1991年のプロ野球 Part.2©2ch.net
今中が、防御率タイトル獲得のため、ダブルヘッダーの第1試合に完投して、第2試合も先発。第2試合の初回に失点して、すぐに降板したが、おそらくダブルヘッダー先発登板の最後の投手になるだろうな。 6月下旬に松本市営球場のこけら落としでデーゲーム開催された巨人対ヤクルト戦で巨人が5-16で大敗。
試合終了後、大敗に怒った信州の巨人ファンが巨人ナインの乗るバスに投石する騒ぎに発展。
以降、巨人の長野開催はオリンピックスタジアムのみで松本開催はなし。
巨人もこの投石事件の影響を重んじて開催を見送っているのかもしれない。 >>28
試合中からグランド内に物が投げ込まれたりと、
試合後はプチ暴動になりかけた。 巨人ファンは阪神や広島に比べたら基本おとなしいがキレるとなにするかわからない恐さがある
05年の長崎も悲惨だったらしい 巨人ファンと言えば中日に8点差を逆転されたときも
ファンが怒ってバスを取り囲んだよな 巨人ファンにとって理想的なチームってどんなのだろうな >>33
当時は西武みたいな常勝軍団だろ
完全に西武に盟主の座を奪われた形になってたから。 ジョイナスが斎藤隆の抽選で真中と同じやらかしをしたこと この年の巨人が昨年凹した広島、中日、ヤクの
思うがままにやり返されたからな…
しかも広島に優勝された後その広島が最終戦で
ヤクに負けてその結果ヤクが3位になって
巨人がBクラス転落した 福田と笠原と松本が今日無期失格処分になったけど
これってこの年オフの中山以来? 前年に13本塁打して、正捕手になった村田真。
91年オープン戦の平和台のダイエー戦では、豪快な3ランを打ち、解説の掛布が
「いやあ、村田君は構えが大きくなって、さらにパワーアップしましたね。昨年13本ですけど、
今年は20本は超えるでしょうね。」と言われた。
シーズンが始まり、その通り本塁打は6月11日の中日戦で51試合目で9号と20本を超えるペースであったが、
肩の弱さが顔を出し始めてチームは低迷し、6月18日阪神戦で中尾にスタメンを変えられてからは、肩のいい吉原との併用となった。
結局17本塁打に終わったが、自己最高本塁打をマークして、「大型捕手」として期待されたが、
92年は開幕から不調、さらにトレードで大久保が入るとその大久保が大活躍して35試合出場ととどまる。
翌93年も大久保が開幕からスタメンであったが、高津から死球で抹消されると正捕手に返り咲く。
規定打席に達することは一度もなかったが、巨人の一時代を築いた捕手であることは間違いない。
2001年は4月21日横浜戦で20試合目で4号を放ち、通算98本となり、山倉和博氏以来の
「捕手100本塁打」は時間の問題と思われたが、その後1本も出ずに結局その年で引退となった。
村田にとっては92年の大久保加入は一時期窮地に追い込まれはしたが、「自分に輪をかけた打撃
重視の捕手」が来たことで、逆にリード面等が成長したとも言えよう。 訂正
35試合出場→34試合出場
山倉和博氏以来の「捕手100本塁打」→巨人の球団での話 中日はこの年以降
劇的V逸→大低迷→追い付かない程度のV争い→劇的V逸(以下ループ)
に陥ったね…
そんな負のループも97以降は劇的V逸飛ばして大低迷→追い付かない程度のV争いで99はループ通りなら劇的V逸だったが星野がこのループから脱出した
ただし00→01は劇的V逸→大低迷したが… 「健康状態」
広島・山本浩二監督が監督を務めてからの初優勝は、7月に最大7.5ゲーム差を首位中日につけられながらの逆転劇だった。病魔に倒れた
津田恒実の本当の病名をナインに公表した夏場のミーティング以降は、後半戦35勝23敗の成績を残すチーム一丸となっての勝利だった。
しかし、引き立て役となってしまった中日にも星野仙一監督の扶沙子夫人の白血病という病魔がいた。前年夏に既に発症、それが采配にも影響した
のか90年は中堅、ベテラン投手陣が崩れて星野就任以来初のBクラスとなる4位に終わっていた。辞任も考えた星野だったが、夫人が小康状態に
入った事もあっての5年目シーズン続投だった。
4月、5月は5割戦線を行ったり来たりの攻防だったが、6月前半の7連勝で1ヶ月間首位に立っていた広島を抜くと、21日からも月またぎの8連勝で
2位・ヤクルトに3.5差をつけた。7月も巨人相手に8点差大逆転を演じるなど好調で、前半を7年ぶりの首位で折り返した。球宴後も8月上旬に
ヤクルトとの首位攻防で3タテ、貯金を初めて20に乗せて2位に5差。独走気配さえ漂っていたが、直後から5カード連続で勝ち越しが無く減速した。
それでも8月末の首位攻防で広島に2勝1敗と勝ち越し3.5差をつけていたが、9月に入ると落合博満を中心に自慢の打線が沈黙してしまう。1差
リードして迎えた10日からの地元ナゴヤでの広島との天王山に3連敗、2ヶ月半ぶりに首位を明け渡すと二度と返り咲く事なく失速していった。
9月は結局6カード連続負け越しを含む7勝13敗。投手でも前月までに10勝していた今中慎二が0勝4敗、勢いのあった森田幸一と小島弘務の
両新人右腕のスタミナも切れていた。
状況に違いはあれど、元守護神の病状を選手に発表した広島が躍進し、監督夫人の病状を選手に伏せた中日が敗れた事実は残った。広島に5差を
つけられた9月21日に「星野辞任」のニュースが流れても、それを認めただけで「自身の健康上の理由」として夫人の情報は伏せたままだった。
シーズン最終戦でも「夢で終わらせて申し訳ない、これからもドラゴンズを温かく見守り応援し続ける」と言うに留まった星野だったが、表向きの理由と
思われた星野本人の体調も本当に悪かった。過去に受けた追突事故と、海外旅行中での機内の荷物を頭に落下させた事による後遺症で首の状態も
悪かった。津田や星野夫人の“健康状態”がポイントになった91年だったが、退陣した星野の身体もまた満身創痍だった。 (了) >>44
追突事故ってもしやあのエラー事件の試合後の○野の… >>44
サッチーみたいなやつはいつまでも長生きするのに星野妻や王妻あたりは早く亡くなるんだからな >>38
13年ぶりにAクラスになったヤクルトは、翌年からのほぼ常勝軍団ヤクルトが
生まれていくことになった。 80年にも一応2位になってるから11年ぶりだね
下手に2位になったおかげで武上を82年83年あたりで斬るにきれなかった >>47
強くなっても約2年に1回はBクラスに落ちていたから、「ほぼ常勝軍団」と言わないといけないとこがツライとこだな。
4位の年を5割以上のAクラスで凌いでいればもうちょっとサマになったのに。 >>49
まあ、野村監督(当時)が1993年に念願の日本一になって
もう燃え尽きたらしいからな。
だから、隔年になったのかもしれない。
常勝軍団になったらなったで、壊れる時は一気だからな。 江夏との対談本で岡田が言うには「一番チームを変えやすいのは4位」
Aクラスだと「この戦力で頑張れ」
5,6位だと監督の首が飛びかねない。
4位だと
「来年こそAクラス、あわよくば優勝」
って補強もしてくれると。
野村ヤクルトが優勝したシーズンは「古田が万全&外国人の活躍」だから。
オマリーを獲ってきたりと思い切ったことができたんでしょう。 この年はドラゴンズのセンターが何故か次々に故障したっけ 色々言われる事が多い山本浩二だけど
この年に関してはなかなかの采配だったと思う
日本シリーズの勝ち急ぎは惜しまれるけど >>51
87南海、01広島、11オリ、13中日「せやな…」 もし、近鉄vs広島の日本シリーズだったなら、また4勝3敗で広島だったような気がする。 91年の日本シリーズもそこそこ面白かったよ。
翌年がまさに死闘になってそっちの方が伝説になっているけど。 この年の日本シリーズまでが
ある意味ミスター赤ヘルの輝きだった気はする
山本浩二は
翌年から前田と江藤の育成に代わり、ミスター赤ヘルの輝きは失って行った 北京でさらに評判を落としWBC監督に選出されたときはバカやめろになってた 野村克也がヤクルト監督時代山本浩二率いた広島を嫌と思ったことはないと
言ってたが阪神最終年は7勝20敗と大きく負け越した
達川の時は2年連続勝ち越したが 広島の松井とか言う変なキャラの選手が話題になったのこの年だっけ? 山本浩二の最後は、金本知憲という贈り物をもらっただけでも
阪神からしたら価値はある
結局、奇をてらう野球が山本浩二には出来なかった
だけに礎となる投手陣が弱体化したら
必然的に勝てなくなる 浩二がユニフォーム着てないと優勝できない
しかし75年以降の最下位の監督は… >>63
捕手だった江藤のコンバートと、(多分、江藤への刺激として)達川引退後正捕手と
なった西山を江藤と被る三塁や右翼で起用した事に伴って、手薄になった控え捕手
として昇格した松井が、どさくさ紛れな起用としか思えなかった代打で決勝打を打っ
て、その試合でのヒーローインタビューで彼の特異な話術が注目を集めたんだよね。
元々そんな立ち位置の選手(つまりはブルペン捕手スレスレ)なんで、松井本人も
シーズンオフのインタビューで、まだ現役を終える訳では無いとしながらも「プロでの
良い思い出が出来ました。」と語っていたし、そんな彼の予想通り、翌年から全く出番
が無くなった(´・ω・`) ちなみにその松井は現役引退後、ロッテで彼本来の持ち場である(失礼w)ブルペン捕手を務め、持ち前の明るさや特異な話術でロッテ投手陣を陰で支えるムードメーカー
となっていたとの事。 そして松井の現在
tp://www.bc-l.jp/team_news/fukushima_news/10059 松井、何故か覚えてるな
あと足立なんて投手がいたよな
日本シリーズにも登板していた
しかし今思うと、あの打線でよく優勝出来たなカープは
長打があるバッターが殆どいなくて、江藤も春先にしか打てなかったし
しかも日本シリーズでも西武をギリギリまで追い詰めた 翌年のヤクルトは打線だけは西武と互角だったのとえらい違い。
この年の日本シリーズもそこそこ印象が残ったけど、
何せ翌年の方が死闘になったからな。 清原逮捕関連で知ったけど足立って覚せい剤で逮捕されてるんだろ?
今はどうしてるんだろうか?
野村みたいになってるとか カープが本当に強かった頃の広島ってどんな町だったんだろうな
近年まで行った事が無かった(修学旅行すら違った)から分からない >>70
6,7戦がワンサイドになっちゃったのがなあ 調べたら91年の広島の最多ホームランは11本の江藤
しかも春先だけで後半はまるで打てず
完全に投手力だけで勝っていたチームだったんだな >>74
非力すぎる打線で西武をあと一歩のところまで追い詰めるんだもん
これはすごいよ。 >>79
レイノルズが普通に優しくサインをしてあげていて微笑ましかった
ただ、パチョレックに行ったヤツはサインをもらえなかった 154 神様仏様名無し様 sage 2012/11/24(土) 12:22:38.37 ID:opsKUG0t
土地神様が引っ越した、なら1991年の名古屋市→広島市かな。
中日が広島に最後の最後でVやねんした時だが、この時名古屋生まれの海部首相が退陣して広島の宮沢首相に。
のぞみ開業の話が出てきたとき広島は高速化による発展の期待裏で名古屋は通過列車ができる「名古屋飛ばし」が社会問題。
その他いいニュースは広島から、悪いニュースは名古屋からが続いていた。 古田覚醒で翌年のヤクルトは強くなると思った 投手陣がそろわなかったけど この年の開幕前に「プロ野球ニュース」で「開幕直前企画、各局野球担当者が集うプロ野球大予想」(題名は不詳)という企画があって、
フジ系列の解説者&実況担当者の他に、日テレ、テレ朝、TBS,テレ東の解説者&実況担当者も一斉に集い、一週間(月〜金)に渡って、
大座談会をやっていた。(日テレからは山下末則、テレ朝からは朝岡聡、TBSからは石川顕、テレ東から青田昇と豊田泰光が参加)
そこで、「清原が今年タイトルを取れるか?」と言う議題になり、各人が以下のようなことを言っていた。
大矢「うーん。ホームランバッターではないと思うんですね。だから、狙いは首位打者の方がいいと思います。ホームラン王を狙うと、良くないと思います。」
青田「でもな、右打者だから打率だけ狙ってもなかなか上がらんぞ、やっぱりあれだけの素材やから3つ狙わんと」
山下「青田さん。巨人の原選手がよく言うんですけどね、『清原が凄い凄いとよく世間で言われますけど、
彼はまだ(打撃3部門で)何もタイトルを取っていない。その点では僕は清原に勝っているよ。』とね」
青田「タッチャン、取ったかなあ?」
山下「(苦笑いしながら)打点王取ったじゃないですかぁ。」
まあ、確かに打点王取ったけど、それで満足して「僕は清原に勝っている」じゃあ、原もそれ以上は伸びないなと思った。 やくみつるのネタでこの年だったかは忘れたが
原の契約更改のネタであと数百万の上積みを狙ってる原が
上積みを渋る担当者に「最多犠牲フライ12!」って言ったら
「そうか、12回もタイムリーを打ち損じてるのか…あと100万円引いておこう」なんてのがあったな 考えてみれば、清原がおかしくなった分岐点の年だったな。
厳密にいえば、90年オフの契約更改で、秋山渡辺久を抜いて清原を1億円にしたこと。
確かに、90年清原は.307、37HR、94打点とよかったけど、結局打撃3部門で無冠で、
MVPも野茂に取られているから、そこまで上げる必要はなかった。
91年の年明け(ひょっとしたら90年末かも)にプロ野球ニュースで、「ファンが選ぶスラッガーベスト10」で、
1位が清原、2位が落合だった。将来のスラッガーも同時に調査したらそれも清原が1位だった。
2位の落合に感想を聞いたら、「え、スラッガー2位?私はスラッガーではないよ。1位は秋山でしょ?え、違うの?」とか言っていた。
ということは、落合の中では(スラッガーと言う意味でも)秋山の方が清原よりも上だと言うことだろう。
清原が優勝に満足せずに、ファンの期待にこたえてタイトルをたくさん取っていれば、他チームも含めて
清原の後継者がどんどん出てきたのにと思うと、寂しい。
「イチロー松井がいるじゃないか?」と言うだろうけど、正直イチローには95年当たりに3冠王取って、
ホームランにも欲を出してもらいたかった。
松井は長嶋がちょっと大事にし過ぎだと思う。
元木や吉岡もいたのだから、もっと競い合わせてやらせないといけない。
だから、チームバランスが崩れて4番候補を取りまくることになった。
あくまでも長嶋は監督なのだから。
まあ、最終的にはファンの期待にこたえられなかった清原の責任だけど。 >>84
ヤクルトが投手陣揃うことはない。
エース候補→壊すの繰り返し。 >>89
彼らが全員揃ったら強固な投手王国になっただろうな…とは思う。 今年は、この年以来のカープ優勝が現実味を帯びてきた。 >>91
それだけじゃない…
巨人が十数年ぶりのBクラス説も出てきたし…
アニメ視聴率スレではフジのアニメ
「ちびまる子ちゃん」が終了するという噂が流れて来た… >>92
主要キャストの一人が先日亡くなって、その代役が立ったばかりなのに、
いきなり番組自体が終了なんてことになったら呆然とするな。 1991 2016
1広島 1広島
2中日 2中日
3ヤク 3ヤク
4巨人 4巨人
5大洋 5DENA
6阪神 6阪神
あるかこれ… >>94
他はともかく、1位と6位は現実味を帯びてきたw 今年は86、91年みたいに貧打じゃないし
投打のバランスがよく機動力も高かった84年に似てるよね 新井は珍しい大卒2000本だな。
ホームラン王や打点王も獲っているし。
とはいえ山本浩二>>>>新井だが。 >>100
それでも、それまでの年とは違って、翌年以降に期待が持てる感じがした。
だって、それまでの阪神の最下位なんて、絶望しかなかったからw >>101
>それでも、それまでの年とは違って、翌年以降に期待が持てる感じがした。
ドラフト1位で獲得してきた先発投手が揃い始め、田村がリリーフで使える目処が立った。
翌年、パチョレックを獲得しラッキーゾーンを廃止したことで投手力中心の繋ぐ野球が展開できた。
マイク仲田の確変と亀山新庄の出現もあるが、当時の阪神らしからぬフロントの活躍が大きい。 >>102
負広は采配が糞だが若手の人材発掘はいいと思う…
だから2軍監督では優勝できた あの新庄剛志を抜擢しただけでも価値はある
91年は魅惑の打線でスタートした
しかし予想以上の高橋とウィンの不振で構想は崩れた
だが後半、翌年につながる手応えはあった
投手陣や新庄剛志 >>104
完全に衰えていた高橋慶彦の獲得は不要だった。
ただあのまま遠山を残していても意味は無かった。 >>105
ロッテ経由(しかも一度は野手になって)で阪神に戻って
あそこまで進化しようとは… >>105
話が飛ぶが、慶彦は3年遅かったな。
古葉が辞めてカープの練習が緩くなり、慶彦山崎長嶋小早川といった中堅若手が一気に伸び悩んだ。
加えて慶彦や長嶋のポジションを脅かす選手を獲得出来なかったことも衰えの原因。 小早川が伸び悩んだってのはわかるが慶彦、山崎、長嶋が伸び悩んだって一体・・・・・ >>108
慶彦はノムケンに追い抜かれたと言うより、衰えとトラブルメーカーのために放出された。 >>109
ゴリラ・ピーコ・ヤニキ基準で考えたら伸び悩んだといえるな。 魅惑の打線のかけ間違えは、高橋慶彦をレフトに回したこと
ショートで一時代を築き、三顧の礼で来た選手にしては冷遇しすぎた
和田よりオレは下なのか?みたいな
ショート高橋慶彦ならまた違う形だったかもしれないが
ただ、翌年の快進撃につながるルーキー久慈の獲得はなかった いやいや、ロッテ時代すでに慶彦は外野に回されてたから・・・ 91年の慶彦は最初はレフトだったが、終盤久々に一軍に上がった時にはショートで起用されていた。当時の首脳陣の考えがよくわからん。 最初は守備の負担軽減でレフト
打棒復活ならと思ったがさっぱり
終盤は元のポジションでお試し
これも駄目
で>>113の久慈指名へ しかし、就任2年目までに合計で借金60作って共にダントツ最下位ながら次の年も続投とか普通に考えてもありえないな
このシーズンのオフの虎ファンはどんな思いしてたんだろう?
これって今年のサッカーチームだとグランパスはJ2落ちしても小倉を続投させるようなもんだろ 90年はともかく91年は光明が見えてきたので期待感はあった まだ20代後半だから当時の球界についてはあまりよく知らんが、中村続投を受けて球団宛に脅迫電話とかもあったんだろうなと感じる。
その頃に2chが存在してたら殺害予告して逮捕された過激なファンもいたかもしれない。
降格あるJリーグではありえないな。 近鉄って91年は確か8月のどこかで一時期首位に立ったことがあるよね
今季のハムもそんな流れに傾いてきてるけど >>120
オールスター前の西武2連戦で連勝して首位に立って
9月頭の西武3連戦で全敗して首位を明け渡すまでほぼ首位か僅差の2位
上記の西武2連戦に野茂を救援で2連投させたり(1勝1S)、
早い時期に鞭を入れ過ぎた印象