【三本柱】斎藤雅樹・槙原寛己・桑田真澄part7 [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>547
ここ数年メジャーではその考え方になりつつあるね。
分業制が完全定着したにも関わらず、近年主力投手に故障者続出な一方、先発
完投主義だった1970年代〜1980年代初頭までのエース投手が軒並み長寿を保
ったのは何故か?という観点から。
今現在の見解としては
今の投手は100球前後で交代と少ない投球数なのを良い事に全球全力投球を強
いられているのでは無いか?
一方、70年代〜80年代初頭に掛けての大エース達は1試合150球近く投げる事か
ら、全球全力で投げるなんて事をせず、適度に力を抜く事を体で覚えていたから、
長寿を保つ事が出来たのでは?
という辺りの様だね。 日本の往年の大投手でもそういうこと言う人いるね
昔は気を付けなきゃいけないバッターは各チーム1人か2人で残りはカスだったとか
ダルもこっちでは下位打者でもスタンドに持ってかれるとか言ってるし >>40
斎藤のすごさってスピードガンとか数字じゃなくて、
不思議と振ってしまう、140キロの真ん中高めのストレート。 サイドスローだから、
浮き上がって見えるとかあるのかね 藤井寺の日シリ、バックネット裏で見たけど、
阿波野の145キロより斎藤の138キロの方が速く感じた。
近鉄サイドがスピードガンいじってんじゃねぇのって思ったぐらい。
おそらく、頭でイメージする斎藤のフォームから繰り出されるストレートより、
実際のストレートの方が速いんだと思う。
それで、頭が錯覚する。 G+のベストセレクションで1994槙原完全試合と1989斎藤雅樹11試合連続完投やるね。
Blu-rayにしてから捕獲してなかったから、久しぶりに録画w >>539
工藤も山本昌も意外に休んでるよ
工藤は20代のうちで150イニング台が2シーズンのみ、ほかは175イニングと223イニングのシーズンがあるのみ
当時のエース格としてはあまり投げてない方 サイドスローは球速の割に威力があると言われてるからね 高木豊は斎藤のボールは重さを感じたといってたね 俗にいう体重が乗ったボールというのかな 斎藤は結局、小早川の3ホームランを機に下り坂になって止められなかったけど、その時の小早川のバッティングを動画でみたら松井や掛布の全盛期みたいな普段の小早川からは想像できない凄さだった。江川の時といいなんだったんだあれは。 >>560
ホームラン打ったときの動画を見れば、
凄く見えるモンなんじゃない? 槙原って10.8決戦の動画をYouTubeで観てるとテレビで普通に話してたな
10.8決戦関連の動画って違法なのしかアップロードされていないのに
あんなこと言っちゃっていいのかなと思ったが
案外2ちゃんのスレも見ていたりするかもな TBSニノさん に出てる
どん底さんで槙原が出てる
江川に株教わったって 何で斉藤工藤が殿堂入りして、マッキーができないの? 流石に二人とは格が違うでしょ
槙原と同じく斎藤も200勝できんかったけど、
連続完投やら通算防御率やらの輝かしい記録があるし。
桑田もそうだけど、怪我がなければ200勝や殿堂入りできたかも知れんねぇ。
勿論、怪我も実力の内と言われりゃそれまでだけど。 94年のパーフェクトゲームと日本シリーズの活躍は殿堂入りに値すると思うけどなあ 兄弟があれだから?と思ってたよ
あの兄さんも今は更生してリフォーム屋で働いてるみたい 槙原の活躍って瞬間的なんだよね
良くも悪くも記憶に残る投手ではある リリーフ転向は間違い。
勝利数を大幅に減らした。
監督の一時の起用で選手は運命を左右されてしまう。 槙原は大一番で敵として出てくる先発としては一番嫌な投手
次点は上原 槙原の86年後半のピッチング見たら、翌年はあの年の桑田くらいの成績は残せると思ったんだがなあ >>569
そりゃ通算実績不足だからでしょ
殿堂入りで重要なのは通算実績
わざと聞いてるのかもしれないけど
>>570
怪我せずに殿堂入りクラスの成績を残すのもかなり難易度が高いからね
140年の歴史をもつメジャーリーグでも、アメリカ野球殿堂入り投手3人が一定期間ローテ組んだ例は
1903年から1907年までのフィラデルフィア・アスレチックスのエディ・プランク、チーフ・ベンダー、ルーブ・ワッデル
1949年から1956年までのクリーブランド・インディアンスのボブ・フェラー、ボブ・レモン、アーリー・ウィン
1993年から2002年までのアトランタ・ブレーブスのグレッグ・マダックス、トム・グラビン、ジョン・スモルツ
の3例だけしかない
このうちマダックス、グラビン、スモルツの3人は有資格1年目に殿堂入りしているからもう圧倒的 そのマダックスから親善試合でホームランを打ったのは誰だっけ?忘れた! 阪急の今井雄太郎(通算130勝、最多勝2回、槇原の前の完全試合達成者)が、
殿堂入りの話題にもならないあたり、巨人ていう下駄はでかいんだと思う。 今井雄ちゃんの完全試合は当時の毎日新聞地方版では
巨人戦の記事の横にちょこっと載ってたのを覚えている。
槙原の時はデカデカと10倍位のスペースだったな。 村田真一の評価だと、
桑田はカーブ投手、斎藤はストレート投手 で、槙原はなんだっけ? 桑田は95年が最もレベル高かったと思う。
しかし数字的には平成初期の方が良く
40イニング以上投げる間に1点しか失わなかった時期もあった。
桑田斎藤槙原共通してる事は50イニング以上連続無失点の記録が無いという事。
ちなみに完投だけなら1シーズンの記録ならこの年代の投手は87年に工藤が15勝で23完投した事があった。 そりゃ連続50イニング無失点なんて、
数例しかないんだから、神の領域でしょw
桑田斎藤槙原は好投手には違いないが、
そこまでのレジェンドではない
40イニング台なら、近年でも時おり見かけるけどね >>588
同意。開幕2戦目のヤクルト戦をドームで見てたけど、キレッキレという表現がピッタリの投球で、まるで打たれる気がしなかった。確か八回まで内野安打とポテンの2安打とかだったはず。
九回に危険球で退場したんだが、前年からのいい流れが続いていて、まさに完成しようかという時期だった。あれがなければ凄い成績を残していたといまでも思っている。あの一球から、けがなど悪い方向に歯車が回り始めた。 確かにあの開幕2戦目は援護点は2点くらいだったけど、
普通に完封しそうな勢いだったよね。
当時、斎藤桑田とも万全の仕上がりで、
どちらを開幕投手にするかが話題になっていたけど、
正に前日の斎藤に全く引けを取らない仕上がりだった。
実際にはこの試合で勝ち星はつかなかった訳だけど、
では次の登板以降は?というと・・・
それなりの好投はするも勝ち星がつかないことも多く、
例の怪我をするまでにトータル9登板9先発3勝3敗3完投1完封2.48と、
何となくいつも通りの桑田という感じであった。
仮に怪我がなかったとしても、前年並の成績くらい
だったのではないかと邪推してしまう。
勿論MVPまで取ったのだから、並の投手ではないことは間違いないのだが。
ただ福岡ドームの1-0完封はこの年のベストピッチだったね。
もしくは危険球で退場するまで。 ウェイトトレーニングで肉体改造、トミージョンからの復活で急速も寧ろ速くなっているダルビッシュ見ると、
桑田も今の時代だったら大分状況変わってたのかもなと。
体格の違いもあって一概には比較出来んだろうし、桑田らが先駆けてやってきて蓄積されたデータなんかから
今の理論も構築されてきた部分は大きいんだろうけど。 NPO誇大広告ハローワーク指導員バイトレベル
NOPハローワーク爆買い指導員(40代千本ノック)
NOPハローワーク爆買い指導員(冷暖房完備低所得者レビューアマゾンカスタマーさんコメント問題)
警察無視騒音問題 斎藤 桑田 槙原でゴールデン バラエティー番組やったら視聴率とれるのにな。
5人に1人はこの人達の試合を見てたわけだからね。 槙原はともかく、桑田は無愛想、斎藤はニコニコしてるだけでしゃべらないっていう放送事故番組になるんじゃないかw 張本が言ってたが、
ある意味、記録に並ばれること、抜かされることは嬉しい、と。
そのたびに自分の名前が出てくる。
若い人に「あの人、すごかったんだね」と思われるから悪い気分にはならない。
完全試合から22年も経ったんだよなー
杉内が惜しかったけど、達成しないとなかなかマッキーも脚光を浴びないんだろうね。 誰かが完全試合したら槙原のコメントが真っ先に出るんだろうね
果たして何年後になるのやら 22年も出てないのかあ〜完全試合。
走り幅跳びの世界記録みたいだな。 槙原のときも久々という印象だったけど、
今回はそれより長いのね。
完投が減ったこと・・・とはあまり関係ないか・・・
幅跳びは未だにパウエルなのね。
9mの大台はいつ出るかみたいな雰囲気だったのになぁ >>602
三段跳びも、ジョナサン・エドワーズが世界記録を出してから20年間破られていない。 巨人が負けた日はイライラした。
ただ、野球中継の最後の
「明日のジャイアンツは斎藤の先発が予想されています。」
というアナウンサーの言葉。
これだけでも精神安定剤になって負けた日の夜でもなんとか寝れたもんだよ。 >>102
長嶋が何もしなかったから良かった
何かしてたらボロボロ 槙原はタイトル少なかったな
あれだけの素質がありながら斎藤や桑田の後塵を排したのだから 防御率は何回かとってもおかしくない成績だったが 斎藤や大野が全盛期の時と被ってしまったな 菅野もそうだけど、どうにも勝ち星を稼げない投手
最近じゃ菅野と槙原を比較すると、
槙原にさえ失礼というくらいに勝てないレベル(´・ω・`) 今日のTBSラジオ「伊集院光とラジオと」に出た長嶋一茂。
槙原の完全試合の話になり
「6回くらいから誰もベンチで話さなくなった」
「自分を代えてくれ、と親父の方を何度も見たが1回もこっちを見なかった」
「別に自分が五感が強いとは思わないがボテボテのゴロが来るんじゃないかという予感があったのでわざと前に守ってた」
「そしたら西山が本当にボテボテのサードゴロを打ちやがった」
「不謹慎だがよく交通事故の際はスローモーションに見える、っていうけど本当にそんな感じだった」
「打球も、打者走者の動きも、送球も、全てがスローに見えた」 菅野はパワプロのプレイ動画で自分の能力を見て「負け運って何?」と言ってた。 顰めがマシになった事意外は特に変わらず、俺はただのクズ >>18
完投すれば次の日は完全休日 遠征同行しなくてもいい等
それなりの配慮はあったが?
今を基準に何でもかんでも非難すればいいと言うもんでも
なかろう 三本柱
1年だけなら伊良部小宮ヒルマンも凄かった
そのうちの一角が巨人に来てさらに桑田が復帰すると聞いて
狂喜乱舞したものだが・・・
終わってみれば斎藤劣化・・・ 桑田全盛期にほど遠く・・・ ヒルマン小錦と
最悪の一年だった
槙原はまあそこそこだったけど 意外と槙原の息が長かったな。
末期にリリーフやってなければ、
二桁勝利をあと1〜2度記録したかも知れん >>606
あれだけの投手が最高は13勝だからな
当時は「20勝を2回くらいしていてもおかしくない実力なのに、絶望的に勝ち運が無い」
とか言われてた ガラスのエースとか言われてたからな
球速、球威とも申し分なかったが、そのぶん体に掛かる負担が高かったのかもしれない >>512
そんなもんなんだろうな。ファンとしては全然安心出来なかったけど。
大野や佐々木なんて読売が絶対に打てないと安心して見てる事が出来た。田村や伊藤も。
しかし斎藤や桑田や槙原はいつ打たれるか分からなく感じてた。勝てば勝つ程、次は負ける気がした。
近年でもダルビッシュや田中なんか見ててもまず負けないだろうなと感じたけど
斎藤なんて登板する度にいつも今日は負けるかもと感じてたもんだ。
事実今振り返ってみても3回に1回は負けてる。95年の斎藤はチーム残り10試合位の時点で18勝してたけど
20勝は愚か19勝も出来なかった。ダルビッシュと田中なら20勝ててたと思う。
斎藤槙原桑田を決して安心してなんか見れなかったな。
いつも今日は打たれそうに感じた。前回登板が勝利であればあるほど次回は負けそうな気がした。
羨ましいな。応援してるチームに安心感を持てる人って。 >>350
代打出されなけりゃ25完投は可能ですよ当時の先発投手は
代打出されずに途中降板したのは年間3試合位だけだからな3人とも
平成1年の槙原寛己は17試合に先発して12勝4敗であったが、
その17試合の内、14試合が完投で1試合が怪我で仕方なく降板、
乱調でマウンドを降ろさざる得なかったのは年間2度だけであった 桑田の高卒3年目か4年目で249イニング 20完投は
当時としても異常の域じゃないかね
その後調子悪い時期も含めて毎年200イニング前後投げてるのも凄い
松坂ですら240イニング投げた翌年はかなり休んでるし 日本プロ野球の三本柱といえば、真っ先に思い浮かぶのがこの3人
メジャーリーグの三本柱といえば、この2組が有名らしいな
https://en.wikipedia.org/wiki/Big_Three_(Atlanta_Braves)
https://en.wikipedia.org/wiki/Big_Three_(Oakland_Athletics) >>621
ただ投げるだけなら投げれるけどそれだけ投げても続投出来る程度にしか乱れないという点が凄いね。
ちなみに89年の桑田槙原斎藤はある回をスリーアウト取らずに回の途中で降板したのは5試合程度。
4月には桑田を阪神戦で終盤にイニング途中で降板させ、広島戦で斎藤も同じく変えた事があった。
いずれも降板後に逆転され負けた。それで反省したのかな藤田故人は。
斎藤を途中降板させた4月半ば以降イニングの途中で三人を降板させる事は激減し、
7月に槙原を怪我の為2回途中で降板させたのと、8月に斎藤と桑田を2回で降板させた以外回の途中での降板は全く無かった。
代打での交代がたまにあった位だ他は。 >>1
いつの間にか槙さん2番目に来てるの
伝説的に凄い3人なのにどこか歴代の
大投手の域に入れなかった3人だなあ
巨人という人気球団・しかも野球絶頂期と
いうプレッシャーもあったろうけど
どこかキャラクター的にゆるさのある3人だった
槙原のボールなんか稲尾や伊藤よりずっと上
だけどね >>622
アトランタの3人は全員サイヤング受賞、殿堂入りと別格だな。
オークランドの3人は期間短かったかな。それでも00年代ならトップクラスなんだろうけど。 >>624
殿堂入りした斎藤は大投手だろ
勝率三位だし、タイトル数も多い
二軍監督となって貫禄が出てた
トークショーで伸び悩む若手投手にコノヤロー言ってたのが笑った >>624
一人でも200勝到達してくれていればねぇ。
若い頃から活躍した桑田か、安定しまくりの斎藤なら
行けるかと思ったが、200勝ってやはり偉大なんだなと思ったもんだ。 今の時代だと40歳過ぎまでバリバリ投げないと到達できないしね 山本昌 工藤 黒田も 名球会条件が200勝という基準ができた当時は今と全然違うからな
20勝なんて珍しくもなんともない時代
当時はむしろ2000本安打のほうが難しかったっぽい 今だって2000本安打と200勝は難易度同じだと思うけどね。
20勝を10回と200本安打を10回で共に到達するので
20勝と200本安打を同一難易度と考えると恐らくそんなもんだと思う。
10年連続20勝と同じだけ10年連続200本も大変だし
また、20年連続10勝と同じだけ20年連続100本も難しいと思う。
ただ、野手は8人で投手は1人と野手の方が投手の8倍の数いる訳だから
200勝より2000本の方が発生頻度は断然高いのかなとは思う。
年間を通して一軍にいてレギュラーに20年間定着し続け、大きな怪我を一度も許されない訳で難しい 毎試合1安打で年間130安打
2週間に1勝で年間13勝(26週間で26回先発し13勝)
毎日1安打と先発投手の勝率5割は同難易度だと思う。 200安打の難易度
60年代以前 40勝
70年代 30勝
8,90年代 25勝
00年代以降 20勝
くらいじゃない達成人数からしても 投手と打者って考えるとあれだが、
ポジション別に考えると捕手が一番難しい、
ノムさん、古田、谷繁の3人しかいないんじゃなかったかな。 この3人を毎晩おかずとか
飯がうますぎる
この時期の巨人ファンは幸せ でも、先発した試合を半分勝つのと
毎試合1安打若しくはノーヒットと2安打の繰り返しを15年続けるのはどちらの方が大変だろうか?
ただ投手打者共にシーズンの半分(13週)を欠場した時に
投手ならそのシーズンが最大で13勝しか出来ないけど、
打者は毎試合1安打のペースを毎試合3安打に変えて追い上げれば
欠場せずにフルシーズン出場した時の毎試合1安打の時より沢山の安打を稼げる。
打者の方が投手よりも出場機会が多い為にペースの挽回が幾らでも利くという点で
通算成績構築にあたっては有利かと思われます 勝敗つかない試合もあるから、
勝率5割では2週間で一勝ペースにはならないでしょ
あと、野手はレギュラー八人に入れればいいのに対し、
投手の場合は先発ローテ六人に入らなければいけないということもあるかな。 >>637
リリーフで最多勝のタイトル獲得したのもいたよ まあ斎藤の時代と比べて試合増えてんだから
勝利数も伸びないといけないんだけどね
近年はセリーグなんて15勝が精々っていうのは寂しいよね
しかし2年連続20勝とかほんとキチガイだな 中6日で100球で交代だからな
それでいて故障が多いし 田中マー君、
今年(2016年)先発した試合のヤンキースの成績:22勝7敗、本人の成績13勝4敗
100球制限が確立してしまうと20勝ってのは本当に難しいんだろうな。
1イニング平均15球で7回、20球だと5回までしか投げられないからなあ。 確かに三本柱も100球で降板させられてたら勝ち数が減っていたのはほぼ確実。
四球が多く球数の多い試合と四球が少なく球数の少ない試合がはっきりしていた投手達だったので、
勝ち数でも四球が多く球数が140近い試合も多かったからね。
91年の斎藤なんて91球完投勝利の試合から150球完投の試合までの幅があった。
特に斎藤に多かったけど、結果完投勝利となっても100球を投げた時点では同点若しくは負けていたケースも比較的多くあった。 全ての先発試合を100球で降板させていたら三本柱全員150勝に満たなかったと思う。
二番手以降がどれだけ失点するかは分からないので通算敗戦がどれ位になってたかは分からない。 >>641
でも100球制限が日本より早く普及していた大リーグの方が、
20勝投手って多く出現する気もするが、
よく考えりゃ試合数が多いんだよな。
200勝というものを考えた場合、
藤田監督理論と100球制限理論だと、
どちらが200勝に近づけたんだろうなぁ。 >>645
後ろ次第じゃないかな。
当時の巨人、水野、石毛といったクローザーはそんなに悪くなかったが、
広田、木田辺りのセットアッパーがボロボロだった。
だから、6〜7回まで投げたあとの7〜8回で結構落とした試合が多かったんじゃないかな。
ただ、完全分業制だとセットアッパーにそれなりに信頼おける投手(それこそ、水野・石毛をセットアッパーにするとか)
を置いただろうから、こればっかりはIFで想像するしかないよね。 斎藤なんて100敗していないけど
100球交代の起用法ならほぼ100敗に達しただろうな。
100球時点では負けてたけどその後に抑え続けるうちに終わってみれば完投勝利という試合も何度かあった。
もし100球降板時点で負けてて2番手が更に傷口を広げて自軍がその後一度も追いつけなければ斎藤が負け投手になったのだろうからな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています