1991年のプロ野球 Part.2©2ch.net
シュートスライダー投手なら
稲尾、池永、東尾、尾花、西本などたくさんいるけど
あのカーブは北別府独特のものだったな この年の印象は大野と佐々岡が神がかりの活躍で優勝したという感じ
そして予想外に西武に健闘したけど最後は経験の差がモロに出たというところ 日本シリーズの常連相手に、よく健闘した方だと思うよ >>542
第6戦で川口投入に拘った浩二を大下が止めきれんかったのが真祖やな。
後日対戦相手の森からも言われた。 第5戦の先発投手を中1日でリリーフ投入だなんて
ムチャクチャにも程がある >>546
リリーフ失敗後中一日で先発させた監督がいたらしい >>546
別にそんなん普通やん
ただ負けていい試合なのに投入したことが問題 一行目のような考え方で、数多の投手が短命に終わってしまった >>548
タイになったら巧者の西武有利って浩二は考えたんやろ。 比較的に投手の駒が揃っていた西武だって長持ちした投手は工藤位だし >>550
肛痔は何も考えてなかったと榊原が足立との対談で話していた。 逆に言ったら、何も考えずにあそこまで善戦したというのはね
選手たちのおかげだよね この年のカープは江藤が10~11本打ったのがチーム最多の本塁打だったんだっけ?
しかも江藤が稼いだのはマークされる前の春先 チーム最多が江藤の11本、次いで野村謙二郎の10本
後の選手は皆一桁本塁打。(アレン9本、正田と山崎隆造8本、小早川と西田が7本) >>556
なるほど
少なすぎるのもそうだけど、正田が8本打ってるのがびっくりだわ 1991年
MVP票数 セ・リーグ
(1位に5点、2位に3点、3位に1点のポイントが振り分けられる)
115 39 5 計697 佐々岡真司
40 69 23 計430 大野豊
.5 20 39 計124 落合博満
. 1 21 19 計. 87 野村謙二郎
.- . 5 27 計 .42 古田敦也
. 2. 2 24 計. 40 達川光男
. 1. 1. 1 計 9 山崎隆造
. -. 1. 4 計 7 西田真二
. -. 2. - 計 6 北別府学
. -. -. 4 計 4 川口和久
.- .- .1 計 1 桑田真澄
MVP票数 パ・リーグ
89 27 11 計537 郭泰源
28 54 26 計328 秋山幸二
. 5 26 31 計134 工藤公康
. 7 16 28 計111 デストラーデ
. 6. 6 17 計. 65 辻初彦
. - . 3 13 計. 22 野茂英雄
. -. -. 3 計 3 渡辺智男
. - . - . 1 計 1 小野和義 >>558
落合古田はまぁ分からんでもないが、
桑田に入れるって、巨人ファンから見ても頭おかしい 3位に1票入った程度で目くじら立てんなって
それをいったら達川の票数の方がよっぽどおかしいわ >>559
くわわはストーブリーグで大貢献しただろ kkドラフト〜中牧事件までの桑田の嫌われぶりは江川事件当時の江川を凌駕してたなw。二人とも引退後はよくイメチェンに成功できたもんや >>564
マスゴミなんざそんなもん。
ハンカチや元蛆の久慈暁子が良い例。 >>545
大野を出し惜しみしたまま負けたのはなんだったんだろう。 第6戦が6回、第7戦が7回に決着が付いたんだから
1イニングよくて2イニングしか投げれない大野を出す展開には
ならんかったからだろ
第7戦も1-3のビハインドから6回裏に北別府を出すのはまあ妥当だろう 日本一になって広島へ帰ってきます
王手掛けてありゃないでしょ
監督がああ言うことを口走ってはダメ 井川や赤星や濱中が台頭した2001年はともかく
1991年にそういう期待感を抱いた記憶はないなあ 「常勝軍団の四番」
36試合ぶり、打席にして152打席ぶりの本塁打だった。91年6月4日に西武・清原和博が放った先制弾は、ライバル野茂英雄からのシーズン第7号
だった。開幕戦で苦手の小宮山悟からを含む2発のスタート、7試合6本塁打で開幕8連勝のチームを牽引していたが、直後から長いスランプに陥る
事など全く想像できなかった。4月・5月で貯金17を稼いだチームは独走気配でも、清原個人は5月の23試合でノーアーチだった。
その後冒頭の6月4日に久々の一発が出て、翌5日の近鉄戦でも高柳出己から8号を打って再び量産かという状況になったが、7日のオリックス戦で
伊藤敦規から左手首に死球を受け翌日の試合を欠場、復調の機会を失った。
6月も終わろうかという時期にようやく本塁打を2ケタに乗せたが、月末から7月5日まで5戦連続無安打と再び苦しむと翌6日ついに先発から外された。
5月の大不振時に清原自身から「四番を外してください」と直訴された時でも我慢して使い続けた森祇晶監督も、打率.222まで下がってきていた事に
加えて近鉄が2.5差まで猛追していたこの時は流石に外すという苦渋の決断だった。
3試合でスタメン落ち、5試合で三番も打った7月も状況は好転せず本塁打は2本止まりで計13本、秋山幸二が前半戦で打率3割を超えて本塁打24の
数字を残し得点圏にも強かっただけに、清原の不振は余計に際立った。
それでも後半戦は打率.349に5本塁打の8月を始めに復調して、近鉄を突き放してのリーグ連覇に貢献した。本塁打は結局入団以来最低の23本に
終わって印象は不振の年だが、四球80個は同僚オレステス・デストラーデに次ぎリーグ2位、打率もなんとか.270まで上げた。得点圏打率もリーグ
2位で自己最高の.347、全23本塁打で2ラン12本と3ラン3本の計15本が走者ありと意地を見せ、一発を打った21試合の成績は17勝2敗2分けと
四番としての仕事は果たした。さらに守備面では7月から閉幕まで59試合連続無失策もあってシーズンたったの4失策、6年目の清原にはしっかりと
攻守ともに常勝西武の野球が身に付いていた。 (了) 広島:虎視眈々から最後に抜き出た。グラウンドでビール掛けは何か寒々しかった
中日:最後の最後に息切れ。星野監督があんまり元気ない。落合が夏場にスランプ。
ヤクルト:若い戦力で勢いがあるが連勝連敗が多く夏の終わりに息切れ。古田の覚醒に驚く。
巨人:印象薄い。ブラッドリーとかいう辛気臭い外人(クロマティとの対比が露わ)三本柱が元気ない
大洋:レイノルズの日本記録と田代の引退。
阪神:定位置だが新戦力の湯舟、オマリーなど光る戦力があった。 第6戦、7戦、川口じゃなく大野を投入する策は無かったのかね。
どっちも左なんだし。 1991年の大野は抑え専任だったからなぁ
2勝2敗で迎えた第5戦で川口を使ったのが敗因だと思う
勝ちはしたけど第6戦を前に持ってる手札を使いきっちゃった 広島にとっては5年ぶりの出場(日本シリーズ制覇からも11年遠ざかる)だし、
相手は日本シリーズの常連(10年間で8回)だからか、勝ち急いだんだろうね そうだと思う
西武相手に平常心で戦えない焦りはあっただろうね
6戦7戦で川口を中継ぎで使うぐらいなら、大野を投入という手もあったんじゃないかと思う
まあ後知恵だけども 勝ち試合の9回限定(長くても8回から)で1年成功して
このシリーズでも2戦、5戦と成功している定石をなぜ崩す?
6戦、7戦とも決勝点を奪われたのは中盤で
そこをしのげたとしてどう勝ちパターンに持っていく?
後知恵にも程があって
あとブルペンの準備等も一切考慮してないテレビゲーム的発想 2戦、5戦だけじゃなくて
4戦もセーブが付いてないが交代完了してるのか
ますますないわ
大野はせいぜいリードあるいは同点の状態で8回から行くくらいだろ
7戦なら僅差ビハインドで8回裏から登板も >>587
定石を崩すというのなら、
川口をリリーフで使うのも定石を崩すことになるわけで。
そういう普段と違う日本シリーズ用の戦いをするのなら
大野投入はダメだったのかという話。
そもそも思い切った辻シフトとか西山をサードで起用とか
普段はやらない奇策をやっていたぞ。 じゃあさ
あそこで大野がピンチを押さえたとして
その後はどういうゲームプランで勝つの?
大野がひたすら西武打線をゼロに抑えていって
広島が勝ち越し点を入れて勝ってくれるとでも
凄く楽観論でお花畑な頭ん中だな
両軍監督も解説も見てるファンも一抹も考えてない継投を
今さらの結果論で逆張りするバカもいるんだなと
川口の投入は総力戦になった場合十分想定されていたし
西武側も総力戦で工藤を救援に廻して最後は投入している 大野をペナントレースよりもさらに過酷な状況で投入する
というのはあったかもしれん
ペナントではせいぜい8回頭からが7回途中からとか
でもそこまでに試合の大勢が付いちゃったんだからしょうがないだろ
第7戦、8回裏、1-7の時点で投入して逆転の呼び水になるか? 今さらながら訂正
誤:日本シリーズ制覇からも11年遠ざかる
正:日本シリーズ制覇からも7年遠ざかる
84年の日本一のことがすっかり抜け落ちていまして、大変失礼しました ここで勝てなかった広島は、次に日本シリーズ出場するまで四半世紀かかった 優勝できたチャンスは94と96年くらいか
94年は猛チャージが早すぎて逆に96年は息切れが早すぎた 94年の一時期の勢いは凄かったな
バッターも粒ぞろいだった
野村、正田、前田、江藤、金本、音、西山
みんなバッティングが良かった
91年の貧打が嘘のよう 浩二衣笠が元気なうちに投手を育てて投手王国に
投手が元気なうちに野手を育てる
ここまではうまくいったと思うんだけど
次の投手が育てられなかったな
逆指名で好素材が取れない
たまたま活躍した新人は酷使して数年で潰す
そのうち野手も劣化とFAで出ていく 不思議に、中日って巨人との優勝争いは良くも悪くも伯仲する(1974、82、87、94、96、99、2009、10等)のだが
広島との優勝争いはことごとく競り負けてんだよな(1975、79、84、91)。 例えば87年のマジック対象は広島
88年中日優勝の時はマジック対象は広島なんだよなあ
あきらかに当時のペナントレース展開を把握していない >>602
俺も>>600を読んで直ぐ88年は中日が勝ったぞと思った。 こんなながれになるのは気分的な面や合い口も大きそう
85の阪神なんかは順位もマジックも広島なのに巨人と競っていたと思われてないか? >>604
バックスクリーン3連発が対巨人だからな
でも、ヤクルトと巨人の優勝争いだと絶対ヤクルトが勝つのはあると思う 巨人はドーム以前から試合消化早めで
まだ優勝の可能性あり(マジック対象)と最終順位が合わないんだよな
88の例でもまず巨人が脱落、続いて広島が脱落
最後はより広島の方が失速して先に終了してた巨人よりも下に落ちた
87も同じような感じだ
あと>>600は8月にダンゴになったり一瞬だけ差が縮まると「競った」と決めてるんだが
そこも個人の感覚差があるだろう 仮に、1985年阪神のバックスクリーン3連発が
「後楽園球場で」飛び出したとしたら、あまり語り継がれなかったんだろうか?
89年のブライアントの4打数連続本塁打は、バックスクリーン3連発の下位互換だけど。 >>607
85年8月14日(13日?)江川が1回表に吉竹、バース、掛布に三者連続弾浴びたが、
巨人が逆転勝ちしたことで、この件についてはあまり触れられない 優勝した2003年横浜戦の3連発も
死体蹴りアーチという事もあってあまり語り草になってないな
やはり劇的な試合内容じゃなきゃね >>607
二つのまったく異なる事象に上位も下位もないと思うんだが
こう言うのまで序列をつけないと気にくわない奴っているんだな >>580
西武:中盤にちょっともたつくも、ほぼ盤石の試合運びで連覇
近鉄:中盤に首位に立つも息切れ。ブライアント離脱が痛かった
オリックス:広いGS神戸に戸惑う… 新人長谷川は奮闘
日本ハム:近藤監督3年目もBクラス
ダイエー:門田、ラガ、大野、池田らの活躍もあって最下位は脱出
ロッテ:川崎ラストイヤーも無い袖は振れず最下位… ダイエー大野、池田の移籍組が懐かしいな
なんでこうも阪神を出ると活躍するんだと思ったもんだ
その思いはオマリー、野田へと続く その代わりに阪神に行った藤本修二や西川はさっぱりだったしね… 松永も1年で出ていったあげくFA先のダイエーでは活躍という >>613
渡真利は後審判になるし岩切は長年裏方としてチームを支えた。
対して吉田は木戸・嶋田を脅かせず西川・近田は問題外、藤本が裏方(打撃投手)として残った位やな。 右田の阪神時代唯一の安打を生で見た
表の守備で目測誤って二塁打にしてしまい失点
その裏の打席でレフト前ヒットで繋いでオマリーの逆転打で生還した時、
ABCの実況では右田、嬉しいホームインとまで言われてた 91年阪神巨人1回戦
阪神が2-0とリードしながら7回に村田に逆転3ランを浴びてチャンネル変える
まだ1点差だと気を取り直して野球に戻したら
ブラッドリーにも3ランを浴びた
全く状況も違うが大谷の3ラン2発見てこれを思い出した… >>617
その藤本、今では阪神のチームスタッフ(寮長)として名を連ねている >>615
阪神からしたら、たまったもんじゃなかったな >>624
元々環境変えてやればなんとかなるって言われてたから。 藤波ってたまにいいピッチングするから、まだ分からんぞ プロ6年目の清原の大スランプ
そして清原の最年少本塁打記録を更新してきた村上もプロ6年目の大スランプ この年は大阪桐蔭と沖縄水産の決勝やったね。
同世代だからめちゃくちゃ頭に焼き付いてる。 >>631
大野倫が肘を疲労骨折しながらも全試合完投したという年だったか
>>632
中川は3年生の年だったか
その後阪神に入団しましたね
大阪桐蔭の萩原といい、甲子園のスターが複数阪神に入団した嬉しい年だった >>633
大野倫が全て投げぬいたな。
萩原 背尾の居た大阪桐蔭は初出場初優勝だったなあ。
この夜の熱闘甲子園見たら涙出そうになりました、市川・樋渡投手の印象も忘れられない。
秋田経法大附・中川申也…懐かしいです。 井上昌己さんのYell〜16番目の夏を聴くと
今でも高校3年生の頃思い出しますね。 福島や山形は当たるんだが秋田から阪神はなぜかみんな潰れる
オリ、ヤクはいいんだがね