1986年のプロ野球 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
75勝もしながら優勝出来なかった王巨人。
巨人軍史上最低の4番のレッテルを貼られマスコミ始め日本中からこれ以上はないってぐらい
叩かれ捲った原辰徳。
史上今んとこ唯一の第8戦までもつれ込んだ日本シリーズ。
そして何と言ってもルーキー清原の高卒1年目とは思えない大活躍。
今でも語り草になってる思い出の多いこの年のプロ野球を語りましょう。
※前スレ
1986年のプロ野球
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1286965249/ オレ「そう・・旨いよ、愛子・・すごく・・・もうグラスノスチだよ・・」
時と共に激しさを増す愛子のペレストロイカに、オレはトロツキーしていた。
正直、いまだ子供の愛子では充分満足できるマルクス主義は得られないと思っていたのだが、
愛子の激しいボリシェヴィキは思った以上のメンシェヴィキ。
愛子「お兄ちゃん、どう?コルホーズ?」
オレ「あぁ・・・すごく、ソフホーズだよ・・」
自分の上で腰をレーニンする愛子のマレンコフを愛撫する。
オレ「愛してるよ、愛子・・・こんなロシア革命しちゃった以上、もうお前を粛正したりしないから・・・・・・・」
愛子「うん・・・ぅ、ん・・粛・・正しないでっ・・私たち・・もうプロレタリアートなんだから・・・!」
オレは愛子のハバロスフクを舌でウクライナし、愛子はカフカスを更にウズベクスタンする。
オレ「ああ・・・お前は最高のチェキストだよ・・!」
愛子「私・・もう・・・ダメ・・・ポチョムキンしちゃう・・・!」
愛子のベルリンの壁はもう崩壊寸前だ。
するといきなりスターリンが急に扉をフルシチョフした。
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|┃三 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
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|┃ ≡ |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;|
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|┃三 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>、 .!-' / この私が革命的最速>>2get
|┃ | ='" | <
|┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \ 同志達・・・!シベリア送りだ!
|┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \
|┃ ≡'"〜ヽ \、_;;,..-" _ ,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ | ガラッ まつもと
しのすか
くろまて
たつのり
よしむら
なかはた
こうの
やまくら
こまだ
おかさき
ありた
おう
えがわ
まきはら
かとり
すみ よしひこ
やまさき
こばや
こうじ
なかしま
おさない
きぬかさ
たつかわ
きのした
にしだ
しようた
はら
きたへふ
おおの
かわくち
つだ ひらの
かみかわ
うの
げいり
おおしま
かわまた
なかお
やすとも
やざわ
ふしなみ
ふじお
にむら
こまつ
すきもと
すずき
うししま まゆみ
よしたけ
ばあす
かけふ
おかだ
さの
ひらた
きど
かわとう
かしわは
なかさき
ひろた
いけだ
とうやま
なかにし
やまもと ラスト間近の優勝かかっているときによく宮本先発させたな。
初勝利でヒーローインタビューしてたの覚えているよ。 やしき
かとう
ゆたか
ぽんせ
たしろ
ろうまん
たかはし
わかな
やました
ひらた
よしかす
むらおか
えんど
かけはた
きだ
さいと くりやま
みずたに
わかまつ
れおん
すきうら
ひろさわ
すみ
やえかし
ゆわした
わたなへ
おがわ
たかに
たかの
あらき
あい
やすだ いしげ
かなもり
あきやま
きよはら
かたひら
たお
つじ
いとう
おおた
おかむら
にしおか
とましの
わたなへ
ひかしお
くどう
かく おおいし
まつなか
でひす
ぶうま
みのだ
やまもと
むらかみ
なしだ
かどた
ふくもと
いしみね
かねむら
やまだ
にしかわ
さとう
いしもと にしむら
しまだ
おちあい
りい
ぱとな
ふるや
たむら
たかしろ
つすえ
よこた
けんいち
ふるかわ
むらた
つの
しばた
そう 幻の日本シリーズ第9戦は広島市民球場で開催予定だった 前年のドラフトの余波で巨人に対する世間の逆風も強かった。
夏場から終盤にかけてにわか広島ファンも一時的に急増。 >>1
この時代、引き分けの多い他球団に優勝・日本一持ってかれる例が目立ったせいかナベツネは時間切れ引分けを目の敵にしてた。
で88年、時間無制限の12回までに伸ばしたが10.19で今度は西武が貯金同数ゲーム差無しの勝率差で優勝拾った影響か90年からは延長15回再試合制に徹底。(別リーグまで余計な介入し切れなかったかパは2004年ポストシーズン復活までそのままだったが。)
選手会の過重労働争議で延長12回上限に戻った2001〜2006年も勝率1位×勝ち数1位のプレーオフ前提規則で興行という後年の仕組みに繋がっていくと・・・
82年の中日も最終戦勝利したから文句なしに胴上げ出来たが引き分けでも優勝だったんだなw。
中日 64勝47敗19分 .577
巨人 66勝50敗14分 .569 0.5差 ナベツネってこの時期から巨人の経営に関わってたのか? まだ小正力の時代だっけ?
ナベもある程度直言出来そうな地位に上がっていたかも知れんが。 80年代の巨人は投打とも充実した戦力がありながら
その割になかなか優勝できなかったけどそれを象徴するシーズン。 王巨人はBクラスは一度もなかったけど
何か暗黒臭みたいなのが感じられるチームだったね 広島との最後の天王山を前にナゴヤの中日戦で連敗。
もう1敗もできない状態(直接対決で1敗した時点で自力V消滅)に陥った。
あの中日戦が事実上の終戦。 シーズン前からずっと75勝って王が言って目標達成したのにね。
最後連勝しまくってたけどそれまでは前年までと同じくらいの勝
ちペースだった。原が抜けて目覚めた。
翌年も原がいない前半は勝ちまくっていた。 原開幕7戦目で代打出場して11戦目にはもうスタメン出場してるじゃん 西武ファンに質問だけど
この年に来日したブコビッチは外れ? 近鉄の村田に頭にぶつけられてからおかしくなった感じ
それまではよく打っていただけに 中日と阪神が巨人に優勝させまいと広島戦で手抜き工作してたなw >>16,17
ナベツネ肝煎りの月刊オピニオン誌This Is 読売が創刊されたりと、務台亡き後の総帥
への階段を歩み出していたのは誰の目にも明らかになりつつあった。
とは言え、まだ務台名誉会長が健在でグループ内での発言力はまださほどでは無く、
ナベツネとは思想的に相容れないであろう大阪読売社会部の黒田軍団(大谷明宏とか)辺りもまだ読売に籍を置いていたって状態。 あと1勝足らずにV逸。
6月11日仙台での広島戦、勝ち越しチャンス無死満塁でクロマティが本塁へのタッチアップミスで動けず、ドロー。
6月26日後楽園阪神戦、8回2死無走者で江川が7試合連発を狙うバースに無謀な直球勝負、で場外大アーチ!
上京初年でとっても悔しかったけど、今にして思えば広島の選手達もバースも一流選手で近年では見られない
高度な戦いだったと思っている。
あれから30年… 世間じゃ巨人には優勝させるなという風潮があったな。
前年の裏切りドラフトの影響で巨人パッシングが発動しアンチが増殖。
せめて桑田が入団拒否さえしていれば少しは和らいだのかも。 >>28
対照的に菅野騒動の2012はv逸どころか日本一になっちゃったし…
戦犯はやはり高木と和田かw >>25
主力をスタメンから外したり、アウトとわかりきってるのに
わざとホームに突入させたりと露骨に”八百長”してたねw 中日と他球団が競り合い巨人が置き去りになると他球団を勝たす巨人
巨人と他球団が競り合い中日が置き去りになると他球団を勝たす中日 .276 27本 78打点
山本浩二はこの成績で引退か この年から新ストライクゾーン 前半戦 広島 39勝23敗 後半 34勝23敗 打線低調も 負けない野球 巨人戦勝ち越し
巨人 38勝29敗 後半 37勝19敗 負数が最後に命取りに
阪神 37勝30敗 後半 23勝30敗 エースと4番が不在も実は前半巨人と1ゲーム差 前年も36勝28敗とそう変わらなかったが 打ちまくってた打線が
バース 真弓以外軒並み不調に 岡田が自打球以降不振に
岡田 前半 292 18本 46打点→ 268 26本 72打点 主な選手の年俸
西武 清原2200 秋山3600 石毛7400工藤2900渡辺3100伊東3300
広島 北別府6800 大野2640 川口2500達川3060衣笠6850高橋5500
巨人 江川6100西本3900槇原2040鹿取3240原3870中畑3750篠塚3700吉村4000松本2880クロマティ18000
阪神 池田1550中西1500福間2500山本5280バース18000掛布7800岡田4300平田2500真弓6000
中日 小松3950郭4300宇野3600落合13000大島3600平野4400
阪急 山田8200佐藤3800今井3060アニマル5000松永3000ブーマー9000福本6000蓑田4850 岡本伊三美の名将ポイントが凄いな。
得失点差マイナスなのに、勝率.559で最後の最後まで優勝争いするって・・・ よく打った以上に被本塁打と守乱で点を吐きだす荒っぽい野球だったね
夏場以降の投壊に手が打てなかったからあまり名采配とは思えんけどなあ シーズン閉幕3日前まで近鉄が西武より上だったのに、石本が崩れてガタガタって逝ってしまった。 82年以来のあと1勝に泣いた巨人のV逸
82年は同情論やファンの落胆ぶりが大きかったが、
この年に限っては同情論は皆無に等しく、巨人ファンでさえ優勝できなくて当然と受け止めていた。
ま、広島が中日戦を多く残していた時点で優勝を諦めていた巨人ファンも多かったはず。
終盤の連勝もどうせ焼け石に水と思っただろう。
世間は広島優勝→西武逆転日本一よりもむしろ、巨人が優勝できないことを祝福していたかのようで怪異的だった。
これもすべては清原同情論効果だったのか。 この年の段階で、2年後の門田の二冠王、掛布引退は予想出来なかった。さらに言えば、翌年の江川の引退(むしろ野球から逃げた?) 1979、86、90、2005年は前年オフの影響で巨人パッシング発動年
78→江川事件 85→清原ドラフト指名スル― 89→桑田スキャンダル 04→球界再編騒動
うち優勝したのは90年のみだが、日本シリーズで赤っ恥w 清原への同情は強かったけど、震災の時みたいなのではなくて王監督や主力選手のふがいなさに対する、野球オンリーの
バッシングだったはず。上の方でバッシングとか書いてる人は86年に生まれてなくて勝手な想像で書いているだけだと思う。
それにしても、あの頃清原かわいそうとか言ってた人は今の清原をどう感じているのだろうか?
とりあえず清原、お前の犠牲になった灰皿に謝れ! やはり優勝できなかったのは清原の生き霊だと感じた。
広島が優勝した翌月曜はアンチ巨人連中のテンションが高く盛り上ってた。。
逆に巨人ファンは落ち込みが激しく「ざまあみろ」と言われても反抗すらできなかったなw 抽選にはなったが伊東か長冨を指名していたら優勝してた。
藤田が監督だったらこの2人のいずれかを熱望してただろう。 清原を抽選で外しても桑田なら外れ1位で獲れた。
それならば清原も納得したかも。 この年は巨人ファンの原へのバッシングが最高潮に達した この年のニュースステーションは面白かったな。
番組内で巨人を応援する「ジャイアンツエイド」って特集で、
黒鉄ヒロシ、糸井重里、川崎(下の名前は失念)を呼んで、巨人が優勝するにはどうすれば良いのかって討論してたな。
川崎なんか、「私は巨人が優勝するまで、大好きなカレーライスに福神漬けを乗せません!」とか言ってたわ。 サンチェが故障してカムストック先発させたのがなあ。勝てないだろうカムストックじゃと思った。 衣笠 祥雄
.205(477-98) 24本 59打点 OPS.645 阪神ファン的には掛布がすべて 開幕13試合目に左手首死球骨折で事実上の選手生命を絶たれてしまう
開幕直後不振だったが、11試合目で猛打賞 12,13試合目で2試合連続ホームランで
ようやくこれからという時なのでこの代償はでかかった。 >>56
手首の骨折よりも膝の故障の方が衰えの原因だったようだよ 膝も腰も満身創痍で年々もっさりしてきてたし骨折以降、最後まで手首の感触も
戻らなかったて言うてた。 4月20日から5月17日の復帰はチーム事情といえ幾らなんでも早すぎたな
1年間メンテナンスできる球界ならよかったんだけど この年に、もし、1001が 中日の監督に就任してたら、もしくは、近藤貞男が、後1年、大洋の監督を務めてたら、ものすごいカオスになってただろうな。(特にCBC) 56
選手の規模は違うけど
95の亀山の時とダブるな
チームもこれからという時期
両方暗黒期突入した >>58
復帰したけれど今度は5月27日の巨人戦で三塁の打球を処理した際にイレギュラーバウンドした打球が
右肩を直撃して(右肩関節挫傷)また1ヶ月以上の離脱を余儀なくされた。
これが決定的となった。 ロッテの横田(阪神にいる横田の父)だが、新人から2年連続3割、ベストナイン。しかし、オールスターは選ばれず。この年の日米野球にも出ていない。やはり、地味過ぎたのか? ロッテからはリー、落合、西村、高沢、愛甲がASに出場するだろうから横田が外れるのは仕方ないかと。
ヤニキ、前田のお陰で割を食った緒方みたいなもん。 この年の日米野球の資料を見たら、捕手は山倉と田村の二人体制。三人体制にしないのと、伊東、達川が外れて、山倉が入っているのが謎。 メジャーリーグ史上でも名高い「ビル・バックナーのトンネル」が起こったシーズンでもあるな
https://www.youtube.com/watch?v=B0jV_kNs2p0&nohtml5;t=208m00s
1986年ワールドシリーズ延長10回裏
表にレッドソックスが勝ち越したため、4対3でメッツが1点を追う展開
ここから2アウト2ストライクからワイルドピッチで同点
そしてビル・バックナーのトンネルエラーでメッツのサヨナラ勝ち
「バンビーノの呪い」が広く浸透するきっかけとなった試合 >>23前任のスティーブに比べたら
はずれの方だけど、全くのダメ外人ではなかった。
成績は普通だった。 >>69
ダメ外人モード
・87年開幕戦で決勝エラー
・87年日本シリーズ第1戦4連続三振
優良外国人モード
・86年1イニング6本塁打の日本記録に連なる
・86年シリーズ第8戦の決勝2塁打
・87年シリーズ第3戦 江川最終登板の夢を打ち砕く先制ホームラン
・87年シリーズ第6戦 センタークロマティ後方に大飛球。2塁から清原が生還し
8回の辻の走塁と合わせてクロマティの緩慢プレーを誘発 西武 近鉄
63 46 11 0.577981651 60 46 9 0.566037736
9月26日 ● 63 47 11 0.572727273 ○ 61 46 9 0.570093458
9月27日 ○ 64 47 11 0.576576577 ● 61 47 9 0.564814815
9月28日 △ 64 47 12 0.576576577 △ 61 47 10 0.564814815 M12
9月29日 64 47 12 0.576576577 ○ 62 47 10 0.568807339 M11
9月30日 ○ 65 47 12 0.580357143 ○ 63 47 10 0.572727273 M10
10月1日 65 47 12 0.580357143 ○ 64 47 10 0.576576577 M9
10月2日 65 47 12 0.580357143 M6 ● 64 48 10 0.571428571
10月3日 ● 65 48 12 0.575221239 M5 ● 64 49 10 0.566371681
10月4日 65 48 12 0.575221239 ○ 65 49 10 0.570175439
10月5日 ● 65 49 12 0.570175439 △ 65 49 11 0.570175439 M5
10月6日 65 49 12 0.570175439 ○ 66 49 11 0.573913043 M4
10月7日 △ 65 49 13 0.570175439 △ 66 49 12 0.573913043 M3
10月8日 ○ 66 49 13 0.573913043 M1 ● 66 50 12 0.568965517
10月9日 ○ 67 49 13 0.577586207 V ● 66 51 12 0.564102564
10月10日 ○ 68 49 13 0.581196581 ● 66 52 12 0.559322034 西武 近鉄
63 46 11 0.577981651 60 46 9 0.566037736
9月26日 ● 63 47 11 0.572727273 ○ 61 46 9 0.570093458
9月27日 ○ 64 47 11 0.576576577 ● 61 47 9 0.564814815
9月28日 △ 64 47 12 0.576576577 △ 61 47 10 0.564814815 M12
9月29日 64 47 12 0.576576577 ○ 62 47 10 0.568807339 M11
9月30日 ○ 65 47 12 0.580357143 ○ 63 47 10 0.572727273 M10
10月1日 65 47 12 0.580357143 ○ 64 47 10 0.576576577 M9
10月2日 65 47 12 0.580357143 M6 ● 64 48 10 0.571428571
10月3日 ● 65 48 12 0.575221239 M5 ● 64 49 10 0.566371681
10月4日 65 48 12 0.575221239 ○ 65 49 10 0.570175439
10月5日 ● 65 49 12 0.570175439 △ 65 49 11 0.570175439 M5
10月6日 65 49 12 0.570175439 ○ 66 49 11 0.573913043 M4
10月7日 △ 65 49 13 0.570175439 △ 66 49 12 0.573913043 M3
10月8日 ○ 66 49 13 0.573913043 M1 ● 66 50 12 0.568965517
10月9日 ○ 67 49 13 0.577586207 V ● 66 51 12 0.564102564
10月10日 ○ 68 49 13 0.581196581 ● 66 52 12 0.559322034 犬ルトが最後の最後に虎頭犬に…(巨人にとっては…) この年はあと1勝、いや1分に泣いた巨人だったが
もし優勝できて日本シリーズで西武と戦ったら、案外楽に勝てたんじゃないか? >>78
工藤で2敗
東尾で1敗
あとどこかで清原に痛打されて1敗でジエンド >>78
原抜きで、クロウを徹底的にマーク。さらに守備力の差が出て、翌年と同じ4勝2敗。 >>81
秋山の外野転向前でセンターを田尾が守っていた位だから、(秋山が外野に転向した)翌年以降程の守備力の差は生じなかったかも。
恐らくこの年のシーズン通しての苦戦を教訓にして、外野守備整備に手を付けたもの
と思われ、セ・リーグ屈指の外野守備と言われながら星野監督としっくり行っていなかったと言われる平野の獲得で クロウはセカンド専って感じでパ相手には大したことなかった 9月の大洋戦で巨人有田がセーフティーバントして一塁にブサイクなヘッドスライディング決めて勝った試合。
妙に感動した。 クロマテイが、死球退場した次の試合で代打本塁打かましたのも、この年だっけ? この年だったんだよね。
大人しくベッドで横になってりゃ良かったのにw ヤクルト広島戦のカープ胴上げ試合の視聴率が広島地区の史上最高視聴率 https://www.youtube.com/watch?v=Yxk1wf3UZQ0
日本シリーズで西武日本一の胴上げの際、地元カープファンの観衆から「帰れ」のヤジが起こってたなんて知らなかったw 日本シリーズの西武対広島は球史に残る死闘だった。しかし、三連勝した広島が何故まくりきれなかったかいまでも不思議。 まくったね
>>93
工藤サヨナラ打が分岐点なんだろうけど実際は翌日の中止な気がする 工藤のサヨナラヒットと今年の大谷のサヨナラヒットが被って見えた
投手(登録の選手)の殊勲打、そこからの広島の失速 30年前同様、本拠地で敵将の胴上げを見てしまったね。
25年前は西武球場で敗れたけど、あの第7戦の秋山のダメ押し弾と、
今年のレアードの満塁弾も被ってるような感じ。 個人的にはフロントとの確執がなければ
広岡西武でもう1年見てみたかったな
広岡が清原を手懐けられるかどうかという点で
契約があと1年残っていただけにもったいない 掛布がもしケガしなかったら
優勝はともかく最後まで優勝争いしたかな・・・といつも思う バースの7試合連続時に掛布が骨折してなかったら、85年以上の強力打線も見込めたかも
それぐらい斉藤学は怨んでしまう 掛布は、怪我から戻ってから、なんか闘争心を失っていたように見えた。日本一になり、満腹感が出てしまったのかな?
いずれにしても、不完全燃焼の感がある。 掛布に原、田代と骨折渦にみまわれた
杉浦も故障、宇野も謎の不調で二軍落ちとセントラルの和製大砲には受難の年だった 改めて考えたが
この年は前年先発で活躍したゲイル、中継ぎで活躍した福間が
そろって不振だったんだよな。
打線ばっかり強調される85年阪神だけど、やっぱり先発で軸になってくれる人
そのあとを請け負う中継ぎがダメだったから掛布がもし3割40本打っても
優勝は厳しかったかもね 掛布の離脱で6月まで好調だった岡田も自打球と4番の重圧で後半戦、全く打てなくなったし
あと池田が割りとよかったのにスパイクされてシーズン終了
それでも8月前半まで首位と4ゲーム差くらいだったから、もし万全なら広島も巨人も星を食われて
どっちが優勝したらかわかんないかもね。 掛布は復帰が早すぎた4月20日に骨折 5月16日復帰 5月終わりの巨人戦で
肩関節挫傷 6月21日復帰 8月26日ヤクルト戦 親指骨折 守備も年々もっさりしてたからね
近年だと今岡みたいな衰え方だったなね。 本当に翌年からの掛布って、お爺ちゃんがバット持ってる雰囲気で哀れだった
明らかにスイングスピードは違った
ゲイルは元から神経質で、吉田監督も細やかな対応をした
しかしそれ以上にゲイルは神経質だったために、ついに吉田監督は匙を投げてしまった
球団は解雇したかったらしいが、吉田監督は使い続けで制裁させてしまったことを
「まあ契約社会ですからね。アメリカは」
って意も介さずだった
この球団って後年のメイもだが
外国人ピッチャーと喧嘩別れは意外に多い
それをみてるからメッセンジャーには細やかなんだろう 掛布がもしケガしなかったらこの年優勝うんぬんより
87年以降のいわゆる暗黒時代は来なかったのかどうなのかって
話につながるような。 吉田義男いわく復帰した85年の時点で掛布はすでに練習熱心でなく
ランニングも一番後ろをノルマをこなすためだけにのろのろ走ったとある
有り余る才能で85年は乗りきれたが怪我して離脱すると
二度と取り戻せなかったんだな 監督がみた天国と地獄―一丸野球が崩れるとき 吉田義男
この本読んでたけど、監督1期と2期目で掛布が天狗になってしまったこと
真弓とどんでんが頼りになってたこと バースが85年次に掛布のリーダーシップに非常に不満を
もっていた 86年怪我以降 勝っても掛布が監督と握手せず素通りになってたこと
バース日記で阪神の2軍はいままで見たことないくらいひどいと書いてたな 横谷、渡真利、山口 宮内
これが次期大砲候補だからね
吉田が掛布に固執したのもわかる ゲイルは85年は神経質気味だったが翌年は傲慢になってて
待遇にも細かく口を出すようになっててそれでも成績が伴えばいいが
前年以下だったので吉田の著書には扱いに手を焼いたとあるな 傲慢言うよりさらに神経質だったらしい
吉田義男
「アメリカは契約社会ですからね。うちらにはわからない所もあります」
ただこの年は、前年終盤に骨折した山本和行の復活と新人遠山の活躍が、何とか前半戦優勝争いできた要因だった
もしこれさえ無ければ、Bクラス行きもない話ではなかった >>111
物足りない顔触れだよな。84年弘田、85年長崎、86年柏原、87年田尾、88年金森と、場当たり的な補強をしたのが頷ける。 >>110
バースが掛布に不満を持っていたっていうのは
意外というかなんというか・・・
まあ、年長者で実績もある人がだらだらやってたら
若手もそれでええんかあ〜〜になってしまったらチーム全体が
ぬるくなってしまうわな。 >>116
だいぶ前だけど安藤元監督がこのころ
なんで、この当時兵庫出身の池山とか取らなかったんですかあ!
ってラジオかなんかで質問されたとき
「いやあ、だって当時はまだまだ掛布や佐野がバリバリで投手陣が
いまいちだったから、そりゃ打者より投手を取らないとってなりますよ」
って答えてたけど、やっぱり阪神って5年先、10年先より目先の利益しか
考えない組織だったのかもしれんね。少なくとも当時は
そう考えると、今年の金本阪神なんて、若手をしっかり使って
会社というか組織というか、そういう意味ではすごくまともなチームに
なったのかもしれん。こういう組織でもし吉田さんや村山さん、中村さんが
監督やってたら面白いことになってたのかもな ごめんなさい間違えました>>116じゃなくて
>>110ね >>114
91年には高橋慶彦まで加入して真弓・田尾とちょっと前の
セ・リーグを代表するイケメントップバッター揃い踏みと
なったのにはちょっと驚いた >>116
ネットが変えたことは確か。あとやっぱり星野仙一以降は変わった。
2002年から14年間最下位がないのが物語る 吉田の著書の続きやけど、あん時結局 掛布自身が20歳でレギュラーとったように
猛練習でプライドでくすぐるような若手がいなかったことが暗黒の引き金かな ちょうどドラフトで
清原獲得してればなあ あと元々 土台作りで就任したのに1年目で優勝日本一になってしまったので
難しくなったことかな 阪神が3位に踏み留まった理由として、柏原の存在も忘れてはいけないな。
規定打席には達しなかったが、久々に3割打った。流し打ちが上手くて、引張った時の打球は速かった。
あと、日ハムでチームリーダー担ってきただけあって、野球に対する姿勢が良かった。
翌年一気に衰えたけど… >>122
『高橋ょ』も追加してやってくれ。
あとダイエーからの大量移籍。 柏原はなんと言っても新庄の師匠
敬遠サヨナラも柏原との共同作業 >>121
確か柏原と長崎って同年に引退したっけ。
2人とも物凄い劣化の仕方だったんで子供から見てもドン引きした。 >>125
87年長崎、弘田(翌年コーチ兼任登録だが事実上引退)、88年柏原、89年佐野、91年田尾、92年古屋、高橋慶。 古屋は地味に活躍した。92年の初勝利のタイムリーで亀山がヘッドスライディングしてホームインしたのはラジオで聴いた。
全く活躍しなかったのは高橋ぐらいで
あとは活躍した記憶は多い
それだけ若手が今同様伸び悩みだった
強いて八木ぐらい
大体、掛布が骨折し代わりがいなかったために
真弓、柏原、山脇etc
サードたらい回しだったからな
後年の誰かさんも同じで
フルイニングってこういう時に影響してしまう
で八木を入団させた >>127
おさーるがベスプレで阪神とダイエーの場当たり補強を
ネタにしたチームを作ってたの思い出した
確かにどちらもみんな全盛期だったら結構強そうだったわ この年の阪神なら他は川藤(現役最終年)のキャリアハイもあるな。
ネタ選手扱いなのに代打の切り札に 当時、俺は高2の巨人ファンだった。
バースの連続試合ホームランの最中に、ある「事件」が起きて以後の高校生活は
暗黒に入った。
「ブロハード一発」が修学旅行の前夜。
修学旅行初日が西武優勝決定、最終宿泊日が広島優勝決定、と良くも悪くも
記憶に残るシーズン。 前年から、川藤はようやく打撃の奥義を掴んだと周りには吹聴していた
周りは冗談だろとせせら笑っていたみたいだが
中日のクローザーだった牛島からホームランを打ち出してから
周りの意識は変わったらしい 8月27日時点
巨人 59勝37敗5分
広島 49勝38敗10分 5.5差
優勝確信しただろうが1週間で1.5差 1戦2戦と連勝し、良いムードで来ていたのに3戦目を落としたのが
痛かった。それも大差負けなら開き直れるが、1点差の逆転負けという
悔しい展開。
広島は単打だけの5安打、巨人は二塁打3を含む8安打。これで負ける
んだから。
今年のSBもそうだが、死にかけた相手には確実に息の根を止めておかない
とこういうことになる。確かに首位攻防3タテは容易でないにしても。 >>110
不貞腐れて太った亀山みたいだな
二人とも野球がしたかったんだと思う >>136
この頃の中日は広島が天敵。しかし、10月の4連戦は、4試合で1得点だから、どうしようもない。 強固な守備力と強力投手陣と勝負強い打線
今年の日ハムみたいだったな
この年の広島は >>137
そりゃ巨人に優勝させたくないんだから、手を抜いて勝たせるわw 衣笠という足枷がありながら優勝したこの年の広島
金本という足枷のせいで優勝を逃した2010阪神
何が違うのか
金本のフルイニング縛りは4月に解除されて規定にも達してないが
衣笠はほぼフルイニングだったよな 成績としたら、84年と比べてもほとんどの選手が成績を落としたにも関わらず優勝した広島
しかも9月前までは2位でゲーム差もあったにも関わらず
ただ言えるのは、山本浩や衣笠の成績が夏場と秋は全く違うってこと
涼しい秋にきて体調が楽になったことと、翌年の契約絡みから数字を上げようとしてることが、前半から飛ばした中日や巨人のバテとあいまって上がって来るんだとは思う
トータルとしたら迷惑だっただろうが
秋口は貢献したと思う
衣笠は
少なくとも年間通して迷惑かけた金本とは違う >>134
逆に巨人が追う立場だったが今年も8月の直接対決で澤村が2度セーブ失敗したのが巨人終戦の決め手になった
広島のマジックが点灯した試合で菅野が炎上したのも痛かったがそれは82年のナゴヤ球場江川炎上に近い この年も世論は広島優勝を願っていた。
というより前年ドラフトのツケで巨人に優勝させるな的な風潮が確かにあったな。
周囲は「江川事件の記憶が消えないうちに、また巨人がやらかした」と言ってた輩もいたな。 ただカープも9月25日の試合で
ジャイアンツを仕留め損なって
これでジャイアンツ息吹き返してるんだよな
よく捲くられなかったもんだよ素直に凄いわ
http://2689web.com/1986/1986G.html 終盤のデッドヒートは凄みはあった
代打クロマティの満塁ホームランは鳥肌ものだった
翌日のブロハードも
ブロハードって及第点上げられる数字残したにも関わらず
評価は低かった 3割30本100打点クラスの外国人打者がゴロゴロいたのに
.258 21本 64打点で及第点ですか >>147
同じ神宮でも、クロマティーの満塁弾は10月3日(金)で、
ブロハードの逆転弾は翌週の10月7日(火)。
仮にブロハードが打たなくても広島は残り試合を全勝し、
1日遅れで10月13日(月)に優勝したと思う。 直接対決を終えて広島が残り10試合でマジック10。
巨人が負けた分だけ広島も負けられるが、
巨人は残り4試合だからあまり負けを期待できないし普通に4連勝もあり得る。
1つ負けていいのと、そうでないのとでは大違いだったと思う。 山本浩二が地元最終戦に家族を呼んだのは
優勝が厳しいと思っていたからと当時言われたいたのを思い出した >>150
直接対決を終えた後の巨人の残りは9試合。
中日3、ヤクルト4、阪神と大洋が1ずつ。
本拠地・後楽園が中日3連戦のみで残りは全てビジター。
直接対決終了時点では巨人が全勝しても広島が4敗しないと優勝はないと言われていた。 ことしの最後と同じで4球団が共闘で広島を勝たせに来ていたのも大きい >>148
広澤(当時プロ2年目)とそんなに変わらん成績だな。 最後の甲子園での阪神vs広島戦、阪神ファンはどんな心境で観てたんだろう?
阪神が勝つと巨人をアシストしてしまう。
その前に遠山が広島を完封して広島は苦境に立たされたのだが。 >>154
そんなに変わらんはちょいとオーバーだった。
しかし、この年のセの外国人打者はなかなか
好成績揃いだな。
打率が低かったゲーリーにしても本塁打多いし。 セは打率1〜4位をバース、クロマティ、ポンセ、レオン
パも2〜4位をブーマー、デービス、リー
ここまでは主砲として申し分ないレベル
ローマン
ブリューワ、パットナム、デビッド
打率本塁打打点いずれかが物足りないが十分合格点なレベル
ブコビッチ ブロハード
期待外れ
ゲーリー
低打率三振王もリーグ3位タイの36本塁打 打線低調の中日だから合格点? 谷沢はシーズン最終戦(10月17日)にホームランを打っている。この時点で辞める気は無かっただろう。しかし、星野が監督に就任して、11月2日に引退表明。あれから30年になるが、中日のユニフォームを着ていないんだな。 各所で86年の成績を見ても出番は減ってたとはいえ
1001に人格否定に近いレベルで罵倒されるほどとは思えないんだがなあ
少なくとも代打としてならまだまだ戦力になりそうではあった 谷沢は首位打者2回の名球会、早稲田卒で優勝にも貢献した生え抜き
これで古巣の中日からまったく監督コーチの
誘いがないんだから
よっぽど嫌われてるんだろう 日本シリーズ開幕週にあたる10/16か17に神宮でヤクルト×中日戦があって、
この日が確か山本昌のプロ初登板だったかと記憶。 >>160
星野が監督として失敗していたら、谷沢が中日のユニフォームを着る機会もあったかもしれない。 高木代行が成績良かったら翌年高木が監督の可能性もあったのかな
大した成績を残せなかったので星野が監督になったが 加藤初が5回くらいまで完全かノーノーが2回くらいあった >>167
それで名を売ったからなのか(?)、この年のオフに発売された
「プロ野球ファミリースタジアム」でも、レールウェイズの一員
として名前が載っていたなw 1980年代後半、巨人の周辺で慶山という整体師が大きな話題になった。86年に骨折
した原に独自のストレッチ体操をほどこして回復させたり、中学時代の水野は
姉と腕相撲をしても負けるほど体力ない選手だったが「お前をプロに連れていって
やる」と宣言し、後年その予言は現実となる。巨人での慶山氏の信頼は大沸騰し
まさに「慶山教」だ。と古記録にある 今、慶山氏は全く話題に出てこないが 中畑がデス杉本からサヨナラ本塁打
打たれたデスはグローブ投げつける
マナーが悪すぎる スライダーなら85年の時点でも投げてたと思うけど
岡田に打たれたのはどう見てもスライダーだし そうだな。日時は失念したが、先発が降板して緊急登板した試合で、いい感じ
でスライダー投げてた。ここで槙原は一皮むけた 83年の日本シリーズでも槙原VS杉本2試合だったからな。
0ー0で杉本がスローカーブを投じて中畑にやられた。その日本シリーズでは9回2死で逆転打だったが。 西暦の末尾6の年の広島は色々あるね
86年 劇的優勝
96年 大逆転負け
16年 かつてない盛り上がりで優勝 この年、85年から急に打球飛ばなくなったけど何かあったっけ でもバースと落合は変わらず打ちまくってたのがスゴい >>175
86年はシリーズも歴史的大逆転負けだったな >>179
全然浸透せずに終わった。翌年からは、話題にすらならなかった。 その新ストライクゾーンで日本一の阪神が大洋に開幕3連敗 ストライクゾーンは浸透したぞ 86年以降の低めはようやく今の時代と変わらないレベルになった
85年までは膝頭より上しか取ってもらえなかった むしろ2002年の高めのほうがひどい 86から落ちる球と奪三振が大幅に増え始めたから影響ないわけない
落ちる球はスコットのSFFブームも大きいけど >>83
87年後半、前年外野守備と機動力を見込んで補強した吉竹が故障していなければ、
平野獲得していたかどうか・・・ >>186
「スプリット・フィンガード・ファストボール」だっけ?
今では殆ど聞かれなくなったな。 むしろ今の方が頻出するようになってないか?
当時は予想より流行らなかった。阪急の山内とかそれが売りだったらしいが。 巨人が近鉄から加藤英司を獲得したけど
この年僅か13安打とふるわなかったな
95の阿波野や97の石井の時もやらかしたし 86年のシーズンか東西対抗か忘れたけど山本浩二が桑田がアメリカ仕込みにスプリットなんか投げてるけど
あの球では通用せんだろと酷評してたな
桑田は表情を変えすぎるとも言ってた
後の桑田を見ると本人にアドバイスしたかもしれないな 83年〜86年オフにKBS京都で放送してた
「タイガースフィーバー」で王貞治が出るヴィクトリアのCMが流れ、
上岡龍太郎がCM明けに
「只今、タイガースフィーバーにふさわしくない
CMが流れました事をおわびいたします」と謝罪したが、
よくスポンサー怒らなかったなと思う。 2002年の高めが広い新ストライクゾーンは全く定着しなかったのに
こちらの方がすんなり定着したのはなんでだろうね 阪神の岡田が巨人の新人の桑田をやたら嫌ってた記憶がある
当時、岡田自身が「桑田は北陽高・早稲田大と俺の母校を二度も蹴った」と言ってたとか この時代はファンも熱かったな。岡田有希子の後追い自殺もこの年だな 岡田は桑田キラーだった
後楽園デビューの時や東京ドーム公式戦こけら落としでホームラン打ってる >>116
翌1987年に安藤がヤクルトで池山とご対面するとは思わなかっただろうなあ。しかも、両者共にいしいひさいちにネタされてるし。 エース小林が突然引退しました
13勝の穴は大きいので中西、池田の社会人即戦力を1,2位で指名しました
翌年の日本一には欠かせない戦力になりました。
中西はもちろんのこと池田も阪神在籍で38勝しています
これでなんで池山を取らんかったのかと、なんかもうものすごい神視点だな >>202
dndnは桑田がワンバンするカーブを習得してからはカモにできなくなってしまった。
自身の怪我による衰えもあったが。それまではあんな打ってたのに。 >>205
ホーナーを獲ればよかったと同じ奴なんじゃね? >>194 そのスプリットが翌87年に炸裂し、優勝にも大きく貢献した。桑田は
球質が軽いから球種を増やすのは不可欠、高校野球なら直球・カーブだ
けで抑えることが出来たが この1986年に関して
大洋の近藤監督がヤクルトに負けた後「あんなヘボチームに負けたウチはもっとヘボ」とみたいな発言をして
ヤクルト首脳陣と選手を激怒させた
確かにこの年の大洋は投手陣が炎上することが多かったな >>209
俺が観に行った試合後のコメントだったなぁ
確か宮本賢治が完封して、当時苦手だった大洋相手に3タテ食らわした試合だった
三連戦の初戦に、カモにされてた遠藤を滅多打ちにして勢いに乗った気がする
次の広島戦も3連勝したんだっけなぁ
まぁ調子良かったのはこの時だけで、ほぼ最下位独走だったなぁ
広島戦は健闘したけど、Bクラスの中日、大洋には弱かった >>210
そのシーズンのいしいひさいちの4コマ
・インタビュアー「土橋監督、巨人に続いて(広島を叩き)、見事な上位イジメでした!」
・土橋「巨人に勝った分、広島にも勝たないとバランスがとれねーからな!(ドヤ顔)」
・そして大洋に連敗(斎藤明夫に空振りさせられるヒロサワの図)」
・土橋「上位に勝った分、下位に負けないとバランスがとれねーからな!(ドヤ顔)」 >>212
この頃のいしいひさいちの漫画ってヒロサワがひたすら三振しまくって、それを見て絶望したヤクルトファンがスタンドから球場の外へ飛び降りるコマが印象に残ってるわ ヒロサワって口がすごく曲がってて変な地名を言ったりするキャラだったな いしいひさいちの野球選手は
原はキャハキャハ笑って焦点常にあってないし
宇野は一年中般若みたいな怖い顔してるし
中畑はゼッコーチョー!以外しゃべらないし
池山はブンブン振り回すあまり他人の頭殴るし
松岡コーチは貧乏人臭いし
そんな中で長嶋一茂は真っ当な常識人に描かれてたな謎だ あとは高橋由伸がへのへのもへのだったのと
伊良部がめっちゃブスっとしてたのは覚えてる >>216
いしいひさいちの漫画ってナベツネをガンガン出すようになってつまらなくなったような。
それまでオブラートに包んでた毒をモロに出すようになって辟易した。 >>217
だとすると、最後はソフトバンクが負ける図式になるw 阪神がぶっちぎり最下位wwwww
でも、次の年はまあまた復調するでしょwwww
って気楽にかんがえてたときもありました。 ソフトバンク、楽天より3つも多く勝っているが、逆に6つも多く負けている。最後に負け数の多さが86年の巨人みたいに影響するかも。 去年のハムとのマッチレースは逆に負け数少なかったのにな… オールスター前の勢いを考えたら
その後の転落は予想出来なかった阪神タイガース >>213
土橋「ヒロサワ。おまえの三振は実にむなしい。
非常に危険なものを感じる」 >>209
http://www3.lint.ne.jp/~lucky/brm/bin/team.cgi?YEAR=1986&TEAM=08&VIEW=HTML
遠藤 13-13 3.00
木田 08-13 3.62
欠端 07-11 3.74
大門 04-08 4.71
相川 04-00 4.22
堀井 07-04 3.93
門田 05-01 2.47
明夫 05-06-23 1.85
投手陣は打高投低の時代の割にはまずまずの出来
問題はピストル打線
(この年、ポンセ&ローマンが加入も田代が正田のタックルにより
手首と甲に致命的故障、衰えが急速に) この年のセリーグペナントレースと、今年のパのそれが似ている。
あの年も、8月後半に巨人が2位広島との3連戦を1戦、2戦と連勝して5.5差まで
拡げて独走ムードになりかけた。ところが3戦目を落として…
今年のパもここまでは同じ。
2位のチームの試合消化ペースが遅く、事実上のゲーム差はもっと少ない点も。 8月末に5ゲーム離して優勝確信してた。
逆転優勝されたショックで1週間寝込んだ。 >>229
修学旅行前夜がブロハードショック
修学旅行最後の夜が広島V(ちなみに最初の夜は西武V)
高校2年10月の話
当時は悔しかったけど、今思うと懐かしき思い出 >>229
5.5ゲーム差といっても、広島の残り試合を考えて実質3ゲームくらいだった。
78年のように中日が広島戦で手抜きすることも踏まえたら2ゲーム。
広島3戦目から引き分け挟んで4連敗したのが致命傷になった。 あの頃の広島から比べたら若さとパワーが段違いだからな
熟練した経験値はこの年だろうが 仮にあの時ブロハードが打たなくても、
広島が最終戦まで勝ち続けたんじゃないかな。
その場合、チームは違えど82年の再現になったが・・・ ブロハード事件がなくても負けなかったろうね。
広島が最後に負けたのは、消化試合に過ぎないし >>233
82年の中日は巨人全日程終了後5勝3敗
適度に勝ち負けしてた >>233
広島が勝てば自力V
ヤクルトが勝てばタナボタで巨人V
という意味でしょ
中継テレビ局がフジテレビだから82年と同じ結果になったでしょ。
特に82年は看板番組だった欽ドンを潰してまで、中日優勝で盛り上げよう的雰囲気を演出したし。 原が怪我してなきゃホームラン王狙えた年だったな。もっとのんびり優勝もできたろうに。
MVPはクロマティでも。 >>237
36本塁打はキャリアハイなんだな。タイトルは無理でも、最後まで出ていたら、40本塁打はクリアしていただろうね。 原はあの年、7月に自打球当て、8月に例の手首の怪我で欠場してたが、100試合時点で34本打ってた。
この後手首が悪化し絶不調で2本しか打てず、残り10試合で骨折。
怪我無ければ45本打てたシーズンだったのにな、狭い後楽園だったし。 40本は一度は打ちたかっただろうな
バースがいたからキングは難しかっただろうけど ガイシュツかな?
6月のGC東北シリーズで、8回にクロマティ3塁に置いて中畑が外野フライ。余裕で犠牲フライかと思ったらなぜかクロウがボヤボヤして…。
この試合(結局引き分け)勝ってりゃ巨人優勝だった。 >>241
8回か9回表に広島が勝ち越して、裏に原が津田から同点HR打って
時間切れ同点引き分けじゃなかったっけ? >>242
そう。原が最悪の展開救ってくれた。
この前の打席でバント命じられてるんだよね。 >>202
>東京ドーム公式戦こけら落としで岡田が桑田からホームラン打ってる
ドーム公式戦こけら落とし(1988.04.08)はそもそも対スワローズ戦だし←鴻野のエラーで負け
んで
ドームオープン戦こけら落とし(1988.03.18)は確かに対タイガース戦だが桑田は真弓のタイムリーによる1失点のみで七回を投げて降板している
この試合の桑田対岡田は
二ゴロ、三振、左飛。
ホーナー厨さんの
毎回毎回明らかに史実と異なる、思い込みの適当な嘘は如何なものかと…
殿堂板の住人達は当時を知ってるしビデオにも撮ってたりもする訳で… この年巨人優勝してたら、63年に優勝逃しても王さんのクビは無かったろうな。 この年優勝してたら、逆に62年優勝できなかったんじゃないの? 1986年巨人が優勝しても日本シリーズは負けてたと思う。
翌年も負けて西武コンプレックスは強くなったろうな。 今年の広島はこの年見たくシーズン終了まで逃げ切れのか!? この年みたいって・・・
試合消化数の早い巨人を最後の最後で追い抜いた逆転優勝じゃん >>239
しかし、原が欠場してからのジャイアンツは勝率あがってるんだよなw この年の巨人はヤクルトとの開幕シリーズに3連勝して好スタートを切ったはずが、
次節の広島〜甲子園遠征で1勝3敗(2試合中止)と負け越し。
さらに5月終了時点で首位広島に5ゲーム差だったのが最後の最後まで響いた。 広島に5差ビハインドってことは、事実上は7差くらいだな。
消化試合数のペースからすると 甲子園と広島で負けまくったイメージがある。
8月後半から9月頭の6連戦も1勝4敗1分。
8月27日に5ゲーム半で首位とはいえ、広島の消化試合数と負け数の差を加味すると
実質2ゲーム半と考えて臨まなきゃならないのに、
あの時の巨人ナインもファンも読売新聞も明らかに慢心してた。
後楽園3戦目に負けて4ゲーム半になって、負け数も再び並んだ翌日の朝刊の記事中「余裕の敗戦」の文字。
挙げ句の果てに4連敗喫し、首位は死守すれど広島とは形成逆転。
結果として気の緩みがV逸を招いたな。 >>236
関係ないけど85年のバックスクリーン3連発の試合は
中継終了後も欽どこの番組内でそのまま放送してたね >>257
9月頭の直接対決、初戦でCが勝った時の朝日の見出し
「ワッショイ!」「今日勝てば首位交代」
さすがアンチ巨人の朝日だけある 今年の中田翔の数字だけ見てると、86年の衣笠に似ている。ただ、野球に対する姿勢は180℃違うな。 >>259
『巨人が優勝したら丸坊主になりますよ!!』(平成初年のネタだが) タナキクマルって成績だけだと首位打者争いに加わってるわけでもないし
唯一丸がホームラン打ちまくってる以外成績は案外大したことはない
でも、今日の藤浪の対戦でリード奪われた翌回
すぐタナキクが塁にでてる
つまりのむさんのいう1人で3人の攻撃ができる
状況の読み、瞬間的な判断、流れ
それを常に読める野球脳の高さ
確かこの年阿南監督が、山崎 正田 高橋というスイッチ機動力3人並べをやった時期があった
そういう野球脳の高さは伝統であり
タナキクマルにも受け継がれてるんだなと
その回みて納得した そうしたカープの良き伝統
これからも受け継がれてほしいよね。 83年みたいに一旦巨人を捕らえたのに後退するんじゃないかと思った それに引き換えダメ虎は、歴史だけ無駄に長いのに
伝統が一切ない
ある時は攻撃主体
ある時は守備主体
攻撃主体だと投手陣が壊滅的に
守備主体だと貧打
で、貧打解消しようと補強するもさらに貧打に陥り守備も壊滅
結局、全てが八方美人の歴史や体質だから勝負所に弱いってのを一昨日からの広島戦で再確認できた ここ一番に弱いという伝統があるぜ
首位と競ってても鼻差で優勝とか絶対無理
ペナント序盤に飛び出して逃げ切るしかない
それでもこの時期2位なんて世紀末暗黒からしたら夢みたいな日々だけどね >22 :牧場の少女カトリ ◆rYkAtrIZkU :03/07/13 23:38 ID:HF3L2BwW
>2アウト2,3塁でセ界一鈍足の有田修三(現解説者)がセーフティスクイズ。
>一塁へヘッドスライディング、判定は微妙だったがセーフ!
>ポンセが審判へ猛講義。しかしその間に2塁ランナーもホームイン。
>あ〜いよごれガッチュガッチュ!
>36 :代打名無し:03/07/14 09:39 ID:RGqRZK6a
>>>22
>この試合の後、近藤監督がマスコミを使って審判批判を大々的に行った
>「マスコミやファンが巨人を優勝させようとするのは構わんが、審判までするとはけしからん」
>(抗議の間にプレーを止めなかったのは明らかに変である)
>「審判は常に冷静なジャッジをすべき。今日は審判のせいで負けた」
>(有田のジャッジの際、審判は一度アウトのジェスチャーをした後にセーフにした)
>この記事が新聞に載ってからジャンパイアが出来なくなり、この年(昭和61年)は広島が優勝した
これ覚えとる人いる?
こんなふざけた審判即日クビだろ 「なんじゃあの審判は?あいつをお立ち台にあげてやれよ」
阿南、ピーコ、三村の誰だかがスゲーぶちギレていた 鯉オタも少し強くなるとやかましくて仕方ないな
こんなチーム、パリーグに虐殺されてしまえよ
つーか阪神は発展途上だし巨人中日が復活したらすぐにでも暗黒席に戻るだろ 西武球場での日本シリーズはカープファン多かったのかな?
91年のシリーズはレフト以外全部ライオンズファンだった >>268
翌朝のズームイン朝で、毒光が巨人のヘルメット被って御満悦だったな
「私は有田に似てるので嬉しいかった」
みたいな事言ってた ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ ヤクルトの最下位が決定
この年以来の広島が最下位のヤクルト戦で優勝を決めるか 最下位のヤクルトに苦戦した86年
神宮で3連敗したり大変だった 松本
岡崎
篠塚
原
クロマティ
吉村
中畑
山倉
投手 松本、篠塚、クロマティ、原、吉村、中畑、岡崎、有田、江川 >>268
覚えてる覚えてるw
有田のヘッスラは「足がもつれて倒れただけ」と言ってた人がいたなwww >>282
ポンセが帽子を叩きつけて怒ってる間に走者も帰って……。
ランスが一塁にヘッドスライディングしたら解説の堀内が「悲しいかな、駆け抜けた方が速いですよ」と言ったのがその前か後か忘れたけど >>283
星野じゃないの?
東京ドームで試合後の通路で一戦交えかけてるし。 >>95
初戦が引き分けで、工藤のサヨナラは第5戦木曜日で翌日は普通に移動日。土日月と広島で3連勝。 原100試合時点で34本打ってたんだよね、ケガの欠場もあったのに。
ケガ無ければ40本行ったろうし、巨人ものんびり優勝できたな。 なんか藤田派と長嶋派の選手が王を嫌って真面目に働かなかったイメージがこの時代強いな >>287
どうだろか?
あの時点でかなり右手首痛めてて、あれがトドメを刺した事は間違いないが。 >>287
どうだろか?
あの時点でかなり右手首痛めてて、あれがトドメを刺した事は間違いないが。 >>287
逆
原が欠場してから中畑がサードにまわってファーストには
駒田が入ったが、そのあとGの勝率はガクンとあがってる。
にもかかわらずカープにやられた。
(理由 直接対決3連戦カードで負け越しが続いた) 原はこのオフの結婚披露宴で針の筵
そしてミスターの迷スピーチ なんだっけ?
原の新妻を「即戦力のドラフト1位」、岡崎の新妻を「将来性のドラフト1位」とか
スピーチしたんだっけ?
ちょっとやばいな。 たけしがANNで原もあそこで落ち着くしかなかったんだよとか何とか話してた >>289
てか手首骨折(120試合目)じゃなく、8月上旬の中日戦でその手首を守備中に痛めなければ。
原も余裕で40本行ったろうし、巨人ものんびり優勝できたろう。 >>295
原信者よ、分かったからもう一度上から冷静に読んで来いよ。 >>296
俺は冷静に読んだうえで答えてる、嫌な奴だな >>293
おめでたい席でなんて事を言うんだ、セゲヲはw この年、巨人岡崎がマスコミとトラブル起こさなかったっけ? 前年に衣笠が阪神戦でセーフティスクイズしてどんでんがいちゃもん付けて、
関西のマスコミも批判的だったが、
江川相手にスクイズしたら全国的に
流石広島野球と言う雰囲気なったな >>304
アラフォーのブンブン丸がセーフティースクイズ仕掛けてくるなんて普通誰も思わないだろうな。 >>302
6月の仙台の試合後につけて来たエンマのカメラマンを岡崎、山本雅夫、桑田の3人で袋叩きにしていた。
今にして思えば、この試合でのクロマティのタッチアップミスが無ければ優勝できてたが、延長10回表に山崎隆造の内野安打で勝ち越された後、10回裏先頭の原がクローザー津田からポール際に同点ソロを運んでドローになった。
今のスタンドからはまるで想像できないスタンドの切れ目だったが。 当時のエンマの取材はやりすぎだって批判もかなりあったと思う >>307
桑田も絡んだんだよな。桑田って暴力否定してるけど意外と内心では暴力もいじめも肯定的だよ >>307
クローザーなんて片腹痛い事書くな。ストッパーだ。
しかも当時はイニング跨ぎは当たり前。複数回は基本。 シリーズでしか3イニング投げなかったサファテはしみったれてるな 30年以上前のことを未だに押し付けよう
だなんて、時代錯誤もいいとこだなw エースなら3連戦に毎回1度先発1度のリリーフ待機は当然だなw >>311
杉良太郎や故・松田優作のように外見は善人を装っていても中身は性悪タイプ。 ヤフー知恵袋に桑田は人柄も良さそうだから巨人の監督に適任などというコメントがあったが、
投稿者は登板日漏洩疑惑やその他諸々の腹黒さを知らないのでは。 関西人ならこれくらいの腹黒さは普通だろ。上原とかもね。 すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
UVTYL 原は8月上旬の中日戦で手首負傷(その試合で中畑が杉本からサヨナラホームラン)。
6試合ほど先発外れたあとムリして復帰。これがもとで骨折。
ちなみに97試合目で34本(シーズン36本)。
ま、クロマティがちゃんとタッチアップしてれば巨人優勝だったわけだが。 ルーキーの南海西川が10勝10敗。清原がいなければ、阪急福良と競っただろうが、新人王だったはず。しかし、この年がキャリアハイになるとは意外だった。 その時精悍。スカイライン2ドアスポーツクーペGTS、誕生。 >>93
第5戦できたへふが先発して同点の9回の表にカープが無死1
塁で送らずに併殺 その後の打者が2ベースであそこで普通
に送っていれば勝てたのにって高橋慶彦が後日談で述べてた メジャーのワールドシリーズはあのビル・バックナーのトンネルかな。
リアルで見てたけどちょっと切なくなった。 >>325
原は毎年シーズン打撃成績の目標を「3割、40本塁打」と設定していた
この86年はペース的に40本塁打も期待できると思っただけに手首骨折は本当に残念 清水(葛飾区青戸6)の告発
清水の父母「息子と娘にいつでもサリンをかけに来やがれっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
■ 地下鉄サリン事件
オウム真理教は当時「サリン」を作ることはできなかった。
正確に言えば 「作る設備」を持っていなかった。
神区一色村の設備で作れば 全員死んでいる。「ガラクタな設備」である。
神区一色の設備を捜査したのが「警視庁」であるが さっさと「解体撤去」している。
サリンは天皇権力から与えられた。
正確に言えば オウム真理教に潜入した工作員が 「サリン」をオウムに与えた。
オウム真理教には 多数の創価学会信者と公安警察が入り込んでいた。
地下鉄サリン事件を起こせば オウムへの強制捜査が「遅れる」という策を授け「地下鉄サリン事件」を誘導したのは
天皇公安警察と創価学会である。
天皇は その体質上 大きな「事件」を欲している。
オウム科学省のトップは 日本刀で殺された「村井」という人物だ。
村井は「サリン」授受の経緯を知る人物なので 「日本刀」で殺された。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20150224 達川の5番?
でもそれって、優勝決定後の消化試合とかでしょ? 調べたら9月21日の大洋戦だね。
もちろん、消化試合でなく巨人と激しいデッドヒートを繰り広げていた時期だ。 >>317
スギ様はともかく、松田優作は別に善人イメージで
売ってた俳優じゃないだろうむしろ逆じゃね? 衣笠は地元の沿線関係で阪急に入った方がDHで簡単に連続試合出場記録を樹立出来たと思う 少なくとも連続試合出場記録を更新する
87年の46試合目まで聖域起用しなきゃならないのは
カープにはハンデだったわな
衣笠が阪急なら山内や興津や広岡や関根や根本にも出会わず
開花せずに終わったかもしれないし、
両親の目の届く場所だと開放感から派手に遊ばなかったかもしれないし何とも言えない この年の長者番付
スポーツ選手1位が山本浩二で以下20位以内に衣笠、北別府、阿南監督とカープで4人ランクイン この年の選手名鑑で中日杉本正は好きなタイプに松居一代を挙げていた 阿南監督が神宮で優勝を決めたけど
88年の阿南監督の最終戦も神宮だったことがあまり知られていない 日本シリーズ最多三振
8試合 11三振 - 衣笠祥雄(広島東洋カープ、1986年)
7試合 16三振 - ジャック・ハウエル(ヤクルトスワローズ、1992年)
6試合 10三振 - 桑原将志(横浜DeNAベイスターズ、2017年)
5試合 *9三振 - ヘンスリー・ミューレン(ヤクルトスワローズ、1995年)
3試合 *8三振 - 丸佳浩(広島東洋カープ、2018年)
4試合 *7三振 - オレステス・デストラーデ(西武ライオンズ、1990年) 広島第5戦サヨナラ負け
86年西武・工藤にサヨナラヒット
16年日本ハム・西川にサヨナラ満塁ホームラン
18年ソフトバンク・柳田にサヨナラソロ >>354
そのパターンになったカープ、過去2回はシリーズで負けているのよね 今年、津田さんの命日に下水流の逆転サヨナラ2ランだったが、来年もマツダで広島−巨人戦。
因縁浅からぬ原さんが戻って来たから何か追悼イベントやって欲しい。軽々しく言ってはいけないんだろうけど。
来年、没後26年。 この年唯一観にいった試合が広島対大洋で例の高橋投手が9回にボコボコにされた試合だったな。9回に猛攻が始まって帰ろうと思ったけど帰れなくなった思い出がある。衣笠もドサクサでホームラン打ったし。 >>359さんの便乗して
この年唯一観に行った試合が9月の日本ハムvsロッテで先発投手が金沢投手と田子投手。
落合選手が二塁打と本塁打を打ってロッテが勝利。
ロッテの丸山選手が試合前時点で打率.667、
第一打席で安打して打率.750になり「山田太郎の打率を超えたぞ」とはしゃいだ記憶あり。
それ以外に覚えているのは
後楽園球場の座席が狭かったこと、
外野席で大学生のグループが酒盛り状態だったこと。
「大人のおもちゃ、大人のおもちゃ、ちゃちゃちゃ大人のお、も、ちゃ」とか歌っていた。 唐突に打球飛ばなくなったよねこの年
85年が凄すぎただけ? 聞くところによると、前年(85年)は「飛ぶボール」を使っていたっぽいんだよね この年地方の大学から新卒で東京で就職したけど、通勤で朝後楽園と東京ドームの工事で鉄板で囲まれている通路を
通ってたけど、いかにも学校サボってる阪神ファンや大洋ファンのガキがいっぱい席取りの行列に並んでた。今10+33く
らいの歳か。何して暮らしてるんだろうね?
ちょうど4月下旬に東京サミットがあって、後楽園周辺の狭い道にまで深夜も警官が張り込んでいた。まあ「警察のオリン
ピック」だからね。予算も入るし。今年も4月の改元とかでやるのかね?
本郷界隈には旅館がいっぱいあって、後楽園の帰りに一緒に坂を上がってったけど、さすがに全部無くなったな。本郷
3丁目の機山館くらいか。 この年はいきなり打球が飛ばなくなり、翌年はプロ野球全体の打撃成績がいきなり落ち込んだ んで阪神は暗黒に落ち、次の改訂まで低迷
よほど阪神にダメなゾーンだったのかな? >>360
田子といえば、清原に新人タイの31号ほんるいだを打たれた投手か。
鳥取西時代に甲子園出場、早実の荒木と投げ合ったのが印象深いが、プロではそのことしか覚えていない。 山本浩二引退の年だが最後のサヨナラ本塁打は杉本正(500本塁打打った時も
杉本から)、最後の本塁打は日本シリーズで東尾修から >>369
阪神は下手に前年に日本一になってしまったのが間違いだったと思うわ。あの暗黒時代が到来する位なら従来通り万年Aクラス争いしていた方がマシだった。 >>372
別に日本一になろうがなるまいが人間は1歳加齢するのは変わらないんだから
その後暗黒時代が来るのは変わらないだろうに。 阪神は強力打線といっても成績いいのは4人だけでそもそもその4人揃っていた期間が83から88年まであるの強力打線といっていいのは85と86のみだしな 86年だって掛布の不振でリーグ得点1位は巨人だし
実は81年までも暗黒的で、82から86までが出来すぎた
87で崩壊
02以降の横浜と類似 常に弱いベイスは兎も角そんなに弱くなかった阪急・オリックスがあそこまで落ちぶれるとはな。 オリックスは上田監督が辞めた途端にいきなりブルーサンダー打線が空中分解したな ブルーサンダー崩壊〜イチローの狭間で中心になってた打者って誰?トーベ? >>379
っていうか、球団全体史で見たら強かった時代の方が圧倒的に短いんだが・・・ 打者より阪神は140キロ出るピッチャーさえほとんどいなかった投手陣が問題だろ >>384
おかしいな、カタログスペックでは
140後半出る本格派が揃ってたはずなんだがな・・・ 阪神本格派の希望の星といえば仲田幸司だったな
この年は実質2年目で7勝で防御率もよかった、まさかここから独り立ちまで6年もかかるとは…(しかもそれも1年限り) なかたこは145、6出てたんだよな
中込もデビュー時は146を計測してるのを見た
島田章弘も148計測してたんだよな故障が悔やまれる
伊藤文隆も143-6ぐらい出てた記憶がある >>380
これ西宮→神戸に本拠地を移転したのと、監督を変えたからな。 >>387
この頃「島田章弘、仲田、遠山の三人の有望若手投手がいる
から阪神の将来が楽しみだ」と当時阪神ファン
のクラスメイトが語っていた
儚い夢で終わったけど >>218
いしいのまんがスポーツの連載4コマで
85年の某号で
あのダークな王監督が原に
「今日は何の日か知ってるか?」って尋ねて
原が「な、何の日でしょうね?」ってリアクションしたら
王監督が原の胸ぐらを掴んで
「おやじの命日だ!」
ってオチのネタがあった。
この号発売日の数日後
王監督のお父様は本当に死去された…。 バカモノー 日航機事件の
85年のこの頃からいしいさんは作風変わってきて
それだけでなく派出所もあぶさんもチエも急激につまらなくなってきて
希望ふくらませて入った高校にもあまりなじめず
いやスレチ失敬
ついでに南海も開幕前には期待もたせたが フタ開けてみれば相変わらず… >>218
ワンマンマン出しすぎたためにナベツネが切れてとなりの山田くんが金曜ロードショーで放送禁止になった それが解禁されるためには、ナベツネの死を待つしかないのかw ワンナウツ第二期のためにもナベツネはよくたばれや
もう10年待っとんや 埼玉県知事選挙出るという青島健太
青島の現役時代の印象ってこの年の広島優勝決定試合で最後の打者として津田から
三振の印象しかない >>394
>>397
高畑勲が死去した時ですら
放映されなかったんだから
ナベツネは相当根にもってるんだろうな…
ところでガウリイが斬妖剣もたせるために
はよオリックス優勝してくれへん… スープラ
ソアラ
レパード
スカイラインGTS
セリカGT-FOUR サンチェ ○勝1敗○セーブ(リードした状態で登板してリードを守れなかったのは一度だけ) サンチェの前に獲得予定だったのがデーブスチュワートだったんだな 今思い出しても、1点取るのも苦労してたような貧打の印象の強いカープが
いくら投手陣がいいとは言ってもよく優勝できたね、ほんと ドラフトで長冨を獲ってなければ優勝出来なかったと思う 巨人はたんぱくだし
阪神も特に後半戦はホームランでしか点がはいらないような
貧祖な打線になってたからな。
やっぱり投手陣がしっかりしてる広島に分があったんじゃね? クロマティが。ちゃんとタッチアップしてれば巨人優勝。 >>411
長富が江川に投げ勝った試合で、カープ行けるんじゃないかと思った 5月終了時点で巨人と広島の差5.0ゲーム。
6月24日巨人首位浮上。6月終了時点でゲーム差1.5の2位。
7月17日折り返し。広島首位3.5差2位巨人。原26本バース25本。7月終了時ゲーム差0。
8月3日巨人首位浮上。8月5日原31号バースと3本差。
8月23日原34号巨人99試合目。
8月28日巨人首位5.5ゲーム差広島。 掛布の怪我が全て
阪神の20世紀が早くも終わり、
長い長い暗黒トンネルに入った >>417
巨人と阪神とじゃ試合の消化ペースが違うから、原とバース比べても無意味 >>419
この年は変わらなかった。まだドームじゃなかったし。 >>417
5月終了時点で2位の-5差。
結果的にこれが優勝を逃すきっかけになった。
この年の巨人は甲子園と広島で負けすぎ。 宮本が誤算だった。オープン戦で好調だったのに全くダメだった。 投手力の広島 打撃の阪神とカラーがはっきりしていた
投手力と攻撃力のバランスが良かったのは巨人
広岡が「巨人は戦力的には十分足りている。王監督がしっかりしていれば優勝した。」なんて
批判してた >>422
3月20日に東京に引っ越したけど、宮本が鹿児島の阪神とのオープン戦で勝ってたね。先に荷物だけ入れてたけど、
「完全入居」して付けたテレビで見た。 阪神は小林が抜けた後の
エースがずっと不在で、反面、
打撃力だけならリーグ1だと思ってた
エースが出てくるのは、
暗黒明けの井川が出てくるまで
待たないといけなかった
この頃は、まさか、数年後に
打撃力が底割れするとは全く思ってなかった
田淵、掛布、真弓、岡田までは
順調にバトン繋ぎができていたから、
真弓、岡田の次が全く育たないなんて
思ってもみなかった 阪神のエース 小林→仲田(一年だけ)→井川(一、二年だけ)→メッセ 考えてみれば、井川も凄かったのは
2年くらいか
エースたるもの、
5年程度は顔をやらんといかんと定義したら、
小山→村山→江夏→小林→(断絶)→メッセ
になってしまうんだな、、
恐るべし暗黒パワー >>427
選手間でも話されてたが投手ばかり補強してたから、さも当然。
平田・木戸・和田・八木位か。
村山が無理矢理チャンス与えた少年隊が居る程度。
育つかと思われた渡真利はダイエーへトレードしたしな。 ラッキーゾーンを残していれば、
八木あたりはもう少し活躍できたろうが、
いつの間にやら「代打の神様」なる
ジジ臭いポジションで甘んじてしまった。
トレードで出した大野が盗塁王、
野田が最多勝みたいな悲惨な事態もあって、
この頃の阪神球団の編成は大失敗だったな。 >>108
Gのエースが江川から桑田に変わって、江川との取り決めみたいなものも失くなってどうなったかね。 日本シリーズのカープ、第4戦の金石の適時打以降、適時打1本も無いのな
そりゃ大逆転負けする ブロハードが打たなくても広島全勝でVだったな。
最終戦負けたのも手抜きの消化試合な訳だし。 西武やソフトバンク
その時代のパ覇者には歯が立たない広島 そういやブロハードのアレ打たれたのも槙原だったな
バックスクリーン3連発とか、佐伯のボーク打ち直しホームランとか、新庄の敬遠球サヨナラとか、
ジャイアンツが衝撃の負けを喫する時にはなぜかマウンド上に槙原が… >>443
読売 南海とダイエーに勝ちソフトバンクに負ける
広島 ソフトバンクに負け南海とダイエーが出た頃はシリーズに出られない弱小 そういえば読売は南海に4タテされたことあったね
1人の投手に4タテされたともいえるが 原がとにかく嫌い
ヤクザに1億やるクズは消えてほしい >>440
バックスクリーンばかり3連発を取り上げられるが
音、大豊、山崎の両翼センター3連発も槇原だし
8点差逆転負けも槇原 >>446
今や「球界の盟主」なんて言葉は死語w
讀賣も落ちぶれたものよw もっともこのスレタイの頃には
既に盟主の座を西武に奪われたと見る人も多かったような気が 南海からトレードで移籍してきた新井が大石との1,2番コンビとして近鉄というチームににフィットした。
巨人から来た淡口とともにこの移籍組の二人が西武との優勝争いに大きく貢献した。 でも西武の動員、売上等含むGDPは巨人にはるかに及ばなかった。 >>455
ホームランでしか点が取れなかったメタボ打線が
小回りが利くようになったからね でも近鉄の一員らしく新井自身初の二桁本塁打してるんだな >>455
なぜか淡口が「近鉄最強の五番打者」って言われてた時期があった
チャンスに強かったけれど常時スタメンで出てたわけじゃないのに >>459
東尾から打ったサヨナラHRのインパクトだろうなあ。
あの時は近鉄イケそうって思ったし。 >>455
新井と淡口は同い年で同じ左打者で同時期に近鉄に移籍したこともあってすぐに仲良くなった パのベストナインがよくわからない選出だった。
.321、20本、68点のブリューワが選ばれず、ブリューワより三部門ともはるかに劣る横田と新井が選ばれ、もう一人はまだ内野手登録の秋山。
三部門とも新井より良かった山本和も落選。 阪急ブーマーがオープン戦最後の3試合に出場(参加)しただけで公式戦は3割5分40本打った。
いったい日本のキャンプやオープン戦て何の意味があるんだろうと考えさせられた。 >>461
はっちゃけた選手の多い近鉄の中で常識人が意気投合したんだろう。 >>463
翌年、酒の飲み過ぎで肝炎になり、キャンプどころかろくに練習すら出来なかった石嶺が、開幕からバカスカ打ちまくった。
阪急のキャンプの存在意義は何なんだとw
>>464
新井は、その石嶺の飲み仲間。
夜な夜な飲み歩いてたらしい。 >阪急のキャンプの存在意義は何なんだとw
どうしてこういう解釈になるのか意味不明。
野球界全体の話であって、べつに阪急という1チームに限った話ではないでしょ。 >>466
別に阪急だけなんて「一言も」言ってないだろ?
ブーマーの例が出たから石嶺の例もついでに出すことの何が悪いんだ?
お前アスペか 誰もNPB全体のキャンプの不毛性自体に異議を唱えてないのに、>>466はなに一人でイキってんだろうねw >>467
石嶺の例が出たことに文句を言っているのではないのだが。
「阪急のキャンプの存在意義は何なんだとw」
と書いてあれば、阪急という1チームに的を絞って言っていると捉えるのは当然だろ。
あんたは野球以前に小中学の国語の勉強をやり直したらいかがでしょうか。 反対にオープン戦で6本塁打して絶好調のまま開幕を迎えたのが門田
4〜5月は好調を維持したが6月に調子を落とし7月に入るとかすみ目症で休場
8月後半から盛り返したが衰えで引退も近いと思われた >>470
AV.262 25HR 77打点、確かにあまりいい数字ではないけど
目の調子が悪くてもこれくらいは打てるってのがすごいんだけどね .276 27本78打点の山本浩二が引退したんだから門田も引退するべき。
やはり常に優勝争いをするチームと、常に最下位争いをしているチームの違いかな。
こんな成績の中年でも現役続行が許されるわけだから。 >>470
その2年後に盛り返して二冠獲得(&MVP)だからね 2000安打が近かったから翌年達成させて花道を飾るという感じだったろうね
まさか出塁率のタイトルを取るとは 田淵、山崎裕之、基、山本浩二、東尾等
昔の選手はまだ余力があってもあっさり引退するね
当時は引退してもそんなに収入が落ちなかった事も理由だろうけど >>472
所属チームが強い弱いもあるけど、DH制の有無もある。
40歳で外野手はかなりキツいはず。
その点、門田はDH専門選手だから外野守備の事なんて少しも考えなくても良い立場だったから。 >>476
江本はDH反対派で
「門田のHR王はDHに救われて達成したものだから認められない」とか
コラムに書いていた
逆に板東英二はDH賛成派で「投手の打席なんて無駄だからセもDHを導入すべきだ」とか
書いていた 認められないは言い過ぎだとしても、もしDH制がなかったらアキレス腱怪我後の門田はホームラン王どころか
規定打席到達も無理な選手だったのは確か。 巨人が優勝していたらクロマティMVPで異論無いだろ?
東北シリーズできちっとタッチアップしてればね。 北別府、クロマティ、バース(2年連続三冠王)
64 王(55本)
74 王(2年連続三冠王)
80 木田(新人最多勝)
82 落合(三冠王)
85 落合(三冠王) この年はセパ両リーグとも「いわれなきMVP」だったな
中尾とか山倉もそうだけど、いわれなきMVPになったやつはその後成績がガクッと落ちる 石毛は無冠だからそうとして北別府は三冠だからいわれなきでもないんじゃないの
投手力を軸に勝ち取った優勝でその中で圧倒的な実力を示したんだから
森みたいに「石毛こそがふさわしい」と事前運動してたわけでもないんだし 曲がりなりにも投手三冠なのに、「いわれなきMVP」呼ばわりだなんて、
難癖もいいとこだよなw 1986年巨人優勝したらクロマティ以外ありえる?
1982年巨人優勝なら原だろう。
1987年のMVPが山倉もありえない。原だろ? この年辺りから伊東キャンプのメンバーが消えていく
当時は気にしてなかったけど後から振り替えると寂しい
最初は定岡?松本? 定岡1985年引退
松本江川1987年引退
中畑1989年引退 奪三振がリーグ1位でない北別府は投手三冠とは認めたくないな あの生え抜きスーパースターがキラ星の如く勢揃いして、
3割打者5人、沢村賞桑田がズラリと並ぶ巨人を、
「MVPは山倉か鹿取か」などという華のかけらもない事態に陥れた王監督の暗黒オーラはやばかった
86年はバース以外ありえん 1999年のMVPが上原じゃなかったこと考えたらクロマティで間違いないだろ。北別府が取れてクロウが取れない理由はない。
パも落合じゃなく石毛。 投手三冠の定義自体曖昧だからな
最多奪三振のタイトルがパ1989、セ1991制定
勝率の方も86年当時はタイトル扱いじゃない
ただ全日程終了後の新聞の囲みに勝利、防御率、勝率、SPの4つが載ってるのが
常だったのでこの頃は勝率で三冠と思ってた人多いんじゃないかな
ついでにいうと救援のタイトルも最優秀救援でSPでタイトルを争ってたから
当時を振り返る記事で「鈴木康二朗は2度のセーブ王」とか
「牛島はセパ両リーグでセーブ王のタイトルを獲得」とかいう記載を見ると
すごい違和感を覚える 1986年3月にWBCがあったら日本代表は?
投手
江川
北別府
遠藤
荒木
小松
工藤
渡辺
石本
斎藤明
捕手
伊東
山倉
内野手
中畑
岡田
篠塚
高橋慶
高木豊
原
掛布
石毛
外野
山本浩
真弓
山崎
吉村
秋山
平野 監督は前年西武辞めた広岡、広島辞めた古葉、話題性で長嶋? 死球退場のクロマティが次の試合で代打ホーマーかっ飛ばしたのと、工藤が日本シリーズでサヨナラヒット打って、広島日本一にあと一歩まで来ていた流れをひっくり返したのが印象的
日本シリーズ終盤でブコビッチや太田卓がいいとこでヒット打ってたのもよく覚えている。 北別府とか津田とか正直憎たらしかったけどね。まさかこの2人がこうなってしまうとは。
ペイさん、まだ津田さんとこ行ったらあかんよ!
津田さん、今年生誕60年。 そういや原が手首を故障したのは8月7日の後楽園の中日戦。かつては子分だった鈴木康友の打球を捕ろうとしてグラウンドに強打した。
その康友さんもかなり危ない病気とは。 3度目の三冠王取っても空気扱いで正力賞貰えなかった、おちあい博満 >>501
大分の産業廃棄物こと涙目野郎は、今すぐナベ〇ネと共にあの世へ逝けw 引き分け→広島3連勝→西武4連勝
死闘、熱闘としか言いようがない伝説の日本シリーズ
工藤、石毛、秋山らその後の西武黄金期を築いてく選手たちの躍動
これにたちはだかる北別府、大野、津田といった12球団最強の投手陣と全盛期の達川
そして黄金ルーキー清原と去り行く大打者山本浩二の邂逅
等々 本当に凄いシリーズだったよ
最終戦で太田の盗塁とその直後にダメ外人ブコビッチが打って勝ち越すという信じがたい展開が今でも笑える 第8戦まで行われたこと
それ自体が現段階では唯一だからね 巨人だったら1勝4敗かせいぜい2勝4敗がいいところ。
広島だったから名勝負となった。 前年ドラフト余波で巨人に優勝させたくないって声も多かったな。
Bクラスで王解任 オフに長嶋復帰?という週刊誌の予想もあった。 セゲヲの監督復帰
それには、あと6年の歳月が必要だった 中西
北別府
遠藤
大野
川口
小松
工藤
石本
斎藤明
村田兆治
こんな感じでしょ 西武と近鉄は数字的には大差がついてるんだよな
近鉄は総得点・総失点ともにリーグ4位以下だった
88年の近鉄は投手陣がリーグ最少失点だったからまだ分かるが
この年は良く残り数試合まで喰らい付けたなと思う 近鉄3-3ロッテ、この試合で近鉄のマジックが点灯した。初回無死満塁で落合を
敬遠、近鉄はこの押し出し含む3点にロッテ打線を抑え、引き分けに持ち込んだ。
満塁で敬遠って以後もあまり見ないな >>429
たが、なんやかんや言っても、井川は02年〜06年まで2桁勝利上げて、一年間フルで働いてたからなあ。この頃に居たら、阪神投手陣では神扱いだな。 >>511
データ上の数字では西武が全ての面で他チームを圧倒していて、すっかり勢いが
止まってグダグダな近鉄如きと何時までお付き合いしているんだかって感じなんよな。
森も監督としては1年目で「どうも監督職はコーチとは勝手が違うなあ」と戸惑っていた
様子が窺えた。
シーズン最終盤になり、もうこれが最後の一手って感じでそれまで4番に据えていた
秋山を3番、オールスター以降調子を上げていた高卒ルーキーの清原をPL時代の
定位置4番とした途端、それまでのグダグダが嘘のような大勝の連続でようやく近鉄
を振り切ったんよね。 この年新ストライクゾーンでたびたび糞ボールをストライクとされる判定を
繰り返され、多くの選手が成績を落とす中、日本最高打率を出したバースは素直に凄いと思う なんだかんだ巨人が全体的にバカスカ打ってたような気がするんだけどな
吉村が元気だったからかな 80年代って外国人投手がほぼ皆無だったな
いるとしても巨人、阪神、阪急、ロッテぐらいか ヤクルトのビーンとかアイケルバーガーとかいたじゃないか >>519
>>523
荘(ロッテ)のことも、たまには思い出してください 昔は先発は中4日だったがこの年から中6日が定着した。つまり表ローテー3人
裏ローテー3人ってことです この年巨人は苦しいペナントレースだった
巨人戦はテレビ放映されるから相手は巨人戦に表ローテーをぶつけてくる なるほど!鋭い指摘ですねぇ
だから巨人の勝率がなかなか上がらなかったんだよな 1986年3月に第一回WBCがあったら
監督 広岡?古葉?長嶋?
投手
小松 斉藤 遠藤 北別府 工藤 渡辺 東尾 石本 中西
捕手 伊東 八重樫 木戸
内野 落合 中畑 岡田 篠塚 掛布 原 石毛 高橋慶
外野 山本浩 山崎 真弓 金森 吉村 平野 >>526
時には、本来のローテーションを崩してでも
讀賣に表ローテの投手をぶつけてきた この年、小早川が44試合も二塁を守っていた
如何にカープが打力不足に悩まされたか分かる >>530
それでリーグ優勝するんだからすごいよな
ふと思ったが、純国産チームでリーグ優勝したのはセパ両リーグ通じて、この年の広島が最後? 翌年大砲不足に悩む広島は リチャードランスを補強するのであった >>531
優勝どころか外国人のいないチーム自体が
この年のカープが最後ではなかろうか この年と翌年の西武は微妙だな。
ブコビッチも助っ人とは言えん成績。
デストラーデには遥か及ばずバークレオよりも下。 >>534
近鉄戦で頭に死球食らってから調子が落ちちゃったんだよな、ブコビッチ
それまでは3割打ってたんだけど >>536
???
一番外国人の影が薄かった02年でも
野手 クレスポ
投手 ワズディン、アルモンテ、 趙成a、鄭a台
が出場している その中だとワズディンとアルモンテが多少戦力になった程度だな >>533
それだけ、現在のプロ野球界は外国人選手に依拠している
という証でもあるからね 確かに、パリーグをろくに見ていないヤツに
文句言われる筋合はないよね 巨人ファン江本。アンチ巨人に媚びて時々巨人の悪口を言うが巨人好きがバレバレ。 近頃掘り返された感のする日テレジャナウンサーの飛行機発言だがこの年の出来事なのか
2003年の阪神優勝時にそんな発言したのを学校行く前とかに見た記憶があるけど別の暴言と混同したのかな
ネット社会以前だから大事にはならなかったが大事故の翌年にあり得ない発言だわな 今夜9時からこの年の日本シリーズを、BSフジで振り返る >>506
名勝負とは言えなかった。
で、Gならあんなチョー貧打に泣くこともなかった。 日テレが中継した第8戦の解説が堀内と池谷で、ゲストが落合。
翌年の第5戦もゲストは違えど、解説はこの2人だった。 >>546
そのほうが良かった。ダラダラ8試合もやって鯉党もソッポ向いて、球場ガラガラ。
少なくとも「誰も見ない日本シリーズ」にはならなかった。 正直広島が3つ勝って
さっさと決めろよと思いながらダラダラ8戦な感じだったしな でもまあ、この年の西武の相手は広島で良かったですよ
これで、なまじ讀賣がしゃしゃり出てきたら… 91年の川口見てたら最速142キロくらいなのに西武打てなかったね。
このころの川口って随分球速落ちてたなという印象
86年の川口なら145から147くらい出てた印象 浩二さんNPB史上、大卒で500本塁打を達成した唯一の人物って知らんかった
なんで大卒者っていないの?頭でっかちで華奢だからホームランに適さない? 積算系の記録ではやはり4年の差はでかいってことさ
他には社会人出身で門田と落合が達成しているが
この2人は35歳を過ぎてからの積み上げ方が異常だから >551
川口は87年以降、球数多いうえに投球回数も結構長いから年々球威は落ちた
印象。それでも91年奪三振が多かったのは変化球が良かったからだと思う。
それと相性の良い巨人戦の登板が増えたこと。 川口の「投球論」に依ると、1991年シーズン前に縦のスライダーを覚えたのが、
効果的だったそうな。
ちなみにそれ以前の主な球種は、ストレート、カーブと、フォークの握りでアレコレ
試して身に付けたというスクリュー(つまりフォークの変形)の3つね。 1985年の阪神のでたらめ神憑り状態がなければ
1984年〜1986年は広島が3連覇していたと思っている 85年は巨人もなくはないと思うけどな
ただ広島巨人のマッチレースになったら近藤大洋がどっちを叩きたいかといったら、
巨人を叩きに行くだろうからやっぱり広島かな
あるいは阪神が大洋をボコボコにした分までなくなると仮定したら
大洋まで優勝争いに絡んでた可能性もある なんとなく1986年の日本シリーズは古葉なら
4勝1敗1引分けで終わっていた。なんぼAK砲1年目とは
言え。1991年だってAKDそろっている西武相手に3勝4敗だし。ましてや清原入団前年の1985年
の西武打線なら確実に天下の広島投手陣なら
抑えていただろう。そうすればV3(3年連続日本一)を
達成していたはず。阪神優勝が古葉の人生を狂わせた
部分はある。 阪神が優勝したから、V逸の責任をとって古葉退団じゃなくて
古葉がオーナーと喧嘩して今季限りでやめるのを決めていたから
最後の追い込みができなかったんだよ
だから阪神のせいで古葉の人生が狂ったというのは違う
むしろ古葉のおかげで阪神の歴史が狂ったw
まあ広島ファン氏は日本一の回数を増やしたかった? その割には阪神との最終決戦の継投はガチだったがな
しかも代打攻勢もかなりなものだったし そんなたかが一二試合の選手起用なんかガチもへったくれもないわ
退任を決めていても普通に目の前の試合には勝ちに行くだろ
そういうところよりももっと全体のマネジメント的なことじゃないの
熱意を失ってたのは
それよりも現実には優勝しようがなかろうがあり得なかった
86年に古葉が率いてた方が興味深いな
あれはむしろ阿南が我慢し尽くしがよくて、
古葉だったらむしろ浩二衣笠にもっと厳しい起用をしてむしろ悪い結果になって
いたような気がする 1986年
MVP票数 セ・リーグ
(1位に5点、2位に3点、3位に1点のポイントが振り分けられる)
165. 70. 9 計1044 北別府学
.65 105 51 計 .691 バース
5 .19 69 計 .151 クロマティ
6. 19 30 計. 117 山本浩二
1. 18 47 計. 106 津田恒実
3 7 12 計 48 達川光男
- 2 .2 計 .8 高橋慶彦
- 1 .3 計 .6 長冨浩志
- - .1 計 .1 江川卓
- - .1 計 .1 川口和久
MVP票数 パ・リーグ
80 51 29 計582 石毛宏典
62 53 33 計502 清原和博
42 49 48 計405 落合博満
13 30 33 計188 渡辺久信
. 1 . 4 23 計 .40 石本貴昭
. -. 4 13 計. 25 秋山幸二
. -. 1. 1 計 4 辻発彦
. - . 1 . 1 計 4 ブーマー
. -. -. 1 計 1 伊東勤
. -. -. 1 計 1 東尾修
. - . - . 1 計 1 デービス バースはともかく落合が石毛どころか清原にすら負けてるのが不思議 TBSの朝の番組が巨人を嫌っていたのか、広島が好きなのか、広島ageをしていた記憶が有る。 >>37
その部分だけ切り取ってみれば、名将なんだろうけど、いた選手とか在任期間全体みれば、一弱のチームが明らかにある上に、87年はロッテも加わる中、最下位になったのは相当愚将としか思えないけどね。 >>188
星野の平野放出ありきで、各チームの補強ポイントを考えたら、思惑に一番合致するのが、やっぱり西武だったんじゃないかな?
吉竹全盛期でも、北村弘田と併用しての成績だし、さすがに1年フルにとは計算してないと思う。
ただ、中日側からして平野だったら、もう少し良い投手取れないもんかね?とは思っているファンは多かったと思う。 >>495
当時の長嶋は、浪人って感じだったし、それこそナベツネが引きずり出すまで、それこそ鳴りを潜めている時代だったから、その3人と言う選択肢であれば、優先性は低かったと思う。 この年の仲田幸治の勝ち負けが逆でも良かった
防御率3.10で7勝12敗はおかしい 高橋慶彦の話によると
終盤戦相手チームからカープ頑張れと応援されたそう 日シリ終盤の高橋慶彦の守備が酷かった。
第7戦、第8戦とも、ヘタクソな動きでゲッツーが取れず、秋山に痛打された。
正田を全く信用してなかったような動きをしていた。 >>579
それだけ、讀賣が嫌われていた証明なんだろうな そして、讀賣のV逸が決まった瞬間、各マスコミは
肩身の狭い思いをしただろうなw あのイチローがカープ歴代最高の選手と絶賛した野村謙二郎がもうちょっと早く生まれていて86年に全盛期だったら
どんだけ強かったんだろうと夢想するわ
カープのガンはグラウンド外もふくめて間違いなく慶彦だったからな
見て見ぬふりをしてたチームリーダーのコージが自身の打点王争いを妨害した慶彦についにブチギレて
半殺しにしたけど小川が「シメるの遅すぎた」と言ってたわw せこい敬遠作戦頼んで首位打者になった山本肛痔恥ずかしい奴w >>586
浩二シンパが少ないのはそこに有るのかな。
衣笠は江夏とか慶彦とか面倒くさい連中とも仲良く出来る。 監督になっても星野のマネばかり。
肛痔に頭も人望も無い。 >>588
それだけに、衣笠さんの早すぎる逝去が惜しまれる >>586
温厚そうな山本浩二がブチギレるなんて
どんな酷い妨害したんだw >>579
日本シリーズでも健闘していたし、これで良かったんだよ >>573
打線の援護に恵まれなかったんだろうかね >>582
テレ朝は違った
あと前年ドラフトの件で「巨人に優勝させるな」的な風潮もかなり見られた 日本シリーズで西武の胴上げに広島ファンが帰れコールをして罵声を浴びせた。
それが呪いとなって広島は40年近く日本一から遠ざかってしまったというのは果たして
本当だろうか? >>595
テレビ朝日にとっては、讀賣がV逸というのは願ったり叶ったりだろうよ この年のセリーグMVPだった北別府学氏が死去
合掌… もうどうしたって巨人も広島も負けない。
最終盤の10月7日、神宮で槇原がブロハードに逆転2ランを喰らい、広島での中日戦では北別府が9回表無死1、3塁のピンチを一走ゲーリー?を牽制アウトにして勝利で趨勢が広島に傾いた。 その5日後の神宮では広島は初回長嶋清幸の満塁弾で2ケタ得点の楽勝。
最後9回のマウントは北別府は津田に譲った。
30何年かぶりに北別府ー津田の黄金リレーが復活! >>11
レイルウェイズって南海選手が3人しか入ってなかったのか… >>604
その3人て、門田、香川、どっちかの山内? >>605
>>11にも記載があるとおり、門田と山本、そして西川 >>601
クロマティが頭部死球食らって翌日代打満塁本塁打打ったな。 >>602
今頃は向こうの世界で2人で語り合っているのかも >>601
当時高校生で修学旅行前日がブロハード事件、落合退場
翌日パリーグ優勝決定
修学旅行から帰る前夜に広島の優勝決定
旅行中に落合2年連続の50号、大相撲パリ公演など
肝心の旅行自体はあまり覚えておらんw >>609
修学旅行中にドラフト会議 昼間やってたので大スポに載ってた
おお、わが南海 社会人ナンバーワンの田嶋じゃねえか!入ってくれるのか?なんて この年の11〜12月のスポーツ紙は連日落合ネタだったな この年、史上最高打率の三冠王バースを差し置いて北別府がMVPだったのは妥当なんだろうか。 三冠王獲れば自動MVPという流れに疑問符を打つ
風潮があった。パでもそうだったし >>613
妥当だと思う
投手部門での三冠だったわけだし あの年はセ・パとも優勝チームから年功的選考となって西武は最多勝の渡辺久信でなく石毛が受賞。 しかしこの年のバースの打率.389は
今に至るまでNPBの記録だからただの三冠王とは違う
後悔してる投票者もいるかも ただ優勝して最多勝で防御率1位でMVPに選ばれなかったら
逆にこれ以上を何をすればいいんだって話になっちゃう
そう考えると同じ条件で受賞できなかった吉見と斎藤雅樹は本当にかわいそうだった クロマティはその年の4月頃に「自分はまだMVP貰ったことがない、外人差別だ」とか
記者クラブで言ってたのが効いたかな?
ただ、クロマの88年までを見るとMVP貰っておかしくないシーズンって見当たらないけど。
一番近い86年は優勝してないから、貰えなくて当然 バースがもらってんだから 自分が嫌われてるだけちゃうんか 大谷を強豪チームで見たいと言うのが今の日米のファンの総意
落合を巨人に行かせろなんて話がまったくでなかった日本の野球界
日本の野球界は衰退しますわ 当時の落合が巨人に移籍したら中畑・篠塚・原の内の誰をベンチスタートにするのって話になるからな 大谷を強豪チームで見たいと言うのが今の日米のファンの総意
落合を巨人に行かせろなんて話がまったくでなかった日本の野球界
日本の野球界は衰退しますわ
数10年後見事に崩壊。 >>623
ファースト中畑、セカンド原、ショート篠塚、サード落合
でどう? 日米のファンの総意 大谷は強豪で人気あるチームに移籍してほしい
落合は人気があり金持ちチームに移籍しろなんて話が出ようものなら
ふざけるなが日本の野球界の総意
答え 日本の野球は衰退するわな。 ジャニーズ 性加害を60年も隠す
電通 東京五輪汚職でとんでもないことする
読売なんて可愛いものだと思うわ。 落合欲しいから白紙小切手で金銭トレード要求
なんて
どうして電通とジャニーズは叩かれないの? 巨人「落合が欲しいから、この紙に代わりに欲しい選手
書いて」
ロッテ「〇〇と、××と、▽▽と◇◇」
巨人球団職員「オーナー、こう希望してますが」
正力「うーむ、××は若いし痛いが、三冠王にかえられない、
よかろう」
巨人「オーナーが良いってよ」
これにて成立
って感じに速攻進めてたら、巨人獲れたんじゃない? >>630
その反動なのか、これまでにないほどにジャニーズが集中砲火を浴びている この年の日本シリーズでの広島の逆転V逸の原因は阿南監督の采配のまずさにある
シリーズにはラッキーボーイという運を持った選手が出てくるんだが阿南監督はそのラッキーボーイが誰なのかを見誤った
このシリーズのラッキーボーイは明らかに正田だった
ところが阿南監督はどうも長内をラッキーボーイと認識してたらしい
だから第5戦序盤でラッキーボーイの正田に代打長内という愚挙を犯してしまいチームの勢いを削いでしまった
また山本浩二への代走今井のタイミングも最悪
広島がこのシリーズ制することができるのはあのまま4勝1引分しかなかった
1敗した時点で西武に逆転優勝されることは事実上決まっていた
それだけに阿南監督のクソ采配が実に悔やまれる 「日本代表級投手陣」
もしも現代のように五輪やWBCといったプロ選手で日本代表を結成していたら、86年の広島投手陣からは何名のメンバーが選出されていただろうか。当時の広島には先発、中継ぎ、抑えと各部門で好投手が目白押しだった。だが打撃陣の方は新旧交代の時期に差し掛かっていて、
山本浩二と衣笠祥雄の長打力に頼るわけにもいかなくなってきていた。
11年間による長期政権を指揮した前任者・古葉竹識の後を継いだのは、守備走塁コーチの阿南準郎だった。古葉と阿南の関係は現役時代
からで、二遊間もしくは三遊間を組んでいただけでなく、姓名判断に出向いて改名を共にしたほどだった。75年からみっちり古葉野球を
学んでいただけではなく、近鉄でも現役晩年では三原脩の選手掌握術、コーチ時代は岩本堯の若手登用法を身に付けていた。
4月は13勝5敗1分けで首位、達川光男が4割を越える打率で首位打者だった。平均得点5.05の打線が活発で、29日の大洋戦では
21安打18得点を挙げていた。しかし山本浩の腰痛悪化と衣笠の大不振で7月からペースダウンすると、球宴明けの8月頭での巨人3連戦に
負け越して遂に首位の座を明け渡した。衣笠の打率もとうとう2割を切っていた頃で、8月27日には巨人と最大の5.5差をつけられる
状態にまで陥った。
チームの苦境を救ったのはやはり投手陣だった。エース北別府学は9月1日から閉幕まで7連勝、18勝で最多勝を獲った。左腕川口和久は
巨人・阪神のAクラス2球団から計9勝で3年ぶり2ケタ勝利、8年目の金石昭人は前半戦だけでリーグトップタイの9勝を挙げただけでなく
一番大事な最終盤で連続完封して初の2ケタとなる12勝、新人・長冨浩志は7月まで主に中抑えを中心とした救援だったが8月12日に
先発へ回って以来8連勝して10勝に乗せて新人王、他にも白武佳久に9月に復帰した大野豊も先発で貢献、救援でも川端順や抑え転向で
26SPの津田恒実と日本代表級投手が数多くいた。
古葉野球の継承ばかり言われがちな阿南だったが、投手陣の抜擢や配置転換だけでなく、打線でも長内孝と小早川毅彦の三番起用に高橋慶彦の
一番再配置など、他球団も含めたコーチ時代での勉強で得た手腕は確かなものだった。 (了) >>311
ちゅうてもこれは対等な関係だしな…上下でやるのは卑怯というのも加わるからな
暴力自体がいけないというのはともかく 西武の1試合6ホーマー
西岡がゴールデン獲ったのもこの年だっけ? 翌年 これじゃ「消えろプロ野球」じゃねえか!とキレてる同級生がいた