1976年のプロ野球 [転載禁止]©2ch.net
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>>324
287: 神様仏様名無し様 [sage] 2019/11/26(火) 06:53:26.52 ID:M568XXbA
ハウスのたまご麺と叶和貴子の乳首
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1567397750/287 >>323
藤波と太平洋クラブの基とのトレード話が藤波がゴネてボツになったのと合わせ技もあるしな 稲葉は少年ジャンプの「トイレット博士」(作者が中日ファン)という漫画で
稲葉のドロップ、とかいって登場してたけど
俺が野球を観始めた頃にはほとんど見たことなくて
中日の先発は星野、三沢、堂上、松本という感じだった
島谷も普通の6番打者というイメージで、まさかここまで明暗別れるトレードになるとは
思わなかったよ デービスって創価信者で、、ところかまわずお題目を唱えるので
選手が辟易して、とうとうウォーリーがやめてくれと申し渡したw 昭和52年だったかな
東京のテレビ局で、夜6時頃に「奥さまは魔女」の再放送をやっていて
タバサ誕生の話の回だったかもしれないが(記憶があいまい)
サマンサが「今、ウィリー・デービスが満塁ホームランを打った」と
驚いているシーンがあった
それを見て、「そのウィリー・デービスはいま日本にいるよ」と思った記憶がある 昭和52年の中日は、開幕当初は森本をスタメンで使っているし、戸田はローテーション
に入っている。森本と戸田は「即戦力のベテラン」として期待が高かったということだろう。
だが、森本は不振ですぐに使われなくなって、代わりに大島が主力打者として定着した。
中日にとって、大島がレギュラーの主軸になったことが、このトレードの最大の成果だと思う。 トレードの失敗をいろいろ言われるけど、この76年より77年の方が
ドラゴンズの成績自体はずっとよくなってるんだよね。確かに優勝争いから
まるで縁遠かったけど。 >>332
一見失敗でも代わりの選手が台頭すれば良いんだよね
そういう点で落合のトレードはロッテ側が失敗だった
落合がいなくなって四番不在で苦しんだからね
中日側は牛島上川の穴は楽に埋まった >>333
マーチンの奇行で選手が参っていたからオールスター明けまで最下位争い
8月にマーチンが怪我で戦線離脱してからチームが上向きになった >>335
マーチンじゃなくてウィリー・デービスな。マーチンはデービスにパシり扱いされてて
8月まで成績が低迷してた あとで思えばこの年のトピックスはシーズン途中に廣岡がヤクルトの監督に昇格したことか
当初ヤクルトは監督荒川、コーチ廣岡、小森、沼澤の早大OBカルテットで首脳陣を組んだが
いずれも一か権ある連中なので不協和音で崩壊をきたし、この年は廣岡しか残らなかった。 >>339
最初、広岡に監督要請したが、コーチなら引き受けるが監督なら受けないと
言うことで荒川監督、広岡コーチになった デービスは天才でしか言えない名言残した
「相手が150キロで投げてきたら、160キロで打ち返せばよろしい」
「寒ければ1枚余計に着ればよい。何事も自然に逆らってはいけない」 >>334
あのトレードは「落合放出ありき」だったからね 太平洋の監督の座をおわれた江藤を一選手として引き受けたカネやん。
この時のことがあったからノムさんの時も同じことをしたのかな。
監督経験者が選手として自分の指揮下にいるなんてすごくやりにくいと思うけど
唯我独尊のカネやんだから出来た事か。 江藤監督率いるライオンズ山賊打線をもう一年見たかったな
土井、江藤、白が加入して、強力打線になったし、チームも3位に浮上した
後任の亀頭監督は地味だったし、チームも弱くなった その前にMLBの名将ドローチャー監督の招聘を発表したが70代で風邪を理由に来日する事無く鬼頭ヘッドコーチが
監督就任。
地味で勝てなかった鬼頭さんだったが、亡くなるまで福岡に定住して地元の大学で指導していた。 ビュフォード、加藤初といった投打の核を失い、他にも伊原、梅田、加藤博一らも移籍して
代わりに来たのが故障持ちだった関本とかでは手のつけようが無かったのでは このシーズンから、何故か甲子園の
ラッキーゾーンが拡張され、より外野が
狭くなった
何故? 誰の指示?(-_-;) 田淵だけでなく掛布も成長してきたし
ホムーラン増やしたかったんだろ
佐野が八番打つような重量打線だったが
違う意味でも重量打線で阪神部屋化していった >>345
話題作りの面があると思う
その前にも引退していた城之内を復帰させたりしたし
名のある選手集めて注目集めようと 金田監督は、日本ハムを自由契約になった高橋博士を獲得して再生させたし、南海を
追われた野村も受け入れた。
ワンマンで短気な金田監督だが、度量の広いところもあると思う。
もちろん、話題作りというねらいもあるが、なかなか他の監督には真似できないだろう。 >>353
小林至も「自分がプロになれたのは金田さんのおかげです」と言ってたね
もちろん「東大出身プロ野球選手」ってのも話題になるからだろうけど 野村再生工場に負けず金田再生球場もなかなかで。翌年中日を自由契約になってた末永内野手も。 ロッテはこの年はメジャーのブリュワーズで主砲だったブリッグス(メジャー通算139発)を獲得したものの
シーズン中の調整法を巡って金やんと対立し(例によってひたすら走れ指導)、
前期限りで退団。翌年にレロン・リーが来るまでラフィーバーをまた選手登録して
何とか場を繋いでた この年人工芝になった後楽園で中日は巨人に0勝12敗1分と翌年7月まで全く勝てなかった。シーズン前の日本ハムとのオープン戦や、セ・リーグトーナメント大会では優勝までしていたのに。
その最初の試合、まだ平日だった5月4日のデーゲーム、セカンドレギュラーの高木守道は過去に堀内から2度頭部死球を受けていたせいか、時折むち打ちを発症して、この時も前カードのヤクルト戦から欠場していた。
で、本職サードの島谷がセカンドに付いたが、雨上がりの人工芝は不慣れだったのか3エラーでチームも大敗。
ここからケチが付いて後楽園で19連敗もしてしまった。 >>353
1シーズンのみというのもあるけど、野村克也のロッテ時代の
映像や写真はあまり残ってないみたいだ
エピソードも聞いたことがないな 11月2日火曜日に足立投手の力投で第7戦に敗れた巨人だったが、11月4日木曜日の夜に日テレで「長嶋巨人優勝おめでとう」番組が有った。
シーズンのハイライトのナレーションは宍戸錠さんで、0―7から大逆転サヨナラのシリーズ第6戦は吉田アナのナレーション。
テープレコーダーに録音するのが精一杯だったけど、何度も聴いて今も頭の中に残ってる。錠さん有難う! 訂正
日本シリーズの方は福留アナでした。
ズームイン朝は始まる3年前。徳光アナは「噂のチャンネル」に出てた。
山城新伍とせんだみつおが変なギャグをやってたけど、山城はTBSで野球選手役のシリアスな1回限りのドラマの主演をやってた。当時解説の牧野茂氏がちょい役のコーチで出演。 1976年日本シリーズ第6戦の日テレの実況を某動画サイトで拝見した
巨人がサヨナラ勝ちした時のアナウンサーの実況が観客の声に
かき消されて全く聞き取れず
今では考えられない出来事だけど、やっぱり今と比べて中継技術が未熟だったのか? シリーズ第7戦、森本の逆転2ランが飛び出した時の
阪急ベンチの面々の嬉しそうな顔は忘れ難い 阪急としては6度目の挑戦で巨人に勝てたからそりゃ嬉しいだろう
山田の話だとONが揃ってるのと王さんしかいないのとでは重圧がちがってたそうだが 阪神が対巨人との順位の競り合いにガチでやって勝てなくなったのはこの年から
73はわざと負けたヤオだし、それ以前は競り合いすら少なく、勝ったりもしていた >>365
マークすべき人間が1人か2人かでは
投手にとってはえらい違いだからね >>369
その代わりに獲ったのが張本だったわけだが
阪急の側からすれば、どんなに好成績だったとしても
自分たちに歯が立たなかった東映の主砲だった選手と言う事で
気後れするようなことは無かったかもね >>370
そういうのはあるだろうね
1988年日本シリーズでは中日は第一戦と第五戦で小野-大石のバッテリーを先発させたが
西武からすりゃ「実力不足でうちを追い出された連中じゃん」みたいな感覚でいられたと思う >>368
単に最終戦甲子園でやって収益上げたかっただけだろ。
優勝グッズも作ってたのにわざと負けるとかありえない。
そういうセコいこと考えるから全ておじゃんになるんだよ。
日本昔ばなしの大きいつづらと小さいつづらの話と同じ。 阪神は結構雑な経営していたり大阪讀賣の土地をめぐる取引に関与していて大蔵省に頭が上がらない
んで読売は大蔵省の幹部天下りさせてるから何かやれば大蔵省回すと脅されて巨人には勝てないらしいな
星野のときは政治家が後ろにいたが05は村上ファンドがすぐでてきたよな?そういうこと ライバル路線を演出してるものの、実際は巨人に追随する姿勢なのは
2リーグ制誕生経緯からして一貫してる
人気面で考えれば大英断だったが、そのせいで毎日から選手を大量に引き抜かれ
内紛劇や関西メディア、タニマチとの過度な密接関係も板についてしまった 地元の野球好きがタニマチならまだましだと思うんだよな
巨人の方は政界や大蔵省が中心でそれを利用してくるからかなり悪辣なのになぜか悪く言われるのは阪神側
やはり勝てば官軍なんだろうか >>376
そうじゃなくてそれが選手に悪影響を与える上に選手が勘違いして
増長する上に野球でダメになるのが阪神だから、ですよ
もし読売の選手がそうなってたら途轍もなく叩かれるわ 何かコロナでアタマやられたクズどもが騒いでるな(笑)
5月29日は「クレージーライト」が来日初登板初勝利。7月の川崎で降板命令に怒って何と伝統の巨人のユニフォームを破っちゃった(笑)
日本シリーズでは山田からホームランまで打ってたが、最終戦7回表に森本に痛恨の逆転2ランを喫した。
森本はその6日後に中日の島谷、稲葉らと大型トレードに。
翌77年は開幕戦が巨人−中日でライトは2戦目に先発。移籍早々の森本はこの試合でもライトから7回表に2ランを放ったが、この試合は中日が大敗で焼け石に水のホームランだった。
そういや一緒にトレードの大石が先発してライトに逆転2ランだったかな。 巨人、本日神宮のデーゲーム12―0大勝。
巨人の神宮デーゲーム勝利は76年開幕2戦目4月4日以来44年ぶり。昨日まで8連敗していた。
前年最下位で前日の開幕戦は5点リードを守れずドロー。
この日は序盤ヤクルト安田を攻略してリードするも先発新浦が5回投げ切れなかったが、阪急から移籍した水谷が好リリーフで白星、前年最下位からの優勝へ希望の1勝になった。
水谷はこの1勝限りで翌年阪急に戻った。 巨人はこの年球団史上2位、3位の14連勝と13連勝を成し遂げたが、連敗も長かった。
13連勝が9月4日に止まるとそこから5連敗。やっと9月16日に加藤初が阪神に完投勝利で連敗ストップ。
この日のTBSラジオの解説は本来はRKB所属の稲尾和久氏で、奇しくもライオンズ時代の教え子の加藤を解説していた。
稲尾さんも加藤も、そしてTBSラジオエキサイトナイターもあの世の存在になってしまったが。 >>351
そのカネやんの発想力、後年の「テレビじゃ見れない川崎劇場」にも
活かされていたのかも 巨人のレフトからコンバートされたサード高田繁がカッコ良かったな 三塁手高田って違和感があったな
やはりレフト高田だろ 張本の凄さを思い知った76だった
内角低めギリギリでも完全に振り抜いていたからね
打撃のレベルが段違いだった
セリーグの投手が貧相に見えたし
日本のプロ野球に置いておくのはもったいないと感じたほど
若い頃いたらどうなっていたんだろう
イチローとよく比較されるが
三冠王とった時のバースに近かったよ 大下 ハリー 大杉
それぞれ弱いチームを優勝に導いた
映画のなかのジャイアンたち >>213
確かデーゲームだったかな
田渕のヘルメットが真っ二つに割れ、気絶してタンカで運ばれた
若い新浦の速球だったから余計背筋が凍った
その後動揺して全くストライクが入らなかった
長島さんは即刻交代させるべきだった
田渕は避けるのが下手だ
気絶したの2回目だった 阪急の日本シリーズのエースは足立だ
米田梶本石井茂夫山田山口でもない足立だ
9回に三者連続ピッチャーゴロは芸術的でアッパレだ
狙ってもなかなか出来ない
三者連続三振よりピッチャーゴロは悔しいね
バッターは計算されたピッチャーゴロでおちょくられてる見たいで 今NHK「おちょやんSP」でトータス松本がミス花子の「河内のオッサンの歌」。
「嗚呼、花の応援団」も「南河内大学」だったし、こういう泥臭い歌をまた聴きたい。どちらも76年の曲。
それにしても大阪なんか知らない田舎の中学生には、河内とか言うオッソロシイ土地のイメージを十二分に叩き込んでくれた。
さっきラジオで金村が藤井寺球場をボロカスに言ってたけど、それよりまだ前の時代。 「歓喜の雪辱」
春季キャンプ打ち上げ前日の事だった。この76年に二軍監督から一軍打撃コーチへと肩書を替えた国松彰ら5人のノッカーが、守備練習と題して
野手一人当たり約300本、計5千本以上のノックを浴びせた。前年リーグワーストの失策数を記録した巨人、長島茂雄監督のキャンプと言えば79年
秋の伊東キャンプだが、76年春も凄かったのだ。ノッカーの一人だったスカウトの内堀保は「茂林寺の千本ノックより激しかった」とプロ野球創成期の
猛練習を引き合いに振り返ったが、張本勲らの大補強といい猛練習といい、前年球団史上初の最下位という屈辱にまみれた長島も必死だった。
張本の左翼固定により外野から押し出された高田繁は、三塁へ“ウルトラコンバート”された。淡口憲治の台頭もあり張本加入前から決めていたという
長島の体当たり策にも、高田は意図を察したのか「ここで駄目なら戻る場所はないと思った」と三塁守備に果敢な挑戦をして、近年落ちていた打力の
向上にも懸命に取り組んだ。
加入の張本と、完全に前年からの脚の故障が癒えた王貞治の三・四番を組んだ打線で、開幕6戦目から9戦連続初回得点という好調ぶりで4月を
勝ち越して発進すると、5月には小林繁、堀内恒夫、新浦寿夫の先発陣にリリーフ役の加藤初といった投手陣の活躍で14連勝して、4月11連勝の
阪神を抜き去った。5月29日には米メジャー100勝投手クライド・ライトが初登板で初勝利を挙げて、先発4本柱が確立した。
球宴前に追走する阪神に首位を奪われ8厘差で2位ターンしたが、7月末の敵地甲子園での直接対決3連戦の初戦の延長10回に代打・山本功児が
決勝打を打って奪首した。2戦目も吉田孝司の4打点と王の2発などで快勝、3戦目も土壇場最終回に抑えの山本和行を打って逆転勝ちして宿敵に
3連勝した後は、8月に7連敗した危機もあったが直後の13連勝と同時期に阪神も9連敗した事があり、最後までトップを譲らず10月16日の130
試合目に前年屈辱の相手である広島に敵地で勝ち、メジャーでも前例がない史上初の同一監督による前年最下位からの優勝を果たした。
8月末に出たマジック減らしと700号そしてベーブ・ルースの714号を目指す王の本塁打記録で集中力を切らさなかった事もあって、9月以降
7連勝と2度の6連勝で猛追の阪神をかわす事が出来た。
この年から3億円をかけて施工され日本初となる人工芝が敷かれた後楽園で36勝16敗5分けで7割弱の高勝率、V9時代にも無かった年間2度の
10連勝以上という見事なシーズンだった76年は長島にとっても、高田のコンバート、大胆なトレード、キャンプの猛練習、選手起用と01年までの
通算15年での監督生活の中でも最も輝いた年だったといえた。 (了) 田渕の頭にぶつけたの、日付わかりませんか?確か平日のデーゲームだったと思う。学校から帰って見た記憶がある
ヘルメットが真っ二つに割れて田渕意識不明!新浦は動揺してストライクが入らす…
長嶋監督は即刻交代しなかった
>>213
> 10月の巨人阪神5連戦。
> 4戦目、5戦目は甲子園。阪神連勝。胴上げ阻止。新浦が田淵の頭にぶつける。 長嶋の後釜のサードは富田だと思っていたけど、伸びなかったね
張本は試合の後半でベンチに下がるので、高田が守備固めでサードからレフトに回っていた
サードは山本和生が守っていたな >>392
セゲヲは3年後の西本が衣笠にデッドボールを与えて乱闘騒ぎになり、完全に西本が動揺している状態なのに放置プレイだったなあ。挙句、試合後、宿舎で西本はセゲヲにボコボコにされる。西本は愛の鞭としてうけとったが、今だったら完全なパワハラ行為だな。 セゲヲに他人の気持ちを思いやれる能力など
あるわけないw >>394
>>392
新浦にせよ、西本にせよ普通の監督や、投手出身者の監督ならマウンドに行くだろう
直ぐに交代するよ!!
特に新浦の場合は交代だよ…王野村克也川上藤田
そーゆところに全く気が回らないパッパラパー >>11
村上ファンドのオッサンでもスタメン暗記してた時代だからな
関西の小学生が熱狂した1年 >>391
またライター気取りの馬鹿か
みんなスルーしてるのがわからんのか >>391
またライター気取りの馬鹿か
みんなスルーしてるのがわからんのか >>398-399
とっても大事なことだから、1回だけでは気が済まずに
2回も書いてしまったわけですねw 巨人のライトが降板させられて
ユニフォームビリビリに破いたとき、
長嶋監督は「ナイスファイト」とか言ってたな。 ライトはレフトが張本でなければもっと勝ってただろうな >>402
2年後にシピンが大洋の誰かはわすれたが、デッドボールを喰らった時に、その投手に暴行を行なった時も、「ナイスファイト」と言ってた。 ライトは気が短くて喧嘩早かった
でも、奥さんはかなりの恐妻で、ライトは奥さんには頭が上がらなかったらしい
ライトが先発の日、奥さんが観戦に来ていたことがあった ライトの投球の癖は阪急に見抜かれていて
森本の2ランは完全にカーブと分かって打ちに行った >>26
島谷、稲葉を出したそのトレードは中日の大損だった >>403
チョンハリは「守備でも安打製造機」だったからなw >>409
自分も当時、これは阪急が一方的に得なトレードだと思った
だが、当時は「森本は島谷や大島より守備が上」「気が弱い稲葉より図太い戸田のほうが
使いやすい」などと、中日が得なトレードのように言われていた 戸田はこの年キャリアハイの12勝を挙げていたし
森本は日本一を決める逆転2ランを打ってたし
阪急思い切った事するなあ、とは思った
日本シリーズ前にもうトレードは決まってたようだけど >>411
大島はともかく、森本と島谷の守備力は特に変わらないと思うし
阪急時代の稲葉の投球を見てると、どこが気弱?とも思う
そう言う事を言ってたのは中日系のマスコミや評論家だろうか 「寄せ集めチーム」
張本勲が日本ハムから巨人へトレードされたのは75年オフだが、日本ハムは前年に大杉勝男、白仁天、大下剛史を放出していて、張本トレードは
「最後の大物、ついに」と言われた。73年11月から球団社長の座に就いていた三原脩が「東映色一掃」へ躍起になっていた事も事実で、2年連続
最下位監督だった娘婿の中西太をやむなく解任して76年に大沢啓二を据えたのも、表向きではロッテ監督時代の若手育成と退任後の解説ぶりを
評価してという理由だったが、加えて主力野手を大量放出して守りを強化するという面に期待していたからだった。
三原−大沢体制となった日本ハムのチーム大改造は、5件のトレードとなって表れた。張本との交換で高橋一三と富田勝、阪神からは南海時代に
2ケタ勝利4回の元メジャー・村上雅則と守備の巧い後藤和昭、近鉄からは7年前の首位打者・永淵洋三と内外野が守れる服部敏和、中日からは
星野仙一らと先発の柱として働いた渋谷幸春、大洋からは17年間で164勝の実力派・坂井勝二を獲得して活性化を図った。
「ヤンキースのような都会的なチーム」を目指す三原の方針で前年も14選手が新顔だったが、大沢が加わった76年は59選手中で移籍12、新人8
、新外国人2と計22人が新顔だった。大沢はロッテ時代に58選手中24人の新顔という改革に着手していたが、その手腕をロッテオーナー時代に
買っていて太平洋クラブオーナーに転じていた中村長芳が、そもそも先に太平洋監督のオファーを大沢にしていた。しかし具体的な要請だった
三原の日本ハム入りを決めた大沢、最初の仕事は戦力大改造だった。
東映および日拓時代を知る主力が数えるほどになった“寄せ集めチーム”だが、4月に王者阪急を3タテした以外の見せ場が無く前期4位、後期5位
の年間5位に終わった。鳴門キャンプから怪我人が続出して大沢も「ここは野戦病院か」と言うほど、ウォルター・ウィリアムスとボビー・ミッチェルの
新外国人が打線を支える状態で高橋直樹、野村収、高橋一が2ケタ勝利を挙げたが、3人とも白星を黒星が上回っていた。高橋一が「巨人で控えの
富田が三番を打つようなチームで大丈夫だろうかと思った」と回想したように選手層が薄く、勝てる体質になるための競争意識もまだ薄かった。 (了) 東映っぽくなかった高橋直樹だけが残った
と思ったら東映っぽい江夏と最後はトレード >>416
確かに、守りの強化という点ではチョンハリの放出は理にかなっているよな
何せ、「守備でも安打製造機」だからw >>416
またお前か
何が「了」だライター気取りの勘違い馬鹿 >>416
ウザいししつこいんだよお前
百歩譲ってお前がこのスレ立てたなら我慢するが違うだろ そもそも「了」ってw
このスレで前に同様の長文があって、
続きものみたいに書き込んでいたならともかく、
単発の長文なのに「了」www >>416
おうちでおかあさんにみせて
ほめてもらいましょうね パリーグは前年からDH制になって張本もDHで出場していた。
だから、守備を気にする必要はもうなかったはず。
それでも日本ハムが張本を出したのは、そのトラブルメーカーの気質を嫌ったのだと思う。
張本が巨人に来たとき、「あんなトラブルメーカーを入れて大丈夫か?」と言われた。 弱いチームの牢名主みたいな存在になってたんだろうな、ハリー
子分たちも皆放出されて、外堀を埋められたところで最後の仕上げをされたか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています