「投げ込み不要論」

投手コーチとして有名な権藤博の指導法の一つに「投げ込み不要論」がある。今では“肩は消耗品”が常識となっているが、現役時代の苦い経験を
もとに試合どころかブルペンでも投球数を抑えるよう指示したのは中日コーチ時代の40年近く前の事で、当時までには無い教えだった。権藤が
二軍から一軍投手コーチに昇格した時の監督は近藤貞雄で、投げ込み不要論の提唱は近藤がコーチ時代に権藤の酷使を止められなかった反省
からの持論であり、60年代当時から過重な投げ込みには反対し続けていた。中日時代からキャンプでの投げ込みを隔日にして、大洋監督時代では
“休肝日”ならぬ“休肩日”の導入が話題になった。

89年に日本ハムの監督に就いた時も近藤の方針は変わらなかった。ブルペンでの投げ込みを減らし、余った時間は筋力トレーニングに充てた。
柴田保光らベテランや、87年のプロ入り以来2年間よく投げた西崎幸広はこの方針を歓迎した。しかし高校時代から投げ込んでフォーム固めや体力
強化をしてきたタフな若手にとっては、容易に受け入れ難いものがあった。特に前年最多勝を獲った23歳の松浦宏明は「キャンプで投げ込まない
なんて、とても勇気が要ることなんです」と強く抵抗した。
若手の不安は的中した。松浦は皮肉にも開幕してすぐ故障して離脱、6月に復帰も7月に再度離脱して1勝に終わった。前年最優秀防御率に輝いた
河野博文は、絶不調に陥りプロ5年目にして初めての未勝利だった。6年目24歳の津野浩は、3年ぶりの2ケタ勝利には達したが防御率5.50で、
前年より2.5以上も下げた。豊富な投手陣と近藤の手腕で優勝争いの予想もあったが、西崎以外の若い力が機能せずチームは5位と期待に沿えな
かった。

目論見が崩れても近藤は「キャンプのブルペンで投げる200球より、オープン戦で投げる20球の方が身に付く」と持論を崩さなかったが、前半戦まで
5割近辺で3位争いをしながら後半戦16勝33敗と大きく負け越したのでは、評論家たちに失速の原因を「投げ込まない事でのスタミナ不足」といって
近藤理論に求められるのも仕方のない事だった。 (了)