「スティーブ効果」

低迷を続けるチームが躍進するのに必要なのは、新戦力の加入と台頭だろう。現有戦力の意識改革だけでは容易でない事も当然の話だ。
ライオンズ球団が埼玉に移ってからの西武は、オーナーの堤義明が79年以降新しい風を入れ続けていく事になるが、2年目の80年では若手の
成長と米メジャーのレギュラー三塁手加入が後期の戦いに影響を与えた。

前期最下位のチームに途中入団したスティーブ・オンティベロスは、まさに起爆剤といえる存在だった。前期に在籍していたテーラー・ダンカンは
64試合で6失策ながら数字に表れない雑な守備が目立ち、打撃での波も大きかった。スティーブは65試合で14失策と少なくなかったが、メジャー
仕込みの三塁守備はダンカンのそれを凌駕した。遊撃を守る行沢久隆、大原徹也も刺激を受けて守備力が向上していった。スティーブとの三遊間、
山崎裕之との二遊間で安定度が増し、チームの無駄な失点は減少した。
打撃でも勝負強さを発揮、後期のみで16本塁打、50打点と凄まじかった。メジャー通算600安打の実績は額面通り、前期三番だった山崎は本来の
二番に回って持ち味の渋い打撃を出し、二番から下位に回った立花義家は“恐怖の七番”として初の全試合先発出場で3割打者になった。
トップを打っていたもう一人の助っ人ジム・タイロンは前期9本塁打だったが、後期はスティーブに負けじと26本塁打、田淵幸一も後期24本塁打で
4年ぶりの40発をクリアした。
内野の守備力が上がり強力打線に変身したとなれば、投手もゆとりを持って投げられるのは必然で、前期3勝の松沼雅之が後期9連勝、前期5勝の
エース東尾修は後期で7連勝を含む12勝(4敗)と働いた。

おかげでチームは54試合目まで首位に立っていたが、終盤の6連敗で初優勝は幻に終わった。6連敗後の東尾による中1日での完封など見せ場も
作った西武、あらゆる選手の活躍に“スティーブ効果”は一役買っていた。契約時に3年半もの複数年要求を、ほぼ全面的に承諾した甲斐があったと
いうものだが、堤の「スティーブ一人で優勝争いが出来たのだから、それ以上のメジャーリーガーを連れて来たらもっと良くなるだろう」の号令で翌年
春季キャンプ中に入団したのがテリー・ウィットフィールド、夜明けはすぐそこまで来ていた。 (了)