広島エース列伝2 [転載禁止]©2ch.net
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2代目エースの大石清を忘れちゃいかんと、あれほど訴えていたのに
3年連続で20勝以上をマークなんて、カープでは彼以降は出ていない 大石清を放出して、大石弥太郎を獲った大石トレードは
本当にうまかったな 最速は外木場の158km
次いで大石清の157km
黒田、長冨らが155、6kmで並ぶ 大石さんて話題やら画像やら上がってこないですね。。。
どのような投手だったのかご存知の方いたら教えてください 俺もこのスレ以外で見聞きしたことない
巨人ファンですみませんが(´・ω・`) >>6
たしか宝島社が出していたカープの回顧本には写真付きで載っていたような記憶が
自分が物心ついたときには日ハムあたりでコーチをやっていたが それにしてもカープよいしょの本がたくさん出てるねえ
まさにバブルだな
優勝できなかった場合の反動が怖いわw お〜い大変だ
この後、22:00からCSの日テレG+で1975年の広島優勝決定試合を放送するぞ
外木場と金城の勇姿が見られるぞ 1985年 広島東洋カープ投手陣
北別府学…精密機械の異名をとる、不動のエース。抜群の制球力を武器に、通算213勝をあげる殿堂入り投手。
山根和夫…北別府と並んで、黄金期を支えたダブルエース。日本シリーズに強く、3度の日本一に大きく貢献。
大野豊…完成された美しいフォームの本格派左腕。先発、抑えをこなす。通算148勝をあげ、殿堂入り。
川口和久…制球に難ありも、抜群の球威で打者を抑えるタフネス左腕。奪三振王3回。巨人キラーとしても名を馳す。
津田恒実…1年目に先発で11勝をあげ、新人王。その後、抑えに転向、ほぼ快速球一本で打者をねじ伏せる。
小林誠二…黄金期を支えた、抑えの切り札。右サイドからのパームボールを武器にする。
川端順…この年、11勝をあげ新人王。バタボールと呼ばれる独自の変化球を武器に、先発、抑え両方をこなす。
高木宣宏…大野、川口に次ぐ、成長著しい速球派左腕。この年、ローテーション投手として9勝をマーク。
金石昭人…この年から彗星のごとくローテ入りした右腕。長身から角度のある速球とフォークが武器。翌年、12勝をあげる。
白武佳久…ローテの谷間には先発もこなす、便利な中継ぎ右腕。後の10勝投手。
清川栄治…変則サイドで打者を翻弄する中継ぎ左腕。左打者が不得手とする下から浮き上がる速球を武器とする。
山本和男…スリークォーターから多彩な変化球を投げる中継ぎ左腕。
池谷公二郎…とん平
新美敏…日ハムから移籍の、2桁実績もある右腕。広島では先発で通用せずも、中継ぎで活路を見出す。
長冨浩志…この年のシーズンオフにドラフト1位で入団。翌年、快速球を武器に10勝をあげ、新人王。
紀藤真琴…この時点で一軍登板はないが、後に16勝ピッチャーとなる。 >>11
日テレの放送で、広島メインの内容を放送するんですね >>11
それをリアルタイムでテレビ観戦できた俺は
いま思えば幸福な世代といえるのかな 大野は先発で100勝してないからちょっと評価下がるな >>16
通算の勝ち数は148
「区切りのいい150勝を狙う気はなかったのか?」 の問いに対して大野は、
「あと2勝するために5敗も10敗もして、チームに迷惑をかけるわけにはいかなかった」
うん、うん 雑誌 『実話BUNKA』 2015年7月号
下衆記事 「吐き気がするほど気持ち悪い黒田博樹 男気に隠された計算」 >>19
あのクソ雑誌は世の中のすべてのものを否定するw >>15
広島初優勝と日本シリーズの山口高志の投球を見られた人は幸せだよ 北別府はよく下位球団からの勝ち星云々言われるけどかわいそうだな
仮に中日ヤクルト大洋からの勝ち星が30勝台だっとしたら、巨人も含めて他5球団から30勝以上は流石、
200勝はならずとも安定感抜群の立派なエース、と褒めてくれたのだろうか? ワタシ巨人ファンでこのスレ見ておりますが、
巨人の斎藤雅樹も「広島に弱いクセに
下位チームから稼ぎまくりw」なんて揶揄されることもあるので、
似た様な感じでしょうかね・・・(´・ω・`) ヤクルト、大洋はともかく中日は下位球団じゃないだろ
広島と首位争いしていたことが多い
その中日に北別府が強かったのだから価値は高い >>24
斎藤さんマジハンパないでしょw
あの人の完封能力尋常じゃないよ! 仮に北別府の通算勝ち星から、荒稼ぎしたと言われる中日・大洋・ヤクルトからの勝ち星を15勝ずつ引いたとする
それでも168勝なので200勝投手の東尾と工藤の間の世代(二人は13歳も差がある)の投手ではトップだ
通算勝ち星から45勝も引いてもなお同世代NO1の勝ち星で他5球団から30勝以上って相当凄いと思う 広島のエースは外木場、池谷、山根、北別府、の順番が正しい
北別府がエースだったのは85.86の2年間だけ
大野はノーコンで立ち上がりが悪く投げてみないとわからない川口とよく似たタイプだった
85年はエース山根の故障で北別府と大野どちらがエースかなどとよく論議されていた
数字だけでよく北別府が過大評価されている 北別府は江川と投げ合って負けたイメージが強くて(通算で3勝11敗)
なので絶対的エースと言った感じがしないんだよね
あと阪神戦は85年以降強かった 小林と北別府はよく似てた頬っぺたの赤いほうがペイだ >>38
そんな書き方じゃぼんちおさむとかと間違えられちまう(´・ω・`)
お笑い系物まね芸人の草分け・団しん也と瓜二つな人。
山根の現役時代には団しん也本人もネタにしていた。 >>39
団しん也と言えば、面白クラブ。
面白クラブといえば赤塚不二夫を筆頭に、坂田明、タモリ、所、アルフィー、山本晋也等など…。
失礼、今の若い人達は知らない事だよね。 >>38
>>39
当時似てると言われた囲碁棋士白江治彦八段
活躍時期とダブり、1979(41才位)〜85(47才位)毎週土曜日朝10時〜11時30分頃
TBSで囲碁鶴聖戦の司会をやってました
1938年生まれ白江八段の若い頃
http://imgsearch.mobile.yahoo.co.jp/detail?p=%94%92%8D%5D%8E%A1%95F&ib=16&ySiD=1C3TVRtxs2FJaJZ4Irxq&guid=ON 84年はシーズン後半山根は故障して何とか日本シリーズに間に合わせたんだ
抑えは七色の変化球レーシッチを予定してたが序盤で使いものにならないことが判明
小林が中継ぎ抑えの両方を兼ねてた今からでは信じられないロングリリーフだ
リーグ優勝決めた試合は小林が先発完投した
この年まではエースは山根 佐々岡抜けたあとにエースらしい投手だったのは大竹と前田だけだな >>43
エース候補はほとんどが短命に終わったからなあ 勝利数でみれば北別府がエースだけど
日本シリーズや天王山や巨人戦では山根を先発に立てていたから
本当は山根がエースなのだろう。 福士、北別府は故障に強かっただけで信頼度はイマイチだった 福井はこの中に入れるかな
でも、伸びてきた頃にFAであっさり消えそうな気もする 山内、幹英、沢崎、長富は短期間の活躍で終わったよな 北別府は巨人を苦手にしてたのが悪印象なんだよな
川口や大野が頑張っても北別府で一つは星を落とすってのが80年代の巨人戦だった
まぁ巨人は伝統的に右の本格派をカモにしてるチームなんだけどね
小松や松岡や遠藤もやられまくってた >>51
対巨人、30勝33敗。
決して巨人に弱かったとは思えないがな。 北別府の全盛期は79〜86年で、そのころ大野や川口(81年〜)は北別府より下であったが、
北別府より下であることをマイナスに捉えられることはあまりない
大野や川口が本格化したころ、北別府はやや衰えて彼らより下に評価され、
何となくマイナスイメージを受けることになる 大野、川口が巨人打線を1点に抑えこむが貧打線が完封される。
北別府は打たれるが勝利が転がり込む。 大野は狭い市民球場で防御率1点台を4回も達成した、しかも打者優位の時代に。
実力的には大野が文句なしに歴代No.1
だがいかんせん勝ち運がなかった。0-1で負けることも多く、それゆえ200勝できなかった。 備前喜夫さん (旧姓・太田垣喜夫) が死去されました。 享年81。
1953年から5年連続2桁勝利 (1957年には20勝もマーク)
カープ一筋で11年間に通算115勝 (149敗) 防御率2.96 カープの苦難の時代を支えてくれたOBたちも徐々にいなくなっていく・・・
ところで名スカウトの故・木庭さんは、あの池永正明も本気で獲得を狙ってたらしい
池永、外木場、安仁屋の先発陣・・・うほっ!
池永もカープに入ってたら忌まわしい黒い霧事件には巻き込まれずに済んだかも
年齢的には1975年の初優勝にも間に合う 80年代半ばまでは打高だけど80年代後半以降は投高じゃないか?
投高でないにしても、それまでよりは打高ではないと思う。
大野が200勝いかなかったのは勝ち運ではなく、先発・リリーフ兼任だったからでしょう。
あの起用方法では200勝は無理。先発一本だったら達成してたか、故障がちで
無理だったか、それは分からない。 起用法ということなら江夏も先発リリーフ両方やったが206勝、セーブも200近く挙げた
からな。
江夏の場合20勝を4回やったが大野は現役22年で年間13勝が最高。
だが二人の間にそこまで実力差があるとは思えない。
ただ大野の場合小柄な身体をフルに使って投げるフォームだったからどうしても身体に負担が
かかりやすかったんだろう。 大野自身はは江夏がやってたストッパーをしたかった
ザ・カープで江夏が大野は故障しやすいそういう投げ方なんだと話してたな >>57
木庭スカウト「池永なら契約金3000万は出さんといかんでしょうな」
しかし時代は自由競争の頃で池永は契約金5000万で西鉄ライオンズへ >>51
そもそも北別府ってあんまり巨人戦投げてない気がする
山根がよく投げてたかな?って記憶が 大野
先発とリリーフと両方だった
実力がありながら怪我で13勝止まり
打線が好投を見殺し 佐々岡、大野この2人は先発させられたり抑えやらされたり扱いがぞんざいでしたなw
お二方とも大好きですけどチョット球団に振り回された感がある 前田が二回目の沢村獲りそうだが
北別府も二回だっけ?
大野一回だったかな
なかなか凄いな前田も ーーーー防御率 敗北
長谷川 2.65 208
外木場 2.88 135
好投しても報われないカープの投手陣 話しすっ飛ぶんだけどさ
黒田入団前に素性調査で苑田さんは色々知ってる訳だよね。。。
黒田の知らんとこでオヤジさんとやりとりあったのかな?
昔ばなし交えつつw 黒田博樹の親父さんは南海ホークスの外野手として
巨人との日シリに出てるんだね >>72
ネットで現役時代の黒田一博さんの写真を見たけど
それは最弱球団・ユニオンズ移籍後のもの ホークスの柳田悠岐は広島経済大学の野球部出身だけど
そのときの同大学の監督は元カープの投手・龍憲一 外木場は長谷川良平監督のときは干されてたとか
この両者はどうも合わなかったようで 長谷川良平さんってカープの監督を辞めた後は
中日のピッチングコーチになってたんだな
愛知県出身として一応は夢が叶ってたわけかw >>76
ノーヒッターなのに3年間ほとんど登板がなく監督が交代したとたん20勝。 マエケンの沢村賞選考は揉めたって言ってたけど、もう北別府はテレ朝系のご意見番になっちゃったな
池谷も大概だが 実績が無いのに投手コーチになった畝は
指導者としての手腕が相当優れているのだろう 元広島カープの監督が退任後に他球団のコーチ就任といえば
初代監督の石本秀一さんが西鉄ライオンズのコーチに スレ違いだけど
歴代トリプルスリー達成者10人のうち
広島県出身が4人もいるんだね
岩本義行(松竹)
簑田浩二(阪急)
金本知憲(広島)
そして柳田悠岐(ソフトバンク) >>82
三次の野球場前には岩本さんの記念碑があるな >>82
戦前からのバント・機動力の広商vs強打の広陵という対決図式が育んだもの
とも思える。
ただ広陵OBの岩本・金本はともかく、今で言うスモールボール(甲子園戦法)が
嘗て広商野球と全国的に呼ばれた程の広商から柳田の様な「フルスイング上等!」
と言わんばかりの選手を輩出するとは思わんかった。
広商も春1回・夏6回の全国制覇の名門だけあって、鶴岡一人、山本一義と言った
強打者も輩出しているけど、柳田の様な選手はかなり異色に思えてしまう・・・・・・。 只、広商も近年では県大会すら勝ち抜けない低迷が続いている事から、寧ろ積極的に
強打者を育てようとしていると聞くけど。
柳田とかカープの岩本辺りはその流れに沿った選手(共に長打面が開花したのは大学
在籍時の様だが)なんだろうな。
そんな路線変更にはOB会方面も「だから守備とかが疎かになって低迷が続くんだ。」
「いや、今の時代、単打に固執している様では県予選すら勝ち抜けない。」と賛否激しい
様だが。 たいした数字ではないけど2015年のパの新人王は日ハムの有原航平投手
広島市佐伯区出身
最近は広島県出身者が他球団に入って活躍する例が多いねえ >>86
ソフバンだって福岡出身者は少ないだろ
福岡も他球団に行ってる奴は多い 直接の接点は無いけど古葉監督の後輩になるのな>黒田 【MLB】ドジャース・前田健太、鮮烈デビュー!パドレス相手に6回無失点。バットではチーム第1号HR©2ch.net
http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1460002376/ ★在日に多い苗字
『徳山』・『金本』・『金山』・『新井』
★在日に多い一文字名
『正』・『成』・『雅』・『圭』
★広島県内の在日比率の高い市町村
1位.府中町 2位.広島市 3位.海田町
4位.大竹市 5位.東広島市 6位.安芸高田市
上記市町村に在住で『徳山正』や『金本圭』って
バレバレな通名の奴は居ないだろうww居たら確実に在日ww >>87
広島は九州出身者と山陰出身者が多いイメージがあるな 5月22日 (日) BSプレミアム 17:30〜18:00
「釣りびと万歳・潮を読んで大アジを釣り上げろ!」
ttp://www4.nhk.or.jp/angler/x/2016-05-22/10/5403/2452051/
元プロ野球選手の北別府学さんが大アジ釣りに挑む。春から夏にかけて旬を迎えるアジ。
50センチを超える大物を目標に山口県の周防大島の沖合へ向かう。果たして結果は? >>76
長谷川さんは指導者としてはあんま語られないというか
よくない話が多いような
監督時代とかそこだけ球団史ではしょられたり 今季カープが優勝したら野村をエース扱いってことになるのかな いま無料のケーブルテレビでウエスタンの広島‐中日の録画をやってるが、
解説が外木場・達川・長内。
達川は地上波でもやってるし、長内はそこまでの実績はない。
その中で外木場は地上波の解説もなく、二軍の解説しか聴いたことがないような……。
初優勝に貢献し、ノーヒットノーランを三回達成して殿堂入りしたほどの投手なのに
なぜこんな扱いなんだろう。 外木場は新人の頃三年間干され、好投しても好投しても貧打で勝てず、
登板過多で肘を痛め引退。
実力からみれば230勝はできただろう。 北別府も86年の神がかり的な活躍以降思うように勝てなくなった印象がある
なにか悪くなるきっかけでもあったのだろうか まあ91年92年と復活したが 87年は急激な衰えを感じたね。
衰えとも不振とも言われてたけれど。 山根はいつも好投していたが援護が無く負けるばかりしていた。
山根がいなければ3度の日本一はなかった。
スカウトがドラ1に山根の後のエースになってほしいと要請していたが
年俸は勝ち星が少ないと抑えられていた。 山根はその後西武に行って抑えをしてたが、カープの四番・小早川より年俸が高かった記憶がある 北別府は衰えたか不振だったかの87年でも180イニング超えてるし翌年は200イニング超えてる
87年以降だけでも70勝以上してるのはさすが 87以降は北別府が衰えたというより
以前の勝ち星は多く上げるがパッとしない投手に戻っただけ >勝ち星は多く上げるがパッとしない投手
それがどんだけありがたいことか。
当時のカープのエースを大野という人がいるけど、絶対違うね。
大野は一度も200回投げたことがない。
北別府と川口がいて、大野はあくまで飛び道具だよ。 勝ち星を挙げる人がやはりエースだろうと思う
しかも長年に渡って投げるのが偉い 防御率やWHIPとかを重視して勝ち星なんか関係ない、って論調が最近優勢だけど、
東尾みたいに5点勝ってりゃ4点取られてもいいって思いながら投げてた投手もいたわけで。
先発完投って時代の違いもあるけど。
だって野球自体得点差を競ってる競技じゃないし。シーズンを振り返ると率だけいい成績でも勝てなきゃ何の意味もないんだよね。 北別府、川口、大野、山根の巨人戦と天王山と日本シリーズ
での成績わかりますか。 北別府がエースだったのは85.86年のみで後は池谷なり山根なりの二番手だった。
ここ一番ではそれまでは上記2人が使われて、その次にここぞという時は福士よりは北別府だったかなぁ。 87年のプロ野球選手名鑑で山根が西武に在籍していたのを知って驚いた
84年の大活躍を知っていたが翌年から全く名前を聞かなくなったので
翌1988年の山根の活躍は結構凄かったんだよな 79年は後ろの江夏が大黒柱だったけど先発陣は北別府じゃないのか?
まだ若いから絶対的ではなかったかも知れないが。そして池谷は91年の北別府みたいな感じ。
日本シリーズでは北別府はコケて山根の存在が大きいが、それは結果論で北別府は第一戦を任されたわけだし。
この時点では山根は伏兵でこの年のカープ投手陣を支えたという意味では完全に北別府だと思うが。 ジョンソンとやらもなかなかだが、
野村もついにエースへと登り始めたかね。
羨ましい限りだわい 巨人からしたら羨ましいって
菅野の方が内容的には上じゃん 上にも話が出ていたが、勝ち星の伸びない投手を
エースとは呼びたくない(´・ω・`)
今年がたまたま恵まれないのなら、しょうがないとも思うが、
毎年のことだもん。 勝ち星で投手の能力を測る癖を捨てないかぎり、NPBとMLBの戦術レベル差は拡がるばかり。 今の野球だとそうすべきだろうね
でも過去の投手を評価する場合は日本では勝ち星が重要だろう
もちろん全てではないけど 今井雄太郎、川口和久等勝ち頭ではあったがエースではなかった
79年は池谷、82年は山根がエース >>122
メジャーでも重要だったよ
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過去の選手だから過去の価値観で評価されるのは当然だろ
過去にも今の価値観があったら起用方法やら調整方法やらが違ってくるんだから このスレの三本柱で言うのなら、
当時を見ていた野球ファンであるなら、
川口大野よりはやはり北別府がエースでしょう。
被打率だとか奪三振率だとかの観点で見れば、
確かに北別府より優れているのでしょうが、
エースたる所以はやはり勝ち星じゃないのかな。
だからこそエースたるもの15勝だとか20勝だとか言われる訳だし、
名球会の条件が200勝なんだろうし。
大リーグだって300勝クラブとか言うしね。 北別府は池谷・山根・福士の時代と大野・川口の時代の両方のローテを守ってるんだよ
佐々岡が台頭してきた時も健在だったし
まぁ年上の大野より先に衰えはしたが ドラフトで指名した投手に「山根の後のエースと期待して指名しました」
と挨拶していたので山根がエース。 もし79年が池谷、82年が山根なら87年は北別府だと思う
エースは過去の実績や精神的支柱みたいなものも必要だろうから
これらの年は3人ともエースではあったがその年は残念ながら不安定だったという評価
87年よりは内容が上だった88年も北別府かも 1968年に2本柱として活躍した外木場と安仁屋って互いに意識してたのかな >>134
互いに相手のもみあげは意識していたと思うの。 問1
黒田の背番号15が永久欠番になる確率を求めよ 外木場の場合打って勝たしてくれないので
自分で完全試合とノーヒットノーランを達成して
エースになった。 広島のエースは漢字三文字名であってほしい。
長谷川、太田垣、安仁屋、外木場、北別府、佐々岡 リアルタイムを知らなければ87、88の北別府の内容の悪さはわからんだろうな
よく二桁勝てたもんだというような内容だ
5.6勝でもおかしくないような
広島時代後半の川口が打線の援護なく一桁勝利しかあげられなかったがその時の川口の内容の方が余程いい
山根の82は打線の援護が皆無だが内容が悪い訳ではない
79の池谷は全盛期の川口位の活躍はしていた
79の池谷82の山根と87.88の北別府ではすまないが比べ物にならない >>138
前田は真栄田
黒田は苦労田に改名したらいぃよ! >>140
マエケンのスコアボード表記は 前田健 だったからいいじゃない 87年はともかく88年の北別府はそこまで悪くはないんじゃないか?
調べたら200イニングも超えてるし無四球が9つもあった
後半ちょっと負けが込んで最終的には負けの方が多くなったけど
確かオールスターにも選ばれてなかったっけ?(巨人の水野が代打に出た年)
87と89・90が悪かったからドサクサに紛れて88年も悪かったことにしたいのかw >>138
な、何となく分かるw
88北別府は、無四球だか与四球に関する何かの記録に迫ったんだっけ?
209イニング27四球だからリーグトップクラスには違いないよね。
でも無四球試合9はリーグトップではなかったらしいが。 書き忘れたけど、86年までは毎年の様に
チーム勝ち頭だった北別府が10勝前後しかできなくなって、
前年との比較もあって、衰えが指摘された印象かな。
山本衣笠の引退が相次いで、打線が急激に細くなったのも
援護点という意味では影響が大きかったかも。 他の投手も援護点もらえなくなってマイナス5勝ですか? 外木場と山根と大野は好投しても1-0か2-1で負ける
ことが多かった。 >>143
無四球試合9試合はその年のトップだったはず
歴代のシーズン記録でも10位タイ 山根は最多勝利賞争いしているのにそれを蹴って
日本シリーズのために登録抹消して調整していた。 池田さんって横浜大洋のコーチになってヤジられてた人? ★在日に多い苗字
『徳山』・『金山』・『高山』
★在日に多い一文字名
『正』・『圭』・『雅』
★広島県内の在日比率の高い市町村
1位.府中町 2位.広島市 3位.海田町
4位.大竹市 5位.東広島市 6位.安芸高田市
上記の市町村に在住で『徳山正』や『金山圭』って
バレバレな通名の奴は居ないだろうww居たら確実に在日ww 池田氏は星野第一期の中日投手コーチで88年Vの一員だったな 【野球】広島・黒田博樹投手が今季限りでついに現役引退。午後7時から記者会見©2ch.net
http:// hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1476777651/ 昭和50年の初優勝以前は弱小とかお荷物だったイメージが強いけど、昭和40年代の投手陣はなかなかだったと思う。
外木場、安仁屋、大石、白石の4本柱に期待のホープ佐伯。
他に単年で大活躍の藤本、金城などもいた。 完全試合1、ノーヒットノーラン2の外木場は
なぜ永久欠番にならないんだろう。 自分は水原監督の頃からずっと中日ファンで、当然他球団の主力選手は好きじゃなかった。
堀内も江夏も平松も・・・
でも外木場だけは何故か好きだったな。
やはり巨人戦でのノーヒットノーランをテレビ中継で見ていたのが大きかったかも。 >>158
仮に野手がサイクルヒット5回したとして永久欠番考えるかって話やろ >>160
5回記録できるほどの選手がいたとすれば、
永久欠番でも何らおかしもない感じがする。 サイクルヒット五回は無安打無得点三回に匹敵する大記録。 外木場の場合ノーノ―3回(内完全1回)だけでなく、最優秀防御率に最多勝、最多奪三振、沢村賞受賞。
弱小時代からチームを支え、初優勝時の大エースにして功労者なので欠番でもおかしくないと思う。 金田だって永久欠番じゃないしね。
普通は国鉄で欠番にするでしょ。
要は球団の考えなんじゃないの。 >>162
サイクルヒットってそんなにすごい記録かね?
野球は勝ちゃいいんだから打者としては中村武志の代打満塁本塁打とサヨナラ本塁打の方が意味あるでしょ。
サイクルヒットより四打席連続本塁打の方が全然すごいのは歴然としてるし。 外木場と安仁屋・両輪時代のカープについて書かれた本が発売 >>165
まぁある種の珍記録ではあるんだろうけどね。
四打席連続本塁打ともなると、
実力もさることながら宝くじみたいな強運って感じ。
通算HRランク上位がだれでも記録してる訳でもないし。 サイクルヒットや4打席連続ホームランなんて1〜2試合だけの爆発
だからこそ長期的に活躍したことを証明するように通算成績が素晴らしい選手が永久欠番になるんだよ >>164
たしかに金田(巨人では欠番)や杉下、別所、江夏も南海・杉浦、阪急・山田も欠番じゃないもんな 山田と鈴木啓示が対談で「もうチームもなくなったし永久欠番とかどうでもいいよ」とか言ってて寂しくなった。
身売りを繰り返すパ・リーグの選手の悲哀だよね。 カープの優勝記念の雑誌がやたらと出てるけど
過去の名選手回顧のページでは2代目エースの
大石清の扱いがショボすぎる
まったく載せてないものもあった
長谷川の次はいきなり外木場というイメージ >>172
広島在籍のほうが長いのに、何故か阪急の人というイメージなんだよな。 くそ弱かった時代のカープで3年連続20勝以上だぜ
そんな偉業は大石以外では長谷川だけだろ
当時のファンならじゅうぶんに認めてるだろうけどな 田中があの楽天で防御率1点台で0敗。
外木場が防御率1点台で14敗、
2点台で20敗。
打てなかったんだな。 >>176
イニング数と防御率と勝敗で、いかにチーム力に恵まれなかったか分かるよね。
V9時代の堀内なんか巨人にいたおかげで異常な勝率だし。
堀内 投球回 防御率
66年 181回 1.39 16勝2敗
67年 149回 2.17 12勝2敗
68年 206回 3.31 17勝10敗
70年 282回 2.07 18勝10敗
71年 226回 3.11 14勝8敗
72年 312回 2.91 26勝9敗
外木場
68年 302回 1.94 21勝14敗
69年 304回 2.69 11勝20敗
70年 223回 2.64 13勝14敗
73年 249回 2.64 12勝19敗
74年 310回 2.82 18勝16敗
外木場の実力だったら所属チームによっては200勝もいったかもな
それを言ってもしょうがないけど・・・ >>178
そう、それを言ったらなんもかんもおかしくなるw 大石
341回 2.56 26勝13敗
346回 2.44 27勝18敗
331回 2.68 20勝18敗
218回 4.15 10勝22敗
261回 2.92 17勝15敗
大石の実力で他チーム所属なら1シーズン30勝していたかも 当時のカープで3年連続20勝ってのは本当にすごいと思う。
しかしこういう孤軍奮闘の投手は、中日権藤なんかもそうだが結局登板過多で壊れてしまうね。
外木場もあれだけの投手が、通算131勝138敗で負け越しているのは不遇。
それだけにチーム力とはあまり関係ないノーノ―3回に1試合16奪三振の当時のリーグ記録は勲章だろう。 外木場って大事な場面で弱小打者に打たれて負けた印象が強い
巨人の森とか末次とか 最多勝と最優秀防御率のタイトルを両方獲得した中で最もマイナーな選手のひとり高橋里志 >>181
権藤といえば中日よりも大洋の方が酷いだろ・・・・。 75年からしか知らんが既に池谷の時代が始まっていた >>185
力投する池谷は好きだったけど
「時代を作った投手」 とまでは言えんよ 池谷は昭和50年の初優勝時は18勝したが、あくまで外木場、佐伯に次ぐ三番手という感じだった。
翌年も怪我で離脱するまではやはり外木場がエースだった。
この年20勝してエースとして迎えた77年は成績イマイチ。
以降は主力投手のひとりって感じだったかな。 カープ入団前には米国メジャー・リーグから誘われていたという佐伯と池谷
佐伯はサンフランシスコ・ジャイアンツ、池谷はピッツバーグ・パイレーツ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています