原辰徳80年代最強打者だった [転載禁止]©2ch.net
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ONのあとの巨人のプレッシャーでの通算成績は見事
もし他の選手が巨人の4番だったらプレッシャーで潰れていたことだろう
間違いなく80年代最強打者は原辰徳だ でもまあそんな経緯が落合が40過ぎまでバリバリやれた結果になるんだから
わかんないもんだ
原はその球児時代に足に骨が露出するほどの大怪我をして
それがプロで30過ぎに古傷として出てきて苦しみ急激に成績が劣化することになる >>597
孫が日ハムに指名されてクジが当たっただけで「人権蹂躙じゃ」とか喚くような身内贔屓が息子に劣悪な環境に置くかよ。
まして奥さんが妊娠中に不倫してて暴力団案件になってもいまだに読売で幅効かせてるってどんだけ恵まれた環境なんだ。 あんな昭和体罰爺でも孫には勝てんのだろう
不倫の件は選手時代の条件と全く関連無い
むしろ落合みたいに川崎のソープを毎晩ハシゴして離婚して
あげくお水のアゲマンのブス鬼嫁もらうくらいが野球選手にはちょうどいいのかもな 原が人気絶頂期の巨人軍のプレッシャーを浴びながら長年4番を張り続けたのは事実
甘やかされたおぼっちゃんでは不可能な偉業である 原が四番の頃は巨人の人気絶頂期じゃない。消費社会絶頂期。
高度経済成長の時分はみな歯を食いしばって働いていた。その後経済大国になって高度消費時代になった。
文藝春秋によると日本の最盛期は1983年。
高度経済成長時代はONに自分を仮託して息を飲んで見ていたが、四番原は打てなくても笑ってネタに出来る余裕のある時代になってた。 恥ずかしい無知さんに教えてあげるけど
1983年は
原・江川全盛期(巨人も優勝し3年目原も25歳でMVP・日本シリーズでは西武と世紀の大激戦で敗れる)
巨人戦の視聴率もテレビ放映史上で最も高かった年
(実はON時代ではない)
ある意味人気絶頂期だよ 83年のシーズン途中のテレビ中継映像を見ると
プロ3年目83年は.302の32本で山本浩二と4本差(プロ2年目の前年は掛布と2本差で本塁打タイトルを逃す)
解説の金田は「3冠も視野に入れてる選手だから〜」なんやかんやと解説してる
まあまだ25歳3年目で上位の年上の球聖打者たちをこれだけおびやかしてたわけだから
ちょっと間違えば凄い未来があったのかもしれないな
翌年からチームも3期連続V逸したりして4番叩き報道も加熱して伸び悩んだ気もする
それでも.285 35本くらいは打ってたが
今考えるといい数字だな 選手時代の苦労が、監督になってからは
生かされたのではないかという気もする。 本塁打王と40本塁打目前で津田との対戦で骨折、
タイトルのチャンスはめぐってこなかった。
原の結婚式は金田により激励会となった。 プレッシャーとか(笑)
原と落合比較するのもおかしいレベル差だが、明らかに技術の問題。 >>607
オールスターくらいまでは、HR王ねらえるかもって感じだったけど、
津田に粉砕される前に、たしか三塁守備で手首の辺りを怪我してるんだよね。
津田による粉砕も元を辿ると、その守備の怪我が引き金になったらしいから、
どのみちバースには勝てんかったと思う。
でも津田の粉砕がなければ、40本は超えたかも。
「津田の粉砕」と書いてはきたけど、
デッドボールとかじゃなくて、ファウルチップですけどね(´・ω・`) クジはずした大洋か広島入って気楽にやってたら+10本で毎年45本だっただろうな
落合どころか王並だな 当時知らない人に
当時の巨人戦または巨人というものの雰囲気を説明するのは難しいな
毎晩がWBCや日本シリーズみたいな感じというか
毎晩視聴率が25%超だったし(対大洋戦とかは幾分低かったが) 一家の大黒柱だった親父がナイターにチャンネルを合わせれば家族全員で見ていた時代に
毎打席注目され負ければ戦犯。凡退すればチャンスに弱い。ニヤニヤするな。と罵声を浴びせられ続けていた男
原ほど叩かれたわけではないのにあのパリーグを代表する4番の清原ですら精神が崩壊してしまった
落合や松井でも短期間しか耐えられなかった
原が並みの心臓のバッターだったら自死に追い込まれていただろう 原はカープにも指名されている。カープに入ってら浩二衣笠の薫陶よろしく、まして何のプレッシャーもなく、
津田に手首粉砕されることもなく、浩二の入団以来18年連続規定打席を軽く超えて20年連続は規定打席。
狭い広島市民球場のこと、当然毎年40本で王に肉薄したのは間違いないな。プレッシャーもなく2000打点は達成してる プロ野球史上、いや、日本スポーツ史上最もプレッシャーを浴び続けた男だろうな
そしてその中で一流といえる成績を残している 原さんはなにげに浩二と仲がいいんだよな
浩二は原さんのようなさわやかスポーツマンが大好きだからな
てことで右打ちを伝授されて年間15本は伸びる
ボールを怖がってたらキヌさんにどやされるし原さんの弱点のボールを怖がる癖も克服される
通算580本塁打くらいいっただろうな >>610
手首粉砕って有鈎骨骨折でしょ
今でも有鈎骨骨折で検索するとヤクルト小川とか中日高橋とかハム杉谷とか
ぞろぞろ出てくる
野球選手には普通の故障で骨折後タイトル取ってる人も多い
80年代だとロッテ西村90年代だと中村紀洋 衣笠に休むなと言われ浩二に右打ちを習ってたら2600年連続出場、3試合に1本で867本。
そうなったらあと1本だが記録のためとは言われたくないだろうから更に5年やって950本はいってたな。
浩二に読みも習って打率も毎年.330、
.320 950本 2300打点。
晩年数字が落ちたとしても楽勝だろう。 >>618
いくらネタスレとは言え、原ごときにサン付けして浩二を呼び捨てすな! おまえのネタレスがワザとらしすぎて
数字もデタラメでいっちゃんつまらん
まあ広島なら.320の38〜45本くらいは毎年打ててたんじゃねーの 初代応援歌のベース「エイトマン」は
殺人犯歌手のキャリアを代表する曲
関係者も考えろよ…
ところが二代目応援歌は
プロの作曲家が作成、
原岡崎の応援歌が神曲に 手首手首って、原はあの怪我以降も長く活躍してるし充分現役を全うしただろ
怪我で惜しまれるってのは吉村や桑田みたいな連中だろう 原さんは手首の怪我以降も長く活躍したが落合は持ち直さなかったね。
この点ひとつみても原さんの打撃技術のほうが上だとわかる
原さん>>>>>>>>落合 手首手首って
手首もそりゃ痛いが
その86年はオールスター(90試合前後)の時点で最終47本だったバースより本数打ってたと思う
その年やそれ以降の年は元々高校時代に酷使で痛めた脚の古傷とかで欠場もしたからな
春〜初夏と王が50本打った年とかとペースと変わらんのに
8月以降猛打の王と
オールスター明けの真夏8月に脚の不調でピタッと止まる&数試合欠場の原
その差だな 応援歌はキヨシのが完璧すぎて
(今だに全球団であれより上のは無いんじゃないか?)
当時はキヨシが一番人気の選手と思ってた人も多そう
当のキヨシもそう思ってたかもな
でもキヨシよ
あれは「応援歌が出来杉なだけだから」ww 阿部が原の382号に並んだけど
実働17年でようやくなんだよね
原は15年で達成してるしそう考えると原はかなり凄いよ
阿部は2001〜2005くらいまでラビットの恩恵受けてるしね 馬鹿はすぐ阿部すげえええええええええとか言い出すんだよね
でも現実はどうかって言われるとね
阿部程度じゃ原の影も踏めんよね 原は400本前後クラスの打者の中では本塁打率はかなり高いほうだからな
その周囲の打者はホームランを打つためには原より1、2打数多く必要とした 王、長嶋、原が巨人の選手ベスト3。
川上、原が巨人の監督ベスト3。
総合では原が巨人ナンバー1の人物。 昔の大学野球部はしごきがひどくて心身ともにボロボロになってたからな
200勝投手なんてほとんどいないだろ
プロに行くなら高卒か社内人経由がいいと昔からいわれている そんなの万年優勝狙いの高校だって一緒ですやん。KKだって結局あの様だったし。 いや、さすがに捕手の阿部を原と比較するのはどうかと思うが 巨人戦が娯楽の頂点だった頃の4番と野球を誰も見なくなった時代の選手を比較するのもどうかねぇ?
ONの亡霊にとりつかれたオッサンたちの目が厳しかった中での382本は実質500本くらいの価値がある。
阿部は凡退しても2ちゃんの実況でひ弱なオタクから「知ってた」とか書かれる程度。
背負ったものが違いすぎるよ。 ちなみに>>628さんは
公式通り「燃えろ〜キヨシ男なら」か
後楽園の「お〜まえが男なら」
どちら?
山倉に至ってはフルコーラス歌詞違うしな
メロディーに限って言うならやはり岡崎
その後の
落合清原松井はクソメロディーでガックリきた
岡崎の振り付けは今でもできる 広島に入団してたら3年で戦力外通告されたかもなど
練習や移動は大変だし >>639
昭和のオヤジどもは凶暴だからな
原の凡退に腹を立ててテレビを何台もぶっ壊したなんて例は腐るほど聞く
今みたいに温いファンしかいない時代なら通算で.320 850本は打ってたんじゃないかな >>640
本塁打王複数回に首位打者までとった松井に失礼過ぎるわ(笑)通算OPSからしても比較対象外。
無冠の由伸程度なら環境次第の打点王(まぐれ)一回の原と比較してもいいレベル。 >>640
由伸と松井秀なんて巨人の4番て呪縛無いから気楽だよ
そもそも同じ左でブサメンで天才てとこで掛布信者な松井秀に「巨人4番」の呪縛は元々無い
入団して今では「巨人てのは特別なチームなんですよ」と、ちょっと前に朝日新聞のインタビューで言ってたし
その大変さはわかったみたいだけど 俺が大学()なんて行ってもったいないと思ったのは江川と原
もちろん天才落合だって25まで大学〜プータロー〜ノンプロとやってたのはもったいない
高校の原は大谷みたいな方法で巨人は釣れたんじゃないのか?
したら77年からプロ入りで
最終黄金期〜衰退期の王(77年 37歳で.325 50本)とクリーンアップ張れたのに
江川同様、肉体としては大学時代が黄金期だったろうしな >>639
>ONの亡霊にとりつかれたオッサンたちの目が厳しかった中での382本は実質500本くらいの価値がある。
そのオッサンたちの若い頃の熱い期待を背負った王のHRは実質1200本、長島も600本の価値があるね。 川上とかはいたけど
どっちかつうと王と長島は切り拓いた側なんでノビノビやれたからね
西鉄とか鬼強くてまだ巨人が聖域ってほどでも無かったし 掛布が「吉村の怪我で原が徹底的にマークされて成績が下がった」とよく言っていたな。 六大学卒、生え抜き、イケメン、右打者、4番、サードだからまんまポスト長嶋だったからな
原でその系譜は途切れてしまったが 原にも中畑いたけどな
開幕から不振の84年巨人(広島が鬼強く最終3位)で
原にも26歳4年目ついに大スランプ来たがその年は中畑が31本もホームラン打って上行かれた
まあ秋山砲と違い中畑は中距離打者だからやっぱ違う気もするけど
吉村不在になった89年からは原自身もケガがちになって
1年トータルの成績残せんようになった
ほんとなら30歳迎えてこの3〜4年が脂乗った全盛期になるはずだったんだが原(と清原は) 清原には秋山に加えて石毛がいたからな
中畑篠塚松本山倉河埜は80年代中〜後期には姿を消して、台頭してきたのが吉村駒田村田川相か
外国人はクロウの後もブラッドリーモスビーバーフィールドとそれなりのがいたけど、小粒になったかな 原には長嶋の勝負強さと王の長打力の両方を求められたから酷だった。 4番の成績に大きく影響するのは5番の実力でしょ。
だから清原はデストラーデ。
いなくなったら平凡な成績になったでしょ。
原も吉村が元気だったころは数字はよかった。
もちろんそれがすべてとは言わないが。 ブラッドリー、モスビー、バーフィールドなんか巨人じゃ大当たりのレベルだもんなぁ(´・ω・`) 本当にそんな時期があったんかい
匹敵する成績を残した頃もあったけど、
キャリアが違うやんなぁ(´・ω・`) 巨人は、団塊の世代の打者がいないんだな。他球団なら、山本浩二、衣笠、若松、谷沢、大島、藤田平、福本、加藤英、門田、有藤・・・
原は、身近に手本や目標にする選手がいなかったのも、ある意味不幸だったかも? でも、だからこそ登場したときは盛り上がったけどな
王がもうダメだってなった80年代に原中畑篠塚松本山倉江川西本鹿取角が台頭してニューヒーローって感じだったし、少し上には加藤初河埜がいた
80年代の中盤以降はクロウの後釜外国人や吉村のケガなんかで三本柱や宮本達の台頭と比べて投打のバランスが悪かったかも さらには
江川や古くは湯口事件で付いたダーティーな巨人イメージを払拭する事も求められたからな 阿部がもうすぐ2000本安打か。
巨人一筋で達成したとなると柴田勲以来になるな。
川上、長嶋、王、柴田、阿部の5人になるのか。 王は衰えた頃に原が現れて、原が衰えた時には松井秀喜が現れた
原の周りは中畑篠塚松本山倉が固めて、松井秀喜の下には仁志二岡清水由伸阿部が集まった
阿部の場合はそういうのいないよな、由伸もだけど
下が坂本長野くらいしか定着してない >>662
団塊の世代の名球会クラスの打者がいたら……落合の存在で松井が成長したように原も成績を伸ばしたかも。
あの当時、各球団に名球会の大御所がどこの球団にいたよな。堀内はもうボロボロだったし。 王はあと1〜2年、現役を続けて
原に薫陶を授けてくれても良かったかもなぁ(´・ω・`) 原は四番タイプではないな。
三番原、四番吉村、五番クロマティがベストだと思う。 巨人軍には何人たりとも犯すことのできない聖域がある。
その聖域で1000試合以上務め上げたのは歴代4人しかいない。
川上、長嶋、王、原だ。そのレジェンドをつかまえて4番タイプではないとか冗談は顔だけにしてもらいたい。 当時の巨人で四番をはれたのは、
あえて言えばクロマティかも知れん。
それを除けば、結局は原だったと思う。
ある意味で「四番は原以外にはあり得ない」とも言える。
裏を返すと原以外に四番を打てそうな奴なんておらんかった(´・ω・`) 原は高卒でプロ入りして
晩年の最後の黄金期
その年50本打った王37歳の77年に入団してれば一緒にやれたのにな
大卒で入った初年度81年のプロ5年目なんてもう35〜45本くらい打ってたかもしれない
プロ2年目の82年には33本打ったし(掛布と2本差で涙) 巨人の4番は打撃技術だけではない。常人離れした強力なメンタルがないと続かない。
原以降、数々の強打者が4番に座ったがどれも長続きしなかった。
その時点で原には遠く及ばないんだよ。 893に一億払って平気な顔して野球してるもんなメンタル強いわ 王とは別で良かったよ
伊東キャンプのメンバーに囲まれて出てきたから当時は新生って感じでカッコ良かったんだから
江川だって叩いてたのはオッサンとマスコミくらいでガキだった俺の周りじゃ人気だったしな >>672
解説江川が「三番・原」説を唱えていたが、当時友達と五番じゃないかって言い合ってた。
打率低いしね。
三番四番は吉村クロマティで五番・原ってのがいいのではないかと >>678
オレちょうどその女と揉めてる頃ホテルでサインもらったんだけど、もう爽やかな若大将そのものでね、
掛布はイヤイヤながら、落合なんか近づけないってな感じだったんだけど、やっぱ原って凄えんだなって思った結果これだもの。
役者が違うわ。 原自身が「俺が4番ではなく6番くらいを打つチームなら強くなるよ」と言っていたなw >>686
普段、出入りしていないと分からんだろうけど、
モ娘板とは名前だけで、実質的にはVIPとかと空気は同じなんよ >>678
紹介したのはキヨシ
原は脅されて払ったアホなだけで付き合いは無い >>681
そいつらは3番5番で気楽だから率が高いだけだよ
毎月安打3本多く打ってそれを半年のペナント6ヶ月だと4分くらい打率上がるし
まあクロウレベルだと規定達して4割だった選手だから段違いはあるけど 要は
クジはずした大洋広島行ってたら原は毎年.308〜347
たったペナント半年間毎月3本の安打足しただけでこれだ
これでも控えめな試算やで 阿部が2000本打ったけど考えてみれば現代は143試合と原の現役時代に比べて
1割も試合数が多いんだよね
しかも2000本打つのに17年もかかってる
原は実働15年で1675安打だから現代なら余裕で2000安打は打っていただろうね
ホームラン率も原の方が圧倒的に上だし
打者としては原と阿部なんて比べ物にならんだろ >>692
そういうこと
.巨人だとエースぶつけられ〜の
毎試合が今のWBC並の注目度だった毎夜のナイター中継
毎月3本安打を引き、毎月1〜2本の本塁打を引くだけで
巨人での原の安定はしてるがあの無難な成績になる
しかし大洋やハムや広島の他所なら.325 40本以上になるからな毎年 今の巨人なんて優勝争いとは無縁の雑魚チームになり下がってるから
原の頃でいえば大洋ヤクルトレベルの注目度しかないだろ
そんな雑魚チームでぬくぬくとやってる阿部と巨人全盛期の原を比較する意味はないわな 92年までがピーク
つまり長嶋茂雄に干された訳だ
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