1983年のプロ野球
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この時代のセリーグの投手はバッティングがうまい選手が多かった 特に巨人の投手
その中でも江川はこの年は本塁打3本打って打率は2割8分6厘と下手な野手よりよっぽど打っていた
同投手は前年も3本塁打を記録している テリーリー 背番号77
一か月くらいは活躍してインパクトあった 「名調教師と荒馬」
球団史上最高勝率を29年ぶりに塗り替える圧倒的な強さだった。連覇を目指して臨んだ83年西武のシーズンは、二期制が終わりこの年から始まる
はずだった変則プレーオフも実施させないほどの強さだった。円熟期に入っていた選手がスタートから実力を発揮、初勝利こそ開幕4戦目だったが、
4月は4連勝2回を含む10勝5敗1分け。同じく開幕ダッシュに成功したロッテと5月上旬までは首位を奪い合ったが、5月7日に首位に立ってからは、
最後まで先頭を走ってゴールテープを切った。唯一の首位攻防といえる5月17日からの鹿児島での対ロッテ3連戦も、初戦は石毛宏典の走者一掃
と大田卓司の1号、2戦目はテリー・ウィットフィールドと片平晋作の一発で相手先発・中居謹蔵をKO、3戦目はエース・東尾修の好投に立花義家が
逆転2ランで応えて大田も2発4打点の快勝、3連勝で7ゲーム差と突き放す独走の始まりとなった。
6月を終わってもわずか18敗、早くも貯金を25として2位・日本ハムとの差も12ゲームがついていた。毎月勝ち越し、全球団相手に勝ち越しの圧勝
レースを演じた西武の打線を牽引したのが田淵幸一だった。7月13日の骨折離脱まで70試合で29本塁打、田淵が本塁打を打てば22勝2敗1分の
「田淵神話」まで生まれた。田淵不在の後半戦もテリーとスティーブ・オンティベロスの両外国人に山崎裕之、大田、石毛らが打って穴は埋まった。
9月1日のマジック25点灯後も、20試合で優勝決定というハイペースだった。投手陣は安定感抜群で東尾、高橋直樹、松沼兄弟、杉本正の5人で
先発ローテーションを回し、五本柱の先発登板は130試合中125試合にも上った。5人は86勝のうち70勝を稼ぎ出すなど、全員が二桁勝利を
挙げた。
投手編成の妙と強力打線構築で連覇に導いた広岡達朗監督だったが、前年同様その手綱を緩める事はなかった。田淵、高橋、大田らへの厳しい
注文は勿論、夏場に軽度の脇腹痛を起こした松沼博への二軍通告、三回KOの大黒柱・東尾に二軍降格を匂わせた事もあった。極めつけは
マジック点灯の2日後、投げた6投手全員が失点して大敗した試合後に出した西宮での外出禁止令。荒馬ともいえる選手を相手に緊張感を保たせ
ながら、毒舌を交えた正論で押し通す調教師・広岡の頭の中には「妥協」の二文字は微塵も無かった。 (了) 伊勢「広岡さんのやり方はどこも同じ。軍隊式の管理野球そのもの。真逆が三原さん。見事なまでの放任野球だった」 5ゲームプレーオフ込みのマジック
オールスター前の阪急戦で40いくつかで点灯したと思ってたら一度消えてんだな
9/1の2位・日ハム戦を前に11.5差
直接対決7試合、プレーオフ5試合で理屈上ハムに自力の目が残ってたとw ミニプレーオフも1回ぐらい見たかったなあ
廃止翌年から混戦とか嫌がらせかw 前後期制導入(1973年)
DH制の導入(1975年)
んで前後期制廃止のこの年はミニプレーオフなんて制度があったのか
変則的なルールで新たにこれまでのシーズンとの差別化を図っているように見える
少しでも野球ファンに注目されるために新しい制度をどんどん取り入れるパリーグの体質はこの時代から既にあったんだな これはもう一切肯定的に評価しないほうがいいよ
決定時点でマスコミファンに苦し紛れもここまで来ると見苦しいとボッコボコに叩かれた愚策
適用3シーズンとも独走優勝でさらに叩かれる
廃止になってそれ見たことかと笑われ、翌年の西近混戦で129試合目で優勝決定するも
「昨年までもプレーオフがあれば」という声はほとんど上がらなかった >>175
ひよっこ晋三稀勢の里なはずが
ひよっこ 数字とれない
晋三 加計砲
稀勢の里 怪我
どうしてこうなった 巨人がアウトを取る度に
ドドドン、ドドドン「ア〜ウ〜ト〜」
ドドドン、ドドドン「ア〜ウ〜ト〜」
ってやってたのは83年だけか 今のCSよりは合理的かと思う。
理想はCSもプレーオフもない単純な1シーズン制だけど。 >>199
稀勢の里とひよっこには頑張ってほしいよね。
あとはどうでもいいがw この年(1983年)の5月5日の後楽園球場の巨人対阪神で
阪神に1点リードされていた巨人は9回裏2死から原の2ランで
逆転サヨナラ勝ちした。当時小5だった俺はTVで見ていたが
スタンドにギリギリ入る打球だったな。ちなみにこの日は
ロッテの落合も逆転サヨナラ2ランを打っていたりする。
こっちの方の相手は忘れたw >>203
2アウト1塁の場面で相手投手は山本和行だったね。
打った瞬間、平凡な外野フライで試合終了かと思ったw
巨人が阪神を3タテ。翌日阪神ファンのクラスメートが「もう知らない」ボヤいて落ち込んでたな 少なくともパリーグは。
セリーグは前半の巨人独走が6月に失速し、広島が浮上。
オールスター前は広島が首位で折り返し、8月以降は2球団によるマッチレース。
9月に入り広島が急失速し10月1日からの最後の直接対決3連戦前に息切れ。 この年が視聴率ピークやったんやな。
人気最高の巨人が負けて西武に覇権が移った。
巨人に黄金期が来なかったんで徐々に離れていったんやろうな。 翌年から王が監督となり3年連続V逸。
85年の阪神フィーバー、西武黄金時代到来で巨人人気に陰りが。 野球年スレ見ればなぜこのあたりで一旦人気が落ちたかが書いてある >>180
事実かどうかもわからんし、事実だとしても西本に替える決断をしたのは藤田
坊主にくけりゃ袈裟まで憎いアンチ王か知らんが酷い言いがかりだな
そもそもこの時点までいかに江川が打たれて西本が抑えてたか把握してんのかよ? 広岡が何度も口にしていたが、
先発した1、4戦でKOしたが、江川はリリーフだと異常な力を発揮するから
もしリリーフで来られたら負けだと諦めていたら西本が来た。
そこへコーチの森が、前々日に130球を投げてヘバリ切った西本なら攻略できると。
ベンチも石毛が「逆転しようぜ」と音頭を取って意気揚々となった。 >>212
江川本人はリリーフを非常に嫌がっていた
現実に、長嶋が監督の時に何度かクローザーテストしてるが結果が良くなく、先発に固定したら2年連続で最多勝
よって広岡の江川評はサンプル不足の上に良くない結果をごまかしてのもので、的外れ
西本が快復不足というなら、江川だって西本の前日に100球以上投げて、バッティングで足を痛めて治療まで受けてる
現に同日に西本の次に登板して金森にサヨナラ打を許して負け投手
最初から江川出してれば逃げ切れた説は全く共感できない
で、本当に王が藤田に諫言して西本になったの?
ソースは?
仮に実話としても最終的に諫言を受けいれて西本を投入したのは藤田なんだし、責任は藤田が負うべき問題だろ ちなみに江川は、第一戦で自身はKO負け、第二戦でのライバル西本完封が堪えた?のか
休養にあたる翌日になんとブルペンで200球近く投げこんでスポーツ紙の1面にされてる
堀内がバカにするようなコメント出してたね
江川本人は必死だったんだろうが >>213
西本のリリーフ登板の件は日本シリーズの決定的瞬間って文庫本に詳しく書かれてる。
あの場面はテリーと山崎を角でいって、ラストを江川で抑える、
または角に任すってプランはなかったのか?
故障上がりでも角の変則モーションには戸惑ったはず。 文庫本wwwwwwwwwwwwwww
どうせ宝島あたりのムック崩れだろ、と思ったら松下茂典の新書か
結構嘘混ぜて、裏も取らない人だよこの人
角投入ないよ
少しでも戦力化したかったら1,4戦のビハインド展開のどこかで登板させてる
一発があって左も苦にしないテリーにいきなりぶち当てるとかいう発想がおかしいし
なんで山崎まで角で行って、江川に代えなきゃいけないんだ
左右の対応もおかしい 第1戦の0-6で迎えた5回裏
第4戦の4-6で迎えた9回表
山崎に定岡がダメ押しホームランを打たれて4-7とリードが広がった後
ここらへんで角を試してみる余裕すらなくて、いずれも定岡で行った(続投させた)
ってことはもう定岡>角って位置づけにしかならなかったのだろう ノンフィクションといえど、こういう証言の類は
AとBでいってることが違う(片方の言い分だけ採用)
あとから事実に合わせて証言者の記憶がうまいこと修正されている
いろいろ作ってる「読物」の要素が多分にあると思ってて
むしろ当時の新聞なりの談話を一次資料として引いてくれる方がまだ正確かもしれない
それを、読んでる人が「はあそうなんだ」で思う分にはいいけど、
それが事実だと他人にまで押し付けるのは難しいと思うんだよね この年のシリーズ敗退をきっかけに今日に至るまでの巨人凋落が始まった気がする。 原はこの年までは順調に伸びてた感じがあったなぁ
王巨人になってからは叩かれてた印象しかない 83 2700
84 4300
85 3870
86 3870
87 3870
88 6000
優勝できない名門の四番ってことで叩かれるのはやむを得んかもしれんけど
この給料の叩かれ方が可哀想だった。86年の更改では吉村に抜かれた
いまならFAを視野に入れた大幅昇給で複数年って所だろうに >>221
これ、普通の選手だったらとっくに
チームに三行半を叩きつけているよね。 >>221
85年の10%ダウンから、2年続きの現状維持。完全に優勝することが前提なんだな。 >>221
当時のロッテ・日ハムだったらこんなに給料くれないだろ。 >>218
そんな根拠で事実じゃないと決めつける方が妄想w >>224
落合みたいな消化試合の鬼が1億貰ってるわ >>224
日ハムの柏原は原と同じくらいもらってた。 その代わり当時の原はCM出演やオフのTV出演や副業諸々で相当稼いでいたんじゃ? >>197
2003年までこのミニプレーオフ制度を続けてれば評価も変わっただろうな >>231
88年近鉄、89年オリックスが、プレーオフで逆転、日本シリーズ進出していたら、4タテ喰らうかも? >>221
年俸は表向き低いかも知れないが、高額納税者ランキングでは常にトップだったので年俸は副収入程度の認識だったのかも 新庄がしくじり先生で野球はバイトって言ってたの思い出した
一方現代の選手は年俸は格段に上がったけど副収入は昔より減ってるだろうから
案外金銭的には恵まれてないのかもしれん >>234
その時代だと、CMのギャラなんかも
かなりあったろうからな 1982 巨人の原 CM契約数 味の素・明治製菓・明治乳業・富士重工・大正製薬・美津濃・オンワード
全部で約2億 ちなみに原の入団時の契約金が8000万だったが、実は手取り8000万だったらしい >>221
巨人だし副収入以外でも経費扱いで使える額は相当あったろうな 西武は堤の方針でCM禁止だからその分年俸を高めにしたらしい 実はロッテの最下位はこの年が初めてでした
というのも、意外な感じがする。 引退して解説者になった方が儲かる
そんな時代がやって来る直前だな 原はCM収入だけで億超えてたんじゃないか 7社ぐらい契約してたし 1983年長者番付 プロスポーツ
http://motoken.na.coocan.jp/material/choja/choja_83.html
1 アントニオ猪木 8,268 -
2 青木功 7,887 2
3 原辰徳 6,916 1
4 中島常幸 5,774 -
5 王貞治 3,591 8
6 掛布雅之 3,317 10
7 野村克也 3,299 -
8 山本浩二 3,264 9
9 千代の富士 3,143 5
10 倉本昌弘 3,128 13 >>247
当時のオロナミンCは中畑・西本・角・山倉・河埜・松本・定岡で
原は入ってなかった >>246
当時既に引退していた王や野村がランクインしているのを見ると
いかに当時のプロ野球選手の年俸が安くて副収入が多かったかが分かるな >>246
納税額が3000万超えてる人達は1億以上の収入があると見て良いのかな この当時の巨人ブランドが全盛期のころ 年俸以外でも2軍のサイン会がギャラ20万とか
1試合ごとの褒賞金100万くらいとか年俸や長者番付には分からない部分で稼ぎがすごいと聞いたわ
在京セリーグ希望の選手が多くなるのは当然だわ 副収入だけで生活できたといってたものね 年俸は一切手を付けずに 野球の実力が同じなのにそこまで稼ぎに差が出るんだから
浪人してでも巨人とか最低でも在京セというのもわかるわな そう考えるとあの時代にパリーグに入団した清原は非常に男気があったといえるね。
他球団の山田久志が清原ほどのスター選手がパリーグに来てくれたんだから
みんなで大事に育てにゃならんみたいなこと思ったっていうんだから。 あの時代は逆指名や自由枠とかがなかったからでしょ
そういうのがある時代だったら確実に福留と同じようにしてたと思う そして、やっとこ入団したのはいいが、ろくな成績を残せずに
球界をフェイドアウトw >>251
在京セといってもヤクルト・大洋の選手はそこまで儲けていたかね。それだったら阪神中日の方が地方といえどもCMあるし副収入良かったのでは?
六大学出身の選手が神宮でやりたいってのは分かるけど、大洋でやってもね。在京じゃないし。
それで荒川事件みたいなのが起きたんじゃない? >>257
結局、小池って何だったんだろうね?あれだけギャンギャン言われてロッテは嫌だ!で近鉄行って一度のみのフタケタが最多勝が勲章という なんだったろうねも何も、プロでタイトルとれる選手がどれだけいると思う?
しかも1度故障した後に。 >>262
もうこれだけやれば将来の巨人の監督は間違いないしな >>265
「俺は大ちゃん好きや。大ちゃんのファンやわ。」と大石大二郎を讃えてた。 >>262
上原、仁志、二岡あたりが巨人で野球人生を全うしてないだけに
まだ波乱あるかもよ 巨人ファンだが、今でも日本シリーズ負けたの悔しい。 5月5日の後楽園で原が山本和行から逆転サヨナラ2ラン!9月14日には平田薫が山本和行からサヨナラソロ。
山本和行は76年末次に逆転サヨナラ満塁を喫している。
Gファンとしては、真っ向勝負を挑んで来た山本和行投手を称えたい。 >>271
あの負け方は悔しいというより、むしろお恥ずかしい。
あと2アウトノーランナーで同点にされるのは選手よりベンチの責任。 >>275
第6戦は1死無走者からの同点劇
むしろ西武の方が第3戦で2死無走者から4連打で逆転サヨナラされた 間違えた1アウトからの同点だった。
それにしてもなぜ西本を投入させたか謎だよね。
西本本人曰く「なぜ自分が投げなきゃいけないの?」 謎でもないだろ
江川1,4戦 ボロボロ、肉離れ
西本2,5戦 18回失点2自責1 田淵の事故みたいな本塁打と、自らのエラーによる失点だけ
シリーズで西本の方に絶対的な信頼がおかれていたが、
さすがに第7戦の中2日は厳しいとみて6戦で決めに行った。
最近なぜか>>277みたいな説の方が出てきておかしいんだか
当時は西本投入で間違いなし、みたいな雰囲気だった。 9回表に逆転し、優勝が決まったかのようにはしゃぐ巨人ベンチ。
あれ西武を完全に舐め切っていたな。逆転されて当然
まるで後年の加藤哲郎w >>278
TBSの番組で江川は「俺だろ」、西本は「(逆転された時のため)明日先発だろ」と思ってたと証言してる。
藤田さんの温情采配が裏に出た。 江川俺だろって、そのシリーズで結果出してないんじゃ… 江川は第1戦先発。第4戦の前々日に、ブルペンで200球くらい投げたらしいが、謎と言うか、無謀な行為。 巨人は勝ちに急ぎすぎた。
はじめから7戦勝負と腹を括って西本温存すべきでは?
リリーフの江川がやられても7戦は先発西本がいる。こう考えられなかったかなぁ 江川のブルペン投球ってなんなんだろうな
普通コーチも止めるやろ 疲労残るだけだし 巨人が第6戦9回表に追いつかずにあっさりまけていたら、どうなっていたか?
当然、西本リリーフはなく満を持して第7戦登板。
ま、結果論だが 角(本来のクローザー)と平田(81年のシリーズで活躍した左キラー)が
使えなかったのも痛かったと思う。クビが決まりかけてたクルーズが
スミス徹底マークでイマイチな分、意外な活躍をしてたけど 江川の時代は肩は消耗品なんて考えはなかった
徹底的に投げ込んで肩を作るのが常識だった >>286
首位打者に肉薄したとはいえレギュラー1年目だったから篠塚を外して平田
という思い切った手を使えたものの、83年の篠塚ははもう外せる対象じゃないね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています