1982年のプロ野球
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近藤監督が胴上げされてる時に、帽子を
盗んだのはブラックデビルの仕業だったかと。 >>28
全試合の半分以上”勝っていない”のに、結果として優勝
できてしまうんだもんな…。 この年までパが10シーズン導入していた前後期制って
同率首位の場合には各期優勝をどう決定する規定だったんだろう・・・ 江川が逆転負け食らって中日に逆マジックが転倒した例の天王山の試合
あれ九回もっと上手く投げれば何とかなったんじゃないかとも
何で逆転食らったんだろう 「新エース」
外木場義郎に代わるエースの座を決める争いに、終止符が打たれた気がした。歓喜の初優勝を成し遂げた75年以降、広島の投手事情は76年
20勝で最多勝と沢村賞の池谷公二郎、77年に同じく最多の20勝を挙げた高橋里志、78年以降主戦で活躍し続けた福士敬章、初の日本一と
なった79年の日本シリーズで頭角を現した山根和夫といった好投手が目白押し。80年代に入り池谷の力が落ち、81年には高橋里が移籍していた。
その残された投手の中で迎えた82年は、北別府学が沢村賞を受賞、主要五部門のうちで最多勝を獲り、残りでも防御率で4位になった以外は
完封勝利、奪三振、勝率で次点の活躍ぶりだった。
初の開幕投手を任され中日を完封すると、そこからセ・リーグでは巨人・堀内恒夫以来16年ぶりの開幕11連勝。9勝目まで全て完投、うち8勝が
2失点以内というものだった。球宴までに13勝2敗という快進撃だったが、後半戦は失速するチームにつられて思うように勝てなくなり、8月以降は
6勝6敗と平凡なものだった。それでも初の20勝を挙げたのは立派の一語に尽きる。中でも最後まで優勝を争っていた中日には5勝1敗、巨人にも
3勝1敗と実力を見せ付けた。当の北別府は82年について「まだ若い頃で、割と荒れ球だった」と言ったが、北別府のそれはあくまで一番楽しいと
言った86年に比べての話。与四球率1.48は巨人・江川卓、阪神・山本和行に次ぐ低さで、6.08イニングに四球1個の割合からは25歳当時からの
制球力の高さがうかがえた。
10月16日は阪神とのシーズン最終戦、20勝を挙げた日から満を持して中5日で21勝目を狙った北別府だったが、掛布雅之に本塁打を浴びるなど
2点リードを守れず四回KO。セ・リーグでは79年の阪神・小林繁、球団では68年の安仁屋宗八と外木場以来の21勝は成らなかった。しかし、
この年の北別府を最後に広島では20勝投手が生まれていない事から北別府の凄さが分かる。20勝の新エースを擁しながら、池谷、福士、山根の
不振でチームは5年ぶりのBクラス。北別府が力投すればするほど、計算できる投手が一人ではペナントを獲れないという事が証明されてしまって
いた。 (了) >>70
あの試合と、三発を浴びたシーズン最後の大洋戦
江川、肩の調子が悪かったんじゃないか 江川が9回の土壇場に大杉に打たれた試合
シーズンの後半の様な気がしてたけど、5月だったんだな 中日が犠牲フリャーで1点返して3-6
さらに一死一、二塁から宇野のレフト前ヒットで
二塁走者の生還はいいとしても
レフト中司が打球をはじいて二、三塁にしたのが痛かった。
公式記録は二塁打だが、あれは何億にも相当する大エラーだ。 「最年少三冠王」
二人の「トリプルスリー」が誕生した2015年シーズン、山田哲人と柳田悠岐は共に若く彼等がもし今年にでも三冠王を獲れば、どちらにしても史上
最年少となる。現在その記録を保持しているのが28歳で達成した落合博満で、王貞治の33歳や野村克也の30歳というのを見てもその若さがよく
分かる。ただ82年に落合が初めて三冠を獲った時の成績は王や野村、そして自身が後に2年連続達成した時の数字を比べると平凡にも見えるもの
だった。快挙を成し遂げたのは、ライバルたちの調子など強運によるところも大きかった。
前年も獲っていた事で自身が「まぐれと言われるのが嫌で絶対獲りたかった」と言う首位打者は、阪急・加藤英司の大不振など常連組の低調や
西武・石毛宏典が2年目のジンクスに入った事などに救われた。南海・新井宏昌と近鉄・栗橋茂の追い上げをかわした形だが、何よりも運が良かった
のはハイアベレージを出し続けたチームメイトのレロン・リーが、右ヒザ関節炎で前期の半分以上を休んだ事だった。リーの最終打率は落合を1厘
上回る.326で規定打席に41足りないだけ、故障が無ければリーは充分タイトルが取れた。弟のレオン・リーも来日以来4年連続3割の実力者だが
.283に留まった事も好運といえた。
本塁打王は76年以来5年連続外国人が獲得していて、前年に門田博光がトニー・ソレイタと分け合うまで日本人打者がなかなか獲れないタイトル
だったが、この年は外国人打者にも中距離タイプが多く「取れる気がしなかった」という落合にも好機が訪れた。門田が故障により本塁打が減少して
いたため、勝負は終盤に王者ソレイタと阪急の一発屋ウェイン・ケージとの争いに絞られたがソレイタのペースが弱く、後期だけで18本塁打した
落合が逆転してタイトルを奪った。リーグでは4年ぶりに100を切っての戴冠となった打点王についても、2位の近鉄・羽田耕一に14点の大差を
つけての独走は立派の一語だった。
プロ4年目で大偉業を成し遂げながら一部で酷評されたのには、3年前に加藤英が打率.364、本塁打35、打点104とこの年の落合を全てで
上回る成績を残しながらチャーリー・マニエルに2本塁打及ばずに三冠を逃した事も背景にはあった。それでも三部門においてその年リーグ一の
数字を残したのは事実であり、競技は違えど五輪のマラソンでなら全体に標準より遅いタイムながら競り合って金メダルを獲った日本選手に批判を
浴びせるような事は出来ないのだから、その後のさらなる大活躍がなくとも評価されるべき最年少三冠王だろう。 (了) この年の中日と85年の阪神が戦ったらどうなるんか
魔のトライアングル(モッカ・宇野・大島)と小林繁、江本の抜けた激弱投手陣。
イケイケドンドン。エラー、失点そんなの関係ねぇというノリ。
勢いに乗ったら突っ走る。
うーん。すごいカオスになりそう。収拾がつくかわからんなあ。 攻撃力だけなら84年の方が破壊力あったからな中日
85年阪神とだと勝てない気はする ただ、84年中日だと、監督えびせんだし、最後の詰めの段階でヘマしたから、エネルギッシュな近貞の方が、手強そう。(戦力は、84年の方があるが) 84中日の場合は中尾がいるかどうかが一番重要じゃないかと リアルタイムで見始めていない時期なので、一番の記憶が
中日の優勝決定試合放送のおかげで欽ちゃんの番組が飛んだこと
という状態w パ・リーグ全日程終了した翌日の報知。落合のあれこれが書かれた記事があるが、超面食いとあった。笑うに笑えない‥‥ 小学館の学習雑誌(小学六年生)によると、この年の優勝は巨人。
そして巨人がパの前期優勝西武と後期優勝日ハムのどちらと日シリで対戦するか話題にしてた。
確か右側1ページで巨人の原辰徳の写真、左1ページを上下に分割してパ2球団。
妹の本だったが激怒したね。
逆マジック点灯させたばかりだろうが!!と中日ファンの俺。 >>87
Vやねんどころじゃないよ、全く。。。
https://www.youtube.com/watch?v=vVUdTi0xsNQ
↑
こういう試合をやったばっかで、まだまだ不利とはいえ逆マジック点灯させたばかりなのに
「セリーグは巨人が優勝した、日本シリーズの相手は西武日ハムどっちになるか?」てな具合に
断言したうえでその先の予想オナニー記事。つーか嘘記事だわな。
締め切りの問題があるとはいえ不特定多数がみるものに、そんな適当(予想あるいは願望の類)
特集を大手マスコミが組んで社会問題にならんかったのかなあと思う。 中日の優勝決定試合、初めて真剣に観たプロ野球だったと思う。
この年の10月に神宮へ早慶戦を観に連れて行ってもらって野球ファンになった。
そして翌年の選抜の準決勝を観に連れて行ってもらって野球に嵌った。
だからプロ野球は3番目、早稲田大、池田高校に嵌った。 山内は近藤ほどのカリスマ性や魔術師はなかったからな
マスメディアを使うのはとにかく近藤はうまかった
板東に芸能界入りを進めたのは近藤貞雄みたいだし >>88
回収騒ぎまであったかまでは覚えてないけど当時話題にはなってたよ >>93
当時俺中3、妹小6だったので世間がどうとかまではわかんなかったけど、やはり…
馬場vs猪木戦ったらどっちが強いか特集で、離れて馬場、組んで猪木みたいな
程度なら許せるが(何月号か知らんがあった)。
その実際の記事の中で巨人が優勝決めたと断言したうえでの特集。
アンチ魂がこの頃に出来上がった。 プレーオフで西武が江夏対策にやった
プッシュバント戦法。
江夏の守備のもろさがもろに出て大量失点に
繋がった。 >>95
でも、その翌年オフに江夏は西武へ移籍しているんだよな。
誰の意向かは知らんけど…。 東北新幹線が開通したけど仙台移転の話しはこの当時まだなかったな 江夏の左右へのバントがことごとく内野安打になって、ランナーがたまった
ところで、代打大田。太田がタイムリーで江夏攻略。
この作戦が2試合連続で決まった。
広岡監督の采配はすごいと思わせるプレーオフだった。 報知新聞社もVやねんみたいな特集号出してるよw
Vやねん元祖だと思うわ。 >>98
バントが安打ってのは1プレーのみだったと思う
本当に重要な時に一刺しで決めるから印象に残るわけで
第1戦 8回裏
テリー 中前打
片平 江夏横にプッシュバントで内野安打
西岡 犠打で1死2、3塁
黒田 満塁策で四球
代打大田 中前先制打
第2戦 8回裏
2死1塁で先発高橋里志から江夏に交代
田淵 右中間二塁打
テリー 四球
代打大田 中前逆転打 >>100
そうだったか。二試合連続は代打大田のタイムリーヒットであったか。
このプレーオフでは、守備のいい西岡・岡村をスタメンで起用し、
大田は代打の切り札として温存していたのが特徴的だった。 よくよく考えてみるとこの時は西武のほうがセリーグ的で、
中日は明らかにパリーグ的なチームイメージだよな。 いつもなら19時からの中継になるのに
なぜかアニメ「伊賀野カバ丸」の後、
19時30分からの中継となった9月15日の巨人−中日
初回、篠塚のバントを郭が三塁悪送球、
大島がクッションボールの処理を誤る、
バックホームの送球を中尾が落球とエラーが重なって
篠塚が一気にホームインして逆転するなど
中継開始時には3回で巨人6−3中日とリードしていたが結局7−7の引き分け。
この試合も後々響いた。 >>104
後年、「トリビアの泉」で紹介された
あの試合のことかw そうそう、郭と大島が責任のなすり合いしてたアレw
「送りバントがホームランになった事がある」とかいうネタだった まだ西武は西鉄路線の名残はあった
大田、東尾あたりか
中日は確かにパ・リーグっぽい野球だった 近江八幡○吾うざひだは足下下げてください言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
俺ばっかり変な扱いすんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
うざひだシネぇぇぇぇぇぇぇぇぇ >>106
大島って後にハムの監督となって井出のアレを
ベンチで目撃したんだっけ? 80年代のセの優勝チームを総合力で序列するとしたらこう?
99点 89巨人
97点 81巨人
95点 87巨人、88中日
93点 83巨人、86広島
92点 80広島、84広島
90点 82中日、85阪神 88年中日も90点かなと思う。
減点の基準法はよう解らんが、 この年の中日は、変異的優勝の気がする。
80年6位→81年5位からだし、翌年はまた5位に落ちてしまった。
で84年は2位と持ち直したが、また2年連続5位。 中日って元々年ごとに順位が乱高下する傾向があるじゃないか
星野時代も優勝した2年後にはBクラスに転落してるし 総合力で見れば、80年代の優勝チームの強さ順位はこう?
1 1989巨人
2 1981巨人
3 1988中日
4 1980広島
5 1987巨人
6 1984広島
7 1983巨人
8 1986広島
9 1985阪神
10 1982中日 モッカの獲得
大島のコンバート
平野の抜擢
宇野の覚醒
投手陣の若返り
こんな所か >>117
88年中日も82年中日とそれほど変わらないと思う。むしろ、84年広島は、もっと上の評価だと思う。 >>119
同意。
84広島についても同意☆
82と88が戦ったら82が勝ち越すかな。
小松はどっちにも居るな。 優勝チーム以外でこのベストテンに割り込めるのはないかな?
例えば89広島、86巨人、84中日とか。 82、86、88年の巨人が西武と日本シリーズを戦ったとしたらそれぞれ勝算はいかがかな。 9/28の巨人戦は有名だけど、その
2日前の阪神戦も凄い死闘だったな。
優勝決定直前のヤクルト戦も印象
深い ブリュワーズとカージナルス
対照的なチームの対決
ブリュワーズをちょっと応援していた >>123
東海ラジオで中日−阪神を聞いてて
8回表に阪神がダメ押しとも思える2点追加して4-1になった時には
巨人ファンの俺歓喜だったが8、9回に2点ずつ奪われサヨナラ負け。
3.5ゲーム差で迎えるはずだったナゴヤ決戦は2.5ゲーム差になり、
そしてあの大逆転で中日に逆マジック点灯。
巨人ファンを1年でやめるきっかけになった。 強いという基準は野球は難しいからね
個人タイトル揃いだから優勝って訳でもなく、むしろ優勝球団は個人タイトルは少ない場合が多い
88や82の中日は、額面だけなら91や84より弱そうに見える
でも目に見えない強運や球際の今流でいう神ってる状態だった
神ってる時って摩訶不思議な状況だからな
どんなに負けてても最終的に勝てる
88のマジック点灯したときの落合のサヨナラホームランなんて神ってるの体現だった ようつべで82年開幕の小林繁の敬遠サヨナラ暴投見たら
高木由一の打席で阪神汎用曲が流れてて驚き
モッカ→真弓みたいに後から阪神ファンがパクったのかな 阪神の汎用って立教のSt.Paul's will shine tonightでしょ。
江夏の21球で近鉄応援団がダッシュ慶應を流してたように黎明期にはよくあったこと >>129
マジック点灯の時の落合のサヨナラをラジオで聴いたものとしたら
まず球場の一体感や熱気がこうラジオからひた走ってくるんだよね
ぞくぞくとした
91や84はそういう空気はなかった
夏場で暑いのに、なんか背筋が寒くなるぐらいのぞくぞくとした空気
ああ、優勝するチームってそういうもんなだなとは思った
あと、82や88は中継ぎ陣が半端なく強かった
91や84は、全体的に投手の層は薄かった 前期後期最終年だが、仮にハムが勝っていたら、その後のパ・リーグの流れは変わっていただろうね。 中日の64勝で優勝はよく語られるが
75年阪急も前後期合わせて64勝(59敗7分)で優勝なんだよな… >>135
ナゴヤ球場時代の中日はそういうのばかりだったな
ドームに移転してからは投手力重視の方針に転換したせいもあってか
気が付いたら優勝してたような年ばかりになったけど パ前期の優勝争い
西武、阪急以外に
じつは近鉄もちょっとだけ争ってたことは
もう誰も知らない >>43
てかパ・リーグも西武が優勝し巻くってたからだろ 「奇策」
滅多に奇襲をかけない監督が意表に出たとあって、その驚きは大きかった。前期も大詰めの6月23日、1差で迎えた首位西武と2位阪急の大一番
で広岡達朗新監督が動いた。意識改革に成功し、先発ローテーションを守る野球で4月を14勝8敗の2位で近鉄と首位争いを演じていた西武は、
5月も12勝8敗で貯金を10として近鉄を振り切った。しかし6月になると打線が低調、二度の3連敗などで13日までに3勝8敗と負けが込み、近鉄に
代わり浮上してきた阪急とのマッチレースになった。
西武と阪急は、6月13日から20日まで6度の首位入れ替わりをしてきた。その中で絶好調の大田卓司が15日、守備の際に骨折して全治4週間と
苦境に立たされた西武だったが、大田が4日後から指名打者で志願出場すると、翌日に田淵幸一が代打逆転2ランを放つなどチームの士気が向上、
20日から3連勝して迎えたのが23日の「西宮決戦」だった。
西武が勝てば2、阪急が勝てば3と勝った側にマジックが点灯する天王山で場内が騒然となったのは、西武の先発投手に2年ぶりとなる永射保の
名がアナウンスされた時だった。永射は前日まで22試合の登板が全て救援、それまでのプロ345試合登板の中でも先発36試合という左腕だった。
これには自軍の選手も驚いたほどで捕手・黒田正宏らでさえ、14日の移籍初登板でロングリリーフして初星を挙げた中3日の高橋直樹だと信じ
込んでいた。普段は奇策嫌いの広岡だったが、踏み切る時は味方を欺くほどの徹底的な工作を実施していた。読まれたり見破られた時のダメージの
大きさを恐れていたからだった。
試合はといえば結果として、奇策はさほど影響しなかったように見えた。初回に立花義家の打った飛球が風にも乗って第1号先制満塁弾、二回にも
石毛宏典が一発を放ち相手先発・山沖之彦をKOした。永射は大量9得点をバックに七回途中まで4失点で降りたが11−4の大勝、前期優勝を
決めたのはその2日後の事だった。永射でなくても勝てたかも知れないとの見方もあるが、六回まで1失点に抑えた功績は大きく、左打者の安打は
福本豊の1本だけと効果は覿面。そしてそれ以上に阪急が相手先発を読み違えた事により、動揺したままプレーしてしまった事を思えば、奇策の
効力はやはり大きかった。 (了) >>141
こいつと助けてとか言ってる奴が同一人物なのか 82年巨人は日曜日によく負けて
憂鬱な週明けを迎えたイメージだったが
調べたら日曜日は14勝7敗1分だった 中畑が杉浦の打球をトンネルして逆転負けした試合から35年 巨人の痛恨の負けは9・28のナゴヤ決戦だが、真夏の後楽園でのvs阪神で3タテ喰らったのも痛かったなあ。しかし、例年は阪神が真夏の後楽園では煮え湯を飲まされるのに(85・03・05年も例外なく。) ソロ3発しか点が取れず、最終回に2ランスクイズ決められた試合があったな。
ヤクルト戦であと一球から江川が3球勝負した渾身のストレートを
ボールと判定された後に同点打→勝ち越し本塁打で負けた試合とか、
ラスト2試合で大洋に死に馬キック喰らった試合とか。
惜しいV逸だから、どうしても勝ちを逃した試合がいっぱいクローズアップされるわ。 >>97
西のやまびこ旋風は池田
東のやまびこ旋風は新幹線 当時は中日ファンだったから9.28ナゴヤ決戦おぼえてるよ。
9回表終了時点で 中日2−6巨人
巨人先発江川で敗色濃厚の中まさかの逆転サヨナラ勝ち(7−6)。
試合終了後興奮した中日ファンの友達が電話かけてきたw
サヨナラ打の大島はヒーローインタビューでファンに向かって、
「あーりがとぉぉーー!!」と絶叫してたなww
ただただ懐かしい 涙 >>68
・1試合か3試合制のミニプレーオフ
・直接対決の成績で決める
のどちらか採用したんだろう 日シリ第1戦で、一塁手・田淵がバントの
打球をダイビングキャッチして好捕するも、
ワンバウンドと判断されてしまった。
田淵は、珍しくものすごい形相で怒り猛抗議。
あれが西武のナインの闘争心に火をつけたのかも。 広岡管理野球はいろいろと話題豊富だったね。
西武の選手たちは広岡監督提唱の玄米、豆乳などを
ほんとに飲食してたのだろうか。
いずれにせよ優勝は必然だったんだろうな。
東尾、大田らの生え抜き組に田淵、山崎らの移籍組、
テリー、スティーブの強力助っ人、石毛も入団。
万全の陣容が整い、機は熟してたんだろうね。 スティーブは隠れてコーラ飲むほどの不良助っ人だったらしいな かわいいもんだけどな
他にもヤカンビールやら、床屋に行ってなぜか白米をたらふく食う話だの、
首脳陣は別室でうまいもんくってるだの、あまり守られてない話がごそっとでてくる 当時の西武ってあくの強い選手が多かったから
隠れて約束を破る選手が出るぐらいは織り込み済みだったんだろうけどね
これがもしスラムダンクの一ノ倉みたいに真面目でバカ正直な奴ばかりだったら
成果が出る前に潰れるケースが多発してたと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています