1988年のプロ野球 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
・涙の10.19
・つまり、西武の4連覇
・さらば阪急南海
・郭はもう泣いてます、星野中日初優勝
・ビールかけのない自粛ムード
・東京ドーム開場も巨人見せ場なく王政権瓦解
・阪神暗黒の中、どんでん涙のHR
泣けるシーズンだった昭和最後の年。
この年に生まれた赤ちゃんは後に球史に名を残す面々として育っていくのでした。
※前スレ
1988年のプロ野球
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1403432680/ 王監督最後の試合(東京ドームね)負けたんだけど
挨拶をしているときにヤクルトファンが「東京音頭」をやかましく鳴らしてた
関根潤三さんやヤクルトの選手も怒ってたらしい
またヤクルトファンの友人も隣の人から「勝ったんだから歌えよ」と言われたので
「王さんが挨拶してるのに非常識だろ」と冷静な口調で言ったら黙ったそうだ へぇ
今はそういうのはどこもきちっとしてるよね
まだ応援団がNPB通しての管理じゃなかったのかな? ナゴヤ球場にオールスター観に行ったら巨人の選手だけ応援なしだったよ
そんな時代 >>237
既出かもしれないが、秋山は9月が1本塁打、3打点。このあたりの波が、評価損に繋がっている。 東京ドームでのオールスターなのに、
巨人の選手が打席に立つとアウトコール
そんな時代
https://www.youtube.com/watch?v=XcpuG4DTKj0 落合が糞みたいにデカイアウトコールが流れる中ホームラン打ったのはさすがと思った
95辺りのオールスター 甲子園でオールスター戦でもあったね。
阪神応援団が仕切ってたらしいが、巨人の選手以外にも
中日・宇野と広島・小早川が打席に入る度に、
大音響で六甲おろしを演奏したり、アウトコールしたりと。
宇野は過去のホームラン王争いによる敬遠合戦の因縁。
小早川はドラフト時における阪神拒否発言のわだかまり。 >>249
巨人以外にもやってたのかよ。
それはそれでまぁ筋が通ってるとも言えなくもないが・・・ >>249
小早川は88年のオールスター出場してないよ 甲子園は87年でしょ。
87年は西武→横浜→甲子園
88年は西宮→ナゴヤ→東京ドーム
88年は日米野球が甲子園で開催。
巨人と西武の選手が打席に入ると静寂感があった。 西日本で開催すると巨人の選手の打席で阪神のヒッティングマーチを演奏するというのもあった その語り部であったアベロクさんも今年他界。
年月が経つのは早いものだ… >>252
1988年のオールスター第3戦
パの勝利目前で田中幸雄が大エラー(悪送球だったか?)してセが同点に追いつき、
最終的にセが勝利 憶えてる人いる?
俺はこのシーンで田中幸雄を始めて知った まさか名球界に入ることになるとは思わなかったけど 近鉄の小野和義は、6月に3試合完投したが、全て完封負け(1失点1、2失点2)。前半戦3勝6敗、2・17で、球宴に選ばれている。最終的に10勝10敗、2・59。言い出したら切り無いが、小野が完封負けした試合を1つ勝っていたら、あの悲劇も無かった? 西武にしてももったいない星を落とした試合はいくつかあったろ?
それと相殺じゃない 10月の直接対決で1勝3敗、そのうち阿波野で2度落としたのも痛かった。 >>263
それと、15日の大阪球場での南海戦、17日の西宮での阪急戦。小野、阿波野を先発させて落としたのが痛い。 エースと準エースで貯金2でよく西武と最後まで競り合えたな。 >>268
阿波野、小野が他球団のエースと投げ合い、その他の投手を相手に山崎、村田が勝ちを拾う。さらに、抑えの吉井が勝ちを稼いだ。そう考えたら、阿波野と小野は犬死にでは無かったかな? 中日の野手が新人王を獲得したのは、この年の立浪以来だそうだ。 >>261
この年に限らないが、小野が投げる時は、
ほんとに味方の援護がなかった。
相手がエースの時によくぶつけられた、
てことかも知れないが。 パ・リーグの規定投球回をクリアした投手が25人。そのうち13人が、二桁完投をクリア。最多勝が15勝止まりだったのが不思議な気がする。 >>127
中日を追い出された平野が最も嬉々としてそうだが と言うより近鉄はここ一番に弱い。
江夏の21球にしかり加藤の失言にしかり。
結局西武に勝てたのも翌年だけ。 >>274
エース同士の潰し合いが多かったのと殆どが先発専門だった上に中5〜6日登板だったのも大きいかと。 ロッテは10勝超えが4人(村田、荘、小川、園川)いたのに、最下位
まあ、それ以外の投手で11勝しかしてないから、しかたないが それは酷いなw
リリーフの牛島除いたらほんとロクなのいなかったからしゃーないが 1988シリーズ
中日×パリーグ優勝チーム
戦いは天国へ。 おいおい、まだ森さんは亡くなっていないぞ
それにしても、星野さんの早すぎる訃報に大変驚いている…
ご冥福をお祈りします >>283
その年の仰木近鉄は優勝していないのですが 郭源治の大活躍に隠れているが、この年の大洋の中山のも凄いよな。
現代の野球ではあり得ない数字だ。
あれだけ投げさせられれば翌年の成績も予想できる。
酷使で投手生命を消耗させられた挙句に、熱血漢の高校の先輩が監督に就任したりとメンタルまで破壊された。
才能は遜色なかった同い年の佐々木の大活躍を考えると、自己責任とはいえプロでは本当に運のない投手だったな。 >>286
たしかどうしようもない婚約者と監督とでおかしくなったんだよな この年に輝いた選手は清原、中山、小川だけど
やっぱり活躍するには普段からの素行もよくないとな
この3人は素行もよかったし野球を辞めてからもいい人間になるはずだよ >>279-281
その10年後のロッテはもっと酷い状態にw >>291
なんか2007年と昨年のヤクルトと似てるな… この頃の中日より観客が多い今のカープは凄すぎる
ビジター動員も凄まじいし 王監督 桑田 呂の顔から
ホームベーストライアングルとか言われていた 1988年の中日のメンバー
彦野利勝 2年でコーチ解任
立浪和義 中日のコーチ、監督なれず
小野和幸 88年の一発屋
小松辰雄 交通事故起こす
杉本正 壊し屋、逆神
大石友好 20年以上コーチやって誰一人捕手を育てられない、脱税 >>291
それでも10年後の方がマシに思えるのは川崎球場の賜か 1988年中日優勝の立役者
5位 スーパーストッパー郭源治
4位 クロマティにぶつけた久保
3位 吉村殺した栄村
2位 ヤクルトの皆さん
1位 王監督 カープは悲惨な貧打イヤーだった
オサナイが後半戦序盤にえらく好調だったな 高橋慶彦が一気に衰え、チーム内で浮いた存在になって行く。しかし、まだ31歳だったから、再生すると思ったけどね。 そうかあ?
当時って30越えたらもう引退カウントダウンだろ ショートの守備は30でもうだめだね。高橋慶彦は86年あたりですでに守備機会が減っていた。 中日が優勝して一番盛り上がった年かな
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NKM1G 落合選手が初めて規定打席到達で3割を切ったのがショックでした。
5月か6月のラジオ中継で実況アナが、落合選手が満身創痍であること、
手首、足首にきつくテーピングをし、腰痛にも悩まされており、
痛みを紛らわすために酒量が増えているという趣旨のことを言及していたのを覚えています。
7月初め(多分チームが6連敗する前)に2試合連続猛打賞でようやく打撃10傑に登場(打率.296)したものの
そこから浮上できず、球宴時で72試合 打率.283 20本塁打 48打点でした。 >>280
牛島がダメだったのよ
この年の後半戦からノーコン投手になった 翌年先発転向して活躍したけど四球は物凄く多いまま 当時の落合のがっかり感ってどんなんだったの?
二年連続.350 50本でセリーグやって来たら、1年目は首位打者争いも30本塁打に届かず、2年目はHR王争いも3割届かず。
年齢的には30代半ばだししょうがないという感じだったのかね。 落合の他、原とかもだが勝手に期待して勝手に裏切られて勝手に叩かれてたやつがいたんだよな
ピーコやどんでんもその時期があった >>313
1987年については、
まず開幕前にはバース選手との三冠王争いが大きく取り沙汰されましたが、
落合選手自身は三冠王よりもチームの優勝を優先したいという発言をしていました。
メディア的には、王巨人の初優勝と「新生星野ドラゴンズ」の躍進という大きなネタがありましたので、
バース選手、落合選手の主要3部門のノンタイトルに対する失望的な報道は
なかったと記憶しています。
以下余談ですが、
1988年シーズン前の週刊ベースボール(たしか選手名鑑号)に
落合選手と大田卓司氏との対談記事が掲載されていました。
その中で落合選手は1987年のシーズン中に大田卓司氏に「俺、野球やってないもん」とこぼしていたそうです。
セ・リーグでは自チームの劣勢時に選手の諦めが早いという事を嘆いていました。
9回を迎えて3点のビハインドの場合、パ・リーグでは逆転しようと頑張るが
セ・リーグでは次の試合に向けて気持ちを切り替えてしまうといった趣旨の事を言われていました。 ・「みなさんお元気ですかー」
・青函トンネル、本四架橋開通
・自粛
・「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」公開
・光GENJI
・アイドル四天王(中山、工藤、南野、浅香)
・アイルトン・セナ日本GPでF1世界チャンピオン獲得
・シーマ、アートフォースシルビア誕生 >>313
それよりも、パ三冠王が日本シリーズで西武投手陣に無抵抗でひねられた時の方が失望感凄かった。 呂は阪神移籍のうわさがあった
バースの穴を埋めるという意味で
それを実現直前に立ち消えにさせたのがクロマティの故障 >>301
>>303
後半戦は実質的には”純国産打線”だったからね
それでも辛うじて3位だったのは、当時のBクラス球団との
実力差の賜物なんだろう 5月の終わりごろに阪神は6連勝したが
その連勝が止まってから8連敗
しかも連敗中に3試合連続雨天中止があった
連敗を止めた巨人戦で巨人のクロマティが故障というのはあまりにも皮肉 >>321
>>318
巨人の吉村選手の故障の直後に当時の阪神の古谷球団代表が自殺 バースが(子供の病気で)帰ったんだからお前も帰れと阪神の選手が言ってた
死球を食らったクロマティが自分の本で暴露
クロマティ本人も休んでいても金は入るし実はラッキーと喜んでいた クロマティ、アメリカにいたもんな 最終戦だけベンチ入りした 良く覚えてるなあ
バースの揉め事とデービス大麻と代役のブライアントが打ちまくってた事ぐらいしか覚えてないわ クロマティのやめるやめる詐欺 1986年オフから「来年優勝したら引退してロックスターになる」と言い続ける 日本ハム、西崎投手が15勝止まりだったのが意外というか残念でした。
オールスター時点で11勝6敗、防御率1.92、
8月6日に13勝目を挙げ、残り2ヶ月で4勝か5勝を挙げると思っていました。 オールスターでも3イニングパーフェクトの好投してたし、
向かう所敵なしって感じだったもんなぁ 西崎と郭泰源の延長13回の投げ合い引き分けとか熱かった
そこまでしてもライオンズには勝てないのかとため息したけど >>333
12回でしたね ちょっとあやふやになってた それだけ長いイ
ニングを投げたすごみがあったので勝手にイメージで伸ばして
た(大野・槇原もすごかったけど) 巨人王監督のラストゲームの後にビートたけしがラジオで
どうせやめさせられるんだから俺だったらピッチャー呂とかバッター俺とかやるね
と言ってた
大洋ファンのニッポン放送の塚越孝アナは次の日の早朝の番組で王解任に触れて泣いていた >>54
もともと物凄くデータ重視で、分析しまくるタイプ。
それがひたすらシュートを投げてくる西本とか、データ分析が無意味になる配球が多くなって、直感的に打つしかなくなった。
このシーズンのホームランを「全部出会い頭」と言ってたくらいだから、いかにデータ分析が無意味になったか分かる。 >>331
後年、それが原因で日本ハムを追い出されることに… 「ドーピング」と言う言葉覚えたのがこの年のソウル五輪のベン・ジョンソン。
中日の優勝も「ありゃドーピング」って言ってたなw 西武‐中日日本シリーズ前、昼テレビ見ていたら、
(たぶん和田アキ子のアッコにおまかせだと思う)
日本シリーズの予想になってそこに出ていたオッサン連中全員全員、勢いがある中日、
と中日を日本一に推していた。
で結果は・・・ 予想なんか当てにならないと分かった小学生の俺
ついでにフリップに貼られた西武松沼兄の写真見て「こういう顔嫌い こういう顔嫌い」と
和田アキ子が暴言浴びせていた。