1991年のプロ野球 Part.2©2ch.net
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セリーグは最終戦が今年と似ていたな。
その試合のホームチームが勝てばAクラス負ければBクラスという点。
結果はホームチームがすんなり勝って、全日程終了で待っていたチームが
戦わずして最後にBクラスに転落するところも。 ああ間違えた巨人と大洋か
ドームが最後まで残るのもめずらしい、天候不順だったのに >>417
91年 ヤクルト勝てばAクラス
19年 阪神勝てばAクラス
ともに対戦球団が手抜きしてくれたおかげで
最終戦に勝って3位滑り込み >>330
>>410
存命は山本浩二、森、田淵、須藤、あとはノムさんか >>271
そういや新人の頃の阿波野を見た鈴木啓示が 、
「50ccのバイク」と言ってたが、やはりそんなもんだったってことかな 浩二 △
星野 ×
野村 ×
藤田 ×
須藤 ○
中村 ×
セ 存命 2/6
森祗 ○
仰木 ×
土井 ×
近藤 ×
金田 ×
田淵 ○
パ 存命 2/6 29年前のこととはいえ、もう物故者が過半数なんだ… 石井琢朗が投げた最後の試合、見た。
高津の初先発初完投勝利でもある。
まさか、あのときの敗戦投手が
2000本安打打つとは思わなかった。 >>388
せっかく改修したのに翌年移転だからなぁ
その後は10年も使わずにスタンド解体 91監督サバイバルは須藤と森のマッチレースになりそう
元気親父とハワイで楽隠居の争い 妄想だが、1001がこの年のオフ中日の監督を辞めなかったら、島野も阪神に来る事もなく、翌年の阪神の大確変も起こらず、中村も翌年限りで監督解任だな。ただ、5chで負広と呼ばれず、その後はあの人は今状態だったかも。 西武王国、金やん、広島優勝、巨人四位、ヤクルト三位、落合敬遠で古田首位打者、故星野監督辞任、トルネード投法近鉄野茂 >>431
いや、それはないな。
この年は後半から阪神先発陣が台頭し始めて後半の勝率は高いよ。
翌年の萌芽が出来てた。 まあ、N山事件の大洋を抜いて最下位は免れるが、他の4球団とは互角に戦えるかが問題だな。投手陣は暗黒初期に比べると良くはなってきていたが、それに伴う外野守備はやはり、島野の力量も多大に影響しそう。 この年の夏に、ブライアントが膝の故障でアメリカに帰ったことがあるけど、
何年か前のバースのときみたく、「このままお別れになるかも?」という恐怖がよぎったもんだ。 阪神外野守備走塁コーチ
90年 川藤幸三
91年 弘田澄男
92年〜94年 島野育夫 読売新聞社会長の務台が死去
翌年にナベツネが社長に就任して
長嶋復帰の土台に務台派の粛清を… 藤浪晋太郎がやらかしたが、晋太郎といえば昔は安倍晋太郎
この年亡くなった
総理になってほしかった この年の今日、津田恒実が生涯最後の登板
津田はこの年限りで現役を引退、そして2年後には… 巨人は抑え不在に苦しむことになるが前年抑えとしてある程度の結果を残した水野抑えではだめだったのかと思った
この年もセーブ数は前年より減ったが数字的には抑えにしても問題なさそうだったし
窮地をしのぐために抑えに据える形でも別に良かった >>446
この年の木田は調子が全く上がらず抑えにできる状態ではなかった >>445
この頃なら水野がベストだと思ったけどね
度胸あるし、そんなに大崩れもしないし
木田とか石毛は優しすぎるわ 水野は肩の故障の影響で連投ができなかったから、抑えに固定できなかったんじゃなかったっけ >>449
なるほど
翌年その影響か一軍出場なしに終わってるしそれなら抑えに固定できなかったのも納得がいく >>446,447
シーズン前の構想はリリーフ木田を想定していたが、前年終盤からの登板過多に
依る不調が翌年になっても癒えず、首脳陣もそんな木田を一軍に置いたまま状態
を観ながらの起用で復調の期待を掛けていたが、夏場の対中日戦の大量リードで
のリリーフで一死も取れずに同点に追い付かれる満塁ホームランまで喰らった事が
トドメとなった格好。 「チグハグ」
昭和40年代に巨人が隆盛を極めた頃から、巨人相手に相性の良い投手を“巨人キラー”と言うようになり、古くは大洋・平松政次や中日・星野仙一の
時代から球界の盟主に強い事は一種のステータスとされてきた。そのキラーが特に多く出た91年は、巨人には辛いシーズンだった。元々相性の
良くなかった広島・川口和久に2勝5敗、大洋・野村弘樹には2勝4敗と星を稼がれたが、それ以外で中日の新外国人スコット・アンダーソン(1勝4敗)、
ヤクルト・西村龍次(1勝5敗)、中日・上原晃(1勝3敗)らからも見下ろすように投球されてしまい、対巨人で3勝以上を挙げた投手は9人にも上った。
打線は打率で1分以上、得点で50点強の減少というように力を落とし、盗塁はリーグ最下位という有り様だった。
2億円の新助っ人フィル・ブラッドリーは本塁打と打点で前年のウォーレン・クロマティより上の数字を残したが、チームに溶け込めず性格的にも
パフォーマンスや打撃内容でムードメイク出来るタイプではなかった。機動力の著しい低下は緒方耕一が、故障していた右足の影響で80試合だけの
出場で4盗塁しか出来なかったのが大きかった。そのため二塁手には緒方を含め8人が入れ替わり、一番打者には延べ10人を起用という状態だった。
主砲・原辰徳は86打点でまずまずに見えたが、Aクラス3球団にはトータル.222しか打てなかった。
足を使えなかった巨人だが、他球団にはかなり足を使われた。チーム全体の盗塁阻止率が15.6%で、特に正捕手の村田真一は阻止率が16.2%で
リーグ最低、開幕から11連続許盗塁の後に5月から7月にかけても15連続で盗塁を許した。かつて強肩でレギュラーだった中尾孝義でも11.7%と
散々だった。
6月までは猛スパートもなければ大負けもない状態でなんとか中日とヤクルトの後ろで踏ん張っていたが、7月に広島に抜かれると先頭集団から
離され始め、8月半ばには出番の減った篠塚利夫が記者に「ハッキリとした理由も無いのに使ってもらえない」と漏らす舌禍問題を起こすと9月の5勝
12敗でV消滅どころかBクラスまでも決定的にした。
相撲人気も手伝ったテレビ中継の視聴率やチケット売上の低下で、三年契約最終年だったV2監督・藤田元司の留任すら危ぶまれる事態だったが、
球団が最終戦を残して藤田の契約を一年延長すると発表した。発表内容にはコーチ陣編成と補強についての全権を監督に委ねるとあったが、その
2日後に藤田の信頼する近藤昭仁ヘッドコーチの退団が発表された。藤田の監督生活は最終年の翌92年も含めると、この年を除き全て2位以上の
輝かしい実績、91年は唯一のBクラスでありグラウンドの内外でチグハグな一年だった。オフに健康問題で一度は辞める気でいたがオーナーの
正力亨の説得で翻意、その一方で読売グループの中では人気回復を狙い、たとえ負けても絵になるあの監督への期待が高まってきた向きがあり、
ファンの声も大きくなり始めていた事からもそのチグハグさが窺えた。 (了) そこまで書くのなら、
村田の大洋戦一試合「許」8盗塁は外せんのではないか? https://www.youtube.com/watch?v=HF1eyZFXpqQ
この動画見たら6月17日にはもう「藤田続投」ってなってるけど
発表ってシーズン終了間際だったっけ? >>456
やくみつるに「弱肩村田じゃっけん」などとネタにされた案件かw 任天堂のマリナーズ買収ってあまり話題にならなかったね >>461
何かこの日記憶にあるなぁと思ったら、
本人の誕生日か 突風!ミニパト隊
ジェットマン
ガンスミスキャッツ
ゼロヨンチャンプ 清原や野茂にしろ酷使と不摂生のツケなのかバブル期に活躍したスターが杉下以上にどんどんヨボヨボに弱ってきてるな
一茂、古田、新庄、貴仁等は相変わらず元気だけど
アメリカだとカンセコ、ジョーダン、モンタナと同時期に活躍したアスリートの今なんて悲惨そう この年の広島、チーム内での本塁打王が確か11本でしょ?
これでよく優勝できたもんだと思う 大洋のチーム本塁打が、たったの66本
逆に、中日は178本
とんでもない差だw 前年が前年だっただけに広島が良く西武に善戦して驚いた >>457
6月17日は務臺光雄氏没後の忌明け日(49日)ですね。
務臺氏の存在が長嶋茂雄氏の監督復帰を妨げているらしい事は
熱心なファンの間ではよく知られていたようで、
球団としては務臺氏の喪が開ける翌シーズン「長嶋復帰はない」と宣言し、
周囲の雑音を抑えたかったのかな、と邪推します。 大洋はシーズン前の編成からパンチ力不足は想定できた
日本人スラッガーはいないし、外国人二人も中距離タイプ
それでもチーム得点はリーグ2位 >>471
川口一人で立ち向かってただけだがな
第6戦の川口リリーフで森は「勝ち急いだなw」とほざいてたが
森も同じことを翌年第五戦でやってしまった >>474
レイノルズについては須藤監督も本当は大砲が欲しかったのにと愚痴ってたとか・・・ 中日
立浪10本
ライアル24本
落合37本
宇野26本
大豊26本
中村20本
大洋
レイノルズ15本
パチョレック11本
広島
ひかえの江藤11本
4番西田が7本
アレンもショボかった・・
中日凄すぎw 6立浪 .290 10本 ops.802
4種田 .272 5本 ops.729
9ライアル.285 24本 ops.811
3落合 .340 37本 ops1.155
7大豊 .283 26本 ops.918
8長嶋 .286 4本 ops.803
2中村 .270 20本 ops.805
5宇野 .238 26本 ops.785
代打 川又 .331 5本 ops.978 首位打者争いを演じた落合博満選手は
10月に入り、6四球のヤクルト戦の前まで
5試合、18打数1安打(.350→.335)
だったのが痛かったですね。
18打数4安打くらいしていたら、ヤクルト戦は
(若手を試すという理由で)落合選手欠場、
そして古田選手は出場するも四球攻めという展開だったかも知れません。
たらればなので意味のない推測ですが・・・ レイノルズ
パチョレック
凄いバッターだと思うが
なぜ過小評価?? 何かレイノルズって、いかにもって感じの
風格ある黒人大リーガーだったから、
マイヤー(だったっけ)辺りよりHR連発するタイプなのかと予想してたら、
斜め上のタイプだったw
ブラッグスが本物の大リーガーだったな
(とはいえ、大リーグの実績は何てこともないんだけど) 要は当時のチーム事情からいってアベレージヒッターより大砲が必要だったんよ そして翌年はパチョレック(阪神へ移籍)の代わりにシーツを獲得 >>480
長打力がなかったから。
>>481
レイノルズは1990年日米野球で来日したから
どういう選手か分かっていただろうに… 落合がタイトル獲得当たり前みたいな活躍ができた最後の年か
翌年から衰えが隠せなくなって30本塁打に届かず3割越えも難しくなってしまう 落合の年俸調停の年か
1.8億から3億要求で
球団は2.2億で揉めてたと 宇野がレギュラーだった最後のシーズン
ロッテ移籍は悲しかった
ひょっとしたら、93年に復活して
大豊と同じくらい活躍したかもしれん 40近かったし 大豊を4番にという感じだったかな 波が激しくて安定感ないけど 八木は打率が上がらんなあ。波が激しくて。
岡田は来季巻き返してくれんのかな・・・
真弓はさすがにトシだけどさ。オマリーはセンスあるよな。
投手は湯舟、葛西にメドが立ったのお。新人田村も面白い存在。
マイクはそろそろクビで中込はまだまだ。猪俣、野田は頼りないし。
野手の若手でまともな人材がおらん。宮内山田関川嶋田金子くらいか… この頃の阪神はジョーンズ、ウインと連続でハズレを引き過ぎ 外人については後期の方がひどかった印象
もっとも暗黒脱出後もまともな当たり外人はマートンメッセまで現れなかったけど 90年代の暗黒時代ならリベラやジョンソンは普通に当たりだな 何故かこの年広島アレンが「プレポ」で取り上げられ
「出稼ぎ外人ごくつぶしアレンに騙されるなコージ」とか書かれてて笑った。 この年のパ・リーグの順位(1西武、2近鉄、3オリックス、4日本ハム、5ダイエー、6ロッテ)、
シーズン前にも予想しやすかったような気がする。
西武の黄金時代で、それに次ぐ近鉄・オリックス
ダイエーは門田が加入したので前年より順位が上がって、
ロッテは村田が引退したので前年より落ちるという感じで… さらに言うと、翌1992年も、4位と5位が入れ替わっただけだったよね。
ダイエーは佐々木の首位打者、ブーマーの打点王などがあって4位に浮上、
日本ハムはこれと言った見どころがなく土橋監督が一年で退任… >>499
当時の日本ハムの選手のモチベーションは最底辺に近かったからね
で、土橋監督を解任して大沢親分の再登板に至る 日本シリーズ6戦で終盤川口をリリーフ出した時
森監督は「弱者が勝ち急いだな」と呟いたらしいが
同じミスを森監督は翌年のシリーズにやらかしたという >>503
第5戦で1点差に迫った時に潮崎を出した場面?
その後同点に追い付いたけど、延長戦で池山にHRを浴びて敗れたんだっけ?
第6戦も秦にサヨナラHRを浴びて敗れたけど、第7戦で石井が完投で何とか勝ってくれて良かったよね >>472
あのジジイがいたから、長嶋の現場復帰がならなかったわけか
そういえば、ナベツネとも犬猿の仲だったよな >>498
このあたりの時期は、AクラスとBクラスの実力差がはっきりしていたよね 確かに1989年から1994年までのパの順位、AクラスとBクラスの顔ぶれ、全く同じだったよね。 >>503
ていうか、川口を第2戦から中3日で第5戦に先発させた時点で
カープは相当焦っていることがわかったよね >>541
佐々岡を1,4、7戦に持ってきてる時点で当然と言える采配だな 佐々岡は若かったからわかるが、川口は本来中4日も厳しい年齢。
大野と比べると川口の扱いはかなり酷かったコージー山本。 短期決戦は調子の良い投手を使い潰すのは
当然の戦略です 大野川口佐々岡ってあえて優劣つけるならどの順番になるの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています