もしも昭和55年の長嶋監督解任が無かったら? [無断転載禁止]©2ch.net
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その後の巨人、藤田、王、原、野球界全体はどうなったろうか? 門田と新浦を軸に、河埜兄と定岡兄のトレードが成立。門田の月間本塁打記録更新、40歳二冠は無かっただろう。 長嶋離れができたから
野球人気は団塊ジュニアに浸透し、
団塊と合わせて80年代の野球人気ができたんだと思う
ずっと長嶋監督だったら
団塊ジュニアにはソッポを向かれてた可能性がある >>3
そのトレード未遂って本当なの?
南海が門田を手放そうとする意図が分からない。
この年、復活して40本打ってるし。その前年ならともかく。 ベンチ内で内紛が起きてたからね
もうどうにもならなかった
91年に星野さんが辞めた時に似ている Bクラスで終わってたかも最下位は大洋だろうが
大洋は81年シーズン中長嶋に監督要請している
それを知った当時監督の土井はシーズン中に辞任
長嶋が断って関根が就任したがもし81年長嶋が巨人監督なら
大洋は監督要請せず関根も大洋監督になってないだろう
須藤豊も大洋の二軍監督続けていただろう 関根さんが大洋の監督になって大洋も一時的に活気付いたからまぁよかった 原をクジで外し、結局ワンちゃんに現役45歳まで
やってもらう光景しか見えない。 単純に、他球団の選手を金で買いまくる体質が早まり
かえって強くなったかもしれんぞな 先輩ヅラの西岡剛(笑)
絡むな疫病神、インケツ西岡
“チャラ男”がサヨナラ満塁弾 日ハム西川を変えた懲罰抹消
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161028-00000018-nkgendai-base
たった一振りで、札幌ドームを興奮の坩堝に変えた。
27日の日本シリーズ第5戦、日本ハムの西川遥輝(24)が、92年の杉浦(ヤクルト)以来となる、日本シリーズでのサヨナラ満塁ホームランを放った。
今シリーズは直前の打席まで20打数2安打、打率1割。
それが九回2死満塁の場面で、これ以上ない大仕事を果たし、チームの日本一王手に貢献した。
■怠慢プレーを連発
10年ドラフト2位で、智弁和歌山から日ハム入り。甲子園常連の名門校とはいえ、大学や社会人を経ずに、直接プロの門を叩いて活躍した選手は、これまで一人もいなかった。
西川は内野から外野とポジションを替えながら、14年には143試合に出場するなど、高卒4年目でレギュラーに定着した。
ところが球団OBは
「それで慢心したのでしょう」と、こう続ける。
「当時の西川は髪の毛を伸ばして茶色に染めるなど、見た目も言動もチャラつくようになった。グラウンド内でも集中力を欠く怠慢プレーを連発。
昨季は夏場の試合でアウトカウントを勘違いして外野席にボールを投げ入れたり、ボールカウントを間違えて牽制死など、つまらないミスが相次いだ。
これが首脳陣の逆鱗に触れ、9月に懲罰の意味を込めて二軍落ち。外野は岡の台頭や右翼にコンバートされた近藤の存在もあり、自分も安泰ではないと悟ったのでしょう。すっかり反省し、髪の毛も短くして野球に専念するようになった」
かつて西川は中田に可愛がられ、オフは西岡(阪神)らともつるむなど、球団の顔をしかめさせていた。
「彼らは肩で風を切って大阪の町を闊歩していた。それも西川が増長した一因でしょう。最近は中田とも距離を取るようになったようです」(前出のOB)
http://i.imgur.com/i1PtKh9.jpg 80年の巨人って異常だったじゃん
ベースを踏まないランナーやボールを捕らない野手、打てるボールを打とうとしないバッター
選手の長嶋監督への嫌がらせは尋常ではなかった
長嶋さんは一度チームを離れるしかなかった 川上さんと和解できてなかったのでそのまま続けてたら巨人は最悪な状態に
ヤンキースの暗黒時代みたいになっていただろうね 解任がなかったら、81年の優勝はないと思うし
王が引退したかどうか
原と長島ってなんか合わない気もする
1三 中畑
2二 篠塚
3中 ホワイト
4一 王
5左 淡口
6右 トマソン
7捕 山倉
8遊 河埜 王が現役継続なら6番を打たせるなんて方針もあったらしいが…クリーンアップ
から外れた王など見たくない気がする。 長嶋さんのアドバイスで原はセカンドをやった
外からの人間としてのアドバイスではなく監督としてもそうしたかちょっと興味あり ポジション被る篠塚が長嶋監督のお気に入りだからなあ >>12
当時を知らないのですが、それって具体的にどんな選手なんですか?
川上派の残党ですか? 派閥というより全体的に嫌われていたというか
91年の中日や去年の阪神にちょっと似ている80年の巨人は
長嶋さん完全に孤立してた >>20
1000本を目指したかった反面、3割をキープしたかった。それで3割を選択した説もある。仮に、この時点で2割9分8厘なら、81年は現役だったはず。 王がやっていたら、ジェシーバーフィールドみたいな成績かなあ?
容易にスタメン落ちはできないだろうから、ポジションが活性化せず
若返りも進まず、この年のペナントは落としていたろう。 原と長島って、どうしても代打長嶋一茂のイメージが強すぎて合わない
一番合うのがやっぱり藤田元司
というより、原を果たして長島がドラフトで取ったのか?
そこからだろうな
伊東キャンプで死に物狂いに猛練習させ、中畑や篠塚や松本を育成したわけだから
王現役
原はドラフト断念
まず81年は優勝は不可能だろうな となるとドラフトは即戦力重視ということで竹本(新日鉄室蘭)に行ったろうか?
竹本はその後…
でも、当時の巨人は投手陣は良かったからなあ。
ポスト王ということでやはり原、外れ1位で高木豊では? 何よりもチーム内の雰囲気が物凄く悪くなって険悪になっていたのでいずれにせよ81年の続投は無理
無理して続けてたらチームは完全に崩壊してた 星野さんと違って金本やデーブのような嫌われ方をしていた80年の長嶋さんは
無能の癖に威張りやがってと選手の怒りは頂点に達していた 80年の巨人の状態なら長嶋解任される前に自分から辞めろよ それ故に長嶋さんには充電期間が必要だった
92年に復帰した時には随分と成長した長嶋さんになって帰ってきた
采配面では相変わらずのおばかっぷりだったが人の心は読めるようになった
とは思う 今の金本にちょっと似てる当時の長嶋さんは
まだ若くてつんのめってたんだね
元々熱血漢だからね 91年の中日はチーム内で内紛が起きていた
選手はすっかりやる気を失いほぼ確実だった優勝を広島に浚われた
その中で落合だけが一人気を吐いていたのが救いだった
自分勝手な選手と批判されていた落合だがその時だけはプロとして真面目にプレーする落合の
事を心から尊敬した 江川事件があって采配もメチャクチャですぐ怒ってぶん殴る
さすがの選手達も愛想を尽かした
長嶋さんには外へ出て頭を冷やして考える時間が必要だった へいカールは、人の心を読める様になった証だったのか? 93年に復帰するまでは務台に復帰を阻まれて説があったし アメフトに挑戦して肋骨折ったりカール・ルイスとの出会いがあったり長嶋さんの
充電期間は色々と外の世界を学ぶいい機会になったとは思う >>30で92年と書いたのはいち早く日米野球の指揮を執ったので
日本のメディアが長嶋さんばかり取材してメジャーの豪華メンバーの方をおなざりに
してたのでケリー監督やクレメンスが何でこっち取材しないんだと怒ってたw テレビ番組で長嶋さんと川上さん和解したんだ
長嶋さんは多少戸惑った表情で川上さんとの握手を一瞬躊躇したが川上さんの方から
握手を求めてにこやかな和解となった >>38
その番組見てた
たしか巨人軍50周年とかいう、徳光が司会してたヤツだよな
長島は川上の事を、『川上先輩』と呼んでいたね 1984 長嶋巨人軍
@東尾
A山倉
Bレオン
C篠塚
D原
E水上
Fクルーズ(日)
G松本
H門田 84年はさすがに王引退か
クロマティはこなさそう
案外バース来たりして(笑)
1中 松本
2二 篠塚
3一 バース
4三 中畑
5左 淡口
6右 山本功
7捕 山倉
8遊 河埜 >>35
単純にそれだけ。
人の心なんか読めないし、王様だから読む必要もない。
原に対する仕打ちや清原獲得後の落合の処遇見ればわかる。 長島が倒れる前に落合が「コミッショナーには球界OBのトップがいい。王さんがなるべき」って書いてたから
「あれ?」って思った。そこは長島じゃないのかと。
実際に選手として仕えてみて長島に失望したんだろうね。 第一期は純愛主義で第二期は非情主義だったので
その点では随分とクールな人になったなとは思った クールというか、しょせん読売の飼い犬としか思えなかったんじゃない?
王は巨人を離れて九州に行った、その勇気というか捨て身の姿勢を買ってたんじゃないかな、落合は。 首位独走の広島にだけ勝てて他チームに勝てなかった不思議
他チームは巨人に勝てても広島には勝てなかったから変なシーズンだった 長嶋が表舞台にいなかった時代(1981〜1992)までが日本が一番 豊かで幸福な日本の青春時代だったように思える。
長嶋がいた〜1980とか陰惨な事件が多かった。もちろん1981〜1992間も陰惨な出来事はあった。が、長嶋が幽閉と解かれた日本は「阪神大震災」「オウム真理教事件」と戦後最大の惨事に見舞われた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています