1991年のプロ野球 Part.2©2ch.net
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>>86
青田は同時に三冠王の可能性について「清原はPL出身で素直だからチャンスにきっちりセンター前に合わせるから三つは取りにくいんと違うか」とか言ってたね 清原は5月初旬に手首痛めてから、それを庇いながら試合に出てたら本格的にバッティングがおかしくなった印象
さらに秋山が絶好調で前の打者が打ちまくってるのを見た後に打席に立つのも力みに繋がったのだろう >>665
生放送中のスポーツTODAYでこの模様が映し出され、
青田、豊田両氏とも
「なぜ今日放送するのかね」
「あっちは録画なんだから別々の日に放送してほしかった」
司会の土居アナとダンカン
「さすがに放送被りはまずいですよ」
「フジテレビって何も考えてないんでしょ」
「あそこは馬鹿か常識外れの集まりですからね」
月曜スポーツ討論会後半はブッキングさせたフジテレビを批判する内容となり、翌週冒頭で土居アナが発言等を謝罪していたが、
本来、月曜は青田と豊田がレギュラー出演すると知りつつ、
わざと?ブッキングさせたフジが謝罪すべきだっただろう 高校からそのまま行ってたら結構違う結果になった気もするがなぁ 単純に一年無駄にしたということではなくて、戦力にはなったけど組織に属してない状態で楽を覚えてしまって、実際に巨人にいる時に練習量が少なかったのかしっかりやってたのかは知らないけど、典型的な常にその楽が頭にちらついて踏ん張りが聞かないみたいになっちゃってたように思える スイングしたりノック受けたりと行動としてはやってても、それら練習を始めてから早い段階で気が抜けるようになっちゃってあまり身にならないようになってしまったんではないかと ドラフト拒否して社会人に行くならまだしも、大事な時期にどこにも属さず浪人すると大成しないモデルケースみたいに思っていたけど
後年の菅野は大投手になったから結局は本人次第か それは投手野手の違いもあるし、もっと大きいのは年齢でしょうな🤔厳しくやらされてた18歳をいきなりフリーダムにしたらそれはなかなか難しい もちろんその本人次第ってのが第一ではあるだろうけど ダンカンは青田、豊田にもどんどん突っ込むのが良かった。
この年のオフだと思ったけど、清原が減量に成功というニュースを受けて、
青田が「清原はふっくらしてる方がいい」とか、普段と反対のことを言って
減量に成功した清原を貶した。それに対してダンカンが
「ふっくらしてるならしてるで、青田さんまた何か文句言うじゃないですか!」
思わず「よく言った!」と思った。 >>674
ああ、確かに年齢の違いは大きいかもしれないなあ
18歳で発展途上な身体と大卒では体作りの完成度が違うだろうし >>662
オレと同士が居るのは嬉しい、井上昌己さんの曲使われたのは1989〜1991で
高校在学丸被りでした。
平成なってから熱闘甲子園のスポンサーがコカコーラなって浜田麻里さんの
Precious summerが流れてた。
春の選抜では関西の女子高生からセブンティーンリポーターの応募多かったらしいね、藤原紀香は知ってるけど谷口真由美が出てたのは知らなかった。
確かに可愛い子が居て見るのワクワクしました、年下だけど宇都宮まきは覚えてる。 >>678
熱闘甲子園は未しも球春選抜甲子園は緩い作りやったね。正味30分程度の中身を無駄に1時間も取ってたから。
昔のABCは高校野球に力入れてたから
甲子園への道→青春甲子園→熱闘甲子園→思い出甲子園の流れで選手権終わりの三国親善も追っかけと中継してたなあ。今のU18。
この頃はオッサンテレビも兵庫大会を早い段階から明石球場から中継してたりと楽しみだった。 >>679
兵庫大会はベスト8からサンテレビでやって
大阪大会はABC朝日放送やってました。
夏は7月23日ぐらいからかなあ、速報!甲子園への道が始まるのが楽しみだった。
全国地方予選の試合映るのが高校野球ならではでしたね。 18歳の伸び盛りをハワイで草野球に甘んじていた代償は大きかったね
ダイエーに入っていれば、黄金期ホークスの一員になれただろう サンテレビは3回戦ぐらいからやってて運が良ければテレビに出られた
ワシの学校も3回戦が中継され普段部員を怒鳴りまくってた監督が
箕島の尾藤監督を意識して終始スマイルだったのはワロタ ABCラジオ聞きながら運輸やってるけど
武田和歌子アナが第何回大会の時に出場された
○○高校の主将だった人に電話繋いで
その時のエピソード聞くのがめちゃくちゃ好き。
選抜は三田学園と広陵の再試合なった時の
選手に当時の体験談聞いてたの覚えてる。
岡本って近鉄入団しましたね。 >>681
ダイエーが花開くのは90年代の終わりだからなあ
そこまで10年近く元木が地道にコツコツと野球に取り組んだか疑わしい
秋山や工藤が移籍してぬるま湯体質に愕然としたそうだし >>678
ふーん 宇都宮まきがね
若い頃は間違いなく新喜劇史上ナンバーワンのルックスだったが >>681
それもこれも、大森(元讀賣)がワガママ言い出したせいよ 元木1位指名のドラフト会議後の巨人の新入団選手発表会見で
藤田監督が元木と握手をした時の感想を聞かれ「柔らかい手をしている」とコメントしていた。
一部のメディアが 柔らかい手=練習(素振り)不足 と捉えて報じていたのを覚えている。
元木のハワイ滞在に際し、彼の世話人として
杉浦正胤という人物が度々メディアに採り上げられていたのも覚えている。
いずれも1990年の話なのでスレ違いか・・・ >>689
「あぶさん」に出てたあの胡散臭い野郎はこいつだったかと得心 ドラフトの1年以上前から巨人は大森に1位指名を確約していたのに
その履行を求めるのがワガママなのかな しかしまあ、その大森も飼い殺しで大成しないところが
当時の巨人の迷走っぷりを表してる
ポスト原の4番育成にどこまで本気だったのか 1991年に葛西が活躍して、パンチ佐藤も代打が活躍の場だがパフォーマンスで数少ないオリックスの全国区の知名度のある選手としてマスコミ露出に一役買った
これで1989年ドラフト1位のハズレは大森だけになったと言われてた その大森も坂本指名である程度は回収した
しかし、巨人はポスト原を真剣に考えるならば3位で指名した吉岡を早々に打者
専念させて育成すべきだったな。ドラフト直後の吉岡は打者希望だったし。 95年なんか予定していた三塁ハウエルが期待外れで、チームも早々と
優勝戦線から脱落したんだから、吉岡を辛抱強く起用し続けるべきだった。
こういうシーズンに希望が持てなくなったチームのファンにとって、
将来を担う若手の成長を見守るのが一番の楽しみだろ。 そうは言っても、95年当時の監督は元祖・強奪絶対主義者のセゲヲだったからね
若手の育成なんか頭の片隅にも無かったんだろう 当時は清原も元木も執着し過ぎたな。
読売グループで終えて引退後も安泰の考えで頭いっぱいだったんだろう。 当時はGブランド全盛の時代
今のドラフト候補で巨人じゃなきゃヤダなんて選手はほぼ絶滅 辛抱強く育成するという土壌がないチームだったからな
若手といえば90年前後の井上真二はもっと伸びると思った
後年に原が初めて監督になった2002年は、斉藤宜之が花開いて
やっと生え抜きを大事にするチームになったかと思ったもんだよ >>691
大森個人がネタにされるけど本人以上に学校側がうるさかったりしたんだろうなぁ🤨 ちゅか球団側もプロ入り前の20そこそこの選手に対して一年も二年も先の約束するとか、巨人に限らずだろうけどほんま馬鹿だよな 大森は久しぶりに見たと思ったらヤクルトのブロスの完全試合を阻む
デッドボールを受けたぐらいしか記憶にない
しかも避けられそうな球だった >>701
小宮山も高校生より下の評価なら大学側が入団させないと言ったとか 1991年のプロ野球って巨人の影が薄いな
なんでだろ
前年西武4タテのショックを引きずって元気がなかったのか 序盤からふがいない試合を重ねて低迷し、
全日程終了時点ではAクラス3位もヤクルトの結果待ち。
そのヤクルトが最終戦で勝ち逆転Aクラス入りで12年ぶり屈辱のBクラス転落。 >>699
それが今では「2代目・強奪絶対主義者」に成り下がったからね >>707
そうそう
いつの間にか金満野球に染まっちゃった
2002年当時は桑田や河原の再生など、安易にFAや外人に頼らない姿勢が
敵チームファンからしても印象が良かったんだけどな 監督としての耐用年数が過ぎとるって事でしょ。
どんな組織でも体制が長期化すると必ず腐ってくるのが道理だし。
ちょくちょく事実上の休養を挟んで、そうならん様に気を付けていた積もり
だったろうけど。 1991年の広島は貧打極まる投高打低の優勝チームだったけど
この4~5年後には打高投低チームに変わるんだからチーム育成は難しいものだな
投手陣が弱くなったのは達川が引退したのも大きかったんだろうか >>710
そらそうよ。山中はトレード・西山は未だ経験不足・瀬戸は論外。 瀬戸は大学野球No.1というふれこみでドラフト1位だったのにな 1990年のドラフトでは大社の捕手がやけに多く1位2位で指名されたな。
瀬戸=広島1位、矢野=中日2位、吉原=巨人2位、関川=阪神2位、
定詰=ロッテ2位
矢野と関川が大成して(関川は捕手としてではないが)、
残りは鳴かず飛ばず。 各球団、80年代に活躍した捕手の世代交代の時期だったな
大洋は若菜や市川だっけ? 谷繁が1988年のドラフト1位
瀬戸はほとんど控えではあったが14年現役だった
捕手は慢性的に不足しているから現役が長くなる >>714
福沢、青柳、猪久保あたりに埋没してしまった定詰 福澤、青柳、猪久保、定詰、山中、それに清水。
本当に半レギュラー感の捕手を正捕手として起用し続けたなぁ。 >>718
里崎に一番レギュラーとりやすい球団と思われるわけだ
もっともその里崎も入団数年は>>718以下の存在だったが >>704
おかしいんだよな、早熟なだけで天才とか言ってしまったりする日本の文化の中では当然高卒でドラフトにかかる選手>大社でドラマにかかる選手となるのに、なぜ突然現在の絶対値で文句言い出すのか?こういう文化の中にいても元々そんな風に考えてないならともかく、自分らもスポーツ推薦でもろにそういう文化考えの中で動いてるのに自分とこが売りにできるような良い手駒抱えた途端それを捻じ曲げようとしてしまう
早熟万歳文化で一貫してるならともかくそれすらねえんだもんな >>719
まあキャッチャーだしな
その中では定詰がもうちょっと、常時230.5本でも打てたらレギュラー固定で良かったのかなって感じだけど あ、早慶混ぜて考えてしまったけど、まあ慶應は比較的スポーツ推薦でいかにもって感じでもないか 小宮山自身はまさかこんな考えはしてないと思うけどさ 捕手ってHR数や打率に現れないからわかりにくいが
控えから抜け出せない捕手ってプロから見て何かが足りないんだろうね
福島知春みたいに強肩なだけではレギュラーになれんし ロッテは1989年にも3位指名で鈴木俊雄(日立製作所)という
長身で打撃なら古田以上とも言われていた捕手を取ったけど
鳴かず飛ばずだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E4%BF%8A%E9%9B%84 打撃でアマ時代の古田以上って誉め言葉なんだろうか・・・ >>714
吉原は活躍したやろ。
ジャイアンツはW村田や大久保・柳沢とか帯に短し襷に長しの連中と。 >>721
定詰はロッテにそのまま居てりゃ続けられたんやろが阪神では野村に切られた。 >>725
でも、とりあえず控えキャッチャーできる人、
2人くらいは置いときたいのよね >>730
他のポジションと違って、捕手だけは
なかなか替えが効かないからね 大洋の宮里が捕手に再挑戦していたのが印象深い
「もっと若ければなあ」なんてボヤいていたけど爽やかな笑顔だった 捕手の場合は、覚えなければならないことが山積しているからね ホセ・デラクルーズをヘクター・デラクルーズの息子だと思っていた
レッズにはエリー・デラクルーズもいるから紛らわしい
ヘクターは当時の外国人枠の事情もあったから仕方が無いけど、
肩だけは超一級品だったからアレックスみたいになれたと思うんだけどな
クロマティの後釜としては後のゴンちゃん同様物足りなかった
バネのある黒人野手を頻繁に獲得してる今の巨人は90年代に先祖帰りしてると言ってもいいかな バネのある黒人選手といえば巨人のモスビー
もっと活躍が見たかったな 佐々岡
川口
北別府
川端or紀藤
佐々岡(中4日)
川口(中5日)
北別府(中5日)
で回せば広島は勝てた日本シリーズ >>740
一番の誤りは第6、7戦の川口のワンポイント投入だろ。
大下コーチに依ると、第6戦は捨て試合として、佐々岡、川口、北別府の
三本柱を温存し、佐々岡、川口のどちらが先発つうのも含めて、継投策を
読めなくする作戦だった様だけど、それが完全に狂ってしまったと。 何にせよ川口頼みで勝負を急ぎ過ぎたね
7戦全体でプランを練られなかったのが敗因 >>742
1983巨人と同様
あの時も西本頼みで、7戦トータルでの戦いを無視した結果、墓穴を掘った 83巨人は角が故障でほとんど投げられなかったのも影響した 大下は古臭い指導者で合理的な戦術なんて立てられない 史実は
第1戦:佐々岡
第2戦:川口
(移動日)
第3戦:北別府
第4戦:佐々岡(中3日)
第5戦:川口(中3日)
(移動日)
第6戦:川端→川口(中1日)
(雨天中止)
第7戦:佐々岡(中4日)→北別府→川口(中1日)
なんじゃこりゃ 昔から日本一の年は山根に依存していたし計画的で戦略的な投手起用が出来ない
今年の阪神より戦力があった2016広島が今年セリーグ代表でも日本シリーズ負けていたと思う
今村中崎JJが毎試合投げてシリーズ後半に宇田川山崎颯のように打たれて逆転されそう この頃はまだシリーズでは先発要員まで逐次投入する価値観が幅を利かせてた頃だね >>742
日本シリーズの常連(西武)とそうではないチーム(広島)との差が出た感じ 西武は工藤、郭、渡辺久、渡辺智の先発4枚に石井丈、鹿取、潮崎と駒が盤石だからな
2勝3敗に追いつめられても余裕があった 83、91、04、08と67戦で連勝しての逆転が多い
負け越していても相手より余裕を持って初戦の場所に戻れているのが大きそう
この年の2年後の93年は逆転日本一に失敗したけど ヤクルト野村以外は采配が下手とはいわないが、あまり上手ではない監督ばかり 北別府は7戦リリーフで投げたのか
二桁勝てずが続いてこの年に前年割れの成績なら松岡コースの心配もしたが、この年のプチ復活は大きかった
翌年一気に決めて堀内平松よりは余力を残しての200勝だった 第7戦は経験豊富な北別府を先発にすればよかったのに
佐々岡(4回1/3)、川口(0回2/3)、北別府(1回0/3)、川端(1回)、足立(1回)
この継投は一体 西武絶対的有利な予想だったから佐々岡を3戦使うのは悪い起用ではないと思う。 >>755
西武黄金時代の相手監督は気持ちで負けていたと思う
89年も西武がリーグ優勝していたら巨人は勝てなかったかもしれん 森は優勝した後のプロ野球ニュースか何かで、広島が5戦を捨てゲームにして6戦7戦を川口佐々岡で来られた方が嫌だったと言っていた
5戦の時点では雨で流れる試合があるか分からないから本音だったか分からないが
もし5戦が川口じゃなかったら、こっちは絶対に落としてはいけない試合になってたと >>760
その頃は、讀賣の西武アレルギーが半端なかった頃だったからね 森さんの自著ではもしも5戦佐々岡、6戦川口だったら厳しかったと述懐してるね
実際は4戦佐々岡、5戦川口で王手を掛けられたけど、持ってる手札をほとんど使いきっちゃった広島に対して
逆転できる自信があったらしい 先発はペナントレースでの貢献順に佐々岡・川口・北別府だったが、雨は別にしてシリーズ前の構想としては佐々岡・北別府・川口の順が良かった
北別府が良かったから後付けでそう思う部分もあるが、この順なら佐々岡川口が中4日、北別府が中5日だからしっくり来る
ただ北別府はこの年復調していたが、シーズン最終盤はやや失速してたから先発は1回だけにしたのかも ハム、借金19で4位ってある意味凄いな
4位の勝率ではワーストだよねこれ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています