1990年のプロ野球を語ろう Part.2
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>>627
今はレアルマドリードのレジェンドの方が知ってる人いるんじゃないの バナザードもマイナーのGM補佐かなんかやってて
試合に負けた選手に「覇気がない!かかってこい!」って言って自分の服をビリビリに破いて威嚇したとして問題になって辞任してたな >>630
暴れてるというよりは率先して助けにいったところを横から吹っ飛ばされてるように思える
可哀相 >>632
ていうか、オープン戦だけでなく
開幕戦でクロスプレーで初登板の与田と清水がもみ合いになって小競り合いになったときも
ライトの守備位置からマイヤーめがけて飛び蹴り未遂とか、
広島戦でヤングが暴れた時もヤングに向かってタックルかましてたな・・・
たまたま回りが壁になってたけど散らばってたら明らかにヤングとディステファーノ
マウントの攻防状態になっていて両者退場になってたかもね。
ただ、巨人戦で暴れて退場になったときも星野が
「何で当事者じゃないディステファーノが退場なんだ!!」と激高して擁護してたくらいw この年で一番印象に残っている乱闘は、
ナゴヤ球場での巨人戦だな。
確か、ウッチャんナンチャンの番組で試合を放送して
出演者と会場の人も一緒にみてた覚えがある。
(生放送だって初めて知った) >>634違う試合だったらすみません。
中日−巨人戦だったのは間違いないはず。 >>634
打者バンスローが当たらなかったけど近めの球に激怒して、
(中略)
巨人ベンチから何か言われた星野監督が激怒し
「なんやあ!こっち来いよ!」みたいなこと言って、
水野が殴られたやつだよね。
結局ディステファーノも退場だっけ。 >>636
松原コーチに『早く引っ込め』と言われたはず。大乱闘でディスティファーノが退場、警告試合になる。鹿島がクロウの尻にぶつけて退場。そして木田勇がマウンドへ‥‥ 大宮っていつも血気系外人にぶん殴られてるイメージなんだが 大宮ってこの年(だったと思う)西武に移籍したんだよな。
西武も前年の開幕直前伊東怪我による離脱によって
中盤まで低迷してたのが響いたのを糧にして。
森が本で、大宮は移籍してきてレギュラーを取ろうってでは
なく伊東のサポートをやってた。ので助かった。って感じの
内容で載ってた。 大石、大宮、中尾
この頃やけに「中日西武系捕手」多かった印象、何かパイプでもあったのかな 斎藤雅樹は優勝決定後、9月15日時点で18勝4敗防御率1.67。
それが残り3試合で、一気に2点を超えてしまった。
9月22日 広島(東京D)5回自責5● 18勝5敗 1.84
9月29日 中日(ナゴヤ)6回自責6○ 19勝5敗 2.04
10月7日 中日(東京D)8回自責5○ 20勝5敗 2.17 星野仙一と西武の森がNHKの関連で師弟関係だったとか
星野仙一の中日時代の背番号77は、森の師匠だった川上哲治の監督時代の背番号
でNHK解説者だった縁で、監督業の心得を自宅に招いて教えたらしい
そのルートが平野と小野であり大石や大宮もだった >>638
スティーブとディステファーノ以外にもいたっけ? >>644
ワンツーパンチの見本のように殴られてたな。 1990年の中日はバンスローでなく近鉄からリベラ獲得だったらどうなってた?
リベラ&ディステファーノのコンビ見てみたかったけど・・・ 大石はデス杉本と共に84年オフ田尾とのトレードで中日に来たが
当時の監督は山内と広岡 森がNHKの解説になったのは西武の監督を辞任してから
どんだけ盛ってるんだよこいつ 引退後の森の経歴。
日本テレビ→ヤクルトコーチ→TBS→西武コーチ→文化放送
→西武監督→NHK→横浜監督→隠居生活 >>640
直接には西武で根本氏の腹心と言われた岡田英津也氏が、同郷&明大後輩の星野監督に馳せ参じたのに伴うものかと。
後に星野監督の招きで阪神でも編成を担当する。
「人脈で言えば彼奴が上。俺の人脈が100人だとすると、彼奴の人脈は200人は居る」by根本陸夫 >>646
リベラのパンチでディステファーノがシーズン絶望 この頃は後に格ゲー御用達メーカーとなるSNKが色々なジャンルを試行錯誤で世に送り出していたある意味のピーク期
ベースボールスターズはソフトボールっぽかったわ
麻雀狂列伝では平和台があった大濠公園で幼馴染の婦警を野外レイプするのがあった
他にもライディングヒーロー、スーパースパイ、サイバーリップというのもあった Jack has a bat and two balls. >>652
リベラとディステファーノのコンビだったら、
槇原は再起不能に落ちいてたと思うけど・・・ その前に、その二人によるノーガードの殴り合いになって、
どちらかが再起不能になる可能性だってあるw リベラとディステファーノってどちらもイタリア系じゃないかwww >>641
20勝到達も、印象を悪くして沢村賞を逃してしまった。今思うと、20勝投手が絶滅危惧種になってしまうのだから、斎藤に沢村賞をあげるべきだった。 それでも、”新人でタイトル総ナメ”というインパクトはデカ過ぎる。 最後に失速した斎藤と、ブーストかけて最多勝と防御率のタイトルに手が届いた野茂。
最多勝と防御率は渡辺久が失速してくれたのも大きいが運も実力のうちということか。 ナベQの場合シーズンの失速っていうより選手としての失速のターニングポイントだったんだよな >>664
両リーグとも、優勝チームの大独走。9月以降、イメージダウンした斎藤に対し、野茂は三振記録で話題を独占。消化試合の出来が、沢村賞を決めた稀有なシーズンだった。 >>665
>>667
当時25歳にして、毛髪と選手と両方のターニングポイントに
見舞われるなんてw >>668
25歳までに最多勝3回、おまけにイケメンでモテまくりと
勝ち組すぎる人生だったからなあ まぁ何だかんだで監督としても日本一を達成しているし編成入りも果たしたので十分勝ち組なんだよな。例のヤク中を見ているとつくづくそう思う。 >>658
チャンスに打てなかったディステファーノをリベラが責め立てて
チームメイト同士でドつき合いかよw
リベラはプエルトリコのアマチュアボクサーだし、
ディステファーノは当時治安が劣悪だったNYブルックリンのイタリア人街育ち且つ
ハイスクールまでアイスホッケーやってたみたいだし・・・ 桑田が開幕から1ヶ月謹慎で、藤田監督は4月の間21歳の木田優夫と23歳の吉田修司を「使い倒していた」。
先発もリリーフもやらせてた。木田は開幕2戦目でサヨナラホームランまで打ち、月間MVP獲得。 >>675
この年は、幻のノーヒットノーランがある。96年に達成した時は、復活を期待したが、西武時代最後の白星となった。 >>676
柴田と投げ合ったやつかな?
あれで「延長戦でノーヒットノーランやったのは江夏だけ」って事実を知った 西崎じゃなかった?
柴田ならこの年、東京ドームの近鉄戦でノーノー達成。
その模様はテレビ埼玉で中継された。 >>678
柴田は92年に、10回1安打無失点も、勝ち負け付かずがある。 http://atoz.exblog.jp/1880384/
ちなみに、柴田のノーヒットノーランがあった日(=近鉄・野茂がリリーフ登板)って、
27年前の今日のことだったのね。 野茂はデビュー後になかなか勝てなくてまだ先発では荷が重いから
しばらくリリーフで調整するんだなと思ったものだ ナゴヤ球場ってよく火災が発生する
今まで3回ぐらいはある ソフトバンクがボコボコにされて4タテ→翌年Bクラスなら
言うこと無しw >>690
いやソフトバンクが4タテしそうな予感…
2年ぶり日本一(しかも4タテ)を2度もやってのけた奴がいるし… しかし、彼は昨年指揮官として「Vやねん」も経験したw 27年前の今頃は巨人も西武も独走していてシラケムードだった。
ラジオから流れていた「夏祭り」を聴いて虚しさを感じたほど。
まさに空に消えてった打ち上げ花火そのもの。 >>695
そういえばホワイトベリーの前にジェッタリンジンが歌ってたんだよね。
リアルタイムを知っている筈なのに、どうもホワイトベリーの方が印象強いなぁ。
ホワイトベリーのときも巨人ファン以外はしらけムードだったろうな。
巨人ファンの俺でもしらけてたw 当時イカ天観ていなけりゃ、そんな程度の印象のバンドだろうなあ>ジッタリンジン ベストテンとかトップテンが終わっちゃったから、
ミリオンクラスのヒット曲じゃないと、
どうも流行ってる感がなかったね。
プリプリくらいだと、結構流行ってた印象 >>699
この年の春にトップテンが終わり、さらに秋には夜のヒットスタジオも
終わってしまったからね。
(ベストテンの終了は前の年の秋) この年の今日、巨人がリーグ優勝
しかし、日本シリーズでは西武に4連敗w 藤田はそもそも桑田を投げさせ過ぎ
この年の謹慎はいい休養になったんじゃないか
謹慎なければずっと200イニング超えだっただろう ジッタリンジンといえば沖縄民謡調の「にちようび」が好き。 >>703
謹慎期間が短すぎると思った輩が多かったのでは?
当時は巨人の選手には甘く、他球団の選手には厳しかった印象。
今なら謹慎1年、罰金2億が妥当だろうな。 野球賭博に関わりが疑われていた人との交流だからな。
藤田監督自身が自身とは直接の関係が無いにも関わらず、実兄が暴力団関係者と
付き合っていた件で長らく不遇を囲っていた(一時期、巨人を離れ大洋の投手コーチ
を務めた事も)件まで引き合いに出して、「謹慎1年」を予定していた務台会長を翻意
させたって感じも。
藤田監督側からすれば、「ここで義理を作っておけば桑田は一生自分と読売に尽くす
筈」との計算もあった様な。
その思いは監督最終年で早速裏切られる格好となり、負けても負けても桑田を
ローテから外さない姿勢から寧ろ他の選手の離反を生みV逸の遠因ともなった様な。 藤田野球は結局先発引っ張ってそいつら次第だからな
よく言えば古き好き時代の完投野球
悪く言えば一部投手におんぶにだっこ
長嶋第二次政権にもツケがまわることになる 当時は凄い投手陣だったんだろうけど、
(リアルタイムで見ていたけど、当たり前の様にやっていたので、
「凄かった」という実感があまり湧かなかった)
思い返せば考えとしては古かったんだろうなぁ。
3本柱は結局誰も200勝に届かなかった訳だし。 角や石毛を抑えとして一本立ちさせたのが藤田なんだけどな
707みたいに完投数だけ見て意味不明な戯言ほざくバカが後を絶たないのはなんでだろう・・・ このまま終わったら、ハゲタカだけがタカ笑いしてしまう
非常につまらないシーズンになってしまうw 3年前のオリとの争いで暗黒確変時の立ち回りを
学んだような気がする…
ああなんて事を… 基本的に藤田監督はシーズンが始まったら二軍の事なんか眼中に無さそう。 あの年の両リーグの戦いぶりを見て
優勝チームは独走したとはいえ、
パの方は西武が調子悪いとそれに突けこんで
粉砕してはいたけど、セは巨人相手だと
なんか無気力で見せ場すらなく負けていく。
牛ファンだったが、なんだこいつら的な印象があった。牛ファンだったが巨人ファンの友人に
お前らのチーム西武に一勝も出来ないぞと
言ったら罵倒されたけどw。 結局、日本シリーズで一つも勝てなかったw
もしかしたら「巨人はダイエーより弱かった」のかもw 本原が移籍すぐ活躍して、巨人の2軍がダイエーでは即戦力なのかって言われてたころだろ 巨人から西武に移籍した鹿取も大活躍したしな。王政権末期ヘロヘロなイメージだったのに。 >>718
その前年、藤田監督になって登板数が激減したことが、鹿取にとっては
肩・肘が休められて案外良かったのかも知れないね。 巨人が仕掛けるトレードって失敗するケースが多いけど、
この年の鹿取⇔西岡のトレードは成功したといえるね。 この年に限っての話しで、
尚且つ鹿取は巨人時代同様にリーグを代表するストッパーって感じだったけど、
西岡はこれまた西武時代同様に半レギュラーって感じで、
そもそも選手としての力量が釣り合っていたんだろうかという気がしないでもない。
よくよく調べりゃ西岡もこの年だけでもなく92年くらいでも一応の活躍はしているのだが。 巨人優勝の翌日の読売新聞に激ペンの白取晋が狂喜乱舞の祝勝コメント書いてたけど日本シリーズの敗退ぶりをどう書いてたかな
報知見てなかったから分からんわ 西武はストッパーが喉から手が出るほど欲しかった。
巨人は当時広かったとされる東京Dで守れる外野手が欲しかった。 結果が出た後だから何とでも言えるけど
鹿取は1990年で33歳、当時としては引退もみえてくる時期
しかも王の酷使で終わった投手と見なされるのも不思議ではない
西岡は巨人に一番欠けていた外野守備と
大野や川口に苦しめられての左腕対策という点で
悪くない交換相手だった 西岡はチャンスにも強かったし地味に見えて中々長打力があったからなぁ
でも応援歌にチャンスの女神とか入れるのはどうかと 広島が貧打と言われているが数字だけみれば強打のチームだ
アレン25本 小早川17 野村16
西田13 長内11 広島が貧打だったのって阿南の時でしょ
浩二の時は優勝した91年以外はそれなりだったはず 大野川口佐々岡らの少数精鋭で持ってた投手陣
野村江藤緒方前田ら有望野手は多かったが
まだ伸びてる段階だった野手陣
この両方がクロスしてたのが山本浩二一期
案の定93年に投手大陣崩壊野手陣に好成績残すのがそこそこいたで最下位 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています