上田利治元監督のお別れ会10月20日 18時30分動画nhk
プロ野球・阪急の監督として活躍しことし7月に亡くなった、海陽町出身の上田利治さんのお別れ会が海陽町で開かれ、多くの人が最後の別れを惜しみました。
上田利治さんは、旧宍喰町、今の海陽町宍喰の出身で県立海南高校から関西大学に進み、プロ野球の広島に入団したあと選手、コーチを経て昭和49年に37歳の若さで阪急の監督に就任しました。
阪急ではチームを3年連続で日本一に導くなど黄金時代を築き、平成15年には野球殿堂入りを果たしました。
20日は上田さんのふるさと、海陽町宍喰にある町民センターでお別れ会が開かれました。
生前親交のあった人たちなどおよそ200人が集まり、黙とうのあと、順番に献花を行いました。
その後、上田さんの妻の勝子さんが「主人は宍喰の美しい海や山が大好きでした。お集まりいただき、主人も喜んでいると思いますありがとうございます」とあいさつしました。
会場の別の部屋には監督時代のユニフォームや、阪急が優勝したときに地元にがい旋して行ったパレードの写真なども展示され、訪れた人が故人をしのんでいました。
生前、上田さんと交流があったという女性は「とても優しい人で、息子の進路のことでお世話になりました。最後にお別れ出来てよかったです」と話していました。