>>36-37-38
オールドファンの方の回想では、65年の優勝には、まだ熱気があったのに、
翌66年のそれとなると、印象が薄くなってたと・・・

65年、シーズン前半で独走して、2位東映と最大20ゲーム以上も開いていた
レギュラシーズンから、一転、選手権では1勝しかできず敗退・・・
シーズンオフ、蔭山氏が監督就任直後に急逝、スタンカ愛息の事故死、と
立て続きに不幸に見舞われ、鶴岡と野村の関係など、チームにも溝ができたり、
その後の南海の行く末を暗示するかの如く・・・

杉浦さんも、「あの時、南海の何かが変わってしまった」と記してる。