1982年のプロ野球
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(右)田尾 350 14本 41打点
(中)平野 288 4本 33打点
(三)モッカ 311 23本 76打点
(一)谷沢 280 21本 85打点
(左)大島 269 18本 60打点
(遊)宇野 262 30本 69打点
(捕)中尾 282 18本 47打点
(二)上川 227 2本 17打点
(投)都
重量打線のかたわら、二桁投手が都だけという
典型的な打高投低の、いかにも中日らしいチームでしたなw 中日が逆マジック出した試合のあの奇跡の江川攻略劇かな。
凄まじかったねあの試合。 田尾敬遠事件
それが逆鱗に触れたのか近藤貞雄が大洋監督就任時に金沢を… >>8
日ハム監督時代にも金沢を駆逐した近藤貞雄w 中日逆マジック点灯の試合は原辰徳も悔しくて夜中の3時頃まで眠れなかったとか。
あれは確かに悔しい試合だったね。 >>8
巨人ファンにとってはもう中日のワンサイドで巨人優勝は絶望的な状況だったので。
逆にみんなざまあみろって感じで見てた。 でも、敬遠したことに関しては
金沢に何の罪もないなw 14
阪神が大洋との開幕2連戦、連続して逆転サヨナラ負け
横浜球場だし筋書きでもあったのか? 開幕戦は阪神が11安打しながら2点しか取れず、
9回表にも一死一、三塁で掛布が併殺打でダメ押しが奪えず11残塁の拙攻。
8回までほぼ完璧に抑えてた小林が
あと1人から連続タイムリー打たれて最後は敬遠サヨナラ暴投。
楽勝の試合内容を落としたら尾を引いて連敗もするっしょ。 まあ阪神が優勝争いに絡んでれば、掛布がMVPとれたかもしれんがな。 この年にバースがいたら阪神優勝したかも。
後半はかなり追い上げたし。
アレンだからな。 バースどころかマートンゴメスブラゼルオマリーでもいけただろ 巨人は中継終了後の逆転負けが多く、翌朝新聞やニュースを見て愕然とさせられた。 日本シリーズ第二戦の中日ファンの大暴動が許せなかった。 阪神が11連勝と8連敗をやった。
25年後にも同じようなことやったなw 巨人66勝
阪神65勝
中日64勝
さて、どこが優勝したでしょう。 江川卓
31試合登板して全部責任投手で19勝12敗
これが20勝11敗なら巨人優勝、そして今度こそ沢村賞だったかもしれない >>28
これ、阪神が全然優勝争いにからんでないってのが凄いんだよな。 この年、シーズン中のトレードが多かった気がする。
藤城と笹本など。 天王山阪急西武戦での永射奇襲登板は阪急ベンチをパニックに陥れた。
動揺を隠せないままに一方的な試合になってしまった。 >>33
サンテレビが緊急中継。
TVKネット受けのヤクルト×阪神を潰してまで編成。
自社制作だったらどうしただろうか?二元対応? 天王山と言えば、まだ野球見始めたガキの頃、
中日−巨人の「天王山決戦」という記事を見て
「なんで中日と巨人が天王山で試合するの?」と不思議に思ったわ >>31
消化試合に勝ちまくったのと、巨人と中日がもたついた漁夫の利に乗っただけ 2007、2010もそんな殴り込みして、すぐ消えたな >>34
今のサンテレビが阪神戦を中止してまでオリックス戦やるなんて無理でしょ。
なにしろ阪神戦は他局と並行して中継するのに(今やその数は減ったが)、
オリックスが地元神戸で優勝かと言われた95、96年だって
サンテレビは「そんなの関係ねえ」と言わんばかりに阪神戦中継してたくらいだしw ちょっとやそっとの中継ぎや抑えだったら奇襲先発されてもそこまで慌てなかった
と思うけど永射じゃさすがにビビるだろうな。それだけいいピッチャーだった。 西武の平和台ホームゲーム開催が途切れた(87年に再開)。 超満員の平和台の試合の収益は全部ビジターに行くというのも
何というか悪くはないけど果たしてそれで本当に良かったのかなともw 田尾の敬遠した関根はなぜ王みたいに批判されんのだ
話によれば優勝させて欲しいなら長崎に取らせろと脅したらしいけど >>17
セリーグは優勝補正がきついからなあ
パリーグ基準だったら掛布だったんじゃないかな
そういえば中尾って翌年以降一度も年間100試合以上出たことがないんだな
ずっとレギュラーだったはずなのにどんだけスペ体質だったんかと 「脅しか本気か」
「全ての選手を白紙で考え、横一線で扱います。この世界は実績も顔も関係ありませんから」と西武監督に就いた広岡達朗は最初の会見で
言った。生え抜きにも外様にも実績のある顔が多くいながら、球団創設から3年連続Bクラスと結果が出ていなかった西武。広岡と主力選手
との戦いは、既にオフから始まっていた。当時の戦士たちについては、野球を楽しむ事には大きな問題は無かったが、「黒い霧」による
弱体化と度重なる身売りもあって、“勝利に対する欲求”と“チームへの忠誠心”に希薄だった。
契約期間前にもかかわらず、秋季練習に参加した広岡、早速新人王・石毛宏典の守備に苦言を呈した。「基本がなっていない強引な守備を
続けたら、五年で肩はパンクする」とやったのだ。ゴールデングラブを獲っていた石毛はムッとしたが、広岡は気にも留めなかった。それ
どころか本気で正遊撃手に据えかねないくらい、行沢久隆を重点的に鍛え始めた。危機感を抱いたのか、最初は遠くで見ていた石毛も
たまらず折れて、広岡から基本プレーの反復を受けるようになると、攻守共に一端の遊撃手となった。そればかりか三塁転向を経て、40歳に
なる96年まで現役を続けた。
広岡の脅しとも本気ともとれるやり方は、主砲・田淵幸一に対しても同じだった。DHへの安住と、オフの怠惰な生活で重みを増した田淵に
「先発、指名打者、代打、どれが一番カネになるか分かりきった事だろう」と3年ぶりの一塁守備を迫った。一塁でしか使わないと通告しながら
実際この年に田淵が一塁を守ったのは9試合のみだったが、気の緩んでいた大砲に一年を通して緊張感を持ってもらうのには効果的だった。
秋季練習の不参加に、春季キャンプまでの体力作り指令無視という東尾修、大田卓司の14年目コンビには広岡も手を焼いた。西鉄時代から
の残党二人への広岡の手法には、もはや脅しよりも本気の色合いがより濃かった。東尾には20歳にもなっていなかった西本和人、小野和幸
ら若手の名を挙げて、チーム改革の本気度を匂わせた。大田にも、足と肩に定評のあった3年目の西岡良洋や蓬莱昭彦の抜擢をほのめかし
て広岡野球の導入を強く意識させた。
開幕戦の先発は森繁和で、東尾の初登板は4戦目だった。大田も代打スタートで、開幕戦では西岡がチーム1号の一発を放った。西武投打
の看板がとうとう代わる瞬間かと思われた。しかし二人はここから踏ん張った。東尾は前期7勝を全て完投で挙げて森、松沼雅之からエースの
座を守り、大田も前期は打率.310、本塁打10、打点39に両リーグトップの勝利打点10を叩き出しMVPを獲得する大活躍だった。
滅多に褒めない広岡も「ピッチングの出来る投手だ」と東尾の巧さを評価し、大田についても「前期は一番よくやってくれた。一時外したことも
あったが、よく立ち直ってくれた」と讃えた。 (了) この年の江川はMVP、ベストナイン、沢村賞に相応しい数字だった。ただ、最終戦の敗戦投手で、優勝、3年連続最多勝、2年連続20勝が消え、無冠に終わってしまった。マスコミが良ければ、ベストナインは受賞出来たかも? >>44
東尾って敵でも味方でもホントに面倒臭い奴だな
ノムですら出来れば関わりたくないっていう位だし >>33
今のような予告登板の時代だったら西武はまだ優勝出来る力は無かったかなとも。 日本シリーズだが西武が胴上げした時は荒れなかったのか?
第2戦では荒れに荒れたそうだが 第2戦、西武7−0中日で迎えた9回裏二死一塁で
ライト後方への飛球を捕ろうとしたテリーに
色んな物を投げつけて捕球を妨害し、
二塁打で1点を返したが、接戦なら大問題だ。 >>45
あの試合で江川が神投球して勝ってたら、その後の江川の評価も
全然変わったろうね。 あとやはり中日ファンも恥を知ったのか第六戦は幾分大人しかったと思う。 85年までは中日、広島ファンの民度が低かった
85年からは阪神ファンの民度が更に低くなった 石ころ事件がナゴヤ球場だったらどうなってたんだろう・・・ 70年代80年代の野球ファンは過激だったな
最近の暴動的なことと言えばダイエーファン旧南海ファンが
王に生卵投げつけたことぐらいか 70年代までの春先恒例の三行記事
広島ファン大荒れ >>57
2003年の長良川球場での催涙スプレー事件とか 85年だったか阪神ファンが審判にチェーンを投げつけたことがあったな
92年に浜スタで阪神ファンが大洋ファンに暴行。 大洋ファンって試合でもやられっ放しの立場なのに他チームのファンからも
殴られたり嫌がらせされたりやられっ放しだった。 82年はトランペットの応援合戦はあったな
原のエイトマンや中畑の「ここで1発きよし」ホワイトの「それゆけ3組」 大洋ファンは弱いチームを応援してる立場なのにたまに強いチームに勝つと
そこのファンから殴られたり嫌がらせされるので見ていてちょっと気の毒だった。
たまには大洋にも勝たせてやってもいいじゃんって感じで見ていた。 近藤監督が胴上げされてる時に、帽子を
盗んだのはブラックデビルの仕業だったかと。 >>28
全試合の半分以上”勝っていない”のに、結果として優勝
できてしまうんだもんな…。 この年までパが10シーズン導入していた前後期制って
同率首位の場合には各期優勝をどう決定する規定だったんだろう・・・ 江川が逆転負け食らって中日に逆マジックが転倒した例の天王山の試合
あれ九回もっと上手く投げれば何とかなったんじゃないかとも
何で逆転食らったんだろう 「新エース」
外木場義郎に代わるエースの座を決める争いに、終止符が打たれた気がした。歓喜の初優勝を成し遂げた75年以降、広島の投手事情は76年
20勝で最多勝と沢村賞の池谷公二郎、77年に同じく最多の20勝を挙げた高橋里志、78年以降主戦で活躍し続けた福士敬章、初の日本一と
なった79年の日本シリーズで頭角を現した山根和夫といった好投手が目白押し。80年代に入り池谷の力が落ち、81年には高橋里が移籍していた。
その残された投手の中で迎えた82年は、北別府学が沢村賞を受賞、主要五部門のうちで最多勝を獲り、残りでも防御率で4位になった以外は
完封勝利、奪三振、勝率で次点の活躍ぶりだった。
初の開幕投手を任され中日を完封すると、そこからセ・リーグでは巨人・堀内恒夫以来16年ぶりの開幕11連勝。9勝目まで全て完投、うち8勝が
2失点以内というものだった。球宴までに13勝2敗という快進撃だったが、後半戦は失速するチームにつられて思うように勝てなくなり、8月以降は
6勝6敗と平凡なものだった。それでも初の20勝を挙げたのは立派の一語に尽きる。中でも最後まで優勝を争っていた中日には5勝1敗、巨人にも
3勝1敗と実力を見せ付けた。当の北別府は82年について「まだ若い頃で、割と荒れ球だった」と言ったが、北別府のそれはあくまで一番楽しいと
言った86年に比べての話。与四球率1.48は巨人・江川卓、阪神・山本和行に次ぐ低さで、6.08イニングに四球1個の割合からは25歳当時からの
制球力の高さがうかがえた。
10月16日は阪神とのシーズン最終戦、20勝を挙げた日から満を持して中5日で21勝目を狙った北別府だったが、掛布雅之に本塁打を浴びるなど
2点リードを守れず四回KO。セ・リーグでは79年の阪神・小林繁、球団では68年の安仁屋宗八と外木場以来の21勝は成らなかった。しかし、
この年の北別府を最後に広島では20勝投手が生まれていない事から北別府の凄さが分かる。20勝の新エースを擁しながら、池谷、福士、山根の
不振でチームは5年ぶりのBクラス。北別府が力投すればするほど、計算できる投手が一人ではペナントを獲れないという事が証明されてしまって
いた。 (了) >>70
あの試合と、三発を浴びたシーズン最後の大洋戦
江川、肩の調子が悪かったんじゃないか 江川が9回の土壇場に大杉に打たれた試合
シーズンの後半の様な気がしてたけど、5月だったんだな 中日が犠牲フリャーで1点返して3-6
さらに一死一、二塁から宇野のレフト前ヒットで
二塁走者の生還はいいとしても
レフト中司が打球をはじいて二、三塁にしたのが痛かった。
公式記録は二塁打だが、あれは何億にも相当する大エラーだ。 「最年少三冠王」
二人の「トリプルスリー」が誕生した2015年シーズン、山田哲人と柳田悠岐は共に若く彼等がもし今年にでも三冠王を獲れば、どちらにしても史上
最年少となる。現在その記録を保持しているのが28歳で達成した落合博満で、王貞治の33歳や野村克也の30歳というのを見てもその若さがよく
分かる。ただ82年に落合が初めて三冠を獲った時の成績は王や野村、そして自身が後に2年連続達成した時の数字を比べると平凡にも見えるもの
だった。快挙を成し遂げたのは、ライバルたちの調子など強運によるところも大きかった。
前年も獲っていた事で自身が「まぐれと言われるのが嫌で絶対獲りたかった」と言う首位打者は、阪急・加藤英司の大不振など常連組の低調や
西武・石毛宏典が2年目のジンクスに入った事などに救われた。南海・新井宏昌と近鉄・栗橋茂の追い上げをかわした形だが、何よりも運が良かった
のはハイアベレージを出し続けたチームメイトのレロン・リーが、右ヒザ関節炎で前期の半分以上を休んだ事だった。リーの最終打率は落合を1厘
上回る.326で規定打席に41足りないだけ、故障が無ければリーは充分タイトルが取れた。弟のレオン・リーも来日以来4年連続3割の実力者だが
.283に留まった事も好運といえた。
本塁打王は76年以来5年連続外国人が獲得していて、前年に門田博光がトニー・ソレイタと分け合うまで日本人打者がなかなか獲れないタイトル
だったが、この年は外国人打者にも中距離タイプが多く「取れる気がしなかった」という落合にも好機が訪れた。門田が故障により本塁打が減少して
いたため、勝負は終盤に王者ソレイタと阪急の一発屋ウェイン・ケージとの争いに絞られたがソレイタのペースが弱く、後期だけで18本塁打した
落合が逆転してタイトルを奪った。リーグでは4年ぶりに100を切っての戴冠となった打点王についても、2位の近鉄・羽田耕一に14点の大差を
つけての独走は立派の一語だった。
プロ4年目で大偉業を成し遂げながら一部で酷評されたのには、3年前に加藤英が打率.364、本塁打35、打点104とこの年の落合を全てで
上回る成績を残しながらチャーリー・マニエルに2本塁打及ばずに三冠を逃した事も背景にはあった。それでも三部門においてその年リーグ一の
数字を残したのは事実であり、競技は違えど五輪のマラソンでなら全体に標準より遅いタイムながら競り合って金メダルを獲った日本選手に批判を
浴びせるような事は出来ないのだから、その後のさらなる大活躍がなくとも評価されるべき最年少三冠王だろう。 (了) この年の中日と85年の阪神が戦ったらどうなるんか
魔のトライアングル(モッカ・宇野・大島)と小林繁、江本の抜けた激弱投手陣。
イケイケドンドン。エラー、失点そんなの関係ねぇというノリ。
勢いに乗ったら突っ走る。
うーん。すごいカオスになりそう。収拾がつくかわからんなあ。 攻撃力だけなら84年の方が破壊力あったからな中日
85年阪神とだと勝てない気はする ただ、84年中日だと、監督えびせんだし、最後の詰めの段階でヘマしたから、エネルギッシュな近貞の方が、手強そう。(戦力は、84年の方があるが) 84中日の場合は中尾がいるかどうかが一番重要じゃないかと リアルタイムで見始めていない時期なので、一番の記憶が
中日の優勝決定試合放送のおかげで欽ちゃんの番組が飛んだこと
という状態w パ・リーグ全日程終了した翌日の報知。落合のあれこれが書かれた記事があるが、超面食いとあった。笑うに笑えない‥‥ 小学館の学習雑誌(小学六年生)によると、この年の優勝は巨人。
そして巨人がパの前期優勝西武と後期優勝日ハムのどちらと日シリで対戦するか話題にしてた。
確か右側1ページで巨人の原辰徳の写真、左1ページを上下に分割してパ2球団。
妹の本だったが激怒したね。
逆マジック点灯させたばかりだろうが!!と中日ファンの俺。 >>87
Vやねんどころじゃないよ、全く。。。
https://www.youtube.com/watch?v=vVUdTi0xsNQ
↑
こういう試合をやったばっかで、まだまだ不利とはいえ逆マジック点灯させたばかりなのに
「セリーグは巨人が優勝した、日本シリーズの相手は西武日ハムどっちになるか?」てな具合に
断言したうえでその先の予想オナニー記事。つーか嘘記事だわな。
締め切りの問題があるとはいえ不特定多数がみるものに、そんな適当(予想あるいは願望の類)
特集を大手マスコミが組んで社会問題にならんかったのかなあと思う。 中日の優勝決定試合、初めて真剣に観たプロ野球だったと思う。
この年の10月に神宮へ早慶戦を観に連れて行ってもらって野球ファンになった。
そして翌年の選抜の準決勝を観に連れて行ってもらって野球に嵌った。
だからプロ野球は3番目、早稲田大、池田高校に嵌った。 山内は近藤ほどのカリスマ性や魔術師はなかったからな
マスメディアを使うのはとにかく近藤はうまかった
板東に芸能界入りを進めたのは近藤貞雄みたいだし >>88
回収騒ぎまであったかまでは覚えてないけど当時話題にはなってたよ >>93
当時俺中3、妹小6だったので世間がどうとかまではわかんなかったけど、やはり…
馬場vs猪木戦ったらどっちが強いか特集で、離れて馬場、組んで猪木みたいな
程度なら許せるが(何月号か知らんがあった)。
その実際の記事の中で巨人が優勝決めたと断言したうえでの特集。
アンチ魂がこの頃に出来上がった。 プレーオフで西武が江夏対策にやった
プッシュバント戦法。
江夏の守備のもろさがもろに出て大量失点に
繋がった。 >>95
でも、その翌年オフに江夏は西武へ移籍しているんだよな。
誰の意向かは知らんけど…。 東北新幹線が開通したけど仙台移転の話しはこの当時まだなかったな 江夏の左右へのバントがことごとく内野安打になって、ランナーがたまった
ところで、代打大田。太田がタイムリーで江夏攻略。
この作戦が2試合連続で決まった。
広岡監督の采配はすごいと思わせるプレーオフだった。 報知新聞社もVやねんみたいな特集号出してるよw
Vやねん元祖だと思うわ。 >>98
バントが安打ってのは1プレーのみだったと思う
本当に重要な時に一刺しで決めるから印象に残るわけで
第1戦 8回裏
テリー 中前打
片平 江夏横にプッシュバントで内野安打
西岡 犠打で1死2、3塁
黒田 満塁策で四球
代打大田 中前先制打
第2戦 8回裏
2死1塁で先発高橋里志から江夏に交代
田淵 右中間二塁打
テリー 四球
代打大田 中前逆転打 >>100
そうだったか。二試合連続は代打大田のタイムリーヒットであったか。
このプレーオフでは、守備のいい西岡・岡村をスタメンで起用し、
大田は代打の切り札として温存していたのが特徴的だった。 よくよく考えてみるとこの時は西武のほうがセリーグ的で、
中日は明らかにパリーグ的なチームイメージだよな。 いつもなら19時からの中継になるのに
なぜかアニメ「伊賀野カバ丸」の後、
19時30分からの中継となった9月15日の巨人−中日
初回、篠塚のバントを郭が三塁悪送球、
大島がクッションボールの処理を誤る、
バックホームの送球を中尾が落球とエラーが重なって
篠塚が一気にホームインして逆転するなど
中継開始時には3回で巨人6−3中日とリードしていたが結局7−7の引き分け。
この試合も後々響いた。 >>104
後年、「トリビアの泉」で紹介された
あの試合のことかw そうそう、郭と大島が責任のなすり合いしてたアレw
「送りバントがホームランになった事がある」とかいうネタだった まだ西武は西鉄路線の名残はあった
大田、東尾あたりか
中日は確かにパ・リーグっぽい野球だった 近江八幡○吾うざひだは足下下げてください言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
俺ばっかり変な扱いすんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
うざひだシネぇぇぇぇぇぇぇぇぇ >>106
大島って後にハムの監督となって井出のアレを
ベンチで目撃したんだっけ? 80年代のセの優勝チームを総合力で序列するとしたらこう?
99点 89巨人
97点 81巨人
95点 87巨人、88中日
93点 83巨人、86広島
92点 80広島、84広島
90点 82中日、85阪神 88年中日も90点かなと思う。
減点の基準法はよう解らんが、 この年の中日は、変異的優勝の気がする。
80年6位→81年5位からだし、翌年はまた5位に落ちてしまった。
で84年は2位と持ち直したが、また2年連続5位。 中日って元々年ごとに順位が乱高下する傾向があるじゃないか
星野時代も優勝した2年後にはBクラスに転落してるし 総合力で見れば、80年代の優勝チームの強さ順位はこう?
1 1989巨人
2 1981巨人
3 1988中日
4 1980広島
5 1987巨人
6 1984広島
7 1983巨人
8 1986広島
9 1985阪神
10 1982中日 モッカの獲得
大島のコンバート
平野の抜擢
宇野の覚醒
投手陣の若返り
こんな所か >>117
88年中日も82年中日とそれほど変わらないと思う。むしろ、84年広島は、もっと上の評価だと思う。 >>119
同意。
84広島についても同意☆
82と88が戦ったら82が勝ち越すかな。
小松はどっちにも居るな。 優勝チーム以外でこのベストテンに割り込めるのはないかな?
例えば89広島、86巨人、84中日とか。 82、86、88年の巨人が西武と日本シリーズを戦ったとしたらそれぞれ勝算はいかがかな。 9/28の巨人戦は有名だけど、その
2日前の阪神戦も凄い死闘だったな。
優勝決定直前のヤクルト戦も印象
深い ブリュワーズとカージナルス
対照的なチームの対決
ブリュワーズをちょっと応援していた >>123
東海ラジオで中日−阪神を聞いてて
8回表に阪神がダメ押しとも思える2点追加して4-1になった時には
巨人ファンの俺歓喜だったが8、9回に2点ずつ奪われサヨナラ負け。
3.5ゲーム差で迎えるはずだったナゴヤ決戦は2.5ゲーム差になり、
そしてあの大逆転で中日に逆マジック点灯。
巨人ファンを1年でやめるきっかけになった。 強いという基準は野球は難しいからね
個人タイトル揃いだから優勝って訳でもなく、むしろ優勝球団は個人タイトルは少ない場合が多い
88や82の中日は、額面だけなら91や84より弱そうに見える
でも目に見えない強運や球際の今流でいう神ってる状態だった
神ってる時って摩訶不思議な状況だからな
どんなに負けてても最終的に勝てる
88のマジック点灯したときの落合のサヨナラホームランなんて神ってるの体現だった ようつべで82年開幕の小林繁の敬遠サヨナラ暴投見たら
高木由一の打席で阪神汎用曲が流れてて驚き
モッカ→真弓みたいに後から阪神ファンがパクったのかな 阪神の汎用って立教のSt.Paul's will shine tonightでしょ。
江夏の21球で近鉄応援団がダッシュ慶應を流してたように黎明期にはよくあったこと >>129
マジック点灯の時の落合のサヨナラをラジオで聴いたものとしたら
まず球場の一体感や熱気がこうラジオからひた走ってくるんだよね
ぞくぞくとした
91や84はそういう空気はなかった
夏場で暑いのに、なんか背筋が寒くなるぐらいのぞくぞくとした空気
ああ、優勝するチームってそういうもんなだなとは思った
あと、82や88は中継ぎ陣が半端なく強かった
91や84は、全体的に投手の層は薄かった 前期後期最終年だが、仮にハムが勝っていたら、その後のパ・リーグの流れは変わっていただろうね。 中日の64勝で優勝はよく語られるが
75年阪急も前後期合わせて64勝(59敗7分)で優勝なんだよな… >>135
ナゴヤ球場時代の中日はそういうのばかりだったな
ドームに移転してからは投手力重視の方針に転換したせいもあってか
気が付いたら優勝してたような年ばかりになったけど パ前期の優勝争い
西武、阪急以外に
じつは近鉄もちょっとだけ争ってたことは
もう誰も知らない >>43
てかパ・リーグも西武が優勝し巻くってたからだろ 「奇策」
滅多に奇襲をかけない監督が意表に出たとあって、その驚きは大きかった。前期も大詰めの6月23日、1差で迎えた首位西武と2位阪急の大一番
で広岡達朗新監督が動いた。意識改革に成功し、先発ローテーションを守る野球で4月を14勝8敗の2位で近鉄と首位争いを演じていた西武は、
5月も12勝8敗で貯金を10として近鉄を振り切った。しかし6月になると打線が低調、二度の3連敗などで13日までに3勝8敗と負けが込み、近鉄に
代わり浮上してきた阪急とのマッチレースになった。
西武と阪急は、6月13日から20日まで6度の首位入れ替わりをしてきた。その中で絶好調の大田卓司が15日、守備の際に骨折して全治4週間と
苦境に立たされた西武だったが、大田が4日後から指名打者で志願出場すると、翌日に田淵幸一が代打逆転2ランを放つなどチームの士気が向上、
20日から3連勝して迎えたのが23日の「西宮決戦」だった。
西武が勝てば2、阪急が勝てば3と勝った側にマジックが点灯する天王山で場内が騒然となったのは、西武の先発投手に2年ぶりとなる永射保の
名がアナウンスされた時だった。永射は前日まで22試合の登板が全て救援、それまでのプロ345試合登板の中でも先発36試合という左腕だった。
これには自軍の選手も驚いたほどで捕手・黒田正宏らでさえ、14日の移籍初登板でロングリリーフして初星を挙げた中3日の高橋直樹だと信じ
込んでいた。普段は奇策嫌いの広岡だったが、踏み切る時は味方を欺くほどの徹底的な工作を実施していた。読まれたり見破られた時のダメージの
大きさを恐れていたからだった。
試合はといえば結果として、奇策はさほど影響しなかったように見えた。初回に立花義家の打った飛球が風にも乗って第1号先制満塁弾、二回にも
石毛宏典が一発を放ち相手先発・山沖之彦をKOした。永射は大量9得点をバックに七回途中まで4失点で降りたが11−4の大勝、前期優勝を
決めたのはその2日後の事だった。永射でなくても勝てたかも知れないとの見方もあるが、六回まで1失点に抑えた功績は大きく、左打者の安打は
福本豊の1本だけと効果は覿面。そしてそれ以上に阪急が相手先発を読み違えた事により、動揺したままプレーしてしまった事を思えば、奇策の
効力はやはり大きかった。 (了) >>141
こいつと助けてとか言ってる奴が同一人物なのか 82年巨人は日曜日によく負けて
憂鬱な週明けを迎えたイメージだったが
調べたら日曜日は14勝7敗1分だった 中畑が杉浦の打球をトンネルして逆転負けした試合から35年 巨人の痛恨の負けは9・28のナゴヤ決戦だが、真夏の後楽園でのvs阪神で3タテ喰らったのも痛かったなあ。しかし、例年は阪神が真夏の後楽園では煮え湯を飲まされるのに(85・03・05年も例外なく。) ソロ3発しか点が取れず、最終回に2ランスクイズ決められた試合があったな。
ヤクルト戦であと一球から江川が3球勝負した渾身のストレートを
ボールと判定された後に同点打→勝ち越し本塁打で負けた試合とか、
ラスト2試合で大洋に死に馬キック喰らった試合とか。
惜しいV逸だから、どうしても勝ちを逃した試合がいっぱいクローズアップされるわ。 >>97
西のやまびこ旋風は池田
東のやまびこ旋風は新幹線 当時は中日ファンだったから9.28ナゴヤ決戦おぼえてるよ。
9回表終了時点で 中日2−6巨人
巨人先発江川で敗色濃厚の中まさかの逆転サヨナラ勝ち(7−6)。
試合終了後興奮した中日ファンの友達が電話かけてきたw
サヨナラ打の大島はヒーローインタビューでファンに向かって、
「あーりがとぉぉーー!!」と絶叫してたなww
ただただ懐かしい 涙 >>68
・1試合か3試合制のミニプレーオフ
・直接対決の成績で決める
のどちらか採用したんだろう 日シリ第1戦で、一塁手・田淵がバントの
打球をダイビングキャッチして好捕するも、
ワンバウンドと判断されてしまった。
田淵は、珍しくものすごい形相で怒り猛抗議。
あれが西武のナインの闘争心に火をつけたのかも。 広岡管理野球はいろいろと話題豊富だったね。
西武の選手たちは広岡監督提唱の玄米、豆乳などを
ほんとに飲食してたのだろうか。
いずれにせよ優勝は必然だったんだろうな。
東尾、大田らの生え抜き組に田淵、山崎らの移籍組、
テリー、スティーブの強力助っ人、石毛も入団。
万全の陣容が整い、機は熟してたんだろうね。 スティーブは隠れてコーラ飲むほどの不良助っ人だったらしいな かわいいもんだけどな
他にもヤカンビールやら、床屋に行ってなぜか白米をたらふく食う話だの、
首脳陣は別室でうまいもんくってるだの、あまり守られてない話がごそっとでてくる 当時の西武ってあくの強い選手が多かったから
隠れて約束を破る選手が出るぐらいは織り込み済みだったんだろうけどね
これがもしスラムダンクの一ノ倉みたいに真面目でバカ正直な奴ばかりだったら
成果が出る前に潰れるケースが多発してたと思う >>159を書いてる最中にも永射を思い出したよ。
その数時間後にYahooで>>164を見た。
ロッテのリーがあまりに永射を打てないので
右打席に入ったことが懐かしく思い出されるね。合掌。 なんかショック大きいな
広岡監督就任時の選手会長ですね。
いろいろ板挟みになったことも多かろう
なんといってもこの年は前期で勝った方に優勝マジックが出る阪急戦での奇襲先発だなあ
ご冥福をお祈りします やはり酒の飲み過ぎだったのかなあ。
77年に活躍した翌年全く消えてたのは
酒による肝炎だったみたいだし。
合掌。 奇襲先発した西宮での前期の天王山。
サンテレビが神宮のヤクルト×阪神戦を潰してまで緊急中継したっけな。 あの日はTVKからのネット受けだったから急な変更もできた。
もしTVKの中継予定がなくサン制作の神宮乗り込みなら西宮の中継はなかっただろう。 この1982年の田淵は打撃がかなり不振だったそうな
現在の中田翔(日ハム)がこの年の田淵と同じくらいの打率なんだが、確かに見ててきついわ
自動アウトのようなものだし >>173
それでも前期南海戦で同点の9回表無死二塁から
ライトへのファールフライで走者を進めた打撃を評価されて
年俸アップしたとか言ってたなあ >>174
同点の場面なんだからライトもファールフライを捕球するなよ…。 >>174-175
たぶんどこかの聞き書きだと思うけど
そういうシチュエーション自体なくて、一番近いのが6/11前期11回戦。
3-4の一点ビハインドの無死三塁で代打で登場
ダブルの第1試合で9回打ち切りが決まってて、犠飛で同点打を打ってもらっても
あまり意味のないケースで起死回生の逆転本塁打。
http://2689web.com/1982/LH/LH11.html >>176
田淵本人の回想で、査定の人もえらくシブい働きを評価するなあと思ったら
そんな事かw
なんて謙虚な回想だよ 次の日の新聞
巨人ナイン「夜に会いましょう」⇒叶わず残念
大洋・関根監督「ウチはウチの野球をしただけ(キリッ」 巨人ファンの俺としては当時確実と思ってたV2がチャラになったショックは未だに引きずってる。
やっぱDG24回戦の江川で逆転負けかな。今でもあれ何とかして欲しいと思ってる。
さらに言えば5月31日のヤクルト戦で江川が投げた9回二死2ストライクからの球がボールと判定され、その直後逆転されたこと。
あれストライクと言われれば巨人は優勝したことになる。 82年の巨人は前半に6連敗したり、阪神戦であと一人で角が同点打されて引き分け、
終盤の広島戦で浅野がリリーフ失敗で逆転負けしたりと、
強いのか弱いのか、はっきりしない節があった。 リリーフが弱かった。
角が頼りなく、夏場から浅野がクローザーをやったが、広島戦で三村に逆転2塁打を喫して終わり。
この年中日の引き分け数が19まで行ってマイナスのゲーム差が生じたので(最終的には解消して中日0.5差リードで終了)今のパリーグの現象はよく分かる。 6-2をひっくり返されるとは思わなかったよ。
8月の後楽園GD戦ですべて1点差で3連勝したときはV2確実と思ったがな。
原の決勝タイムリー、原の逆転3ラン、中畑の逆転2ベース 優勝する時は優勝を確信するような試合があるのに巨人にはそれがなかった。
夏場のタイムリー欠乏症の時とか首位を走るチームには見えなかったし。
翌年も広島に猛追されてゲーム差マイナスの首位を譲ってまたやられるかと思った。 俺はGD23回戦@後楽園で中畑が同点ホームラン打って引き分けに持ち込んでV2を確信したが。
翌日の朝日にも「V2は確実」と書かれてたし。 終盤に怪我人が相次いだのも原因。
河埜が離脱し篠塚がショートを守った。
本拠地最終戦の大洋戦で中畑が交錯して骨折。
もし優勝しても西武にボコボコにされ、ショックで翌年は優勝できなかったかも。 シーズン終了から日本シリーズまでたっぷり休養できたから、巨人が優勝してたら西武に勝った気がする。 この年の秋に2つのテレビ雑誌が創刊。
角川書店「ザ・テレビジョン」と小学館「テレパル」(現在は廃刊)。
両誌とも、しばらくは番組表に間違いも多く、買うのを躊躇ったほど。
なかでも「ザ・テレビジョン」は10月23−29日号(10月21日発売)にて、
第1、2戦巨人×西武(日テレ)、3、4、5戦西武×巨人(TBS、TBS・NHK、フジ)と番組欄に表示。
土日のTBSとフジの番組表は通常番組記載で、中日の文字すらなかった。 それは締切ありきの見切り発射だね
まあガバガバ判断&ガバガバ表記であることは間違いない でも他誌(TVガイド、テレビ番組)は註釈つきで、
「中日優勝の場合はフジテレビ(TBS)で放送」「巨人優勝の場合は日本テレビで放送」
「西武×セリーグ優勝チーム」「西武×中日か巨人」と表記していた。
ザ・テレビジョンだけは西武の相手を巨人と決めつけていた節さえあった。 8月の広島球場CG戦、延長戦で原が決勝3ラン。江川完投勝利。
後楽園GD戦、8回原決勝タイムリー、江川完投勝利。後楽園GW戦、原5−4、江川完投勝利。
江川と原の相性が良かった 巨人ファンはむしろ86年よりも、
この年のV逸のほうがかなりショックだったのでは? >>194
78年、82年、86年のV逸は今でもトラウマだ。優勝確信した時点があっただけに。 82年は中日に競り負け、78、86年は相手が中日のアシストで優勝。 中日の19引分に、なんかシラケた感が有った。そのせいか、日本シリーズもピリッとしないまま終わり、やはり巨人が出ないとダメみたいな空気だった。 田尾の敬遠で〜って当時巨人は抗議しなかったの?巨人>NPBなのに >>197
そお?最高に盛り上がったけど
ちな名古屋 巨人が先に全日程終えてて
中日最終戦の中日勝利でV、巨人V逸だから
そりゃあショック大だわな。
86も槙原がヤクルトの伏兵ブロハードに被弾で
痛恨の一敗もショックだろうが、82に比べればね。 セリーグ最終390試合目で優勝が決定したのはこの年が初。 巨人、振り返ればこの年9回に角が追いつかれ引き分けっての多かったな。
きちんとおさえてれば優勝できた。 >>195
その後、こういう感じに巨人がV逸したことってあったっけ? >>204
混線の92年以外に最後までもつれた優勝争いは逃してないな 01は勝利数順の順位表で試合消化の早い巨人の勝ち数が競ってただけで
実質はヤクルトと9月入った時点で9.5差。
そこからヤクルトが9月の対巨人戦6連敗などでむしろ失速して
巨人がどんどん追い込んでったが届かず http://www.tigers-fan.net/01/jun01.htm
2001年はゲーム差換算でも
第8節でヤクルトに4.5ゲーム、中日に5ゲーム差つけてるから
出だしは良かったけど6月以降に実質ゲーム差もなくなってる 浅野が甲子園の阪神戦で無死満塁からリリーフ登板して
三者凡退に打ち取ったのは痺れたよ。
晩年の浅野の最高の場面だった。 '82巨人は終盤に松本、河埜、中畑が相次いで負傷離脱したのが痛かった。
もし優勝していても、'90のように西武に完膚無きまでに倒されたと思う。 当時はリアルには見ていないけど、レギュラーが
立て続けに3人も抜けたらキツイよな。 >>210
西武も初の日本シリーズだから、内容はともかく、巨人も2つくらいは勝つとは思う。 >>212
仮にこの年巨人が出ても外国人選手の差で負けてたと思う。
西武は全盛期とも言えるスティーブ&テリーに対して
巨人は事実上衰えが顕著なホワイト(トマソンは序盤で起用法に反発し契約満了まで2軍幽閉)だけだし。 本拠地ラストゲームで中畑が交錯し骨折した時に優勝はないと確信した。
その日は怪我が未完治のまま復帰した河埜が無理し過ぎて、
9回表の守備に就かず一軍初登録の岡崎と交代。
ファースト山本功、セカンド平田、ショート篠塚の布陣も無理があった。 8月の広島×巨人、江川延長完投、原延長で決勝24号。
巨人×中日3連戦、初戦江川完投原決勝タイムリー、2戦目原逆転3ラン、3戦目中畑逆転2ベース。
なぜこれで優勝できない? >>216
このナゴヤ球場3連戦3連勝で報知が優勝前祝いの特集号出したからなあ。
この時点で巨人ファンは90%V2を確信してたと思う。
特集号は結局阪神の「Vやねん」と同じ運命に・・・ >>217
中日3タテは8月の後楽園でのこと。
9月の広島戦で松本が頭部死球で戦線離脱してから
明らかに浮き足立っておかしくなったな。
しかし兎にも角にも9月末のナゴヤ決戦初戦を落としたのがすべて。
9回裏江川が無死満塁または1、2塁にした時点で角へ交代しておけば・・・ なぜかわからないが藤田はここぞの采配でやらかすことがある 5月31日ヤクルト戦、9回裏2アウト2ストライクから江川が投げた球が「ボール」と判定され、
その後追いつかれ逆転負け。あの時「ストライク」と言われてれば巨人優勝、江川も沢村賞だったかもしれん。 >>222
それは5月30日。日曜日だった。
その日は「西部警察PARTU」が開始された日で、
当時はビデオデッキを持ってなく、ラジオを横に置き、
さらにテレビのチャンネルボタンを何度も押し変えた。
江川対大杉の場面だけは真剣に見たが、今でもあの勝負は鮮明に記憶している。 藤田元司さんは天王星人−で辰巳午が大殺界だったのに、何故か戌年に不運が集中していた。
1958(27歳)大エースでMVPも、西鉄に3連勝4連敗を食らう。
1970(39歳)黒い霧事件で謹慎
1982(51歳)中日とのマッチレースに破れる。
2006年2月 74歳で逝去 82、86は最後に巨人が負けるシナリオで万事進んでいった感じ。 そういえばこの年から戌年は
中日と巨人のトラウマが交互に続いているな
82は巨人が優勝さらわれ
94は10.8で中日が悪夢を見て
06はウッズの満塁で巨人が悪夢
来年はどうなることやら
今はどっちも不調なのが気がかりだが 考えられるのは、讀賣のリーグ優勝→CSで惨敗ぐらいかw 江川があと1勝(つまり20勝、巨人優勝)してたら、今度こそ沢村賞もらえたかな?
北別府より防御率良かったし。 >>231
この年の後半にはもう肩痛めてたから最後のチャンスだったのにな パを排除していた時代の沢村賞に
権威は無いのでは。 そうなると沢村賞3回の斎藤雅樹投手はかなり凄い投手ということになるが・・・ 9月28日の中日戦
巨人4-0とリードした3回表、なおも一死満塁で追加点が取れなかったのも痛い ♪よく晴れたこんな日は 風も爽やか らんらららーん
いつかまた会えそうな 光爽やか(江川さーん) 不二家ネクター 広島最終戦@後楽園の9回裏の大ファール、中日24回戦@ナゴヤの10回表の大ファールがホームランだったら、
原はホームラン&打点の二冠、巨人優勝で原がMVPだった。 松本
河埜
篠塚
中畑
原
ホワイト
淡口
山倉
投手 田尾
平野
モッカ
谷沢
大島
宇野
中尾
上川
都
近藤御大 >>226-227
70年は小川健太郎の追放処分だろ。
前年20勝12敗のエースが開幕1ヶ月で消えたんだから。 中日リーグ優勝決定試合は、相手チームの無気力相撲と思った。 >>248
関根はよく巨人の犬とよく言われるが彼はたまに散々巨人を立てるだけ立てて最後に梯子外すことがあるからな
特に中日と競り合いしていた時
これが他の犬系監督(高田や野村謙あたり)とは大きな違い
アンチ的には星野や近藤昭や小川みたいに巨人に全パワーつぎ込んで巨人に勝ちまくる監督の方が奉られるが >>248
無気力相撲にさせたという方が正解
最初にガツンとやって大量点とればモチベーションの違いで決まる
73年の阪神と88年の近鉄はそれが出来なかった 何気に小松もスキを見せんかったしな
さらに一番打者が5出塁保証だもん
そら大量点、ワンサイドの確立は高まるわな >>238
爽やかさとは無縁の江川がCMキャラクターだったのかw >>249
他の年にアホみたいに貯金を巨人に献上してるからなあ >>249
巨人優勝と長崎首位打者を天秤にかけたら
長崎を選んだだげじゃないの? 原って優勝できない責任全部押し付けられてる感じがするけど、この年は8月の広島戦での延長決勝ホームランとか、
8月の中日との天王山での決勝タイムリー&逆転3ラン、9月中日3連戦での3試合連続、128試合目の大洋戦同点2ランとかよく打ったイメージしかないな。 この年の中日×大洋最終戦と
今年の川崎×大宮戦がダブる… 35年経った今でもトラウマだわ、中日に優勝されたの 広島は当時としてはらしからぬ戦いぶりでBクラスに
前半は良かったんだが夏場が酷すぎた 70年巨人優勝(中日球場)
82年中日優勝(横浜スタジアム)
94年巨人優勝(ナゴヤ球場)10.8
06年中日優勝(東京ドーム)
激しく絡む戌年の巨人と中日 結局原辰徳が一番ホームラン王に近かったのはこの年だったんだな。 笑点の大喜利で
一番松本ライト前ヒット
二番河埜がセンター前ヒット
三番篠塚レフト前ヒット
四番中畑アホなヒト
あ〜あんあ、やんなっちゃった
あ〜あんあ、驚いた
みたいなネタがあったな 巨人が最終戦で大洋に負けたのは今でも不思議だ。
1973年の阪神のような勝負弱さだった。 亡くなった星野がこの年で引退したけど、近藤監督がコーチ兼任な星野をブルペン専任にして
選手として干したんだっけか?お情けで500試合登板はさせたけど この年の中日は田尾・モッカ・宇野・矢沢など強力な打線で、貧打の西武を上回っていた
それなのに、なぜ日本シリーズで勝てなかったのか? 石ころ事件もあるけど、本拠地3試合すべて序盤に大量点取られたらしんどいわ 巨人の終盤の怪我人続出。
軽症だったが鈴木康友が欠場した試合はセカンド平田、ショート篠塚だった覚えがある。
篠塚のショート起用にはチームが満身創痍な感じを受けた。 >>268
第6戦はそれでもよく追い付いたけどな。
7回の片平テリーのホームラン攻勢、
9回のバント攻勢には、なす術がなかった。 都がいきなり石毛の打球を受けて退場したのも痛かった この年何度か星野は巨人戦に先発したが未勝利で引退。6月30日だったか、9回表に誰かに同点2ランを喫して勝利を
逃していた。 4月の熊本藤崎台で、星野が巨人に完投目前で二宮に押し出し、山本功児にサヨナラヒットを食らった。
150球を超えていて、まんま田原坂城山の西郷隆盛だったなあ。 >>271
石毛は投手を直撃するライナーを打つ名人だった。 87年には桑田が第1戦初回先頭打者のライナーの直撃を喰らってこのシリーズ不調に >>269
それ大逆転負けして、中日にマジック点灯を許した翌日だね。
篠塚も慣れないショート起用で痛恨エラー。それが原因で連敗。
松本の頭部死球に始まり、河埜、鈴木康、中畑と呪われたように
主力が、それもシーズンが押し迫ってアクシデントに見舞われ続けたよね。 すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メャ\ッド』
0PNX9 8月の巨人中日3連戦は燃えました。
第1戦、江川、郭の投げあい。中畑のタイムリーで先制するも、宇野のホームランで同点。
8回原決勝タイムリー。
第2戦、0−2から原が逆転3ラン。
第3戦、中畑が逆転タイムリー2ベースで巨人3連勝。 >>281
報知がこの3連戦のカラーグラフ特集号まで出したんだからあ・・・
「優勝前祝い」みたいな扱いで。 ナゴヤ決戦初日の4点差逆転負けがすべてだったな。
9回裏頭から角でいくべきだった。
翌年のシリーズといい藤田采配は投手起用で取り返しのつかない事態を起こしている。 タラレバ言うと、延長10回に原が打った大ファールがホームランだったら…。 藤田監督は先発投手を極力最後まで引っ張るから交代が遅れたのは否めない。
7月30日の阪神戦も1点リードの9回裏、掛布から始まる打順で西本を続投させて
一死三塁、打者藤田平になってから角を投入して結局逆転サヨナラ負けしたが
イニング頭から角だったら違う結果だっただろうな… 第2期はヤクルト野村に「先発完投は時代遅れ」だと罵られていたっけ >>281-284
あの3連戦思い出したけど、3試合連続1点差勝ちなんだよな。
その当時、1点差勝ちは監督の采配のお陰みたいな理論が流行ってて、
名将藤田、愚将近藤みたいに言われてた。
そりゃ報知も優勝確信してVやねんを出すのも仕方ないわ。
ちなみに近藤が「野武士野球」を言い出したのは形勢逆転してから。 北別府投手は6月20日時点(チーム56試合目)で11勝(無敗)だったのですね。 原のホームランペース
20号 65試合
24号 100試合
30号 125試合
シーズン33本 130試合全イニングフル出場 花の82年組
松本伊代(デビューは81年10月だが)
堀ちえみ
石川秀美
中森明菜
小泉今日子
早見優
三田寛子
シブがき隊 巨人が横浜での最終戦を江川で落としてから中日は8試合も残していて、5−3でギリギリ上回った。
今ならこんな日程にはならない。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ >>299
おもいっきり板違いの話ですね
こんなところでマルチポストなんかしたって、無意味なんですけどw 花の82年組
松本伊代=ヒロミと結婚、子持ち
堀ちえみ=何度も結婚、子沢山
石川秀美=約丸と結婚、子持ち
中森明菜=独身
小泉今日子=バツ1、小梨
早見優=誰と結婚したんだっけ?子持ち
三田寛子=橋の輔と結婚、子持ち
シブがき隊 日本シリーズ第二戦で中日ファンが大敗した腹いせに暴動を起こした。
あれは許せなかった。 池田高校が圧倒的パワーで甲子園優勝した82年。
プロでもいち早くパワートレーニングを取り入れた広岡西部が力の違いを日本シリーズで見せつけた。
小松の150キロの球が悉く簡単に打ち返される。決して小松の調子が悪いわけではなく明らかに
力負けしていた。第二戦の都のアクシデントも起きるべきして起きたのかも知れない。
石毛のピッチャーライナーの打球の速さに都も対処出来なかった感じだった。第七戦の片平とテリーの
アベックバックスクリーン決勝弾はまさにパワーの違いを見せつけた感じだった。
82年はレベルの変革期にあったと思う。池田と西武がまざまざとそれを見せつけていた。 巨人が優勝すべき年だった。江川が20勝して沢村賞とるべき年だった。原が二冠王でMVPとるべき年だった。 当時中日ファンだったが巨人ファンの嘆きもよくわかる。
64勝だかで優勝だもんね。
あの投手陣でよく優勝できたよ。
小松、都、鈴木孝、郭、牛島あたりか。
田尾、谷沢らの野武士打線も懐かしい。 引き分け15だからね中日は。粘り強いといえば粘り強いんだろうけどちょっとね。 もしタナボタ優勝した場合、松本と中畑不在で臨んだ日本シリーズは
90年のような悲惨な結果になったのでは? 8月の中日3連戦3連勝でV2だと思うだろ?
9月の中日2連戦で2試合目に中畑が同点ホームラン打って翌日の朝日新聞も「V2は確実に成った」と書いてたし。 その後の怪我人続出は想定外でしょ。
松本、河埜と来て最終戦を前に中畑骨折でトドメを刺された感。 記憶が確かなら、
江川、西本、定岡の三本柱で49勝(前年と同じ)
原も33発、松本も盗塁大幅増
ほかの主力もまあまあだったはずだけど
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http://www.sjack.org/ >>310
松本が広島戦で頭部死球の時ははじめ軽傷と言われていたのが、
数日後には視力低下、耳鳴り等の診断結果が判明し今季絶望の報道。
翌年から松本は常時眼鏡を使用して出場するようになったね。
松本、河埜とセンターラインが相次いで死球で潰されては流石に勝てないよ。 83年スレでは83年が野球人気の山と言われてるが実際は82年ではないか あとホワイトの衰えがいよいよ顕著になって助っ人として限界だったのも 阪神が優勝してたら面白かったな
実は中日より勝数では1つ多かったんだよな
伊藤、工藤、小林の二桁トリオにタフネス福間、池内、最多セーブの山本和行いたし
真弓、掛布、岡田、佐野、藤田の打線もなかなか >>313
その根拠は中継の視聴率だったかと。
まあ、原人気最盛期の第1期藤田巨人の81−83年は大差ないんじゃないの。
>>315
たしかに中日と遜色ない陣容。
バースがあと1年早く来日してれば82年の阪神Vあったかもね >>312
あのスロー映像を見ると頭がぐしゃっていってるから怖かった。
あれで軽傷で済むわけがない。
救急車搬送時はケロっとはしてたけどね松本も。 ケロッとした姿を見てみんな大丈夫そうだなと思ったんだね。
弱さを見せない強い人なんだね。 >>288
ただこの年の角は前年のように調子はよくなかった。西本が投げたときにリリーフ失敗が続いて両者の関係がギクシャクしていた。
8月の終わりごろだっか、後楽園でのヤクルト戦、西本のあとを受けて角がリリーフしてなんとか逃げ切ったあと、無理やり握手をさせられていた。
お互いソッポを向いて、まあきごちない握手で吹き出してしまった。 >>307
それ以上の惨憺たる結果(それこそ「33−4」クラスの)が
待ち構えているだろうねw >>322
阪神ファンにすれば黒歴史なんだが
なんでそれをいちいち掘り出してくるの?
人の不幸見てて喜ぶタイプなんだろ そんな黒歴史なんか、程度の差こそあれどこのチームにもあるだろ
それとも何か?そのネタを出してきた者に対して、一々難癖を付けなければ
気が済まないのか?
捻くれたヤツだな それなら翌年のバースは長い目で見てもらえる事なくすぐ二軍落ちだな かつてはパリーグの最下位の常連でお荷物球団だったライオンズが台頭して
きた年だった。
巨人戦などで他球場の途中経過が伝えられるとき、西武リードが伝えられると
アナウンサーが「西武が強いですね〜」と感心したように言う場面がよく見られた。 西武が中日を圧倒して日本一に輝いたが、
あの5戦目村田審判の石ころ事件がなかったら
中日が勝ってたのではないかと思うことがある。
そうなると王手をかけて名古屋に戻るのだから
中日が日本一になっていたのではないかと。
実は石ころ事件パリーグの明暗を左右していた
と思う。西武がシリーズに敗れれば日本シリーズ
パの5連敗になってパリーグなんかいらない雰囲気になってたのではないか。翌年巨人と対戦するとは
いえ中日に勝てない所が巨人なんてとても
という気分で敢えなく巨人に4勝1敗とかの結果で
終わっていそう。石ころ事件は実は日本プロ野球に
おいてとんでもないターニングポイントだった? 西村京太郎「消えたエース」Wikipediaより
1982年のプロ野球シーズン終盤。
それまで弱小球団とされてきた京神ハンタースは18年ぶりのセ・リーグ優勝を目指し、
読売ジャイアンツ、広島東洋カープと優勝争いをしていた。
その原動力は球団社長が情熱家に替わったこと、
新監督片岡の采配、打撃・若手投手陣の奮起などが挙げられたが、
いちばんの理由は新リリーフエース江島功の誕生であった。
しかし元々わがままな性格だった江島は自分の年俸の安さに不満で、
全勝が求められる大洋ホエールズ戦の3戦目を前に肩が痛むからと
京都の医者に行くと言い出し、その上同伴した球団マネージャーを振り切り、
同棲していたホステスのアパートに行ってしまう。
その翌日、新聞朝刊にそのホステスが自宅アパートで絞殺されたとの記事。
しかし江島は行方不明となっていた。犯人は江島なのか……。
江夏が実際にホステス殺害容疑をかけられたのは当時から知られていたのか?
そして西村京太郎はそれをモチーフにしたのだろうか?
スポーツ紙の連載でペナントと同時進行だったように思うが
モデルの阪神の旗色が悪くなったせいかさっさと連載終了させたと思わせる結末だった。 阪神はエース小林と山本和以外は
ぶっちゃけ、二流三流のピッチャーしかいないというイメージだったから
優勝するチームって感じは当時ですらなかったな。
他チームはまあ、いいピッチャーが数人はパッと思いつくけど
阪神はその二人ぐらいだったもの、やっぱり野球はピッチャーでっせ 工藤 一彦 35登板 11勝8敗2セーブ 防3.00
小林 繁 27登板 11勝9敗 防3.42
伊藤 宏光 27登板 10勝10敗 防3.28
藤原 仁 20登板 6勝3敗 防2.41
益山 性旭 29登板 3勝6敗 防4.76
福間 納 63登板 1勝2敗 防3.17
池内 豊 73登板 4勝5敗4セーブ 防3.98
山本 和行 63登板 15勝8敗26セーブ 防2.41
小林がもうちょっと調子良ければ優勝してたんちゃうの?
首位までたった2ゲーム差だったんだし 試合をぶち壊しにする印象しかない池内が思いの外活躍してて驚き
中日 64勝47敗19分
阪神 65勝57敗8分
だから4.5ゲーム差だけど >>331
「江島功」って名前が酷すぎるだろ。
ロッテにまだ「江島巧」が現役でいた時代じゃん。
中日時代の方が印象が強いが。 >>334
外国人選手がショボかった。この年在籍していたアレンとジョンストンは2人とも大砲タイプではなく
一番打者タイプ。アレンは22盗塁の脚力を残して残留できたがジョンストンも似たようなタイプで
結果を残せずクビ。第3の外国人でラムというのもいたけどこれまたショボくて一緒にクビ。 >>334
つうかまず開幕ズッコケて、その後突如6月から大きく巻き返して広島、巨人、中日と大混戦の首位戦線に顔を出すか?と思ったら途端に
8連敗したりと、どうにも優勝する気が感じられんかった様なw
その辺に後の1992年の巨人(長嶋監督復帰前年)にも似た覇気の無さを感じたり。
珍しく死のロードと呼ばれる長期ロードの時期から再浮上して、息切れした広島に取って代わって巨人、中日に迫るも
取りあえずAクラス確保してけば良いや程度の思惑にしか見えなかった。
シーズン終了後になってようやく「何だよ、優勝のチャンスだったやん(´・ω・`)」と気付いたか?って鈍感さをチームにも選手にも
感じたこの年の阪神でした。 8月末の大洋戦で島野と柴田の両コーチが審判の判定にキレて
(藤田平の打ち上げた打球を大洋の三塁を守ってた石橋貢が取れずファール判定、
島野&柴田側は打球が石橋のグラブに触れてのファールなのでフェアだろとの言い分)
三塁塁審の鷲谷と止めに入った球審の岡田功をボッコボコにした。当然2人は退場処分、しかも審判側が
阪神を「こんな暴力団のようなチームと試合できるか!」と激怒し
あわや没収試合寸前になった。(阪神監督の安藤が平謝りして何とか没収試合は免れた) >>336
西村京太郎作品には「江島」や「功」がよく出てくるから
そこまで考えてないと思われ
掛布→掛井とか、工藤→久藤と微妙に名前変えてるのに
なぜかジョンストンだけそのままw >>340
暴行自体を擁護する積もりでも、まして今やそんな御時世でも無いけど。
南海で野村監督の元に仕えていた島野・柴田両コーチからすれば、優勝のチャンスなのに一向に煮え切らない球団・監督・選手達への
苛立ちも審判暴行にまで至ってしまった要因のようにも思える(´・ω・`)
しかしこの両コーチが無期限出場停止(シーズンオフに解除)を喰らった事で、ますます球団・監督・選手達は冷めてしまったんだろうな・・・。
当時の安藤監督も江本からアホ呼ばわりされた前任監督と違い、野球頭脳は確かだったが、後の負広以上に実に煮え切らない態度の
御方でね。 >>338
あの突然変異のような11連勝にはおどろいた。
直後の8連敗にはやっぱりねとしか思わなかったが。 優勝するには15勝クラスの投手が2人は必要と思ってたから
85年も優勝するなんて思ってなかったわ ドラフトで野口(立大)が「中日 西武 阪急」の抽選の末「西武1位」に決まったが記者会見で「ぼくにも行きたい球団がありましたので・・・」と憮然としてた。
どこ希望だたんだろ?
ドラフト会場の関口、関根、藤田、大沢、安藤監督らが組のサミットみたいな雰囲気だった。 見てくれがカタギっぽくなってきたのはヤクルト時代からかな >>345
結局は未勝利のまま球界を去ったけど、この時の気持ちが後々に影響したんだろう。
「プロならどこへでも」こうした気持ちならきっと違ったはず。 >>345
当時の関東の大学だと在京セリーグがお決まり 野口は今、大日本スクリーンの会社役員だから、いい人生だろ。 2年の春は江川を抜くシーズン奪三振記録を達成して注目された
そこから尻すぼみになったので2年の秋からが黒歴史 野口は二年の春が絶頂期だった。96奪三振の記録を作った。
それがその後はじり貧になっていった。上級生になるにつれて左腕のしなりがなくなっていったような気がする。
ドラフト前に立教の監督が危惧していたな。「二年春の野口なら一億円もらってもおかしくなかったが…」と言葉を濁していた。 この年に関根の温情を受けた長崎は中日近藤監督の
恨まれたのか2年後のオフに阪神へトレードされて
その近藤に可愛がられた田尾も西武へトレードされた後1987年は阪神で互いにチームメイトに… MVPは掛布で良かった。二冠王で打率三位なんだから。
斎藤明夫みたいにリリーフ専門で防御率一位というのも
ファンからすると納得がいかない。 江川の大杉へのボールがストライクたコールされたら巨人優勝江川沢村賞だった。
中日24回戦10回表の原の大ファールがホームランだったら巨人優勝だった。江川沢村賞だった。 >>357
打率3位、二冠王、最多出塁数タイ、最高長打率でしたからね。
当時、もし彼がMVPに選ばれても批判は殆どなかったのでは、と想像します。 セリーグって優勝チーム以外からのMVPはほとんどいないからな
王とバレンティンくらいか >>358
そんなこと未だに言ってるのかよ
未練たらしいなw 日産シルビアRS
トヨタセリカツインカムターボ
トヨタ1G-GEUツインカム24
マツダコスモロータリーターボ
三菱スタリオン
ホンダプレリュード 最終戦中日が落として巨人優勝だったら、MVPは誰か?
原? >>358
ざまあw
現実は中日優勝
沢村賞は北別府 >>357
リリーフ専門つっても平気で2〜3イニング登板だからな >>367
投票する記者の心理としては、
「江川は前年にMVPになっているし」との理由で
原選手に1位票が集まったのではないか、と思います。
>>366さんの指摘通り、勝利打点王であるほか、
33本塁打、92打点はともにリーグ2位でしたから。
まあ、原選手をMVPに選ぶのなら掛布選手では?と思ったりするのですが・・・ で江川には沢村賞つう事か(´・ω・`)
前年の事態を受け、スポーツ紙各社が早々に沢村賞投票ボイコットを決めた事もあり、この年から沢村賞受賞若しくはそれに相当する実績を残したプロ野球投手
OB達で構成された審議委員会に依る推挙制に変わったからね。 >>368
掛布はないだろ
優勝チーム以外からMVPになるには三冠王ぐらいとらないと そのへんはパリーグのほうが比較的柔軟に運用(?)されているけど、
セリーグは「優勝チームから選出」という大原則を崩していないからね
王とバレンティンが例外だったぐらいで >>203
あまりにも酷いから浅野が代わりに抑えやってたが、
やはり続かず打たれて角に戻ったが最後まで不安定。 あの西武をいきなり日本一にした広岡監督の
指導力に誰もが舌を巻いた。 広島26回戦の9回裏の大ファールと中日24回戦の10回表の大ファールが、ホームランだったら巨人優勝原二冠王MVP江川最多勝沢村賞だったな。 いい加減現実を受け入れろっての
これだから讀賣ヲタは… 中日の19引き分けがやたら目立って
中日は引き分けで逃げたから優勝できたみたいな言われようだったが
巨人も14引き分けなんだよな。
引き分けを0.5勝0.5敗で換算してもやはり中日優勝だし文句ないだろ。 G 66勝14分 勝ち点212
D 64勝19分 勝ち点211
巨人優勝。 勝ち点って、サッカーじゃねえんだから
いい加減諦めろ 巨人OBでもある近藤貞雄さんが優勝監督になれたんだからいいじゃないかw 素直に巨人優勝で良かったのに。
名古屋はタモリにdisられてれば良かった。
いいともが始まる前のキワモノタレント時代。 >>381
当時のサッカーの勝ち点は勝利で2だからどの道優勝は無理。 何が何でも讀賣の優勝を願っていたヲタが
30年以上の時を経てこのスレを荒らす… >>386
それを言うなら、この年の日本一監督だった廣岡氏も讀賣のOBだからいいじゃないか
ということになるなw メンドくさいから読売優勝でいいよ
余計惨めになるだけなんだから 廣岡vs近藤
巨人ファンなら狂喜乱舞したはずだぞw(たぶん) 巨人が出ない日本シリーズで
巨人OB監督同士の対決だったのってこれが唯一? なんでもかんでも巨人が起源かよwwww
その理論なら平成時代も95、97、98、01、05、14以外みんな巨人じゃないか
落合や工藤が在籍していたら巨人扱いだから >>394
2017年(工藤VSラミレス)と1962年(水原VS藤本)も。 1982年と1992年って中日とヤクルトの順位入れ替わっただけでそっくりな件… テレ朝で放送した大洋×巨人が80年代のNPBの最高視聴率だったはず 中日巨人24回戦が素直に終わってれば巨人優勝。
最多勝江川、沢村賞江川、MVP原。 日本シリーズでの中日のファンのあまりのマナーの悪さに、週刊誌が
「名古屋五輪落選して良かった。タモリは正しかった」と書いてたなw >>242
この時のスタメン6人がトレードに出されるとはねぇ… 西武黄金時代の幕開けに中日というやられ役は
うってつけだった。巨人が連覇してたら西武は
終わり。前年の日ハムとか今度の西武とか
パて存在意義あるの?と言われてそう。 そして翌年、讀賣が散ったことで西武の黄金時代が始まる 抑え投手ブームだった
斎藤明夫、山本和行、森繫和が当初先発やってたのに抑えに転向して成功
牛島も最初は先発だったかな?
佐藤義則も前年まで任意引退扱いだったが抑えで復活
逆に大野が江夏の代わりとなり切れず2年後に先発転向 セリーグは260イニング以上が3投手もいたのが凄いですね。 40年経った今でもこの年素直に優勝してれば、って思い続けてきたのですが、
この年優勝したら恐らく翌年の大洋戦での駒田の初打席満塁ホームランが存在しなくなることまったく考えてませんでしたw >>353
それ、野口を投げさせ過ぎたからじゃないのかね。
あと、野口は確か奥さんも同じ名前(裕美)じゃなかったかなw 中日の最終戦、小松が開幕戦以来の先発で完封勝利だったが、この時の中日は先発出来る目ぼしい投手が、ほんとに全く残ってなかったんだな。 その代わり83年に優勝決めた江川最後の球はボールだと思う
どっちもヤクルト戦か この年は6月に広島が巨人に3タテをかまして抜け出すかと思ったら
その後主力の高齢化のせいか、夏場の7・8月に大失速。
オフには水谷、ライトル、福士らが去り、カープも世代交代って感じだった 中日のリーグ優勝が決まる直前、ほとんどの選手がベンチから身を乗り出さんばかりだったのに、星野だけベンチの隅っこで仏頂面で座ってた。 8月31日時点 巨人110試合消化貯金20 4差首位
9月13日時点 巨人117試合消化4.5差
9月18日時点 巨人120試合消化4.0差
9月29日時点 巨人125試合消化-0.5差中日首位
9月30日時点 巨人126試合消化1.5差巨人首位
10月9日時点 巨人全日程終了-0.5差中日首位
10月12日時点 巨人首位1差中日
残り5試合4勝1敗中日優勝 >>420
9月30日時点でジャイアンツの残り4試合は全部大洋戦だった。
ここから1勝1分2敗、大洋の予期せぬ頑強な抵抗が大きかったな。 前年の2位から後退して通年では4位だった阪急は
この年のオフに加藤を放出、マルカーノを自由契約。
山口、島谷、大橋、高井、白石、河村もこの年で引退。
山田・福本こそ健在だけどさすがに黄金時代は昔になったなあと思った。 加藤を出してとった水谷は翌年打点王
その水谷が倒れると、今度はブーマーが覚醒
計算外は蓑田の夭折 この年の近鉄は前年の最下位から持ち直して3位。
顔ぶれを見ると新人王の大石と外人以外は連覇時とほとんど同じ。
マニエルが来る前に戻ったような感じだった。
近鉄の歴代の優勝を見る限り、スーパーな働きをする外国人選手が
必須だったって事を実感する。 >>418
3日前に3回1/3を投げているから、温存ってほどではないな。
明らかに登板過多になっていた都、鈴木孝、堂上、藤沢、
休養十分だが前回登板時に滅多打ち喰らった郭、星野、、
と考えると、小松でいけるところまでいくしかなかったろうな。 なんで江川は中日24回戦の9回を素直に3点以内に抑えなかったのか? 宇野の打球をはじいた中司が悪い
あれ止めていれば6-4で一死一、二塁だから
逃げ切れたと思う
なぜ公式記録が二塁打扱いなのかわからない 勝負強い中尾を歩かせて田野倉・代打木俣と勝負でも良かったかな >>428
すでに肩痛めてて投げられる状態じゃなかったから 10年間やってきたパリーグの前後期2シーズン制の最後の年。 その後85年までは2位と5ゲーム差以内なら変則プレーオフ制だったが
いずれの年も大差で優勝したためそれもなく廃止されたな 前期優勝で、後期優勝で優勝祝賀会ビールかけをリーグ優勝と同じようにやっていたのには何だか違和感があったな。
優勝祝賀会ビールかけするほどそんなに1/2優勝が名誉なことなのかと当時子供ながらに思っていた。 もちろん?1/2優勝決定試合での監督胴上げなんかにしても。 まあ前後期制のおかげで10年間のうち6球団とも1回以上半期優勝を経験できた
効率よかったのは半期優勝1回でプレーオフも勝ち抜きリーグ優勝できた南海
悪いのは半期優勝4回もしたが1回しかリーグ優勝できなかったロッテ 俺も地元の西武デパート行ったけど売れ残り一掃みたいでロクな品物なかったw
堤義明と堤清二が不仲のせいなのかなと思った 半期優勝も含めると阪急はパリーグ9連覇したことになる。 江夏は半期優勝の胴上げ投手になったけれども、本人はスタスタとベンチへ。 この年は両リーグとも飛ばないボールが使用されたのかな?
ホームラン王の掛布が35本。落合が32本。
前年まで5年連続40本以上で、前年は43本でホームラン王の山本浩二が30本。
前年44本でホームラン王のソレイタも30本。
門田や田淵も低迷。 80年オフの飛ぶボール禁止と圧縮バット禁止からの流れ
80→81→82のリーグ総本塁打数の推移
セ 849→806→753
パ 1196→812→772 >>407
そのうち田尾と宇野以外はすべて星野によって放出された
谷沢も星野によって引退させられた 落合の成績自体は前年の81年と同じくらいなんだよね。
ホームランや打点のライバルたちが軒並数字を落としている。
長打が関係ない打率の新井が落合には一番嫌な相手だったのかも。 新井なんてあまり眼中に無かったと思うけどな。
落合はこの年ずーっと3割3分台をキープして、新井の方は3割2分台に乗ることは無かったから。 打率の面で落合が幸運だったのは同僚のリーが規定打席不足に終わったこと。
単純比較では落合.325 リー.326だった。 ホームラン数の推移に話を戻すと、80年か81年に40本以上打ってる打者は82年は落ちているが、
20本くらいから30本くらいの打者はあまり変化がないか中には少し本数が増えている人もいるんだよな。 >>441 >>449
前年40本以上打った3人のこの年のHR数が減った理由は
門田→故障、ソレイタ→打率下がった分減った、山本浩二→年齢からくる衰え
みたいに当時は感じていた ソレイタ→打率下がった分減った
逆でしょ。ホームラン44本から30本に14本減ったわけだから。
前年その14本がスタンドまで行っていたが82年は外野フライになっていたとしたら、
14本=14安打現象すれば打率は下がって当然でしょ。 ○14安打減少すれば
また、ソレイタのこの2年間の成績をみればほとんどそれがうなずける結果だよ。
81年 451-136 .300 44本
82年 449-126 .126 30本 81年 451-136 .300 44本
82年 449-126 .281 30本 それと、山本浩二は翌年には36本でホームラン王に返り咲いているから年齢的な衰えという見方は違う。 門田は前期は64試合にスタメンDHで出場して14本だったから前年44本打った打者としてはこの時点で量産ペースが遅かったのは明らか。
そして後期は確かに休みがちになってしまったが。 >>440
よくも悪くも、チームに溶け込む気が全くなかったんだろうな。前年は、胴上げを腕組みしながら眺めてた。
広島時代はマウンド上で他の選手と抱き合って喜んでたけど。
同じタイミングで南海を出た柏原は、日ハムでは完全にチームリーダーとしての地位を築いていた。 半期優勝くらいで本気で喜べるかよという気持ちだったのでは。
それに日本ハム時代の江夏は試合中の素っ気ない態度とは違ってシーズンオフにはチームメイトの家に
訪問するなど良好なチームメイトの関係だったらしいよ。 ただ、植村投手コーチとはあまり上手く行っていなかったみたいだね。
確かに試合終了直後に植村コーチと笑顔で握手なんていう光景は記憶にない。
でも、選手同士はみんな江夏と良好な関係だったらしい。 >>459
唯一江夏と仲が悪かった高橋里志がいた(しかも広島から同時移籍) >>458
あー、そうなんだ。それは失礼。
めっちゃ浮いてるように見えたw
>>460
たとえば1983年6月14日のロッテ戦では、3番手に投げた高橋里を、7回二死から江夏がリリーフして勝っている。
江夏がマウンドに来る前に、さっさとマウンドから消えたんだろうな。 江夏・高橋里と高橋直・佐伯のトレードだったね
大沢親分が里志をくれと言ったら広島側から
「江夏と仲悪いからやめたほうがいい」って言われたが
親分は「マウンドに2人がいっぺんに上るわけじゃない」
と押し切ったらしい。 >>434
一応「優勝」のタイトルなんだから、MLBのチームがディビジョンシリーズ勝っただけでシャンパンファイトするのに比べたら、納得性はあると思う。 巨人優勝してたら原がMVP?
江川があと1勝してたら沢村賞? >>464
江川については記者投票から沢村賞受賞経験がある球界OBで構成された座談会に依る推薦に変更になったから多分受賞していたろう。
無冠の原のMVPはどうかな・・・・・・・・・、江川の2年連続MVPの可能性もあったろうし、二冠王の掛布が関西票を集めて選ばれたかもしれんし。 この年の尾花は負け越していたけど内容的には生涯ベストシーズンと言っていいものだった。
チームはビリで何の称賛も与えられなかったのは残念だった。 戦後「37年」でよく、ここまで豊かな国になれた。日本。
昭和57年から同じ「37年」の月日が流れた。 昭和20年と昭和57年はダンチだろ。
昭和57年と令和元年大して変わらない。
パソコン、スマホくらいだろ。 中継開始の
D 014
W 00
ですべてを悟った最終戦 >>459
大沢監督退任→植村監督就任というタイミングで
江夏もチームを離れているね(西武へ移籍) あれは日ハムが江夏放出を先に発表したんだよ。
で、そのあとトレード先探しという珍しいケース。 >>470
自動改札は既に玉川学園前にあったとよ。切符通してハサミ入れるだけだがw
関西はもっと進化したのがあったようだが。
アイドル豊作の年。今と違ってピンで売っていた。ベストテン番組全盛で今と違って別にファンじゃない人の歌も唄えた。
クルマはフェンダーミラー。ディズニーランドはまだ開園してない。 セリカXXツインカム24
セリカツインカムターボ
シルビアRS
コスモロータリーターボ
プレリュード(2代目の激人気の)
シティーターボ
スタリオン >>471
その試合で大洋監督として指揮を執っていた関根潤三氏が先日逝去 >>468
昭和57年にはインターネットもスマホもない時代だからな〜
タイムリープして令和に来た人はびっくりするだろ 昭和20年⇒昭和57年と
昭和57年⇒令和元年を比べたら
この37年間はそんなに変わってないな ホンダF1参入前年
トヨタグループC参入
日産グループC参入前年 「七転び八起き」
高目の速球にマイク・ラムのバットが空を切ると、三塁側ベンチから一斉に選手がマウンドに駆け出した。最終戦で大洋に勝った中日が幾多の障害を
乗り越え、82年セ・リーグのペナントレースを制した。負ければ巨人優勝というプレッシャーの中で一戦は、二回表に四番・谷沢健一が号砲となる
先制弾を放つと、三回に4点、七回にも3点で計8得点を挙げたが、全てクリーンアップの打点だった。投げては小松辰雄が、被安打2と奪三振8個で
完封という一方的な展開となった。
シーズンの強竜打線を象徴する試合だったが、前半戦は田尾安志とケン・モッカの打棒が目立つのみという状態だった。近藤貞雄監督は開幕前に
「600点打線」と自信を持っていたが、谷沢や大島康徳の調子が上がらなかったのだ。7月に入ると打線が復調、息切れの広島に代わって巨人と
優勝を争う事になったが、投手陣のやり繰りには首脳陣も終始苦労した。
新エースに立てた小松が開幕でKO、しかも右股関節挫傷で長期離脱という苦難のスタート。それでも前年後半に台頭していた都裕次郎と郭源治を
ローテに組み込み都が4月、郭が5月にプロ初完封すると軌道に乗った。抑えにはフォークボールと度胸を買って21歳の牛島和彦を抜擢、救援失敗
の続いた鈴木孝政は6月に先発転向してこれまた7月のプロ初完封で定着というように、近藤の慧眼による打つ手がよく当たった。後半戦になると
復帰後の小松を、牛島とのダブルストッパー役に据えて三沢淳や鈴木の負担を軽くした。
七転び八起きの巨人とのデッドヒートでの最終盤は、10月の16日間で13戦と中日投手陣には堪える日程だったが、特に最終戦は前夜首脳陣が
悩み抜いた。都は前日に先発、三沢と鈴木なら連投になってしまい、郭は腰痛で9月下旬から中継ぎに回っていた。さらに抑えの牛島も前日セーブを
挙げながら、右肘痛を抱える状態のため先発にはなるべく長いイニングを投げてもらわなければならない背景があった。
横浜の宿舎ロビー、相談している近藤と権藤博投手コーチの中に割って入ったのが小松で「何を迷っとるんです、こんな試合の先発は俺しかおらん
でしょうが」と大声で話し掛けた。先発はあの開幕以来なく、2日前にも3回3分の1を投げていたが、近藤は「あの気性に賭けてみようじゃないか」と
妙に納得をしてしまった。
手薄な投手陣での優勝は打率と本塁打と得点でリーグトップだったが、防御率でも巨人に次いで2番目だった。近藤は「未熟な監督についてきて
くれた選手が勝ち取った勝利」と謙遜したが、“継投の妙を見せ、チームにガッツを注入した”との理由でセ・リーグ最優秀監督に選出された時には
近藤も得意満面だった。 (了) 科学技術とかは大きく進化したけど物価はすっかり伸び悩んだな >>474
あんな猛者を扱える人物の方が少数派だと思う この年のパリーグは飛ばないボールの導入で加藤球同様の現象が起きていたのが興味深い
例えば技巧派投手の躍進・復活(この年だけ活躍した投手も多い) それってバラバラだったボールのメーカーにそれぞれリーグが通達したんかね? >(この年だけ活躍した投手も多い)
確かにこの年だけ活躍した投手はいるけど、他の年に比べて多いという事はないと思うけど。
どの年でもその年だけという選手はいるわけだから。 >>471
それが発生したのは、この年の今日のことであった >>494
多分それはタツノリのことを指しているんだろうが、
確かにヤツの肉体は改造したほうがいい
それこそ、去勢だってありだw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています