1986年のプロ野球 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
清水(葛飾区青戸6)の告発
清水の父母「息子と娘にいつでもサリンをかけに来やがれっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
■ 地下鉄サリン事件
オウム真理教は当時「サリン」を作ることはできなかった。
正確に言えば 「作る設備」を持っていなかった。
神区一色村の設備で作れば 全員死んでいる。「ガラクタな設備」である。
神区一色の設備を捜査したのが「警視庁」であるが さっさと「解体撤去」している。
サリンは天皇権力から与えられた。
正確に言えば オウム真理教に潜入した工作員が 「サリン」をオウムに与えた。
オウム真理教には 多数の創価学会信者と公安警察が入り込んでいた。
地下鉄サリン事件を起こせば オウムへの強制捜査が「遅れる」という策を授け「地下鉄サリン事件」を誘導したのは
天皇公安警察と創価学会である。
天皇は その体質上 大きな「事件」を欲している。
オウム科学省のトップは 日本刀で殺された「村井」という人物だ。
村井は「サリン」授受の経緯を知る人物なので 「日本刀」で殺された。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20150224 達川の5番?
でもそれって、優勝決定後の消化試合とかでしょ? 調べたら9月21日の大洋戦だね。
もちろん、消化試合でなく巨人と激しいデッドヒートを繰り広げていた時期だ。 >>317
スギ様はともかく、松田優作は別に善人イメージで
売ってた俳優じゃないだろうむしろ逆じゃね? 衣笠は地元の沿線関係で阪急に入った方がDHで簡単に連続試合出場記録を樹立出来たと思う 少なくとも連続試合出場記録を更新する
87年の46試合目まで聖域起用しなきゃならないのは
カープにはハンデだったわな
衣笠が阪急なら山内や興津や広岡や関根や根本にも出会わず
開花せずに終わったかもしれないし、
両親の目の届く場所だと開放感から派手に遊ばなかったかもしれないし何とも言えない この年の長者番付
スポーツ選手1位が山本浩二で以下20位以内に衣笠、北別府、阿南監督とカープで4人ランクイン この年の選手名鑑で中日杉本正は好きなタイプに松居一代を挙げていた 阿南監督が神宮で優勝を決めたけど
88年の阿南監督の最終戦も神宮だったことがあまり知られていない 日本シリーズ最多三振
8試合 11三振 - 衣笠祥雄(広島東洋カープ、1986年)
7試合 16三振 - ジャック・ハウエル(ヤクルトスワローズ、1992年)
6試合 10三振 - 桑原将志(横浜DeNAベイスターズ、2017年)
5試合 *9三振 - ヘンスリー・ミューレン(ヤクルトスワローズ、1995年)
3試合 *8三振 - 丸佳浩(広島東洋カープ、2018年)
4試合 *7三振 - オレステス・デストラーデ(西武ライオンズ、1990年) 広島第5戦サヨナラ負け
86年西武・工藤にサヨナラヒット
16年日本ハム・西川にサヨナラ満塁ホームラン
18年ソフトバンク・柳田にサヨナラソロ >>354
そのパターンになったカープ、過去2回はシリーズで負けているのよね 今年、津田さんの命日に下水流の逆転サヨナラ2ランだったが、来年もマツダで広島−巨人戦。
因縁浅からぬ原さんが戻って来たから何か追悼イベントやって欲しい。軽々しく言ってはいけないんだろうけど。
来年、没後26年。 この年唯一観にいった試合が広島対大洋で例の高橋投手が9回にボコボコにされた試合だったな。9回に猛攻が始まって帰ろうと思ったけど帰れなくなった思い出がある。衣笠もドサクサでホームラン打ったし。 >>359さんの便乗して
この年唯一観に行った試合が9月の日本ハムvsロッテで先発投手が金沢投手と田子投手。
落合選手が二塁打と本塁打を打ってロッテが勝利。
ロッテの丸山選手が試合前時点で打率.667、
第一打席で安打して打率.750になり「山田太郎の打率を超えたぞ」とはしゃいだ記憶あり。
それ以外に覚えているのは
後楽園球場の座席が狭かったこと、
外野席で大学生のグループが酒盛り状態だったこと。
「大人のおもちゃ、大人のおもちゃ、ちゃちゃちゃ大人のお、も、ちゃ」とか歌っていた。 唐突に打球飛ばなくなったよねこの年
85年が凄すぎただけ? 聞くところによると、前年(85年)は「飛ぶボール」を使っていたっぽいんだよね この年地方の大学から新卒で東京で就職したけど、通勤で朝後楽園と東京ドームの工事で鉄板で囲まれている通路を
通ってたけど、いかにも学校サボってる阪神ファンや大洋ファンのガキがいっぱい席取りの行列に並んでた。今10+33く
らいの歳か。何して暮らしてるんだろうね?
ちょうど4月下旬に東京サミットがあって、後楽園周辺の狭い道にまで深夜も警官が張り込んでいた。まあ「警察のオリン
ピック」だからね。予算も入るし。今年も4月の改元とかでやるのかね?
本郷界隈には旅館がいっぱいあって、後楽園の帰りに一緒に坂を上がってったけど、さすがに全部無くなったな。本郷
3丁目の機山館くらいか。 この年はいきなり打球が飛ばなくなり、翌年はプロ野球全体の打撃成績がいきなり落ち込んだ んで阪神は暗黒に落ち、次の改訂まで低迷
よほど阪神にダメなゾーンだったのかな? >>360
田子といえば、清原に新人タイの31号ほんるいだを打たれた投手か。
鳥取西時代に甲子園出場、早実の荒木と投げ合ったのが印象深いが、プロではそのことしか覚えていない。 山本浩二引退の年だが最後のサヨナラ本塁打は杉本正(500本塁打打った時も
杉本から)、最後の本塁打は日本シリーズで東尾修から >>369
阪神は下手に前年に日本一になってしまったのが間違いだったと思うわ。あの暗黒時代が到来する位なら従来通り万年Aクラス争いしていた方がマシだった。 >>372
別に日本一になろうがなるまいが人間は1歳加齢するのは変わらないんだから
その後暗黒時代が来るのは変わらないだろうに。 阪神は強力打線といっても成績いいのは4人だけでそもそもその4人揃っていた期間が83から88年まであるの強力打線といっていいのは85と86のみだしな 86年だって掛布の不振でリーグ得点1位は巨人だし
実は81年までも暗黒的で、82から86までが出来すぎた
87で崩壊
02以降の横浜と類似 常に弱いベイスは兎も角そんなに弱くなかった阪急・オリックスがあそこまで落ちぶれるとはな。 オリックスは上田監督が辞めた途端にいきなりブルーサンダー打線が空中分解したな ブルーサンダー崩壊〜イチローの狭間で中心になってた打者って誰?トーベ? >>379
っていうか、球団全体史で見たら強かった時代の方が圧倒的に短いんだが・・・ 打者より阪神は140キロ出るピッチャーさえほとんどいなかった投手陣が問題だろ >>384
おかしいな、カタログスペックでは
140後半出る本格派が揃ってたはずなんだがな・・・ 阪神本格派の希望の星といえば仲田幸司だったな
この年は実質2年目で7勝で防御率もよかった、まさかここから独り立ちまで6年もかかるとは…(しかもそれも1年限り) なかたこは145、6出てたんだよな
中込もデビュー時は146を計測してるのを見た
島田章弘も148計測してたんだよな故障が悔やまれる
伊藤文隆も143-6ぐらい出てた記憶がある >>380
これ西宮→神戸に本拠地を移転したのと、監督を変えたからな。 >>387
この頃「島田章弘、仲田、遠山の三人の有望若手投手がいる
から阪神の将来が楽しみだ」と当時阪神ファン
のクラスメイトが語っていた
儚い夢で終わったけど >>218
いしいのまんがスポーツの連載4コマで
85年の某号で
あのダークな王監督が原に
「今日は何の日か知ってるか?」って尋ねて
原が「な、何の日でしょうね?」ってリアクションしたら
王監督が原の胸ぐらを掴んで
「おやじの命日だ!」
ってオチのネタがあった。
この号発売日の数日後
王監督のお父様は本当に死去された…。 バカモノー 日航機事件の
85年のこの頃からいしいさんは作風変わってきて
それだけでなく派出所もあぶさんもチエも急激につまらなくなってきて
希望ふくらませて入った高校にもあまりなじめず
いやスレチ失敬
ついでに南海も開幕前には期待もたせたが フタ開けてみれば相変わらず… >>218
ワンマンマン出しすぎたためにナベツネが切れてとなりの山田くんが金曜ロードショーで放送禁止になった それが解禁されるためには、ナベツネの死を待つしかないのかw ワンナウツ第二期のためにもナベツネはよくたばれや
もう10年待っとんや 埼玉県知事選挙出るという青島健太
青島の現役時代の印象ってこの年の広島優勝決定試合で最後の打者として津田から
三振の印象しかない >>394
>>397
高畑勲が死去した時ですら
放映されなかったんだから
ナベツネは相当根にもってるんだろうな…
ところでガウリイが斬妖剣もたせるために
はよオリックス優勝してくれへん… スープラ
ソアラ
レパード
スカイラインGTS
セリカGT-FOUR サンチェ ○勝1敗○セーブ(リードした状態で登板してリードを守れなかったのは一度だけ) サンチェの前に獲得予定だったのがデーブスチュワートだったんだな 今思い出しても、1点取るのも苦労してたような貧打の印象の強いカープが
いくら投手陣がいいとは言ってもよく優勝できたね、ほんと ドラフトで長冨を獲ってなければ優勝出来なかったと思う 巨人はたんぱくだし
阪神も特に後半戦はホームランでしか点がはいらないような
貧祖な打線になってたからな。
やっぱり投手陣がしっかりしてる広島に分があったんじゃね? クロマティが。ちゃんとタッチアップしてれば巨人優勝。 >>411
長富が江川に投げ勝った試合で、カープ行けるんじゃないかと思った 5月終了時点で巨人と広島の差5.0ゲーム。
6月24日巨人首位浮上。6月終了時点でゲーム差1.5の2位。
7月17日折り返し。広島首位3.5差2位巨人。原26本バース25本。7月終了時ゲーム差0。
8月3日巨人首位浮上。8月5日原31号バースと3本差。
8月23日原34号巨人99試合目。
8月28日巨人首位5.5ゲーム差広島。 掛布の怪我が全て
阪神の20世紀が早くも終わり、
長い長い暗黒トンネルに入った >>417
巨人と阪神とじゃ試合の消化ペースが違うから、原とバース比べても無意味 >>419
この年は変わらなかった。まだドームじゃなかったし。 >>417
5月終了時点で2位の-5差。
結果的にこれが優勝を逃すきっかけになった。
この年の巨人は甲子園と広島で負けすぎ。 宮本が誤算だった。オープン戦で好調だったのに全くダメだった。 投手力の広島 打撃の阪神とカラーがはっきりしていた
投手力と攻撃力のバランスが良かったのは巨人
広岡が「巨人は戦力的には十分足りている。王監督がしっかりしていれば優勝した。」なんて
批判してた >>422
3月20日に東京に引っ越したけど、宮本が鹿児島の阪神とのオープン戦で勝ってたね。先に荷物だけ入れてたけど、
「完全入居」して付けたテレビで見た。 阪神は小林が抜けた後の
エースがずっと不在で、反面、
打撃力だけならリーグ1だと思ってた
エースが出てくるのは、
暗黒明けの井川が出てくるまで
待たないといけなかった
この頃は、まさか、数年後に
打撃力が底割れするとは全く思ってなかった
田淵、掛布、真弓、岡田までは
順調にバトン繋ぎができていたから、
真弓、岡田の次が全く育たないなんて
思ってもみなかった 阪神のエース 小林→仲田(一年だけ)→井川(一、二年だけ)→メッセ 考えてみれば、井川も凄かったのは
2年くらいか
エースたるもの、
5年程度は顔をやらんといかんと定義したら、
小山→村山→江夏→小林→(断絶)→メッセ
になってしまうんだな、、
恐るべし暗黒パワー >>427
選手間でも話されてたが投手ばかり補強してたから、さも当然。
平田・木戸・和田・八木位か。
村山が無理矢理チャンス与えた少年隊が居る程度。
育つかと思われた渡真利はダイエーへトレードしたしな。 ラッキーゾーンを残していれば、
八木あたりはもう少し活躍できたろうが、
いつの間にやら「代打の神様」なる
ジジ臭いポジションで甘んじてしまった。
トレードで出した大野が盗塁王、
野田が最多勝みたいな悲惨な事態もあって、
この頃の阪神球団の編成は大失敗だったな。 >>108
Gのエースが江川から桑田に変わって、江川との取り決めみたいなものも失くなってどうなったかね。 日本シリーズのカープ、第4戦の金石の適時打以降、適時打1本も無いのな
そりゃ大逆転負けする ブロハードが打たなくても広島全勝でVだったな。
最終戦負けたのも手抜きの消化試合な訳だし。 西武やソフトバンク
その時代のパ覇者には歯が立たない広島 そういやブロハードのアレ打たれたのも槙原だったな
バックスクリーン3連発とか、佐伯のボーク打ち直しホームランとか、新庄の敬遠球サヨナラとか、
ジャイアンツが衝撃の負けを喫する時にはなぜかマウンド上に槙原が… >>443
読売 南海とダイエーに勝ちソフトバンクに負ける
広島 ソフトバンクに負け南海とダイエーが出た頃はシリーズに出られない弱小 そういえば読売は南海に4タテされたことあったね
1人の投手に4タテされたともいえるが 原がとにかく嫌い
ヤクザに1億やるクズは消えてほしい >>440
バックスクリーンばかり3連発を取り上げられるが
音、大豊、山崎の両翼センター3連発も槇原だし
8点差逆転負けも槇原 >>446
今や「球界の盟主」なんて言葉は死語w
讀賣も落ちぶれたものよw もっともこのスレタイの頃には
既に盟主の座を西武に奪われたと見る人も多かったような気が 南海からトレードで移籍してきた新井が大石との1,2番コンビとして近鉄というチームににフィットした。
巨人から来た淡口とともにこの移籍組の二人が西武との優勝争いに大きく貢献した。 でも西武の動員、売上等含むGDPは巨人にはるかに及ばなかった。 >>455
ホームランでしか点が取れなかったメタボ打線が
小回りが利くようになったからね でも近鉄の一員らしく新井自身初の二桁本塁打してるんだな >>455
なぜか淡口が「近鉄最強の五番打者」って言われてた時期があった
チャンスに強かったけれど常時スタメンで出てたわけじゃないのに >>459
東尾から打ったサヨナラHRのインパクトだろうなあ。
あの時は近鉄イケそうって思ったし。 >>455
新井と淡口は同い年で同じ左打者で同時期に近鉄に移籍したこともあってすぐに仲良くなった パのベストナインがよくわからない選出だった。
.321、20本、68点のブリューワが選ばれず、ブリューワより三部門ともはるかに劣る横田と新井が選ばれ、もう一人はまだ内野手登録の秋山。
三部門とも新井より良かった山本和も落選。 阪急ブーマーがオープン戦最後の3試合に出場(参加)しただけで公式戦は3割5分40本打った。
いったい日本のキャンプやオープン戦て何の意味があるんだろうと考えさせられた。 >>461
はっちゃけた選手の多い近鉄の中で常識人が意気投合したんだろう。 >>463
翌年、酒の飲み過ぎで肝炎になり、キャンプどころかろくに練習すら出来なかった石嶺が、開幕からバカスカ打ちまくった。
阪急のキャンプの存在意義は何なんだとw
>>464
新井は、その石嶺の飲み仲間。
夜な夜な飲み歩いてたらしい。 >阪急のキャンプの存在意義は何なんだとw
どうしてこういう解釈になるのか意味不明。
野球界全体の話であって、べつに阪急という1チームに限った話ではないでしょ。 >>466
別に阪急だけなんて「一言も」言ってないだろ?
ブーマーの例が出たから石嶺の例もついでに出すことの何が悪いんだ?
お前アスペか 誰もNPB全体のキャンプの不毛性自体に異議を唱えてないのに、>>466はなに一人でイキってんだろうねw >>467
石嶺の例が出たことに文句を言っているのではないのだが。
「阪急のキャンプの存在意義は何なんだとw」
と書いてあれば、阪急という1チームに的を絞って言っていると捉えるのは当然だろ。
あんたは野球以前に小中学の国語の勉強をやり直したらいかがでしょうか。 反対にオープン戦で6本塁打して絶好調のまま開幕を迎えたのが門田
4〜5月は好調を維持したが6月に調子を落とし7月に入るとかすみ目症で休場
8月後半から盛り返したが衰えで引退も近いと思われた >>470
AV.262 25HR 77打点、確かにあまりいい数字ではないけど
目の調子が悪くてもこれくらいは打てるってのがすごいんだけどね .276 27本78打点の山本浩二が引退したんだから門田も引退するべき。
やはり常に優勝争いをするチームと、常に最下位争いをしているチームの違いかな。
こんな成績の中年でも現役続行が許されるわけだから。 >>470
その2年後に盛り返して二冠獲得(&MVP)だからね 2000安打が近かったから翌年達成させて花道を飾るという感じだったろうね
まさか出塁率のタイトルを取るとは 田淵、山崎裕之、基、山本浩二、東尾等
昔の選手はまだ余力があってもあっさり引退するね
当時は引退してもそんなに収入が落ちなかった事も理由だろうけど >>472
所属チームが強い弱いもあるけど、DH制の有無もある。
40歳で外野手はかなりキツいはず。
その点、門田はDH専門選手だから外野守備の事なんて少しも考えなくても良い立場だったから。 >>476
江本はDH反対派で
「門田のHR王はDHに救われて達成したものだから認められない」とか
コラムに書いていた
逆に板東英二はDH賛成派で「投手の打席なんて無駄だからセもDHを導入すべきだ」とか
書いていた 認められないは言い過ぎだとしても、もしDH制がなかったらアキレス腱怪我後の門田はホームラン王どころか
規定打席到達も無理な選手だったのは確か。 巨人が優勝していたらクロマティMVPで異論無いだろ?
東北シリーズできちっとタッチアップしてればね。 北別府、クロマティ、バース(2年連続三冠王)
64 王(55本)
74 王(2年連続三冠王)
80 木田(新人最多勝)
82 落合(三冠王)
85 落合(三冠王) この年はセパ両リーグとも「いわれなきMVP」だったな
中尾とか山倉もそうだけど、いわれなきMVPになったやつはその後成績がガクッと落ちる 石毛は無冠だからそうとして北別府は三冠だからいわれなきでもないんじゃないの
投手力を軸に勝ち取った優勝でその中で圧倒的な実力を示したんだから
森みたいに「石毛こそがふさわしい」と事前運動してたわけでもないんだし 曲がりなりにも投手三冠なのに、「いわれなきMVP」呼ばわりだなんて、
難癖もいいとこだよなw 1986年巨人優勝したらクロマティ以外ありえる?
1982年巨人優勝なら原だろう。
1987年のMVPが山倉もありえない。原だろ? この年辺りから伊東キャンプのメンバーが消えていく
当時は気にしてなかったけど後から振り替えると寂しい
最初は定岡?松本? 定岡1985年引退
松本江川1987年引退
中畑1989年引退 奪三振がリーグ1位でない北別府は投手三冠とは認めたくないな あの生え抜きスーパースターがキラ星の如く勢揃いして、
3割打者5人、沢村賞桑田がズラリと並ぶ巨人を、
「MVPは山倉か鹿取か」などという華のかけらもない事態に陥れた王監督の暗黒オーラはやばかった
86年はバース以外ありえん 1999年のMVPが上原じゃなかったこと考えたらクロマティで間違いないだろ。北別府が取れてクロウが取れない理由はない。
パも落合じゃなく石毛。 投手三冠の定義自体曖昧だからな
最多奪三振のタイトルがパ1989、セ1991制定
勝率の方も86年当時はタイトル扱いじゃない
ただ全日程終了後の新聞の囲みに勝利、防御率、勝率、SPの4つが載ってるのが
常だったのでこの頃は勝率で三冠と思ってた人多いんじゃないかな
ついでにいうと救援のタイトルも最優秀救援でSPでタイトルを争ってたから
当時を振り返る記事で「鈴木康二朗は2度のセーブ王」とか
「牛島はセパ両リーグでセーブ王のタイトルを獲得」とかいう記載を見ると
すごい違和感を覚える 1986年3月にWBCがあったら日本代表は?
投手
江川
北別府
遠藤
荒木
小松
工藤
渡辺
石本
斎藤明
捕手
伊東
山倉
内野手
中畑
岡田
篠塚
高橋慶
高木豊
原
掛布
石毛
外野
山本浩
真弓
山崎
吉村
秋山
平野 監督は前年西武辞めた広岡、広島辞めた古葉、話題性で長嶋? 死球退場のクロマティが次の試合で代打ホーマーかっ飛ばしたのと、工藤が日本シリーズでサヨナラヒット打って、広島日本一にあと一歩まで来ていた流れをひっくり返したのが印象的
日本シリーズ終盤でブコビッチや太田卓がいいとこでヒット打ってたのもよく覚えている。 北別府とか津田とか正直憎たらしかったけどね。まさかこの2人がこうなってしまうとは。
ペイさん、まだ津田さんとこ行ったらあかんよ!
津田さん、今年生誕60年。 そういや原が手首を故障したのは8月7日の後楽園の中日戦。かつては子分だった鈴木康友の打球を捕ろうとしてグラウンドに強打した。
その康友さんもかなり危ない病気とは。 3度目の三冠王取っても空気扱いで正力賞貰えなかった、おちあい博満 >>501
大分の産業廃棄物こと涙目野郎は、今すぐナベ〇ネと共にあの世へ逝けw 引き分け→広島3連勝→西武4連勝
死闘、熱闘としか言いようがない伝説の日本シリーズ
工藤、石毛、秋山らその後の西武黄金期を築いてく選手たちの躍動
これにたちはだかる北別府、大野、津田といった12球団最強の投手陣と全盛期の達川
そして黄金ルーキー清原と去り行く大打者山本浩二の邂逅
等々 本当に凄いシリーズだったよ
最終戦で太田の盗塁とその直後にダメ外人ブコビッチが打って勝ち越すという信じがたい展開が今でも笑える 第8戦まで行われたこと
それ自体が現段階では唯一だからね 巨人だったら1勝4敗かせいぜい2勝4敗がいいところ。
広島だったから名勝負となった。 前年ドラフト余波で巨人に優勝させたくないって声も多かったな。
Bクラスで王解任 オフに長嶋復帰?という週刊誌の予想もあった。 セゲヲの監督復帰
それには、あと6年の歳月が必要だった 中西
北別府
遠藤
大野
川口
小松
工藤
石本
斎藤明
村田兆治
こんな感じでしょ 西武と近鉄は数字的には大差がついてるんだよな
近鉄は総得点・総失点ともにリーグ4位以下だった
88年の近鉄は投手陣がリーグ最少失点だったからまだ分かるが
この年は良く残り数試合まで喰らい付けたなと思う 近鉄3-3ロッテ、この試合で近鉄のマジックが点灯した。初回無死満塁で落合を
敬遠、近鉄はこの押し出し含む3点にロッテ打線を抑え、引き分けに持ち込んだ。
満塁で敬遠って以後もあまり見ないな >>429
たが、なんやかんや言っても、井川は02年〜06年まで2桁勝利上げて、一年間フルで働いてたからなあ。この頃に居たら、阪神投手陣では神扱いだな。 >>511
データ上の数字では西武が全ての面で他チームを圧倒していて、すっかり勢いが
止まってグダグダな近鉄如きと何時までお付き合いしているんだかって感じなんよな。
森も監督としては1年目で「どうも監督職はコーチとは勝手が違うなあ」と戸惑っていた
様子が窺えた。
シーズン最終盤になり、もうこれが最後の一手って感じでそれまで4番に据えていた
秋山を3番、オールスター以降調子を上げていた高卒ルーキーの清原をPL時代の
定位置4番とした途端、それまでのグダグダが嘘のような大勝の連続でようやく近鉄
を振り切ったんよね。 この年新ストライクゾーンでたびたび糞ボールをストライクとされる判定を
繰り返され、多くの選手が成績を落とす中、日本最高打率を出したバースは素直に凄いと思う なんだかんだ巨人が全体的にバカスカ打ってたような気がするんだけどな
吉村が元気だったからかな 80年代って外国人投手がほぼ皆無だったな
いるとしても巨人、阪神、阪急、ロッテぐらいか ヤクルトのビーンとかアイケルバーガーとかいたじゃないか >>519
>>523
荘(ロッテ)のことも、たまには思い出してください 昔は先発は中4日だったがこの年から中6日が定着した。つまり表ローテー3人
裏ローテー3人ってことです この年巨人は苦しいペナントレースだった
巨人戦はテレビ放映されるから相手は巨人戦に表ローテーをぶつけてくる なるほど!鋭い指摘ですねぇ
だから巨人の勝率がなかなか上がらなかったんだよな 1986年3月に第一回WBCがあったら
監督 広岡?古葉?長嶋?
投手
小松 斉藤 遠藤 北別府 工藤 渡辺 東尾 石本 中西
捕手 伊東 八重樫 木戸
内野 落合 中畑 岡田 篠塚 掛布 原 石毛 高橋慶
外野 山本浩 山崎 真弓 金森 吉村 平野 >>526
時には、本来のローテーションを崩してでも
讀賣に表ローテの投手をぶつけてきた この年、小早川が44試合も二塁を守っていた
如何にカープが打力不足に悩まされたか分かる >>530
それでリーグ優勝するんだからすごいよな
ふと思ったが、純国産チームでリーグ優勝したのはセパ両リーグ通じて、この年の広島が最後? 翌年大砲不足に悩む広島は リチャードランスを補強するのであった >>531
優勝どころか外国人のいないチーム自体が
この年のカープが最後ではなかろうか この年と翌年の西武は微妙だな。
ブコビッチも助っ人とは言えん成績。
デストラーデには遥か及ばずバークレオよりも下。 >>534
近鉄戦で頭に死球食らってから調子が落ちちゃったんだよな、ブコビッチ
それまでは3割打ってたんだけど >>536
???
一番外国人の影が薄かった02年でも
野手 クレスポ
投手 ワズディン、アルモンテ、 趙成a、鄭a台
が出場している その中だとワズディンとアルモンテが多少戦力になった程度だな >>533
それだけ、現在のプロ野球界は外国人選手に依拠している
という証でもあるからね 確かに、パリーグをろくに見ていないヤツに
文句言われる筋合はないよね 巨人ファン江本。アンチ巨人に媚びて時々巨人の悪口を言うが巨人好きがバレバレ。 近頃掘り返された感のする日テレジャナウンサーの飛行機発言だがこの年の出来事なのか
2003年の阪神優勝時にそんな発言したのを学校行く前とかに見た記憶があるけど別の暴言と混同したのかな
ネット社会以前だから大事にはならなかったが大事故の翌年にあり得ない発言だわな 今夜9時からこの年の日本シリーズを、BSフジで振り返る >>506
名勝負とは言えなかった。
で、Gならあんなチョー貧打に泣くこともなかった。 日テレが中継した第8戦の解説が堀内と池谷で、ゲストが落合。
翌年の第5戦もゲストは違えど、解説はこの2人だった。 >>546
そのほうが良かった。ダラダラ8試合もやって鯉党もソッポ向いて、球場ガラガラ。
少なくとも「誰も見ない日本シリーズ」にはならなかった。 正直広島が3つ勝って
さっさと決めろよと思いながらダラダラ8戦な感じだったしな でもまあ、この年の西武の相手は広島で良かったですよ
これで、なまじ讀賣がしゃしゃり出てきたら… 91年の川口見てたら最速142キロくらいなのに西武打てなかったね。
このころの川口って随分球速落ちてたなという印象
86年の川口なら145から147くらい出てた印象 浩二さんNPB史上、大卒で500本塁打を達成した唯一の人物って知らんかった
なんで大卒者っていないの?頭でっかちで華奢だからホームランに適さない? 積算系の記録ではやはり4年の差はでかいってことさ
他には社会人出身で門田と落合が達成しているが
この2人は35歳を過ぎてからの積み上げ方が異常だから >551
川口は87年以降、球数多いうえに投球回数も結構長いから年々球威は落ちた
印象。それでも91年奪三振が多かったのは変化球が良かったからだと思う。
それと相性の良い巨人戦の登板が増えたこと。 川口の「投球論」に依ると、1991年シーズン前に縦のスライダーを覚えたのが、
効果的だったそうな。
ちなみにそれ以前の主な球種は、ストレート、カーブと、フォークの握りでアレコレ
試して身に付けたというスクリュー(つまりフォークの変形)の3つね。 1985年の阪神のでたらめ神憑り状態がなければ
1984年〜1986年は広島が3連覇していたと思っている 85年は巨人もなくはないと思うけどな
ただ広島巨人のマッチレースになったら近藤大洋がどっちを叩きたいかといったら、
巨人を叩きに行くだろうからやっぱり広島かな
あるいは阪神が大洋をボコボコにした分までなくなると仮定したら
大洋まで優勝争いに絡んでた可能性もある なんとなく1986年の日本シリーズは古葉なら
4勝1敗1引分けで終わっていた。なんぼAK砲1年目とは
言え。1991年だってAKDそろっている西武相手に3勝4敗だし。ましてや清原入団前年の1985年
の西武打線なら確実に天下の広島投手陣なら
抑えていただろう。そうすればV3(3年連続日本一)を
達成していたはず。阪神優勝が古葉の人生を狂わせた
部分はある。 阪神が優勝したから、V逸の責任をとって古葉退団じゃなくて
古葉がオーナーと喧嘩して今季限りでやめるのを決めていたから
最後の追い込みができなかったんだよ
だから阪神のせいで古葉の人生が狂ったというのは違う
むしろ古葉のおかげで阪神の歴史が狂ったw
まあ広島ファン氏は日本一の回数を増やしたかった? その割には阪神との最終決戦の継投はガチだったがな
しかも代打攻勢もかなりなものだったし そんなたかが一二試合の選手起用なんかガチもへったくれもないわ
退任を決めていても普通に目の前の試合には勝ちに行くだろ
そういうところよりももっと全体のマネジメント的なことじゃないの
熱意を失ってたのは
それよりも現実には優勝しようがなかろうがあり得なかった
86年に古葉が率いてた方が興味深いな
あれはむしろ阿南が我慢し尽くしがよくて、
古葉だったらむしろ浩二衣笠にもっと厳しい起用をしてむしろ悪い結果になって
いたような気がする 1986年
MVP票数 セ・リーグ
(1位に5点、2位に3点、3位に1点のポイントが振り分けられる)
165. 70. 9 計1044 北別府学
.65 105 51 計 .691 バース
5 .19 69 計 .151 クロマティ
6. 19 30 計. 117 山本浩二
1. 18 47 計. 106 津田恒実
3 7 12 計 48 達川光男
- 2 .2 計 .8 高橋慶彦
- 1 .3 計 .6 長冨浩志
- - .1 計 .1 江川卓
- - .1 計 .1 川口和久
MVP票数 パ・リーグ
80 51 29 計582 石毛宏典
62 53 33 計502 清原和博
42 49 48 計405 落合博満
13 30 33 計188 渡辺久信
. 1 . 4 23 計 .40 石本貴昭
. -. 4 13 計. 25 秋山幸二
. -. 1. 1 計 4 辻発彦
. - . 1 . 1 計 4 ブーマー
. -. -. 1 計 1 伊東勤
. -. -. 1 計 1 東尾修
. - . - . 1 計 1 デービス バースはともかく落合が石毛どころか清原にすら負けてるのが不思議 TBSの朝の番組が巨人を嫌っていたのか、広島が好きなのか、広島ageをしていた記憶が有る。 >>37
その部分だけ切り取ってみれば、名将なんだろうけど、いた選手とか在任期間全体みれば、一弱のチームが明らかにある上に、87年はロッテも加わる中、最下位になったのは相当愚将としか思えないけどね。 >>188
星野の平野放出ありきで、各チームの補強ポイントを考えたら、思惑に一番合致するのが、やっぱり西武だったんじゃないかな?
吉竹全盛期でも、北村弘田と併用しての成績だし、さすがに1年フルにとは計算してないと思う。
ただ、中日側からして平野だったら、もう少し良い投手取れないもんかね?とは思っているファンは多かったと思う。 >>495
当時の長嶋は、浪人って感じだったし、それこそナベツネが引きずり出すまで、それこそ鳴りを潜めている時代だったから、その3人と言う選択肢であれば、優先性は低かったと思う。 この年の仲田幸治の勝ち負けが逆でも良かった
防御率3.10で7勝12敗はおかしい 高橋慶彦の話によると
終盤戦相手チームからカープ頑張れと応援されたそう 日シリ終盤の高橋慶彦の守備が酷かった。
第7戦、第8戦とも、ヘタクソな動きでゲッツーが取れず、秋山に痛打された。
正田を全く信用してなかったような動きをしていた。 >>579
それだけ、讀賣が嫌われていた証明なんだろうな そして、讀賣のV逸が決まった瞬間、各マスコミは
肩身の狭い思いをしただろうなw あのイチローがカープ歴代最高の選手と絶賛した野村謙二郎がもうちょっと早く生まれていて86年に全盛期だったら
どんだけ強かったんだろうと夢想するわ
カープのガンはグラウンド外もふくめて間違いなく慶彦だったからな
見て見ぬふりをしてたチームリーダーのコージが自身の打点王争いを妨害した慶彦についにブチギレて
半殺しにしたけど小川が「シメるの遅すぎた」と言ってたわw せこい敬遠作戦頼んで首位打者になった山本肛痔恥ずかしい奴w >>586
浩二シンパが少ないのはそこに有るのかな。
衣笠は江夏とか慶彦とか面倒くさい連中とも仲良く出来る。 監督になっても星野のマネばかり。
肛痔に頭も人望も無い。 >>588
それだけに、衣笠さんの早すぎる逝去が惜しまれる >>586
温厚そうな山本浩二がブチギレるなんて
どんな酷い妨害したんだw >>579
日本シリーズでも健闘していたし、これで良かったんだよ >>573
打線の援護に恵まれなかったんだろうかね >>582
テレ朝は違った
あと前年ドラフトの件で「巨人に優勝させるな」的な風潮もかなり見られた 日本シリーズで西武の胴上げに広島ファンが帰れコールをして罵声を浴びせた。
それが呪いとなって広島は40年近く日本一から遠ざかってしまったというのは果たして
本当だろうか? >>595
テレビ朝日にとっては、讀賣がV逸というのは願ったり叶ったりだろうよ この年のセリーグMVPだった北別府学氏が死去
合掌… もうどうしたって巨人も広島も負けない。
最終盤の10月7日、神宮で槇原がブロハードに逆転2ランを喰らい、広島での中日戦では北別府が9回表無死1、3塁のピンチを一走ゲーリー?を牽制アウトにして勝利で趨勢が広島に傾いた。 その5日後の神宮では広島は初回長嶋清幸の満塁弾で2ケタ得点の楽勝。
最後9回のマウントは北別府は津田に譲った。
30何年かぶりに北別府ー津田の黄金リレーが復活! >>11
レイルウェイズって南海選手が3人しか入ってなかったのか… >>604
その3人て、門田、香川、どっちかの山内? >>605
>>11にも記載があるとおり、門田と山本、そして西川 >>601
クロマティが頭部死球食らって翌日代打満塁本塁打打ったな。 >>602
今頃は向こうの世界で2人で語り合っているのかも >>601
当時高校生で修学旅行前日がブロハード事件、落合退場
翌日パリーグ優勝決定
修学旅行から帰る前夜に広島の優勝決定
旅行中に落合2年連続の50号、大相撲パリ公演など
肝心の旅行自体はあまり覚えておらんw >>609
修学旅行中にドラフト会議 昼間やってたので大スポに載ってた
おお、わが南海 社会人ナンバーワンの田嶋じゃねえか!入ってくれるのか?なんて この年の11〜12月のスポーツ紙は連日落合ネタだったな この年、史上最高打率の三冠王バースを差し置いて北別府がMVPだったのは妥当なんだろうか。 三冠王獲れば自動MVPという流れに疑問符を打つ
風潮があった。パでもそうだったし >>613
妥当だと思う
投手部門での三冠だったわけだし あの年はセ・パとも優勝チームから年功的選考となって西武は最多勝の渡辺久信でなく石毛が受賞。 しかしこの年のバースの打率.389は
今に至るまでNPBの記録だからただの三冠王とは違う
後悔してる投票者もいるかも ただ優勝して最多勝で防御率1位でMVPに選ばれなかったら
逆にこれ以上を何をすればいいんだって話になっちゃう
そう考えると同じ条件で受賞できなかった吉見と斎藤雅樹は本当にかわいそうだった クロマティはその年の4月頃に「自分はまだMVP貰ったことがない、外人差別だ」とか
記者クラブで言ってたのが効いたかな?
ただ、クロマの88年までを見るとMVP貰っておかしくないシーズンって見当たらないけど。
一番近い86年は優勝してないから、貰えなくて当然 バースがもらってんだから 自分が嫌われてるだけちゃうんか 大谷を強豪チームで見たいと言うのが今の日米のファンの総意
落合を巨人に行かせろなんて話がまったくでなかった日本の野球界
日本の野球界は衰退しますわ 当時の落合が巨人に移籍したら中畑・篠塚・原の内の誰をベンチスタートにするのって話になるからな 大谷を強豪チームで見たいと言うのが今の日米のファンの総意
落合を巨人に行かせろなんて話がまったくでなかった日本の野球界
日本の野球界は衰退しますわ
数10年後見事に崩壊。 >>623
ファースト中畑、セカンド原、ショート篠塚、サード落合
でどう? 日米のファンの総意 大谷は強豪で人気あるチームに移籍してほしい
落合は人気があり金持ちチームに移籍しろなんて話が出ようものなら
ふざけるなが日本の野球界の総意
答え 日本の野球は衰退するわな。 ジャニーズ 性加害を60年も隠す
電通 東京五輪汚職でとんでもないことする
読売なんて可愛いものだと思うわ。 落合欲しいから白紙小切手で金銭トレード要求
なんて
どうして電通とジャニーズは叩かれないの? 巨人「落合が欲しいから、この紙に代わりに欲しい選手
書いて」
ロッテ「〇〇と、××と、▽▽と◇◇」
巨人球団職員「オーナー、こう希望してますが」
正力「うーむ、××は若いし痛いが、三冠王にかえられない、
よかろう」
巨人「オーナーが良いってよ」
これにて成立
って感じに速攻進めてたら、巨人獲れたんじゃない? >>630
その反動なのか、これまでにないほどにジャニーズが集中砲火を浴びている この年の日本シリーズでの広島の逆転V逸の原因は阿南監督の采配のまずさにある
シリーズにはラッキーボーイという運を持った選手が出てくるんだが阿南監督はそのラッキーボーイが誰なのかを見誤った
このシリーズのラッキーボーイは明らかに正田だった
ところが阿南監督はどうも長内をラッキーボーイと認識してたらしい
だから第5戦序盤でラッキーボーイの正田に代打長内という愚挙を犯してしまいチームの勢いを削いでしまった
また山本浩二への代走今井のタイミングも最悪
広島がこのシリーズ制することができるのはあのまま4勝1引分しかなかった
1敗した時点で西武に逆転優勝されることは事実上決まっていた
それだけに阿南監督のクソ采配が実に悔やまれる 「日本代表級投手陣」
もしも現代のように五輪やWBCといったプロ選手で日本代表を結成していたら、86年の広島投手陣からは何名のメンバーが選出されていただろうか。当時の広島には先発、中継ぎ、抑えと各部門で好投手が目白押しだった。だが打撃陣の方は新旧交代の時期に差し掛かっていて、
山本浩二と衣笠祥雄の長打力に頼るわけにもいかなくなってきていた。
11年間による長期政権を指揮した前任者・古葉竹識の後を継いだのは、守備走塁コーチの阿南準郎だった。古葉と阿南の関係は現役時代
からで、二遊間もしくは三遊間を組んでいただけでなく、姓名判断に出向いて改名を共にしたほどだった。75年からみっちり古葉野球を
学んでいただけではなく、近鉄でも現役晩年では三原脩の選手掌握術、コーチ時代は岩本堯の若手登用法を身に付けていた。
4月は13勝5敗1分けで首位、達川光男が4割を越える打率で首位打者だった。平均得点5.05の打線が活発で、29日の大洋戦では
21安打18得点を挙げていた。しかし山本浩の腰痛悪化と衣笠の大不振で7月からペースダウンすると、球宴明けの8月頭での巨人3連戦に
負け越して遂に首位の座を明け渡した。衣笠の打率もとうとう2割を切っていた頃で、8月27日には巨人と最大の5.5差をつけられる
状態にまで陥った。
チームの苦境を救ったのはやはり投手陣だった。エース北別府学は9月1日から閉幕まで7連勝、18勝で最多勝を獲った。左腕川口和久は
巨人・阪神のAクラス2球団から計9勝で3年ぶり2ケタ勝利、8年目の金石昭人は前半戦だけでリーグトップタイの9勝を挙げただけでなく
一番大事な最終盤で連続完封して初の2ケタとなる12勝、新人・長冨浩志は7月まで主に中抑えを中心とした救援だったが8月12日に
先発へ回って以来8連勝して10勝に乗せて新人王、他にも白武佳久に9月に復帰した大野豊も先発で貢献、救援でも川端順や抑え転向で
26SPの津田恒実と日本代表級投手が数多くいた。
古葉野球の継承ばかり言われがちな阿南だったが、投手陣の抜擢や配置転換だけでなく、打線でも長内孝と小早川毅彦の三番起用に高橋慶彦の
一番再配置など、他球団も含めたコーチ時代での勉強で得た手腕は確かなものだった。 (了) >>311
ちゅうてもこれは対等な関係だしな…上下でやるのは卑怯というのも加わるからな
暴力自体がいけないというのはともかく 西武の1試合6ホーマー
西岡がゴールデン獲ったのもこの年だっけ? 翌年 これじゃ「消えろプロ野球」じゃねえか!とキレてる同級生がいた この頃のNPBって鯨、狩人、勇者とRPG要素強め
もっと前は原子力、飛行士、真珠もあってSF要素強め