【三本柱】斎藤雅樹・槙原寛己・桑田真澄part7 [転載禁止]©2ch.net
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>>746
サインは利き腕使うから指が疲れるとかあるんじゃね。新しい変化球の練習するなら
サインはしたくないだろうから。巨人だとサイン100人単位になるだろうから
地元・他県のリトルリーグの子が押し寄せる >>723
オタクがなぜイジメられるのかよく分かる。イジメられても仕方ない。 >>748
まあオタクがイジメられてても誰も同情しないからなw 殿堂入りしてから芸スポの殿堂ニュースが出る度に一匹のアンチ斎藤が現れ
なぜ入れたかわからないとか斎藤程度が入れる殿堂は価値が下がったとか
一人でブツブツ不満を漏らしてる奴が今年も湧いてきた
なんなんこいつ… すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
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1B8TO 宮本じゃないの
89年 斎藤20勝 桑田17勝 槙原12勝 宮本5勝
90年 斎藤20勝 桑田14勝 槙原9勝 宮本14勝
91年 斎藤11勝 桑田16勝 槙原9勝 宮本11勝
92年 斎藤17勝 桑田10勝 槙原12勝 宮本9勝 >>754
斉藤と桑田が凄いな。槙原は当時は遊んでる時期で不摂生で体調不良で投げていたか 槙原は89年に先発リリーフで酷使させられて故障したからだろ
何も知らんガキがほざくな 宮本、好選手だったんだね。
あと、香田とカムストックがローテーションを守ってたな 4番手宮本 5番手香田かな 90年に木田がでてきたけど
89年日本シリーズでは香田が救世主になるんだけど 木田は安定感ないやろ
他に誰かいた気がするが、思い出せない 81年 1位槙原
82年 1位斎藤
83年 1位水野 2位香田
84年 3位宮本
85年 1位桑田 2位広田
86年 1位木田
87年 1位橋本
88年 1位吉田 2位松谷 水野は先発ローテーションに入れてあげたら、もっと勝ち星伸びたやろな
あと、橋本も先発で使ってあげれば良かった 谷間に普段リリーフの広田いきなり先発させたら好投しちゃったり、
89〜90年あたりは誰出しても上手くいっちゃう感じだったな 広田先発って記憶にないなぁ
水野は長いイニングがあまり得意じゃなかった印象だけど、
それを除けば便利な存在だったね。
87年は、ほぼ先発で10勝2点台(規定投球回はクリアせず)。
度胸もあるし、短いイニングなら球威もあったから、
リリーフに専念すれば、鹿取なき後の火消しを任せられたと思うけど、
そもそも藤田さんには、あまりその気も無かった様だがw
思い返せば石毛よりは水野の方が良かったと思う。
橋本ー水野の甲子園優勝投手リレーとか話題になりそう。 広田はいいリリーフだった
野村再生工場で復活したな 確かに、石毛より、水野が抑えに、良かったかもね。
広田もいい投手だよなあ。 水野は度胸あったからなあ
89年の日本シリーズの流れが決まりそうな6戦目で抑えで出てきて
しびれる展開で抑えたのが真骨頂だね 一年目の故障は関係あるか?
一年目以降、活躍してるやん 肩手術してから回復力とか落ちたらしいよ
連投するのがしんどかったらしい >>770
水野は回の頭から投げるよりランナーが溜まってから出て行くほうが
目立てるから好きと言い放ってたからな 87年オフ〜88年の開幕前は「これからのドーム時代は、桑田・槙原・水野の新・三本柱の時代」と言われていた。
その頃の斎藤はどん底の時代。 86年後半あたりかな、表三本、裏三本の6人ローテ
江川、西本、加藤、槇原、桑田、水野と揃ってたのは
クロマティの活躍もあったし、あの年優勝してほしかった 86年は原が手首やらなければ40発打てそうだったのにな つべで昔のピッチャー動画見てたけど
宮本が存外に良い球投げててビックリ
95年頃でも148-149kmのストレート連発してた
同時期に川口阿波野が巨人来たけど、レフティー1番手は宮本だったんだと再認識したわ 結構良いストレートと、
結構良いカーブで
なかなかの奪三振率を誇っていたんだよね
内海とか昔の角もそうだけど、
左腕というだけでプラスになったりするのかな。 フィールディングとクイックが上手かったのは覚えてるけど
改めて見ると、全盛期の工藤大野川口と比較しても遜色ないレベル
89-90は確かに良かったけど、それ以降はそこそこ止まりだったから
槙原と同じく勝ち運が無かったのかも 宮本の話し?
宮本ってフィールディング良かったんか
あまり、そう言われているのを聞いたことがないから意外やわ
桑田斎藤は有名だわね 90年日シリの斎藤ってサイドじゃなくてスリークォーターで投げてるな
当時の中継で、いつもの球の軌道と違和感あったからそのうち捕まると観てた憶えがある 槙原がテレビで一茂を説教してた。
土井コーチへの暴言が今でも許せなかったのか。 菅野ノーノー記念パピコ。
上原内海菅野と歴代エースが3代揃って現役なのも稀だよな。
セイロクは現役時代は大好きだったけど、もう退いてくれよな。 指導者候補に桑田がよく挙がるけど、槙原は現場復帰せんのかな
引退後は解説キャスターの仕事ばっかだけど
原復帰するのはなし崩し的なものだろうから、松井上原阿部のいずれかを
次期指導者として育成して欲しいな 松井の芽ってもうないんじゃないの
長嶋も力ないだろうし
原の院政が続くだけ 原ー阿部ラインが確立したら由伸の再登板はもう無いな 由伸一派の二岡や井端はどうなるんだろうか?
二岡は原が最初に監督やったときはお気に入りの選手だったけど
例の不倫で北海道に飛ばされた経緯があるからな。 飛ばしたのは原の意向か?清武の意向か?
引退後即国際部に雇ったのは原就任中だったが 清武がぶちぎれた という話らしいけどね
あのころはトレードドラフトは清武主導でしょ 3本柱は揃って先発でまともに活躍したのは89年~94年の6年間。
3本柱のキャリアハイが89年。
3人が怪我なくフルシーズン活躍したのは94年だけ。 >>787
無能な桑田が指導者候補に挙がる理由がわからん
解説聴くとわからない興味ない知らないの一点張り。
他球団、特にパリーグのことを質問されると逆ギレするし。 槙原はMBSテレビ『みんなの甲子園』で、大府高校の後輩・赤星憲広が『Going!』に出る時の代理司会をやって欲しい。 実績の斎藤
涙と笑い、ネタの槙原
理論派、桑田
引退後に一番楽しそうなのは槙原だね。
3連発被弾に敬遠サヨナラ、FAバラ引き止め事件、自虐ネタ満載なのに平成唯一のパーフェクト(予定)。
こんなにバランスのとれた現役エピソード持ってる人はあまりいないぞ。 槙原は現役時代から、
三本柱の中では一番饒舌でしゃべりが面白かったわね。
齋藤はお人よしコメントだけ、
桑田に至っては言っている事が理解不能
って感じであった。 巨人の某中継ぎ投手が投手の起用方が行き当たりばったりだと批判していたな。
高橋監督のことを批判したのか、斎藤投手コーチを批判していたのか。
斎藤は勢いや力で打者を抑えていて、晩年、力が衰えてから技巧技に転向するのに失敗したから、頭脳派ではないだろうな 槙原と石井一久はイメージ被るな。
めっちゃくちゃいい球投げる。
えげつないほどのね。
なのに、シーズン勝利数少ない。
無双の時とそうではない時の差が激しいのかねー 槙原は大きなけがの為にフルローテで投げられず、
勝ち星を稼げなかったことが多かったね
86年は12〜13勝、89年なら18勝くらいは年間ローテならできただろうと思う。
もっとも、それも含めて体力≒能力なのかもですが。
石井はそういう事あったかな。
当時だと郭泰源とか大野豊も、割とガラスのローテだったよね 解説に「今日の槇原は手も足も出ませんね」と言ってる側からいきなり逆転ツーランとか打たれるのが槇原
「今日の斎藤はぜんぜんダメですね」と散々言われてもになぜか8回2失点とかなのが斎藤 斎藤は、ミスター完投と呼ばれてた
スタミナ、安定感が抜群だった 槙原寛己
アイラインにアートメイク して不自然に目の周り黒くなってるんだけど誰も注意しないんだろうか? 斎藤は公式戦の疲れからなのか日本シリーズではイマイチだった。
公式戦では苦手な広島戦を避けて登板していた。 ラストシーズンはなぜか広島戦ばかりあてられて散った 斎藤は前いたフジへ戻るよりTBS行って三本柱解説してほしかったな 通算防御率
斎藤:2.77
槙原:3.19
桑田:3.55
実は3本柱の中で桑田が一番ザコ 桑田は巨人歴代最多敗戦投手。
堀内や別所よりも多い。 今日の3試合を切り抜ければ平成唯一のパーフェクト確定。
今日だけは各試合、プレイボールとともに一旦、攻撃側の応援をするんだろうな、マッキー。 桑田はまさに全盛期を迎えようとしていた時に怪我したのが気の毒だった。つうか、その年の最初の登板、ヤクルト戦でキレキレだったのに九回に危険球で退場して、そこから歯車が狂い出した気がする。 あのケガについてはデーブ大久保がすごいこと言ってたね >>809-810
その理屈だと、通算防御率3.45の工藤は槙原より下ということになるね。 桑田の怪我は保存療法で問題なかったのにと関係者が暴露してたな。 >>814
あの試合だが、ダイビングキャッチの後も投げ続けてたんだが
痛そうなそぶりもなかったし、その後の球威や変化球の切れも変わらなかった。
実況や解説者などもまったく気が付いてなかったからね。
だから桑田の性格からしてもデーブ説(公傷狙い)は有力だろうね。 >>817
あの阪神戦では8回まで投げ切って勝利投手になった。
お立ち台でダイビングの件を聞かれ「あんなの怪我のうちに入りませんよ」と豪語していた。 >>816
じゃあ何で手術したの?手術後は明らかに球速が落ちたけど。 さすがにそんな理由で球威と肘犠牲にしてまで手術しないよな
ジョーブ博士が手術したんだし 田中は同じひじの靱帯断裂だけど保存療法で治したからな >>817-818
嘘つくんじゃないよ。あの試合リアルタイムで見てたが、たしか痛みを訴えて6回途中で降板したはず。↓の資料でもリリーフは木田、岡田、石毛を投入してるし、8回まで投げ切ったなんてデタラメもいいところ。
https://www.my-favorite-giants.net/giants_data/result_year/1995.htm >>817
>>818
怪我した後も先発してたよな、抹消中も何度かブルペンに入ってた。
それで長嶋が視察に来るとその途端に止めて隠れていたのもあって、
メジャー希望が関係してるとか色々言われてた。
>>819
>>820
関係者は一応メスを入れたのは違和感を0にしたかったのかもしれないみたいにフォローはしてた。 あのダイビング、MBSラジオの一枝修平とミスタートラ唐渡が呆れていたっけな。
まさか桑田が亀山を真似てパフォーマンスで客を沸かせるなんて…
セリーグ5球団はヤクルトの独走を阻もうと必死なのに、
追う一番手の巨人が、それも柱の投手がこんな余裕を咬ましていていいのかと。 ちょっとひどすぎる嘘が続いてるね。
訴えられても知らんぞ。 >>816>>823
関係者って誰だよ。ソース出せ。 >>824
ABCは3連戦すべてTBSのネット受けだったな 当時長嶋監督の私設秘書だった人の著書「Gファイル ー長嶋茂雄と黒衣の参謀」.では
桑田は読売の借金に縛られた現状にうんざりしていてアメリカ行って自由になりたかった
だからどこも悪くないのに仮病で逃げた
ケニー野村が借金返済のスポンサーを探してきて桑田と会食させたがこれは桑田のやる気を削ぐ陰謀だった
ヤクルトの優勝が決まるとスポンサーは消えたw
同時期には団野村が広島のチェコをそそのかして反乱を起こさせている
息子を使ってライバルチームのエースを骨抜きにするとかノムさんすごい・・・ >>829
はあ?どこも悪くないのに、何で手術したの?肘の靭帯がダメになっていたのは事実でしょ。
その本、河田某の一方的な言い分ばかり乗せて信憑性がかなり怪しいよ。 借金に縛られてというけど読売が肩代わりしなければどうなってたんだろうな >>824
大して大事でもない試合でああいう怪我リスクのあることをやるのはプロ失格だよ >>826
当時長嶋の側近だった河田とチームのコンディショニングアドバイザーだった市川。 球速落とすようなリスク冒してまで、手術するとかありえんわw
大久保にしろ、そのヤブトレーナーにしろ、桑田憎しで言いたい放題言ってるだけだろう まあ怪我のおかげでイメチェンできてよかったんじゃないか
あのまま怪我なしで200勝しても堀内みたいな嫌われ者のままだったろうし 宝島の別冊野球本で桑田を書いたライターの記事で
92年頃に桑田の人生計画ノートみたいなのを見せてもらったら
1年肩肘を休ませる
その後メジャー挑戦
ってしっかり書いてあったって読んだ記憶あるな
たしかデイリーの番記者で仲良かったかなんか 3人とも不器用な面を持つ
ただし何に不器用かは3人とも違う >>835
大久保は自分の都合のいいことしか言わない
仲のいい人には何でも褒める
今清原大絶賛中
あいつに褒められならボロクソ言われる方がマシ
岩本金村と同レベル 香田宮本水野の裏ローテ。
考えたら他球団からすれば水野以外5本柱と言われても仕方のない充実ぶりだったな。これに加えガリクソンがいた時期もあったな。
黄金期西武に当てはめると工藤久信郭智男石井貴、ダイエー黄金期だと和己和田杉内新垣田之上か。 >>844
ただ柱が機能した時期は長くなかったなぁ
89年90年限定という印象 香田 木田は移籍して意外と長持ちしたな 吉田修司はダイエーで開花した ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています