1988年のプロ野球 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
・涙の10.19
・つまり、西武の4連覇
・さらば阪急南海
・郭はもう泣いてます、星野中日初優勝
・ビールかけのない自粛ムード
・東京ドーム開場も巨人見せ場なく王政権瓦解
・阪神暗黒の中、どんでん涙のHR
泣けるシーズンだった昭和最後の年。
この年に生まれた赤ちゃんは後に球史に名を残す面々として育っていくのでした。
※前スレ
1988年のプロ野球
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1403432680/ 88年は10ゲーム以上離されたから惜しい気はしないが、でもやっぱ前半首位で折り返して優勝できないのは不満だったな。
原にもホームラン王取ってほしかった。 中日ファンの高 信太郎と横田順彌が対談して(本になった)
その中で「王監督には永久に監督をしてほしいと言ってたな
最終戦で勝利してウイニングボールを受け取ってくれたことが
嬉しかったと鹿取が言ってた ホームラン争いライバルのポンセに打たれたガリクソンに対して
原「ポンセ、フレンズ?」
ガリー「イエス(怒」
次の打席も放り込まれたんだっけw 大洋×巨人最終戦(巨人のその年最終戦=王さん最後の試合)でポンセ(32本)と原(31本)でホームラン王争いしてたのに
別に敬遠合戦じゃなかったな。見に行ってた。
ポンセが33号(目の前に飛んで来た)打ってホームラン王確定だったな。 ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ 原がガリクソンに
ポンセフレンド?と言ったのはこの年? >>191
この試合の前時点で
ポンセ32(残り試合10)
原31(残り試合1)
落合30(残り試合13)
だから、ポンセにとってライバルは原というよりも落合だな。
原敬遠なんてのは並ばれない限り考えになかったろう。
それにしてもGとD,Wの試合消化ペースが違いすぎるな。 ドーム元年だったこの年は長雨冷夏でもあり、
屋根付き球場の長所を如何なく発揮した結果だよね。
有名な話だけど、開幕戦も例年なら順延間違いなしの大雪でも、
予定通り開幕したのよね。 開幕戦で思い出した。鴻野のエラーで巨人が逆転され桑田降板。
解説の江川が「納得できません」
この年はここでつまずいたな。 同点でランナーを残して杉浦のところで桑田→角
江川「納得いきません」
ヤクルト杉浦→平田薫
平田決勝の逆転打
江川は勝ちがつかない状況で降板はさぞ不満だろうといういかにも先発投手らしい見解
平田は大洋に放出された60年の巨人戦満塁弾に続いて2回目の古巣への恩返し。
この逆転打でセカンドベースに立った瞬間に緊張が切れて「現役も今年限り」と
悟ったらしい(ここはNumberの創作かな) ランスのソロ1本で抑えていた先発の桑田
2対1でリードした終盤、四球で走者一塁の場面、
打者ランスを迎えた所で角にスイッチ→初球を決勝本塁打 王さんの投手リレーは他チームファンからすればネ申だったろうな。 この当時の杉浦に代打って今なら筒香に代打出すような感じだろう(やや大げさだが)。
いくら平田が一流の左殺しとはいえ・・・
ランスに打たれたのは論外だが、角もこれにはまさかって感じだったろうな。 ランスは前年にも角から9回に同点
ホームランを打っているので偶然ではないと 残り4試合というところで王監督解任発表、奇しくもその日はクロマティの誕生日。
しかも球団はオフの日米野球の指揮も指揮もとってくれと言った >>204
讀賣のフロントはアホばっかりだなw
そしてそれは、今も変わってないw クロマティは6月の阪神戦で指を死球骨折して残りシーズンを全休したのに(だから呂が出て来て旋風を起こしたが)
シーズンオフに音楽活動を始めてドラムを叩いてたな。とんねるずのみなおかにゲスト出演して
黒魔亭侍とかやってたのを見たことが >>204
後任が藤田前監督というのが意外だった。
前年の年末に出版された王監督について書いた書籍に「藤田の再登板はない」と
はっきり書かれていたから。 一度経験してるし、体調も万全ではなかったらしいから、
「再登板はない」と読まれたのも無理はないだろうね。 藤田さんはもともと心臓に持病があってニトログリセリンを常備してたしね
しかも王さんに対して読売グループは長嶋さんと同じように「客員になってほしい」とぬかした。
長島さんは読売新聞はしらないが日本テレビと報知新聞(スポーツ報知)に客員になったが
王さんさんはいずれも一言「お断りします」 王さんは福岡イッテ正解だったな
今も楽しそうだし
読売にいると窮屈で仕方ないだろうな
長嶋さんもなんかいろいろ利用されてるし 藤田が「ワンちゃん、おもいきって行ってきなよ」と後押ししたのは本当か? >>202
昔は今みたいに左投手いなくて対戦数少なかったから
門田や福本加藤秀クラスでも簡単に右の代打が出てたよ
さすがに王に代打はないが 解任発表の時、抗議に電話はほとんどなかったそうだが
もし長島氏と同じようになったら今の王さんはなかったかもしれない
03年のリーグ優勝後の久米宏の番組(今の報道ステーションの枠)で
「今の巨人にいてもつまらない(こんな感じの発言)」と言ってノムさんも驚いてたとか
それから93年シーズンから長島氏が監督復帰したとき喜んだファンは采配についてどう思っただろう? 俺はシゲオより王さんのほうがずっと好きだったが、88年の王さん解任は涙したがしょうがないとも思った。
あれだけの戦力で優勝できなきゃね。 ・江川の謎の引退
・松本の急激な衰え
・吉村の栄村クラッシュ
・原の手首がクラッシュ
・篠塚のスペ体質
この状況で一体どうしろと。 当時の巨人は意外と野手層が薄く吉村クロマティ故障で福王や鴻野川相を外野で使うしか選択肢がなくなるほどだった >>215
>>214の書き主ですが、せめて全日程終了後にしてほしかった。
後、なんかの本で原が1回目の監督退任の時にONと同じような形をとろうとしたので
辞任のかたちは抗議の意味を込めたやり方だったと書かれてた 9/28に報知が「王留任」で一面トップを打ってしまったから
球団としてはそのまま事態を置いておくわけにはいかず同日中に解任通告
翌9/29に辞任記者会見
報知の王番記者が応援の意味も込めて先走らなければあいまいなまま
終了まで行けたかもしれんね さすがに不動の3番と5番打者が消えたらどんな名将でもどうにもならん
その意味では王監督巨人最終年は気の毒
それとこの時の飛車角落ち打線への焦りから
慶応3年大森に1位指名を確約する流れになったのも痛かった >>216
この年に限れば原よりもクロマティでしょう
この年の原は基本的にはフルシーズン働いたといえると思うよ。
終盤に離脱したのは86年
あと敗因として挙げられるのは、
桑田と鹿取の不調 鮮烈なデビューをした呂ややけに二塁打がこの年の多かった中畑では穴埋めには
ほど遠かったしな。 >>221
すでに衰えていた簑田を、阪急から獲得したが、あまりに過大評価していた。クロウ、吉村が離脱したが、それでもスタメンで出るのが稀だった。 王番記者が書いた「背番号1が泣いている」とか
当時の広報だった若林氏が書いた本など王さんも(我々が知らない)苦労も
あったんだなと思った(采配批判はしたけどそれを見て何か申しわけない気持ちになった)
>›204の下の行、その若林氏の本によれば「日米野球の目玉になるんだがな」と
球団幹部が発言して王さんが「残り試合は指揮を執るが日米野球は辞退します」と
ワナワナとした感じで言ったとか
話は変わって日本シリーズでは史上2度目となる「サヨナラヒットで日本一決定」となったな >>216
いくら巨戦病院でも、斎藤使いこなせないでこんな文句言われても困るという見方が大半
斎藤をしっかり使い藤田はおろか長嶋の途中まで強く行けたという史実ができてしまったからな なんかよくわからんけど中日が謎の強さを発揮したってことでええやん
彦野、仁村、中村、小松崎、上原、川畑、江本
わけわからん伏兵がわらわら湧いてきて妙な勢いだけはあったよ
勢いだけだったけど この年のハム投手陣何気に凄い
先発規定到達で2点台が4人
最多勝が2人 最優秀防御率1人
これで負け越しとか・・・
2015の広島や今年の巨人もそうだが先発投手が揃ってても
駄目なことってあるんだな 主砲として実績十分のブリューワ→全休
同じく主砲として期待のデイエット→負傷で期待外れ
中日から獲得して6番あたりをのんびり打っててくれれば、と思っていた大島が4番で
活躍して、慌てて獲得したイースラーが当たり、でなんとか打線の体裁が整った時点で
西武近鉄が既にとっくに先に行ってた >>227
それシーズン中からよく言われてたね
西武が黄金期すぎた 二桁勝利投手4人 首位打者 盗塁王 絶対的守護神を擁するロッテだってあの成績だったからな。結局は総合力よ。 >>228
さらに言えば、島田誠、古屋の急速な衰え。白井の離脱。9番だった田中が、3番に定着するくらいの貧打線。 高田監督が大島を獲得していなかったらと思うとゾッとするとか言っていたな
翌々年は二桁勝利投手が5人いてBクラスだった 小松崎や岩本なんかは、星野仙一でなかったら使われることはなかった 前年オフに小松崎はクビが決まってたんだよな
それを星野が覆した
岩本は阪急でそこそこ出てたんでないの? 古屋はなんとなくわかるが島田はあんなに急速に衰えると思わなかった >>230
プラス奪三振王もいた
キングが4人
2桁勝利も4人
当時を知らない人が聞いたら最下位なんて誰も信じないだろうな この年の西武のクリーンナップAKBはAKDより破壊力があった印象
特に秋山が光ってた
門田が台頭してこなければMVPは彼だったかも >>226
中日の選手層は、西武や巨人にも見劣りしないくらい厚かったよ
ただ何故か先発投手が揃わない
昌や潰れたけど近藤など、いいピッチャーはいたんだけどね
結局は継投で最後は源治だもんな 王監督最後の試合(東京ドームね)負けたんだけど
挨拶をしているときにヤクルトファンが「東京音頭」をやかましく鳴らしてた
関根潤三さんやヤクルトの選手も怒ってたらしい
またヤクルトファンの友人も隣の人から「勝ったんだから歌えよ」と言われたので
「王さんが挨拶してるのに非常識だろ」と冷静な口調で言ったら黙ったそうだ へぇ
今はそういうのはどこもきちっとしてるよね
まだ応援団がNPB通しての管理じゃなかったのかな? ナゴヤ球場にオールスター観に行ったら巨人の選手だけ応援なしだったよ
そんな時代 >>237
既出かもしれないが、秋山は9月が1本塁打、3打点。このあたりの波が、評価損に繋がっている。 東京ドームでのオールスターなのに、
巨人の選手が打席に立つとアウトコール
そんな時代
https://www.youtube.com/watch?v=XcpuG4DTKj0 落合が糞みたいにデカイアウトコールが流れる中ホームラン打ったのはさすがと思った
95辺りのオールスター 甲子園でオールスター戦でもあったね。
阪神応援団が仕切ってたらしいが、巨人の選手以外にも
中日・宇野と広島・小早川が打席に入る度に、
大音響で六甲おろしを演奏したり、アウトコールしたりと。
宇野は過去のホームラン王争いによる敬遠合戦の因縁。
小早川はドラフト時における阪神拒否発言のわだかまり。 >>249
巨人以外にもやってたのかよ。
それはそれでまぁ筋が通ってるとも言えなくもないが・・・ >>249
小早川は88年のオールスター出場してないよ 甲子園は87年でしょ。
87年は西武→横浜→甲子園
88年は西宮→ナゴヤ→東京ドーム
88年は日米野球が甲子園で開催。
巨人と西武の選手が打席に入ると静寂感があった。 西日本で開催すると巨人の選手の打席で阪神のヒッティングマーチを演奏するというのもあった その語り部であったアベロクさんも今年他界。
年月が経つのは早いものだ… >>252
1988年のオールスター第3戦
パの勝利目前で田中幸雄が大エラー(悪送球だったか?)してセが同点に追いつき、
最終的にセが勝利 憶えてる人いる?
俺はこのシーンで田中幸雄を始めて知った まさか名球界に入ることになるとは思わなかったけど 近鉄の小野和義は、6月に3試合完投したが、全て完封負け(1失点1、2失点2)。前半戦3勝6敗、2・17で、球宴に選ばれている。最終的に10勝10敗、2・59。言い出したら切り無いが、小野が完封負けした試合を1つ勝っていたら、あの悲劇も無かった? 西武にしてももったいない星を落とした試合はいくつかあったろ?
それと相殺じゃない 10月の直接対決で1勝3敗、そのうち阿波野で2度落としたのも痛かった。 >>263
それと、15日の大阪球場での南海戦、17日の西宮での阪急戦。小野、阿波野を先発させて落としたのが痛い。 エースと準エースで貯金2でよく西武と最後まで競り合えたな。 >>268
阿波野、小野が他球団のエースと投げ合い、その他の投手を相手に山崎、村田が勝ちを拾う。さらに、抑えの吉井が勝ちを稼いだ。そう考えたら、阿波野と小野は犬死にでは無かったかな? 中日の野手が新人王を獲得したのは、この年の立浪以来だそうだ。 >>261
この年に限らないが、小野が投げる時は、
ほんとに味方の援護がなかった。
相手がエースの時によくぶつけられた、
てことかも知れないが。 パ・リーグの規定投球回をクリアした投手が25人。そのうち13人が、二桁完投をクリア。最多勝が15勝止まりだったのが不思議な気がする。 >>127
中日を追い出された平野が最も嬉々としてそうだが と言うより近鉄はここ一番に弱い。
江夏の21球にしかり加藤の失言にしかり。
結局西武に勝てたのも翌年だけ。 >>274
エース同士の潰し合いが多かったのと殆どが先発専門だった上に中5〜6日登板だったのも大きいかと。 ロッテは10勝超えが4人(村田、荘、小川、園川)いたのに、最下位
まあ、それ以外の投手で11勝しかしてないから、しかたないが それは酷いなw
リリーフの牛島除いたらほんとロクなのいなかったからしゃーないが 1988シリーズ
中日×パリーグ優勝チーム
戦いは天国へ。 おいおい、まだ森さんは亡くなっていないぞ
それにしても、星野さんの早すぎる訃報に大変驚いている…
ご冥福をお祈りします >>283
その年の仰木近鉄は優勝していないのですが 郭源治の大活躍に隠れているが、この年の大洋の中山のも凄いよな。
現代の野球ではあり得ない数字だ。
あれだけ投げさせられれば翌年の成績も予想できる。
酷使で投手生命を消耗させられた挙句に、熱血漢の高校の先輩が監督に就任したりとメンタルまで破壊された。
才能は遜色なかった同い年の佐々木の大活躍を考えると、自己責任とはいえプロでは本当に運のない投手だったな。 >>286
たしかどうしようもない婚約者と監督とでおかしくなったんだよな