1988年のプロ野球 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
・涙の10.19
・つまり、西武の4連覇
・さらば阪急南海
・郭はもう泣いてます、星野中日初優勝
・ビールかけのない自粛ムード
・東京ドーム開場も巨人見せ場なく王政権瓦解
・阪神暗黒の中、どんでん涙のHR
泣けるシーズンだった昭和最後の年。
この年に生まれた赤ちゃんは後に球史に名を残す面々として育っていくのでした。
※前スレ
1988年のプロ野球
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1403432680/ 当時の巨人は意外と野手層が薄く吉村クロマティ故障で福王や鴻野川相を外野で使うしか選択肢がなくなるほどだった >>215
>>214の書き主ですが、せめて全日程終了後にしてほしかった。
後、なんかの本で原が1回目の監督退任の時にONと同じような形をとろうとしたので
辞任のかたちは抗議の意味を込めたやり方だったと書かれてた 9/28に報知が「王留任」で一面トップを打ってしまったから
球団としてはそのまま事態を置いておくわけにはいかず同日中に解任通告
翌9/29に辞任記者会見
報知の王番記者が応援の意味も込めて先走らなければあいまいなまま
終了まで行けたかもしれんね さすがに不動の3番と5番打者が消えたらどんな名将でもどうにもならん
その意味では王監督巨人最終年は気の毒
それとこの時の飛車角落ち打線への焦りから
慶応3年大森に1位指名を確約する流れになったのも痛かった >>216
この年に限れば原よりもクロマティでしょう
この年の原は基本的にはフルシーズン働いたといえると思うよ。
終盤に離脱したのは86年
あと敗因として挙げられるのは、
桑田と鹿取の不調 鮮烈なデビューをした呂ややけに二塁打がこの年の多かった中畑では穴埋めには
ほど遠かったしな。 >>221
すでに衰えていた簑田を、阪急から獲得したが、あまりに過大評価していた。クロウ、吉村が離脱したが、それでもスタメンで出るのが稀だった。 王番記者が書いた「背番号1が泣いている」とか
当時の広報だった若林氏が書いた本など王さんも(我々が知らない)苦労も
あったんだなと思った(采配批判はしたけどそれを見て何か申しわけない気持ちになった)
>›204の下の行、その若林氏の本によれば「日米野球の目玉になるんだがな」と
球団幹部が発言して王さんが「残り試合は指揮を執るが日米野球は辞退します」と
ワナワナとした感じで言ったとか
話は変わって日本シリーズでは史上2度目となる「サヨナラヒットで日本一決定」となったな >>216
いくら巨戦病院でも、斎藤使いこなせないでこんな文句言われても困るという見方が大半
斎藤をしっかり使い藤田はおろか長嶋の途中まで強く行けたという史実ができてしまったからな なんかよくわからんけど中日が謎の強さを発揮したってことでええやん
彦野、仁村、中村、小松崎、上原、川畑、江本
わけわからん伏兵がわらわら湧いてきて妙な勢いだけはあったよ
勢いだけだったけど この年のハム投手陣何気に凄い
先発規定到達で2点台が4人
最多勝が2人 最優秀防御率1人
これで負け越しとか・・・
2015の広島や今年の巨人もそうだが先発投手が揃ってても
駄目なことってあるんだな 主砲として実績十分のブリューワ→全休
同じく主砲として期待のデイエット→負傷で期待外れ
中日から獲得して6番あたりをのんびり打っててくれれば、と思っていた大島が4番で
活躍して、慌てて獲得したイースラーが当たり、でなんとか打線の体裁が整った時点で
西武近鉄が既にとっくに先に行ってた >>227
それシーズン中からよく言われてたね
西武が黄金期すぎた 二桁勝利投手4人 首位打者 盗塁王 絶対的守護神を擁するロッテだってあの成績だったからな。結局は総合力よ。 >>228
さらに言えば、島田誠、古屋の急速な衰え。白井の離脱。9番だった田中が、3番に定着するくらいの貧打線。 高田監督が大島を獲得していなかったらと思うとゾッとするとか言っていたな
翌々年は二桁勝利投手が5人いてBクラスだった 小松崎や岩本なんかは、星野仙一でなかったら使われることはなかった 前年オフに小松崎はクビが決まってたんだよな
それを星野が覆した
岩本は阪急でそこそこ出てたんでないの? 古屋はなんとなくわかるが島田はあんなに急速に衰えると思わなかった >>230
プラス奪三振王もいた
キングが4人
2桁勝利も4人
当時を知らない人が聞いたら最下位なんて誰も信じないだろうな この年の西武のクリーンナップAKBはAKDより破壊力があった印象
特に秋山が光ってた
門田が台頭してこなければMVPは彼だったかも >>226
中日の選手層は、西武や巨人にも見劣りしないくらい厚かったよ
ただ何故か先発投手が揃わない
昌や潰れたけど近藤など、いいピッチャーはいたんだけどね
結局は継投で最後は源治だもんな 王監督最後の試合(東京ドームね)負けたんだけど
挨拶をしているときにヤクルトファンが「東京音頭」をやかましく鳴らしてた
関根潤三さんやヤクルトの選手も怒ってたらしい
またヤクルトファンの友人も隣の人から「勝ったんだから歌えよ」と言われたので
「王さんが挨拶してるのに非常識だろ」と冷静な口調で言ったら黙ったそうだ へぇ
今はそういうのはどこもきちっとしてるよね
まだ応援団がNPB通しての管理じゃなかったのかな? ナゴヤ球場にオールスター観に行ったら巨人の選手だけ応援なしだったよ
そんな時代 >>237
既出かもしれないが、秋山は9月が1本塁打、3打点。このあたりの波が、評価損に繋がっている。 東京ドームでのオールスターなのに、
巨人の選手が打席に立つとアウトコール
そんな時代
https://www.youtube.com/watch?v=XcpuG4DTKj0 落合が糞みたいにデカイアウトコールが流れる中ホームラン打ったのはさすがと思った
95辺りのオールスター 甲子園でオールスター戦でもあったね。
阪神応援団が仕切ってたらしいが、巨人の選手以外にも
中日・宇野と広島・小早川が打席に入る度に、
大音響で六甲おろしを演奏したり、アウトコールしたりと。
宇野は過去のホームラン王争いによる敬遠合戦の因縁。
小早川はドラフト時における阪神拒否発言のわだかまり。 >>249
巨人以外にもやってたのかよ。
それはそれでまぁ筋が通ってるとも言えなくもないが・・・ >>249
小早川は88年のオールスター出場してないよ 甲子園は87年でしょ。
87年は西武→横浜→甲子園
88年は西宮→ナゴヤ→東京ドーム
88年は日米野球が甲子園で開催。
巨人と西武の選手が打席に入ると静寂感があった。 西日本で開催すると巨人の選手の打席で阪神のヒッティングマーチを演奏するというのもあった その語り部であったアベロクさんも今年他界。
年月が経つのは早いものだ… >>252
1988年のオールスター第3戦
パの勝利目前で田中幸雄が大エラー(悪送球だったか?)してセが同点に追いつき、
最終的にセが勝利 憶えてる人いる?
俺はこのシーンで田中幸雄を始めて知った まさか名球界に入ることになるとは思わなかったけど 近鉄の小野和義は、6月に3試合完投したが、全て完封負け(1失点1、2失点2)。前半戦3勝6敗、2・17で、球宴に選ばれている。最終的に10勝10敗、2・59。言い出したら切り無いが、小野が完封負けした試合を1つ勝っていたら、あの悲劇も無かった? 西武にしてももったいない星を落とした試合はいくつかあったろ?
それと相殺じゃない 10月の直接対決で1勝3敗、そのうち阿波野で2度落としたのも痛かった。 >>263
それと、15日の大阪球場での南海戦、17日の西宮での阪急戦。小野、阿波野を先発させて落としたのが痛い。 エースと準エースで貯金2でよく西武と最後まで競り合えたな。 >>268
阿波野、小野が他球団のエースと投げ合い、その他の投手を相手に山崎、村田が勝ちを拾う。さらに、抑えの吉井が勝ちを稼いだ。そう考えたら、阿波野と小野は犬死にでは無かったかな? 中日の野手が新人王を獲得したのは、この年の立浪以来だそうだ。 >>261
この年に限らないが、小野が投げる時は、
ほんとに味方の援護がなかった。
相手がエースの時によくぶつけられた、
てことかも知れないが。 パ・リーグの規定投球回をクリアした投手が25人。そのうち13人が、二桁完投をクリア。最多勝が15勝止まりだったのが不思議な気がする。 >>127
中日を追い出された平野が最も嬉々としてそうだが と言うより近鉄はここ一番に弱い。
江夏の21球にしかり加藤の失言にしかり。
結局西武に勝てたのも翌年だけ。 >>274
エース同士の潰し合いが多かったのと殆どが先発専門だった上に中5〜6日登板だったのも大きいかと。 ロッテは10勝超えが4人(村田、荘、小川、園川)いたのに、最下位
まあ、それ以外の投手で11勝しかしてないから、しかたないが それは酷いなw
リリーフの牛島除いたらほんとロクなのいなかったからしゃーないが 1988シリーズ
中日×パリーグ優勝チーム
戦いは天国へ。 おいおい、まだ森さんは亡くなっていないぞ
それにしても、星野さんの早すぎる訃報に大変驚いている…
ご冥福をお祈りします >>283
その年の仰木近鉄は優勝していないのですが 郭源治の大活躍に隠れているが、この年の大洋の中山のも凄いよな。
現代の野球ではあり得ない数字だ。
あれだけ投げさせられれば翌年の成績も予想できる。
酷使で投手生命を消耗させられた挙句に、熱血漢の高校の先輩が監督に就任したりとメンタルまで破壊された。
才能は遜色なかった同い年の佐々木の大活躍を考えると、自己責任とはいえプロでは本当に運のない投手だったな。 >>286
たしかどうしようもない婚約者と監督とでおかしくなったんだよな この年に輝いた選手は清原、中山、小川だけど
やっぱり活躍するには普段からの素行もよくないとな
この3人は素行もよかったし野球を辞めてからもいい人間になるはずだよ >>279-281
その10年後のロッテはもっと酷い状態にw >>291
なんか2007年と昨年のヤクルトと似てるな… この頃の中日より観客が多い今のカープは凄すぎる
ビジター動員も凄まじいし 王監督 桑田 呂の顔から
ホームベーストライアングルとか言われていた 1988年の中日のメンバー
彦野利勝 2年でコーチ解任
立浪和義 中日のコーチ、監督なれず
小野和幸 88年の一発屋
小松辰雄 交通事故起こす
杉本正 壊し屋、逆神
大石友好 20年以上コーチやって誰一人捕手を育てられない、脱税 >>291
それでも10年後の方がマシに思えるのは川崎球場の賜か 1988年中日優勝の立役者
5位 スーパーストッパー郭源治
4位 クロマティにぶつけた久保
3位 吉村殺した栄村
2位 ヤクルトの皆さん
1位 王監督 カープは悲惨な貧打イヤーだった
オサナイが後半戦序盤にえらく好調だったな 高橋慶彦が一気に衰え、チーム内で浮いた存在になって行く。しかし、まだ31歳だったから、再生すると思ったけどね。 そうかあ?
当時って30越えたらもう引退カウントダウンだろ ショートの守備は30でもうだめだね。高橋慶彦は86年あたりですでに守備機会が減っていた。 中日が優勝して一番盛り上がった年かな
他は地味な優勝ばかり すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
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NKM1G 落合選手が初めて規定打席到達で3割を切ったのがショックでした。
5月か6月のラジオ中継で実況アナが、落合選手が満身創痍であること、
手首、足首にきつくテーピングをし、腰痛にも悩まされており、
痛みを紛らわすために酒量が増えているという趣旨のことを言及していたのを覚えています。
7月初め(多分チームが6連敗する前)に2試合連続猛打賞でようやく打撃10傑に登場(打率.296)したものの
そこから浮上できず、球宴時で72試合 打率.283 20本塁打 48打点でした。 >>280
牛島がダメだったのよ
この年の後半戦からノーコン投手になった 翌年先発転向して活躍したけど四球は物凄く多いまま 当時の落合のがっかり感ってどんなんだったの?
二年連続.350 50本でセリーグやって来たら、1年目は首位打者争いも30本塁打に届かず、2年目はHR王争いも3割届かず。
年齢的には30代半ばだししょうがないという感じだったのかね。 落合の他、原とかもだが勝手に期待して勝手に裏切られて勝手に叩かれてたやつがいたんだよな
ピーコやどんでんもその時期があった >>313
1987年については、
まず開幕前にはバース選手との三冠王争いが大きく取り沙汰されましたが、
落合選手自身は三冠王よりもチームの優勝を優先したいという発言をしていました。
メディア的には、王巨人の初優勝と「新生星野ドラゴンズ」の躍進という大きなネタがありましたので、
バース選手、落合選手の主要3部門のノンタイトルに対する失望的な報道は
なかったと記憶しています。
以下余談ですが、
1988年シーズン前の週刊ベースボール(たしか選手名鑑号)に
落合選手と大田卓司氏との対談記事が掲載されていました。
その中で落合選手は1987年のシーズン中に大田卓司氏に「俺、野球やってないもん」とこぼしていたそうです。
セ・リーグでは自チームの劣勢時に選手の諦めが早いという事を嘆いていました。
9回を迎えて3点のビハインドの場合、パ・リーグでは逆転しようと頑張るが
セ・リーグでは次の試合に向けて気持ちを切り替えてしまうといった趣旨の事を言われていました。 ・「みなさんお元気ですかー」
・青函トンネル、本四架橋開通
・自粛
・「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」公開
・光GENJI
・アイドル四天王(中山、工藤、南野、浅香)
・アイルトン・セナ日本GPでF1世界チャンピオン獲得
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