン中に大田卓司氏に「俺、野球やってないもん」とこぼしていたそうです。
セ・リーグでは自チームの劣勢時に選手の諦めが早いという事を嘆いていました。
9回を迎えて3点のビハインドの場合、パ・リーグでは逆転しようと頑張るが
セ・リーグでは次の試合に向けて気持ちを切り替えてしまうといった趣旨の事を言われていました。 ・「みなさんお元気ですかー」
・青函トンネル、本四架橋開通
・自粛
・「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」公開
・光GENJI
・アイドル四天王(中山、工藤、南野、浅香)
・アイルトン・セナ日本GPでF1世界チャンピオン獲得
・シーマ、アートフォースシルビア誕生 >>313
それよりも、パ三冠王が日本シリーズで西武投手陣に無抵抗でひねられた時の方が失望感凄かった。 呂は阪神移籍のうわさがあった
バースの穴を埋めるという意味で
それを実現直前に立ち消えにさせたのがクロマティの故障 >>301
>>303
後半戦は実質的には”純国産打線”だったからね
それでも辛うじて3位だったのは、当時のBクラス球団との
実力差の賜物なんだろう 5月の終わりごろに阪神は6連勝したが
その連勝が止まってから8連敗
しかも連敗中に3試合連続雨天中止があった
連敗を止めた巨人戦で巨人のクロマティが故障というのはあまりにも皮肉 >>321
>>318
巨人の吉村選手の故障の直後に当時の阪神の古谷球団代表が自殺 バースが(子供の病気で)帰ったんだからお前も帰れと阪神の選手が言ってた
死球を食らったクロマティが自分の本で暴露
クロマティ本人も休んでいても金は入るし実はラッキーと喜んでいた クロマティ、アメリカにいたもんな 最終戦だけベンチ入りした 良く覚えてるなあ
バースの揉め事とデービス大麻と代役のブライアントが打ちまくってた事ぐらいしか覚えてないわ クロマティのやめるやめる詐欺 1986年オフから「来年優勝したら引退してロックスターになる」と言い続ける 日本ハム、西崎投手が15勝止まりだったのが意外というか残念でした。
オールスター時点で11勝6敗、防御率1.92、
8月6日に13勝目を挙げ、残り2ヶ月で4勝か5勝を挙げると思っていました。 オールスターでも3イニングパーフェクトの好投してたし、
向かう所敵なしって感じだったもんなぁ 西崎と郭泰源の延長13回の投げ合い引き分けとか熱かった
そこまでしてもライオンズには勝てないのかとため息したけど >>333
12回でしたね ちょっとあやふやになってた それだけ長いイ
ニングを投げたすごみがあったので勝手にイメージで伸ばして
た(大野・槇原もすごかったけど) 巨人王監督のラストゲームの後にビートたけしがラジオで
どうせやめさせられるんだから俺だったらピッチャー呂とかバッター俺とかやるね
と言ってた
大洋ファンのニッポン放送の塚越孝アナは次の日の早朝の番組で王解任に触れて泣いていた >>54
もともと物凄くデータ重視で、分析しまくるタイプ。
それがひたすらシュートを投げてくる西本とか、データ分析が無意味になる配球が多くなって、直感的に打つしかなくなった。
このシーズンのホームランを「全部出会い頭」と言ってたくらいだから、いかにデータ分析が無意味になったか分かる。 >>331
後年、それが原因で日本ハムを追い出されることに… 「ドーピング」と言う言葉覚えたのがこの年のソウル五輪のベン・ジョンソン。
中日の優勝も「ありゃドーピング」って言ってたなw 西武‐中日日本シリーズ前、昼テレビ見ていたら、
(たぶん和田アキ子のアッコにおまかせだと思う)
日本シリーズの予想になってそこに出ていたオッサン連中全員全員、勢いがある中日、
と中日を日本一に推していた。
で結果は・・・ 予想なんか当てにならないと分かった小学生の俺
ついでにフリップに貼られた西武松沼兄の写真見て「こういう顔嫌い こういう顔嫌い」と
和田アキ子が暴言浴びせていた。 東京ドームが広過ぎてヤクルトの選手が遭難死するっていう4コマ漫画があった 東尾修 選手最後の日本シリーズ
落合が日本シリーズ打てず、清原3本塁打もMVP取れず 「寂しきラストイヤー」
南海・吉村茂夫オーナーとダイエー・中内功社長が会談、そこで南海からダイエーへの球団身売りは正式発表された。9月14日に吉村が球団の
大幅赤字、大阪球場の移転先が見つからない事を理由に譲渡を発表してから1週間での正式発表だった。
高度経済成長後の70年代から、親会社の南海電鉄は苦しい戦いを強いられていた。朝の通勤に電車を利用するサラリーマンが増えた事で、速度の
出る車両導入、本数の増加と人件費、さらに安全性と利便性を高めるためといった具合に支出はかさんだ。他の電鉄会社だけでなく自動車産業との
競合にも苦戦した南海、80年代は球団に資金を回す余裕が無くなったのと、野村克也解任後遺症が重なって観客動員がさらに減り、チームが毎年の
ように低迷して電鉄も球団も追い込まれていた。
ホークスを深く愛し続けた前オーナー・川勝傳が88年4月23日に逝去すると、身売り話は加速して噂ではなくなってきた。低迷期は大阪球場を
コンサートやイベントなど貸会場としての提供をしてきたが、それでも追い付かなくなると経営体力を失う。すると次第に球団が整理の対象となるのは
必然だった。
南海のラストイヤーは5位、11年連続Bクラスの締めくくりだった。球団史上初の開幕7連敗で4月わずか3勝のスタートながら、6月に3度勝率5割
あと一つまで持ち直し、9月中旬までは3位に位置して日本ハムとAクラスを奪い合ったが、下旬の5連敗以降は閉幕まで6勝15敗と落ち込んだ。
不惑の大砲・門田博光が本塁打、打点に加えて長打率、四死球、出塁率の“五冠王”でMVPに選出され、両打ちの新外国人トニー・バナザードも
外国人新となる28試合連続安打など安定して活躍、チーム得点はリーグ2位だった。しかし失策113個がリーグワースト、投手陣も防御率でリーグ
4位、山内孝徳、藤本修二、山内和宏、加藤伸一、西川佳明の先発五本柱が全員2ケタ黒星と振わなかった。
最終的には3位・日本ハムと5ゲームの差で、前年より順位と成績を落とす寂しいシーズンだったが、川勝が亡くなった日に佐々木誠の2発と山内和の
完投で圧勝したり、大阪球場ラストゲームに岸川勝也の決勝2ランで有終の美を飾ったのは弱体化していた中で見せた南海最後の意地だった。
(了) 余計なお世話というのは承知していますが・・・
コラムさんは、シーズンスレに投稿するより、
ご自身でブログを開設し、そこにシーズン、リーグごとのコラムをまとめられ、
そのリンクをシーズンスレに貼られたほうがよいのではないか?と思います。
貼られたリンクから1988年のコラムを見に行って、
ついでの他のシーズンのコラムも読む流れになると思うのですが。
5chのスレに本文を投稿するだけでは勿体ないような気がします。
余計なお世話なのですが。 今頃の時期だと思うけど甲子園の阪神中日戦平日カードとは言え全然客が居なかった
名阪なら新幹線に近鉄もあって日帰り可能なのに 「10.19」から今日で30年
そして、来年の今頃は平成ではなくなる
時が過ぎ行くのは本当に早いものだ… 西武は優勝したけど阪急身売りと近鉄ロッテの戦いの方が目立った上に
MVPも南海の門田だったからな
『勝利投手』1987年
星野仙一が初の戦後生まれ監督として、中日を率いていた時代に製作されたOVA。
主人公の女投手、国政克美(廣岡達朗もどきの娘)は命知らずにも、中村や彦野をボコボコにしていた頃のストライカー・星野に石をぶつけ、
ビーンボールにキレたクロマティを、逆にデッドリードライブ(殺人投げ)。
西武から移籍したタツ兄と呼ばれる捕手(大宮龍男?)は、肘痛を隠して登板した克美にキレ、よもやの唐突なレイプ(未遂)。ホームランバーが破裂寸前である。
西武との日本シリーズ。ブーコもどきのブコビーに打たれて大ピンチに陥るが、
福嗣の父親によるタイムリーで逆転。
トレードされてたはずの似てない大島康徳(中日選手は実名)も、らしくない美技で大活躍。燃えよ、ドラゴンズ〜♪
===
「勝利投手」と言うアニメーション映画を知っている人っています...
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1455862564
バースや掛布が東京ドーム
南海や阪急の選手が東京ドーム
なんか違和感あるな
貴重な映像だ(笑) 88年の引退組なんだけど、東尾の東京ドームは
そこまでの違和感は感じない クロマティがぶつけられないで、吉村が殺されなかったら、巨人の連覇あった? 濃厚とまではいえんけど、中日が独走することもなかったかと。
江川の穴はガリクソンで埋まったとして、桑田鹿取辺りが前年より不調でしたわね 吉村が離脱した試合は巨人が中日に3タテと、本来なら前のカードから6連敗となった中日に引導を渡した試合の筈だった(´・ω・`)
星野監督もこれで優勝の目がなくなったと観て、コーチ陣を集めてシーズン反省会を行なっている。
その反省会で星野監督が涙を流してお詫びし、再起を誓ったのがターニングポイントとなった訳だが。
一方、巨人は中日を3タテしたにもかかわらず、チーム内はお通夜そのものだったらしいが。 3タテしたはいいが、あまりにも代償が大きかったわけか その翌日(吉村の怪我の翌日)の原のサヨナラHRはカッコよかった。 東尾現役最後の年、最後に対戦した打者はルーキーの立浪 >>357
当時のドラゴンズ優勝関連書籍を読んだ記憶によれば、
北海道での3連敗した日(翌日は移動日)に
・中山了球団社長から「俺が生きているうちに優勝してくれればいいから」と言われた
・監督コーチで会議を開きチームの立て直しのための話を延々と行い、
会議が深夜にまで及んだ事に対し、監督が「コーチたちがこんなにチームのことを考えてくれているのか」
と感動して涙を流した、という経緯だったと記憶しおります。
まあ、こういう話は得てして美化されるよう脚色されがちですから、
実は>>357さんの内容が正しいかも、ですが。
>>362
試合は巨人が勝ちましたが、一茂選手がヒーローインタビューを受けていましたね。
神宮球場だったからできたのでしょうが。 レギュラーシーズン最後の
満塁本塁打
完封勝利
最後の勝利投手
サヨナラ本塁打(ヒット)
は誰?
本塁打は中嶋だけど 満塁本塁打 小川淳司
完封勝利 川畑泰博
最後の勝利投手 山田久志
サヨナラ本塁打 池山隆寛 村田兆治は東京ドームと相性が良くて無敗
200勝の助けになったね >>353
結局、山下大輔は公式戦で東京ドームを経験することなく終わったか >>303
翌年の大洋・山崎賢一の四番も大概だったが、それ以下の長打力w 「4番目の打者」というふうに割り切れれば、それはそれでアリかもしれない 実績ある外国人選手が故障や不祥事、劣化での離脱が多かったシーズン
故障:ブーマー クロマティ ブリューワ(全休)
不祥事:デービス
劣化:ランス
その他:バース サッカー日本リーグ、87−88ヤマハ発(磐田)優勝、88−89日産(マリノス)優勝。
F1マクラーレンホンダ16戦15勝、セナチャンピオン。
F3000亜久里チャンピオン(2勝)、グループAスカイラインで2勝するもチャンピオンはシエラの横島。
リクルート事件の中フロムAポルシェ岡田JSPCチャンピオン。
ジャガー31年ぶりのル・マン制覇。
S13シルビア、シーマ、セフィーロデビュー。シルビア、カーオブザイヤー受賞。
光GENJIレコード大賞。 >>375
ランスの場合は前年が確変だっただけ(それでも打率は最下位)という気がする 日本シリーズは監督の差だったな
星野采配をノムがボロカスに叩いてた
ノムが中日の監督なら間違いなく中日が勝ってただろうな 戦力特に先発投手力の差なので
間違いなくとかよくアホなこといえるなと思う むしろ西武の監督をバカに替えた方が中日が勝つチャンスがあったのでは 渡辺久
郭
工藤
森山
渡辺久
郭
工藤
の登板順が決まっていて、1試合も穴がない
采配らしい采配を振るったのも
第1戦 渡辺久信−東尾の継投タイミング
第5戦 延長11回裏に前打席同点本塁打の石毛が送りバント
くらいで、選手が馬なりで圧倒した。
だから相当のバカでも勝ってたと思う。
それくらい森西武前期の最高到達点のチーム。
翌年、ストッパー不在と、伊東のリードが狂うとどうにもならなくなる弱点を露わにして
V逸したが、きっちり対策して5連覇したのが森西武後期 >>382
3ゲーム差で2位ってくらいかなぁ
桑田が前年より貯金を落としたからねぇ
ガリクソンは江川の穴を埋めた程度
(当たり外人だとは思うけど)
槙原の貯金が3つくらいは増えたかもね あの年の中日は、彦野と仁村がドーピングしていると言われた。 >>384
落合が入ってきて打ち方を見て盗んだのが仁村弟。
彦野は何故か分からない。 >>382
クロマティと呂明賜がどっちがプラスかやね。
何れにしろ優勝は無いな。 >>378
広岡も中日を猛烈批判。バントシフトが全くできていないと。
>>382
中日にあれだけゲーム差をつけられたら優勝は無理。
中村は88年限定でリードが抜群だった。 日ハム稲葉引退 東尾修「優勝争いの裏で戦力外選手の見極めを行っている」
https://dot.asahi.com/wa/2014091800069.html
の時期になると、引退や戦力外など、野球界の厳しい面も見えてくる。私が現役引退を決めたのは、1988年の西武−中日の日本シリーズだった。
先発ローテーションから外れた私は、第1戦(ナゴヤ球場)で、4−1で迎えた8回無死一、二塁、中日の打者・彦野利勝の場面で先発の渡辺久信をリリーフした。
当然、最後まで投げ切るつもりでマウンドに上がった。
しかし、当時の森祇晶監督の言葉は「この1人を抑えてくれ」だった。次打者には左打者の立浪和義がおり、ブルペンでも左投手が準備していた。
森監督からすれば、単純に勝つための最善手として、1人を確実に抑えてほしいとの思いから出た言葉だったろう。
しかし、私の受け止め方は違った。彦野を初球、内角シュートで三ゴロ併殺。2死三塁となって、立浪は3球三振に仕留め、わずか4球でピンチを切り抜けた。9回も投げ切ったが、監督の言葉は私の心に強く残った。その日の夜、知人に引退の意思を口にした。 東尾はキレイに書いてるが
本人はまだ現役に未練があり、場合によっては福岡に移転したダイエーに移籍してでも
と思ってたが、その可能性を堤オーナーに潰され、最終的には解説者の口と引き替えに
引退、という説の方が信憑性ありそう 堤が会見で「東尾くんのトレードはふさわしい選手じゃないと認めませんからね」って
発言したんだよ。
根本さんは若手か場合によっては金銭でくれてやってもいいと思っていたが、
ホークスにふさわしい選手などいるわけもなく(両山内でも釣り合わない)
これで一切移籍の可能性がなくなった まあ東尾はあそこでオーナーの意向通りにしたから
後に監督の椅子が廻ってきて、優勝監督にもなれたので
辞めて正解だったんじゃないかな 今だったらFAで移籍してたんだろうけどね
当時のホークスの投手陣ならやや過ぎた東尾でも十分戦力になっただろうし