1981年のプロ野球
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>>79
もろに影響受けたのが近鉄だな。
これで狭い日生球場のホームラン量産が激減した。
首位から最下位へ。西本監督もこれで勇退。 当時はパの方が狭い球場が多かったから
一番広いのが西武球場で他は箱庭ばかり
箱庭ホームランが一気に減ったってこと M社が開発した高反発球を78年に阪急が採用
79年は阪急、近鉄、西武
80年は阪急、近鉄、西武、南海
がそれぞれ採用してた(M社を採用しているセリーグ球団はなし)という説を
宇佐美徹也氏が提示してたが、数字的には辻褄があっててなるほどと思った。
80年はロッテのホームゲームだと年間114本本塁打が出たのに対し、
近鉄のホームゲームだと3倍近い319本も >>84
大差あるっての。
甲子園はラッキーゾーンがあったがそれでも最大。
横浜なんか出来た当初は「広い球場ができた」と連呼されてたんだから。
少しは事実を調べろアホ 後楽園?神宮?横浜?ナゴヤ?甲子園?広島
後楽園?川崎?西武?大阪?日生?西宮
大差ないねw そういやこの頃、神宮球場が長期改装中だったような記憶が。
この年はスコアボードだけリニューアルして翌年からフェンスが青になったっけ? >>88
大ありだ馬鹿
日生なんか「プロの球場として恥ずかしいレベル」と言われたのも知らんのかw >>89
スコアボードが電光掲示板化されたのはその前年
翌年フェンスが青色になり、さらに人工芝になった >>89
この年まではグランドコンディション不良で中止というケースがあった。
覚えてるのが4月下旬のヤクルト×巨人。
巨人2連勝で迎えた3日目、深夜から明け方にかけて大雨。
朝は曇りだったが昼前から快晴。なのに中止w
これには子供心に「ヤクルトが3連敗が嫌で逃げたんだな」と思ったほどw この時代の球場は両翼91m、中堅119mか120mが標準サイズ(膨らみは違いあるが)
九州遠征で使う平和台が中堅122mあったので広い球場と言われていたほど この頃でも明確に狭いといえたのは後楽園と川崎ぐらいか >>79
広島と中日だけホームランが増えてるね
なぜだろう? ハムのソレイタが本塁打、打点の二冠ながら、MVPどころかベストナインも落選。ベストナインは、久々の日本人本塁打王で、アキレス腱断裂から復活したとはいえ、5位チームの門田。外国人に対し、排他的な時代を象徴する記者投票の結果と言えますね。 この年のオールスターの中間発表ではライトルが3位そのまま行くと思ったが
なぜか巨人の選手に逆転されてた、監督推薦で選ばれたが。 日ハムー巨人の日本シリーズで、巨人投手陣を打てないハム打線と、日ハム応援の歓声の無さに絶望したわ。 巨人ハムのシリーズって3回あるけどいずれも4
-2で巨人な上、絶望的につまらないんだよな 日本シリーズで、勝敗に直結しなかったが、その年限りで引退した松原に本塁打を打たれたり、柴田にも安打を許していたハムの投手陣。これでは負けても不思議はない。 V9メンバーが軒並み引退あるいは第一線を退いたなかで、古巣相手に奮闘する高橋一三
感慨深かった >>103
お前、リアルで見てないだろ?
81年のシリーズは最高に面白かったよ。
日ハムも最初は善戦してたし、思わぬ伏兵平田が鬼のように打ったり、
ハムは若手の工藤が好投したり。
江川が打たれたり完璧に抑えたり、ハラハラドキドキだった。 日本シリーズの分岐点となったのは、第4戦の日本ハムの継投。同点の5回から成田、宇田らベテランを起用し、巨人の打線に火を付けてしまった。シーズン中、あまり活躍していない投手を注ぎ込んだのは、明らかに采配ミスだった。 >>103
4−2だからつまらないというのはおかしい(負けたチーム支持の立場は除いて)
81年のシリーズは確かに試合がしまって面白かった。
逆に83年の西武巨人は4−3でかなり盛り上がったが、
実は両軍凡ミスやエラーも目立ち、当時の週刊新潮に「騒ぐほどもない凡戦」と、
冷静に皮肉られていた。 試合がしまってたのは全試合が後楽園で両チームのホームグラウンドだったからかな。
最初はハムが勝つかと思った。シーズン無敵の江川が柏原に2本もホームラン打たれたから。 明らかに江川より西本が上、と思ったけど、プロ野球界は雑草の西本より、高校野球からの大スターの江川を持ち上げているんだな と思っていた。 ↑
リアルで見た奴の感想じゃないな。
あのシリーズの西本はMVPだったけど二桁安打打たれてながら残塁の山で粘り勝ちみたいな試合。
江川は最初は調子出なかったが投げるたびにエンジンかかって圧倒的な力でねじ伏せた。
最終戦みれば比較にならん怪物だったよ。 >>107
木田、間柴、高橋一三。左の先発が全部やられた。 リアルで見た感想だよ。第一戦はデーゲームに弱い江川を避けると思ったのに、高校野球の大スター江川が先発で、ああやっぱりか……と思わされた。 そもそも全試合デーゲームだからな
デーゲームに弱いってだけでタイトルホルダー(しかも投手三冠)を初戦から外す発想はないね 当時小学校5年生だったので、あまり記憶にないのですが、
うちの父がよく言っていたのが
・巨人は長嶋の「遺産」で勝っている
父の個人的感想なのか、メディアの論調を自分に伝えただけなのか、どちらなのかは失念
・「石毛、原に負けるは顔だけ」
父の話では、どこかのメディアがこのように言っていたとのことですが・・・
それ以外で、当時野球にあまり興味のなかった自分であっても記憶に残っているのは
・エモやんの例の発言と引退
・日ハム関連
メディアでもよく取り上げられていたのでしょう
自分が間柴、ソレイタ、クルーズという名前を知っていたくらいですから
・江川の活躍
シーズン20勝より防御率1点台を保っていたことの方がニュースになっていたような気がします
いつごろまで1点台を保っていたのかは失念
・日本シリーズ中の北炭夕張新炭鉱ガス突出事故
あとで知ったところによると、当時の鈴木善幸総理大臣がシリーズ観戦を予定していたものの
この事故への対応のためにキャンセルになったそうですね。 日ハムはクルーズが怪我でシリーズ不在だったのが惜しまれる。
代役で井上(先日亡くなった富田勝とのトレードで中日から来た)が奮起して
何とか穴を埋める活躍はしてたけど、平田の左キラーぶりにやられた感じが。
抑えの江夏からも打ったし。 パ・リーグのベストナイン指名打者。門田(南海)190・ソレイタ(日本ハム)27・大田(西武)1。優勝したチームで二冠王が大惨敗の27票。外国人差別とも思われる票差。しかし、大田に1票入れた記者は理解不能。 >>112
君こそ何も知らないんだな
単に運が良かっただけとか言いたいんだろうけど、タイプの違い
西本みたいなゴロ打たせる投手はある程度は安打打たれるのは仕方がないという投球をしてるんだよ
バットに当てられるから安打はそれなりに打たれる
だけど、芯を外すのに長けてるので長打は滅多に食らわず、単打ばかりなので失点しない
ゴロが多いので走者を出しても併殺で切り抜けることができる
なのでゴロを打たせる投手を安打打たれる、走者ためるってところでマイナスに見て評価するのは間違い 何も知らないのはお前。
西本は技巧派で江川は本格派ってだけ。
いつの時代でも投手の王道は本格派だってのw いやお前だよ
技巧派とか本格派とか何だよ
曖昧に定義するなと
グラウンドボールピッチャー、フライボールピッチャーと分けられるし
奪三振率の高低、与四球率の高低でも区分できるだろ
奪三振率が高くないエースは珍しいということか?
そりゃあ西本みたいなスタイルで成績残してるタイプは他にいないから
王道からは外れてるだろ
それと投手の優劣はまた別問題だし >>121
いやお前だ。
81年の成績見れば圧倒的に江川が上。
投手三冠王じゃねえかw
モノが違うってことだw >単に運が良かっただけとか言いたいんだろうけど、
そもそもこれはお前の妄想で>>112は試合内容を言及しただけでそんな評価はしていないからwww 「MVPだったけど二桁安打打たれてながら残塁の山で粘り勝ちみたいな試合」
これじゃMVPにはなったものの・・・
二桁安打打たれながら残塁の山だから内容は微妙
と言いたいように受け取れるけど
西本はゴロの山を築き、内野手の1試合22補殺という
グラウンドボールピッチャーとしての正に真骨頂と
83年シリーズに繋がる連続無失点の日本シリーズ記録を残してるだろ
なら、どういう意味なんだ? >>122
そこは別に否定していないんだけど
「MVPだったけど」二桁安打打たれてながら残塁の山で粘り勝ちって
否定的にレスしているから
ゴロ打たせる投手にとっては
決してマイナスにはならないってことを指摘しているんだが >>124
「本格派が技巧派より格上」ってことだろ。
投手の憧れは本格派。通ぶって技巧派が好きとか中2病の典型だろw >>126
だからそれは一般的な話であって例外もいるという話だろ
>>121の最後の部分が読めないのか?大丈夫か?
別に好きだと言ってないし、好きだとも思っていないんだけど >>26
その日の試合後に星野が宇野を食事に誘ったけど
車での移動中に宇野が追突事故を起こした >>130
よく、後日談として使われる笑い話だが追突云々のところは「創作」らしい。
後年、宇野は「その試合後、星野さんから飯でも食いに行くかと声かけて
頂いたのには本当に救われましたね。ただ、田舎から兄貴が出てきていた
のでお断りしてしまったんですけど…(苦笑)」と語っている。
(ソースはベースボールマガジン「80年代プロ野球」(2005年発売) この年は既にトランペットの応援合戦はあったのかな?
確か83年にはどの球団もあったと記憶してる
但しパリーグは内野席での応援だった 日本ハムはもうちょっと後だったんじゃないかな
トランペット入れたの 西武が広島相手に大苦戦。。西武時代に陰りが感じられた。 ロイヤルズが来日。当時の日米野球は、指名打者を採用しておらず、守れないという理由で、本塁打王の門田が全日本メンバーから外れた。あの年の門田なら、四番に相応しかったが‥‥ >>132
最初にやり出しのが75年の広島だから、
当然あったけど球団によって控えめな応援がまだ多かった。
巨人もようやくやり出した頃で原はエイトマンのテーマだった。
>>143
皮肉か?
結構負けてただろ 単独チーム相手には強かったけど全日本や連合チームには勝つのが難しく
なってきていたロイヤルズも84年のオリオールズも。
日本のレベルもこの頃から上がって来たんだね。 この年の巨人の先発投手陣は
江川、西本、定岡、加藤、新浦で回してた? >>148
前半は藤城、後半は新浦が多かった。
谷間に赤嶺、堀内とか。 >>146
甲子園での全日本はロイヤルズにボロ負けした。 1試合しか外野手として出場していないソレイタに、ベストナインの票が65入り次点。もし、1試合も外野手として出場していない場合は、無効票になるのか? この当時の週刊ベースボールを読んでみると
何号か連続で何ページも割いて特集を組んで大リーグのストが大きく扱われてる
基本的に大リーグ関連の試合・できごとは大リーグ総集編以外は
さらっと流して報じて終わらせている程度なのに
それだけ日本でも注目度が高かったのかね 後楽園でビジターユニの巨人ナインがプレーな珍しいシリーズやったな。 パ・リーグは全球団からベストナインが選ばれている。ただ、優勝補正が強かったとしたら、捕手梨田→大宮、三塁手有藤→古屋、外野手福本→クルーズ、指名打者門田→ソレイタ。 福岡・平和台球場で中西太監督率いる阪神の試合を観戦
竹之内と真弓だけに声援を送った旧ライオンズファンの俺 5月24日の阪急vs南海は、松江で11時半からのダブルヘッダーの予定も中止。その代替えが、6月29日で西京極でのダブルヘッダー。今では考えられないスケジュール。 >>158
それ8月第3週の土日で大洋戦。
土曜の試合で、阪神の佐野が右中間フェンス超えの2塁打でサヨナラ勝ちしたが、
ヒーローインタビュアー(RKBかKBCかMBSの誰か)がサヨナラHRと勘違いw
サンテレビの実況席でも「インタビュー担当のアナウンサーがホームランと勘違いしてましたね」と失笑してたw >>150
赤嶺の先発は一試合もない
この年の先発は、江川、西本、定岡、加藤、新浦
が主で、藤城、堀内、浅野が1試合から数試合ってところだな
新浦は、左の先発がいないから
勝てなくても強引にローテに入れていた感が強い 「時差出勤」
昭和50年代に入ってからのプロ野球は、山口高志や鈴木孝政らに代表される救援投手の役割が確立されて近代化が進んでいた。その中で
日本ハムは流れに乗り遅れていた。村上雅則が77年からの3年間で計27セーブを挙げて健闘していたが、80年は振わず2セーブに終わり、
チームトップが木田勇と高橋一三による4セーブ。抑えを確立できないままでいたことが、ここ一番に弱く3年連続の3位に終わった原因でもあった。
他球団に先んじて「広島・江夏豊放出」の情報をキャッチしたのは、大沢啓二監督の好プレーだった。しかも他に名乗りを上げた西武やヤクルトが
永射保、井原慎一朗、西井哲夫を交換要員に挙げたのに比べ、79年の20勝投手で80年も10勝の高橋直樹の放出を決断した事は広島側を十分
納得させるものだった。
リリーフエースは全130試合でベンチ入りしなければならず、その集中力を保ち続けるのは容易ではない。ただでさえ60年代、70年代に比べて
試合時間が長くなっている頃でもあった。毎日ブルペンで戦況を気にしながら状況に応じて投球練習を開始して、逃げ切りの場面とあればマウンドに
上がる重労働。そこで大沢が考えたのが、江夏に対しての“時差出勤”だった。ナイターなら、選手は15時球場入りの所を、江夏は1時間遅い16時
入り。ベンチ入りも6回からで、それまでは風呂でもマッサージでもロッカーでの睡眠でも可。南海、広島時代から試合前半はベンチに入っていなか
ったが、ここまでのマイペース調整を大沢が特例として認めたのも、全ては江夏に毎試合少しでも良い状態で投げてもらうため。それが優勝に直結
すると考えたからだった。
前期開幕戦に南海・門田博光の一発などでいきなり失敗、3日後の西武戦にも田淵幸一に決勝弾を浴びて躓き、初セーブはチーム9試合目。それ
でも後期に入ると、開幕から9連続セーブを挙げるなどして優勝に貢献。5敗と失敗の目立った前期に比べ後期は1敗、後期の江夏登板日は17勝
2敗5分けで勝率.895だった。自己新の25セーブとパリーグ新記録の28セーブポイントを挙げた江夏は、史上初となる両リーグMVPを受賞して
大沢の特別扱いに対する周囲の雑音を封じた。 (了) 柏原が永射の敬遠球をホームランしたがこの年はハムが優勝した
その18年後の阪神打撃コーチ時に新庄が敬遠球をサヨナラ打にしたが
さらに7年後に新庄がハムに移籍しそして2006年の時も… G+の巨人vsハムのシリーズを視たが、成田、宇田、杉山を何故投げさせたんかな? しかし、両軍の監督、牧野コーチ、成田ら、故人も多くなったね。 ソレイタ、中井、高橋一三って方々も故人に。中井は第4戦で松本匡史が肉離れを起こしてリタイアした後にセンターに
入り、いい活躍をしていた。 星野仙一は権藤博には逆らえないんだな
稲尾には逆らいまくったのに 開幕3試合目の中日戦で、定岡の頭部に打球が直撃したが、これでバカになったんだろうか? リー(ロッテ)の意味不明の大宮(日本ハム)襲撃は日ごろからの大宮の脅しに不満がたまってから。 >>161
新浦は肩が復調したから使われだしただけだろ。
終盤はいいピッチングしてるのに援護がなく勝てない試合もあった。 >>168
ドラゴンズの先輩エースだし。
しかも沢村賞1度(それも先発10勝+リリーフ5勝10セーブ(最多セーブ)のフル回転振り
が評価された先発限定とされる沢村賞としては異例に近い受賞)のみの20勝出来ない
エースだった星野と違い、新人から2年連続30勝(両シーズンとも最多勝)の文句無しのエースだったからね。
只、その権藤が社会人時代から「投球フォームとか投球の組み立てのみならずマウン
ドでの仕草から歩き方まで全て真似した」と心酔していた稲尾に反逆するのが解せない
感じもするが、大エースのオーラをまるで感じさせない人懐っこい笑顔に見くびったって
事か?w 落合も、現役時代で一番心地よかった時代は稲尾ロッテ時代らしいし
心地よい雰囲気作りに長けてるのかも
その代わり舐められるという欠点も兼ねるみたいな
G+みても、星野仙一があっさりしてたからな
宇野のおでこヘディングのときは、ミットを投げるパフォーマンスやったが 「シリーズの分水嶺」
日本シリーズには必ず勝負の流れを決めたり、変えたりするプレーがある。巨人のV9が終わってからのシリーズでは、特に第4戦で起こる事が多く
あった。76年は阪急・山口高志を攻略した巨人・柴田勲の決勝弾、77年は阪急・簑田浩二の芸術的スライディング、78年は土壇場でヤクルトの
デーブ・ヒルトンが放った逆転2ラン、79年では広島打線が近鉄の弱点と言われていたチャーリー・マニエルの守備をとことん突いて流れを変えた。
巨人が4勝2敗で制した81年の「後楽園シリーズ」も例外ではなかった。巨人1勝2敗で迎えた4戦目、2−1とリードした7回の攻防だった。
表の日本ハムは先頭で安打した柏原純一が盗塁死して三人で攻撃を終えると、裏の巨人も先頭で四球出塁の河埜和正が牽制で誘い出された。
しかし一塁手柏原が深追いし過ぎて二塁に生きて盗塁成功、一死後には中畑清の遊ゴロを高代延博が野選、ロイ・ホワイトの四球を挟んだ後
淡口憲治の2点二塁打と原辰徳の3点本塁打など1イニング一挙6点で勝負は決した。日本ハム側からすれば、宇田東植と杉山知隆の二線級が
投げていた時だっただけに、拙守がより響いた。3戦目まで打線に元気が無かった巨人は、これで火が点き平常心を取り戻した。この試合に限らず
日本ハムは5失策に加え記録に出ない守備のミスが多く出たが、巨人はそこに付け込みよく打ち、よく走った。6試合のシリーズでチーム9盗塁は
歴代最多タイ、12本塁打は新記録で共に未だに破られていない。
監督の藤田元司にすればこの一年間は、針のむしろに座る心境だった。世間に川上哲治と組んで人気者長島を追い出したイメージがあったからか、
勝てば「長島遺産」と言われ続ける苦しいシーズン、藤田によればカミソリ入りの手紙が来たり娘を誘拐すると脅される事もあった。
その藤田がシリーズの分水嶺として挙げたのが、一般的見方による第4戦のビッグイニングではなく、第2戦8回表のホワイトの逆転2ランだった。
阪神・佐野仙好に次ぐリーグ2位の14勝利打点を叩き出した助っ人が、額面通り活躍して目覚めたからという訳ではなかった。打った相手投手の
間柴茂有は、この年15勝無敗に加えてプレーオフでも1勝して16連勝中、だが藤田は大洋のコーチ時代に味方として見ていた2年間で、優しさが
災いした精神面の脆さを見抜いていた。第2戦で間柴に投げ勝った西本聖は、勢いづいてMVPを獲った。一方大事なシリーズで初めて黒星を喫した
ショックからか、間柴は王手をかけられた第6戦の先発でも2回を投げて4安打3失点であっけなくKOされてシリーズ2敗勝ち無し。無敗男が負けた
時の本人、チームのダメージはとてつもなく大きかった。 (了) 第六戦の先発から定岡を外して
江川で勝負に出たのは
日本一の瞬間を江川に取らせてやりたかったという事なのかな。 >>172
温厚で怒鳴った顔を見たことないって
ロッテ監督時代の落合はいってた
落合の理想像らしい
稲尾は >>176
あれは早く優勝したいという勝ち急ぎ。
この時は功を奏したも、83年は西本をリリーフさせたのが裏目に出た。 >>177
自分にストレスを与えない都合のいい監督だっただけだろw
そんな甘い監督なんか優勝なんかできっこないわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています