【王756号】1977年のプロ野球【阪急V3】 [転載禁止]©2ch.net
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太平洋クラブ→クラウンライターへ(しかし内情は変わらず)
大洋川崎最終年 開幕4連勝で4月中旬の甲子園で阪神3タテで独走ムードだった巨人が5月中旬に失速、川崎−ナゴヤで4連敗、
更に北陸シリーズで大洋に富山、金沢でも敗れ6連敗。金沢では13−4の大敗だったかな?
最後の福井の試合でも先発に小林を立てながら逆転され、9回裏。
ここでも代走のルーキー松本が二塁盗塁死で2死ランナー無し。柴田は歩いて打者高田。投手はストッパー小谷。
この頃不振の王と同じくらいホームランを打ってた高田が一発狙いで強振し、レフトオーバー逆転サヨナラ2ラン!
これで巨人は息を吹き返した。ベテラン揃いでオールスター明けに負けが混んだが、8月のお盆時の長雨で1週間
中止が続き救われた。(実は自分の後楽園初観戦予定の試合もこの長雨で流れた)
それにしても福井で先発した小林が福井で急死し、高田が大洋の後続球団のGMになるとはねえ。 果たして2ちゃんではどれだけのリアルタイマーがいるのだろう・・・
当時の俺はローカルな駅弁大学の学生 >>3
その川崎球場にロッテが入り
ジプシー生活から開放 ロッテは当初、横浜平和球場を大改装した横浜スタジアムを
ホームにしようと画策し、横スタ側が大洋優先と判明すると
後楽園の巨人/日本ハムのように球場シェアを持ちかけて横浜に収まろうとしていた。
結局大洋側が拒否したのと空き家になるため引き留め運動をしていた川崎側の陳情で
川崎球場に収まった。 ロッテが日本シリーズ進出の場合はまたも後楽園を使用する予定だった。
もし実現していたら81年よりも先立っての後楽園対決だった。 中日に加入したデービスのインパクトが凄かった。まさに走塁超人。
ナゴヤ球場(対巨人戦)での満塁ランニングホームランや
センター前ヒットで二塁まで到達するなど、黒い弾丸と恐れられた。 >>6
この年の巨人は日曜日の試合に限って6連敗という珍記録があった。
ベテランが多いから節末はくたびれるという珍解釈もあったようだ。 >>13
去年のオリも日曜連敗が6ならば…
(´;ω;`) >>3
運よく (?) ギリギリ川崎球場で地元球団・大洋の主催ゲームを見た
秋の平日、夕方におこなった広島相手の消化ゲームで、無人同然のスタンドw この年の広島と大洋は去年のヤクルト状態だった
打線は打ちまくったが(特に大洋は巨人と総得点がほぼ変わらず)
投手陣がそれを上回る大量失点続きで台無しにした 広島はトレード失敗した年だな
助っ人はライトルとギャレット獲得して成功したけど パ・リーグのプレーオフは阪急vsロッテ
2勝2敗で迎えた第五戦は足立の完封で決着がついた。
巨人相手の日本シリーズでも足立は第二戦完封。
それにしても、足立は大舞台に強かった。 足立は前期も完投で胴上げ投手なんだよなぁ。
2-1、11安打も打たれながら。全く底知れぬ勝負強さ。 ところでこの年のセリーグの新人王がどう考えても納得いかん。
防御率 試合 完投 完封 勝利 敗戦 S 投球回
梶 間(ヤ) 3.34 44 3 1 7 7 1 150-2/3
斎藤明(洋) 4.40 38 3 1 8 9 0 141-1/3
斎藤明夫が1勝多いこと以外、どこからどう見ても梶間の方がタフに投げていたのは数字から明らか。
梶間は前半は良かったが後半は息切れ、斎藤は後半から頭角を現して強い印象を残したが、
なんといっても王756号目前の巨人を完封した試合、あれだけで新人王を持ってったのは事実だ。
当時のNPBがいかに巨人基準で価値判断されていたかを物語る、表彰の悪しき前例。
まあこの二人と西本(巨)を加えてしのぎを削った3人がその後も長く一線級として成功したので良しとするか。
西本は言わずもがな、斎藤の大卒600試合128勝125敗133Sも立派の一語だし、
梶間の85勝もNPB80年の歴史の中で8000人くらいの投手が選手登録された中では上から300位くらいにはなるはず。
三者三様の個性で魅力的なエースたちだった。 新浦寿夫をオールスター戦に選出された
監督は長島
しかし77年度オールスター戦登板機会無し…
何が有ったの…
長島は新浦を出すの忘れてたの? >>22
後半戦のキーマンになると考えて出し惜しみしたんじゃないのかね
この年はパリーグも、投手のファン投票1位だった村田兆治が
第3戦の最後の1イニングしか出てこなかった。 末次みたいに打撃練習の打球が目に当たるアクシデントで登板回避 この当時、正月には日テレ系列で「プロ野球オールスター歌の球宴」てのがあった。
1977年オフのこの番組はひどかった。放映は1978年1月3日とかだったけど、まあ1977年のことだ。
各チーム2名ずつ出演なのに、巨人だけ6名も出演。
しかも100点満点のところ、小林繁が歌うと200点。王貞治がマイウェイを歌ったら756点w
これらの点数がそのまま採用され、セリーグの圧勝。この翌年、あの江川問題が起こる。 >>25-26
その小林を江川と引き換えに放出してしまうのだから…
つーか古くは張本や落合、清原や小笠原みたいに
外様選手がオワタらポイ捨て体質は今になっても
変わらんな… >>25
よく覚えていますね 素晴らしい
私は小2だったので詳しくは記憶にないです
阪急に2年連続で負けてせめてもの鬱憤晴らし?
阪急を悪役に仕立てたのもこの頃では >>16-17
その時の広島監督は古葉だったけど後の大洋でやった時に投壊が原因で
失敗する伏線だったのかもね
森や伊原も投壊したチームで失敗したのも…
(´・ω・`) この年の広島は外古場が勤続疲労からか肩を痛めて衰え、池谷は登坂すると
毎回のように一発を喰らう有り様で、
前年から頭角を現した高橋里志が先発陣で孤軍奮闘していた。
ただ、打線はライトル、ギャレットが加入して重爆撃打線化し、
その後79・80年のV2の原動力になる。 9月の末から野村解任騒動で大揺れで、野村シンパの江夏と柏原の行き先に注目が集まった。
南海がロッテ入りが決まった野村とは一緒にするはずがなく、江夏は広島へ。
これが新しい歴史を生んだ。 この年1月の週刊ベースボールに阪急の山田足立山口の自主トレ風景の写真が載ってた。
キャプション曰く「ノルマは3人で55勝」つまり山田20勝山口20勝足立15勝。
実際3人ともそんなには勝てなかったが、自主トレ時点では大いにあり得る数字と思えたもんだ。
ところで山口高志。野球ジャーナリズムは「3年目の今年こそ20勝で真のエースへ」とやかましかった。
でも客観的に見て、前年の日本シリーズでも無双だったのは第1戦だけ、
7-0から7-8の逆転を許した第6戦のKOをもって神通力は失われたように見えた。
例の腰痛はまだ発症前とはいえ、マスコミが言うほど甘いものではなかったと思うんだけど、
当時阪急ファンだった人はこの頃の山口をどのくらいのポテンシャルと見立てていたんだろうか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています