1989年パリーグペナントレース★2
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ブライアントの連発は真剣勝負のパリーグだから
成立するのでありセの特に藤田巨人ならブライア
ントを満塁の場面でも敬遠してただろう、と
安部譲二が週刊誌かスポーツ紙のコラムに書いて
たな(ただ満塁の場面は森監督は四球でもいいと
郭に言ったらしいが)。渡辺久信とブライアント
の勝負は伊東が「(江川と掛布みたく)勝負を越えて
投手打者が真剣勝負を楽しむと言うのがあるけれど
あれこそ本当の真剣勝負ですよ」と言わしめた。 ナベQ自身も「思い出に残っているシーン」として語っているらしいね
打たれた後に片膝ついて呆然と見送っていたシーンがある意味でカッコよかった ナベQは無類のブライアントキラーで決め球にインハイのストレート投げときゃ安パイだった
あの試合のあの打席の時だけ打ち返されたってのが何ともドラマチック 久信は100の力ならブライアントを抑えられた
と思うがいかんせん中1日。パフォーマンスは
落ちる。 オリックスもロッテ最終試合に勝ってればな。
近鉄はダイエー戦の後西武戦だから西武はダブル
ヘッダーのリベンジとばかり近鉄を倒してただろ。
そうなるとオリックスは最終戦は獲ってたから
オリックスの優勝だったかもしれない。 オリックスは5月4日の西武戦勝っていたら優勝だったんだよな
あの試合は9分9厘勝っていたよ >>206
あれが投げミスではないからこそのあの表情なんだろうね
「しまった!」って顔ではない
ジョニーがプリアムに打たれたのと同じ
完璧なコースに完璧な球を投げたのにやられた 初球は外角の釣り球に騙されず、
二球目は内角直球を大ファール、
三球目の変化球に全く反応せず。
ブライアントは完全に合わせていた。 あの日ブライアントが郭から打った1本目は
何度見ても惚れ惚れする完璧なスイング 清原が入ったチームは物凄い弱体化し、
出て行ったチームは、糞がいなくなったことでめちゃめちゃ強くなる
1985年清原入団前
西武優勝 勝率 .637 2位とのゲーム差15.0
1986年清原入団
西武優勝 勝率 .581 2位とのゲーム差2.5
清原が入ったことによってゲーム差がマイナス12.5
1996年清原移籍前
巨人優勝 勝率.592 2位とのゲーム差5.0
1997清原移籍
巨人4位 勝率.467 1位とのゲーム差-20.0
清原が入ったことによってゲーム差がマイナス25.0
結論を言えば
清原はチームのお荷物にしかならないってことだ
清原が出て行った西武の成績
1996年清原移籍前
西武3位 勝率.492 1位とのゲーム差-13.0
1997年清原移籍
西武優勝 勝率.576 2位とのゲーム差5.0
清原が出て行ったことによってゲーム差がプラス18.0
2年連続3位だった西武だが
清原がいなくなった途端に2連覇達成 >>213
面白い。
ちなみに清原が出ていった前後の巨人と、移籍してくる前後の檻はどうかな? 清原が出て行った年の巨人は
有名な8連敗10連敗9連敗の年だけどね(´・ω・`)
まぁ前年より順位は一つ上がったがw >>189
先発出来る投手では休養十分の松沼博久がいた。前回登板の内容の悪さと、近鉄との相性を忌避されたのかも。
高山ではいかにも力不足だな。
打たれた後の投手交代も失敗だった。 あと、秋山が9月22日に31号を放ったけど、以降17試合、本塁打が全く出ずに終わった。
例のダブルヘッダーでは、二試合とも初回にライトに三塁打打ってたし、打率はキープしていたが。 >>212
あのスイングが毎回出来てりゃ、とてつもない本塁打数になりそうだ。 >>217
トランプゲームの大富豪(大貧民)で弱いカードを
先に出したのが近鉄(高柳)。西武は郭太源という強いカードを
先に出した。しかし失敗して次の試合高山という弱いカードを
出すしかなかった(近鉄は阿波野で当然強いカード)。
ダブルヘッダー第一試合は石毛は阿波野でくると思ってたらしいし。
でももし第一試合郭阿波野エース対決で第二試合高山高柳ローテー
ション谷間対決だったら試合はどうなっていただろうか
興味深い。 「真面目でいい子」
新しく日本ハムの監督に就いたばかりの近藤貞雄が、選手を見て一言「真面目でいい子ばかり・・・」と不満を漏らした。前から近藤の頭には「真面目で
いい子がグラウンドで働いたためしがない」というのがあった。それまで26年の指導歴での実体験によるものが大きく、優等生よりも一癖あるタイプの
方がよく働くと思っていた。
前任の高田繁監督時代に、3年連続で開幕投手を務めた津野浩は“真面目”の代表だった。身長も高くセンスもある、しかし真面目が災いしていると
近藤は見ていた。細身で甘いマスクに加えた「凄味がなきゃ・・・」という近藤の話を受けたか受けずか、89年の津野は11勝しながら防御率5.50と
いったように好不調の波が激しかった。6月のダイエー戦で8回まで無安打の快投を見せたかと思えば、8月の西武戦で2回KOされてからは閉幕まで
4連敗とムラがあり、イメージチェンジの評価は翌年に持ち越された。
前年最多勝を獲り、近藤が提唱した投げ込み不要論に抵抗を見せた松浦宏明は真面目理論から考えれば期待は持てた。しかも88年の松浦は西武
相手に4完投を含む6勝1敗というキラーぶりで強い相手だと燃えるタイプだったが、皮肉にも開幕して間もなく右肘故障の大誤算でわずか20イニング
しか投げられず1勝に終わり近藤の公算を狂わせた。
左腕の河野博文も前年最優秀防御率のタイトルホルダーでありながら、後の90年に失踪騒動を起こすなど考え込みやすい性格だった。しかし
未勝利で6敗という河野の絶不調で、左投手不足に悩んだチームがトレード期限いっぱいの6月末日に巨人から獲得した角盈男は、生え抜きの選手と
違って移籍早々近藤に堂々と物申した。
中継ぎ起用で考えていた近藤に「先発で使わないならトレードしてくれ」と言ったのだ。先発登板は79年を最後に10年もしていないにもかかわらずの
角の強気な発言に、近藤は呆れたが「自己主張をハッキリしてくれた方が、陰でブツブツ言うより良い」と言っていた。角はプロ初完投も含め3勝を
挙げてローテーションの谷間を埋めた。近藤自身も決して現役時代に優等生でないことを認めていて、指導者とぶつかりながら投げ抜いた。89年の
上位3球団は個性の強い選手が目白押しだったが、日本ハムも真面目でいい子でない選手がもう少し多くいたら、結果は変わっていたのだろうか。
(了) >>210
あのシーン、渡辺久信の表情もさることながら、喉仏の大きさが気になった。 渡辺は「ブライアントよりリベラの方が嫌だ」と言っていたな
リベラは数値的にはそこそこだけど「ここで打って欲しい」ってとこで打っていた >>209
このシーズンオリックスはかなり惜しかったからな
5月4日の西武戦もそうだけど
もし10月13日のロッテ戦勝っていたらペナントの結果は違っていたかもしれないな
10月13日の場合は近鉄にマジックあるけど残り試合2でマジック2のままだったから
近鉄もかなり厳しい戦いになっていただろうな 森は残り4試合が全て前年のリベンジに
燃える近鉄相手で嫌な予感してたかもな。 http://2689web.com/1989/BF/BF19.html
8/10の日ハム戦かなあ
なんとかストッパーを務めていた山内が大炎上してストッパー失格の烙印を押され
以後佐藤義、酒井らローテーション投手がストッパーに廻され、薄い先発がさらに薄くなった
西武とオリックスは痛い敗戦が多すぎてどれが痛いとも言い切れないが
9/30,10/1のオリックス戦に渡辺久、郭をつぎ込んでの連敗もかなり痛かった
これ一つ取ってればオリックスが死んで、あとは流して2〜3ゲームつけて優勝できてたかも >>221
89年の日ハム。書いてくれてありがとう。
今となっては、この時代が懐かしいなあ。
クラスで日ハム好きの人間なんて1人もおらず寂しかった(笑) 当時巨人へのトレード話があって怒る選手も珍しい
大抵の選手は大喜びだと思うが
南海を愛した山内孝徳氏、球団譲渡などで3度の激怒
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201912030000482.html
ある新聞記者が山内に声をかけた。「よかったですね。ジャイアンツに行くんですね」と、
水面下で巨人の看板選手とのトレードが進んでいると告げた。
「何やと!?」。また山内の血が怒りで煮えたぎった。
山内 俺はホークスに命をかけて入った。その俺をいらんと言うのかと。 なんとなくだけどタカみたいな気迫と内角攻めでいくタイプは
セでは上手く行かなかったと思うからむしろ良かったと思う 高橋直樹や加藤秀司は不思議な位にセではダメだったね 今だと美馬みたいなタイプだよね
あれもFAしたけどセに行かなくて正解だと思うわ 角さんといえば翌年のブライアントの天井弾を思い出す 「強いチームに居たら・・・」
3強レースに沸いたパ・リーグでは近鉄からはラルフ・ブライアントとハーマン・リベラ、オリックスからはブーマー・ウェルズ、西武からは途中入団の
オレステス・デストラーデといった外国人選手の強打が熱戦を演出した。実力者助っ人揃いという事でいえばBクラスに終わったチームでも、好成績
の選手が各球団に散らばっていた。外国人打者の出来だけなら全6球団は拮抗していた。
移籍した門田博光の穴埋めにダイエーが獲得したウィリー・アップショーは、主にブルージェイズで主軸として活躍しメジャー通算1000安打と100
本塁打の実績を引っ提げての入団だったが、本来は中距離打者ながら33本塁打を放った。前半戦は四番の重圧もあり打率が上がらず苦戦したが、
8月に7戦連続打点を挙げるなど後半戦に貢献した。近鉄・阿波野秀幸から3発、オリックス・星野伸之と西武・工藤公康から2発ずつとエースたちを
含め、左腕からの本塁打では左打者でリーグ最多の10本塁打(全33本塁打)を打った。同じ左打者ではブライアントと門田でも8本塁打といった事
からも対左投手での技術がうかがえた。
アップショーと外国人助っ人史上4組目の30発コンビを形成したトニー・バナザードは来日2年目、バナザードもメジャー968安打75本塁打の実力者
だった。8月の月間MVPも立派だが、特筆すべきは当時の両打ち打者本塁打新記録の34本塁打であり、内訳も右で15本、左で19本と両打席で
結果を出した。
日本ハムの四番を務めたトニー・ブリューワは、バナザードよりも日本球界に先に入った来日4年目だが、前年腰椎分離症で丸1年間欠場していた
ため89年は勝負の年だった。実績考慮で残留させてくれた球団に報いるチーム三冠の数字を残したブリューワは、日曜に強く打率.337、25試合で
9本塁打、デーゲームでの9本塁打はブライアントと並ぶリーグトップだった。
ロッテの新入団マイク・ディアズはとにかく好機に強く、8戦連続打点を含む105打点はレロン・リー(109点)に次ぐ歴代2位の記録。来日初年度の
40本塁打にあと1本届かずも、打率が3割1厘で12球団の選手で2位となる猛打賞15回を記録していた。
挙げた4選手は当然ながら翌年も残留したが、ダイエーのコンビはリッチ・ゴセージ獲得即昇格決断の田淵幸一と揉めて途中退団、ブリューワは
33歳と決して老け込む歳ではなかったが初めて3割を切って17本塁打63打点とパワーダウンで退団、2年連続3割30発100打点のディアズのみ
活躍したといった具合だった。先日亡くなった元阪神のマット・キーオにも言える“強いチームに居たら・・・”という外国人選手はいつの時代にも居るが、
89年は打者においてそんな選手が特に多く存在した年だった。 (了) 淡口が近鉄の選手として優勝したが、V9を経験した選手でも
あった。巨人の方は1987年の優勝時にはV9戦士はいなく
なっていた。しかも平成に元号が代わってのV9戦士の
優勝経験者であった。 >>237
巨人は地獄の伊東キャンプを経て、1981年の時点でほぼV9戦士が一掃されていたからねえ。
V9戦士の1人だった高橋一三が日ハム投手として1981年シリーズの第1戦に先発した際に、古巣なのに完全に様変わりした全く違うチームと対戦している
という奇妙な感覚があったという。
何処かバック・トゥー・ザ・フーチャーみたく自分が未来にタイムスリップしたみたいな感じ(Part2の「えっ!カブスがワールドシリーズ制したの!」みたいな)
だったのかなと。 >>237
V9経験者で平成に優勝経験があるのは淡口と新浦ぐらいしかいないのでは ブラ砲炸裂西武戦が終った翌日にオリックスがロッテに負けて
マジック1。しかし当時俺は「バナザードとアップショーの30本
コンビがいるしなあ、岸川、山本和もきついし、西武
戦の疲れにつけこまれたら負けて西武最終戦てヤバい
だろ」と思ったダイエー戦、両外人がいなかった。
まだダイエーも2、3試合残してたイメージがあったのに
帰国していた。今でも何で両外人は早く帰国したのか? >>240
アップショーはその前に怪我だね
だから13-12の西武戦にももう出場していなかった
バナザードも10/7西武戦から優勝決定の10/14まで一週間空いちゃったから
気が抜けて帰国したような
(昔クロマティも契約が残ってて消化試合に帰国したような覚えがある) 西武が出てたら巨人4タテ出来てた
近鉄は穴が多すぎ まあそんな穴があるチームに負けて優勝できなかったんだから仕方ない 「エース交代」
後半戦27勝28敗、失速で5年ぶりのペナントを逃したオリックスだが、球宴後の順位は西武、ダイエー、近鉄に次いで4位だった。打率、本塁打、
得点でリーグトップの打線を持ちながら防御率リーグ4位の投手陣が足を引っ張った。被安打と完投数でもリーグ5位、その影響で1試合平均の投手
起用2.97人はリーグ最多だった。前半戦で18の貯金を作った先発陣が後半戦では軒並み成績を落とし、前半8勝の佐藤義則が後半1勝9敗、
同じく7勝のガイ・ホフマンも後半2勝2敗、山沖之彦は前半の5勝を上回り後半6勝4敗を挙げていたが防御率6.08と苦しんでいた。
その点前半7勝3敗、後半8勝3敗を挙げ、防御率で前半4.38、後半2.51と逆に成績を上げた星野伸之はオリックス投手陣の中でも出色の出来
だった。
8月は完封と大量失点KOを交互に繰り返して2勝2敗、しかし2回途中で降板した後に中2日で近鉄打線から10奪三振の完封勝利で首位を奪取
するなど端正な顔立ちと細身の身体からは想像がつかない気概も見せた。9月と10月の大事な優勝戦線では6連勝して一度も負けなかった。
9月は5試合で4勝して防御率1.59の好成績で月間MVPを受賞、10月も3試合で2勝を挙げた。近鉄がダブルヘッダーで西武に連勝して沸いた
10月12日もチームが痛い連敗を喫していたロッテ相手に2失点の完投勝利と意地を見せ、翌日の勝敗次第では再逆転優勝の目もあった。
トータルでは自己最多の15勝6敗で最高勝率の初タイトルを獲得した星野は対戦相手や場所についてもコンスタントに勝ち、全球団からの勝利は
もちろん西武に対して4勝2敗、ダイエーに対して5勝2敗など負け越した球団は無く、ビジターも9勝1敗の強さを誇り、全ての敵地で勝利した。
前年まで通算2勝7敗と苦手だったロッテにも3勝負け無し、前年に続くチーム最多完投数といった内容も親会社をオリックスに替えた球団の
新エースに相応しいものだった。
余談だが当時の星野本人は愛煙家でタバコをやめたのはFAで阪神に移ってから、それから太りだしたというが阪神で結果を出せなかった原因は
衰えなのか禁煙なのか。「健康」と好きな事を楽しむ「心の安らぎ」のどちらを取るかの答えはいつの時代でも永遠のテーマになっている。 (了) コージと大下はアホだった
待望の広島監督になった山本浩二。そして、不機嫌そうな顔をした大下ヘッド。
キャンプ中、大した非も無さそうな河田を平手打ちする映像が流れたチビ大下。
人気者のはずが相変わらず観客動員セぶっちぎり最下位の広島。
田舎者丸出しの広島弁で馬鹿丸出しのコメントを連発するコージ。
この年の広島は前年より打つようになったものの、前年がひど過ぎただけの話だった。
投手起用が原因で負ける試合も多く、ヘッドの大下は機能していなかった。
そもそも、スローガンにした「ウイニングスマイル」は完全な和声英語だ(笑)。
(了) この年のセリーグ
・広島
人気者コージが監督就任。スタンドがガラガラ。開幕戦、救援に長富を起用し逆転負け。
スタートダッシュに成功するが負けの大半は継投失敗。紀藤を酷使。負けてても紀藤。
バカなのかコージ?監督の談話は広島弁で田舎者丸出し。
・中日
オープン戦無双。暴力野球の限界露呈。星野落合の確執深刻に。けが人続出ベロビーチキャンプ。
上原、近藤の不振。立浪故障。
・ヤクルト
コマ不足も若手の芽が出だした一年。
・阪神
暗い一年。掛布引退。新人野田の報われない好投。中西金属疲労。岡田真弓も振るわず。
・大洋
古葉監督ベンチで顔を隠したままそのまま消える。 もしこの年、西武が日本シリーズに出ていたら、先発は
渡辺久−郭−渡辺智−松沼兄−渡辺久−郭−渡辺智だったかな?
工藤はこの年、絶不調だったからね…
もしオリックスだったら、
佐藤−星野−山沖−ホフマン−佐藤−星野−山沖かな? 西武はそのようなローテになってたと思うけど
オリックスは緒戦と2戦目(5戦目と6戦目)が逆だろ
この年の佐藤は全然良くなかったぞ。シーズン15勝の星野が第1戦先発が妥当だろう
あえてエースを2戦目に投げさすという手も無きにしもあらずだが(2013年のマーのように) 佐藤義則は開幕6連勝→最終9勝13敗防5.00
山沖も11勝6敗も防御率5点台
だからそれよりも安定してて駒田岡崎篠塚クロマティら左相手に投げられる
ホフマンも2回投げさせるんじゃない?
星野−ホフマン−佐藤義−山沖−星野−ホフマン−総力戦か
星野−ホフマン−佐藤嘉−星野−ホフマン−総力戦−総力戦
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